B7R制空戦・後編
――空が、広すぎて寂しいんだ。また、アイツと飛びたいもんだね。
――2005.09.07 ジャクソンヒルにて
一時は追い込まれていた連合軍が、とうとう戦線を復活させる。ベルカ軍の必死の抵抗を打ち砕き、出現した戦力の空白域を埋めるのは連合軍の戦力となり、次第にベルカ軍は円卓の奥へと押しやられつつあったのだ。7機目を叩き落したところで、俺は撃墜数をカウントすることを止めた。戦闘記録はどうせ後で分かることだし、激しい空戦機動の連続で思考能力も落ちている。それでも身体が戦闘に反応するのは、生存を求める本能の為せる技だったろうか?だが、確実に敵戦力の数は減っている。ヴァレー組の一隊、エイジス率いる一隊が、俺たちの横に展開して翼を振る。全機、損害なし。
「こちらガルダ。円卓の情報はかなり収集出来た。今後のここでの戦略研究に充分活かせると思う」
「情報収集って……おいおい、戦闘中にそんなことしていたのか!?」
「エイジスよりアルタイル7、それもガルダの仕事だ。文句言うな」
エイジス隊が次の目標を求めて離れていく。全く、ヴァレー組のしぶといこと。ベルカに一方的に押されるだけだった戦場に踊りこんだ俺らウスティオ隊は各戦線でベルカ軍を押し返すことに成功していた。それだけでなく、相当数のベルカ軍機の撃墜に成功していた。今日、エースを達成した傭兵たちは幾人になるだろう。帰還後の報酬の額に喜び踊るヤツもいるに違いない。どうやら撃墜数に関しては俺がトップになっているらしいが、それはどうでもいいこと。生きて帰らなければ、そんなスコアも意味が無いのだ。レーダー上では、一つ、また一つと光点が消えていく。ベルカ軍の戦線が、ついに崩壊しようとしていた。
「さすがだよ、相棒。おまえのせいで、ベルカの連中大慌てだ。逆にこっちはガンパレード。全く、大したヤツだよ、おまえは」
「勘弁してくれよ、ラリー。俺の力じゃない。ヴァレーの皆の奮戦の賜物さ」
「こちら、ウィザード1。英雄殿は謙遜がお好きなことだ……聞こえるか、ラリー。良い相棒と知り合ったもんだな、お前も」
俺とラリーの会話に割り込んできたのは、精悍さを感じさせるに充分な声だった。
「アンタか!相変わらず、いい腕しているじゃないか」
「何の、そっちこそ。どうだ、決心は付いたか?お互い、安売りはこれまでにしよう」
レーダー上を確認する。オーシア軍のIFF反応を示すF/A-18C部隊。これが、話し相手のウィザードらしい。魔術師と来たか。ラリーは旧知の仲らしいが、決心?安売り?一体何の話をしているのか?どうやら、俺の全く知らない事情が、彼らの中にはあるらしい。しばらく沈黙の時間が過ぎ去り、そして搾り出すようにラリーが応える。
「……まだだ。まだ、その時ではない」
そんなに迷った相棒の声を、俺はこれまで聞いたことが無い。まるでひび割れた氷が、軋むような――そんな声に、俺には聞こえた。
「さあ、ベルカは瀕死だ。ウスティオの傭兵たちばかりにいい格好させるわけにはいかないぞ。各機、奮闘せよ!!」
隊長機の動きに連動して、部下たちが次々と突入していく。アイツ、自身の腕も相当だが、指揮官としても一流以上だ。オーシア空軍正規兵にしては、珍しい存在と言えよう。最近噂の「おしゃべりブービー」といい、大国にはやはり人材がいる。ただ、そんな人材が埋もれてしまうのも、大国の大国たる所以といえなくも無いのだろうが。俺たちは敵戦力の空白域となった空を、悠然と飛ぶ余裕を得ていた。さっきまでの激戦が嘘のように、円卓の空が静かになり始めていた。クロウ隊のF-16Cが、ダイヤモンド・フォーメーションで俺たちのやや上方、後方に陣取る。連中も健在。改めて、ウスティオ空軍のスカウトたちが片っ端から集めてきた空飛ぶ傭兵の陣容の厚さに苦笑してしまう。これでは、他の国の傭兵部隊が困り果てているに違いない。
