ルーメン燃ゆ
クリスマス休暇を迎え、すっかりとシャッターが下ろされている商店街の通りを、取材クルーを乗せたRVが走り抜けていく。舗装路ではなく昔ながらの石畳を使用している道路は、ところどころで車を突き上げ、その度にトランクルームの撮影機材がゴトゴト音を立てている。突き上げのたびに腰に衝撃が走り、エドモンド・ドレッドノートは顔をしかめた。ようやく家族と一緒にクリスマスが過ごせるかと思っていたら、年末特集の取材で調印地ルーメンへ取材。気分が盛り上がろうはずもなかった。RVの後部座席で仏頂面を浮かべている彼の姿を見て、同僚たちは苦笑いを浮かべる。全く、ニュース番組自体でのドレッドノートとデイビット・サイモンの姿しか知らない視聴者にとって、実はソリの合わない二人の姿はきっと信じられないものであるだろう。ドレッドノートが不愉快なのは、そもそもこの特集を企画したのがサイモンであったことだった。家庭持ちの苦労も知らない独身貴族め……一体何度その言葉を呟いたことか。そう考えるだけでも嫌な気分になり、ドレッドノートはため息をまとめて吐き出した。
「そんなに腐ってると、取材前にバテますよ。適当に終わらせて、後はゆっくりしましょうや。幸い、今回の取材は時間だけは妙にある」
「それはそうだが、俺は家に帰りたいんだよ。取材任せて、戻ってもいい?」
「契約打ち切りになっても良ければ引き受けますよ」
「それは勘弁だなぁ……」
彼らが目指しているのは、終戦協定の調印地となった、ルーメンの迎賓館だった。中への立ち入りは認められていないので、外側でのレポートや市民へのインタビュー。その程度のことしか、逆に言えば出来ないのだった。なら、気楽にやるか――ようやく気分を切り替えて、ドレッドノートは外の景色へと視線を移す。ベルカの占領下から解放され、オーシアの領土となったルーメンの人々に、熱狂的なムードというものは全く無い。古来から色々な国の支配下に置かれてきたこの都市の市民性なのか、単に支配者が変わっただけで生活には何の影響も無いという諦めなのか――取材する側にしてみると、これは何ともつまらない状態ということになる。ベルカからの解放を唱えて出撃していったオーシアの兵士と家族たちにしてみれば、自分たちは感謝されるべき存在であって、非難されるような謂れは無い、そう信じているのだから。ドレッドノート自身、最初はオーシアと連合国の正義を信じて疑わなかったが、取材を続け、友軍の陸軍広報室に発炎筒を大量に投げ込んだ後、わざわざ出撃を遅らせて部隊がどんな地獄を見てきたのかを説明してくれた男たちの影響で、今は多少見方が変わってきていた。こればかりは、取材の最前線に出てこないサイモンには決して負けないアドバンテージだろうとドレッドノートは信じている。
「ちと冷えてきたな。そこの売店の前で停めてくれ。何か温かい飲み物、飲んでから取材しよう」
「お、いいですね。ドレッドノートチーフに賛成!」
「砂糖たっぷりのココアなんかいいすね」
「分かった分かった、注文とるから、順番に言え」
ドレッドノートは車内の面子のオーダーをメモに書き取り、車が店の前に止まると2号車の面子のオーダーも取る。考えてみれば、この面々で戦争中も取材を続けてきたのだ。こいつらは言わば戦友というべき存在なのだろう、と彼は思った。売店の窓を軽く叩くと、中から感じの良い老婦人が出てきて注文を聞く。手早く書き取った取材クルーたちの注文を手渡すと、クリスマスのこんなときまでご苦労様ですねぇ、という言葉が返ってくる。カウンターの中に姿を消した老婦人を待って振り返ると、通りの先にあるロータリーの真ん中に、大きなもみの木が一本。クリスマスの装いが施されたその大木は、夜になるときらびやかにこの町を照らすのだろう。まだ点灯されていないクリスマス・ツリーの周りを、子供たちが楽しそうに駆け回っている。きっと、子供たちは夜になったら訪れるサンタクロースを待っているのだろう。そして、年々エスカレートするプレゼントの内容に、親たちは悩むのだ。それにしても、これいい絵になりそうだな、とドレッドノートは頭の中の取材メモにあのクリスマス・ツリーを書き加えた。
