凍空の猟犬
人は語る。
その翼は誰よりも強く、誰よりも速く、空を切り裂いていった、と。
人は語る。
その翼、悪魔の如き、と。悪魔の翼の出現こそ、はじまりだったのだ、と。
天気予報のとおり、ヴァレー空軍基地近辺は寒気団と厚い雲の包囲下に置かれ、エイプリルフールも終わったというのに雪が舞い降りる。折角綺麗に洗車してしまったのに、とは倉庫にしまったばかりの除雪車を出す羽目になった整備兵の言葉だが、俺自身もより小さな災禍に見舞われている。それはこの近辺の天候をあまり確認せずに派遣されてしまったため、もう少し前なら持ち歩いていたであろう防寒具の類をほとんど用意していないのだ。おかげで俺はこの寒空のした、かろうじて持ってきたスコードロンジャンパーを羽織い、少し体を小さくしながら歩く羽目となった。トレーニング中はまだ体が暖まるのでそれほど気にもならないのだが、あてがわれた宿舎から離れた酒保までは何の遮蔽物も無い吹きさらしを歩かなければならないのだった。北国の出身だったはずなのにな、と自分でも半ば呆れてしまう。
ヴァレー基地を拠点とする第6師団はまだ編成中の状態で、全ての面子がそろった訳ではなかった。既に偵察任務で出撃している者もいるし、既にこの世の者ではなくなった奴もいる。予想とおり、かなりヤバい戦況であることは明らかだった。ベルカ空軍の支配下に置かれた空域を大きく迂回して次々とやってくる輸送機の群れが格納庫の前に大量の荷物を降ろして、再び違うルートを取って去っていく。その度に俺たちが使うことになるであろう戦闘機の部品たちが集まるわけだが、何しろ急場だ。エンジンばかりが届いたと思ったら、今度はコクピットばかりが集まるという始末で、まともに動かせる戦闘機の数は僅かに数機という有様だった。これであのベルカと戦おうというのだから、今更ながら衝動的にオファーを受けたことを悔やみたくもなる。舞い降りてくる雪の向こうに、甲高いエンジン音が響き渡る。どうやら最前線に偵察に出かけていった連中が戻ってきたらしい。2機のF-1が滑走路脇に積もり始めた雪を吹き飛ばして滑走路に滑り降りてきた。甲高いエキゾーストはあっという間に俺を追い抜いていく。吹き飛ばされた雪が空を舞い、頭の上から再び降り注いでくる。
タクシーウェイに入り始めた戦闘機たちのエンジン音とは異なる甲高い音が、どこからか聞こえてきたのはその時だった。音の出所を首を巡らせてみると、戦闘機とは反対側、管制塔のある本部棟からそれは聞こえてきた。耳が痛くなるようなサイレンが告げるのは、まぎれもない緊急事態の発生。反射的に俺はこれから戦場を共にする戦闘機の待つ格納庫へと走り出した。久方ぶりの緊張が全身に広がっていくのが分かる。それと同時に、懐かしい感触がこみ上げてくる。自らの身体と意志で戦闘機を操り、空を舞う、あの感触が――。
パイロットスーツに着替え、まだ何のペイントも施していない真新しいヘルメットを抱えて出頭したブリーフィングルームには、既に出撃を控えた連中が全員揃い踏みだった。いくつかの双眸がちらりと俺の姿に移り、端の方でラリーが苦笑いを浮かべながら手を振っている。腕組みをしながら俺をじろりと睨み付けた強面こそ、俺ら傭兵部隊のまとめ役としてこの基地に派遣されてきた司令官殿――ジェイミー・ウッドラント大佐殿である。その傍らでプロジェクターの映し出す画面を操作している、こちらはどこか神経質そうな「小役人」という呼び名がしっくりくる小男が、副司令のマゴハチ・イマハマ中佐だが、一体どうやって中佐まで昇進したのか不思議なくらい、軍人が板に付いていない。しかめ面の大佐殿に対して、こちらはちらりと俺の方を見ただけで、再び端末の操作に没頭していく。
「……緊急事態だってのに、一体何をやっていた、ノヴォトニー?まさか戦う前からトンズラの準備じゃないだろうな?」
「酒保に夜食の買出しに行こうとしたら、いきなり呼び出しを食らったんだ。着替えの時間くらいは大目に見てほしいもんだぜ」
「今度からおまえの夜食はダース単位で部屋に積んでおくことだな。まぁいい――時間も無い。そろそろ始めようじゃないか。イマハマ中佐」