「俺は……平和のために飛んでいる。だから、世界の空で飛ぶんだ!この世界が、いつの日か本当に平和を手にするその日まで、俺は世界の空で戦う!」
このテンションの高さ、PJのノリはガイアに完全に通じる。あと10年も経てば、きっと同じような不良中年が仕上がるのだろう。理想だけでは無論空は飛べない。だが、PJ――ジェームズ・ベケットには、理想を現実のものとして見据えることが出来る、そんな雰囲気を既に持っていた。一種のカリスマみたいなもんが、ヤツにはある。シャーウッドの坊やにしてみれば、彼から学ぶことも多いはずだった。ハイテンションのPJの台詞は、多分に理想主義が入り込んでいたが、今日は珍しく対抗者がいた。それも驚いたことに、対抗者は相棒だった。
「その平和の名の下、何万ガロンという血が世界中で流れているんだよ、小僧。俺たちはその血を生産している張本人だ。俺も、お前も」
「なら、アンタの流す血も俺が受け止める。世界中で流れる血は、止められなければならないのだから」
「理想で飛んでいると、死ぬぞ、小僧。戦闘に理想は無い。生きるか、死ぬか、そのどちらかだ」
相棒の声に、普段の陽気さが無い。いや、さっきの会話の時と同じような、どこか心が軋むような冷たい声。戦争に翻弄された兵士が陥る、一種の感情喪失。そんな陰惨な空気が、相棒から漂ってくるようだった。確かに、相棒の様子は最近変わった。この戦いが始まった頃、少なくともその頃は、相棒からそんな空気が漂ったことは無い。ラリーの心の影に俺が気が付いたのは……そうだ、ここだ。ここに俺とラリー、二人で円卓に出撃させられた、あの日。連合軍が、俺たちを捨て駒に使った、あの日からかもしれない。いくらか険悪な雰囲気になってきた二人の会話を止めようと、口を開きかけたところに、無線のコール。渡りに船とばかりに、俺は回線を開いた。
「こちらガルム1、どうした?」
「イーグルアイよりガルム隊。円卓に急接近する敵航空部隊を捕捉。連中、やる気のようだ、警戒せよ」
ベルカ本国からの新手か!俺は敵部隊の接近する方向へ向けてヘッドオン。ラリーもPJとの不毛な会話を切り上げて、俺の左翼に続く。早い!敵航空部隊は、何の迷いも見せず、連合軍が優位に立とうとしている戦場に飛び込んでくる。こいつら、格が違う。
「ガルム1より、各機!敵の新手が急速接近中だ、充分に警戒しろ!こいつら、エース部隊だ!!」
敵にエース部隊などと呼ばれるとはな。嬉しいじゃないか。男は、マスクの下に精悍な笑みを浮かべていた。円卓の友軍部隊が不利な戦況にあるということを信じようとしないお偉方を説き伏せて出てきたのが良かった。円卓は不可侵。そんなもの、祖国の幻影でしかないことは前線の兵士なら誰でも知っている。それが分からない連中の言い分なんぞ、聞いているだけ時間の無駄というものだった。だから、彼らは愛機に飛び乗ってここまで駆けつけてきたのだ。黒く塗られたF-14Dが、日の光を反射して鈍く煌く。
「隊長、やはりウスティオのエースが紛れ込んでいるようです」
「みたいだな。レーダーを見てみろ。俺たち目指して突っ込んでくる連中がいる。噂の凄腕はイーグルとの2機編隊らしいからな。こいつは、楽しめそうだ」
