猟犬たち
猟犬が一匹。
「納得がいきません!!」
大声に負けないほど机に激しく拳を振り下ろしているのは、パイロットスーツを身にまとった男。やや神経質そうな顔を真っ赤に紅潮させて、彼の上位者に対して声を荒げているのだった。そのパイロットスーツに縫い付けられた階級章から、彼が少尉の階級にあることが見て取れる。まだ何となく少年の雰囲気を残しているのは、少尉の階級にありながらも彼がまだ若者の年齢に属することを示している。
「まぁ、腰を下ろして少し落ち着いたらどうかね」
「結構です!!隊長は何とも思わないのですか!?祖国の危機、祖国の将来を傭兵などに頼るような上層部の判断を!?」
若者から隊長、と呼ばれた男は、苦笑を浮かべながら若者の真っ直ぐな意志を受け止めている。軍隊組織である以上、本来命令に逆らう権利も資格も無いのが軍人の軍人たる所以である。その気になれば彼は「命令だ」の一言で若者を退けることも出来るのだが、むしろ若者の熱意は彼にとって好ましいものだった。特に、ベルカという北の強国によって国土の大半が奪われ、国家が存亡の危機にあるにもかかわらず、尚も闘志を持ち続けようとする人間は僅かだったから。眉間に皺を寄せた若者を宥めながらソファに座らせ、隊長と呼ばれた男はマグカップを片手に自分も腰を下ろす。
「君の熱意は理解出来るし、私とて傭兵たちの手を借りなければならないことは残念だ。しかし、我が軍――空軍戦力はベルカのエースたちの手によって壊滅状態にあることは君も理解しているだろう?航空学校のヒヨッコたちの成長を待って「円卓」の奪還を図るというわけにはいかんのだよ」
「しかし……だからといって報酬が全てという者たちを呼び寄せるというのは……」
若者とて戦況がどんな状態にあるのか、もちろん理解している。だが、理解するということと、納得するということは微妙に異なる。そうせざるを得ないことは理解しつつも、正規空軍にある人間としては外様の傭兵たちが我が物顔で祖国の空を飛ぶことが許せないのだった。そして何より、若者に伝えられた命令は、急遽再編成されたウスティオ空軍第6師団――彼が嫌悪する傭兵たちが配属される部隊であり、彼らの根城となるヴァレー基地へと転属命令だったのだ。何故、どうして、よりにもよって自分が。顔に太字のマジックでそう書いた若者の顔を改めて苦笑しながら見つつ、"隊長"はマグカップを傾けた。
「今はどこも人手不足なんだ。そんな中、君をヴァレーへ送るのは、我が部隊にとっては非常に辛いのだ。だが、君は若い。君が嫌う傭兵たちから学ぶことも数多くあると私は考えている。だから、君を第6師団へと派遣する。これは君にとっての修行の場でもあるんだ。私の期待に応えてはくれんかね、シャーウッド少尉?」
「傭兵たちの色に染まってこいと?」
「そんなことは言っていない。だが、第6師団には凄腕の傭兵も配属されるそうだ。例えば、TACネーム「ピクシー」。君も聞いたことくらいはあるだろう?」
若者――シャーウッドの表情が明らかに変わった。それはそうだろう。「ピクシー」のTACネームは、戦闘機乗りたちの憧れでもあるエースのものなのだから。
「行ってきたまえ、シャーウッド少尉。そして、彼らから様々なことを学び、そしてここへ生還するんだ。いいね、これは命令だ――部隊長たる私個人としてのね。戻ってきたら、酒場の一番高い酒で乾杯といこうじゃないか?」
あの「ピクシー」が来る?数々の伝説を持つ凄腕の傭兵。エースパイロット。彼に認められるということは、戦闘機乗りとして一端になったということの証明ともなる。傭兵たちと祖国の空を飛ぶことは苦痛以外の何物でもないが、「ピクシー」に自分の実力を認めさせることが出来れば――!先程までの怒りが沈静化し始め、変わりに"行動を起こせ"という気持ちが取って代わり、彼の胸中に広がっていく。そんな彼の心の振れを見透かしたかのように、"隊長"が笑っている。シャーウッドは、彼のぶら下げたエサにまんまと釣り上げられてしまった自分に気がついた。してやられた――!照れ隠しも手伝って、彼は勢い良く立ち上がって、いつも以上に格式ばった敬礼を上官に施した。
「ウィリス・シャーウッド少尉、第6師団への転属命令を拝命致しました!粉骨砕身の覚悟を以って、祖国解放のため尽力する所存です!!」
ウィリス・シャーウッド。ウスティオ空軍第3師団第11戦闘航空団より、転属。
挫折を知らない、誇り高き翼を持った猟犬が一人。
猟犬が一匹。