無言でうなずき、イマハマ中佐が手元の端末を操作し始める。プロジェクターが映し出す画面にデータを読み込む画面が表示され、そしてウスティオの地図が表示される。
「予想とおりの展開と言えなくも無いが、緊急事態だ。ベルカ軍の爆撃機部隊が既に国境を突破。この国にトドメを刺すべく、腹に爆弾をたんまり抱え込んで接近中だ。目標は――ウスティオ最後の砦とも言える、ここヴァレー空軍基地だ。ここを抜かれれば、ウスティオの命運はまさに尽きる。ベルカはついにかつての属国を取り戻すことが出来るというわけだ」
大佐が一度言葉を切った頃合を見計らって、画面上をアイコンが動いていく。描き出された点線は、敵航空部隊の進路。もはや敵がいないことを前提にしているベルカの航空部隊は、一路俺たちの巣目掛けて接近しつつある。
「……が、ここには往生際の悪い連中がいる。しかもそいつらはタチの悪いことに、どこの馬の骨とも分からない傭兵風情を集めて何かしてやろうと考えるほど、腹黒い。――さて本題だ。第6師団航空部隊は稼動機全機出撃、ベルカ軍航空機部隊を殲滅せよ。我々には既に後が無い。諸君の健闘に期待する。――解散!!」
これが正規軍の兵士たちなら一斉に起立して敬礼の一つでもしてみせるのだろう。が、この場に集まったのは大佐の言うとおりの"馬の骨"ばかりだった。数少ない例外は、例のチェリーボーイ、シャーウッド少尉と彼の部下のパイロットのみ。他の連中に至っては、ここに向かってくる敵機全部が銭袋に見えているようで、我先にと部屋を飛び出していく。物凄い形相でそれを見送っていたシャーウッド少尉たちも、眉間に皺を寄せたまま部屋を出て行く。
「おいノヴォトニー、貴様出頭も最後なら出撃も最後か?のんびり座ってないで、さっさと出撃しろ!!契約にサインした以上、貴様は俺の部下だ。命令には――」
「従うさ。俺は生憎と連中とは異なって銭袋が恋しいわけじゃないからな」
そう、俺がここに来たのは報酬のためじゃない。俺にとっての決着を付けるためだ。ゆっくりと立ち上がった俺の肩を、ラリーが軽く叩く。"あんまり司令官殿をからかうじゃないぜ"とでも言うように。そして彼は笑いながら口を開いた。
「……さて、腕前を見せてもらおうか、サイファー」
眼下に広がるは雪をかぶった山の連なり。そして頭上には重苦しい灰色の雲がのしかかる。その天と地の狭間を、雪の結晶が漂うように舞い降りていく。どこか幻想的な光景の中を、俺たちは空を切り裂くように駆け抜けていく。
「ディンゴ1より、ヴァレーコントロール。レーダー上に敵影見ゆ。方位315、ヴァレーに向けて直進中」
「ヴァレーコントロール了解。附近を飛んでいる友軍機はない。目標はそいつらだ」
ディンゴ1――第6師団第75小隊、通称"ディンゴ"小隊を率いるのはシャーウッドの坊や。数少ないウスティオ空軍の生き残りに相応しく、なかなか堂に入った指揮ぶりだ。彼の部下はいずれもウスティオ空軍の連中だが、あの坊やでは傭兵の指揮など出来そうも無い以上、仕方の無い人選かもしれなかった。俺たちに先行するJ35J――ドラケンの3機編隊がトライアングルを組んだまま敵部隊へと機首を向ける。
「さて、と。緊急事態の出撃分は、確か報酬上乗せだったよな?お財布握り締めて吉報を待っていろよ」
「そういうことは、互いに無事であればこそのことだ。報酬欲しけりゃ任務をしっかり果たしてくるんだな」
「おお、言ってくれるじゃないの、うちのオペレーターも。……雪山のベイルアウトは悲惨だ。しっかりやろうぜ、サイファー」
ラリーの軽口を聞きながら、俺は機体を緩旋回させる。斜めに傾いた地平線を睨みながら操縦桿をしっかりと握る。――帰ってきたんだ、戦場へ。俺は改めてそう納得した。一つ間違えれば、跡形も無く消し飛ぶリスクに身を晒し、敵の命を奪うことで今日を生き抜くことが出来る、過酷なまでの生存競争の場に、今俺はある。
「サイファー、聞こえるか?貴様は今日からガルム小隊の一番機として指揮を執れ。ピクシー、聞こえているな?お前は二番機として、彼の指示に従え。勝手な行動は許さん」
