終戦、その後


ルーメン終戦協定の表向きの中身は、翌日の新聞やニュース番組、ゴシップを含めた様々なメディアを数日間に渡って賑わし、人々は「強きベルカ」を支え続けた軍事力の大規模削減を歓迎した。そして、それを実現した政治家たちを褒め称えたのである。だが、それは表向きの話。戦争が終われば、勝利国の間で駆け引きが始まるのが常である。それは、勝利したことによって得られた、分け前の配分だ。戦場はベルカ周辺諸国の国土から、国際会議のテーブル上へと移った。メディアが戦勝キャンペーンを張っている裏側で、戦勝国同士が互いの分け前を求めて鋭く対立していたのである。その具体的な中身が公表されることは恐らく無いだろうが、予想通りというべきか、大工業都市スーデントールを含む南ベルカ地区については、"ノース・オーシア州"という新たな名前を与えられ、オーシアの領土に組み込まれることになった。さらに、ベルカの支払う相当額の戦争賠償金についても、半分はオーシアに。残り半分は連合軍の諸国に、という配分が決定される。オーシアに一方的なこの会議の結果に満足したのは、オーシアただ一人であったろう。ベルカという敵を目前にして団結していたはずの連合軍諸国は、早くも新たな対立の芽を互いに育て始める結果となったのである。

そして、この国際会議では、俺たち傭兵の処遇についても話し合われていた。むしろ、俺たちにしてみればこちらの方が重要課題であった。この戦争において、空軍兵力だけでなく、陸上戦力においても数多くの傭兵を動員していた連合軍だったが、特にオーシアを筆頭にその事実を隠蔽したがったのだ。この戦争は、あくまで自分たちで勝ち取ったものであり、金次第でどちらの側にも着くような傭兵に頼って得たものではない、というわけだ。さらに悪いことに、彼らはホフヌング焼き討ちのような決して表向きに出来ない行為の数々を俺たち傭兵に押し付けようとしたのだという。だがこれにサピンと何よりウスティオが猛烈に反発した。両国共に正規部隊が壊滅して傭兵に頼らざるを得なかった背景もあるが、それ故に俺たちのことを大国オーシアよりは遥かに良く分かっていること、そして大国たちがそのような手段に出てくることを事前に予期して、イマハマ中佐などが色々な面で策動していたことが、結果として功を奏した。そのうちの一つが、戦争終結後も引き続き俺たちをウスティオ空軍再建のために継続雇用、新兵たちの教官とするアイデアだ。開戦直後に大半の正規兵を失ったウスティオ空軍は、その後の戦闘によってシャーウッドのような幸運な例を除けば、事実上ベテランを完全に失う羽目となっていた。よって、新兵を訓練しようにも教えられる面子が存在しないのであった。オーシアもそれを理解して、軍事顧問派遣の名目でウスティオ軍自体をオーシアの付随機関化したかったのだろうが、幸いウスティオには軍事顧問など呼ばなくても充分役に立つ兵士たちがいた。それが即ち、俺たち傭兵というわけだ。……傭兵に新兵を鍛えさせるなど、ある意味前代未聞の話であるが、この提案をウスティオ政府は快諾している。それには、もう一つ、表立って口に出せない理由がウスティオにはある。そもそも、ベルカが戦争に打って出た背景には、豊富な鉱産資源を有するベルカ領土を併呑しようとするオーシアの大国主義と、経済的策謀が存在する。結果、戦争に追い込まれたベルカは国土と兵力の大半を失い、弱体化して北の谷へと追いやられた。目前の敵がいなくなった今、次に狙われるのは――そう、ベルカの先に広がる独立諸国の資源。ウスティオ政府は、俺たち傭兵を教官職として雇う一方で、オーシアに突き付けるナイフ代わりに俺たちを使うことが出来るというわけだ。ま、多くの傭兵たちはオーシアのやり方を快くは思っていないし、万一そんな事態が訪れれば、ウスティオの側に付く者も多いだろうが。

