ヴァレー基地襲撃
ブリーフィングルームの中は、久しぶりの緊張感に覆われていた。とはいえ、ベテランの傭兵たちは不敵な笑みを浮かべて余裕の風を吹かしているので、実際にピリピリしているのは初めて経験する「実戦」を目前に控えた新兵たちのものだったが。少し前までは彼ら同様だったはずのシャーウッドと言えば、指導教官の悪さが乗り移ったかのように平然と座っている。からかいがいが無くなったのはちと寂しい。それは彼の成長によるものなのだから、本来だったら喜ぶべきなのだろうが、人間なかなかそううまくは出来ていないものだ。珍しく、イマハマ中佐とマッケンジー少佐とが連れ立って入室する。新兵たちが一斉に立ち上がって敬礼。傭兵たちは「よぉ」といった感じで手を挙げるものもまばら。俺やガイアは椅子から立ち上がることも無く、頭だけを軽く下げる。こちらの姿に気が付いたイマハマが軽く頷くが、その表情にはいつもの余裕が無い。むしろ、今まであまり見たことの無い険しい表情が浮かんでいた。そう言われてみれば、ウッドラントの旦那がここに来ていないのも不自然と言えば不自然だった。慌しくプロジェクターの準備を終えたマッケンジーが席につくと、イマハマの旦那は軽く咳払いをして口を開いた。
「さて諸君、クリスマス目前という時期に申し訳ありませんが、緊急事態です」
「ついにサンタクロースの追撃命令でも出たか!?」
「それならこんなピリピリした顔をしてませんよ、ガイア。まぁ、出来れば新兵たちにはそういう任務に就いてもらいたいところなんですが、そうも言ってられない事態が発生しました。モニターに全員注視してください」
プロジェクターが映し出したのは、久しぶりのベルカの地図。現在のノース・オーシア州、かつての南ベルカの一角に位置するルーメンに大きな×点印。そしてどうやら爆撃機らしいアイコンがその隣に表示される。何だ、これ?そんな声が他の傭兵たちの間からも聞こえてくる。
「状況を説明します。和平条約締結の地、ルーメンが所属不明の戦闘機及び巨大爆撃機による攻撃を受け、市民に多数の犠牲者を出すという事件が発生しました。詳しい状況は分かっておりませんが、連合軍の対空レーダー網にも捉まることなく唐突に出現した爆撃機は、市内への無差別爆撃を実施。そして、調印が行われた迎賓館は跡形も無く、徹底的に破壊されたそうです。現在、新生ベルカ軍を中心とした救助隊が被災者の救助に当たっているそうですが、瓦礫の下敷きになった人々も多く、犠牲者はさらに増加しそうな状況です。――マッケンジー君、例の映像を」
マッケンジー少佐が頷き、手元の端末を操作する。画面に別の映像が映し出される。上空から撮影されたその写真は、少し前、何者かに撃墜されたU-2偵察機が撮影したものだった。戦闘機編隊の姿が写っている、あの写真だ。その写真の一角、何かの影が映りこんだような部分が拡大され、輪郭が描かれていく。
「連合軍が取得したベルカの機密情報――今更言われても遅いのだが――の中に、超大型空中空母"フレスベルク"という計画が存在している。信じがたい大きさだが、全長数百メートルに達する空飛ぶ管制基地兼航空母艦というこの物騒なデカブツだが、既に試作型が1機ロールアウトしていた模様だ。サイファー、覚えているか?イエリング鉱山方面に出撃した際、貴官らが発見した巨大な格納庫があったろう。あれが、このデカブツ――XB-0のもともとの巣だ。だが、このデカブツは少なくとも連合軍による接収は受けていない。戦後の混乱で行方不明になったというわけだ」
「ちょっと待ってください!そんな巨大兵器が行方不明になって、今日突然ルーメンの頭上に現れたというのですか?そんなことがどうして可能なんです?」
「ああシャーウッド君、良い点を指摘してくれました。諸君も、この巨大兵器が強力なECM兵器を搭載していることは想像が付くでしょう。事実、とんでもない出力のものが搭載されています。だが厄介なのは、このデカブツに特殊迷彩が施されている点なんです」
「特殊迷彩?」