「はい、お待たせさんです。ホントにご苦労様」
「何かそう言われると仕事したくなくなっちゃうねぇ。あ、これお代」
「はいよ、あらちょうどですか。すみませんねぇ。明日も開いてますから、どうぞ寄ってください」
「そうさせてもらうよ。じゃ、また」
わざわざ冷たいのと暖かいのとを別々の袋に入れてくれた老婦人に感謝しつつ車に戻ろうとした彼の頭上を、取材中何度も聞いた金属的な轟音が通り過ぎていった。思わず足が止まり、空を見上げる。それはクルーたちも同様だったのだろう。車の窓から顔を乗り出し、同じように空を眺める。ルーメンの町の上に白い飛行機雲を残して、戦闘機の編隊が旋回しながら飛行していた。オーシア軍の定時哨戒飛行だろうな――そう彼は疑いも無く信じようとしたのだが、何かが引っかかった。再び、轟音が近づいてくる。ドレッドノートは、ゆっくりと近づいてくる戦闘機の姿に目を見張った。オーシア軍でも採用されている、確かF/A-18Eと呼ばれている機体の翼には、黒光りする爆弾が満載されていたのだ。どこの世界に、哨戒飛行に爆弾をぶら下げる奴がいる。身の毛が総毛だった。その戦闘機の群れが、上空を通過していく。ドレッドノートは思わず走り出した。大声で、カメラを出せ、と叫びながら。何が何だか分からずに上空を眺めていたクルーたちが、俄かに動き出す。1号車の面々がトランクからカメラと機材を慌しく取り出し、2号車はもう少し開けたアングルを求め、先ほどのクリスマス・ツリーの方面へと動き出す。
「カメラはまだ準備出来ないのか!?」
「やってますよ!ええぃ、畜生、バッテリーの予備が足らない!!」
「しゅ、主任!あ、あれ!あれ!!」
「何だよ、騒々しい!!」
音響担当のアレンが、空の一点を指差して固まっている。鬱陶しげにドレッドノートもその方向に振り向いて、そして愕然とした。そこには変わらぬ空がある。だが、その下、ルーメンのビルには巨大な陰が覆い被さるように広がっていたのだ。太陽の光が遮られているのに、空が見える。そんな馬鹿な話は無い。そして、何かを守るように飛ぶ戦闘機の姿。その答えは、程なく判明した。空の色が溶けていき、代わりに黒光りする巨大な翼が姿を現したのだから。戦闘機とは異なる重苦しい音を響かせながら、「それ」は近づいて来る。
「な、何だってんだ、ありゃ」
カメラを回し始めたヴィクターも、無言でカメラを回し続ける。誰もがただ空を見上げることしか出来ず、唐突に姿を現した巨大な毒蛾の前に為す術を知らなかった。あのクリスマス・ツリーの前に車を止めて、屋根の上でカメラを回し始めた2号車の面々も似たような気分だったろう。腹に響くような音を発しながら近づく巨大な飛行物体――そう表現する以外に妥当な呼び方が無い――の腹の一角が光ったように見えた。何だ?目をこらしたドレッドノートは、やがて白い煙を引きながら地上へと舞い降りてくる物体の姿を確認した。信じられなかった。それがミサイルであることを頭はいち早く認識していたが、身体が動かない。唾を飲み込み、ようやく彼は硬直した身体を無理やり動かすことに成功する。
「逃げろ!!攻撃が来るぞ!!早く!!」