全兵装のセーフティを解除。後席のフライトオフィサが火器管制のロングレンジモード選択開始。連合軍の生っちょろい連中との空戦にはいい加減飽き飽きしていたところだった。全く、連合軍の連中はエースを育てる気はないのか――そう思っていたところに朗報だ。こいつらを倒せば名声も得られるだろうが、何より戦闘機乗りの血が命を賭したぎりぎりの戦いを欲している。ウスティオの猟犬――第6師団第66小隊のサイファー、ピクシーが相手とくれば、嫌でも興奮するというものだ。無線のコール音がコクピットに響き渡る。男は、回線を開いた。
「こちら空中管制機ヒンメル・オウゲ。シュネー隊、噂の凄腕が君達の正面から接近中だ」
「凄腕にエースと呼んでもらえて、こっちは嬉しい限りだがな。誘導支援、よろしく頼む」
「任せておけ。それにしても、とんでもない奴だ、ウスティオの傭兵は。奴1機のおかげで、戦線が目茶目茶だ」
「戦争やってると、時々そういう奴が現れるのさ。それも、ここまでにしたいところだ。よし、各機、準備はいいな!?」
了解、と各機からの返答が返ってくるのを確認し、レーダーロック開始。まだ敵の姿を見ることは出来ないが、レーダー上の情報をもとにコンピュータが狙いを定めていく。AWACSの支援を受けた攻撃は、連合軍にとっては充分な脅威となるだろう。
「シュネー1より各機。槍を放て!」
挨拶代わりの一撃を発射。軽い振動後、機体から切り離されたミサイルに火が入り、真っ白な排気煙を吐き出しながら加速。あっという間にその姿が見えなくなっていく。ヒレンベランドはスロットルを押し込み、そしてアフターバーナーを点火した。心地よい衝撃が機体を弾き、F-14Dの巨体が轟然と加速を開始する。さあ、勝負だ、ウスティオのエース!彼は会心の笑みを浮かべながら、迫り来る強敵を待ち受ける。
ピーッ、という耳には決して優しくない警告音がコクピットに鳴り響く。後方に敵機の姿は無いから、俺たちの向かう先からの攻撃と見て良い。機体を少し上昇させる。前方に白い煙が見えたかと思うと、俺たちがつい先ほどまでいた空間を貫くようにミサイルの群れが通り過ぎていった。挨拶代わりの一撃、ということか?だが、そのミサイルは後方で針路を変え、俺たちの後方で戦っている連合軍の戦闘機たちに襲い掛かっていったのだ。回避することも出来ず、何機かが直撃を食らって爆発、四散していく。敵さんにもAWACS辺りが付いているらしい。なかなか慎重な奴だ。改めて敵の位置を確認しようと視線を移したレーダーにノイズが走り、そして光点が消え失せる。ECMか!効力を失ったレーダーでは敵の姿は確認できず、舌打ちしつつ俺はHUDを睨みつける。再び警報音。こっちから敵の姿は見えなくとも、向こうからは丸見えってか!?山勘で機体をバレルロールさせ、前方にいるであろう敵機の斜線上から離れる。ピクシーも同様にブレーク。獲物の姿を見失ったミサイルが虚空を貫いて、後方へと流れていく。続けて、少し大きめの黒い点が視界に入り、数秒後に俺たちとすれ違う。轟音と衝撃が互いの機体を揺さぶり、それぞれの方向へと突き抜ける。素早く後ろを振り返ると、ベルカ軍には珍しい機体の後姿が目に入った。2枚の垂直尾翼。デジタル制御で最適の位置を弾き出す可変翼。2基の大推力エンジン。4機のF-14Dが俺たちの後方、チェックシックスで早くも反転に入り始めていた。レーダーの目を奪われてのECM範囲内ではお互い様だが、かといってここから出れば上空のAWACSとの連携攻撃に狙われる。おまけに円卓の上空は頗る快晴。つまり、隠れるべき雲の姿も無い。微かに映るレーダーと、己の眼を命綱に、敵の姿を追う。F-14Dの特徴ある可変翼の姿が見えたかと思うと、反転を完了した敵機がヘッドオンで突入してくる。攻撃態勢には入れない。スロットルを少し下げつつ、エアブレーキON。