連合軍の勝利に少なからず貢献しているサピン・ウスティオ両国の反発に、オーシアは不承不承ながら譲歩せざるを得なくなる。所属国を問わず、戦勝報奨金を支払うこと、連合軍司令部の命令によって行われた犯罪行為の罪は問わないこと、退役を希望する者に対し戦争犯罪の罪を問わないこと……エトセトラ。"連合軍傭兵部隊の処遇に関する国際協定"なる大層な名前の協定が調印され、俺たちは戦争の貢献者から一転犯罪者扱いされる危機を回避したというわけである。もっとも、オーシアはサピン・ウスティオの国境線に近い航空基地に最新鋭機を中心とした精鋭部隊を配置することによって、ささやかな抵抗と嫌がらせを行動に移すことになる。それにしても、何と言う皮肉だろう。ベルカの手によって侵略された国境線は、終戦によって平和を取り戻し安定したはずなのに、現実は異なる。大国オーシアとの間に潜在的対立を残し、安定したはずの国境線は暗黙の緊張状態に置かれてしまったのだから。全く、何のために戦争を終わらせたのか。その呆れるばかりの戦後交渉に嫌気がさして、大陸を去っていった傭兵たちも少なくなかった。特に、オーシア軍に属していた傭兵たちは、他国に比べて処遇が悪かったせいもあるのだろう。戦後残された傭兵団はごく僅かであり、その傭兵たちも僻地の守備隊などに回される有様だった。――そんな中、俺たちも耳を疑うような事態が続く。ウスティオだけではない。サピン、オーシア、ベルカ、それにユークトバニアも含め、多くの兵士が消息を絶つという不可思議な事件の連発だ。ヴァレー基地とて例外ではない。パトロールに出た連中がそのまま帰投しなかったり、ある日基地から忽然と姿を消したり。結果として、相当数の人間が蒸発しているにもかかわらず、その行方をくらませていったのである。まさかそれが、後日の災厄につながっていようとは、戦争の終結を信じていない俺たちであっても予想の範囲外だったのである。
傭兵の巣窟だったヴァレー基地の滑走路上を、新兵たちが列を揃えて走っていく。ガイアが嬉しそうに自転車に乗り、その後ろからメガホン片手に怒鳴りつける。背後から雷を浴びせられた若者たちが、走るペースを上げ、必死に足を振り出しながら、焼けたアスファルトの上をダッシュする。そんな光景を整備班の連中が面白そうに見守っている。ほんの少し前まで、連日のように戦闘出撃が続いていたヴァレー基地も、すっかりと平和になり、哨戒出撃する戦闘機以外は、アラートハンガーの中で待機という日々を送っている。傭兵部隊も再編され、ヴァレーに残った者もいれば、ヴァレー以外の航空基地の教官として赴任していった者もいる。或いは、ウスティオを去り、他の戦地へと向かった者もいた。ヴァレーから去る傭兵たちの送別会は、それはまた狂乱の宴とも言って良い事態となった。翌日、二日酔いでふらついているところを、オブライエン伍長にバケツで水を浴びせられ、強制的に見送りに立たされたシャーウッドに対し、傭兵たちは口々に別れの言葉を残していった。"また、いつか一緒に飛べる日がくるといいな"、"ジェーン嬢ちゃんを大切にな"、"もう一端だな、坊や。頑張れよ"……目を閉じれば、そんな傭兵たちの言葉を彼は思い出すことが出来た。ここに来た当時は、祖国の奪還しか考えられず、とんがっていた彼を、傭兵たちはそれぞれの視点で見守ってくれていたのだ、と気が付くことが出来るようになったのも、共に戦い、多少なりは傭兵のことを理解したからだろうし、何より尊敬に値する男たちが傭兵の中にはいたのだ。今やヴァレー基地最強の戦闘機乗りであるサイファー、行方の知れないピクシー、そしてマッドブル・ガイア。彼らと出会わない場合の自分を思い描くとき、シャーウッドはそのイメージを想像することが出来なかった。恐らく、自分はもっと早く死んでいただろう、と彼は納得している。
「あら、中尉もこんなところで暇つぶし?」
後ろから声をかけられ、慌てて滑走路端から飛び上がると、セシリー・レクターが微笑を浮かべて立っていた。図星だったので、頭を掻きながらシャーウッドは額の汗を拭う。セシリーにしてみれば、彼のそんな挙動自体が、信じがたい変化なのだった。あの堅物が、こうまで変わるとはねぇ、と心の中で呟く。
「図星過ぎて、言い訳のしようも無い。面目ない」
「いいじゃないですか、少しくらい。とりあえず、ピリピリ緊張して戦闘出撃に備えるような事態は、今のところ発生もしていませんし、何より開店休業中。こういう時くらい、羽を伸ばすのも必要ですよ」
