藍色の騎士団
彼の機動には躊躇があったんだ。戦場において、甘さは命取りとなる。彼は若い。――だが、落ちていたのは私だった。
――2005.10.10 リッテンブルクにて
俺たちは、ついに円卓の上空へと足を踏み入れた。足元に広がるのは、広大な荒野。赤い岩肌むき出しの山がどこまでも果てしなく広がり、上空の青空からは太陽の光が振りそそぎ、地面を焼く。この大地の地下には豊富な鉱産資源が眠り、それ故に争いの絶えない場所ともなった地。
「これが円卓、か」
敵の攻撃の止んだ「円卓」は、新たな侵入者を歓迎しているかのように静かであった。だが、ここはベルカにとって死守しなければならない極めて重要な戦闘空域である。「円卓」が俺たちを歓迎したとしても、ベルカが同様であるはずも無かった。俺たちは、彼らにしてみれば刈り取らねばならない「敵」なのだから。
「イーグルアイより、ガルム隊!高速で接近する敵部隊を確認。君たちの真正面だ。機数は4!」
レーダーの索敵レンジを切り替え。俺たちの真正面、12時方向から綺麗なトライアングルが迫りつつあった。どうやら、俺たちの歓迎役の到着のようだった。
「ガルム2より1へ。敵増援部隊、恐らくこいつらが本隊だ」
「嫌な予感がする。大体こういう連中が手強いんだ。イーグルアイ、ヴァレーからの増援は無いのか?」
「残念だが、増援は無い。ガルム隊、撤退は許可出来ない。敵増援部隊を殲滅せよ!」
「……だろうな、そうくると思ったぜ。相棒、少佐殿のご命令だ。もう一戦交えて祝杯といこう。報酬も上乗せだ!」
ピクシーに了解の意を伝えた瞬間、コクピットの中に鳴り響いたのは今日何度聞いたか分からないミサイルアラート。ぞっ、と背筋が寒くなるのを俺は感じた。新手の連中はどうやら俺たちが蹴散らした連中よりは戦況が見えているらしい。編隊を解くことなく接近する増援部隊は、遠距離からの長距離AAM攻撃で俺たちを狙っていたのだった。
「イーグルアイより、ガルム1、敵はグリペン4機!ミサイル接近、ブレイク、ブレイク!!」
「新手は少しはやる連中のようだな!」
「人材豊富で羨ましい。一人くらい、ヴァレーにつれて帰りたいところだ!」
相棒と憎まれ口を叩きながら、回避機動――といっても、迂闊に背を向ければミサイルの餌食になるだけだった。前方と左右から迫るミサイルに対し、俺たちは直進した。脅威を速やかに排除しない限り、俺たちの道は無いのだ。スロットルレバーを押し込み、機体を加速させて上方から被ってくる1機にヘッドオン。緩く機体をロールさせながら上昇。腹の下方向に一瞬白い煙が目に入り、そして一気に後方へと流れていく。
「かわされた!?」
相対速度が速すぎて、ミサイルは使用不能。ガンモード選択。照準レティクルを睨み付け、突っ込んでくる敵機の鼻先を狙う。レーダー上、敵機、右方向へジンク。機体をロールさせつつ、狙いを定める。斜めになった視界の前方に、敵機――白い機影が映る。瞬間的にトリガーを引き、音速の速さですれ違う。敵機ロスト、攻撃もすれすれで回避される。再びミサイルアラート。最早頭で考えている余裕は無くなり、身体が反射的に操縦桿を操り始める。嘔吐感を伴う急旋回。インメルマルターン。ミサイルの軌道を潜り抜け、危地から脱することに成功した。四方から俺たちに襲い掛かった敵機はフル加速で距離を稼ぎ急反転。2機ずつのペアを組んで左右を旋回する。
「隊長機より、各機。傭兵と我々と、戦う意義は全く違う。――円卓の空気に惑わされるなよ」
「グリペンを出してきたか。――あそこまで乗りこなされると、あの機体は厄介だぞ」
ピクシーと交差するローリング。こちらも編隊を組んで左右に分かれたうちの一方を狙う。もう一方がカバーするように俺たちの後方へ。加速して距離を稼ぎつつ、前方の敵を追う。獲物が編隊を解いて左右にブレーク。すかさず俺たちもその後を追ってブレーク。一瞬鳴りかかったミサイル警報が不意打ちを食らったかのように沈黙する。小柄で俊敏な白い獲物が巧みな回避軌道を見せながら俺の前を飛ぶ。ふらり、と緩ロールしたかに見えた相手が、いきなりダイブ。慌ててまっ逆さまに機体を回し、こちらも急降下。早くもくるりと回って上昇を開始した敵の翼が一瞬目前に迫る。反射的にトリガーを引きガンアタック。命中せず。曳光弾の筋が虚空へ空しく吸い込まれていく。あっさりと攻撃を回避した敵機は、変わらぬ機動で俺の追撃から逃れていく。深追いを避けてこちらも反転。エンジンを噴かして高度と距離を稼ごうとするが、すかさず別動機が後方に回り込みレーダー照射を浴びせてくる。閉口しつつ、回避機動。後方を振り返ると、さっきガンアタックを仕掛けた奴まで食らい付いてきていた。