操縦桿を思い切り引き寄せて機首上げ、大Gをかけて反転し、通り過ぎた敵機の後方へとへばり付く。大推力を活かしてF-14Dが猛然とダッシュ。こちらもスロットルを押し込んで追撃しようとするが、また警告音。後方を振り返ると、別のF-14Dが食らい付いている。くそ、当たってたまるかよ!機体をぐるりとロールさせつつ加速。後方から放たれた機関砲弾が機体スレスレの空間を通り過ぎていく。かろうじてガンアタックを回避して、パワーダイブ。一気に円卓の座上まで降下して、地上への衝突寸前、水平に戻して地表を這うように飛ぶ。
「戦域を荒らすな。却ってシュネー隊の邪魔になる。彼らに任せるんだ」
「協力に感謝する。しかし……早い!いい腕をしていやがる!」
低空へと降下しても逃げ場は無い。後方から追撃してくる機、上空からミサイルの目を光らせる敵。ここでの戦い方を充分に知り尽くした奴だ、相手は。それにしても、ECM妨害域から出られない。大規模なECMであればともかく、そんなことをしたらミサイル誘導だけでなく、交信にももっと支障をきたすことだろう。それがないということは、それほど強力なものではないはずなのだが、今のところその発生源は捉えられない。長距離になればミサイルで、近距離格闘戦となれば、その抜群の機動性を活かしてのドッグファイト。遠近どちらもやれる、本物のエースのお出ましというわけか。この間の老兵――親父の親友だった男といい、今日の相手といい、俺たちの行く先には「本物の」強敵が待ち受けているらしい。低空から一気に加速して上昇。再び敵部隊との交戦空域へと舞い戻る。歓迎、とばかりに敵機の2機が真正面から突入。撃ち放たれるガンアタックを潜り抜けて、こちらも反撃。命中せず。至近距離ですれ違い、距離を稼いでインメルマルターン。敵の追撃を振り切ったピクシーとようやく合流を果たす。
「電子戦機を何とかしないと、円卓に墓碑が立っちまうぜ。見つけられたか、相棒?」
「それどころじゃない。逃げるだけでも精一杯さ」
「お互いヤキが回ったみたいだな」
他の3機から突出して向かってきた敵機に対し、俺とピクシーがガンアタック。残弾ゲージが瞬く間に減少していく。致命的な命中弾は与えられなかったものの、黒いF-14Dの胴体に穴が穿たれ、黒い煙が吹き出していく。
「ちっ、こちらシュネー4。やられた、風穴を開けられてしまった!」
「シュネー1より4。無理するな、後方へ退け。後は俺がやる」
撃墜には至らなかったものの、ようやく1機。だがレーダーの目を奪われている状況に変化無し。恐らくこのECM攻撃を仕掛けている敵機は、F-14Dの動きを見ながら上空を旋回しているのだろう。いつまで経っても俺たちがその効果範囲内から逃れられないのがその証拠だ。かといって、連中がそう容易く門を開いてくれるとも思えない。敵の技量は、想像以上に高い。特に隊長機の機動は見事だ。F-14Dの機体性能をフルに使い、自ら攻撃を仕掛けるだけでなく、部下たちにも適切な指示を与え指揮している。戦況が本能的に見える奴なのだろう。二手に分かれた敵機が、俺とピクシーを包囲するように踊りかかる。俺とピクシーは敢えて真正面からその挑戦を受ける。左右それぞれに散開。俺が向かったほうは、どうやら敵の隊長機が相手のようだった。時間差を付けて放たれたミサイルが2本、真正面から突っ込んでくる。一発をローリングで回避し、さらにバレルロール、敵の鼻先から回り込むようにして攻撃を回避、ガンアタックを仕掛けるが攻撃射程内に敵を捉えることが出来ない。想像よりも遥かに早く通過して行った敵は、ヒット・アンド・アウェイを徹底して俺から離れていく。反転してこちらも加速、その後背の追撃を開始する。まるでこっちが付いていくのを待っていたかのように、敵機が再び加速。野郎、いい根性していやがる。
