残された者たち


1995年6月6日。この日は、人類の歴史上、最も愚かな行為が行われた日として、人類の歴史が続く限り記録されるに違いない。俺たちの機体に発生した異常。遠方の空に見えた光と炎。そして、少なくともバルトライヒ山脈を越える前には無かったクレーターと燃え上がる山の木々。これだけの材料が揃えば、専門家でなくても気が付いただろう。核が使用されてしまったのだ、と。連合軍の指揮系統は大混乱に陥り、通信系統を寸断された部隊は狂気の突撃を敢行するベルカ軍と凄絶な消耗戦を繰り広げる羽目となった。だが、多大な損害を被るのは連合軍だけでなく、ただでさえ劣勢なベルカ軍は、各戦線で猛烈な殺戮劇を繰り広げた挙句、連合軍の砲火の下に消えていったのである。後に判明することだが、彼らの大半は、祖国に投下された核兵器が実はベルカ自身が使用したものであったことを知らず、連合軍が祖国を焼き払うために投下したと知らされていたのだった。故郷の家族、恋人、子供たち。それらを奪われた兵士たちが全軍死兵と化すのは容易いことだった。連合軍の兵士たちは、最初は怒りを以って、突撃するベルカ軍の兵士たちを迎え撃ち、敵の攻撃が止むたびに歓声を挙げた。だが、屍に屍を積み、全身を撃ち抜かれて大地に倒れながらも、絶命するその瞬間まで進もうとして果てる無数の兵士たちの姿を見て、歓声は悲鳴に代わり、そして嗚咽と泣き声に変化した。止めろ、もう止めてくれ!一体、どれだけの連合軍兵士たちがそう叫んだだろう。結局、敵の兵士たちが一人も残らず屍と化すまで、彼らは引き金を引くことを止められない。それは即ち、自らの死に繋がるからだ。戦争の大義も、理想も無く、そこにあるのは凄惨な生存競争のみとなっていた。

ヴァレーに帰還した俺たちは、整備の人間だけでなくスタッフ部門の人間たちと一緒に、基地の食堂へと集められた。ブリーフィングルームでは狭すぎるし、格納庫は戦闘機に占領されている。よって、一番広い空間と言えば、食堂しかないのだった。それでも、全員が座ることは出来ず、ガイアを中心にテーブルの上に陣取る奴まで出ている始末。俺は仲間たちが進める椅子を断り、司令官たちの席に近い柱に背中を預けて腕を組む。やがて、ウッドラント大佐と、マイク・スピーカーを手にしたイマハマ中佐がやってくる。基地のほとんどの面々がこうして一箇所に集められるのは極めて珍しいことだ。ざわざわ、という声はなかなか止まず、イマハマ中佐がスピーカーをハウリングさせたことでようやく辺りが静かになる。旦那め、わざとやりやがった。無表情に座っていたイマハマの旦那が、電源を入れたマイクをスピーカーに接触させるところを俺は見逃さなかった。
「狭いところに大勢集まってもらって申し訳ありません。ですが、今日出撃した第6師団が遭遇した事件、それから悲しむべきことですが、この基地から逃亡者が出てしまったという事実について知らせておかねばならない――そう思って、ここに集まってもらいました。……大佐、どうぞ」
マイクを受け取ったウッドラント大佐の表情もどこか優れない。数回咳払いをしてから、彼は口を開く。
「なるべく手短に済ませるつもりだが、各員、聞け。6月6日、即ち本日、バルトライヒに沿ったベルカ領内の都市において、核爆発が複数発生した。この結果、我々連合軍の指揮系統は完全に寸断され、各戦線で消耗戦が繰り広げられる戦況に陥っている。また、核兵器が投下された都市では一般市民を中心に甚大な被害が発生し、ベルカ国営放送の発表では1万人以上が即死したと発表されているが、実際の犠牲者はこれから更に増えるものと想定される。……ベルカには、やはり、核兵器があったのだ。彼らは、よりにもよって、自分たちの国に対して核爆弾を投下したんだ。別作戦で、よりバルトライヒの東側を飛んでいたエイジス隊――ガルダがこんな通信の傍受と録音に成功している。イマハマ中佐、頼む」
傍らで、イマハマの旦那がカセットレコーダーのスイッチを入れる。ガルダめ、こんなときでもしっかりと"仕事"をしていたか。
"核攻撃は連合軍によるものではない!核攻撃は、祖国の裏切者たちによる無差別攻撃だ!連合軍への反抗は無用だ!この通信を聞いた航空部隊はそのまま待機!決して離陸するな!!それよりも、各基地に接近する未確認機があれば、それを優先して撃墜せよ!IFFに反応しない機体こそ、私たちの祖国を滅亡させようとしている者たちの尖兵だ。全責任は、この私が負う!"
