老兵は死なず
燃え盛っていた炎はいつの間にか姿を消し、辺りには焦げ臭い匂いと黒い煙が無数に漂う空間へと姿を消した。祖国の誇る最強兵器のはずだった尖塔は真ん中からへし折られ、大地に突き刺さって無残な姿を晒している。爆発直前、極限ギリギリまで蓄積されていたエネルギーは恐らく施設の内部を暴れ周り、中にいた同胞たちの身体を消し炭に変えていっただろう。だが、地上とて似たようなものだ。少し前まで空に向かって吠えていた仲間の兵士だった残骸が大地に散らばり、真っ黒に焦げて傍目には人間とは思えないような塊が無残に打ち捨てられている。ひっくり返った対空戦闘車の残骸の隙間から、ようやく同僚の上半身だけの亡骸を引きずり出した若い兵士は、遠雷のように聞こえてきたジェット戦闘機の音に腰を抜かし、折角取り出したばかりの同僚の身体を放り投げて物陰に走り込んだ。彼の目には、先ほどの戦闘において、仲間の攻撃を完璧にすり抜けて侵入し、確実に攻撃を叩き込んでいく敵機の姿が焼き付けられていた。噂に聞こえたウスティオの猟犬の姿は、もはや悪魔と言っても過言ではないものだった。その悪魔たちの発していた音に似た轟音が聞こえてきたのだ。兵士たちが慌てたのも無理はない。
「戦線は……崩壊しています。エクスキャリバーは完全に……」
「うろたえるな。いつも通りにいく。さぁ、私の子供たち、最後の授業だ。教えるべきことは全て教えた。皆の力、見せてみろ。同胞たちの仇を取るぞ」
「了解、ボス」
エクスキャリバーの残骸上空を、銀色のストライプに塗られた友軍戦闘機の姿が通り過ぎていく。彼らはトライアングル編隊を組んだまま、コクピットの中で敬礼をしていたのだが、その姿は地上の兵士たちには見えていない。若い兵士は、その特徴あるカラーリングを見て、驚いた。――あれは、銀色のイヌワシではなかったか?先頭を行くF-4Eの姿は、これまで何度も雑誌や新聞で見たことがあった。前線に戻ってきたという噂は本当だったんだ――そう納得しつつも、次には恨み節がこぼれる。なら、どうしてもっと早く来てくれなかったのだろう、と。彼らがもっと早く来てくれれば、自分たちはこんな惨めな思いをしなくて済んだんじゃないか。それが言いがかりであることは分かっていたが、そうでもしていないと正気を保ってもいられないのが、地を這う兵士たちの本音だった。むせ返るような血と肉の匂い。こみ上げてくる吐き気をこらえながら、彼は死んだときそのままの姿で地面に転がる同僚の上半身を肩に抱えた。虚ろな瞳が、白い筋を空に刻んで遠ざかっていく戦闘機たちの姿を見送っている。祖国の正義。祖国の勝利。それが幻想に過ぎなかったことを思い知らされた兵士たちは、戦いを始めたときの熱狂から解き放たれていた。一体、いつまでこんな辛い思いをしなくてはならないのか――?その問いに応える者は、誰もいない。
エクスキャリバーの沈黙は、敵防衛部隊の沈黙と同義であった。俺たちに対して浴びせられる対空砲火も姿を消し、静まり返ったタウブルグ丘陵地帯の美しい光景をのんびりと眺めながら、俺たちはヴァレーへの帰り道に付いている。依然敵の勢力範囲内であることには違いなかったが、気分的には遊覧飛行でもしているような雰囲気だ。攻撃隊はほとんど無傷ではあったが、クロウ隊・マッドブル隊には被弾した機もあった。幸いにも、機体を捨てるほどのものではないし、途中で別基地の空中給油機を回してもらえれば、ヴァレーには充分に戻ることが出来るだろう。ラリーからのコール音。回線を開くと、普段の快活さとは別人のような、声が聞こえてきた。
「サイファー、この戦争もこれで終わりになると思うか?」
「いや……エクスキャリバーが崩壊した程度で戦争を止めるほど、ベルカは甘くない。まだまだ戦いは続く。……連合軍の上層部の命令で、また戦争の汚い面を見せられる羽目になるかもしれないさ」