「君もガイア隊長と同じ事を言うんだねぇ。……ま、あの人は戦争中でも羽を伸ばしまくっていたけど」
「いいえ、ガイア隊長はあれで結構忙しかったんですよ。確かに、夜中のことは色々ありますし、それだけは中尉には見習って欲しくはありませんけどね」
ガイアの嬉しそうな叫び声が滑走路の向こうから聞こえてくる。どうやら、彼のシゴキに耐えられず、嘔吐した奴がいたらしい。新兵全員揃って、腕立て伏せをやらされている。熱いアスファルトの上で。
「飛ぶ前に全員脱落しなければいいが」
「大丈夫ですよ。だって、天下一の堅物をここまで成長させてしまうんですから。いつかきっと、ウスティオの空を支える人材として、飛び立っていってくれますよ」
「堅物で悪かったね、堅物で」
ヴァレーに配属された新兵たちは、きっと祖国解放の英雄たちと出会えることに喜んだに違いない。が、待っていたのは見かけから既に鬼のガイアだったのだ。それでも不満を爆発させず、巧みにコントロールしているのは、ガイアの人間の為せる業なのだろう。自分など、まだまだその器ではないことをシャーウッドは知っていた。事実、ほとんど歳の変わらない彼を上官として認めようとしない新兵たちは少なくなかった。食堂であからさまに彼を挑発しようとした新米は、その場でガイアの鉄拳を浴びて医務室送りとなった。
"飛べもしないヒヨッコの分際で、俺のかわいい2番機を侮辱するなんざ1万年早ぇんだよ、ボケが!!"
それ以来、シャーウッドを見る目はすっかりと変わってしまった。どうやら、ウスティオの正規軍人ではなく、恐ろしい傭兵たちの一員と認定されたようで、それが寂しくもあり、嬉しくもあるのが今のシャーウッドの微妙な立場だった。
「そういえば、サイファー、今頃は家族と一緒にバカンスかしら?」
「予定は特に聞いていないけれど、家族の元に戻ったら、しばらくは暖かい島国でのんびりするつもりだ――とは言っていたね。まだしばらく、ここには戻ってこないよ。でも、すごい人だと、最近本当に思う。あの人の背中を見て飛べるのは、きっと何より幸運なことなんだと思う。……君はどうするんだい、休暇」
「中尉、聞くだけ野暮、という言葉、もう少し認識された方が良いですわよ」
シャーウッドは相棒の鼻の下が伸びた笑い顔を思い出し、赤面した。確かに、聞くだけ野暮な話だ。色んなところから旅行のパンフレットを取り寄せた相棒が、旅行会社に繋がる回線が無いことに気が付いて落胆している姿を、彼は見ていたのだから。やっぱり、自分はまだまだ青二才なのだ、と思い知らされる。その点、ジェームズから学ぶことも多い。彼の気の使い方、女性との接し方をもう少し学べたら、きっと自分ももう少し、接し方を変えられるのだろう。シャーウッドは、金髪のポニーテールを思い浮かべて、ため息を付いた。恐らく、考えていることは互いに同じなのだと思う。それは事実だろう。だが、彼は何をどう切り出せばよいのか、それが分からなかった。頭の中で考えて空転しているくらいなら、行動に移ったほうが良いのは分かっている。分かっているが、行動に移ろうとすると心が挫ける。それの繰り返しだ。最近、何となくムッとした顔をされるのは、自分のせいだと言うのも何となく分かる。――そんなシャーウッドの様子を見ていたセシリーは、たまらず笑い出す。シャーウッドとほとんど変わらないリアクションを、彼女は先ほど見たばかりなのだから。
「中尉、休暇を取っても行き場の無い女の子をエスコートするのも、上官の務めですよ。ヴァレーで燻っているくらいなら、思い切って羽を伸ばしなさいな。ジェーンのことだから、素直じゃないでしょうけど、きっと喜んでくれますよ。だって、どこかの堅物が気になって仕方ないんだから、あの子は」
「分からないんだ。どこに出かけたら、彼女が喜んでくれるのか、とか」
セシリーは笑いながら、人差し指をシャーウッドの額に当てた。
「少しは自分でやってみなさいな、シャーウッド中尉。恋愛沙汰にお手本も教科書も無いんですから」