それは、自らの国を焼き払った者たちに対する怒りに満ちた、しかし冷静な怒りの声だった。
「内容からして、敵のAWACSのものと思われるが、繰り返しベルカの部隊に対して平文で、呼びかけていたそうだ。事実、ノルト・ベルカ本土の航空部隊がほとんど出撃しなかったことから考えても、この通信がベルカ本土に届いていた可能性も考えられる。――だが、いずれにせよ、この事実に気が付いたベルカ軍――スーデントール篭城軍の兵士たちはほとんどいなかったろう。あの爆発は連合軍の仕業だ、と焚き付けられた兵士たちがその後どんな行動にでるか、火を見るより明らかだ」
「確かにな。俺っちだってこんな状態になったら一人でも多く連合軍の兵士を殺してやる――そんな気分になるだろうさ。良かったな、シャーウッド。嬢ちゃん無事で」
「だからそこで何でオブライエン伍長が出てくるんです!?」
「いやいやいやいや、シャーウッド、さっきは随分心配してたじゃないか。"ヴァレーは本当に無事なんだろうか"……って」
「ジェームズ!!」
ジェーン嬢ちゃん、顔を赤くして俯いているが嬉しそうだ。全く、こいつらがいると意気消沈したムードが吹き飛んでいくようだ。相棒がいなくなって、隙間風が吹き抜けていく俺の心にも、その温もりが少し、入り込んできて、俺の胸の痛みを癒していく。
「ガイア!それにシャーウッド少尉!!……全く、狂犬に感化されるとは、何てことだ。我が祖国の優秀な若者が、こんなことに……」
「いえいえ、彼はもう少しほぐれた方がいいんですよ、大佐。いい傾向です。好意を寄せられていることに気が付く程度には、人間も出来てきたようですからねぇ」
イマハマ中佐は我が子を見るかのように、嬉しそうに何度も頷く。毒気を抜かれたウッドラント大佐が所在投げに視線を投げ、そして俺の視線と交錯する。彼はそこで、何ともいえない苦笑を浮かべる。
「……話が脱線したな。ま、そういう戦況だ。残念ながら、戦争はまだ終わっていない。連合軍の上層部たちめ、この第6師団に対してまた無理難題を押し付けてくる可能性もある。極力、私とイマハマ中佐で無茶な話は断るようにするが、整備半も含めて、いつ何時出撃がかかっても即応出来るようにしておいてくれ。それと、次の話だ。これを話すのは、正直辛い。だが、我々は知っておかねばならないことだ」
そこまで言って、ウッドラントの旦那はコップの水を一気に飲み干し、喉を潤す。隣にそっと歩いてきたナガハマ曹長が、俺の腕を突付いた。
訣別 「だいぶ堪えているみたいですね?」
「……まぁな。帰ってきたときよりは随分とましだが、こればかりは、結構堪える」
「サイファーは優しいですから……でも、正直俺たちも驚きましたよ。だって、いなくなったの、あの片羽の英雄ですからねぇ……。戦争って奴は人を狂わせるんだ、と今更ながら教えられましたよ」
「いや、あいつは狂っていない。全くの正気だったよ。ラリーはラリーのままだった。ただ、いつの間にか、俺とアイツの進む道は別れてしまったみたいだ……」
「サイファー……」
言い辛そうにしていたウッドラントの旦那が、ようやく口を開く。俺が今一番聞きたくない事実を、彼が告げる。
「片羽……いや、我々第6師団の一員でもあり、心強い仲間であった、ラリー・フォルクが消息を絶った。戦闘中、未確認機とコンタクトを取っていたことは確認されているが、その後の行方は皆目見当が付かない。生存しているかどうかも分からん。しかも、クロウ隊隊長、ローランド・シェイクリは片羽の手で撃墜されてしまった。……これでは、我々もベルカと同類だ。味方同士で殺しあうなど、あってはならないことなのだが……」
俺はふと気が付いた。ラリーがもし、俺の前に敵として現れるようなことがあったとしたら……俺たちは、かつては信じあった者同士で殺し合いをすることになる。相棒、本当に何があったんだ――。俺は目を閉じて首を振った。考えるだけでも辛いことが、この世の中にはあるということを、久しぶりに思い知らされたような気分だ。ウッドラントの旦那、すっかり言葉が続かなくなって、渋面を浮かべている。マイクを受け取ったイマハマが、交代する。やれやれ、大佐殿、後ろで鼻すすっていやがる。
