動き始める策謀


白い雲を眼下に見下ろし、青空に細く白いエッジを刻みながら戦闘機が行く。一方の羽を赤く染めたF-15Cと灰色の前進翼――S-32の2機は、バルトライヒの山々を遠くに臨みながらベルカの空を舞っているのだった。皮肉なことに、新生ベルカ政権を承認した連合軍は、制圧した地であるはずのベルカ領内における軍事活動を建前上出来なくなり、散々撃ち減らされた挙句、再編された新生ベルカ軍――後の国防軍――を国土の防衛に当てるしかない、という事態を招いたのである。だが、戦力的には微々たるものでしかない軍に全土を掌握する実力など存在せず、さらには組織の協力者たちの有形無形の策謀が張り巡らされた結果、彼ら――ラリー・フォルクやハイライン・ロッテンバークたちの存在は、ベルカ軍の勢力が回復するまでの期間、暗黙の了解で認められるような状況になっていたのである。
「ユーミル2より1、エリア44L、異常見られません」
「……みたいだな。まぁ、連合の奴らも軍事行動を起こすようなネタもないだろうからな。とはいえ、薄々俺たちの動きに気が付き始めた連中もいるようだ。上も含めて、良く確認するんだ」
「了解」
久しぶりの元・愛機のコクピットの中はやはり心地よい。ただ、彼の右翼前方に、かつての相棒の姿は無い。既に相棒――レオンハルト・ラル・ノヴォトニーとの道は別たれ、恐らく再び出会うときは真正面から、即ち、敵同士として戦うことになるだろう。そのとき、あの「鬼神」に勝てるのか?戦争の間、ずっと後ろから見てきた男の姿をラリーは思い浮かべるたびに、そう簡単にはいかないだろう、という結論に至る。仮に、今整備中のあの機体で立ち向かったとしても、だ。現存する様々な戦闘機の性能を軽く凌駕するだけの性能と装備を持ったあの機体でさえ、サイファーと彼の操る機体に勝利するには万全とは言えないのだ。事実、先の戦争において、相棒は何度も窮地を脱し、逆にベルカのエースたちをその牙で噛み砕いてきたのだ。戦場全体を見渡す広い視野、決して諦めない精神力、激しい戦闘機動に耐え抜くバイタリティ――まさに、戦闘機乗りとして生まれてきたような男。きっと、伝説の戦乙女に選定される戦士たちというのは、相棒のような連中なのだろう。そんな男を同志として迎えられなかったことは残念だが、敵に回るのならば、倒すしかないのだった。組織の掲げる理念に同調し、各国から腕利きのエースも参加し、傭兵たちも次々と集まってきている。発足当時に比べると格段に戦力は増強され、様々な裏ルートからの支援を受けて、今や彼らの戦力は相当なものになりつつあったのだ。
「ユーミル1より2、その機体の乗り心地はどうだ?前のMig-31に比べれば随分と小回りが効くようになったんじゃないのか?」
「試作機だけあって、旋回性能は抜群だと思いますが、安定性には欠ける点が難点か……と。ただ、戦闘機動時の運動性には文句なしです」
「俺や鬼神と渡り合う自信はあるか?」
「……残念ながら」
随分と素直になったものだ――苦笑しながらレーダーに視線を移したラリーは、そこに味方のものではない反応を見出した。久しぶりに見る、敵IFF反応を示す光点。肉眼での確認は出来ないが、どうやら北から進入していたらしい連合軍の機影が高度を下げて彼らの前に迫りつつあった。
「ユーミル2、先行して肉眼で確認しろ。あの高度から降下してくるとなると、U-2とか、その辺りだろう。仮にU-2だとして、こんな高度まであの偵察機が下りてきていること自体がおかしな話だが、必要なら撃墜する」
「先行して肉眼で確認、了解!」
ロッテンバークのS-32が独特の形状を持つ機体後部からアフターバーナーの炎を煌かせ、ラリー機を追い越していく。彼らの真正面から接近するU-2はそれでも彼らよりも上空に位置していたが、十分戦闘機が上がれる高度まで降下している。この好機を逃す手は無かった。それにしても、U-2とはな――ラリーはこの偵察機の目的を大体察知している。この特殊な偵察機を所有している空軍など数は知れている。大国オーシアか、空軍力に金をかけているウスティオ、西の大国ユークトバニア、そんなとこだろう。だがウスティオは先の戦争で疲弊した戦力の回復が急務であるし、ユークトバニアはそもそもベルカの真上を調べる道理が無い。残るは、オーシアだ。連合軍の長として、一方的に南ベルカを併呑し、大工業都市スーデントールをも手に入れた、あの大国。建前上、終わった戦争に対する手出しは出来なくなったが、あれだけの軍隊だ。中には切れる奴もいるし、頭の良い連中も多い。ベルカ戦争自体は終結したとしても、まだ全ては終わっていない――その事実に気が付いている連中がいる証が、あの偵察機というわけだろう。ならば、帰らせてやる道理は無いな――ラリーは、偵察機の「処分」を決意し、搭載兵装のセーフティを解除した。レーダー上、ロッテンバーク機の光点が、敵の機影へと重なる。