散々けしかけられたシャーウッドが一大決心をして休暇を取得するまでにはさらに一悶着ある。セシリーにそんなつもりは無かったのだが、滑走路上で楽しげに話す二人の姿を、整備兵たちが脚色して話を広めたためである。悄然として部屋にひきこもってしまったジェームズの誤解を解くのに数時間、さらにはJAS-39Cのコクピットの中に立て篭もってしまったジェーンを引きずり出すのに数時間。話を聞いてもらうまでに、数日。そんな彼を、基地の大人たちは見守っていた。
「なかなかいい傾向じゃないですか。あのシャーウッド坊やが、あれだけ他人に気を使えるようになるとは、驚きです」
「ま、ここまで変わるとは思いもしませんでしたが、素材はいいですからな。それに、性分でね。不器用な若い奴を見ていると、無性にくっ付けたくなるんですよ」
「サイファーのように?」
アラートハンガーの前でばったりと出くわし、踵を返して早足で歩き始めたジェーン・オブライエンを引き止めようと腕を伸ばし、したたかにスパンクを喰らったシャーウッドを、彼らはたまたま目撃していたのだった。必然的に、彼は男たちの酒の肴となる。
「ま、似たようなもんですな、確かに。でもね、中佐。気に入った奴を幸せにしてやろう、と思うのは人間として当然だと俺は思うんでさぁ。俺の引退前の、最後の一仕事ですよ。シャーウッドを一端にするのがね」
「じゃ、まだまだ頑張ってもらわないとね」
このときのガイアの笑い顔を、イマハマは生涯忘れることが出来なかった。全く、傭兵を見下すような風潮がどれだけ間違っているのか、こればかりは実際に接した人間でなくては分かるまい。ガイアのその笑顔は、まるで子供の成長を喜ぶ父親そのものだったのだから。
なんてことだ。なつかしの我が家にたどり着き、鍵を取り出したまでは良かった。が、その鍵が入らない。明らかに真新しい鍵に取り替えられた我が家のドアは硬く閉ざされ、インタフォンはご丁寧にソケットが外されているのか反応しない。早い話が、締め出された、というわけだ。それも、自分の家の前で。朝イチで髭を剃った顎を撫でつつ、何を怒っているのだろう、と俺は考えてみる。ルフェーニアへの土産は途中ソーリス・オルトゥスに立ち寄って買ってきたし、ラフィーナへのプレゼントも買った。そろそろケーキくらいは食べられるだろう、とアリアには街のケーキ屋でシフォンケーキを買って、まるで旅行帰りの父親よろしく戻ってきたというのに……。途方に暮れて、俺はドアに背を向けて座り込んだ。向かいの若夫婦が、締め出されている俺に気が付いて声をかけてくる。大変ですねぇ、と言われてしまうと、俺としても立場が無い。しばらくの間、山の上のどちらかといえば涼しい気候に慣れていたから、正直この季節の蒸し暑さは堪える。もう、夏が目の前に迫っているのだ、ということを改めて認識させられたし、戦地に向かってからもうそんなに時間が経ったのだ、と初めて気が付く。オーシア大陸から遠く離れたこの地では、あの大陸の戦争も遠い世界の出来事でしかなかった。新聞やニュースで戦争のことを勿論人々は知っているだろう。だが、それはニュースというメディアが報じる戦争のひとコマでしかない。この地とて、戦争と無縁かと言えば必ずしもそうではない。だが少なくとも、この地の人々は平和に生きる術を知っている。それは本当は簡単なことなのに、人はどうしてそれを難しく、ややこしくしてしまうのだろう。
俺は目を閉じて、数ヶ月間の戦いを思い出してみた。背中を預けられる最高の相棒との出会い。そして気の良い傭兵たちと共に飛んだ空。戦場で出会ったエースたちとの、命を賭した、だが血が騒ぐ戦い。凄惨な戦争の現実。相棒との別れ。そしてかつての祖国の衰亡と終戦。自分の過去とのケリは、多分ついたのだと思う。まさか、戦場で過去の因縁とも言うべき男と出会うことになろうとは考えもしなかったが、少なくとも少し前のように、ベルカの血が流れる自分の身体を忌まわしく思うことはなくなった。そのせいか、昔の夢を見ることも確かに少なくなったのだ。この戦争を早く終わらせるため――それは、自分に言い聞かせた言い訳なのかもしれなかったが、今の俺は過去との決別のために戦っているわけではなかった。気心の知れた傭兵たち、そして若者たち、ヴァレー基地の面々、それに、ディレクタス解放に立ち上がった無数の人々。