遅すぎた援軍


私は、暖かい生活を手にすることが出来た。彼のおかげかもしれない――。

2005.09.13 ディレクタスにて――。
鐘が鳴り響く。市民たちの打ち鳴らす鐘の音は、首都ディレクタスの全域へと鳴り響いていた。それは、侵略者たちの手から街を取り戻したことを告げる、自由の鐘の音。終わってみれば、連合軍は被害らしい被害を出すことも無くディレクタス中央区域へと進行を完了し、後続部隊が残る区域の完全制圧に向けて展開を始めている。そして市民達は連合軍と一緒になって、侵略者――ベルカ軍の兵士たちをこの街から刈りつくさんと走り回っている。自分たちが制圧していた街の底流に、まさかこれほどまでの熱く煮えたぎったマグマが流れているとは思いもしなかっただろう。だが、ここは昔から独立の機会を虎視眈々と狙ってきた人々の末裔が住む街だ。一度手にした独立を、そうそう簡単にかつての統治国に返すはずも無い。まして侵略という非合法的手段を用いてきた相手に対し、好意的である必要性など、パンの耳ほども感じないはずだ。それを充分に理解していなかったことが、ベルカ軍兵士達の最大の誤算だったかもしれない。だがその兵士達も、今では必死になって逃げ惑っている。ある意味、暴徒とは言わないが、一つの方向に向かって動き出した群衆ほど怖いものはない。今、追われる兵士達の心境を思うと、哀れな気分にもなる。戦いは、決した。この場にいる誰もが、そう確信していたつもりだった。
「こちらディンゴ3、方位290、機影見ゆ。遅れた友軍機かな?」
既に勝敗が決し、上がってきた航空機隊もあらかた刈り尽くしたこの時点になって、援軍が来るはずも無い。俺達自身もそう考えていたのだから、ディンゴ隊3番機の判断を過ちと非難する資格は少なくとも俺達には無い。無防備にヘッドオンし、遅刻組を出迎えようとした彼に向けられたのは、容赦の無いレーダー照射だったのだ。
「イーグルアイより、ディンゴ3、それは友軍機じゃない!敵の新手だ!!逃げろ、ブレーク!!」
「おいおい、いまさら増援かよ!」
「え……!?」
後味の悪い絶叫とミサイルアラートの激しい電子音が数秒間聞こえ、そして途絶する。ディレクタスの空に、赤い火球が出現し、哀れディンゴ3の機体はバラバラとなって街へと降り注いでいく。市民達が慌てて破片の雨から逃げるように走っていく。レーダーには確かにベルカ軍機の反応。今更増援を送ってよこすとは、ベルカの司令官殿たちもなかなか執念深い。
「ランドルフ少尉!くそ、ベルカの奴ら!!」
「ディンゴ2、待て!単独行動は危険だ!!」
「大丈夫です、隊長!第6師団ディンゴ隊の実力を示す良い機会です!」
街の北側にいたディンゴ隊2番機がヘッドオン。だが、程なくその姿がレーダー上から消滅する。しばらくして、山肌に炎と黒煙が吹き上がる光景が目に入った。若手ばかりとはいえ、並みの腕前ではないはずのディンゴ隊をいとも簡単に葬るとはな。向こうさん、遅ればせながらエースのとんでもない奴らを送り込んできたらしい。そして、今この場で戦わせてはならない人間を止めなければならない。
「ガイア!坊やたちを連れて上空から退避!こいつら、尋常な連中じゃない!」
「そういうこった。ここは俺達2機でお出迎えだ。……悔しいだろうが、下がっていろ、坊や」
「しかし……!」
冷静さを欠いた奴がかなう相手ではない。可能ならば首に縄つけて引きずっていきたいところだが、それは自称教官殿にお任せだ。坊やたちの元へ、あの凄腕たちを近づけさせるわけにはいかないのだから。
