旅立ち
戦争なんて代物はいつの時代でも、この星のどこかで絶えることなく起こっていた。それこそ、人間の歴史は戦争という野蛮で愚かな行為で綴られてきたと言っても過言ではないだろう。その戦争の果てに強力な帝国が作り上げられ、その国が衰えると別の国が取って代わる。そんなことを何千年と続けてきた末に、現在があるのだ。無数の死者たちの屍の上に作られる新国家。平和。それが砂上の楼閣のように脆いことを人間は充分に知っているはずなのに、愚かな行為を繰り返す。救いようのない大馬鹿たちだ。だが、だからこそ仕事にあぶれないで済む人間もいる。その愚かな行為に過ぎない「戦争」を生業とする、俺たち「傭兵」にしてみれば、数年おきに大規模な紛争と戦争を繰り返す現代はまさに稼ぎ時とも言って良い、薔薇色の時代であった。戦争に群がるハイエナだの、戦争の犬だの、或いは人間の屑と言われようと、そんなものには冷笑で報いればいい。そんな人間たちに頼ってまで、戦争なんて馬鹿げた判断を下すような国家と国民など、世の中で最も救いようのない存在と言うべきなのだから――。
家にいる時間と留守にする時間が丁度一年で半々くらいの父親が、世の人々――特にあの国の人々にとっては侮蔑の対象だった傭兵だということに気が付いたのはいつ頃だったろうか。だが間違いなく学校に行くようになる頃には知っていたはずだ。いや、強制的に知らされたと言うべきか。気が付けば、俺は同級生からも、その親たちからも、そして教師たちからも「戦争狂の息子」と陰口を叩かれていたのだから。そんな父親を憎んだことがないと言えば嘘になる。もともとは国防空軍のエース級のパイロットであった父親は、無能な上官の命令を無視した罪を問われて軍を追われ、だがその腕前を買われて空の傭兵として世界中を飛び回っていた。道理で、長い間の留守の後には見たこともないような土産物が並ぶわけである。そして留守の詫びのつもりなのか、父親は帰ってくると近くの飛行場に置いてあるセスナ機に、俺を乗せてくれたものだった。学校でも孤立することが多い息子を慰めるつもりでもあったのだろう。操縦桿を握りながら彼は良く言ったものだ。"陰口なんか気にすることないさ。おまえを悪く言う人間は、それしか能のない人間たちなのだから"、と。だから、俺にとって空は身近な癒しの場所、そして数少ない心安らぐ空間であった。いつしかその時間は飛行機の操縦を覚える時間ともなり、それが父と自分の貴重な会話の時間へと姿を変えていった。だが、その時間もそう長くは続かなかったのだ。
家のポストに届いたのは、一通の無味乾燥な封筒。あまり聞いたことのない国の消印が押された封筒が知らせたのは、父親の戦死だった。どんな死に方をしたのかは分からない。遺体が俺たち家族の元に帰ることもない。だが、二度と父親がこの家に帰る事は無いのだ、ということは分かった。やがて銀行の口座に大金が振り込まれると、これまで俺と家族を侮蔑し続けてきた人間たちの嫌がらせはエスカレートしていった。その心労からか、胃を患った母親はしかしまともな治療を受けることも出来ず、ようやく診療を受けられた病院では法外な診療代を請求され、二度と家を出ることが無くなった。そして街に大雪が降った冬の朝、冷たい外気と同じくらいに冷たくなって、母親は事切れていた。傭兵と結婚した母親は親族からも見放された存在となっていたようで、数少ない近所の人々と自分ひとりだけが彼女の葬儀の参列者だった。かくして天涯孤独になった俺の生活環境は変わることが無く、むしろ父親が残した「戦争で稼いだ大金」を相続した人間に対するバッシングはさらにひどくなるだけだった。そして悪いことに、当時の俺はまだ子供だった。ハイスクールの修学旅行経費を学校に支払うことになったとき、担任の教師が「おまえは二倍の料金を支払え」と言った。何故か、と聞けば、「おまえは祖国の恥知らずの息子だ。その恥知らずの責任を取って、おまえは祖国に代償を支払うべきなのだ」と彼は答えた。何かが切れる音を聞いたように思う。気が付けばその担任は頭から大量の血を吹き出して動くことが無く、俺の手には血まみれになったバットが握られていた。