一体どこへ?そんなこと知るか、と自問自答して、あんなミサイル相手じゃ役に立たないであろうRVを見捨てて、ビルとビルの合間へと飛び込む。遅れて1号車の面々も同じように細い空間へと走りこみ、カメラの先っぽだけを通りへと出す。カメラでズームにされたミサイルはどんどん高度を下げ、そしてどんどんと近づいて来る。少しして、轟音と衝撃がルーメンの街を激しく揺さぶった。耳が裂けるような轟音が響き渡り、次いで熱風――爆風が街の通りを吹き抜けていった。風が収まったのを確認して建物の影から顔を出すと、そこにクリスマス・ツリーの姿は無く、全身を炎に包まれた大木の姿があった。そのそばにいた筈の2号車は逆さまにひっくり返って炎に包まれている。連中は、連中はどこに!?燃え上がる街の中を、パニックになった市民たちが叫びながら走り回る。その姿を嘲笑うかのように、例の毒牙が頭上を通り過ぎていく。あのツリーのそばには、確か子供もいたはず――そう思い当たったドレッドノートは、自分でも思いもしなかった行動に出た。即ち、燃えるツリー目指して走り出したのである。後ろでクルーたちが引き止める声が聞こえてくる。"そこでカメラを回し続けろ!"と叫んで、彼は手と足を全力回転させた。燃える街の熱が襲い掛かってくる。火の粉が通りに舞い降りてきて、辺りを地獄絵図のようにしていく。ロータリーの煉瓦は無残にも吹き飛ばされ、もみの木の大木は街を彩る物騒なキャンドル・サービスに姿を変えている。その大木から少し離れたところ、ちょうど歩行者用の道路になっている一角に転がる小さな塊。いた!慌てて駆け寄ったドレッドノートは、その無残な姿に口元を覆った。そこに転がっていたのは、爆撃の衝撃で手足、そして頭がもぎ取られてしまった、血みどろの胴体だったのだ。かすかにうめく声を聞いて振り返ると、吹き飛んだ煉瓦の塊の陰に、小さな女の子が転がっていた。
「おい、おい、しっかりしろ!大丈夫か!?」
ドレッドノートの声を聞いて目を開いた女の子は、身体が動くことに気が付くと勢い良く彼にしがみついてきた。全身を激しく震わせ、泣きじゃくりながら。
「お、お兄ちゃんが、お姉ちゃんが、危ないから……って隠れていたら、ごーっと火が広がって、お兄ちゃんたちがいなくなって……」
「よしよし、大丈夫。助かるから、安心しろ。おじさんと一緒に、安全な所に逃げるぞ。しっかりと掴まってろよ」
何度も頷く少女抱き上げて、素早く怪我の具合を確認する。擦り傷と火傷はあるようだが、出血などは確認できない。奇跡といっても良かっただろう。ビルの谷間から出てきた仲間たちが、こっちに向けて手を振っている。無事であることをこちらも手を振って知らせて、そして転がっている2号車に視線を移す。炎が吹き出している窓の中から、黒焦げになった腕だけがのぞいている。全員、駄目か――そうため息を吐きつつも、今生き残っている面子だけでも助けなければ!そう確信したドレッドノートは、疲労がたまり始めた身体に鞭打って駆け出した。再び、どしん、という腹に響く衝撃と轟音が響き渡る。続けて、街の一角からこれまでとは比べ物にならないような炎と煙の塊が膨れ上がり、そして上空へと火柱が吹き上がる。その方角が、半年前、和平条約が締結された迎賓館であることに気が付き、上空に現れた戦闘機たちの狙いがそこにあったことに気が付く。黒い毒蛾は引き返してくる素振りも無く、そのまま悠然と遠ざかっていく。戦闘機たちの甲高い咆哮と、腹に響くような重苦しい轟音も。後に残されたのは、炎に包まれ、崩れ落ちたルーメンの無惨な姿だけだ。街の全域を絨毯爆撃されたわけではないので、死傷者の人数は限定的かもしれない。それでも死者の数が数百人を下回ることはないだろう。ここから見える範囲でも、爆弾の直撃を受けて崩れ落ちたビルの残骸がいくつも見えるし、現に目の前で共に戦場を渡り歩いてきたクルーたちが、車の中で火葬されている。抱きかかえた少女の兄弟たちも、物言わぬ無惨な骸となって路上に転がっている。どこの誰が、こんなことをやったのか。既に和平条約が結ばれた、この時期になって、どこの国がこんな悲劇を起こしたのか。カメラを無我夢中で構えるヴィクターは、泣きながらこの街の惨状を撮り続けている。
「これは……戦争だ。戦争は……終わっていなかったんだ」