「マッドブル1、了解した。しかし、ナンで俺ばかりお守り役押し付けんの。たまには一緒に戦わせろっての」
「園長先生にはお似合いの役目だろうが、まかせたぜ。抵抗するようなら、坊やの翼に風穴開けてやりな」
「アンタも過激だねぇ、片羽。が、そうしてでも、シャーウッド、お前さんを戦わせるわけにはいかねぇ。いいな、年長者の言うことは聞くもんだ、坊や」
不満も文句も山ほどあるだろうが、止む無くディンゴ1――シャーウッドが了解を伝える。マッドブル隊が、傷心の彼を囲むように展開して、180°反転。街の南部空域目指して翼を向ける。これで良し。ディレクタスへと進入を果たした敵機は、まっすぐ、針路を代えることなく俺達の正面から突っ込んでくる。早い!今日この空で葬った連中とは桁が違う。レーダー上、2機がクロス。来る!俺とピクシーは互いに反対方向へと90°ロール。素早く操縦桿を引いて左右にジンク。同じように90°バンクのまま接近する敵機は、俺達とは反対側にバンク。ガンアタックが迫る。くるり、と機体を回転させる。2回転、3回転、右方向90°で操縦桿を強く引いて反転。俺達とすれ違った敵機は、それぞれ違う方向へとブレークし、大きなループを描きながら攻撃の機会をうかがっている。
「……これはどうしたことだ。守備隊は?」
「傍受した友軍の無線では、既に壊滅的状態でハードリアン目指して撤退中とのこと。……遅かったようです」
「諦めるな、ゲルブ2。こいつらを倒せば状況は変わる。こいつらだ。噂の"猟犬"は」
随分と俺達も有名になったようで!およそ信じがたい機動で上空から被ってきた敵機の攻撃を左方向へ跳んで回避。ガンアタックと放たれたミサイルの白煙が地表めがけて落ちていく。そのまま降下していくのかと思いきや、振り返った俺の視線の先で垂直降下からいきなり水平飛行へ。身体にかかるGも洒落にならないだろうが、それを可能にする機体の潜在的性能に呆れて、反転することを諦めて距離を稼ぐべくスロットルを押し込む。嫌な相手だ。敵の機体はSu-37。カタログの性能しか知らないが、以前赴いた戦場でSu-27を操ったことはある。あれもなかなか大した性能の機体だったが、その改良型、それも扱うパイロットの身体的能力と操縦技量を多分に要求する戦闘機であることは間違いない。そんな機体をいとも簡単に操ってみせる敵だ。手強くないはずも無かった。機体を捻ってバレルロール。スロットルを落として減速させつつ旋回。敵戦闘機が俺の頭上をこちらもローリングしながら通過。すかさずスロットルを押し込んでその後背を狙う。その瞬間、ミサイルアラート。後ろ!?素早く視線を移したレーダー上に、しかし敵影は無い。もう1機はピクシーと激しいポジション争いを繰り広げている。となれば、正面の奴か!先を行くSu-37の左翼に白煙が舞う。そういうことかよ!追撃を諦めて、加速させつつパワーダイブ。機体を右方向へ捻って街へと落ちていく。ミサイルアラートは鳴り止まず、俺の後背を白煙が追ってくる。ロール角0に戻ったところで、反射的に機首上げ。急上昇。スロットル最大。コンクリートに叩きつけられたような衝撃が身体に圧し掛かるが、歯を食いしばってそれに耐えて意識をかろうじて保つ。
「相棒、まだ来るぞ!ブレーク、ブレーク!!」