それは間違いないだろう、と俺は思う。連合軍を散々悩ました機密兵器を葬った俺たちは、先のハードリアン線攻略に続いて、連合軍の悩みの種を吹き飛ばした。必然的に、ウスティオ空軍部隊の戦略的価値は高まる。連合軍のお偉方の覚えもきっと良くなるだろう。だか、それは同時に便利な戦争の道具を彼らが手にしたことを意味する。昔の戦場でも味わってきた、表には出せないような作戦にも従事させられることがあるかもしれない。無論、そんなものは慣れっこになっているし、昔のように逡巡することも無くなっている。だが、心の奥底に深く刻まれる傷と、そこから流れ出る血だけは、いつまで経っても消えることがないし、後悔と苦悩の種ともなる。これからが本当に辛い戦いなのかもしれないな、と心中でぼやく。短く、断続的なコール音が鳴り響いたのは、そんなときだ。何だ、全く。
「こちらガルム1。どうした?」
「イーグルアイより、攻撃隊。後方より、高速で接近する敵戦闘機部隊を確認。様子が妙だ、警戒せよ!」
「何だぁ?王者の剣を奪われて頭にきた騎兵隊のお出ましか?」
「騎兵隊で済めばいいけどな。全く迷いなく突っ込んでくるぞ。こいつら、恐らくやり手だ、マッドブル」
俺たちの真後ろから、トライアングルを組んだ敵戦闘機の光点が5つ、真っ直ぐに突っ込んでくる。俺やラリーだけなら振り切ることも出来ただろうが、被弾している友軍機を放っていくわけにはいかない。なら、相対するしかない。そして、迷っている時間も無い。
「ラリー、ガイア、俺たちで出迎えよう。シャーウッド、それにPJ、おまえさんたちは被弾機の支援に回れ。もし俺たちから逃れて向かっていく奴がいたら、容赦せずに撃ち落せ。仲間を守ることを最優先にしろ」
「PJ了解!任されました!!」
「ディンゴ1了解。……お気をつけて」
本心はきっと俺たちと一緒に来たいのだろうが、素直に坊やが引き下がる。なるほど、案外真っ当に変わってきたかもしれないぞ、こいつ。坊や一人だけでは不安だが、先の戦闘でのやかましい奴――ではない、クロウ隊3番機とは相性がいいらしい。エース相手でも何とかやってくれるだろう、と判断する。
「ヘッヘッヘ、片羽とサイファーのケツ眺めてばっかりというのもつまらねぇからな。今日は稼がせてもらうぜ。腰が鳴ってきたぁっ!!」
「隊長、それを言うなら腕でしょう。交信記録に変なことを残さないで下さい!」
「これだもんなぁ……」
「ぼやくのは後だ。連中、速い!!」
「ガルム2、俺は遅いのが好きなんだが……まぁいい、行くぜ!!」
高度を稼ぎつつインメルマルターンで反転した俺の後ろに、ピクシーのF-15Cとマッドブル1のF/A-18Cがぴたりと続く。さすがに歴戦の傭兵たちだ。トライアングルを組んだ俺たちは、敵編隊に向けてヘッドオン。レーダー照射なし。連中、まともに俺たちとやり合うつもりのようだ。レーダー上、敵機のトライアングルが綺麗にブレーク。5機の機影が大きく広がる。俺たちはそのまま直進。彼我距離は急速に縮まり、ついに敵機が前方に点となって出現する。一旦編隊を解いた敵部隊は、そのまま針路上の一点に向けて突入してくる。一点、それは俺の機体めがけてだ。スロットルを落とさずに、HUDを睨み付けながら俺は針路を変えない。轟音と衝撃で互いの機体を揺らしながら、俺たちは敵機とすれ違った。ほんの数秒の差しかないだろうが、一歩間違えれば空中衝突しそうな間隔で敵機――銀色のストライプで統一されたF-16Cが4機、猛然と通過していく。そしてもう1機。思わず目を疑ったが、F-4Eの姿がある。
「何だ何だ、あんな骨董品に乗っているのは?」
「まぁそう言うな、傭兵。これはこれで、良い機体だからな」
俺たちとチキンレースの如く真正面からすれ違って見せたF-4Eが、およそその機体とは思えないような急反転をしてみせる。あれはF-4Eであって、F-4Eではない。中身は全くの別物らしい。戦闘機自体も、そして乗っているパイロットの腕も――!