「ユーミル2より1へ、敵機を捕捉。尾翼にオーシア軍の記章を確認!主翼及び機体後部に被弾痕を確認。SAMによる攻撃を受けたものと想定されます」
「方角から考えて、俺たちの巣を探りに来た奴らしいな。逃がしてやる必要はない、か」
「結構な損傷が見られますが、救難信号の類は発していない模様です」
「建前上出来ないのさ。戦争が終わっているのに偵察機をベルカの上に飛ばしているなどと知れたら、世界中のマスコミがオーシアを吊るし上げるだろうからな。ま、そういう連中がのさばっているからこそ、俺たちの戦いの意義があるのも事実だが。――俺がやる。ユーミル2、そのまま現状を維持せよ」
「了解」
ラリーはスロットルを押し込み、愛機を加速させる。目標との彼我距離が縮まり、鼻先へと迫ってくる。機体を損傷している影響もあるのだろう、目標機に針路変更の様子は見られない。本国――オーシアへの最短経路に乗せて、最寄の基地へと緊急着陸するつもりなのだろうが、そうはうまくいくものか――やがて肉眼で機影を確認出来る距離まで近づく。先行する1機は薄煙を引きながら、その後方にぴたりと付けてロッテンバークのS-32が続く。操縦桿を引き、捻り込むようにして反転したラリーは、目標機の右翼に占位した。紛れも無く、オーシアのU-2。コクピットの中で、パイロットがちらりとこちらを向く。が、再び視線を前方に戻すとその後はもう横を見ることなかった。・・・…覚悟は出来ているということか、とラリーは諒解する。陸軍の特殊部隊などのように、任務失敗時における対応――この場合は自決だが――を明確に定めている部隊は現実として存在する。このパイロットの所属する部隊も、そんな組織の一つなのかもしれない。ただ、目前に迫る死を認識しながらも命乞いをせず、回線を開くこともせず、任務に忠実であろうとする兵士の姿は興味を引く。ラリーは回線をオープンにセットした。
「こちらユーミル1、貴機は完全に我々の攻撃射程内にある。無駄な抵抗を止め、我々の誘導する地点に着陸せよ。了解ならギアダウンし、回線を開け。さもなくば、貴機の安全は保障しない」
返信は期待出来ないだろうな、とラリーは考えていたが、ほとんど間を置かずに返信。
「ピーピングトムよりユーミル1。いや、ガルム2。何故貴機がベルカ上空を飛んでいる?ウスティオの英雄の一人であるはずの片羽の英雄が。ベルカ空軍に入隊していたという話は聞いていないぞ」
「俺たちはベルカ空軍ではない。……それが答えと言えば、分かってもらえるか?」
「貴方のようなエースが何故……円卓の鬼神は知っているのか、この事を」
「知らないさ。いや、知るはずも無い。鬼神、いや相棒とは全く関係の無いことだ。……で、どうする。返答を俺は聞いていない。我々の指示に従うか、従わないか」
さすがに回線が沈黙する。その決断を迫られて、即断出来る人間は少ないだろう。仮に自分が同じ立場に置かれたときに、即座に答えることが出来るだろうか、とロッテンバークは自問自答した。しばらくの沈黙の時間が過ぎ去り、やがてU-2のパイロットの返答が戻ってきた。既に心を決めた、すっきりとした声色で。
「私が最後に遭遇した相手が、高名な片羽の妖精であったことに感謝する」
それきり、回線が閉じられた。ラリーは目を閉じて、ため息を吐き出した。これほどの人間を、無為に死なせて何とも感じないような連中たちの姿を思い浮かべて。そして、得難い人材を自らの手で葬るという行為に罪悪感を感じながら。ミサイル攻撃の射程まで後退したラリーは、レーダー照射を開始。回避機動を全く取らないU-2は、程なく捕捉される。ロックオン。いいのか、と一度自分に問いかけてから、ラリーは発射トリガーを引いた。白い排気煙を吹き出しながら、ミサイルが2本、獲物を目指して直進する。光と炎が宙空に膨れ上がり、続いてU-2の銀色の機体は引き千切られ、残骸となって大地へと降り注いでいった。あのパイロットの戦死が表向きに公表されることは決して無いだろう。自らが葬ったパイロットに対し、ラリーは心の中で冥福を祈った。近い将来、今日と同じように彼は最も親しい相棒を葬らなければならないかもしれない。その時、引き金を俺は引くことが出来るのだろうか――否、俺はそもそもその機会を得ることが出来るのだろうか?