ウッドラント大佐の声に、俺は少なからず驚いた。俺も傭兵生活が決して短くは無いにしてもブランクの身だ。順当に行けばピクシーが一番機に入るところだろう。抗議の声をあげようとしたが、二番機に先を越される。
「ピクシー、ガルム2了解だ。……というわけだ、隊長殿、よろしく頼む!」
こうなっては致し方ない。止む無く了解、と応答する。俺のやや右後方を飛ぶピクシーが軽く敬礼をしてみせる。どうやら、俺の「お試し期間」の始まりらしい。そうこうしているうちに、敵との彼我距離は迫り、加速して敵の真正面に針路を取ったディンゴ隊は間もなく接敵する。
「ディンゴ1、エンゲージ!」
「ディンゴ3、フォックス2!!」
ほどなく交戦を告げる声が響き、ディンゴ隊の光点が敵機の光点とすれ違う。放たれた初弾が敵機に命中したらしく、薄暗い空の向こうが赤く光る。
「ウスティオの残党どもが出てきたぞ。血祭りに挙げて、ウスティオ滅亡の露払いにしてやれ!」
護衛機の群れが連れ添ってきた爆撃機から離れ、小癪にも襲い掛かる俺たちに牙を向ける。側面に回りこんだ俺たちにも、至近距離の一隊が真正面から加速してくる。迷っている暇なんかありはしない。素早く火器管制コンソールに視線を動かし、そして全兵装のセーフティ解除。HUDに表示された照準レティクルを睨みつけ、操縦桿の発射トリガーに軽く指を置く。まだだ。まだ早い。一発とて無駄に出来る弾は無い!
「ガルム2、エンゲージ!!」
白煙が俺を追い抜いて、正面から迫る敵機へと加速していく。ピクシーはAAMでの迎撃を選択したらしい。奴の愛機F-15Cには、長射程のAAMも搭載されている。対して俺は近接格闘戦を想定しての短射程AAM。戦い方は自ずと異なるというものだ。胃の辺りが揺れるようだ。例えようの無い緊張感の中、俺は十分に相手を引き付けた。時間にしてみれば数秒程度のことだったろうが、その時間が数時間にも感じられるほど長い。照準レティクルのど真ん中に黒点がぽつりと映った刹那、俺は反射的にトリガーにかけた指の力を少しだけ強めた。コンマ何秒かの合間に、機関砲弾が轟音を立てて敵機へと唸りを立ていて飛んでいく。そして90度ロール。フットペダルを踏み込んで衝突を避けるべく傾ける。轟音と衝撃がセットで通り過ぎ、敵のMig-21bisが後方へとあっという間に過ぎ去っていく。が、一方は破片を四方八方にばら撒きながら真っ赤な炎の塊と化し、一方は黒煙を引きながら上昇することはなく高度を下げていく。
「ドロセル3・4がやられた!」
「くそっ、こいつら傭兵だ!気をつけろ!」
敵護衛部隊の動きが慌しくなる。既にディンゴ隊や他の連中は爆撃機への攻撃も開始しているようで、前衛部隊の光点は大きくかき乱され、混戦の様相を呈し始めていた。
「さすがだな。チェリーボーイの正直者には、まだ戦局が十分に見えていない。その点俺たちのポジションからなら敵の全貌が見える。敵機の料理も思いのままだ。最前線にいても戦場全体を見渡している奴、という噂は本当らしいな。行こうぜ!!」
ガルム2が先行して前に出る。くるりと機体をバレルロールさせて、その左翼に付く。ヴァレー基地へと直進する敵爆撃機部隊の横っ腹から、俺たちはその戦列へと強引に割り込んでいった。コクピットに目標を捕捉したことを告げる電子音が鳴り響く。虚空を悠然と飛行する爆撃機の姿に重なるように、赤く反転したロックオンシーカーが「早く撃て」とばかりに明滅する。
「ガルム1、フォックス2!!」
軽い振動を残して、2本のAAMが束縛を解かれて走り出す。ピクシーの機体からもAAM発射。尻から炎と煙を吐き出して一気に加速したAAMは、狙いを定めた獲物へと轟然と進んでいく。危機を悟った爆撃機が今更ながらの回避機動を始めるが、時既に遅し。一方は胴体部分に直撃を被り、一方は右主翼と胴体後部を吹き飛ばされ、そして炎に包まれる。
「くそ、早く立て直せ!こんなところで落ちるわけにはいかないんだぞ!」
「駄目です!操縦不能、機体がバラバラに……」