「ルールがおまえたちを救う。もし迷ったら、自分の身体に聞け。必要なことは、おまえたちの身体、心、そして機体に教え込んである。自分を信じろ。ルールを信じろ」
聞こえてくる敵隊長機の声は、ここが戦場であるとは思えないくらいに落ち着いている。あのF-16Cは彼の教え子たちなのだろうか?F-4Eの姿を追ってこちらも戦闘機動。だが、巧みに飛んでいく敵はなかなか攻撃のチャンスを与えてくれない。迂闊に追い続けていると、コクピットに耳障りな警報が鳴り響く。5機が戦闘空間を確実に把握し合い、好機を狙ってくる。即ち、後ろをがら空きにすればたちまち刺される、というわけだった。ガイアのF/A-18Cがチャフをばらまいてパワーダイブ。後方に付いていたF-16Cから放たれたミサイルがチャフの粉に突入して爆発、虚空に火球を出現させる。急降下したガイア機はその隙に距離を稼ごうと低空を加速するが、それを別のF-16Cが上から狙い撃つ。ピクシーがすかさずその後方からガンアタック。命中せず。深追いせずに回避した敵機が、一時離脱して編隊を組み直す。ようやくガイアも高度を上げてピクシーと合流を果たす。
「ちっちっち、嫌になるくらいに慎重な連中だぜ。助かったぜ、ピクシー」
「気にするな、お互い様だ。それにしても、あのF-4E、嫌な奴が出てきたな。あれ、銀色のイヌワシだ」
「げっ、マジかよ」
銀色のイヌワシ――その名は、戦闘機乗りなら知っていなければならない名前だ。ディトリッヒ・ケラーマン。ベルカ空軍の誇る、古参のトップエース。マインツの英雄とも呼ばれ、ベルカだけでなく世界の戦闘機乗りたちに知られた男。戦場で最も出会いたくないベルカ空軍機、と傭兵たちの間で囁かれていた相手が、俺の目前にいた。ラリーとガイアがF-16C編隊を引き受ける形となり、俺は隊長機――ケラーマン機とのタイマン勝負へと流れ込む。これが平時なら、胸を借りての戦闘訓練になるのだろうが、これは実戦だ。厄介な男が出てきたもんだ。苦笑しつつ、気持ちを切り替えて操縦に集中する。敵機と互いに牽制しあいながら、俺たちは攻撃の機会を伺うべく、ほぼ同心円状の空間を旋回する。
「なかなか慎重な男なんだな。少し意外だったが――さあ、腕を見せてみろ、傭兵」
敵機の動きがふらり、と揺れたように見えた。くるり、と機体を回転させた敵機が攻撃にて転じたその瞬間だった。ヘッドオン、突っ込んでくるF-4Eから機関砲弾が放たれる。急ロール。地平線が2回、3回と回り、放たれた機関砲の光の筋が後方へと流れ去る。幸い命中せず。後ろを振り返ると、通過していったF-4Eが早くもインメルマルターン、反転中。舌打ちしつつ、背面降下。速度を稼いで低空で水平に戻す。レーダー照射を受けていることを告げる警報音。機体を振って敵の追撃から逃れるべく回避機動を開始。この手の相手に、生半可な逃げは通用しない。本気で振り切るつもりでなければ、あっという間にやられることになるだろう。だから俺は、必死で操縦桿を握り、スロットルレバーを押し込み続けた。時に乗っているパイロットのことなど無視したような機動を可能にする機体の性能を信じて、高G旋回。ほとんど位置を変えずに機体が向きを変える。シートに張り付けられた俺はターンの間一瞬気を失う。かろうじて戻った視界に、敵の鼻先を捉えてすかさずガンアタック。残弾カウンタの数値がコマ送りになって減少していくが、命中せず。180°ロールさせて背面飛行になった敵機が俺の足元を通り過ぎていく。再び反転しようとした俺の目の前に、F-16Cの姿が飛び込んでくる。ピクシーの後背を取ろうと、大きく回りこんでループしてきた敵の1機だった。幸い、隊長機との距離を稼げている。すぐの反撃は無い――そう確認した俺は、相棒を狙う敵機にへばり付いた。素早くコンソールを操作して、レーダーロック……ロックオン!ミサイルシーカーがロックオンを告げて明滅し、早く撃て、と誘う。先の戦闘で残弾の少なくなったミサイルを発射。白い煙を吐き出しながら、放たれた矢が敵機へと突き進んでいく。
「ミサイルだ、旋回、旋回!」
「しくじった。回避不能!!」
