戦いの分岐点


首都ディレクタス防衛部隊壊滅の一報は瞬く間にウスティオ全土へと知れ渡り、そして各地の抵抗勢力と連合軍とが、あたかも開戦当初のベルカ軍による電撃作戦の再来のように一挙に旧国土回復へ向けた作戦行動を展開した。ラリーも言っていた通り、ベルカ軍は戦線を拡大し過ぎた結果、各地に展開する陸上兵力は実は希薄化していることが明らかになった。――特に、占領地に関しては。ウスティオだけでなく、オーシア・サピンに展開していたベルカ軍も相次ぐ敗北でもともとのベルカ領内へと押し戻され、ついに国境線は開戦前の状態へと戻った。北の谷の強兵たちは、もともとの彼らの国土へと追いやられたのである。傭兵たちの間でも、その話は随分と盛り上がった議論の一つである。シャーウッドの坊やをジェーン嬢ちゃんがいつ押し倒すか、という下世話な賭けが最も盛り上がったネタではあったが、その次くらいにはなっただろう。ウスティオの解放がなった今、これ以上ここで戦う必要も無いだろう、とする意見。いやいや、これからは連合軍の下働きでもっとこき使われるのさ、とする意見。結論を俺たちが出すことは出来ない以上、議論は平行線のまま――そんなところに、イマハマ中佐からの呼び出しがかかったのだった。

「ま、どうぞかけて下さい。今、コーヒー持ってきますからね」
相変わらずのノリというべきか、軍人にはとても見えない物腰の低さと雰囲気で、イマハマ中佐がいそいそとマグカップを取り出している。俺が呼び出されたのはイマハマ中佐の執務部屋。決して広くも綺麗でもなく、必要最低限の机と椅子と応接セットが並ぶ中に、コーヒーセットが何故か一式。話には聞いていたが、どんな戦場でもコーヒーを絶やしたことは無いという噂は案外本当のことかもしれなかった。苦笑を浮かべつつ、この部屋の先客の方に顔を向けると、「いつものことさ」と向こうも苦笑を返してきた。先客は、イーグルアイ。ジェイクリーナス・マッケンジー少佐殿とは、空での言葉のやり取りは多いものの、実際に地上で会う機会はあまりない。ガイアをして、"男が惚れる美声の持ち主"は、どうやら先に渡されたらしいコーヒーをすすって、ソファの一つに腰を下ろしている。コーヒーの芳醇な香りが近づいてきて、一方のマグカップが俺に渡される。この任地の前のものだろうか。ウスティオ国内でチェーン展開しているコンビニエンスストアの景品らしいカップに、また苦笑が浮かんでしまう。こちらの表情に全く気が付かない風に席を勧めた中佐は、俺がソファの一つに腰を下ろすのを待って、ゆっくりと自身の椅子へと座る。動きやすいのか、本人の椅子はスチール椅子に薄い座布団を敷いた質素なものだ。
「さて、他の面々も気になっているみたいですが、そのことも含めて議題が二つ、重要なものがあります。こればかりはサイファー、あなたの意見も聞いておきたくてね。それで来てもらいました」
「現場での指揮はイーグルアイ……マッケンジー少佐のやることだろう?。俺の意見が果たして必要なのかどうか……」
「いや、そんなことを言わんでくれ、サイファー。私は上から戦場を俯瞰しているだけに過ぎん。それに対し、君は最前線にありながら戦況を把握し、結果として部隊の面々に適切な指示と支援を行っている。それを見込んで、君の意見も聞いておきたいのだ」
イーグルアイの支援は、非常に良く行われていると個人的には考えている。それも、好き勝手に動きたがる傭兵相手に良くまとめるものだ。俺たちの戦果は、イーグルアイの適切な支援と情報提供、指揮あってのものと言っても良いのだ。そういう相手に謙遜されるのは、こっちにしてもなかなかやりにくい。
「まず重いほうからいきましょうか。マッケンジー君、資料を」
「了解であります、中佐殿」
マッケンジー少佐はテーブルの下に置いてあるアタッシュケースを開き、そして中から紙の束を取り出した――正直、全部を読みたくないような厚みのある束を。渡された束には既に何色かの付箋が付けられている。この貼ってある場所だけ見ればよいのか、俺は。そういえば、マッケンジー少佐の持っている束も同じように付箋だらけである。どうやら、これはイマハマ中佐の仕業らしい。