ゲルブ隊、到来 ようやく戻り始めた視界に、真正面から突入する敵機の姿。発射トリガーを引き、互いにガンアタック。命中せず。右方向へゆっくりループしながら距離を稼ぐ。それにしても、よく動く連中だ。俺たちが、ベルカのエースとぶつかるのは初めてじゃない。だが、こいつらは、その機体の性能もさることながら、抜群の機動性を持つ戦闘機を充分に操る技量を持った本物だ。戦闘機乗りとして、こんな好敵手とやり合えるのは望外の幸せと言っても良いのだが、それは勝利するという自信あってこそのことだ。お互い、そう思っていることに間違いは無いのだが。ようやく相手から距離を稼ぐことに成功し、水平に戻す。同様に敵機も前方で反転、俺に向けて機首を向ける。
「大した奴だ……我々相手にここまでやるとはな。だが、こいつを倒せば、連合の連中など恐るるに足らん。落とすぞ、ゲルブ2!」
「相棒、まだ生きてるか?」
「何とかな、そっちはどうだ?」
「生きた心地はしないが、まだ足は付いているぞ。さあ、仕切り直しだ!」
ディレクタスの赤く染まった空に、俺たちの刻んだ白いループが刻まれていく。敵も味方も、手を出せないまま、激しいドッグファイトは続く。互いに好機を捉えんと、チャンスを伺いながら。

「すげぇ……」
およそ、戦闘機という機械とは思えない動きで戦うその姿を見て、誰かがそう呟いた。今、この空を見上げている者全ての共通意見だろう。ベルカの方角から現れた戦闘機と、この街のベルカを追い払った戦闘機とが、夕焼けの赤い空に鮮やかにその機影と飛行機雲を刻んで戦いを繰り広げている。地上にいる者たちは、その壮絶な戦いをただ黙って見上げているだけだった。それほど、その戦いは熾烈なものだったのだ。下から見ていて、衝突したんじゃないかと思うような距離ですれ違った機体が、くるっ、と回ったかと思うとまた互いに攻撃の機会を伺って旋回、そして激突する。航空ショーなんかとは異なる、完全に生と死を賭けたパイロット同士の一騎打ち。ベルカ軍から奪った対空砲――みんなでぶち壊してしまった代物だったが――の運転席に座りながら、男はその戦いを見上げていた。自分たちの頭上を、2機の戦闘機が轟音と共に通過する。そのうちの1機は、さっきこの鐘楼の周りにいたベルカを追い払ってくれた1機、ガルム1だった。あいつ、まだ戦ってくれている。俺たちの町のために、ベルカと――。2機が鼻先を振り上げて垂直上昇。赤い空を一気に駆け上っていく。反対側で、ベルカの戦闘機がゆっくりとループしながら、やはりこちらも上昇。男はぼやけた視界を、袖で乱暴にぬぐった。くそ、こんなところでのんびり観戦している場合じゃない。あいつらは、俺たちのために戦っているんだ。この町を解放するために!車から飛び降りた男は、群集の波を掻き分けるようにして駆け出した。
「どうしたんだよ、突然!」
「鐘だ、鐘を鳴らすんだよ!」
「何で!?」
「バカ言ってるんじゃねえ!!あいつらに、俺たちのために戦っているあいつらに聞こえるように、もっと派手に鐘を鳴らすんだよ!!それが、俺たちの戦いだろうが。ええぃ、面倒くせぇ。気張れぇぇぇっ、ガルム1!!こんなところで、負けんじゃねぇぞ、バカ野郎っ!!」
突然の大声に、周りにいた群衆がぎょっとした顔で振り返る。が、それも一瞬のこと。そうだ、あいつらを応援しなくちゃ。彼らは、この町のために戦っているんだ……そんな声が広がっていく。程なく、大歓声が響き渡った。拳を突き出して、人々は声を上げ始めたのだ。男は、今度こそ視界がぼやけて何も見えない。何も見えないが、ただ叫んだ。空を舞う翼を持った兵士たちの勝利を祈って。一旦は静かになっていた鐘が、再び激しく鳴り始める。男は、泣きながら笑い声をあげた。これだこれ、これが欲しかったんだ。勝利を願う、この鐘の音が!!