彼らが無事に明日を迎えられるように、そのために戦っている。これまでの俺は、どちらかといえば過去と向き合って戦場に臨んできたと思う。それが、ようやく過去ではなく明日と向き合うようになれたのは、皮肉にも過去の牙城となる古い祖国とようやく真正面から向き合う気になったからだろう。本当は、怖かったのだ。かつて自分を追い出した祖国に対し、憎しみと恨みだけで戦場に臨んでしまうことが。そうならずに済んだのは、仲間たちのおかげであろうと思う。おかげで、俺は一つ、自分の気持ちにケリを付けることが出来た。その代わり、この戦いのケリは、未だに付けられていない。そう、俺たちの前から姿を消したラリー・フォルク――相棒は、どこかで必ず生きている。そして、奴自身の戦う理由のために、いつの日か俺たちの前に姿を現すに違いない。そのとき、ラリーを止めるのは自分でありたい。だから、相棒との決着の日まで、俺の戦いは終わらない。そのためにも、俺はウスティオに戻る決心を既にしていた。幸い、イマハマの旦那からは復帰時期の判断は任されている。休暇中の報酬は無論手に入ることは無いが、ウスティオの、ヴァレーの一員としての契約は今尚有効だ。相棒とどこかの空でケリを付けるためには、戦闘機を操れるポジションが必要なのだから――。
いつの間にか、俺は玄関前で舟をこいでいたらしい。背中にぬくもりと柔らかさを感じて、ようやく目が覚める。後から手が回りこんできて、背後から俺は抱き締められていた。相手が誰かなど、確かめる必要も無い。
訣別 「お帰りなさい、レオンハルト」
「2時間遅いよ」
「1時間、まけてあげたのよ、これでも。今日は髭を剃っているから、少しだけご褒美」
「あのなぁ……」
俺は少し首を傾けて、ラフィーナの頬に自分の顔を乗せた。久しぶりの、けれども、いつものぬくもりが暖かい。さらに腕を伸ばして、彼女の髪に触れる。ふんわりとした手触りが、何だかとても心地良かった。
「とりあえず、昔の……過去とはケリが付いたよ。でも、この戦いのケリは付いていない。だから、また戻ろうと思っている」
「そうなんだ。でも、ゆっくりできるんでしょ?」
「ああ。復帰の時期は俺の判断で構わない、とさ。少し、のんびり出来るところにでも滞在しないか?」
「南の島でバカンスね」
「悪くない。それでいこう」
後ろから回された手に力が少し増す。俺の頬に、ラフィーナの唇が軽く触れる。戦場から帰ってきた俺への、ささやかなプレゼント。ささやかな儀式。俺の無事を確かめると、ラフィーナはいつも頬にキスをする。俺が亡霊やその類でないことを確認して、安心するかのように。もうしばらくそうしていたかったが、さすがに玄関前でいつまでもじゃれあっているわけにはいかない。アリアに買ってきたシフォンケーキをラフィーナに手渡し、ようやく開けてもらえた天の岩戸の中へと足を踏み入れる。どたどたどたどた、と走ってくる音。その後ろを、もう少し軽いばたばたばた、という音が聞こえてくる。
「おとーさん、お帰りなさーい!!」
「とーたん、とーたん」
ルフェーニアが玄関からジャンプして飛びつき、次いでアリアが玄関から足を踏み外して顔面から床へと転落する。ぴぎゃああああ、と泣き出したアリアをラフィーナが抱き上げる。ルフェーニアが顔を俺の胸元にこすり付け、にっこりと笑ってみせる。――ああ、俺は帰ってこられたんだ。愛する家族の元へ。ようやく、実感が胸へと湧いてきた。また、ヴァレーへ戻ると決めた以上、再び戦場へと臨むこともあるかもしれない。だが、そのときまで、この温もり、この光景を覚えていられるように、しばらくの間はのんびり、充電をすることにしよう。俺の帰りを待ってくれていた家族たちのためにも。アリアを抱き上げたラフィーナが、微笑みながら、もう一度、口を開く。
「お帰りなさい、あなた」
俺が見たかった笑顔が、今、俺の目の前に並んでいる。今はただ、家族の元に戻ることが出来たことを素直に喜ぶことにしよう。
「ただいま、みんな」

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