追撃
親鳥の「攻撃目標」地点離脱を確認したうえで、男は彼の率いる部下たちを集結させた。攻撃目標――彼らの理想達成の最大の障害となるヴァレー空軍基地に相当な被害を与えることには成功した。だが、このままでは終わらないだろう、と彼は確信していたのである。恐らくは、あの「鬼神」がやってくる。自分たちの操る機体と全くの同型機種であるF-15S/MTDを駆る猟犬が。だが、男――アンソニー・パーマーには絶対的な自信があった。今や理想郷の実現に動き出した彼らの前に、敵は無い、と。鬼神が同志となるならばともかく、それが実現しないのであれば、所詮奴も飼い犬だっただけのこと。共に語り合う資格も無い男だ、とパーマーは確信していた。それだけに、未だブリストーや片羽の妖精が奴を気にかけていることが、彼には残念でならなかった。これほどの兵力を揃えた組織に、何の不満があるのだろうか、と。だからこそ、彼は踏みとどまったのだ。追撃部隊を殲滅するという大義名分を得て、「鬼神」を抹殺するために。
「XB-0より入電。方位120より、敵影複数接近。識別信号はウスティオ。ヴァレーの連中と思われます」
「やはり来たか、鬼神め」
愛機を少し傾けて、パーマーは接近しつつある強敵に向けて針路を変更した。部下たちもそれに続いて旋回し、敵の迫る方角へと機首を向ける。パーマーは振り返り、部下たちの姿を確認した。これまで、幾多の戦場を共に渡り歩き、そして新たな戦いへと踏み出した、信頼すべき仲間たち。彼らと共に戦えることほど幸せなことは無い。仮に鬼神が相手であろうとも、決して負けることは無い。そう確信したパーマーは、自機の操縦に神経を集中させた。景気付け、とばかりに機体をぐるり、とバレルロールさせる。よし、出発だ!
「ソーサラー1より、全機。遅れるなよ。最大推力で敵に向かう。帰還することを考えるな!」
「了解!!」
部下たちの返答を合図に、パーマーはスロットルを奥へと押し込んだ。心地よい加速を得たF-15S/MTDが、猛烈な勢いで速度を上げていく。8機の青い魔術師たちが大空を切り裂くようにして、バルトライヒの山々を目指して消えていった。
足元には雪に深く覆われたバルトライヒの山々が広がっている。だが、以前と異なって、この地域で営まれていたであろう人々の生活は存在しなくなっている。ベルカが起爆した核兵器の影響で、この辺りは放射能によって強烈に汚染されてしまったためだ。やがて、大地に穿たれた無惨な傷跡――クレーターがその姿を現す。ほぼ円状にえぐられた大地に残る物は何も無く、削り取られた地表の無表情さが、被害の大きさを物語る。そして、クレーターの外縁からいきなり姿を現す街の残骸が、かつてはここが人間の生活の地であったことを無言に伝えている。
「生命反応は……無いか。くそっ、こんな無惨な光景をまた生産するつもりなのか、連中は!!」
PJが声を荒げるのも無理は無い。クレーターの真上を通過した俺たちは、そのままノルト・ベルカの地へと侵入する。本来なら、完璧なる国際法違反。和平条約違反だ。
「イーグルアイよりガルム隊、マッドブル隊。XB-0は方位080、君たちの前方を依然北へ向けて飛行中だ。ECMも光学迷彩も施さず、悠々と飛んでいやがる。決して逃すな、そのままの針路を維持せよ」
「了解した。イマハマの旦那、基地の状況はどうか?」
「ひどいものです。作戦機自体の被害は少ないですが、整備兵や基地要員の損害だけでも100人には達するでしょう。怪我人もいますからね、実質的に基地の機能は壊滅寸前の損害を被ったと言えるでしょう」
バルトライヒの山々が過ぎ去り、代わりに山向こうに広がる湖と古城の姿が見え始める。あの日まで、大勢の人々が生活していたはずの都市に、今は誰もいない。雪が降り積もった道路は除雪された形跡もなく、街を歩く人々の姿も見えない。完全なるゴーストタウンと化したシュティーアの城と城下町。この光景を哀しいと言わずして何とするのか。ガイアたちも同じ心境なのか、皆無言。誰もいなくなったがらんどうの街を見下ろしているのだろう。滅入ってくる気分を切り替えようと首を振った俺は、レーダー上に表示される新たな光点に気が付いた。XB-0?いや、違う。あのデカブツがこんな大きさで映るわけは無い。別口――どうやら俺たちを待ち伏せしていた連中がいたらしい。
「ディンゴ1よりガルム1、方位330に敵影確認。数は8、我々に向けて急速接近中!!」
「そうそう簡単には行かせてくれないってか。仕方ねぇ、踏み潰すぞ」
全兵装セーフティ解除。左旋回、方位330に向けてヘッドオン。無視して進んだところで、XB-0と敵部隊と同時に戦闘になるリスクを負うだけでしかない。真正面から突っ込んでくる敵機、針路変更なし。ガイア機とシャーウッド機、俺たちの後方で上昇を開始。俺とPJはそのまま直進を継続。中射程ミサイルのレーダーロックをかけようとコンソールに手を伸ばした瞬間、ロックオンされたことを告げる警報音が鳴り響く。舌打ちしつつ、パワーダイブ。警報音がけたたましく鳴り響き、ミサイルの接近を告げる。分かっているよ、と呟いて機体を水平に戻す。自分たちのやや上方に、敵影と俺たちを捉え損なったミサイルの白煙が通り過ぎる。特徴のある機体に俺は思わず、ほう、と声を出した。敵戦闘機は、俺と同じF-15S/MTD。そしてIFF反応はオーシア軍のものを示している。本来友軍のはずの戦闘機たちは、しかし俺たちを敵と認識して攻撃を浴びせてくるのだった。