「細かい話は、後で読んでおいてもらうとして……いや、そんな嫌そうな顔はしないで下さいよ、サイファー。ウスティオの解放が実現した今、ウスティオの選択肢は二つありました。一つは、ベルカ軍の侵攻によって傷ついた国の回復に全力を尽くすこと。もう一つは、連合軍の一角として、この戦争が完全に終わるまで軍事的協力を継続すること。前者であれば、貴方たち傭兵の仕事も終わり――だったんですが、オーシアの政治家たちはやり手のようで、ウスティオは最後の最後まで付き合わされることになりました。そのうえで聞いてください。我々連合軍は、ベルカ本土への侵攻を開始します」
「ちょっと待ってくれ。連合軍の役目はベルカによる侵略地域の解放にあって、ベルカ自体を解体するという話ではなかったはずだ。まして、ベルカ本土ともなれば、連合軍とて何の名分もなしに攻め込むなんてことは出来ないはずだ」
「それが、運の悪いことに出来てしまったんです、大義名分が。赤い付箋のところ、開いてみてください」
イマハマ中佐の言葉に従い、紙の束を開く。詳しいことは分からないが、ロケットの先っぽの中に埋め込まれるように格納された「何か」の写真と、その設計図らしき図面が記されている。その右上に、「V2」とスタンプが押されている。何だ、これは?ベルカ語で書き込まれた設計図の言葉は勿論読むことが出来る。だが、何だ、一体。まさか――。
「核、か。それも、多弾頭型の」
「そのとおり。V2があるということは、V1もあるのでしょうが、そこまでの情報は我々には知らされていません。ですが、このV2はMIRVなんです。もし開発が完了してしまえば、ベルカはオーシアだけでなく、世界中の国家に対して使用出来る、しかも反撃が不能な大量殺戮兵器を手にすることになります。そこで、オーシアは国際会議の場で、核査察の実施を確約させる――という大義名分で、ユークトバニアをも説得したのです。仮にV2が完成すれば、ユークとて対岸の火事とは言ってられないでしょうからね」
オーシアのやり口も荒っぽいが、ベルカ――祖国の政権を握った連中の頭の中を疑いたくなる。古くから、祖国には悪しき伝統ともいうべきイデオロギーがある。正統、かつ最強の軍隊と力を手にしたベルカによって統治されてこそ、世界は平和と安定を実現出来る、という正統ベルカ主義だ。連中は、V2の核の恐怖を以って、世界を従わせようというのだろうか。核の報復には、核が降り注ぐという、恐怖の均衡を知らないわけではないだろうに。そして、犠牲になるのは双方の兵士たちだけではなく、無辜の市民たちも平等に焼き払われ、犠牲者の0の数の中に含まれていく。最悪のやり口だ、これは。好んで、連合軍に侵攻の理由を与えてしまったようなものだ。案外、祖国の内情は一枚岩ではないのかもしれない。古来の伝統に縛られたベルカ公一族によって、つい最近まで政治が行われていた国だ。議会政治が実現したといっても、ベルカ公の存在があってこその議会に過ぎない。議会が停戦に向けた動きをしたところで、ベルカ公と軍部が一体になって動けば、議会の動きなど完全に止められてしまう程度の国なのだから。
「で、まぁ、大義名分の件はともかく、ここからが本題です。実は、ウスティオ解放作戦が行われているのと同時刻、連合軍――オーシアを中心とした制圧部隊が、先んじてベルカ本土への侵攻を行いました。場所は、南部戦線。もともと情勢が不安定だったこの地域なのですが、このときばかりは連合軍の大敗に終わりました。制圧に参加した航空戦力の9割までが帰らず。結果として、ベルカの防衛網の強固さを内外に知らしめることになりました」
南部戦線、といえば、この間俺たちがデイレクタスの上空で撃墜したエース隊が、もともと南部戦線の受け持ちだった、と聞いている。連中、連合軍を退けた後、ディレクタスへ差し向けられたというわけか。ベルカ軍もなかなかに人使いが荒いみたいだ。補給も弾薬も十分でない部隊を増援――遅すぎた増援に送り込むのだから。そして、連合軍の苦手な方面には――連合軍の懐の痛まない、強力な戦力が向けられる。