「……ここからの戦いは、もう戦争では無いかもしれません。ですが、私にはこれで全てが終わるだろうとはとても思えないのです。……さて諸君、ここからはむしろ我々指揮官クラスのお願いになります。戦争終結は即ち、傭兵の皆さんの契約満了と同義となります。ですが、我々としては、あなた方にはもうしばらく留まって頂きたいのです。まぁ、ウスティオにはまともなパイロットがまだ育っておらず、新人たちの教育をしてもらいたいという別の要求もありますが……。最終的な結論は、終戦後に聞かせてください。引き止めることはしません。皆さんの判断に、お任せします」
「それはどういうことですか、イマハマ中佐?まだ戦争が続く……と?」
シャーウッドの問いかけに、幾人かの傭兵たちが頷いている。
「国同士の戦争は終わるかもしれません。でも、戦争というやつは必ずしも国と国で起こるわけではないんです。国の内部で戦争やってしまうときもありますし、実は少し気になる話も聞こえてきているんです。どうも、ベルカが残存兵力を温存しているという噂も一部はありましてね。果たして、連合軍の思い通りに世界が動くかどうか……その確証が得られるまでは、正直現有戦力を維持しておきたいんですよ。無論、超過勤務分の手当ては用意しますから、その点は安心して下さい」
「傭兵に新兵鍛えさせるとは、またとんでもないこと思いつくもんだな、アンタらも」
「いえいえ、これはなかなか刺激的な試みだと思うのですよ。だって、シャーウッド少尉は貴方の下で随分と育ってきたと思いますよ、ガイア。操縦技量もですが、人間的にもね。ここに来た当時とは別人のようです。だから、これを使わない手は無い、と考えたわけです」
「なるほど、俺たちは結局こき使われる、というわけか」
「その通りです。タダ働きさせてあげるほど、私は優しくありませんよ」
どっ、と食堂に笑い声が響き渡る。何しろこの人数だ。一つ笑いが起きればあっという間に大音響になる。なるほど、終戦後、か。一度は、ラフィーナたちの元に帰りたいと思う。だが、同時に、消息を絶った相棒のことも気がかりだった。もし、相棒を探すのであれば、手段が必要だ。空を飛ぶ、という手段が。俺たちと袂を別った相棒が何をしようとしているのか、それは分からない。ただ、相棒がもし敵として現れるのであれば、その時は俺の手で止めたい――相棒を止められなかった俺の、それがせめてもの償いなのではなかろうか?立ち止まってはいられない。ふと、そう思い当たった。そう、どんなに辛くとも、俺は立ち止まっている暇は無い。
「……さて、話は以上です。今日は、皆ゆっくり休んでください。この混乱では、そうそう出撃要請も来ないでしょう。最前線の兵士たちには申し訳ありませんが、明日の戦いに備えて休むことも我々の任務です。明日からは気持ちを切り替えて、任務に就いてください。では、解散!」
ざわざわ、と食堂に集った面々が立ち上がり、それぞれの寝床へと歩き出す。確かに、今日はとことん疲れた。いつもより、多めに睡眠を取っておいても良いだろう。人間気楽なもので、そんなことを考え始めると眠気がやってくる。大きく伸びをして、そして息を吐き出す。ゆっくりと目を開けると、隣でナガハマ曹長が指で作ったお猪口を啜ってみせる。親指を立てて応じると、ナガハマ曹長は「おすすめの酒があるんですよ、ライスで作ったいい酒がね」と小声で教えてくれた。10分後にハンガーで落ち合うことを約束して、三々五々、別れる。今日は、アルコールを共にするもいいだろうさ。時には、そんな時間も必要なのだから。今日は少し飲みすぎてもいいよな――俺は、普段なら酒瓶を取り上げて持っていってしまうラフィーナの姿を思い浮かべて、苦笑いした。相棒が去ってしまった隙間が埋まることは無い。だが、俺にはまだかけがえの無い人々が残っている。それだけでも、俺は幸せ者の部類に入るのかもしれなかった。
