フクロウの目
奴の機動、癖、燃料残量、ミサイルの残弾、機関砲の残弾、俺はそれを全部見切ってたんだよ。でも負けちまった。全く、とんでもない奴さ。
――2005.10.15 スーデントールにて
勝利の凱歌が無線越しに聞こえてくる。歌っている奴が誰かというのはもう言うまでもないくらいだが、たったこれだけの戦闘機だけでベルカの防衛部隊を退かせたのは「快勝」と言っても良いだろう。だが、171号線がやがてオーシアとウスティオを結ぶ重要な生命線であることくらい、ベルカは分かっていたはずだ。にもかかわらず、俺らだけで追い払える程度の防衛隊しか置いていないのは、伝えられているほどベルカ軍の中に余裕があるわけでもなく、また一気に戦線を広げすぎた代償として、案外戦力の空白地が生まれている――そんな実状があるのかもしれない。もっとも、その空白地を埋めるに十分な戦力――ベルカの誇る腕利きのエースたちによって構成される世界最強の空軍部隊があるからこその布陣とも言えるのかもしれないが。
被弾したディンゴ1、シャーウッドのJ35Jを僚機がかばうように囲み、俺たちはヴァレー基地を目指していた。友好国であるサピンの空軍が手配してくれた空中給油機で一旦燃料を補充し、腹ペコだった燃料タンクに再びケロシンを流し込んで、俺たちは進路を北北東に向けた。眼下にはウスティオの大地が広がっている。先日の空爆阻止の一報は、意図的にウスティオ国内でのプロパガンダとして利用され、それに励まされた、いや踊らされたと言っても良いだろう、各都市で市民たちがレジスタンス活動を活発化させていた。軍の上層部にしてみれば、これほど安い戦力はないだろう。何しろ、レジスタンスには給料や報酬を払う必要が無い。彼らの意志で僅かな軍隊を補充してくれるのだから。その代償として失われる市民たちの命に、戦後彼らは見せかけだけの涙と戦没者記念碑を用意すれば事足りる、と思っている連中もいるに違いなかった。そして、それは俺たちも同様だ。戦争が終われば、俺たち傭兵の居場所は無くなる。運悪くウスティオが敗北すれば、俺たちはたちまちベルカに売り飛ばされる可能性すらあるのだから――。
異変に気が付いたのは、高空をヴァレー基地へと移動中のAWACS、イーグルアイだった。
「どうしたAWACS、レーダーでも故障したか?」
「いや……待て。方位290、レーダーにノイズ。これは……ジャミングか?」
レーダー範囲を切り替える。AWACS程の出力を持たない俺たちの機体ではまだ確認できない。方位290は、まだベルカの勢力圏にあるウスティオの都市・基地が広がっている。俺は後ろを振り返った。薄煙を引きながら飛ぶディンゴ1の機体の損傷は決して軽くない。このまま空戦にでも突入したら、間違いなく足手まといになる。マッドブル1の機体も程度は軽いとはいえ、ミサイルの破片をもらって薄煙を引く。無理をさせるわけにはいかなかった。そうでなくても、俺たちの戦力はベルカ軍に比べれば遥かに小さいのだ。
「ここは俺たちで出迎えよう。ピクシー、方位290、ヘッドオン」
「……だな、ガルム2、了解!」
操縦桿を軽く引き、スロットルを押し込む。友軍機たちの姿が後方へと引き、機体は新たな加速を得て大空を上昇していく。ガルム2、ピクシーが左翼にピタリと位置して続く。緩旋回して方位290に機首向け、兵装の全安全装置は解除。アフターバーナーON。ごうっ、という加速と共に身体がシートへと張り付けられ、心地良い加速が機体を弾き飛ばす。やがてレーダー画面の端っこにノイズが発生し、耳障りなガリガリ、という音が無線にも飛び込んでくる。
「わざわざこんなところまで出張ってくる連中だ、気をつけろよ、ガルム1!穴兄弟の面倒は俺様がしっかりしといてやる」
「ガルム1、了解!マッドブル1、ヴァレーで会おう」
「こちらイーグルアイ。敵影4、ガルム小隊の正面より高速で接近中!!」
「おいでなすったか!」