「楽しませてもらっているぞ、傭兵!さあ、本領を見せてみろ!」
敵機、高Gをかけてスナップアップ、ハイGループ。こちらも速度を落とさないよう、少し大きめのRでループ。身体に圧し掛かるGで、骨の軋む音が聞こえてくるようだ。ぐるりと180°程度回ったところで、敵機がロール、右方向へ急旋回。咄嗟の動きに反応できず、止む無くそのまま直進。真っ逆さまになった機体は相応の加速を得て、円卓の大地へと落ちていく矢のように大空を切り裂く。2、3回機体を捻って位置を調整して、一か八かの急激な引き起こし。視界がブラックアウト。身体が感じる愛機の機動を頼りに、スロットルを押し込んで操縦桿を戻す。急反転で減速した機体が再び加速に転じた瞬間、俺は操縦桿の発射トリガーを引き絞った。かろうじて戻り始めた視界の中に、ギリギリの所で攻撃を回避してばるロールする敵機の姿が映し出される。そう簡単にはやらせてくれない、ということだな!一時退避、敵機との距離を取って仕切り直すべく、敵と反対方向にブレークしてやり過ごす。ようやく確保したつかの間の考える時間で、次に仕掛ける攻撃を組み立てていく。さて、次はどう出る!?
ECM妨害を受け、レーダーの利かない状況下での戦闘は、シャーウッドにとって初めての経験だった。先行するPJ――パトリック・ジェームズにしても、実際にエース部隊と激闘を繰り広げているガルム隊の二人にしても、敵の位置を的確に把握できるものだ、と感心すると同時に、まだそこまでは至らない自分の経験不足を痛感させられ、自然と彼は顔が赤くなるのを感じていた。とにかく、電子妨害をかけている敵機なら俺たちでも何とかなるはずだ――そう言い出したPJに付いて、トップエース同士の戦闘空域に突入してきたわけだが、果たして自分はベルカのトップエース相手に渡り合えるのか?そんな不安が、冷や汗となって彼の背中を湿らせていく。
「くそ、この高度には見えない。ディンゴ1、そっちはどうだ?」
「こちらも駄目だ。もっと上なんじゃないのか?PJの方から見えないか?」
「ネガティブ。もう少し上へ上がろう!」
PJのF-16Cが軽やかに機首を持ち上げて上昇。シャーウッドもそれに続いて上昇。PJ機の左翼やや後方に位置を取って続く。既にベルカ軍機による抵抗は散発的なものとなりつつあり、彼らを追撃してくる機影は無い。サイファーたちの激闘はどうやら低空に移っているようで、彼らの位置から肉眼でその機影を見つけることは出来なかった。早く彼らと轡を並べて戦えるようになりたい――その思いが、シャーウッドを突き動かす。機体を水平に戻して首を巡らせる。相変わらず、敵機の影らしきものは見当たらない。PJも同様なのだろう、キャノピーの向こうで、「駄目だ」というように肩をすくめるPJの姿が見える。諦めてたまるか、とシャーウッドは途切れ途切れの映像しか映し出さなくなったレーダーを睨み付けた。時折映るモニターに表示されるのは、互いに牽制しあうように飛ぶサイファーたちの姿。だがその姿もすぐにかき消され、ノイズの波に埋もれていく。このノイズの発信源が元凶だ。――そうやって、どれだけの時間空とモニターを睨んでいたろうか。一瞬、レーダーが鮮明になったその瞬間、単独で戦域を飛ぶ敵の姿が飛び込んできた。はっとしてシャーウッドはその方向へと視線を飛ばす。前方、円卓の空の光を反射させた小さな点が、自分たちの前方を横切っていこうとしていた。
「こちらディンゴ1、目標視認!前方、11時方向!!」