「分かりやすく言えば、透明人間になるための迷彩と言うべきでしょうか。さすがはベルカ、というところでしょうが、このXB-0、光学迷彩を施すことが可能なんです。ジェネレーター出力の問題があり、長時間の使用には耐えられないそうですがね」
さすがの傭兵たちも息を飲む。つまり、このデカブツがECMを最大限に効かせて光学迷彩をまとっていたら、気が付いたときには空中衝突なんて洒落にもならない事態が起こり得るということだ。それにしても、開いた口がふさがらなくなるとはこういうことを言うのだろう。現実問題として、強力な管制機能を有し、航空機の離発着を可能にした空中空母は、戦略上も戦術上も革命的な発明と呼べる代物である。だが、その巨体ゆえに、大空の巨大な的と化すのが関の山である。だが、レーダーからも人の目からも消える術を持っているのだとしたら話は違う。目標地点の頭上に唐突に出現する、巨大なくろがねの塊。それを目にした人々はあまりの光景に為す術も無く立ちすくむことになるだろう。実際、ルーメンの人々はその光景を目の当たりにしたに違いなかった。
「ルーメン爆撃後、このXB-0は再び姿を消しています。ただ、向かった方面が問題です。彼らは、東へと針路を取った……即ち、彼らはウスティオに向けて飛行中である可能性が高い、というわけです。事実、国境線に設置された対空レーダーが、上空に進入する未確認機の機影を捉えています、これは戦闘機のものでしたが、その後未確認機の反応は完全にロスト。今のところウスティオ領内での確認は取れていません。――これが、皆さんにお集まり頂いた理由です。このXB-0の所在が判明し次第、全作戦機はヴァレーより出撃、これの撃墜任務に就くこととなりました」
調印の地、ルーメン爆撃。そして針路を東――ウスティオへ。その狙いがどこにあるのかは分からなかったが、これはちょっとしたテロリスト集団によって引き起こされたチンケなテロとはスケールが違うというわけだ。一国の軍隊にも匹敵するような戦力を有し、統率の取れた作戦行動を取っていることかせ何よりの証だ。こいつらは、プロだ。プロの戦闘集団。即ち、"兵士"がこの事件を引き起こしている。俺は右手を軽く挙げた。普段なら黙って聞いているだけだが、さすがに聞かざるを得なかった。こんな事態を引き起こした集団の存在を。
「この物騒な騒ぎを起こしている集団に目星は就いているのか?」
「ルーメン爆撃中、世界中に向けて色々な手段でメッセージが放たれています。"我々は国境無き世界。世界に真の平和と真の正義をもたらすために、現在を浄化する"――とね。どうやら、我々が時々捕捉していた未確認機たちは、この組織に関る者たちだったのかもしれませんね。この数ヶ月間の間に行方不明になった兵士はたくさんいますが、その中にはオーシアやサピンのエース部隊も含まれていたようです。我々が向かう先には、そんな連中が待ち受けている可能性は充分に考えられますね」
ふーむ、と俺は唸ってしまった。しかし、正規軍のエースを張っている連中が、脱走のリスクを犯してまで達成しようとする目的とは何だろう?俺はふと、相棒の去り際の姿を思い出した。この戦争の意義に疑問を抱き、そして俺たちを捨て駒扱いにし続けた連合軍の首脳部のやり方を誰よりも嫌っていた相棒。あいつが去り際に残した言葉。"戦わなくてはならない理由が出来た"――相棒は、そう言って俺たちの前から姿を消した。もしかしたら、連中、"国境無き世界"は相棒と同様に、あの戦いにおいて、戦争の汚い面を何度も見る羽目になった兵士たちが集った組織なのかもしれない。
「おい、イマハマの旦那よ。連中ウスティオに向かっているんだとしたら、ここヴァレーにクリスマスプレゼントでも投下してくるつもりかな?」
「トナカイの馬車でも仕立てて出迎えますか?」