レーダーのノイズが唐突に止み、代わりに敵であることを知らせる光点が4つ、トライアングルを描いて俺たちの真正面から突入してくる。こいつらは別格。動きに全く迷いを見せず、まっしぐらに俺たちへと向かってくる。ヘッドオンでの撃ち合いのリスクを被るのはお互い様だが、進路を変える素振りも見せずに、敵部隊は急迫してくる。マッドブル1の言うとおり、こいつらは尋常じゃない。小手先の技が通じる相手では無い。そう、頭の中で俺は繰り返した。ふぅ、と軽く息を吐き出し、HUDに映る照準レティクルを睨み付けた。
「このまま吶喊する!」
「了解!」
ピクシーと共に俺は減速することなく敵部隊と相対した。空の向こうに黒い点が一瞬見える。互いにガンアタックを仕掛けられる位置にはいない。点はほんの刹那のうちに轟音と衝撃を伴って戦闘機へと姿を変えた。トライアングルの中を突き抜けるように互いにすれ違う。操縦桿を強めに引き、機首上げ。高Gをかけつつ、急反転。コクピット内にレーダーロック警報が鳴り響く。俺たちと反対方向に抜けた敵部隊は、そのまま四方にブレークして早くも反転し、俺たちに狙いを定めていた。ピクシーのF-15Cが急旋回。敵機の翼から白煙が漂うのを目にし、俺は攻撃を諦めて舌打ちしつつピクシーとは反対側にブレーク。再び高速で突入してきた敵機が2機、俺とピクシーがさっきまでいた空間を突き破っていく。早い!これまでに出会った連中とは比べ物にならない!
「ホーネットのお出ましか。尻の一刺しには気をつけないとな!」
敵部隊は、4機のF/A-18Cだ。小憎らしいほどの機動を見せながら、彼らはこちらの狙いを外れていく。旋回を繰り返して速度を落とすのは自殺行為!数の上でも倍という状況下、包囲の中に取り込まれたときが俺たちの最後になる。左右から肉薄する敵の姿を確認し、機体を180℃ロール。逆さまになりつつスロットルを叩き込んで急降下、パワーダイブ。俺の後方では、敵機同士がまるでアクロバット飛行のように至近距離ですれ違い、再び俺を追撃してくる。再びミサイルアラート。ブラックアウト寸前のGをかけながら急旋回、放たれたミサイルが俺を見失って地上へと空しく伸びていくのを見て心もち旨を撫で下ろす。
「全機、射出装置をグリーンにしろ。こいつらが噂のウスティオの連中だ。気を抜くな!」
「グリューン2、了解」
「グリューン3、了解だ。俺たちに逆らうとどうなるか、良く分からせてやるぜ」
こいつらグリューン隊か!――ベルカ空軍第10航空師団第8戦闘飛行隊、通称「グリューン」隊を率いる男は、フクロウの目を持つと噂される。彼らの駆る迷彩のF/A-18Cは、連合軍の戦闘機部隊を容赦なく叩き落し、地上戦力に打撃を与えてきた。空軍でも厄介者ばかりと言われる第10航空師団の猛者を見事に率いる隊長機――ベルンハルト・シュミッドの名前は、俺も知っていた。相手の機動、クセ、能力を瞬時に見抜き、最も効率的な方法で敵を葬る男――そんな強敵が、今俺たちの前にある。
数度のミサイルアラートを回避して距離を稼いだ俺は、今度こそ攻撃のために再び急反転した。こっちの意図を見抜いたうえで、2機がそのまま突っ込んでくる。そのうちの1機へとラダーを踏み込んで針路を微修正。真正面のポジションを取る。まだ早い、もう少し……!敵が黒い点となって見えるその刹那、俺はガンモードに切り替えてトリガーに置いた指に力をこめた。すかさず、機体を横に振ってバレルロール。キャノピーを掠めるようにして敵の放った機関砲の曳光弾が通り過ぎていくのが真下に見える。命中せず。再び轟音と衝撃と共にすれ違い、反対側へと抜ける。2機の追撃を受けながら、ピクシーも巧みに回避機動を行って、敵の攻撃を逃れている。俺は自分の背中にへばり付いた追撃機をそのままに、相棒を狙う敵の片割れの背後に付いた。一瞬、反応が遅れた好機を逃さず、AAMを発射。レーダーロックをかけていないAAMはそのまま直進していくが、目標はピクシーの追撃を諦めて左へ急旋回した。それこそ、俺が待っていた好機。照準レティクルに緑色の迷彩が飛び込んできた瞬間、本命の機関砲弾をスズメバチの身体へと叩き込む。命中したのはほんのコンマ数秒だろうが、胴体を上下に貫かれた敵機は姿勢を立て直す暇も無く炎に包まれた。一瞬遅れてキャノピーが吹き飛び、続けてパイロットが虚空へと打ち上げられた。まずは一機!