「サイファー、撃ってくるぞ!右へかわせ!!」
機体を90°バンクさせ、右急旋回。上空からピクシーが急降下しつつミサイル発射。まるでアクロバット飛行を見るかのようにくるりと機体を回した敵機が、その攻撃を回避してブレーク。純白の機体が太陽光を反射して煌く。その垂直尾翼に、騎士をモチーフにしたエンブレムが映える。見たことのあるエンブレム。記憶の片隅から引っ張り出されのは、少し前、戦争が始まる前に家の近くで買った雑誌のワンショット。グリペンで構成された、誇り高きベルカの騎士団の末裔――その記事を読んでしかめ面をしている俺の横顔をラフィーナが笑ってみていた――を紹介していた記事があった。隊長を務める男は"青鷺"の異名を持って――。
「ピクシー、こいつら「藍色の騎士団」じゃないのか!?」
「何だって。連中、確か他の戦域の担当だったよな。……相棒、俺たちは案外敵さんにこそ正当な評価をしてもらっているかもしれないぜ?」
「何とも光栄なことで!」
ヘッドオンで突入してきた2機から、激しいガンアタック。操縦桿を倒してローリング。2回転、3回転、4回転半でアフターバーナーON。パワーダイブ。身体がシートに沈み込み、圧し掛かるGが首を押さえ付ける。後方で反転した敵機が俺の背後に付く。全く、呆れたくなるような機動をしてくれる!揺さぶられる視界の中で、敵の白い機体が右へ左へ、自在に滑りながらこちらの照準をかわしていく。まるでこちらの動きが見えているかのようだった。敵機がアフターバーナーON。軽量、高出力を誇る敵の姿が見る見る間に離れ、こちらの射程圏外へと脱する。全く、こういう空域に送り込むのなら、もう少しましな機体を用意してくれてもいいだろうに!人遣いの洗い人種差別歓迎論者の司令殿官の顔に唾を吐きかけつつ、キャノピーの向こう側に広がる大空に首を巡らせる。グリペンの白い機体が4つ、光を反射させながら俺たちを包囲せんと飛び回る。後方の敵機がガンアタック。機体を右へ倒して急旋回。機関砲弾をスレスレで回避しつつ加速。機体を水平飛行に戻す刹那、スロットルMIN、エアブレーキON、軽くスナップアップ。ハーネスが身体に食い込み、肩の辺りに激痛が走るが構っていられない。急減速した機体が安定を失ってふらつくのを修正しつつ、スロットルON。
「しくじった!」
その通りだ!ミサイルシーカーが敵の姿をしっかりと捉え、捕捉したことを告げる電子音が鳴り響く。いい音だ、発射!久方ぶりの出番となったAAMを2本、白い騎士の背中めがけて放りつける。
「インディゴ4、ライトターン!急げ!」
「駄目です、間に合わない……!」
瞬間的に機体を捻って直撃を避けたのはさすがというものだったが、至近距離で爆発に巻き込まれた敵機の主翼が引き裂かれ、破片が飛び散る。機体後部を黒煙に包んだ敵機のキャノピーが弾け、次いでパイロットがベイルアウト。乗り手を失った機体はコントロールを失って漂流し始める。
「インディゴ4がやられた!」
「隊長機より、うろたえるな!敵の実力を認めろ。慣れない空域での戦闘という点ではお互い様だ。……それにしても、やる。片羽の赤い奴は噂に聞いていたが、もう一方の方は……」
撃墜した敵機の黒煙を切り裂くように、真正面から敵機が出現。ペダルを蹴飛ばして機体を滑らし、ローリング。ついさっきまで俺のいた空間に機関砲弾の雨が降り注ぐ。今度はこちらから、とガンモードを選択するが、照準に入るより早く敵機はバレルロール。加速しながらインメルマルターンで反転し、その後方に付こうとするが、それよりも早く反転した敵機が再びガンアタックを浴びせてきた。
「さあ、本領を見せてみろ、傭兵!」
槍の穂先に掲げられるのだけはご免だ――!どうやら俺に向かってきているのが隊長機らしい。全く、雑誌に顔写真入りで紹介される有名人と直接ご対面とは、俺のツキも案外無いらしい。スロットルを叩き込んで加速し、互いのエンジンが奏でる轟音を響かせながらすれ違う。
「相棒、そっちに行ったのが隊長機だ。くそ、待ってろ、今行く!」