ガイアの放ったジョークは、静まり返った新兵たちの緊張を紛らわせようとしたのかもしれない。だが、時に間の悪いジョークというものも存在する。この場合は、まさにそれだった。腹に響くような低い、重低音。そして振動が、俺たちの足元を揺さぶり始めたのだ。傭兵たちが一斉に立ち上がり、天井の向こう側を睨み付ける。新兵たちは何事が起こったのか分からず、泣きそうな顔を浮かべて当惑している。バン、と一際大きい音は、イマハマの旦那が両手をテーブルに打ちつけた音。この人でもこんな表情が出来るのか、というくらいに険しい表情がそこに浮かんでいた。
「ガルム隊、マッドブル隊、それに出撃待機中の作戦機は直ちにスクランブル!!新兵隊は防空壕へ、非番組も出撃準備!!時間が無い、急いでくださいっ!!」
傭兵たちが我先にと会議室のドアを乱暴に開け放って駆け出していく。混乱の極みに陥った新兵たちが傭兵たちに蹴飛ばされ、所在無い不安な表情を浮かべている。そりゃそうだ。俺だって、同じ立場ならそうなるだろう。ガイアがその尻を蹴っ飛ばし、防空壕のある方向を指差して怒鳴りだす。新兵のお守りは、あいつに任せておくのが一番良い。既に冷静さを取り戻しているジェームズの姿を見つけて、俺も走り出す。とにかくも、爆弾の直撃を受けるより早く飛び立たなくては!全力で足を振り上げ、俺たちは愛機の待つアラートハンガーへと走り出した。
一応組織上はまだ残ってはいる連合軍組織の協力体制に則って情報提供を呼びかけるものの、入ってくる情報は断片的な、意味の無いものばかり。この危機に臨んで、オーシアは徹底した情報規制に乗り出しているため、必要な情報までがシャットアウトする状況となっていた。こうしている間にも、ルーメンを炎に包んだ連中がウスティオ領内に攻め入ってくるかもしれないというのに――ウッドラントは、ヴァレー基地コントロールを兼ねる管制塔で舌打ちしつつ、受話器をたたき付ける。ゴン、という鈍い音にオペレーターの一人がぎょっとした顔で振り向き、何事も無かったかのように正面に視線を戻す。今ごろ、ブリーフィングルームではサイファーたちにルーメンの事態とウスティオに降りかかるかもしれない災厄が伝えられている頃だろう。そのとき、連中――「国境無き世界」を食い止められるのは、ここの面々。歴戦の傭兵たちに率いられるヴァレー軍団なくしてはあり得ないだろう、と彼は考えていた。それにしても、この日を想定してより実戦的な訓練と体制を維持し続けてきたかいがあったというものだ、とウッドラントは部下たちの読みの正しさに感心すると共に、再び戦争を始めようとしている連中を心から憎んだ。戦争は結局憎しみしかもたらさないことを、あの戦争で思い知ったのではなかったのだろうか。たった数ヶ月で再び戦争を仕掛けようとする人間は、何と愚かな生き物なのだろう。ウッドラントはため息を吐き出しつつ、目の前に広がるディスプレイ群に視線を動かした。そのうちの一つ、レーダー担当のオペレーターが、慌しく顔を動かしていることに気が付いた。
「どうした?何か異常でも感知したか?」
「いえ、一瞬ですが、当基地の前方に反応が出たんですが、再びロストしています。でもおかしいな、あんな大きな反応、今までに見たことが……」
「正面だな。この基地の前方」
コントロールルームのオペレーターたちが、一斉に顔を上げた。彼らの目の前に、信じがたい光景が広がり始めていた。それはルーメンで起こった事態と全く同じものだった。それまで何も無かった、普通の空の色が唐突に溶け始め、代わりに黒光りする巨大な物体が、ヴァレー基地の目前に出現する。空から抜け出してくるような、異様な光景に皆、声が出ない。地を揺さぶるような轟音が遠くから伝わり始める。地震計をもう少し多く設置しておくんだった、とウッドラントは唇をかみ締めた。この距離では完全な迎撃など出来るはずも無い。だが、やるだけのことはやるしかない。ヴァレーの機能を完全に停止させられることは、ウスティオの敗北とも同義なのだから。
「各員、第一種戦闘配置!!対空迎撃部隊、スクランブル発進する作戦機の邪魔にならないよう、敵部隊を迎撃しろ!!時間が無い、急げ!!作戦要員以外は速やかに退避、急げーっ!!」