「おいおい、俺をどこの誰だと思っていやがるんだ?その程度で俺の腕を買おうとは、随分と舐められたもんじゃないか。ええ!?」
片手にビールの満たされたグラスを持ちながら、受話器の向こうの相手を悪し様に罵る大声が続く。
「天下のベルカ空軍様ともあろう者が、客人を迎えるにそんなちっぽけな値段しか提示できないのかよ、クソッタレめ。え?何?勝利の暁にはベルカ空軍佐官の肩書くれるって?んなもんいるか、タコ!大体負けたら紙切れ以上にタチが悪いじゃねぇか。おとといきやがれ、この野郎!!」
ガシャン、と派手な音を立てて受話器が叩き付けられる。そんな男の様子を眺めていた、もう一人の男――スーツをぴしりとまとった男の表情が一瞬怯む。が、彼の予想に反し、男は先程の罵声が嘘だったかのように笑みを浮かべていた。年季の入った皮ジャンにジーパンという姿は、彼の本職を言い当てることを極めて難しくしている。髭面にパンチパーマにその格好では、どうひいき目に見ても街のごろつきの親分格辺りが妥当な線だろうが、これが報酬次第でどんな仕事もこなすという空の傭兵だというのだから――「人は見かけによらない」という格言をスーツの男は頭の中で反芻していた。
「というわけで、ベルカ空軍のスカウトは蹴っちまった。おたくの条件を聞かせてもらおうか」
何杯かのグラスを開けているにもかかわらず、全く酔いを感じさせない双眸が男に向けられる。その視線に促されるように、スーツの男はアタッシュケースを開き、髭面をスカウトするという、彼のミッションを開始した。雇用条件、報酬額、雇用に当たっての階級その他。諸々の説明をする間、笑みも浮かべずに相手は無表情に話を聞いている。メモも取らずに、だ。本当にこの相手は話を聞いているのだろうか、と冷汗が一筋背中を流れ落ちていく。一通りの話をし終えると、髭面は目を閉じてしばらく考え込んだ。沈黙の時間がしばらく過ぎ去ったが、男は唐突に身を翻すと棚から新しいマグカップを二つ取り出し、コーヒーポットから琥珀色の液体を注いだ。そしてスーツの男に一方を渡し、もう一方を自らの手に取った。
「……正直なところ、ゼロの数が二桁足らない、と言いたいところだが、おたくさんの懐事情を考えれば合格点だ。撃墜スコア次第でボーナス追加というのも気に入った。さっきのベルカの連中に比べれば、格段に良い条件だぜ」
「では、我が軍に協力して頂けると?」
「確認したいことがある」
何か不都合なことを言っただろうか、とスーツの男はぎくりとした。そんな彼の姿を見て、髭面はにやり、と人の悪い笑みを浮かべる。
「そんなに恐がらんでくれ。俺の他に、あんたらは誰に声をかけているんだ?」
そうきたか、とスーツの男は記憶に留めている傭兵たちの名前を一人ずつ挙げていった。特に興味なさそうに聞いていた髭面の双眸に凄みが加わったのは、最後の一人の名前を読み上げた時であった。
「……ほぅ、奴が来るのか。奴は俺なんかとは違って知らねぇ人間の方が多いはずなんだが……そっちの情報収集力が優れているのか、それとも知り合いでもいたのか?」
「いえ、代理人を通して彼からコンタクトがあったのだ、と聞いています。傭兵を募るのならば、是非参戦したい、と」
「へぇ。嘘じゃないとしたら、珍しい事だ。今じゃ子持ちの過去の傭兵になった、あの男が自分から売り込みとはな。……こいつは面白い。面白くなりそうだ。OKだ。ウスティオ空軍第6師団への配属、了解した。他の奴に給料は払わなくていいから、俺に全部回しな。ベルカのクソどもを喰らい尽くしてやるからよ」
机から取り出した髭面は、手渡された契約書に大きくサインした。やはり容貌には似合わないような、綺麗なアルファベットが紙面に描かれていく。戻ってきた契約書には、"ガイア・キム・ファン"の名が記されていた。
ガイア・キム・ファン。報酬こそ全て。報酬のゼロの桁数で動く傭兵。
狙った獲物を刈り尽くす、非情な翼を持つ猟犬が一人。
猟犬が一匹。
「俺が背中を任せられるような奴はいるのか?」
薄暗い部屋の中で、その薄暗さに溶け込むような黒い服を着た男が、受話器を肩と首とで挟んで、足を机の上に投げ出している。右手の火をつけたばかりの煙草からは紫煙が白い帯を引き、部屋の中を漂っている。電話の向こうの声を鼻で笑い、男は首を振った。
「それじゃ駄目だな。大体、ボロボロの国のボロボロ空軍に肩入れするんだ。報酬はもちろんだが、初めから即死のジェットコースターに乗る馬鹿はいない。いっそ、ベルカの側についてトドメを刺しに行く方が得な気がしてきたぜ」