「何だって!?……ホントだ、今日の手柄だな、ディンゴ1。仕留めるぞ!」
「もちろんだ!」
PJ機、アフターバーナーに点火して加速。シャーウッドもスロットルを押し込み、愛機JAS-39Cをダッシュさせる。敵の姿はいよいよ明らかになり、戦域上空を飛ぶEA-6Bの姿が迫ってきた。こちらの接近に気が付いた敵機が回避機動を開始。PJ機、レーダーロック開始。もともと空中戦には向いていないEA-6Bを捉えることは造作も無かった。白煙と共にミサイルが撃ち出され、敵機へと向かっていく。仕留めた!PJもそう確信しただろう。だが、ミサイルは命中することなく明後日の方向へとターン、目標を見失って漂流を始める。――ECMで、ミサイルの狙いをそらしたのだ。素早くガンモードを選択したシャーウッドは、何とか攻撃を逃れようともがく敵機へと肉薄していった。目標機、左へ大きく傾けて旋回加速。追い抜かない程度まで減速して、シャーウッドも左旋回。ただし、敵機よりも小さく回って、その姿を照準レティクル内から逃さない。旋回方向を変えようと、右方向へ機体を捻った瞬間、一瞬動きが止まるその瞬間をシャーウッドは逃さなかった。彼のJAS-39Cから放たれた機関砲弾は、EA-6Bの翼を上から下へと貫いて大穴を穿ち、そしてその翼にぶら下げられていたECMポッドを粉砕した。さらに胴体へと突き刺さった弾丸は、加熱したエンジンの中に飛び込んで中身を粉砕した。
「こちらクロウ隊PJ。ディンゴ1が敵機撃墜!敵電子戦機の撃墜に成功!!」
PJの戦果報告を聞きながら、シャーウッドは黒煙と炎に全身を包まれ、痙攣しながら落ちていく敵機の姿をもう一度確認し、ようやく息を吐き出した。――少しは、彼らの役に立てたかな?まだまだ遠い男たちの背中に、彼はそっと呟いた。
奪われ続けていたレーダーの目が、唐突に回復する。1機の撃墜にピクシーが成功し、残る敵エース隊の姿が、レーダー上にはっきりと映し出されていた。続けてPJの嬉しそうな声。なるほど、シャーウッドの坊やがやってくれたらしい。
「こちらガルム2。坊や、今日の大金星だ、よくやってくれた!」
「まさか、ECM機がやられるとはな。傭兵たちを甘く見すぎたか」
全く同感だ。これで敵の機影の小さな点だけを追う消耗戦からは解放される。ピクシーに追われた敵機が、右方向へと急旋回、ピクシーの追撃をやり過ごして機体を水平に戻す。敵にとってようやく得た安全地帯は、実は俺の射程範囲内。素早く兵装モードを中距離ミサイルに変更。これまで散々アウトレンジから撃ちかけられたお返しとばかり、レーダーロック開始。イーグルアイの支援を受けて、程なくミサイルシーカーが敵機捕捉。HUD上のミサイルシーカーが「早く撃て」とばかりに明滅する。無論、逃してやるつもりは無い。発射。ノーマルのミサイルと異なり、機体から切り離されたミサイルはしばらく自由落下。数秒後、エンジンに点火して轟然と加速して俺の機体を追い越してあっという間に空の向こうへと見えなくなる。今頃敵機のコクピット内には警報が鳴り響いている頃だろう。見えないところからの攻撃ほど恐ろしいものは無い。そんな場合の回避策も勿論覚えてはいるが、万全というわけではないし、ほんの一瞬の判断ミスは死に直結する。そして今、その立場に置かれたのは前方の敵機だ。
「シュネー1より3、後方からミサイル!逃げろ、ブレーク、ブレーク!!」
「ミサイルが見えません!どっちに逃げれば……!」
敵の通信がブツッと途絶え、代わりに前方の空に火球が一つ出現する。レーダー上から、敵エース隊の機影がまた一つ消滅する。これで残るは隊長機のみ。