「話は分かった。俺たちウスティオの航空部隊が、連合軍の尻拭いをさせられる、ということだ」
「……言いにくいことですが、まさにそのとおり。連合軍首脳部は、彼らが攻略に失敗したベルカ軍拠点に対する攻撃命令を出してきました。即ち、ハードリアン線グラディサント要塞を我々ウスティオ、そして同様に傭兵を抱えているサピンの航空戦力を以って攻略せよ、というわけです。……サイファー、あなたにはこの混成攻撃部隊の現場での指揮を執ってもらいたいのです。ここヴァレーの部隊だけならともかくとして、これに他の傭兵隊やサピンの傭兵まで入ってくるとなると、もう収拾が付きませんからね。イーグルアイの命令よりも、最前線で知らぬ者のないガルムの猟犬の指示の方が、まだしも聞きやすいというものでしょう」
何だって、俺に指揮を執れだって?そんな余裕、今までの戦いだって俺には無かったと思う。まして、今度の敵は噂に聞こえた難攻不落の対空要塞ハードリアンと来た。自分の身を守りつつ、他の連中の面倒まで見るような余裕は少なくとも無い。俺の乗る機体はAWACSではなく、戦闘機でしかないのだから。
「勿論、戦域全体に関する情報は適時提供する。そのうえで、指示を出してもらいたいんだ。私は上から戦域を俯瞰しているだけに過ぎない。向かってくる敵がどんな連中なのか、陣地がどんな状態になっているのか、それは実際に戦っている連中にしか分からない。サイファー、我々はAWACSの代わりをしろと言っているのではないんだ。作戦に参加する連中が、少しでも多く帰還出来るよう、その手助けをしてやって欲しいんだ」
執務室の風景 「それが即ち、管制機の代わりだと思うんだがなぁ。……まぁいい、どちらにしても、俺たちに拒否権は無い、そうだな、イマハマ中佐?」
「これまた申し訳ありませんが、あらゆる手を尽くして、言うことを聞いて頂くのが私の仕事ですからね。正直、グラディサント要塞など放っておいても良いと思いますし、この作戦が失敗しても良いと私は考えています。連合……オーシアの尻拭いでこちらが血を流す必要性など全く無い、というのが本音ですからね。ま、成功すればこれまた大きな貸しを作れるというのも事実ではありますが」
イマハマ中佐が苦笑を浮かべながらコーヒーをすする。全く、その通りなのだ。俺たちに厄介な任務が振ってくるのはいい迷惑なのだが、同時に困難な任務を果たしてきているからこそ、俺たちの部隊は我侭が効く。航空機や補給物資の調達に関して、俺たちは明らかに優遇されている部類に入るのだから。
「……やれるだけのことはやってみよう。とりあえず、作戦に参加する部隊の連中のデータ、何でもいいから用意してくれ。それとハードリアンの全域図。敵の装備なんかも分かると有り難い。そのうえで、かないっこないと分かったら、諦めて全員で帰ってくるさ」
「それで構いません。マッケンジー君、資料をサイファーに渡してください。そのうえで、彼と改めて作戦を練るように。攻撃に必要な装備の類は、私の方で何とか無理を効かせましょう。核爆弾以外のものなら、何とか調達できると思います」
ふう、と俺はかるくため息を吐きつつ、ソファに身を沈めた。一介の傭兵に過ぎない俺の名前だけが先に歩いていっている、そんな気分だ。別に俺が欲しいのは、そんな名声の類では無いのだが。他に生きようが無かったから、今もこうして戦っている。だが、周りの連中からすれば、そんな俺の心情も状態もあまり関係が無いのだろう。"ベルカ軍のエースを喰らったエース"――いつだったか、ウスティオの新聞にそう書かれたように、その人間の中身とは関係ないイメージだけが、先行して人々に受け入れられていくのだ。そして、戦場においてはそれが大体悪い方向に働いてしまう。無理難題を押し付けられたり、敵に目の敵にされたり……というわけだ。全く、俺と相棒、ラリーのコンビは、ベルカの目の上のたんこぶ、連合軍のパイロットたちの羨望と妬みの対象というわけだ。本当に、いい迷惑だ。イマハマ中佐が、俺たちの空になったカップを回収して、新たにコーヒーを入れ始める。本当に好きなんだな、コーヒーが。