後ろへ向けて放たれるミサイルをバレルロールで辛くも回避し、その後背を追い続ける。だが、敵も凄腕。こちらの照準から外れたかと思うと、クルビットやコロコルで俺の追撃を嘲笑うかのように回り込んでいく。一体何度追尾を諦めて仕切り直しをしたことか。だが、それは相手も同じだろう。彼らにしてみれば、これまでなら既に葬っているはずの相手が、依然健在で飛び続けているのだから。こっちにも余裕は無いが、向こうも限界ギリギリ。そう信じたかった。後方から放たれたミサイルをスプリットSで反転、回避。ヘッドオンからガンアタック。敵機がパワーダイブ。命中せず。こんなことを一体何度繰り返したろう。気が付けば、機関砲もミサイルも残弾は僅か。あと数度の接敵が限界だ。敵の攻撃を避けるべく、急降下。市街地上空で何とも危険な行為を続けているものだが、止む無し。スロットルを押し込んで機体を一気に加速させて攻撃を振り切る。一度くるり、と機体をロールさせて、俺は足元の異常な空気に初めて気が付いた。街に繰り出した市民たちは、まだ道や広場を埋め尽くすようにし、ある者は屋根の上に上がって腕を、拳を、突き上げているのだった。何だ、一体みんな何をやっているんだ?それを明らかにしてくれたのは、地上を行く友軍からの通信だった。何度もしつこくかかってくるコール音を俺は無視していたのだが、ようやく8回目で回線を開く。
「何だ、今こっちは取り込み中だ。用件は短く頼みたい」
「やっと繋がったか!馬鹿野郎、この声を聞いてみろ。みんなお前さん方を応援しているんだぞ。仏頂面浮かべてないで、感謝の一つでもしやがれ、この幸せ者!」
褒められているのだか、けなされているのだか分からない言葉の後に続いてきたのは、無線のマイクの向こうに響き渡る人々の叫び声、そして鳴り止まない鐘の音。――それは、俺たちの戦いを後押しする、無数の人々の叫びだった。
「市民たちが、俺たちを……?」
「そういうこった、これで分かったか。下から見ているとよぉ、心臓に悪いんだ。そろそろケリを付けて、勝利の美酒を分かち合おうぜ、英雄!」
嬉しいことを言ってくれる。何ともイキなはからいだ。神経の磨り減りそうな消耗戦をやっている身に、再び力と気力が戻ってくるかのようだった。そうだ、そろそろケリを付けよう。ここで立ち止まっているほど、俺は暇なんかじゃあない。俺の獲物の姿を捜し求めると、一度合流した敵編隊が再びブレーク。俺とラリーを狙って飛び掛ってくるところだった。
「不愉快な鐘の音だ!……もう聞きたくも無い!!」
隊長機のものらしい機体が、ピクシーの脇をすり抜けてそのまま降下。ピクシーが反転。その後ろにへばりつく。
「自由の鐘は鳴らない。鳴らせるわけにはいかんのだ、ウスティオ!!」
「無辜の市民を殺るつもりか、やらせはしない!!」
敵機の向かう方向は、鐘楼。今、街中に鐘の音を鳴り響かせている、自由の鐘のある場所。俺も反転し、ピクシーのカバーに回る。後ろから敵機が付いてくる。構っていられない。そのままケツに食いつかせたまま、敵隊長機を追う。敵機に追いついたピクシーが、ミサイル発射。危機を悟った敵機が左方向へと大きくジンク。が、そこは丁度俺の射程圏内。俺のレーダーが敵機の姿を完全に捕捉するまでに、わずか2秒。ロックオンを確認して、なけなしのミサイルを放つ。敵機が加速して上昇を開始する。高度と距離を稼いで振り切る魂胆だったのだろうが、それよりもミサイルが敵の後背に噛み付くほうが先だった。至近距離で炸裂したミサイルは、敵隊長機の胴体と翼を爆風と破片で激しくなぶったのだ。ようやく、という表現が正しいだろう。黒煙と炎を吹き出した敵機の姿が、激しく痙攣する。だが、敵は針路を変えない。執念が機体に宿ったかのように、鐘楼を狙って飛ぶ。
「くそ、あくまで突っ込むつもりか!」