「2より1、目標の消滅を確認。外部への回線を開いた形跡もありません」
「こういう奴が犬死するような哀しい事態をこれ以上起こさないためにも、俺たちの戦いを成功させなくてはならないのかもな。よし、この空域の哨戒は終わりだ。アヴァロンへ戻るぞ」
針路を北に取り、機体を水平に戻す。他に敵がいなければ、後は遊覧飛行のようなものだ。もう一度、ラリーは得難い男の死に対して黙祷し、その死を悼んだ。そして同時に、こんなやり方しか出来ない大国たちへの憎しみを募らせる。だから、世界は変わらなければならないのだ――そう、ラリーは自分の心に言い聞かせる。それこそが、俺の戦う理由なのだ、と。静寂が再び戻ったベルカの空。2機の戦闘機は、彼らの巣であるアヴァロンの地へ向けて、空にエッジを刻みながら消えていった。
会議室の中に、芳醇なコーヒーの香りが漂っている。人数分のマグカップを並べたイマハマ中佐が、楽しげにコーヒーを注いでいるのを見て、俺とガイアは思わず苦笑した。それほど広くない会議室の中には、男が5人。ウッドラント大佐、イマハマ中佐、それにマッケンジー少佐のこの基地のトップ3と、実動部隊の頭にいる俺とガイア――この面子が揃えば、もちろんお茶会というわけにはいかない。既にテーブルの上には「極秘」と赤くスタンプされた書類の束が置かれていた。早速ガイアが開こうとして、ウッドラントの旦那の怒声を浴びる。肩をすくめて「勘弁してよ」とゼスチャーを送るガイアを見て、マッケンジー少佐が困った笑いを浮かべている。
「さ、コーヒーも入りましたし、そろそろ始めましょうか」
「イマハマ中佐、何も君が自らやることもないだろうに」
「こういうのは、自分でやるからいいんですよ、ウッドラント大佐。さて、ガイア、お待たせしました。これから話す内容とその書類に関しては、一応極秘扱いでお願いしますね」
「一応でいいのか?」
「いずればれる話ですからね」
渡された書類の中から、ノルト・ベルカの地図が出てくる。俺は忌まわしい風景を思い出した。連合軍の進撃を食い止めるために穿たれた、核の炎の残滓。無数の市民が一瞬にして焼き尽くされた惨劇の場。その時に出来たクレーターの近くに、×点印。そして別の紙には、この×印に墜落したパイロットの顔写真。
「報道管制が敷かれているのでニュースの類にも登場していませんが、オーシアのU-2偵察機がベルカ領内で攻撃を受け、撃墜されました」
「ちょっと待った!撃墜……って、ベルカ軍はまたドンパチおっぱじめるつもりなのか?」
「U-2の高度に到達出来るような戦闘機を、ベルカ軍は保有していませんよ。いえ、少なくとも、現在の新生ベルカ軍にそんな豪華な乗り物は渡されておりません。それに、U-2が最初に攻撃を受けたのは、もっと北よりの空域だったんです。その空域に航空基地はもちろん、航空部隊が飛行していたという記録はありません。ですが、現にミサイルは発射されたんです。同封の航空写真を見てもらえますか?」
会議室とコーヒーと 撃墜機が撮影したらしい航空写真を机の上に並べる。高高度から撮影したものなので、このまま判別するのはなかなか厳しい。だが、そのうちの一枚を手に取って、動きが止まる。それはちょうど雲がかかってしまい、地上の偵察資料としては何の価値も無いものだったが、本来価値の無い雲の上。そこに、ごま粒のような三角形が3つ、はっきりと写っている。無論鳥ではない。ミサイルと機関砲を腹に抱えた、鋼鉄の翼――戦闘機。機種までは確認できないが、形状からして前進翼のようにも見える。さらに、雲の下には何かの影のようなものが写り込んでいる。新生ベルカ空軍に引き渡された戦闘機は旧型ばかりであり、前進翼のような戦闘機など1機も無い……ことになっている。つまり、ここに写っているのは、現在のベルカ軍のものではない、ということだ。では、こいつらの所属は?まさかオーシアが自作自演しているわけでないだろうし……。