「さて、ではもう一つの議題といきましょうか。実はですね……」
執務室のドアがやや乱暴目にノックされたのは、イマハマ中佐が次の話を切り出そうとしたその時だった。
「どうしました、何かありましたか?」
「ああ、済まない。取り込み中悪いんだが、そこに相棒……サイファーはいるか?用事が終わっているなら、顔貸してくれ。ちと面倒ごとが起こっていてな」
ドアが開かれ、ラリーが顔を出す。相棒にしては珍しく、やや困惑げに苦笑を浮かべながら、頭を掻いている。辛気臭い話が続いただけに、少し気分転換もしたかった。階級が関係ないとはいえ、士官殿たちと一つの部屋にこもっているのは、精神衛生上もまことによろしくない。渡りに船、とばかり俺は頷いて席を立ったのだった。

サイファーの立ち去った後、イマハマは一杯だけ余分になってしまったコーヒーを見て、少し悲しそうに笑った。
「振られましたな、中佐?」
「仕方ありません。中間管理職は嫌われるのが仕事ですからね。……それにしても、彼のような男に、この国の空軍に留まって欲しいものです。いや、彼だけでなく、あんな気のいい傭兵たちを手放すのは、本当に辛いことです。外のことを知らない、シャーウッド少尉のような若者には、本当によい刺激になると私などは思うんですがね」
「とはいえ、刺激が強すぎませんか。あの坊やを、よりにもよってマッドブル隊へ編入するなど」
「その方がいいんですよ。サイファーもピクシーも、彼の師匠にはなりません。突出しすぎているのですよ、彼らは。その点、マッドブル・ガイアの元で、戦況を見渡させた方が、シャーウッド少尉には良い勉強となります。……まぁ、人格的にも多少は刺激を受けた方が良いかもしれませんしね」
イマハマは、今度は愉快そうな笑みを浮かべて、コーヒーカップを傾けた。マッケンジー自身、部隊員を失ったディンゴ1――シャーウッド少尉の引き取り先を聞いて呆れたものである。ウッドラント大佐の猛反対を押し切って、配属先を決定したのは他ならぬイマハマであり、しかもその配属を熱望したのが、あの歩くトラブルメーカー、マッドブル・ガイアだったのだから。
数日を過ごしてきた部屋は決して居心地の悪いものではなく、食事も真っ当な部類のものが出されていた。生活するうえでの不自由は特に無い――外出が一切認められていないことを除けば。部隊長と隊員の安否を確認せずに帰投したパイロットが暖かく迎えられるはずも無く、咎人を見るような目で追われていった先は、ディンズマルクの軍司令部の置かれる威圧的な建物の一室、即ち、ここだった。食事の差し入れを除けば人と顔を合わせる事も無い空間の中で、ロッテンバークは先日の戦いを反芻していた。ベルカのトップエースであるはずの男たちが呆気なく撃墜され、ついには隊長機までが巧妙な敵機の連携にはめられて炎を吹き、そして残されたのが自分一人になった時のことを。自分の操っている戦闘機は恐らく現代でも最高水準にある機体であったはずだが、それを以ってしても仇――レオンハルト・ラル・ノヴォトニーには及ばない。どうしたら、奴を葬れるのか。それが、この数日間、彼が考え続けてきた唯一のことだった。
食事の時間以外に叩かれたことがないドアの音を、ロッテンバークは興味が無いように、緩慢に聞いていた。中からの反応がないことに苛立ったかのように、乱暴にドアが開かれる。この部屋の監視員らしい士官が、これまた不機嫌な顔で入ってくるのを、ロッテンバークは同じような顔をして出迎えた。
「ロッテンバーク少尉、面会だ」
面会?この自分に誰が面会に来るというのか?まさか、見捨てたフレイジャー隊長でもやって来たのか?身構えた彼の前に立ったのは、髭面の神経質そうな笑みと、つかみ所の無い瞳をしたやせぎすの男だった。男の羽織ったスコードロンジャンパーには、ハゲタカのエンブレム。
「おまえさんかい?隊長を見捨てて生還したっていう空軍の赤っ恥野郎ってのは?」