人気の絶えた食堂の片隅で、酒瓶を挟んで若者二人がグラスを傾けている。食堂の喧騒が静まったのを見計らって戻ってきたシャーウッドとジェームズの姿を、そこに見出すことが出来る。クロウ隊が臨時的にヴァレー基地滞在扱いとなって依頼、暇があれば彼らはある時はコーヒーを、ある時は酒をグラスに満たして語り合う時間を持つようになっていた。もっとも、それまで大して酒を飲んだことの無いシャーウッドは、限界が青天井のジェームズのペースに付いていけずに眠りこけてしまうことの方が多かったのだが。だが、この時は珍しく、シラフ同然で彼はグラスを傾けていた。
「それにしても、やっぱり辛いよなぁ。隊長が戦死したこともショックだけど、その攻撃を放ったのがあのピクシーで、しかも戦闘中に逃亡だろ。何だか頭の中がぐちゃぐちゃになってしまって、良く分からなくなってきた」
「それは僕も同じだよ。でも、ピクシーも何だか辛そうに感じた。どうして、こんなことになってしまったんだろう。最近、僕は何のために戦っているのか、分からなくなることがあるんだ。最初は簡単だった。ベルカに奪われた祖国を取り戻す――ただ、それだけのために戦っていたのに、連合軍と一体になってからは、そもそもこの戦争自体に何の意味があるんだろう……って思うようになった」
「この間のホフヌングなんか、最たるものさ。あれが戦争なんだろうけど、俺は許すことが出来ない。無差別攻撃を指示した連合軍も、自らの町を焼き払ったベルカも。結局、苦しむのは普通の人々なんだ、ってことにどうして誰も気が付かないんだろうな」
シャーウッドは頷きながら、今日4杯目のグラスを干す。普段なら視界が回っていても良い頃合だが、今日は全然酔いが回ってこない。やはり、今日の出来事が心を蝕んでいるからだろう。ジェームズが5杯目をグラスに注ぐ。礼を言って、再び満たされたグラスに口をつける。こんな気分のとき、酒は便利なんだな、とシャーウッドは初めて知った。少し酔いが回ったのか、ジェームズの顔が仄かに赤い。
「俺は平和のために戦っている。だから、世界の空で飛ぶ。――そのつもりだったんだけど、まだまだ俺は未熟なんだ、ってサイファーやピクシー、それにガイア隊長の背中を見ていて実感するよ。だから尚更、俺は彼らと共に戦いたいんだ。これから先、傭兵を続けていく上で、彼らから学ぶことはとても多いと思う。特に……サイファー。空席になった2番機の座、狙いたいね」
「……余計なことしか教えてくれない上官を持つと大変だけどね。でも、サイファーの後ろで、確かに飛んでみたい。彼に安心して背中を任せてもらえるようなエースに……僕はなってみたい。でも、そこに行くにはまだまだだから、僕は当分ガイア隊長の下にいるべきなんだ、と思う。きっと、ジェームズなら間違いなくサイファーの2番機は務まるよ。僕が保証する」
「へへ、ありがと、相棒」
ジェームズとシャーウッドは、互いのグラスを軽く触れさせる。キン、という甲高い音が、がらんとした食堂の中に響き渡る。少し酒臭くなってきた息を吐き出したジェームズは、不意に悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべる。
訣別 「何だ?どうしたんだ?」
「シャーウッド。相棒として聞くぞ。お前、本当にオブライエン嬢のことどう思っているんだ?」
「そう言うジェームズはどうなんだ。基地の面々が君を恨んでいるぞ。お耳の恋人を寝取られた、って」
「俺と彼女はラブラブだもの。昔から。いやー、まさか同じ基地になれるなんて思いもしなかったからなぁ」
ジェームズはだいぶ酔いが回ってきたらしく、しきりに長い髪を掻きながら、照れくさそうに笑ってグラスを傾ける。
「で、どうなんだよ、相棒。水臭いぞ、傍から見ていると、何かこう、むず痒くなってくるんだよ。はっきりしろよ、って。大体お前、バレバレだぞ。ほら、言ってみろってば」