「問題の攻撃は、この写真を撮影した直後に発生しています。しかしこの地域、地上にそんな施設はないんですよ。高高度のU-2を撃墜するなら、それなりの設備を持った対空攻撃部隊或いは施設があってしかるべきなんですが、そんなものはこの地域には存在しないんです。それなのに、攻撃が発生した。……このU-2は、実は我々がベルカ残党軍を葬った、アンファング方面から南下するルートで偵察活動を行っていたんです。これは無論、国際協定違反です。ただ、皆さんも知ってのとおり、ここヴァレーも含めて兵士たちが姿を消すという事態が続いています。オーシアにも、我々と同じように、先の戦争が実はまだ終わっていないんじゃないか……と危惧している人たちがいるということですね」
「話を少し戻してしまうが、イマハマ、地上からでないなら、どこから攻撃を受けたのだ?」
「それが分からんのです、大佐。で、この写真の不可解な点は、雲の下に見える影なんですよ。何かが写り込んでしまった可能性もありますし、雲同士の微妙な陰影とも見えなくもないんですが……一応、オーシアでも調べているみたいですが、何か引っかかるんですよ。うちの基地でも少し調べさせてみようと思ってます」
「ま、ともかく、U-2はこの写真を撮った直後に攻撃を受けてしまった。だが、墜落地点は随分と南じゃないか。もう少し飛べれば、オーシア国内にたどり着いただろうに」
「本題はそこなんですよ、サイファー。直撃こそ免れたものの、被弾したU-2はその後高度を徐々に下げてオーシアを目指していました。ところが、この墜落地点周辺で、所属不明の戦闘機による攻撃を受け、撃墜されたんです。……ちなみに、先の写真に写っていた戦闘機ですが、画像を解析したところ"Su-47ベルクート"であることが分かりました。そんな戦闘機、正規採用している空軍は少なくとも連合軍の中にはありません。旧ベルカ空軍のいくつかの部隊では使用されていたようですが、現在のところ正規運用している国はありません」
イマハマ中佐がコーヒーをゆっくりと流し込む。俺はあまり味の良し悪しは分からないが、どうやらうまく入ったのだろう。どこか嬉しそうに、彼はマグカップを机の上に戻す。イマハマの目配せに応じて、マッケンジー少佐が髭を撫でながら話を続ける。
「実はこの何週間か、国際協定違反ギリギリの線で、ウスティオとしても偵察活動を継続してきている。その結果、レーダー上何度も所属不明の機影を確認することがあったんだ。場所はバラバラ。ただ、いずれも基本的にはバルトライヒの向こう側――ノルト・ベルカだ。でも一番不可解なのは、オーシアの航空基地を経由していく輸送機群だ。連合軍からの物資供与ということで、確かに弱体化したベルカ軍に装備のレンタルが為されているのは事実だが、それにしてもわざわざ内陸に飛んでいくのは如何にも不可解。事象だけ見れば、オーシアが裏でこそこそやっているのかと疑いたくなるのも無理は無い、ということになる」
「しかし、それをやっているのもオーシアなら、U-2を撃墜されたのもオーシア、というところが問題なんです。和平条約を締結した以上、オーシアは意地でもこの事件を表沙汰にすることはないでしょう。もちろん、裏で調査はするでしょうが。ただ、この異常な事態を裏で操っている連中がいることは間違いないでしょう。それも、どこの国も採用していない新型戦闘機を配備し、オーシアが事を表沙汰に出来ないことを知ってU-2を撃墜するような、大規模な勢力がね。私は、ウッドラント大佐とマッケンジー君と、この問題に関して色々と話し合ってきました。そこで出た結論をお二人に伝えましょう。――ヴァレー空軍基地航空隊全隊は現在の態勢から「万が一」に備えた準警戒態勢へと移行します」
さすがの俺たちも唖然として言葉を失う。それは宣戦布告なき相手に対して場合によっては戦闘も辞さない、という決意なのだから。それまで、渋い顔をして腕組みしていたウッドラント大佐が、うなずきながら口を開く。