空襲を告げる物々しいサイレンが基地中に響き渡り、そしてマイクを通してウッドラントの大声もこの基地の面々に伝わったことだろう。今や、姿を隠す必要も無くなったのだろう。レーダー上にはXB-0の巨体が映し出され、さらにその巨大な翼から、雲霞の如く戦闘機が出撃して来る。いずれも、爆装した機体であろう。ヴァレーの戦力をそれだけ評価してくれているということだな、とウッドラントは苦笑した。金属的な甲高い轟音を放って、敵戦闘機が数機、ヴァレーの真上を通過していく。対空戦闘車の火線がその姿を追うが、もともと地上部隊の戦力などごく僅かにしか持たないヴァレーでは、その攻撃はあまりにも頼りないものだった。滑走路脇に陣取った戦闘車が2台、迫り来る巨大な標的に対して攻撃を開始するが、その死角から降下した敵戦闘機から爆弾を浴びせられ、炎と破片を撒き散らして沈黙する。基地を逃げ惑う兵士たちめがけて機関砲弾が放たれ、血飛沫と血溜りが基地のコンクリートを彩っていく。ハンガーから既に表に出されていた戦闘機たちは、機関砲弾と爆弾とミサイルの洗礼を浴びて残骸と化し、炎と煙をあげている。これまで、ベルカの基地司令たちが味わってきたものと同じ気分なんだろうな、とウッドラントは悟った。真正面から接近するXB-0の一角が光る。レーダー上に、戦闘機とは異なる光点が出現する。そして、白い排気煙を引きながら、"それ"は急速に接近する。オペレーターたちが慌てて席から飛び出し、後方の出口へと殺到していく。出口までの距離と接近するミサイルの速度を比べ、間に合わないことを悟ったウッドラントは、再びマイクのスイッチをONにした。
「こちら管制塔、ウッドラントだ。XB-0はヴァレー基地真正面より、戦闘機部隊を発進させつつ接近中だ。待機中の戦闘機部隊、XB-0の通過後、直ちに出撃。あのどてっ腹に仕返しの一撃をくれてやれ。……後は任せるぞ、野郎ども。グッドラック!!」
言い終わるのと光が炸裂するのと、どちらが早かっただろう。ミサイルの直撃は免れたものの、至近距離で炸裂したミサイルの爆風と炎と衝撃波が、一瞬にして管制塔のガラスを粉々に突き破り、中のあらゆる物を弾き飛ばしていった。
とうとう命中したかしら――鏡に映るやや青白い自分の顔を見て、セシリー・レクターは微笑んだ。二人とも覚悟の上でしていたこと、いつかはこうなることは必至だったが、それにしてもいざ実現すると驚きが先にくるものだ、とセシリーは知った。ここ数日、確かに体調は優れなかったが、きっと過労のせいだろう、という予測は完全に外れたことになる。この基地に妊婦用の薬なんてあったかしらね、と彼女は首を傾げた。やがて生まれてくるであろう新しい命のもう一方の相手は、きっと羽目を外して喜ぶだろうが、その代償として彼自身がポロのボールとして、基地の猛者たちに転がされることになるだろう。それはそれで面白いわね、と男たちにボコボコにされている将来の亭主の姿を思い浮かべて、セシリーは独り笑った。その直後、これまでは経験したこともないような激しい衝撃と揺れが建物を激しく揺さぶった。すかさず壁に体重をかけて身体を支えるが、壁から伝わる衝撃で腕と肩を強打し、セシリーは苦痛のうめき声をあげた。揺れが収まるのと引き換えに、腹に響くような無気味な重低音が頭上を通り過ぎていく。呼吸を整えてトイレの扉を開けた彼女は、そこに広がっている光景に唖然とした。管制塔の方向は炎に包まれ、瓦礫と残骸が廊下に積もっている。そして、足元に転がっているのが引き千切られた足であることに気がついた彼女は、口元を慌てて押さえた。目を凝らして煙の漂う廊下の先を確認した彼女は、瓦礫の間に転がっている人間が、まだ微かに動いていることに気が付き駆け寄った。近づくにつれて、その輪郭がはっきりとしてくる。どちらかといえば、突き出た腹、丸い胴体。だがその両足は、膝から下が断ち切られたように無くなり、腹部からは夥しい量の血液が流れ出し、早くも血だまりを作りつつあった。
「大佐!ウッドラント司令、しっかりしてください!!」