シャーウッドは顔を真っ赤にして下を向く。照れ隠しにグラスを傾けてみるが、却って赤みが増していく。ジェームズは、ニヤリ、と笑ってそんな相棒の姿を眺めている。
「……嫌い、じゃないさ。いや、だからと言って好きってわけじゃなくてだな……いや、だからその……気には……なってるよ」
ガハハ、と大声で笑いながら立ち上がったジェームズは、ようやく本音を口に出した相棒の背中を思い切り引っ叩く。むせ返ったシャーウッドが抗議するが、いい加減に酔っ払った彼は聞く耳を持たない。全く、どうして自分の周りにはこういう与太話が大好きな連中が集まっているんだろう、とシャーウッドは本気でため息を付いた。ガイア隊長といい、ジェームズといい……もしかしたら、サイファーの若い頃もこうだったんだろうか?彼はそのことに思い当たった。僕も、同じようになるのかな――陽気にグラスを呷る相棒の姿を眺めながら、シャーウッドは笑った。まったく、本当に自分は傭兵たちに染まってきたらしい。でもこれは、自分にとってきっと好ましい変化なのだろう。イマハマ中佐も言っていたとおり、ここに来た当時の自分は、祖国奪還のため、それしか考えない復讐鬼みたいだったと思う。腕も人間も不十分なのに、無理やり背伸びしていたような――。今はどうだろう。正直、隊長たちの下世話な会話にはとても付いていけないが、彼らから学ぶことは非常に多いし、彼らと共に飛ぶことは楽しい。戦闘機乗りとして、彼らと出会えたことに今は感謝したいとさえ思っている。そして、こんな自分にでも好意を寄せてくれるオブライエン嬢の存在は、嬉しくないはずも無い。何しろあの性格だから戸惑うことも多々あるが。この戦争が終わったら――僕は一歩踏み出せるかもしれない。酔いの回ってきた心の中で、彼はそう呟いた。凄惨な戦いはまだまだ続くのだろうけど、こうして背中をまかせてもいい友人――いや、相棒を得られたことは、彼にとって喜ぶべきことなのだから。
穏やかな太陽の光が、木々の葉の合間から差し込んでくる。眩しい太陽の光に少し目を細めながら、ラフィーナは青く広がる大空を見上げた。とうとう自分の国に核兵器を投下してまで、進撃する連合軍を止めようとしたベルカという国。そして、その戦場の空に、彼女の良人がいる。これで本当に終わってくれればいいのだけれど、とラフィーナは呟いた。そうすれば、良人――レオンハルトはここに戻ってきて、いつもと変わらない平和な日常が戻ってくる。怠け者の権化と化す彼に家事を手伝わせるのは別の意味で大変なのだが、そんなことは些細な問題だ。家族が皆そろって毎日を過ごせること。そんなごくささやかな望みを適えるためには、戦争の終結を待つしかないのだった。戦況は連合軍の圧倒的有利と報じられているが、そんなときこそ最前線では思いもしない苦労が続くことを、何よりラフィーナ自身が知っていた。多大な戦果を挙げて腕がいいことが知れ渡ると、次々と無理難題を持ち込んでくる軍の上層部たち。その戦果を妬んで裏で策動する、前線を知らない軍人たち。レオンハルトは、そんな辛い思いをこれまでも何度も経験し、そして生き残ってきたのだ。今回も大丈夫だろう、とは思うものの、戦争がどう決着しようと関係ない。私のレオンハルトを無事に返してくれれば、後はどうでもいい――それが、彼女の本音だった。
「おかーさーん!手紙手紙ーっ!!おとうさんから手紙が届いたよーっ!!」