俺のコクピット内に、ミサイルアラート。背後に付いた敵機からミサイル攻撃。右へ急旋回、アフターバーナーON。弾き飛ばされるような加速を得た機体が、中にいる俺の体など無視するかのような高Gをかけて旋回。本当に、恐ろしい性能だ。パイロットの操縦を超えて機体が先に行くなんて、これまでには無かった経験だった。飛びそうになる意識を辛うじて繋ぎとめて、敵の攻撃をやり過ごす。ふぅ、生きた心地が全然しないぜ、全く。首をめぐらせて周囲を伺う。ピクシーが、燃え上がりながらも飛行を続ける敵機に、トドメの一撃を放つ。もはや回避することもなく、ミサイルが敵機の背中に突き刺さり、そして炸裂した。Su-37の機体が跡形も無く砕け散り、街の上空に火球を出現させる。
「隊長!?撃墜された!?」
その叫びは、俺の後ろに付いていた奴のものだろう。
「許さん、ウスティオの猟犬、貴様だけは落とす。そして隊長の仇を取る!!」
旋回からポジションを変えた残りの一機が、俺めがけてヘッドオン。ミサイルと機関砲のセットを降らせてくる。こちらはもう残弾がほとんど無い。応射せず、機体を回転させて回避。轟音と衝撃を残して、敵機が通過。だが、すぐさま大G旋回で機体を振り向かせて、俺の後ろにへばり付く。こちらも出来得る限りの急角度で反転。一瞬視界が真っ暗闇に覆われるほどの負荷をかけて、対抗する。照準内に俺を捉えられなかったのか、上昇して離脱する敵機へ向けてもう一度急旋回。光の戻り始めた視界に、Su-37の特徴ある後尾が飛び込んでくる。よし、ここからは逃さん。散々追い回してくれたお礼だ。機体を右へ、左へと振って回避機動を続ける敵機に食い付いていく。レーダー照射は受けるが、ミサイルは来ない。それだけでも、随分とやりやすくなっている。照準レティクル内に敵の姿が収まると同時に、発射トリガーを引く。ミサイル――最後の一本が、敵めがけて疾走を開始。機体を捻って回避した敵機は、その攻撃を難なく回避。これでミサイルは弾切れ、残りは機関砲弾のみ。向こうさんの翼の下にもぶら下がるミサイルは無し。まさに5分5分。俺はスロットルを少し押し込み、敵機の後姿へとの距離を縮めた。TVノズルを鮮やかに利かせて、敵機がローGヨーヨー。オーバーシュートを避けてこちらも続く。HUDに表示される彼我距離が少しずつ小さくなる。
「……しぶとい敵だ。これほどまでして振り切れないとは……!」
お互い様だがな――!これほどまで苦戦するのも久しぶりだ。改めてベルカ空軍の豊富な人材に舌を巻かされる。距離は200を切る。もう充分にガンレンジ。だが、まだ攻撃は出来ない。無駄に出来る残弾は最早無い。距離、150!この時を待っていたかのように、敵機の機首がスナップアップ。その場で上方向へと飛び上がる。ここだ!アフターバーナーに点火しつつ、機首下げ、操縦桿を一気に引いて機体を屹立させて、こちらも飛び上がる。ちょうど向こうの腹の下をすり抜けるようにしてこちらも上昇しているだろうが、急激な引き起こしで視界はブラックアウト。何も見えない。身体が感じる重力と機体の動きを頼りに、操縦桿を手繰る。
「な……どこだ、どこに消えた!?」
クルビットから水平に戻した敵の前に、俺の姿は無い。頭が後ろへ振られるような感覚。俺の機体は推力と揚力を失って、真後ろに倒れこむところだった。チャンスはほんの一瞬!やや斜めに傾いた視界が戻り始めたとき、Su-37の背中が光を取り戻し始めた視界に映った。身体が考えるより先に動き、発射トリガーを引き絞る。あっという間に残弾カウンタが減少し、ついに0になって止まる。弾切れ。これでお終い。スロットルを押し込んで敵機と反対方向へとブレーク。これで駄目なら逃げるだけさ――レーダーで敵との距離を測り、敵の追撃がないのを確認して反転。敵機から吹き出した黒煙が長く尾を引くようにディレクタスの上空に伸び、そしてレーダー上からその姿が消える。味方の挙げる歓声がヘッドホン越しに響き渡る。もうこれ以上はやれない。レーダーの策敵レンジを変更してディレクタス上空の敵を探す。ネガティブ・コンタクト。周辺に敵影なし。