「事実です。が、明らかに勝ち目の無い戦いの中で、最低限の戦力を無駄に浪費せずに温存する、という考え方もあってしかるべきではないでしょうか?」
「へっ……てめぇ、置かれている立場の割には、良く吠えやがるな。気に入ったよ、若造。傭兵でもないのに、そういう頭を持った野郎がベルカにいるとは驚きだぜ。もうエンブレムで分かったよな?俺は第13夜間戦闘航空団、第6戦闘飛行隊のドミニク・ズボフだ。うちの戦隊員が、この間おっ死んじまってな。代行要員としてスカウトに来た。タイフーンもなかなかの機体だろうが、うちのハゲタカの豪快でいいぜ。……というわけだ、こいつはもらっていくぜ」
スカウト エスケープキラー、か。なるほど、裏切者を狩るには、裏切者のレッテルを貼られた人間が最も適役、ということなのだろう。黒いMig-31で編成されたこの部隊の姿を見て、恐れを抱かないベルカ軍パイロットは少ないだろう。部隊の判断において、味方を撃墜出来る権限を持たされた、唯一の部隊。それが彼らなのだから。そして、数々の戦線において、敵前逃亡を図ったパイロットたちの多くが、彼らによって葬られている。これまでとは全く異なる、より戦争の暗部を覗き込む部隊への転属。だが、仇と出会うためには、飛ぶしかない。その機会が得られるのなら、どんな部隊でも構わない――ロッテンバークの腹は決まった。というよりも、彼には選択肢が無かった。
「ハイライン・ロッテンバーク、第13夜間戦闘航空団への転属命令を拝命致しました。以後、よろしくご指導ご鞭撻の程を!」
ロッテンバークの敬礼を見たズボフの表情が変わる。精悍な、というよりも凄みの効いた笑顔を浮かべたズボフは、ロッテンバークの左肩に手を置き、そしてぐっと引き寄せると小声で呟いた。
「何か、恨みのある奴がいるんだってな?いいぜ、そういうの。のけ者同士、仲良くやろうや。へっ、へへっ、へへへへへ……早速だが、おまえさんの入隊テストだ。この後すぐ飛んでもらう。覚悟の程を見せてみろ、若造!」
ばん、とロッテンバークの背を叩いて、ズボフは手を離した。話は終わりだ、というように、監視員に向けて手を振る。久しぶりの釈放。再び空に上がる機会を得たロッテンバークの目に、再び憎悪と復讐の炎が赤く煌いていた。
「で、イマハマのおっさんたちと何を話していたんだ、相棒?妙に辛気臭い顔をしていたじゃないか」
副司令官殿の執務室を後にした俺とラリーは、まだ傭兵たちがたむろしている食堂を目指し、夕暮れ時の滑走路を歩いていた。偵察任務を終えた奴の機体だろうか、ナガハマ曹長がドーリーの上から手を振っている。軽くこちらも手を振ってそれに応える。出撃の無いヴァレー基地を、山特有の心地よい風が吹きぬけていく。今が戦時中であることを忘れたくなる――少なくとも、ウスティオ本土での戦争は終わっていたが。
「俺たちの、今後の話を聞かされていたのさ。近日中に、出撃だ。場所は、南部戦線」
「そうか、やっぱりな。そして俺たちは連合軍の尻拭いをまたやらされる……そんなところだろ?」
「その行き先がハードリアン線と来たもんだ。そのうえ、サピンや他の基地の傭兵隊の指揮を執れと言うんだからなぁ。考えると頭が痛くなる」
ふーむ、とラリーは歩きながら腕を組み、首を傾けた。だが、それほど時間を置かず、いつもの精悍な笑みを浮かべる。
「ま、いいじゃないか。俺たちの好きなようにやれるってことだろ。相棒、お前一人が抱え込む必要は無いぜ。要は、この基地の面子で各方面隊の指揮を執ってしまえば良いということさ。トップはお前と俺でやる。後はガイアもいるし、坊やもいる。他の面子でもやれる。それでやりやすいように片をつけてしまえばいい、ということだろう。イマハマの旦那の事だ。それで戦果が挙がるよりも、この基地の戦力を温存して貸しを高く出来ることを計算しているはずだ」
確かに、ラリーの言うとおりかもしれない。正直、堅苦しい命令を下すなんて、俺の柄ではない。いざ実戦になってしまえば、自分の身を守ることでも大変なのだ。だったら、少なくとも俺と考えを共にしてくれる連中に任せてしまえばいい、か。相棒の進言に感謝しつつ、俺は相棒の持ってきた急用の中身を思い出した。