ルフェーニアが大声で手を振りながら駆け出してくる。庭の木陰のマットの上でようやく昼寝を始めたアリアが目を覚ましたら、とちらりと目をやるが、思った以上に図太いのか、眠気が勝ったのか、右側にぱたん、と寝返りを打つだけで、あとは寝息が聞こえてくる。その間にルフェーニアはラフィーナの元にたどり着き、やや厚めの封筒を差し出す。消印を確認し、少なくともその日までは確実に生きていることを確認して、軽くラフィーナはため息を付いた。まだ干し途中の洗濯物が残っていたが、一時中断して彼女はアリアの眠るマットの傍らに腰をおろす。背中から母親に抱きついたルフェーニアは、ラフィーナの右肩に顔を乗せる。ラフィーナはエプロンのポケットに差し込んであるペーパーナイフで封筒の端を裂き、そして便箋と何枚かの写真を取り出した。本当は、急いで文面を見たい心を堪えて、ゆっくりと開く。それはまぎれもなきレオンハルトからの手紙。娘たち宛の手紙と、自分宛の手紙と分けられていて、ルフェーニアたちに宛てた方は子供用の便箋にわざわざ書いてある。この便箋を取り寄せる羽目になった酒保の担当も可哀想に、と彼女は苦笑した。
「ねぇねぇ、何書いてあるの?おとうさん、元気なの?」
「大丈夫よ、ルフェーニア。お父さん、ぴんぴんしているわ」
久しぶりの手紙は、いつもよりも少し長めに、そして考えられる検閲などにも引っかからない程度に戦況のことも書いてある。ラフィーナの心配とおり、連合軍上層部はヴァレー基地の航空部隊をいい様にこき使っているようで、レオンハルトがまたも戦争の汚い面を見せられていることに悲しくなった。しかし、読み進めていくうちに彼が綴った一文。"この戦争をより早く終結させ、連合軍の兵士も、ベルカ軍の兵士も、少しでも多く、少しでも早く故郷で待つ人々の元へ帰れるように……そのために、俺は戦う"……その言葉は、少なくとも戦いに臨む前の彼は一言も口にしなかったことだ、と気が付く。自分の過去にケリを付けるため――そればかりを口にして、いつもよりも気負って旅立っていったレオンハルトが、ようやく本来の姿に戻りつつあることに彼女は安堵した。こうなったときの良人は、誰よりも強い。そして、その後姿に多くの人間が動かされるのだ。私も、その背中に惚れた一人だったわね――大空の向こうを飛ぶ良人に、彼女はそっと語りかける。そして、本人は知らなかっただろうが、競争相手の多さにためらっていた彼女の背中を押した"恩人"も、ヴァレーにはいる。あの陽気な傭兵は、きっとジョークばかりを飛ばしながら、レオンハルトたちをささえてくれているはずだ。
訣別 手紙の文面の向こうにレオンハルトの声を聞きながら、手紙の終わりにたどり着く。"全部の戦いが終わったら、皆でしばらくバカンスに行きたいな。そこで、これからのことをゆっくりと考えたいし、身体と心をゆっくりと休めたい。その時間が、少しでも早く来るように、俺は飛ぶよ"――やれやれ、そろそろ怠け者の本性が出てきたわね、とラフイーナは苦笑を浮かべる。長期間のバカンスをして、その後レオンハルトが次の戦場へ行かなくとも、ノヴォトニー家の家計が傾くことは決して無い。いざとなれば、森や山の中に食料は眠っているし……子供たちには食べさせられないが。手紙を読み終えた彼女は、封筒の中に同封されていた何枚かの写真を広げる。F-15の改良型らしい機体の前で、整備班や他の傭兵たちと一緒に、笑っている良人の姿が、そこにある。
「ねぇおかあさん、おとうさん元気なの?何て書いてきたの?」
肩に顔を乗せたルフェーニアが頬を思い切り膨らませている。その頭を軽く撫でてやると、膨れ顔もどこへやら、にんまり笑って頬を母親の頬へとすりつける。
「大丈夫よ。お仕事が終わって戻ってきたら、みんなでバカンスに行こう、だって」
「ばかんす?えーと、皆でおでかけするということ?」
「そうよ。暖かい南の島でのんびりなんてのもいいわねぇ。お星様がとてもきれいに見えるわよ」
「ほんと!!わー、楽しみだなぁ。おとうさん、早く帰ってこないかなぁ」
本当に、無事に戻ってきて欲しい。娘に笑顔で応じながら、ラフィーナはそう呟いた。そして、照れ隠しのように写真を娘に手渡す。
「でも、バカンスの前にお父さん、3時間はお帰り禁止ね」
「ええーっ!?どうして?」
「写真をよく御覧なさい」
そこには、相変わらず無精髭を伸ばしたままの、良人の笑い顔があった。

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