一際大きな爆発を起こして、一方の爆撃機が虚空に盛大な火球を出現させる。味方の歓声と、敵の悲鳴とが無線の間で飛び交う。敵部隊の中央に飛び込んだ俺たちは、容赦なく本作戦のターゲット――ヴァレー基地攻撃の要となる爆撃機に牙を突き立てていく。
「そうそういい子だ、腹に爆弾抱えたまま落ちていけ!」
ピクシーに翼をもがれた爆撃機が雪に覆われた山へと墜落していく。空は煙と炎とで充満し、天空から舞い降りる雪の結晶はジェットの高温高圧の排気煙に吹き飛ばされていく。前衛部隊の殲滅にようやく成功した友軍部隊が、敵本体への攻撃を始める。
「ぼやぼやしているとガルム2に全部持っていかれるぞ」
「いや、今日は新入りの方だ。ガルム1が現在トップスコア!」
殺到した友軍機の猛攻の前に、爆撃機が、戦闘機が撃ち落されていく。数の上でも機体の性能的に見ても優勢であったはずのベルカ軍は、数も装備も劣る俺たちの前に次々と葬られていくのだった。如何にベルカが今回の作戦に失敗は無い、と自負していたかは、どちらかといえば旧式に属する爆撃機たちを差し向けたことでも伺うことが出来る。だが、それこそ、奴らの油断だ。
突如、コクピット内に、何度聞いても慣れることの無い警告音が鳴り響く。爆撃機を狙っていた俺の後方に回り込んだ護衛機に捕捉されたことを告げる警告だ。
「ちっ、敵さんもなかなかやる!」
「サイファー、後方にボギー1。ブレイク、ブレイク!」
勢い良く機体をロールさせ、急旋回。スロットルを最大に叩き込んで速度を稼ぐ。もちろんケツに張り付いた敵も旋回。ロックオン警報は鳴り止まない。警報が一際甲高く鳴る。後方を振り返ると、敵機の翼から白煙。当たれば木っ端微塵に吹き飛ぶことが出来るAAMが我が身に迫る。加速を得たまま機体を真逆さまにしてハイGループ。瞬間的にさらに高Gをかけて一気に機体を反転させる。ブラックアウトしかけた視界の中に、のろのろと俺の後ろを追っていた敵の腹が飛び込んでくる。武器選択をガンモードに切り替え、すれ違いざまにそのどてっ腹に機関砲を浴びせる。下から撃ち抜かれた敵機から黒煙と炎が吹き出していく。その左脇を貫くように俺は上昇し、高度を稼いで水平飛行へと戻す。下を見ると、俺の攻撃を受けた敵機がばらばらになって飛び散っていくところだった。
「やれやれ、とんでもない機動をしやがる」
ピクシーの機体が上昇してきて、俺の右翼にポジションを取る。そういう彼自身も、今日は相当な上乗せ報酬を稼いでいる。他の連中がぼやくのも無理は無いだろう。他の連中が前衛部隊に足止めされている間に、俺と彼とで美味しい獲物を刈り倒していたのだから。護衛戦闘機の全滅を悟った生き残りの爆撃機たちが離脱にかかるが、その後背から次々とAAMが襲いかかり、哀れな獲物たちを火球へと変えていく。
「……もう十分だろう。後は他の奴らに譲ってやっても問題は無い」
「同感だ。後は坊やたちに任せても問題なかろう」
レーダー上から消えていくのはベルカ軍の爆撃機たちの姿。北へと針路を変えることも出来ないまま、炎と煙の群れが真っ白な山の稜線へと消えていき、断末魔の赤い光を残しては消えていく。ほどなく、レーダー上に存在するものは、俺たちウスティオの猟犬たちだけとなった。
「勝った……のか?」
「これを勝ったと言わずに何だというんだ、馬鹿野郎!!」
歓声、歓声、ひたすら歓声。傭兵も正規兵も関係なくこの時を生き延びたこと、そして憎きベルカを退けたことにこの場にいる連中の喜びが爆発する。誰かが歌いだした音程外れの流行歌に誰かが口笛で答え、雑音交じりの無骨な合唱が空に響き渡る。この勝利は、強国ベルカとて決して倒れないことは無い、ということを明らかにするだろう。俺は心もちパイロットスーツの襟元を緩めた。久方ぶりの戦場。戦えるのだろうか?しばらくの間ずっと心の中で引っかかっていた疑問は、呆気なく氷解した。身体は考えるより先に操縦桿を振り、フットペダルを踏み、そしてスロットルレバーをコントロールしている。まだ昔の通りではないにしても、俺の身体は再び戦闘機を操ることが出来る、という喜びに震えているかのようだった。――それが、戦争という人殺しを称えるものだとしても。
「おい、無線はまだ修復できんのか!?」