パニックに陥った職員室を飛び出した俺は当然追われる身となった。近くの銀行に飛び込んで引き出せるだけの現金を引き出した俺は、ボストンバックにとりあえず数日分の着替えやらを押し込めて十数年住み続けた家に火を付けた。もうここに戻ることもないし、この場所を他人に汚されるのは嫌だったから。そんな俺の前に止まったのは、俺を逮捕するためにやってきた警察の車ではなく、全く面識の無い、だがどこか父親と同じような匂いを持つ男の乗る車だった。逮捕されれば間違いなく牢の中、運が悪ければ命を奪われる危険もあった俺に選択肢は限りなく少ない。「早く乗れ」とドアを開けた男の車に、俺はそのまま滑り込んだ。乱暴にアクセルを踏み込んだ車は猛スピードでメインストリートを突っ走り、郊外へと続くハイウェイへと上がっていった。どこへ行くのか、聞くのも愚問――そんなわけで無言の時間がしばらく過ぎた後、男の方が口を開いた。――彼は、父が戦死した作戦での傭兵仲間だったのだ。「借りを返しに来た」と言って郊外にある軍の飛行場の一つに車を止めた彼は、その駐機場に置かれていた輸送機の中に私を潜り込ませ、自らも搭乗した。ボストンバックと銀行から下ろした現金を抱えて、私は輸送機の荷物の一つとして祖国を飛び立ったのである。それが俺の少年時代の終わりであり、真っ当な人生を送る人間との決別の時だった。
受話器を置いて振り返ると、頬を膨らませて睨み付ける妻の視線が、俺の顔に注がれていた。こんな仕事をしているのだからいい加減慣れて欲しいものだが、こればかりは結婚してから変わらない、戦場へと赴くときの儀式みたいなものだった。ちなみに最近は同じように俺を睨み付ける存在が増えている。もうすぐ3歳になる上の娘が、母親の真似をして小さい顔を精一杯膨らませて、テーブルに顎を乗せて睨むのだ。そして、そんな顔はもうすぐ増える。下の娘は今1歳半。あと一年もすれば、こうやって上の娘と顔を並べるはずである。そんな娘の頭を撫でてやると、睨み顔もどこへやら、一転して笑顔になった彼女を抱き上げて膝の上に座らせてやる。が、相変わらず妻は俺を睨みつけていた。
「……なぁ、折角仕事が入ったんだからもう少し嬉しそうな顔をしてくれてもいいじゃないか、ラフィーナ?」
ツンとそっぽを向いてしまった彼女を見て、やれやれと俺は苦笑した。祖国を追われた俺が真っ当な職業に就職することなど出来なかったわけだが、そんな俺に父親の傭兵仲間は生きる為の術を叩き込んだ。どうやら父親の才能を多少は受け継いでいたらしい俺は、気が付いてみれば父親と同じ「空の傭兵」となっていた。そうして戦場を転々としていくうちに俺の腕前は本人が考えている以上に他人に評価されたらしく、俺はユージア大陸で勃発した武装集団の叛乱を鎮圧する為に結成された傭兵航空部隊の一員として新たな戦場に赴き、そして戦場の戦果とは別物の「戦果」を挙げてしまった。何しろ、戦時である。普通に仕事をしていたってストレスは溜まっていくものだが、毎日を命を賭して戦場を駆ける俺たちも当然のように癒しの場を求める。これまでの戦場でもそうであったように、一晩の相手と思って手を出した戦術オペレーターの一人は、実は俺が考えている以上にしたたかな女だった。紛争終結を祝うパーティの場で、彼女は俺に告げたのである。あなたの子供が出来ました、と。紛争終結祝いのはずのパーティ会場は、いつしか壮絶なドンチャン騒ぎへと姿を変え、俺は傭兵仲間たちの下品なジョークのネタにされるだけでなく、退路を経たれた。紛争終結後の休養期間は、新しい生活を始める為の慌しい準備期間へと姿を変えてしまったのだ。そんなわけで、俺はそのオペレーター――ラフィーナの尻に敷かれている。
「新聞やニュースでベルカが隣国に攻め込んだ、と言っていたから嫌な予感はしていたんだけれど、私に相談もしないで即答することはないでしょう?」
「おい、いつから俺のマネージャーになったんだ?」
「敵航空母艦強襲攻撃作戦前夜」
「あのなぁ……」