「無論、この決定はヴァレー独断のものではない。ウスティオ軍司令本部の了解の下に行われることになっている。先の戦いでのお前たちの奮闘が、思わぬところで認められた、というわけだな。……新兵たちには少々酷な話だが、いずれ初陣を経験するのは誰でも同じだ。その日が来たときに、連中が少しでも役に立つよう、そして無事にここヴァレーへ戻ってこられるよう、徹底的に鍛えるのが当面のお前たちの任務だ。ガイア、役に立ちそうに無い奴はすぐに知らせてくれ。他の基地のイキの良いのと取り換えてやる。この基地は、それぐらいのでないと務まらん」
にやり、と笑うガイアに対して、ウッドラントも同様の笑いを浮かべる。俺とガイアは、旦那に最も嫌われていた部類の人間だったはずだが、先の戦争で何度もヴァレー組が危地に貶められたときに裏方で奮迅していたのがイマハマ中佐であり、最高責任者たるウッドラント大佐だった。立場の違いはあれども、共通の敵を持ったことが、俺たちを近付けたのかも知れない。少なくとも、今のウッドラントの旦那に以前のような冷たさを感じることは無い。そんな度胸があったのか、とむしろ最近は驚かされることの方が多いのだから。
「イーグルアイ――マッケンジーにはアイボール隊と共に引き続き国境付近の警戒と哨戒を命じることになる。お前たちにも哨戒任務に就いてもらうことになるだろう。新米どもが迷子にならずに基地へ戻ってこれるくらいには仕上げておいてくれ。……以上だ」
「ではコーヒーを入れ替えましょうね。少し待っててください」
「だから貴官が自分でやることはないと……」
「まあまあまあまあ、イマハマの旦那のうまいコーヒー飲むくらい大丈夫ですよ。敵さんも、そんなに急いでやって来ることはないでしょうよ」
「ま、そういうことです、ガイア、ウッドラント大佐。焦っても敵の所在が分からんのですから、気長にいきましょう、気長に」
俺は思わず苦笑を浮かべてしまった。同様に苦笑するしかない、というようにマッケンジー少佐が笑う。やはりこの基地で最も人の悪いのは、あの軍人に全く見えないイマハマの旦那であろう、とこの場にいる男たちが思っていることを全く気にしないように、イマハマ中佐がコーヒーポットを傾けている。やがて、会議室の中に、芳醇な香りが再び漂いだした。
穴蔵の中とは思えないようなソファに身を沈めながら、オペレーションルームから送られてくる様々な情報に男たちが目を通している。そのうちの一つ、哨戒任務に出ている片羽の妖精と拾い物の坊やがオーシア軍の偵察機を撃墜したという報告に、男たちの目が止まる。相変わらず、適確かつ迅速な判断の出来る男だ、とジョシュア・ブリストーは心強い同志の行動に感心し、無意識に笑みを浮かべた。空中における艦載機の離発着訓練と、実際の哨戒管制任務に出撃したフレスベルクから、高高度を飛行するオーシア軍機を攻撃したという報告が為されてから、まだそれほど経ってはいなかった。ラリーたちがその攻撃目標に接触したのは偶然の産物だろうが、結果としてオーシアに偵察行動の中身が伝わらなかったことは組織にとっても幸運と言えるだろう。どこか楽しげな笑みを浮かべるブリストーに対し、やや薄暗い会議室の中では、本当に真っ黒に見えるアンソニー・パーマーが首を傾げている。
「オーシアは動いてくるかな、ブリストー?」
男たちの中では、最も年長の男が、口を開く。手元の資料とディスプレイの間で視線を動かしつつ、細かく紙の上に何事かを書き取っていく様子は、この男がエースパイロットの一人であることを全く感じさせない。白衣を着ていたとしたら、技術将校と言っても全く違和感が無いのだった。
「いや、表向きは何もしないだろう。可哀想ではあるが、偵察機のパイロットは犬死だ。ただ、今後はもっと厄介なもので俺たちを覗きにくることは間違いないだろう。今のところ手出しのしようも無い宇宙からな」
「……まぁ、いずれは知られてしまうことだ。それに、知ったところで彼らには直接手を出すことは出来ない。彼らが気が付くときは、彼らの自慢の国家の崩壊の時だ。必要ならば、バルトライヒ方面の哨戒機を増やしておけば良い。当座の計画の遂行に、全く支障はないだろう」