セシリーの呼びかけに、ウッドラントの閉じられていた双眸がゆっくりと開かれる。セシリーの無事を確認すると、彼は普段の強面からは信じられないような優しい笑みを浮かべてみせた。
「……死出の見送りが、この基地のお耳の恋人とは、なかなか死神もサービスが利いている。君は無事か?」
「はい、腕を強打していますが、身体には問題ありません。それよりも大佐、早く手当てを!!」
ウッドラントは力なく首を振った。血と煤にまみれた顔には、苦痛の色はあまり見られない。もう感覚自体が麻痺しつつあるのかもしれなかった。
「これではもう助からんよ。自分の身体だ、……良く分かる。それよりもレクター君、伝言を頼まれてくれないか?私の最期の命令だ。イマハマ中佐に伝えてくれ。必ずあのデカブツを撃墜し、この基地で散っていった者たちの恨みを晴らせ、と。そして、あんなものを持ち出してきた連中の企みを、完全に葬り去れ、と。そう伝えてくれ」
「そんな弱気なことは仰らないで下さい、大佐、しっかり!!」
意識が朦朧としてきたのか、ウッドラントの反応は次第に鈍くなっていく。セシリーが添えていた手を握る掌からも、徐々に力が失われ、温もりが消えていく。これが死んでいく人間の姿なのか――初めて目にする壮絶な光景に、セシリーは何も出来ない自分の身を恥じた。もっとも、応急処置が出来たとこで、ウッドラントの傷が回復可能なものには到底見えなかったのだが。管制塔の大半の仲間が即死したであろう状況の中で息があるだけでも奇跡なのだろうし、さらには身体の都合とはいえ管制塔を離れていた自分などは一生分の幸運をここで使い果たしたのかもしれない、そう彼女は考えてしまった。閉じられようとしていた双眸が、もう一度開かれる。先ほどよりは、ずっと弱々しかったが。
「一つ……忘れていた。頼まれついでだ、もう一人に、伝言を頼む。サイファーに伝えてくれ。すまなかった、と。それと、若鳥たちと、ウスティオの空を頼む――と。……頼んだよ、レクター二曹!」
言い終えると同時にウッドラントは少量の血を吐き出し、セシリーの軍服に赤い染みを作り出した。そして細くなりつつあった呼吸が急速に早まり、一度ぐぐっ、と背筋をそらせる。ゆっくりと息を吐き出したウッドラントは、血と煤に塗れた顔に微かに笑みを浮かべ、そして動かなくなった。
「司令……ウッドラント大佐……」
セシリーは何度か上官の身体を揺さぶってみたが、もう魂が抜けていってしまった身体が反応することは無かった。不意に涙が溢れてきて、目の前の光景がぼやけ、歪んでいく。外からは、先ほどまでの轟音と戦闘機の奏でる甲高い咆哮、そして爆発音が絶え間なく聞こえてくる。その音に我に返ったセシリーは、袖で涙を拭い取ると、ウッドラントの身体をそっと廊下に横たえた。彼の巨体を彼女が引きずっていくことは不可能だったし、まだ生きている彼女にはやらねばならないこと――ウッドラントの最期の命令を伝えなければならないのだった。後で、皆で迎えにきますからね、と心の中で呟き、きっ、と通路を睨みつけたセシリーは腕と肩の痛みも忘れて懸命に走り出した。そう、生きている人間には出来ることがある。だから、その時までは走りつづけなくては!そう自分に言い聞かせて、セシリーは実質的にこの基地の最高位に就く事になる男たちの下へ走り続ける。彼女の心の中に、もう恐怖は無い。
何とか離陸を開始したF-14Dの2機が、しかし上空から飛来した敵戦闘機の攻撃を食らって敢え無く蜂の巣になり、炎と煙に包まれる。それでも、滑走路の上に落ちないよう最後まで操縦桿を手繰り、誘導路へと機体を突き落としたのはパイロットの最後の意地だったのかもしれない。新たな火球が地上で弾け、また一つ命が失われていく。機関砲弾のシャワーを浴びることも無く愛機に滑り込めた俺たちは相当に幸運な部類なのだろう、と実感する。事実、俺たちの目の前で、幾人かの整備兵が機関砲弾のシャワーを浴びて、壁に叩き付けたトマトのように潰れていった。上空に飛来したデカブツ――XB-0から投下される爆弾の雨が基地の設備を残骸に変えていく光景を、俺たちは黙ってみているしかない。