「やってますよ!……よし、大丈夫です。かろうじて繋がりました」
一つ間違えれば帰れなくなるのは自分たちのはずであった。山岳上空でエンジントラブルを起こし、撤退を止む無くされたことが結果として幸いし、ヴァレーに向かった同僚たちは一人として戻らない。ベルカ空軍は世界最強の部隊ではなかったのか?B-52の細長い機体の中で、乗組員たちはその自信が打ち砕かれた事に呆然としていたのである。全く、数のうえでは圧倒的不利であるはずのウスティオの残党どもは、損害を出すことも無く爆撃隊を殲滅せしめたのである。これは本当に現実なのだろうか?生き残った者たちがそう何度も自問自答していた。
「それにしても、あの中央に切り込んできた2機。こいつら、化け物か」
「ああ、あっという間に中央部隊は殲滅され、分断された後衛部隊は包囲されて血祭りだからな……ウスティオは傭兵を集めていたというが、こんな凄腕がベルカ以外にもいるなんて思いもしなかった」
オペレーターたちの弱気な発言に対し、機長の男はじろりと彼らを睨み付けた。はっとした顔で下を向く部下たちをよそに、彼はようやく修復された無線機のスイッチを押した。
「ハードリアンコントロール、こちらドライ5、ヴァレー航空基地攻略部隊は全滅。至急支援を乞う。繰り返す、ヴァレー基地攻略部隊は壊滅した!」
帰り着いたヴァレー航空基地は、整備兵、オペレーターを問わずにお祭り騒ぎと評するのが最も相応しい有様であった。まるで戦争に勝利したかのように、愛機から降り立った俺たちは待ち受けていた基地の兵士たちにもみくちゃにされ、挙句誰かの歌いだしたウスティオ国歌の大合唱の中に放り込まれる羽目となった。ようやく浮かれ騒ぐ連中の間からすり抜けて、俺は滑走路脇に座り込んだ。今日の勝利は、基地で待機していた連中にとっても望外の喜びだったのだろう。ひょっとしたら、俺たちはやれるんじゃないか?そんな思いが、彼らを駆り立てているのかもしれない。そして、騒ぎ浮かれる連中を見ていることは決して不快なものではなく、命を賭して戦場へ向かうかいがあったものだ――そんな風に思いたくなった。
「なんだ、一人格好つけているつもりか?」
頭上からかけられた声に首を上げると、いつの間にかラリーが傍らに立っていた。どこから手に入れてきたのか、その手には祝杯をあげるためのドラフトがぶら下がっている。にや、と笑ったラリーは一本を俺の手に渡し、そして瓶を呷った。俺も手渡された瓶を傾ける。胃袋に広がる炭酸と熱が、身体にたまった疲労を消し去っていくような気分になった。再び視線を転じてみると、シャーウッドの坊やがいつものしかめ面もどこへやら、国歌を合唱する兵士たちの中に入って涙をこぼしながら叫んでいる。それを何をやっているんだか、という顔で傍らにいる整備兵――先日格納庫の中で見かけた金髪の女性整備兵――いや、間近に見ると、まだ20代には届いていないであろう、その娘がハンカチを取り出して坊やに放っていた。
「ほお、シャーウッドの坊やも案外もてるらしいな。奴も誰かさんの仲間入りする気かな?」
「その話は勘弁してくれよ。ラフィーナの方が上手だっただけのことさ」
「違いない」
瓶を傾けるラリーの顔も、どこか朗らかだった。そう、こんな光景を見ることが出来るだけでも、俺たちが戦うことに意味があるのだから。
「……おまえとはうまくやっていけそうな気がするよ。いや、きっと俺たちなら出来るだろうさ。絶体絶命の淵にあるウスティオを取り戻すことも、ベルカの連中に一泡食わせてやることも――」
「そうだな。俺もおまえさんとなら、やれそうな気がする。……俺はまだまだリハビリ中だがな」
「馬鹿いうな。あんな飛び方している奴がリハビリ中だって?末恐ろしい奴だぜ、サイファーよ」
片羽の妖精と呼ばれる男が、半ば呆れながらそう言い、右手を差し出した。俺も応じて立ち上がり、そして彼の手の平を握り返す。照れ笑いを浮かべながら、ラリーが言った台詞。この日聴いた言葉の中で、それは最も嬉しい一言だったかもしれない。
「これからよろしく頼むぜ、相棒」
俺は決して、その言葉を忘れない――。