直撃こそしなかったものの、至近距離で炸裂したミサイルがF-16Cの尾翼と主翼の一部をもぎ取った。赤い炎に包まれ始めた敵機のキャノピーがポン、と飛んで続いて射出座席が打ち上げられる。ようやく1機撃墜。パイロットを打ち上げて空を漂流していた敵機が、やがて虚空に赤い火球を出現させて消滅する。
「1機、やられました」
「大丈夫だ。自分たちの力を信じろ。ルールを崩すんじゃないぞ、敵は本物だ」
「了解です、ボス!」
士気はなお盛ん。ピクシーとマッドブルから距離を取って離れていたF-16C隊が反撃に転ずる。もちろん、こちらも対抗。双方の放ったミサイルが互いの空間を引き裂いて応酬される。命中せず。どうやら、隊長機――英雄ケラーマンの教え子たちらしい部下たちは、忠実に隊長の命令に従って互いに巧みに連携しながら飛ぶ。これが手強くないはずが無い。だが、実戦で培われた経験だけは如何ともし難い。その点では、彼らの相手は最悪だった。何しろ、実戦経験はとにかく豊富な二人――ラリーとガイアだったのだから。最初は見事な連携に追われていた俺たちだったが、次第に経験の差が顔を見せ始めていた。むしろ、罠にはまりだしたのはまだ若い敵機たちの方だった。ガイア機が唐突に背面降下、スプリットS。がら空きになった後背を狙って敵機が喰らい付いていく。同様に背面降下。今頃ガイアはほくそ笑んでいるだろう。あいつの得意なパターンだ。ぐるり、と機体を激しくロールさせて、予想点と反対側にダイブしたガイアは、そこから高G旋回。反応の遅れた敵機の後ろに、逆に喰らい付く。ああなったら、逃げられない。至近距離からガンレンジに獲物を捉えた狂犬が牙を剥く。機体後部を集中的に撃ち抜かれた敵機が、何とか機首上げをしようして適わず、丘陵の一つに突っ込む。美しい自然の風景に似合わない火球が膨れ上がり、木っ端微塵に機体とパイロットの亡骸を吹き飛ばしていく。
「くそ……こいつら、攻撃が当たらない!」
「何としても倒すぞ。祖国とケラーマン隊の誇りにかけて!」
2機を失い、これで数の上では同数。だが、銀色のイヌワシが率いていたのがベテランの戦士たちならともかく、まだ若いパイロットたちだったことは、まさに不幸というべきものだったろう。機体の性能差が結果的には大きかったのだろうが、俺は何とかその歴戦のエース相手に渡り合っていたのだ。互いにケツを奪い合う至近距離でのドッグファイトを繰り返し、埒が明かなくなって距離を取り、真正面からの撃ち合い。離脱。旋回。再攻撃。まさに"かろうじて"渡り合っているだけだ、これは――そう痛感させられる。若者たちがガイアたちに翻弄されているように、俺もまた銀色のイヌワシに翻弄されている――と思っていた。
「似ている……」
呟くような声が聞こえてくる。もちろん、俺が戦っている隊長機のものだ。その隊長機は俺の後ろにあって、俺はレーダーロックから逃れるためにバレルロールと旋回を刻んでいく。何度目かのバレルロールで、スナップアップ。愛機の機動性能を活かして跳ね上げ。至近距離で隊長機はバンクさせながら通過、アフターバーナーを焚いて加速。ワンテンポ遅れてこちらも加速。差がなかなか縮まらない。
「聞こえているなら答えろ、傭兵。その飛び方、どこで覚えた?」
「別に。傭兵として、戦闘機乗りとして、気が付いたらこの飛び方になっていただけだ」
きこえていようといまいと関係ない――と言い放つが、どうやら相手には聞こえていたらしい。
「そのやり方は、アカデミーで教える戦技の一つだ。つまり、お前の飛び方は私たちの飛び方にも通じるということだ、傭兵」
敵のF-4Eがバレルロール。こちらも距離を縮めようと加速しつつ、機動に付いていく。F-4E、バレルロールから90°捻り、右方向へジンク。急旋回。俺も右へと機体を跳ね飛ばすが、敵機はスナップアップで俺をやり過ごす。さっき俺がやったのと同じ機動。形勢逆転。くそ、振り出しに戻っちまった。だが、隊長機は追撃せずに方向を変え、仕切り直しとばかりに離れていく。
「どういうつもりだ?絶好の攻撃ポジションだったろうに」
「傭兵、もう一度聞く。おまえに飛び方を教えたのは誰だ?」