「俺も同感だ、カプチェンコ。で、肝心の物の状況はどうなんだ?」
アントン・カプチェンコは、足元に置いたアタッシュケースを取り出し、ブリストーとパーマーに数ページの資料を手渡した。受け取ったブリストーが素早く目を通していくのに対し、パーマーは苦笑いを浮かべて首を振っている。
「試作段階とはもう呼べないフェーズに入っている。残念ながら試射実験が出来ないのが問題だが、ブースター関連は元々の宇宙省が使っていたものが援用出来るから信頼性は比較的高い。それに、V2の威力なら多少の命中精度の悪さは帳消しだ。結果は何も変わらない。……浄化には最適の手段ではある」
「その辺はアンタの専門だからな、任せるよ。開発と生産に必要なものがあれば、俺に言ってくれ。大体の物は何とかなるだろうと思う」
「分かっているよ、ブリストー」
「……つまり、始まりは近い……そう考えていてよい、ということですな?」
謀略の男たち 彼らの最終兵器――世界を浄化し、始まりに戻すための「V2」に関する資料を読む気にならず、テーブルの上に投げ置いたパーマーがそう切り出す。カプチェンコは微笑を浮かべたまま静かに頷く。ブリストーはコーヒーカップを傾けた後、こちらはやや人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「少しはシステム関係も勉強しておけ――と言いたいところだが、ここまでくると俺も正直良く分からん。だが、専門的なことはカプチェンコに任せておけばいい。そう、お前のいうとおり、もうすぐ開演だ――我々の、世界を救済するための真の戦いは、な。理想を実現するためにも、我々に失敗は許されない」
ブリストーは顔を上げ、情報を次々と表示しているディスプレイを睨み付けた。そう、この世界は偽善と欲望と憎しみに染め上げられている。戦いで傷付き血を流す兵士や人々を無視して進められる利益の配分。声の大きさが全てを決定する権力構造。前線の苦しみも知らずに、無謀な命令を出し続ける政治屋と軍上層部。そんな政府を全面的に信じて疑わない無知で愚かな国民たち。このまま放置しておけば、世界は再び大きな過ちを犯すだろう。それを止められるのは、血を流すことを知っている自分たち兵士しかいない――ブリストーはそう信じていた。結局、祖国オーシアにはそんな理想は無かった。オーシアは、純粋にベルカの工業力と鉱産資源を奪いたかっただけなのだ。だから、ベルカを戦争に走らせ、自ら被害者を演じていたに過ぎない。今やその謀略を、連合軍に参加した国々は思い知っている。ウスティオ国内の資源ですら、手中にしようとしたことなど、最悪の選択と言って良いだろう。ベルカ戦争において、ウスティオ空軍――特にヴァレー基地の傭兵部隊にどれだけの連合軍兵士が救われたことか。それが分かっているからこそ、ウスティオ政府は傭兵たちを擁護したのだ。彼らの存在が無ければ、ウスティオの復興は無かったと知っているから。それがオーシアには分かっていない。オーシアに追従する者どもには分かっていない。もっとも、彼らの戦いにおいて、恩人たるヴァレー基地が最大の障害になることは皮肉な話ではあったが。
だが、成し遂げなければならない。血を流すことを知らない者どもが引く国境線は、結局新たな流血を招くだけのことなのだから。そんな国境線は、無効にしなければならない。全てを始まりに戻す。即ち、ゼロ。何も無い。戦力は十分に集まった。後は、「時」が来るのを待つだけ。幸い、この戦いは孤独な戦いではない。心強い同志たちと共に進めるものだ。勝機は十分にある――ディスプレイに映し出されている世界地図を睨みながら、ブリストーは笑った。笑いながら、心でつぶやいた。――待っていろよ、もうすぐ全てを変えてやるからな、と。

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