今出て行けば、連中の牙に噛み砕かれるだけなのだから。たまたま連中に対して正面を向いていたアラートハンガーにもミサイルが撃ち込まれ、ハンガー内を炎と爆発で満たした挙句、跳ね返ってきた爆炎が中から吹き出してくる。どこから持ち出したのか、ゲパルトが空に向けて対空砲火のシャワーを浴びせ始める。直後、別方向から飛んできたミサイルがその車体に突き刺さり、台座と砲台が泣き別れた対空戦闘車が燃え上がる。シャッターの向こうは、俺たちが数ヶ月前まで飛んでいたのと同じ、阿鼻叫喚の戦場。よりにもよって俺たちの巣が狙われるとは思わなかった。それだけ、ここを爆撃していった連中は俺たちのことを危険視していたということなのだろう。
「ああっ、畜生!俺の機体が、整備班の連中が!!」
「やめろサジタリウス1、今から行ってもバーベキューにされるだけだ!!」
ナガハマ曹長に羽交い絞めにされてもなお、傭兵の一人がもがいている。他の整備兵が駆け寄り、そいつを押さえ付けてようやくハンガーの中が静かになる。ブリーフィングルームから比較的手近の俺たちのハンガーは緊急避難所と化して、所狭しと傭兵たちがたむろす羽目となっていたのだ。
「くそ、フランツの仇を討たなきゃならないってのに、滑走路の上で蜂の巣かよ、俺の機体は!」
「気持ちは分かるがな、犬死したら結局何も出来ない。耐えろよ、ラクーン3」
「ああ、分かっているさ。分かっているがな、愚痴ってでもいないとたまらんのだよ、ケンプファー!」
まだキャノピーを開けっ放しにしているから、傭兵たちのやり場の無い怒りと叫びがコクピットの中に直接飛び込んでくる。俺とてすぐにでもスロットルを押し込んで飛び立ちたいのはやまやまなのだが、今はこの穴蔵の中で耐えるしかない。だが、俺たちの腹を揺さぶっていた轟音は、次第に遠くへと去っていく。とりあえずは、この基地を弄り尽くすのも満足した、ということだろう。空を覆う巨大な毒蛾を護衛するかのように付き添っていた戦闘機たちの甲高い咆哮も次第に遠ざかり、ヴァレーの空には再び静寂が戻ろうとしていた。
「よし、もう大丈夫だろう。シャッター開け!ガルム隊を表に出すぞ!!」
ナガハマ曹長たちがハンガー出口の操作盤に取り付き、閉ざされていたシャッターのハンドルを回し始める。爆撃による被害のせいか、本来なら自動で開くはずのシャッターが開かないのだ。なので、いつものようにすんなりとは開かない。ナガハマ曹長たちが必死でハンドルを回しているのだが、ついついトリガーを引いて強引にシャッターを突き破っていきたい衝動に駆られる。俺は一旦操縦桿から手を離し、深呼吸した。焦っていても仕方が無い。この後、俺たちがどれだけやれるか、だ。心が落ち着いてくるのを確認して、俺はキャノピーをクローズした。外の音が遮断され、コクピットの中が静かになる。ゆっくりと開いていくシャッターの向こう側には、無惨に破壊されたヴァレー基地の姿。ふつふつと、腹の底から怒りが湧いてくる。戦争は既に終わり、火種は残したとはいえようやく平和を手に入れ始めた世界に対して、再び戦争を仕掛けようとするその思想自体が気に食わない。現在を浄化するだ?まさか連中、世界中をこうやって爆撃するつもりなのか?最早それは、思想ではなく狂気という代物でしかない。絶対に、食い止めなければならない。連中を放っておけば、更なる悲劇が生み出されるだけに過ぎないのだから。ヴァレーの空はすっかりと静かになった。もうあの空を覆っていた巨大な化け物の姿は見えない。ようやくシャッターが開き切り、俺はハンガーの中の傭兵たちを吹き飛ばしたりしないよう、慎重にスロットルを軽く押し込み、ブレーキから足を少しずつ離していった。ゆっくりと愛機が動き出していく。整備兵たちがある者は手を振り、ある者は敬礼をして俺たちを見送っている。片手を離した俺は、親指を突き立てて見送りに応じ、そして誘導路へと機体を乗せた。ジェームズのF-16Cが左翼後方へ。そして隣のハンガーからはガイアのF/A-18CとシャーウッドのJAS-39Cが姿を現す。