「――何故そんなことを聞く。俺が答えたところで、アンタが得るものなど何もないだろう?俺はしがない傭兵、アンタはベルカの誇るトップエース」
緩やかに旋回しつつ方向を変えた隊長機の向こうで、新たな火球が一つ。雑音交じりの戦況報告が唐突に断ち切られ、レーダー上からも反応が消滅する。ピクシーとガイアのコンビは、完全に敵機を圧倒していた。追い回されるのは敵部隊の方となり、散々追い回された恨みを晴らさんとばかりにガイアが執拗な追撃を続けている。ピクシー機、そのやや上方を冷静に追撃。ガイアの追撃に嫌気がさして上へ逃げようものなら、ピクシーの餌食に。かといって回避機動を諦めれば、狂犬の餌食。どちらに転んでも地獄。
「隊長、申し訳ありません。私の腕では、どうにもなりませんでした……」
心が、先に折れてしまったのか。ついにガイアが喰らいつき、敵戦闘機に牙を突き立てる。至近距離から機関砲弾を浴びせられたF-16Cが、黒煙を吐き出しながら上昇。何とか水平に戻したところでキャノピーが飛び、パイロットがベイルアウト。無数の白い飛行機雲が刻まれた大空を、白い落下傘がふらり、ふらり、と落ちていく。
「……1機も守ってやることが出来なかったか。残念だ。私をよくここまで足止めしたものだ、傭兵よ。――そろそろケリをつけようか」
望むところだ。しかし、敵は何を知りたがっているのだろう?俺の戦闘技術など、別に特別なものではないし、戦闘機乗りなら誰でもやってのけるもののはずだ。仲間から学んだこと、教本に書いてあること、そして子供時代、今は亡き父親から「今は出来なくてもいい」と前置きされて教わったこと――それが、俺の基礎、根本にあることだ。真正面からのすれ違い後、互いにインメルマルターン。お互いにバレルロール、ローリングを駆使して後背の奪い合い。目まぐるしくポジションが入れ替わるが、互いに攻撃の糸口を掴めず、急旋回。反対方向へと離れた俺は、もう一度高Gをかけて機体を一気に振り向かせる。身体に強烈なGが圧し掛かり、シートへと張り付けられる。腕の力を総動員して操縦桿を手繰り、次の機動へと転じようとしていた敵隊長機の後背をようやく捉える。この好機を逃してはならない!一瞬がら空きになった後背に、レーダーロック。程なくロックオンを告げる電子音が鳴り響く。最後に残っていたミサイル2本、これが最後の一撃とばかりに撃ち放つ。これがかわされたら、もう後はひたすらトンズラ逃げる以外に道は無い。俺たちは何より生き延びることこそ最重要なのだから――。
敵隊長機、180°ロール、背面降下。アフターバーナーを焚きつつパワーダイブ。ミサイル、少し大きめに迂回しつつその後を追う。敵――銀色のイヌワシの狙いは、急降下後の上昇反転でやり過ごすことだったのだろう。だが、ほんの少しだけ、タイミングが遅かった。鮮やかなエッジを刻んで上昇に転じたそのときには、ごく至近距離にミサイルが接近していたのだった。2本のミサイルが相次いで爆発。圧倒的なエネルギーで破片を無数に撒き散らす。銀色の機体に襲い掛かった破片が、尾翼と主翼に穴を穿ち、黒煙と炎が吹き出していく。かろうじて水平に戻した隊長機だったが、炎は機体全体へと回り始めていた。
「……見事だ、ウスティオの傭兵。名前を聞いておこうか?」
俺は、断る理由を見出せなかった。
「レオンハルト・ラル・ノヴォトニー。第6師団第66航空小隊所属だ」
長く、長く息を吐く音が聞こえた。炎がついに胴体部分へと回っていく。早くベイルアウトしないと、もう危ない。思わず、俺は敵に対して呼びかけていた。
「おい、ベイルアウト出来るんならベイルアウトしろ。大丈夫だ、まだ間に合う」
「フフ……ウスティオの悪魔だの、猟犬だのと呼ばれている割には、随分と優しいじゃないか。……ようやく、貴様の機動に既視感を覚えた理由が分かった。――タイアライト・ラル・ノヴォトニーの親友だった男からの、忠告だ。憎しみに決して染まるな、そして……生き残れ」