「行かせるものか。片羽、おまえの相手はこの私だ!」
ピクシーのF-15Cと敵の一機が、互いに旋回を繰り返しながらポジションを奪い合っている。もう一機は……?耳障りなミサイルアラート。俺が敵隊長機とやりあっている間に距離を稼いでいた敵機が、俺たちの攻撃射程範囲外からミサイルを放っていた。やらせるものか――!機体を急降下させ、円卓の赤い大地へと飛び降りる。赤い岩肌が目前に迫り、高度計があっという間に減少していく。俺はそのまま低空まで一気に降下し、円卓の複雑な地形の間を縫うように駆ける。後方で爆炎が膨れ上がったのは、俺を追尾してきたミサイルが岩に衝突して砕け散った証だった。だがこの程度では、相手の隊長機は逃してくれるはずも無いだろう。姿は確認できないが、俺の後方から虎視眈々と狙いを定めているはずだ。だから、俺は隊長機ではない、もう1機に狙いを定めた。神経をすり減らすような低空飛行から一気に急上昇。その前方に、敵機の腹があった。レーダーロック。返礼とばかりに、ミサイルを発射。敵機、上昇して速度を失う愚は犯さずにダイブ。それだけでなく、俺に対してヘッドオンで向かってくる。ミサイルは獲物の姿を見失い、虚空をまっすぐに上昇していく。が、初めから狙いを定めていた方と、後から対応した方とではほんの一瞬とはいえ、攻撃に移るまでのタイムラグがあった。俺の放った機関砲弾は、向こうが弾を放つよりも早く着弾し、グリペンのカナードを粉々に粉砕し、主翼に風穴を開けた。すれ違う視界に、煙を吐き出しながら降下していく敵機の姿が映る。俺はそのまま上昇。高度8,000フィートまで駆け上がったところで水平に戻す。レーダー上から1機、敵の姿が消滅。
「……まさかこれほどとはな。友軍だったらどんなに頼もしいことか。……部下の仇は取らしてもらうぞ!」
隊長機が俺を追い抜くようにして上昇。しめた、と思ったのは大きな勘違いという奴で、俺の真上で失速反転を決めてみせた隊長機が、上から被る絶好のポジションを取る。左へ急旋回。シートに沈み込む身体に容赦なくGが圧し掛かり、視界を塞ぐ。右、左、右、左。相手の照準から逃れるべく、激しい機動で機体を振る。俺の身体にも愛機の胴体にも全く優しくないことこの上ないやり方だ。神経と体力が加速度的にすり減らされていくような気分だった。だがそれは相手も同じ。俺たちは互いのポジションを入れ替えつつ、ほんの刹那訪れる攻撃の機会を伺いながら戦闘機動を繰り返した。焦りは禁物――気を抜けば、たちまち萎えそうになる気力を振り絞り、HUDを、空を、そして敵機を睨み付ける。この視界が奪われたときは、俺が負ける時。――互いに生命を賭して戦っている以上、勿論死ぬのは一定。だが、死を平然と受け入れられる奴がどれくらいいるだろう?少なくとも、俺はまだ死にたくなかった。何があっても生き残ること――それは父親の相棒でもあり、俺の師匠ともなった男が徹底的に俺に教えた言葉の一つだ。そう、まだやれる!歯を食いしばり、焦りを心の奥に押し込めて俺は操縦桿を握り締めた。おいかけっこに業を煮やしたのか、敵隊長機が追撃を諦めて旋回。とりあえず重荷が取れたことに胸を撫で下ろしつつ、次なる攻撃に備えてこちらも一時離脱。俺と敵機は、ほとんど同一直径上の円の外周に沿うように、互いの姿を目視しながら旋回を続けた。さあ、どう出る?向こうが騎士なら、こっちはしがない傭兵。プレートメールを着込みランスを構えたナイトに挑む、蛮族の戦士というところか。
全く、とんでもない敵と出会ったものだ――コクピットの中で男は呟いた。荒い息を整えつつも、相手の位置をうかがう事は止めない。操縦技量にはそれほどの差は無い。むしろ、機体の性能差も含めてこちら側に分があるくらいのはずだった。だが、敵の隊長機はこちらの仕掛ける攻撃を見透かすかのように動くのだ。必殺のつもりで放った攻撃は寸前で回避され、決着がつかないまま時間だけが過ぎている。騎士団の末裔として、祖国に生きる人々のため、戦闘機という剣を取った己の信念に間違いはない――それは確信出来る。だが、この傭兵の強さは一体どこから来るのか?そもそも彼はウスティオに雇われただけに過ぎず、ウスティオを救う責任など全く無いのだ。それとも報酬なのか?違う。この敵はそんな安いもののために身体を張っているわけではない。むしろ彼には、自分に似た雰囲気を感じる。彼自身の信じる何か、彼自身が戦う理由、それが何かは分からないが、彼はその「何か」のためにこうして対峙している――男はそう察知した。たかが傭兵、とはもう言うまい。男は、愛機の槍を構え直した。決着をつけるために。