「やるな……我々シュネー隊をここまで追い詰めるとは、見事だよ。だが、せめておまえの首くらいはもらっていく、ウスティオの猟犬!」
敵機に撤退するつもりは全く無いらしい。俺たちから距離を取って反転した隊長機からレーダー照射。すぐに警報音は警告音に変わり、敵機からミサイルが放たれたことを知らされる。同時ではなく、時間差を付けられて発射されたミサイルが、それぞれ俺めがけて鎌首をもたげる。フットペダルを蹴飛ばして強引にバレルロール。圧倒的な速度で正面から突っ込んでくるミサイルの針路上から愛機を外すべく急制動。視界が何回転もして天地がひっくり返り、ミサイルの排気煙が次々と通り過ぎる。高速ですれ違った俺たちは、互いにインメルマルターン。再び互いを正面に捉える。今度はこちらからもミサイル発射。相手も同様にミサイル発射。互いの放ったミサイル同士が至近距離で交錯し、しかし獲物の姿を見失って双方迷走。程なくして、俺のミサイルの方は爆発して木っ端微塵になる。残弾はのこり僅か。燃料もだいぶ減っている。アフターバーナー使いっ放しというわけにもいかない。かといって燃料をケチって速度を落とすわけにも行かない。対して、俺たちよりも後から戦闘に突入した敵機にはまだ幾分か余裕があろう。アフターバーナーを焚いて俺よりも早く反転を終えた敵機が轟然とダッシュ。一気に俺との距離を縮めて接近する。一か八か、勝負どころ!愛機の機動性能と俺自身の身体を信頼して、無茶な機動をかける。8Gをかけて機首上げ、スナップアップ。視界は一気にブラックアウト。スロットルOFF、エアブレーキON、カナードを強制的に着陸時の位置へ。強烈なGに身体が翻弄され、胃袋がかき回される。上昇する力を失い、垂直に立ったまま急減速した俺の機体は、そのまま滑り落ちてひっくり返るようにして後ろから落ちていく。
「何だと!?」
機首がぐい、と下がり背面飛行状態のように水平に戻る。ミサイルシーカーがHUD上を滑り、敵の後姿をようやく捕捉することに成功する。まだ視界は充分に戻らず、HUDの映像までは確認できない。レーダーロックを告げる電子音がかろうじて耳に聞こえてきて、俺は反射的にトリガーを引いていた。中距離射程ミサイルの最後の2本を放ち、更なる追加攻撃のため、スロットルを思い切り押し込む。ようやく戻った視界に、ミサイルから逃れるべく回避機動を行うF-14Dの姿。敵機、バレルロールで初弾を回避しようと機体をロール。ようやく得たポジション、今度こそ渡してたまるか――心中でそう叫び、追撃。吐き気をもよおしてマスクの中に反吐を吐きたくなるのを堪えて操縦桿を手繰る。放ったミサイルのうち1本は回避されたが、2本目は無理な機動で速度を殺してしまった敵機の至近距離で炸裂した。F-14Dの垂直尾翼が一瞬にして消し飛び、エンジンにも満遍なく降り注いだ破片が敵の機体を引き裂く。黒煙と炎が機体から吹き出し、黒い気体を彩り始めた刹那、キャノピーが飛び、次いでパイロットたちが空へと打ち上げられた。
「すごい……こちらディンゴ1、ガルム1の敵エース隊長機撃墜を確認!」
「イヤッホー!やっぱりすごいや、ガルム隊は!背筋がぞくりとしたぜ!!」
"シュネー隊"と呼ばれていた敵エース隊の機影、なし。周辺空域にも敵影、なし。円卓の空にまだベルカ軍機は残っていたが、連合軍部隊から離れている者たちから次々に反転、ベルカ領内へと撤退を始めていた。どうやら、俺たちは何とかやれたらしい。ふう、とゆっくり、大きくため息を吐き出す。
「なんて奴だ……シュネー隊でもかなわないなんて」
「あいつ一人のせいで、完全に戦況が変わっちまった。悪魔だ。悪魔が乗っているんだ、アレには」