ドレッドノートはそう呟いた。そう、戦争は終わっていなかった。戦勝国であるオーシアが圧倒的有利に分け前を分捕り、新しい国境線を引いた表舞台の裏では、灼熱のマグマが噴火の時期を待っていたのだ。ルーメンが焼き払われたのは、かりそめの和平条約を締結した、その地であるが故なのだろう。これが、戦場。これまで歩いてきたのは、戦場とは程遠い安全地帯であったことを、彼は思い知らされる羽目となった。
だが、彼らが撮影したルーメンの惨状が報道されることは無かった。帰国した彼らを待ち受けていたのは、軍事機密の名の下に行われる一切のフィルム類の回収だったのである。
偽りの条約が締結された忌まわしき迎賓館の建物は、真っ赤な炎と吹き上がる黒煙の下に埋もれ、上空からでも確認することが出来ない。XB-0から投下された爆弾と、戦闘機たちの放った攻撃によって、跡形もなく、その根元から消滅したであろう。迎賓館自体に意味があったのではない。先の和平条約が締結された場所だからこそ、この攻撃に意味があるのだ。炎に包まれるルーメンの街の赤い姿を見て、ブリストーは会心の笑みを浮かべた。ついに始まった、彼らの戦いの第一幕を何者も止めることが出来なかったのだ。わざわざXB-0という的を用意してやったというのに、連合軍――大国オーシアたちに出来たのは、指をくわえて彼らの姿を見送るだけ。花道を見送ってくれるのだから、これ以上ありがたい話は無い。自らの崩壊を見送る、愚かな者たち。ルーメンに生活する市民たちには気の毒な結果となったが、彼らもまた盲目的にかつてはベルカを、そして今はオーシアを上に抱く無知な集団。いずれ、もっと多くの人間をこの世界から抹殺することになるであろう彼らの組織にとって、ルーメンの犠牲はほんの少し、リスト上の0の数を増やす程度のものだった。
「ソーサラー1より、ヴァルハラへ。ルーメン市内に敵勢力の姿は無い。攻撃目標の完全消滅を目視で確認。作戦は成功だ!」
既に出撃しているパーマーからの通信に、コントロールルームの男たちが歓声をあげる。ご苦労、と頼もしい部下の一人に声をかけ、ブリストーは改めて目の前のディスプレイ群を見やった。旧連合軍諸国に今のところ動きは無い。これほどの被害が出ているというのに、何とも出足の遅いこと。建前と本音の間で政治屋どもが苦しんでいる間に、どれだけの命が犠牲になるのか、分かっていないからこそ出来る、愚かな行為。思い知らさねばならない。その行為がどれだけ愚かなことなのかを、たっぷりと。そのためには、犠牲が必要だった。遭えて悪魔と化して、命を刈り取ってやろう。世界が、人類が新しい一歩を踏み出すために――既にアヴァロンの地に戻り、計画の最終フェーズを進めているカプチェンコと共に、自分は歴史上に最悪の汚名を残すことになるかもしれない。それでも、やらねばならないのだ。ブリストーはそう確信し、右手の拳を強く握った。
「良く見ておけよ、ロッテンバーク。これも戦争だ」
コントロールルームの一角に、ラリーとロッテンバークの姿がある。いつでも出撃できるよう、彼らはパイロットスーツを着込んでいる。ディスプレイに映し出される街の姿を見ても、眉一つ動かさないのはさすがというべきか。あの若造も、エスケープキラーとして両の手を血で染めてきただけあって、なかなかに度胸が座っている――ブリストーは納得して何度か頷いた。
「ジェネレーター出力、回復まであと20分かかります」
「方位115へ転針、飛行速度は現状を維持。旋回時のバンク角に気をつけろよ」
巨体が僅かに傾き、ゆっくりと旋回を始める。再びルーメンの上をフライパス。圧倒的な姿を下の人間に焼き付ける、計画通りのコースだった。護衛に付く戦闘機たちも、同調して大きく旋回角を取って方向転換。街から立ち昇る黒煙をかきわけるようにして空を覆う毒蛾が舞う。これからの戦いにおいて、彼らの貴重な空の拠点として、そして作戦行動における大空の管制基地として、XB-0が果たすべき役割はまだまだあった。再び町の中心部へと戻ってきたXB-0の姿を見て、市民たちが燃え盛る町を逃げ惑う。最早攻撃は必要なく、街の上空をゆっくりと凱旋すればよい。それだけで、市民たちに植え付けられた恐怖は最大限に膨れ上がる。恐怖だけで世界をまとめることは出来ない。だが、恐怖なくして力の何たるかを知らしめることも出来ないのだ。