先に動いたのは敵機だった。円軌道から外れるように加速し、俺との彼我距離を確保しつつ、ループを描いて上空へと上がっていく。数瞬遅れて、こちらもループへ。残された弾丸もミサイルも僅か。これを最後の一撃にしたいのは敵さんも同じようだった。ループの頂点に達する寸前、くるりと180°ロールして水平に戻した敵機からレーダー照射。俺は加速しつつそのままループを描き続ける。
「これで決着だ、ウスティオの騎士よ!」
敵の叫びがヘッドホン越しに響き渡る。AAMが放たれると同時に、機関砲弾の発射口が赤く煌く。ペダルを蹴っ飛ばし、急ロール。背面飛行状態になった、俺の鼻先、HUDの照準内に、ようやく敵の姿が収まった。ガンモード、ファイア!ここで全弾使い切るつもりでトリガーを引き絞る。カウンタが見る見る間に0に近づき、ほんの一瞬ですれ違うはずの相手の姿がスローモーションのように視界に焼きつく。ビシッ、という鋭い音と共にキャノピーの後ろ側がひび割れる。敵の放った機関砲弾が、俺の機体を掠めていたのだ。そして轟音と衝撃に互いの機体を揺さぶりながら、俺たちはすれ違った。
「ぐ……見事だ……」
振り返ろうとしたが、ひび割れたキャノピーの先はほとんど見えない。やむなく旋回して反転した先に見えたのは、黒煙と炎を吹き出した純白の敵機の姿。機体が水平に戻った刹那、キャノピーが跳ね上がり、次いでパイロットが射出される。乗り手の無事を確認して力尽きるように、白い機体は高度を下げていき、そして爆発した。粉々になった残骸が、円卓の岩山の上へと降り注いでいく。――生き残った。ようやく俺は生を実感し、ため息を吐き出した。
「相棒、無事か!?」
「ああ、キャノピー交換分の報酬マイナスで済みそうだが……さすがに疲れたよ」
「おいおい、大金星だぞ。今日の戦闘分の上乗せでお釣りが十二分に出るだろうさ。ガルム2よりイーグルアイ。残弾なし、燃料ギリギリ、もうこれ以上の戦闘続行は不可能だ」
「周辺空域に敵影なし。良くやった、ガルム隊。当空域での強行偵察は完了だ。……待て。友軍より入電」
「友軍……?」
「……無事、作戦行動を完了せり。貴部隊の活躍と奮闘に感謝する。以上だ」
イーグルアイの言葉は素っ気無い。が、その素っ気無さが、逆に気付かせた。彼は、俺たちがここで戦っている裏側で進められていた作戦を知っていた、と。なるほど、そう考えれば辻褄が合う。ベルカ空軍にとってみれば、寝耳に水の「円卓」への敵機侵入。当然上空の警戒の目はそっちに向けられる。その隙を突いて、火事場泥棒のように後ろでコソコソやっている連中がいたというわけだ。しかも、陽動部隊がやられても大した問題にはならない。ベルカ空軍の集結地に無謀にも特攻したウスティオ空軍機の損害が2つ増えるだけ。逆にその2機が敵の航空部隊を蹴散らしたとなれば、格好のプロパガンダとして使える。そうとも知らず、俺たちはまんまと乗せられて、躍起になって戦っていたというわけだ。
「……俺たちは捨て駒だった、というわけか」
「……済まない」
「アンタのせいじゃないさ。結果的に、俺たちは生き延びたんだ。素直にそれを喜ぶことにしようや。なぁ、相棒?」
ラリーの言うとおりだった。それにしても、祝杯を不味くしてくれるやり口だ。こんな汚い作戦のおかげで、今日もここで幾人かが命を失い、幾人かが敗北の辛酸を舐めたのだ。戦略としては確かに上等な部類だろう。結果として損害も俺のキャノピーだけで済んだのだから。だが、末端で振り回される俺たちにはたまったもんじゃない。苦い思いを喉の奥に仕舞い込みつつ、俺たちは機首をヴァレーへと向けたのだった。
その夜、俺とラリーは祝杯を挙げた。ラリーの持ってきた、とっておきのラムで。昼間の苦々しさをラムの熱いアルコールで溶かして飲み込んで、そして忘れることにした。そう、忘れることにしたはずだった。だが、俺は気付かなかった。相棒である男の心の中に、修羅が住み着き始めていたということに。そして、ベルカからの解放を目的とした作戦行動が、いつしか別のものへとすりかえられていたという事に――。