何だって!?タイアライト・ラル・ノヴォトニー。それは、忘れるはずも無い、俺の父親の名前だ。そして、目の前の敵は、その父親の親友だと自ら明かした。軽い後悔が、胸の中を過ぎる。F-4Eのキャノピーが、ようやく跳ね上がる。そして、パイロットが虚空へと打ち出された。黒煙に全身を愛撫されたF-4Eは、それでもパイロットを巻き込むことなく空を漂い、充分に離れたところで空の藻屑と消えた。後には、ゆっくりと大地へと降下していくパイロットの姿だけが残る。もう無線での交信は聞こえない。だが、彼の――銀色のイヌワシが、敵である俺に放った言葉が、頭の中で反響する。――憎しみに決して染まるな、そして、生き残れ――。
「すげぇ……サイファーが敵隊長機を撃墜!!」
「あれが、ガルム1の戦闘機動。あんなことが出来るのか……。僕には、出来るのだろうか……?」
ガイアとピクシーが、ゆっくりと俺の両翼へと戻ってくる。ガイアは全身で、ラリーは片手を挙げて、「やったな」とサインを送っている。周辺空域に敵影なし。今度こそ、ヴァレー基地へと戻る時間だ。俺は二人に手を振って応答した。父親を知っていた敵隊長から、もっと話が聞けなかったことが心残りだったが、少し嬉しくもあった。ベルカ空軍の英雄とまで言われたエースパイロットに親友、と死んだ後も父親が呼ばれたことが。敵機密兵器破壊、そして敵エース部隊撃退。もう今日は何だか腹いっぱい、胸いっぱいだった。基地に戻って、ゆっくりとシャワーを浴びてグラスを傾けたい。ふぅ、と軽く息を吐き出して、回線をオープン。残念ながら、ピンピンして生き残っている仲間たちに対して口を開く。
「作戦、終了だ。全機、基地へ戻ってパーティと行くぞ。今日は、俺もそんな気分だ」
男たちの歓声がハウリングを起こして交信を飽和させる。やれやれ、イーグルアイまで叫んでいる声が聞こえてきた。音程外れのロックンロールを歌いだしたのは言うまでも無い「歩くトラブルメーカー」だが、それにまたPJが合いの手を入れ始めたからたまらない。笑いながら、俺は一度後ろを振り返った。――生き残れ。そう伝えた、亡き父親の親友であった男のいる方向に、俺は自然と敬礼を施したのだった。
遠雷の如き戦闘機の音が、ついに聞こえなくなる。辺りには静寂が戻り、タウブルグの丘は本来の自然の音を取り戻し始めた。まだ大地は遠い。だが、降りてから基地まで歩いていく自信も無い。敵機――かつての親友の息子の攻撃を喰らった衝撃で、ケラーマンの肋骨は数本、確実に折れていた。どうやら内臓は傷付いていないことに感謝し、痛む胸を手でさすって息を吐き出す。全く、見事にやられたものだ。教え子たちを1機も救うことが出来ず、自らも落とされた。敵――いや、レオンハルト・ラル・ノヴォトニーの姿を見たケラーマンは、何とも無く悟ってしまった。もう、老兵の出る幕ではないこと。そして、想いは必ずどこかで受け継がれていくこと。もう、戦闘機に乗ることはないだろう。最後の相手が、親友の息子であったことに因縁めいたものを感じつつ、ケラーマンは憎しみではなく、満足を覚えていた。今日までの日々、決して後悔はするまい。仲間を失い、同胞を失い、自らも傷ついてきたが、自分はこうして生き残ったのだ。そして、自分の想いを彼――親友の息子は受け継いでくれるだろう。だから、もう自分は何もするまい――そう、彼は誓ったのだった。
「聞こえるか、タイアライト。おまえの息子、いい戦闘機乗りになっているぞ。多分、お前も落とされるくらいの、な。私も、ようやく戦いを終えられそうだよ……」
疲労と、傷の痛みとが、ケラーマンの意識をおぼろげなものにしつつあった。混濁した意識の中、しかし、ケラーマンは見た。かつての親友が、申し訳なさそうに頭を掻き、彼に語りかける姿を。――そうだったな、おまえも息子も良く似ている。どこか、甘く優しすぎるところが。――済まない。かつての親友の言葉が、もう一度そう言うのが聞こえて、ケラーマンは、口元に微笑を浮かべながら、そして意識を失った。
この日から、銀色のイヌワシが空を舞う姿を見た者はいない。国の誇るトップエースの負傷と部隊の壊滅は、少なからずベルカの戦闘機乗りたちに衝撃を与え、そして戦意を奪い去っていく。そんな状況の中、ベルカを震撼させる戦いが幕を開ける。――連合軍による、B7R不可侵条約の一方的破棄である。