「あまりやり過ぎるなよ。恐怖を植えつけるのはもう充分だろ?」
「分かっているさ、ラリー。これでもやり過ぎたくらいだ」
「ならいい。哀しい光景は、何度見ても慣れるもんじゃないからな」
航空要員であるはずのラリーが艦内にまだ留まっていることを咎める意図を、ブリストーは全く持っていなかった。ラリーには、彼にしか出来ない役割がある。それぞれがそれぞれの持ち場で役目を完遂することこそ、計画の成就のために必要な前提条件だった。「鬼神」を葬ること、そしてもう一つ、最大の役目を背負うこと――ラリーの役目は、そこにあるのだから。気が付けば、ルーメンは後方へと遠ざかり始め、炎と煙がそらまで焦がす街並みの姿は見えなくなりつつある。ただ、炎に照らされて赤い空だけが爆撃の残滓を如実に伝えていた。初戦は大成功、だが本番はこれからだ。気を引き締めなおし、コントロールルームの指揮台にたった彼は、次なる戦いを全乗組員に告げた。
「ECM最大主力、迷彩は全展開。次が本番だ、各員、心してかかれ」
ブリストーは一度言葉を切り、そして笑みを浮かべながら、宣言するように言い放った。
「目標は猟犬たちの巣窟、ウスティオ空軍ヴァレー航空基地。各員の奮闘に期待する」
愛機の整備点検を終えた俺は、ナガハマ曹長の差し入れのホットココアの缶を片手に、隣にあるマッドブルチームのアラートハンガーを覗き込んだ。もうすっかり冬の装いのヴァレーは、骨身に染みるほどに寒い。まだ今日は吹雪いていないから良いが、本格的な吹雪となると出撃の無いパイロットたちが総出で雪かきをする羽目となる。ココアの熱が身体の奥底へと流れ込んでいく感触が心地よい。ハンガーの中では、このくそ寒い中でもツナギの上をはだけてTシャツ姿のガイアがジェーン嬢ちゃんと話し込んでいる。他の整備兵も話に加わって、珍しく真面目な話をしているようだった。そして、ガイア機の奥ではシャーウッドがコクピットの中で何やら作業に専念している。赤い顔をしているのは、ハンガーの中の暖房が効きすぎているとか、或いは寒さに反応しているから……というわけではなさそうだった。ガイアがこちらの姿に気がつき、ニヤニヤと笑いながら手を振る。振り返ったジェーンがニコと笑い、軽く頭を下げる。シャーウッドは……こちらに気が付かず、黙々と作業を続けている。その姿を見たジェーンが、ぷう、と頬を膨らませる。どうやらまた何か一戦交えたらしい。
「珍しいじゃないか、サイファーが入ってくるなんてな。歓迎の証に、エンジンオイルを一杯どうだ?」
「人を機械扱いするなっての。俺はこのココアで十分間に合っている」
「意外だな、甘党だったのか」
あれから何度か空戦デモ飛行でやり合った、ガイアのF/A-18Cが次の出撃を待ちわびているかのように佇んでいる。俺のF-15S/MTD同様に、ベルカの兵士たちの命を噛み砕いてきたこの機体の姿を仇と思う連中も少なくないだろう。シャークマウスの施された黒いF/A-18Cなんぞそうあるもんじゃない。オールラウンドでの戦闘を前提にしたガイアらしい機体の選択と言えるだろう。一方のシャーウッドがJAS-39Cを選択したのも、多分にガイアの思考の影響を受けたからに違いない。
「相変わらず調子良さそうだな、あのホーネットも」
「ああ、結構長い間使っているが、故障らしい故障もしたことが無い。いい相棒なんだがな、ベルカのエース連中相手だとやっぱりしんどいんだ。もう少し空戦性能に秀でていればな……ってな」
そこでガイアは心から嬉しそうに笑った。