受話器の向こうで、相手は冷汗で背中を濡らしていることだろう。だが、勝ち目の無い喧嘩をする奴とは組みたくない、と男は考えていた。実のところ、今のオファー以外にも彼の下にはお呼びがかかっているのだ。机の上に乱雑に積まれているのは、彼に対して提示されたスカウト要件の提案書たちだった。2つの超大国――オーシア、ユークトバニアのものがある。超大国とは友好関係にあり、連合軍に部隊を派遣するエルジアのものがある。そして、独特のアルファベットのものは、他ならぬベルカ空軍のものだ。そして今男の手にあるのは、ベルカにより国土の大半を占領され、再びベルカの直接統治領となりそうなウスティオのもの。中世の独特の装いを残す首都ディレクタスの風景は、訪れた人間にどこか懐かしい感傷を呼び起こす。あの街にまで戦火が及ぶことは悲しいことだが、全く勝ち目の無い戦場に身を置くつもりはさらさらないのが彼の立場である。
「何度も言うがな、エースって呼ばれる奴には3種類の人間がいるんだ。プライドに生きる奴、戦況を読める奴、あんまり仲良くなりたくは無いが、報酬に生きる奴。俺が聞いているのは、俺の行き先で俺と組む奴らのことだ」
受話器から聞こえてきた名前を右から左へと聞き流し、今度はため息を付きながら首を振る。いくら報酬が欲しいからといって、死に急ぐような奴ばかりじゃ話にもならない。何より、行き先となる第6師団とやらは傭兵だけでなく正規兵まで混じった混成部隊になるという。絶対的な腕前で他の連中を黙らせられるような奴がいないことには、単なる烏合の衆。ベルカのエースたちにいいように食われていくのが運の尽きというものだ。何人かの名前が通り過ぎ、いい加減可哀想だから止めさせるか、と男が思ったところに、予想外の名前が聞こえてきた。男は思わず、ほぅ、と声が漏らした。その名前は幾度も耳にしたことがある。だが既に一線から退いたはずの男が何故戻ってくるのか。血で血を洗い、奪った命の数が報酬に代わる無味乾燥、殺伐とした戦場という世界に。男はこころもち首を傾けながら、そんなことを考えていた。
「……いや、共に飛んだことは無いが、名前は良く知っている。噂に聞いた腕前が本当ならば、アンタ方には何よりの援軍になるだろうが、こればかりは本当に見てみなければ分からないからな。……何だって?」
通話相手の話は、男がこれまで聞いたことの無い話だった。それにしても、個人のプライバシーなんてものはいとも簡単に侵害されていくものだ、と彼は思った。誰だって自分の過去を話したことも無い人間にぺらぺらと話されたら不愉快になるだろう。ましてや、今の話を知っている、などと当人の前で言おうものなら問答無用で張り倒されても文句は言えない類のものだ。さらに言うなら、彼に対して提示された任務外の要件は、誰でも不愉快にさせられるものだった。
「どの世界でもレイシストって奴はいるもんだ。……俺も見くびられたものだ。相棒になる相手のケツを監視しろと?」
男の剣幕に受話器の向こうが黙り込む。
「……いいだろう。但し条件がある。奴が俺と組むに相応しくない男だったら、俺は即座に退役する。それで良ければ、行ってやろうじゃないか。――ヴァレーへ」
相手が安堵のため息と歓声を挙げるのを適当に聞き流して受話器を置く。結局口元に運ぶことも無く燃え尽きた煙草を灰皿に押し付け、男は次の一本を取り出し、古びたジッポで火をつける。再び紫煙の香りが漂い、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。生まれた場所、民族、たったそれだけの理由で疑われ監視されるのだとしたら、何とこの世界は住みにくいのだろう。まして背中を任せるであろう相手を監視し、或いはその背中を守りながらも疑い続けろとは――前線を知らない、いつだって安全な場所で戦争ごっこを繰り広げるモグラどもには相応しい姑息な手だ、と男は心の中で吐き捨てた。そして同時に、まだ見ぬ相棒への興味が湧き上がって来る。話せる奴でなくてもいい、だが、飛べる奴であって欲しい。自分自身が、生き延びていくためにも――。男は、自分以外誰もいない空間で、呼びかけた。
「期待しているぜ、相棒」
ラリー・フォルク。「片羽の妖精」の異名を持つ、伝説のエース。
彼に認められることは、エースの証。彼を友とすることは、一流の証。
友軍に勇気を、敵に恐怖を与える、赤い片翼の猟犬が一人。
そしてもう一人。虚空を駆ける猟犬がもう一匹。
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