「ガルム1よりマッドブル1へ。3番機以降はどうした?」
「ラウンデルのバカッタレが階段から落ちて足折りやがった。おかげで4番機まで出撃できねぇ。あの野郎、戻ったらタバスコを一気飲みさせてやる」
「仕方ないさ。よし、この4機で行くぞ」
素早く基地の状況を見渡す。反対側の山肌に位置するアラートハンガー群も無事だったが、連中が出撃するために通らなければならない誘導路が、墜落した機体の残骸で塞がれている。あれを取り除かない限り、出撃が出来ない。さらに、敵部隊の真正面にあったハンガーには徹底的に攻撃が撃ち込まれ、炎と煙を吐き出す焼却炉と化した姿を晒していた。ヴァレー基地の人的損害は決して少なくは無いだろう。俺は散っていった仲間たちに対して、短い時間黙祷した。くそ、絶対に許さないぞ。必ず、あのデカブツをこの空から引きずり下ろしてやる――そう心の中で誓う。煙がたなびく誘導路を抜け、俺たちの機体は滑走路の末端へと到着する。滑走路の正面に立って、俺は初めて管制塔が破壊されていることに気が付いた。
「こちらイマハマです。ガルム隊、マッドブル隊、聞こえますか?あなた方だけで構いません、敵を見失わないよう追撃してください。出来る限り早く、増援部隊を送り出しますが、そのためにもXB-0を逃すわけには行きません。頼みますよ」
「ガルム1、了解。しかし、管制塔は……」
「全滅です。幸い、イーグルアイは無事ですから、君たちの離陸後直ちにマッケンジー君たちにも上がってもらいます。私も同乗して、上空から指揮を取ります」
その言い方に俺は引っかかるものを感じた。何か旦那は隠している――。そして後ろのジェームズが息を飲む音が聞こえた。
「イマハマの旦那よ、ウッドラントの親父はどうした?お耳の恋人は!?」
「レクター君は無事です。腕に怪我は負っていますが、後は奇跡的にも大丈夫です」
ジェームズが歓声を挙げる。だが、イマハマの旦那が敢えてウッドラントについて語らないことで、俺は事実をある程度察知してしまった。
「……大佐は、戦死、か?」
「皆も聞いていたとは思いますが、空襲警報発令直後、至近で炸裂した対地ミサイルに吹き飛ばされて……レクター君が最期を看取ってくれたそうです。そうそう、サイファー、貴方に大佐から伝言があります。"すまなかった"……大佐は、貴方がベルカへの裏切り者になるんじゃないか、と疑っていたことを随分と悔いてました。ああいう人ですからね、分かってやってください。それから、"若鳥たちと、ウスティオの空を頼む"――確かに伝えましたよ」
強情親父め――心の中でそう叫び、俺は目を閉じた。ようやく、良好な関係を築け始めた上官の、不器用な謝罪が心の中に突き刺さる。勝手に毛嫌いしていたのは俺も同じ。だが、面と向かって謝罪することはもう二度と出来ないのだ。ならば、故人の願いをかなえる事がせめてもの報いだ。――やってやる。先ほどまでの焦燥感とは全く異なる、静かな怒りが心の中に灯る。理屈ではない。俺たちの戦いを後方で支え続けてきた頼もしい戦友に対して出来る、俺たちのささやかな手向けだ。
「ガルム1より各機、行くぞ。目標はXB-0、全力で追撃する!!」
「マッドブル1、了解だ!」
「ディンゴ1、了解」
「PJ了解!くそ、絶対に逃がすものか!!」
スロットルを奥まで押し込み、アフターバーナーON。ブレーキOFF、エアブレーキOFF。猛烈な推力を受け止めた愛機が、疾走を開始する。続けてPJ機。少し間を置いて、マッドブル隊の2機が離陸を開始する。速度が充分に乗ったところで、操縦桿を引いてテイクオフ。足元から重力が消え去り、愛機F-15S/MTDが大空へと舞い上がる。煙と炎のたなびくヴァレー空軍基地を目に焼き付け、そして俺は正面に集中した。上空で合流した俺たちは、ダイヤモンドを大空に描いて加速を開始。今は、1分1秒が惜しかった。待っていろよ、デカブツめ。ヴァレー組の恐ろしさをたっぷりと堪能させてやる――HUDの遠い向こうにいるであろうXB-0に向かって、俺はそう呟いたのだった。