「だから、どこかの女房のケツに敷かれて喜んでいるような奴にも負けないで済むような、ごっつい機体がもうすぐ入ってくるのさ。イッヒッヒッヒ、残念だったな、トップエース!アレが来たら、この基地のトップはこの俺様で決まりだ!!基地のナイスたちも俺を見直して歓声をあげるだろうぜぃ!」
「お前の場合は既に独占しているだろうが。この基地に嫌な方の同性愛が蔓延する前に、もう少しリリースしておいた方がいいぜ」
「どうせもてない奴はもてん!だったら、幸せを分けてやるのが俺の心情だ!!」
これが一応はこの基地の実動部隊を取り仕切っている二人の会話なんだから、他愛も無い。整備兵たちが腹を抱えて笑っている声が、ハンガーの中で反響している。何事か、とキャノピーから少しだけ頭を出したシャーウッドは、ガイアの視線がそちらを向くとぷい、と横を向いて再び作業に没頭する。
「どうしたんだ、あいつ?」
「俺とナガハマの好意で、折角コクピットの空きスペースにたっぷりとジェーン嬢の写真を貼ってやったのに、"何て事をするんですか、こんな写真を!!"だぜ、アイツ。さらに嬢ちゃんにグーで殴られて、いじけているのさ。全く、困った青二才だ」
それが、ジェーンが頬を膨らませている理由か。確かにこんな写真呼ばわりされたら怒るのは必至だ。ま、そこで互いに喚き散らさずに済むようになったのは、一応二人の仲が多少は進んだ証でもあろう。もう少しすれば、この基地の最も初々しい夫婦の誕生になるかもしれない。何だ、あの堅物も結局俺と同じ道を歩むのか――そう気が付いたら、何だか愉快な気分になってきた。ガイアのことだ、結婚式にでも呼ぼうものなら、俺と同じ道を歩んだ若者にどんな言葉を贈るのか恐ろしくなる。ほぼ間違いなく、シャーウッド家の親族一同は引きまくるに違いない。
「ま、奴の気持ちも分からないでもないが……で、ガイア、次の機体は何を選んだんだ?」
「ヘッヘッへ、聞いて驚くなよ。Su-37、ターミネーターだ。最高のクリスマスプレゼントだと思わないか?」
「機体の名前だけは似合っているよ。あんな繊細な機体と豪快なアンタのイメージが全然似あってない」
「なにおう!?この繊細で神経の行き届いた俺様を……」
無神経と言いやがって、という台詞を発する前に、久方ぶりに聞く警報がアラートハンガー内に響き渡った。整備兵たちも含めて、皆一様に手を止めて頭上のスピーカーを不安げに見守る。戦争が終わってから今日まで、この警報が鳴り響いたことは無い。今ごろ新兵たちは面食らっている頃だろう。何をすべきか分からずに、ベテランの傭兵たちに突き飛ばされているかもしれない。
"ヴァレー基地各員へ。全搭乗員は直ちにブリーフィングルームへ集合、10分後よりブリーフィングを開始する。また、全整備要員は作戦機全機の出撃準備を開始せよ。繰り返す、全搭乗員はブリーフィングルームへ集合、全整備要員は作戦機の出撃準備にかかれ。伝達は以上です"
お耳の恋人セシリー嬢の声がどこか強張っている。いよいよもって、尋常ではない事態が発生したらしい。先ほどまでのふざけた空気がすっかりと吹き飛んだガイアに目配せをすると、ガイアも無言で頷いて駆け出す。
「シャーウッド!ラウンデル!後は整備兵に任せて俺たちも行くぞ!」
大声で叫ぶと、さすがにシャーウッドも作業を中断して、タラップを滑るように降りて駆け出す。その後ろの3番機、ラウンデルの奴もオイルまみれのツナギのまま駆け出した。整備兵たちが慌しく工具箱やカートを押して駆け回り始め、ジェーン嬢ちゃんの甲高い声が、ハンガーの中に響き渡る。このままアラートハンガー内を結ぶ蓋道を抜けていっても良かったが、走っていくなら凍えることも無いだろう。俺たちは誘導路へと飛び出していった。他のハンガーからも、同様にパイロットたちが駆け出していく。俄かに半年前の空気を取り戻し始めたヴァレー基地。だが既に、俺たちの目前に危機が迫っていることを、俺たちはまだ知らなかった。