「助かったぜ、相棒!」
「なに、俺の追手も連れてきた」
「互いに人気があって困るもんだな」
追撃を逃れたピクシーが俺の左翼に回り込む。獲物に逃げられたことを全く気にしないように、追撃機はくるりとバレルロールを決めて俺たちの追撃から逃れていく。
「面白い、面白いぞ、ウスティオの!型にはまらない、臨機応変に飛び方を変えられる奴が、俺の他にもいたとはな!」
隊長機の声らしい。彼らは純粋にこの命のやり取りの場を楽しんでいやがる。あるいは、そううそぶく事で生と隣り合わせの死の恐怖を誤魔化しているのかもしれないが。
「ちょこまかと……!」
「片方の赤い奴は俺が頂くぜ」
90°ロール、ピクシーとは反対側に急旋回でブレーク。後方から放たれたAAMを回避し、さらに高Gループ。ブラックアウトしかかって灰色になり始めた視界の片隅に、F/A-18Cの特徴のある後姿が飛び込んでくる。すかさずスロットルを吹かして追撃、そのケツに食らい付く。これまでの仕返しだ!いい加減耳に焼き付いてきたミサイルアラートからようやく解放され、立場逆転。ロックオンを告げる電子音を聞くのももどかしく、AAM発射。
「ガルム1、フォックス2!」
白煙を吐き出しながらAAMが獲物目指して加速する。しかし、必殺の一撃と放ったはずのAAMは、急旋回して攻撃を回避する敵機とは明後日の方向へと向かっていく。――しまった!敵機は、マッドブル1がやってみせたかの如くチャフをばら撒いてミサイルの目をくらませたのだ。オーバーシュート寸前でローGヨーヨー。右へ左へ、機体を自在に振って追撃を逃れようとする敵戦闘機の後背に再び食らい付く。機体の性能差がこれほど恨めしく思ったことはない。再びロックオン。1発をすぐさまに発射。こちらの攻撃を察知した敵機が、左旋回。ブレーク。敵機の機動が直線状になったその隙を突き、再びAAM発射。すぐさま操縦桿を手前に引き、機首上げ。至近距離から放ったAAMの炸裂から逃れるべく、上昇する。機体をロールさせて見上げる先で、捕捉された敵機にミサイルが突き刺さった。
「くそ、やられちまった!脱出する!!」
「グリューン3、何をやっている、早く脱出しろ!」
「駄目だ!射出座席が作動しない!!う、うわぁぁぁぁっ!!」
機体全体に炎が回り、数秒後俺の屠った敵機は火球と化して四散した。黒焦げになった破片が、重力に引かれて地上へと舞い降りていく。
「ちっ、傭兵風情に何て体たらくだ!お遊びもここまでだ。逃がさんぞ、ウスティオの!」
「これで2対2、対等だ。行くぞ、サイファー!」
「けっ、俺たちベルカ相手にタメ張ってるつもりか!」
低空から急上昇してきた2機をかわす。逆さまに反転した2機が上空からかぶり、俺たちめがけて機関砲弾を撃ち下ろす。加速させつつ機体をロールさせ、緩旋回。ダイブしていく相手の後背を追ってこちらもパワーダイブ。高度計の数字がコマ送りに減少し、地表が見る見るまに目の前へと迫る。反転するにはギリギリの高度まで降下した敵機が機首上げ、そのままループへと移行する。その後背についたままこちらもループ。圧し掛かるGに身体がシートへ押し付けられ、操縦桿を握る手が押し返される。だがここでGに負けては、連中に勝つことは出来ない。さて、俺の身体と愛機の胴体が持つかどうか……?ともすれば朦朧としてくる意識を歯を食いしばって引き戻し、HUDを睨みつける。HUDの上方、レーダーロックには至らないが、かろうじて敵機の機動にぴたりと食い付いてループを続ける。
「遅ぇなぁ、ウスティオの!そんなんで、この俺を仕留められるとでも思ってんのか?」