「イーグルアイより、各機。ディレクタス空域に敵戦力無し。制空権の完全確保に成功!ディレクタスは解放された!!繰り返す、ディレクタスは解放された!!」
再び、耳が痛くなるような歓声。それは、空を舞う戦闘機乗りたちと、陸を行く地上部隊の兵士たち、そして自身の町を取り戻した市民たちの喜びの歌だった。コクピットの中には直接聞こえてはこないが、足元に広がる街に繰り出した無数の市民たちが、今頃歓喜の叫びを挙げているはずだった。
「聞こえるか、サイファー。この声が!市民たちには、戦う理由があった。そして勝利を手にしたんだ。そして、これが俺たち、ウスティオの傭兵の戦いだ!!」
ラリーもどうやら興奮しているらしい。ようやく息を抜くことが出来た俺は、首をめぐらせて機体の状況を確認した。あれだけ無茶なことをやったんだ。どこかに異常が出ていてもおかしくはない。右サイドをチェックし、左サイドを向いた途端、異常を発見した。左カナードが根元から脱落している。飛行には全く支障なし。が、さっきまでのような激しい戦闘機動には支障は出る。どうやら無理やり上昇反転を仕掛けたときの衝撃でへし折れてしまったらしい。やれやれ、ナガハマ曹長の仕事が増えたな、とぼやきつつも、このじゃじゃ馬の先を行く機動を仕掛けられたことと、機動に耐え得るキャパシティを持った、この機体に満足を覚えた。こいつとなら、俺はうまくやっていけるだろう、と。
「さあ、ヴァレーへ凱旋だ。今晩は盛大にパーティとしけ込もうや、野郎ども!戦勝パーティと、逝っちまった奴の送別会の同時開催だ!!」
ウスティオ解放 ガイアの叫びに、男たちの声が続く。奴の宣言通り、今日は賑やかな夜になるだろう。無傷の勝利ではなかったが、俺たちはついにウスティオをベルカの手から取り戻したのだ。これを勝利と言わずして何と言う?ふう、と息を吐き出して、俺はヘルメットのバイザーを上げた。夕暮れの太陽に真っ赤に染まった空は静けさを取り戻し、古都ディレクタスの町を赤く染め上げていた。そして、その街の道や屋根の上で、無数の市民たちが解放を喜び合っている。
――俺が見たかったのは、こんな光景なのかもしれない。これまで、渡り歩いてきた戦場でも、幾度も目にしてきた光景。武器を取ることが出来ず、武力と武力の衝突に翻弄される人々たちを救うこと。傭兵だからこそ、出来る仕事というものもある。今日の戦いは、まさにその役目を果たしたようなものだ。ベルカによって征服された、都市の解放。市民たちの解放。ベルカが再びこの地を手にすることは、きっとあるまい。街に生きる人々が、実はもっとも恐れるべき敵であったことに気が付いた彼らが、そう簡単にここに足を踏み入れるはずもなかった。人々の鳴り止まない歓声を、夕暮れの光に照らされる翼に受けながら、俺たちは巣窟――ヴァレーへと機首を向けた。あそこには、今日の勝利を共に祝う連中が待っている。

この日、2005年5月13日。開戦直後、ベルカ軍によって制圧されたウスティオ共和国首都ディレクタスは解放され、同時にベルカ軍ウスティオ方面軍は壊滅した。それはウスティオの全土が、ベルカの支配下から解放されたことと同義であった。この日を境に、ベルカの防衛線は後退の一途を辿る。ベルカ戦争のミリタリーバランスが、ついに崩れる。そして俺たちは、さらなる戦いへと足を踏み入れていく。行く先は、ベルカ本土。戦いは、新たな局面を迎えようとしていたのだった。

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