「そんな生易しいもんじゃない!悪魔の方がまだ可愛げがあるぜ!!」
俺はマスクの下で苦笑するしかなかった。全く、連中が悪魔だ化け物だと言ってる相手が、ようやく生き残れたことに安堵してため息を付いている――何てことを言ったとしても決して信じはしないだろう。彼らの中では、俺はベルカの兵士たちを無慈悲に食らう悪魔、或いは死をもたらす死神なのだから。
「……ああいうのはな、「鬼神」て言うんだよ」
誰かが、ぼそり、とそう呟いた。後にそれが、俺の呼び名に変わるとはこのとき思いもしなかった。もっとも、そんな暇も与えてもらえなかったという方が正解だろう。ベルカ軍の撤退が始まったことをイーグルアイや司令本部が伝えた瞬間、生き残った連合軍兵士たちの喜びが爆発したからだ。このときばかりは、国籍も階級も関係なく、まさに「円卓」の空のルールとおり、生き残った者が勝利を手にし、その日の喜びを手にした瞬間だったのだ。強敵との連続戦闘を強いられた俺たちにしても、ベルカの撤退は待ちに待った報告だった。無線越しに聞こえてくる歓声と音程外れの歌声、口笛、怒号、絶叫。それを耳にしたとき、俺はようやくこの日の勝利を手にしたことを実感した。これで、円卓からベルカは追い払われ、連合軍は一歩さらに駒を進めた。ベルカの領土は目前。この戦争も、ようやく終わりに近付いたと言っても良い。ベルカの強さの象徴だった「円卓」は、今ここに陥落したのだから。
ピクシーのF-15Cが、一度俺を追い抜いて減速。真横に位置を取る。キャノピーの向こうに、親指を立てた相棒の姿。こちらも指を立てて、それに応じる。勝利に浮かれているのは、俺も相棒も同じだったらしい。
「よう相棒、まだ生きてるか?」
「とりあえずペダルを蹴飛ばす足は健在みたいだ。基地に戻ったら確認してくれ」
――基地に戻った俺たちが、ヴァレーに帰還後、互いの足を蹴飛ばしあったのは言うまでもない。
円卓の空から舞い降りた場所は、当て所も無く真っ赤な岩場が続くだだっ広い空間。辺りに部下たちの姿も見えず、それどころか人の気配も無い。ただ、円卓を撫でていく風の音と、大空に聞こえる戦闘機たちの遠雷のような音だけが、聞こえてくる。パラシュートをそのままにして、ヒレンベランドは一度岩の上に寝転がった。疲労が全身に浸透し、気力までが萎えかけていた。万全の体制で臨んだはずが、この結末。部隊は全滅し、自分もこうして落とされ、円卓の大地の上に転がっている。――もう、潮時なのかな、俺も。敗北の二文字が、心の中を覆い尽くし、彼は目を閉じた。ある意味、戦闘機乗りたちの最高の舞台を墓標に出来れば、俺にとっては幸せなのかな――そんなことを考え始めたとき、頭上に再び轟音。何だよ、うるさいな――文句を言いかけて目を開いた彼は、ぎょっとした。自分の頭上をゆっくりと、悠然とフライパスしていったのは、紛れも無い、好敵手――先程まで戦っていた、ウスティオの猟犬のものだったのだ。萎えかけていた心に再び灯がともり、彼はゆっくりと立ち上がった。そう、パイロットが生還すれば大勝利――そんな基本的なことすら、彼は忘れかけていたことを恥じた。今、自分は立っている。生きているからには、またあの好敵手とも戦えるということだ!円卓の大地に転がったサバイバルキッドを引っつかみ、方位磁針で大まかな方角を確かめたヒレンベランドは、最寄の基地があるはずの方向へと歩き出した。身体は疲れ果てていたが、そんなことは言ってられない。一日も早く前線に復帰し、奴と戦うのだ。彼は、好敵手が去っていった空を見上げ、そして大声で叫んだ。
「楽しかったぜ、ウスティオの猟犬!!だが、今度笑うのは、この俺だ。覚えておけ、この野郎!!」