軽い口調ほど相手にも余裕はない。機体の性能差はともかくとして、身体に圧し掛かるGの重さは共通なのだから。その憎まれ口ももう少しのことだ!心の中で叫びつつ、操縦桿とスロットルレバーを握る手に力を込める。上昇から再び降下に転じた敵機が、右方向へブレーク。こちらが照準を合わせるよりも早く今度は左へ急旋回。後ろから見ていて惚れ惚れするような戦闘機動だ。
「……野郎、相当な粘着質らしいな」
アフターバーナーを噴かした敵機との彼我距離がどんどん開いていく。直線勝負では相手にならない。追撃を中断して有利なポジションを取るべく上空へと上がる。ピクシーともう一機の敵機の戦いはピクシーに軍配が上がったようで、炎を吹き出しながらF/A-18Cの機影が雲の下へと消えていく。レーダーに視線を移すと、敵――グリューン隊隊長機は再びこちらに反転して、真正面から突入してきていた。余計な小細工は無し、真正面より正々堂々。コクピット内にミサイルアラートが響き渡る。虎の子と言って良いであろう、長射程のAAMが発射され、レーダー上に新たな光点が出現する。一か八か、針路を変更せずにそのままこちらも直進。3つだけ数えて、操縦桿を倒しラダーペダルを蹴飛ばす。視界がぐるりと回転し、天地が逆転して再び水平に戻り始める。相対速度は音速を軽く超えているであろう速さで、放たれたミサイルが後方へと流れ去る。バレルロールの終着点に達する一瞬、照準レティクルの中にF/A-18Cの鼻先が捉えられる。ピカッとその鼻先が光ったのは、意図することは同じだったということだ。互いの放った機関砲弾の光の筋が虚空を貫き、引き裂いた。レーダー上の光点が重なり、俺と敵機は衝突しそうなほどの至近距離ですれ違い、互いの機体を揺さぶりながら反対方向へと抜けていく。すぐさまインメルマルターン、反転して次の攻撃に備えようとした俺の前方で、真っ黒な煙を吐き出しながら飛ぶ敵の姿が目に入った。
「命あっての物種だ。……次はこうはいかねぇぞ!」
キャノピーがはじけ飛び、続けてパイロットが虚空へと打ち上げられた。俺は彼を引っ掛けることがないように回避し、そしてようやく胸を撫で下ろした。気が付けば、この戦域を飛ぶのは俺とピクシーのみ。敵のエース部隊の戦闘機はいずれも大地にその残骸を晒し、再び上がって来ることはない。
「やったな、こいつは大金星だ。報酬をたんまりと弾んでもらわないとな」
「運が良かっただけさ。一つ間違えば、ああなるのは俺たちの方だった」
「生き残ったからには、次も生き残らないとな。なに、俺たちならやれるさ、頼りにしているぜ、相棒」
周辺空域に敵影無し。レーダー上にも敵反応無し。当空域の制空権確保。新たな敵の出現に備えて辺りを伺うが、敵の姿は無い。どうやら、また生き残れたらしい。報酬は確かに魅力だが、明日を迎えられることの方が、俺にとっては何よりの報酬だった。
ゆらゆらと高度を下げていくパラシュートの下で、男は空しく敵の姿を見送っていた。全く、大した野郎だぜ――部下のうち二人はもう二度と共に飛ぶことは無く、あっち側の世界へと飛んでいってしまった。それをやったのはさっきの二人だったが、不思議と憎しみは湧いてこなかった。ウスティオのリクルーターは優秀な奴がいたんだな、とシュミッドは独り呟いた。案外、あのウスティオの傭兵――ガルムだったか?無数にパイロットはいるだろうが、あの二人が現在の戦況を覆すきっかけになるのかもしれない。時々、戦場ではそんな奇跡のようなことが起こり得ることを彼は知っていた。それこそ、伝説かおとぎ話の時代から伝えられているではないか。ラーズグリーズの伝承なども、その一つと言える。戦いの女神に惚れられた猟犬――か。戦乙女は自分自身に惚れ込んでいると思っていたが、どうやら移り気な女神はお相手をチェンジしてしまったらしい。そう考えると愉快な気分になってきて、シュミッドは笑った。
「またやろうぜ、戦乙女のお気に入り野郎!」