「そういや、ラリー。何だったか、急用があったんじゃないのか?何か面倒ごとでも?」
「ああ、確かに面倒な事態が発生しているんだ。こればかりは、お前さんでないと解決が難しい。戦域は、さっきまでお前さんもいた食堂だ」
「何だって?」
まぁ、行ってからのお楽しみさ、と笑う相棒に促されて足を踏み入れた食堂では、部隊の二人を取り囲むように傭兵たちの人垣が出来ていた。何か深刻な事態か――と思うと、連中、ニヤニヤと笑っていやがる。そして人垣の向こうにいるのは、ガイアとシャーウッド坊やだった。椅子に座ったままガイアを睨み付ける坊やに対し、ガイアは背もたれに寄りかかって背を伸ばし、目をつぶっていた。少しして、わざとらしくため息を吐き出すと、珍しく真剣な表情をして――目は笑っていたが――口を開いた。
貴様は俺の2番機だ 「シャーウッド少尉、今日から貴様は俺の2番機だ。目ぇつけとかねぇと、何をしでかすかわからねぇからな」
「お断りいたします」
傭兵たちがどっ、と笑い出す。あっさりと断られたガイアが何とも言えない悲しそうな表情を浮かべて首を振る。
「いや……そんなあっさり断るんじゃなくてさ、もっとこう……何かあるだろう、断り方が」
「嫌なものは嫌です。マッドブル2なんてコード、断じて願い下げです。一族の恥です。私のTACは、ディンゴ1です!」
「ディンゴでもマッドブルでも、どっちも犬なんだからいいじゃないの、兄弟〜」
「誰が兄弟ですが、誰が!!大体、隊員数からいけば、貴方のところじゃなくてガルム隊でもいいじゃないですか。何でよりにもよって、あなたの下なんです!?」
「よし分かった、俺の下働きで十分戦果をあげたら、サイファーに掛け合ってやる。それまでは、俺の隊なの!!」
「……おい、急用ってのは、これか、ラリー?」
「さっきから30分ばかし、こんな調子さ。二人とも良く続くもんだ。案外あの二人、精神的構造が共通かもしれないぞ。……まぁ、喧嘩するほど仲が良い、ともいうか」
なるほど、厄介ごとはとりあえず俺のところに持ち込まれるということらしい。イマハマ中佐といい、ラリーといい……。だが、実際問題として、戦隊員のいなくなったシャーウッド坊やの行き先は決めてやらなければならなかった。別に、ガルムで引き取るのに異存は無い。だが、俺がラリーに背中を任せるように、坊やにも何の不安も無く任せられるかどうか――残念ながら、答は「まだ」Noだ。坊やには、まだ安心して背中を任せることは出来ないし、俺たちに課せられるタスクに臨んだときに、坊やを守ってやれる自信は無い――それは、ガイアであっても同じなのだが、若手の傭兵の指導役としてはむしろ奴の方が適任だ。人格的悪影響を受けることは否めないが……。いずれにせよ、あの坊やには茨の道でしかないが、正規兵としてでなく、傭兵としての世界を知っておくことは、いつかあいつのためになるだろう。この戦いを生き延びれば、だが。
「ああもぅ、おいこらシャーウッド!この人事はなぁ、このガイア様が立案し、イマハマの旦那も快く承認してくれたもんなんだぞ!!おまえさんの成長を願うオヤジ二人分の思いを無駄にするのかぁ?」
「命令に従うのが軍人ですが、ここは傭兵部隊の基地じゃないですか!?承服しかねる命令の拒否権が認められているのは、私も同じなんです!!」
ガイアとシャーウッド、二人の戦いはまだ続いている。ま、最終的にはガイアに「押し付ける」としても彼らが心強い味方であることは違いないし、この基地にいる連中の腕前は、よくぞここまで集めたもんだ、と言いたくなるほどのものだ。そして俺の後ろには、相棒、片羽の妖精がいるのだから――。

だが、俺は後悔することになる。連合軍の意図は、俺たちに戦争の汚い面を見続けさせることだったのだ。何のために戦うのか。何のために殺すのか。何のために飛ぶのか――。平和とは何か。戦いは、俺たちの予想を遥かにこえた方向と次元へと、転がり始めていたのだった。

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