それが、俺が最初に彼女に手を出した日であることは言うまでも無い。だが、彼女の心配は別のところに原因がある。数年前に極右政党が第一党となったベルカ連邦は、ベルカ公国の長、ベルカ公アウグストゥスを頂点とする「強きベルカ」の復権を唱え、折からの経済恐慌で疲弊していた人々のナショナリズムに火を付けることに成功したのだ。古来より幾度もベルカとの大規模な戦争を経験してきたオーシアの、ベルカを弱体化させるための策略は失敗し、強力な軍備を整えたベルカはついにかつての統治国へと侵攻を開始したのである。ベルカと国境を接するウスティオ共和国は、わずか数日で国土の大半を占領され、かろうじて残った南のわずかな地域に臨時政府を樹立、ベルカへの抵抗を呼びかけたのである。その過程で、彼らは唯一残された第6航空師団に、傭兵のリクルートを開始したのである。そして、そのオファーを俺は受けるつもりだったのだ。数年前、俺と俺の家族を抹殺しようとした祖国――ベルカとの戦場に立つために。
「相手は、あなたの生まれ育った国の人たちよ。ひょっとしたら、昔のクラスメートが相手かもしれない。そのとき、あなたは引き金を引けるの、レオンハルト?」
「関係ない。傭兵である以上、敵は敵。それに、あの国には嫌な思い出しか残っていない。幸いなことに、仲の良いクラスメートなんて奴は一人もいなかった。人の腸に手を突っ込んで掻き回してくれるような、そんな奴らばかりさ」
「違うでしょ、あなたは過去との決着を付けるために、今回のオファーを受けた。何処に行っても付きまとう、祖国の裏切者というレッテルと訣別するために、敢えてベルカとの最前線に立つつもりでしょ?」
図星。女の勘というものには時々驚かされるが、ラフィーナの指摘は、まさに俺の本心を言い当てていた。そう、確かにその通りなのだ。あの日、祖国を飛び出してから今日まで、一度としてベルカの出身であることを他人からとやかく言われることは無かったし、むしろ祖国以外の国ではこれほど出身国や人種の境界線が無くなっている事を知って、いかに祖国が閉鎖的な世界に生きているのかを実感したものである。だが、それに慣れれば慣れるほど、自分という存在を否定し、抹消しようとした祖国の出身であることが、一方で俺の脳裏から離れなくなっていた。ブローカーからのオファーを即答したのは、正真正銘、世界の敵となったベルカとの戦場の最前線に立って、自分の過去に自分なりの決着を付けるためだったのだから。
しばらくの無言の対峙が続いた後、ラフィーナは立ち上がり、そして俺を背後から抱き寄せた。色々とまだ言いたいのだろうが、俺の決心が変わらないであろうことを彼女もまた知っているから、だからラフィーナは無言で俺を抱きしめるのだった。目を閉じて、俺はしばらくその温もりに浸ることにした。二児の母となった今も、ラフィーナの日向の香りがする匂いは変わらない。
「……必ず帰ってきてくださいね、あなた。ルフェーニアとアリアも待っているんですからね。ね、ルフェーニア?」
「うん!パパ、今度はどんなお土産買ってきてくれるの?ルフェーニア、ペンダントが欲しいなぁ」
上の娘――ルフェーニアの頭を撫でながら、俺は苦笑した。なるほど、きっと俺の父親も出撃のたびに同じような気分だったのだろう。あの頃は何も知らないでよかったのに。俺は腕を伸ばしてラフィーナを抱き寄せ、そして頬に軽く接吻した。
「……絶対に戻ってくるさ。ここが、俺の居場所。俺の帰る家。それに、まだ出発まで時間は充分にあるさ。向こうで燃料切れにならないように、たっぷりと充電しておかないと」
「……バカ」
今度は彼女の唇が頬に触れる。そしてようやくにっこりと笑ってくれた彼女の笑顔こそ、俺にとっては最高の見送りなのだ。出頭する時間まで、俺は家族たちの温もりを存分に味わっておこうと決めた。万が一帰れなくなったとしても、その時に後悔しないで済むように。
1995年。開戦直後の電撃作戦において国土の大半を占領されたウスティオ共和国は、僅かに残された国土と唯一残された航空戦力たる第6航空師団に外人傭兵部隊からなる特務部隊の編成を決定。その召集に応えてウスティオに集った猟犬たちの中に、「サイファー」のTACネームを持つエースパイロットの姿もあった。
この物語は、第6航空師団第66特務小隊――通称「ガルム」小隊の一人として、ベルカとの戦場を駆け抜けたエースの物語である。
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