「敵戦闘機部隊は、元オーシアの連中のようだ。構わん、殲滅してXB-0へ向かえ。足止めされている時間は無いぞ!」
「そんな、友軍が何で俺たちを襲うんだ!?こちらウスティオ空軍第6師団第66小隊のPJ。俺たちは味方だ、攻撃を中止しろ!!」
返答は無い。いや、返事代わりに放たれるミサイルがその答えなのだろう。相手の機体はF-15S/MTD。嫌と言うほどその機体の運動性能は知り抜いている。後方で鮮やかに急反転をしてみせた敵機は、俺たちの後方に回り込んで狙いを付けて来る。さらに前方から接近する第二波からもレーダー照射。わざと細長くしている編成は、前後からの挟み撃ちを前提にしたもの。背後に回りこんだ先発隊は、後背の有利なポジションからさらに襲いかかるという戦法だ。シンプルなものだが、実際にやられると洒落にならない。迂闊に旋回すれば、左右から攻撃を食らうだけのことだ。ならば、道は一つ。俺はスロットルレバーに添えた手を離さず、敵機の真正面に相対する。
「……待っていたぞ、鬼神。お前がやって来るのを。――ここが貴様の墓場になる、やらせてもらうぞ」
ヘッドオンで突っ込んでくる敵機から聞こえてきた声は、落ち着き払った男のものだった。どうやら俺の正面にいる敵機がそれらしい。レーダー照射も行わずに突っ込んできた敵機が90°ロールするのを見て、すかさずこちらも衝突を回避すべく左ロール、互いの腹をこすり合わせるような至近距離ですれ違う。轟音と衝撃が同時に機体を揺さぶり、俺の胃袋を激しくシェイクする。恐怖の感覚が麻痺しているかのような相手の機動だった。こっちは冷や汗ものだっていうのにな。コクピット内の警報が鳴り止むことは無く、俺たちを取り逃がしたミサイルの白煙が次々と虚空に刻まれていく。第3波がやや左方向からの攻撃に切り替えたことを確認し、こちらも左へ緩旋回。PJも続けて旋回し、ぴたりと俺の左翼後方に陣取る。これだけの攻撃の雨の中、ポジションをずらすことなく付いて来るとは、PJの奴も相当に上達している。第3波からの攻撃タイミングが若干遅れ、こちらに好機が訪れる。ミサイルの撃ち方には間に合わないと判断し、ガンモードを選択。こちらよりも早く先方が発砲し、早くも曳光弾の筋が愛機を掠めて飛んでいく。急ロール、真横に傾いた状態で敵の姿を照準レティクル内に捉える。反射的にトリガーを引いて、こちらも応射。互いの射線が交錯し、そして互いの機体がすれ違った。Gに耐えつつ後方を振り返ると、すれ違った敵機が黒煙を吹き出しながら旋回していた。だが、致命傷ではない。急旋回するリスクを犯さず、後方へと加速していったのは、離れたところから長射程のミサイルを撃ちかけるためのものだ。だが、敵方上方から被るように、ガイアとシャーウッドが殺到する。俺たちの後方をまっすぐ追撃してきた敵機が左右に素早くブレークするが、俺の攻撃を被った敵機の反応が遅れる。そこにシャーウッド機がまっすぐ降下して、絶好の攻撃ポジションを確保する。すれ違いざまのガンアタックは、既に傷付いていた敵機に直撃し、レーダー上からその反応が消えてなくなる。
「お見事、ディンゴ1!!」
「いや、こいつら手強い。今度はこっちが包囲されている」
「無理せず回避機動を徹底しろ。ガルム1、援護任せたぜ」
こちらもそう余裕があるわけではなかったが、マッドブル隊の突入で敵の包囲網はかき回され、ようやく俺たちのコクピットに延々と鳴り響いていた警報が止まる。さあ、ここから反撃だ。PJと俺は反対方向へと急旋回、今度は5機の真っ只中にあるガイアたちの支援に回る。だがガイアたちの腕前も相当なもの。機体性能では敵方に一分の利があるだろうが、二人とも巧みに逃げ回り、敵の追撃をかわしていく。ガイア機が、わざと旋回径を大きく取って加速していく。その後ろに、敵の一気が鮮やかなエッジを刻んで喰らいついていく。レーダー上の光点は、敵・味方が入り乱れ、複雑な画像を映し出す。旋回を続けるガイア機に喰らい付く敵機を獲物と認め、その後背へと襲い掛かる。機体性能は全くの互角。ならば自分の腕を信じる以外に何がある。きっと俺の後ろを取った連中は、今俺が見ているのと同じ後姿を見ていたのだろうな、と不思議な気分になってくる。青いカラーリングのF-15S/MTDは、緩旋回と急旋回を織り交ぜたガイアの回避機動に時々コースを外されながらも食いついていく。腕は決して悪くない。一度バレルロールをかまし、左旋回中の敵機の側面から攻撃を仕掛けていく。ガイアが右方向へ急ターン。それを予期していたかのように敵機も右へ急旋回。だが、急激な機動は減速を招く。回り込んだ俺の目の前に、速度を落として旋回する敵機の後姿が飛び込んでくる。好機!すかさずレーダーロック。程なく、ミサイルシーカーが敵機の姿を完全に捕捉してHUD上で明滅する。
「ガルム1、フォックス2!!」
ミサイルを発射し、俺はスロットルレバーを押し込みつつ上昇を開始。俺がそうしたように、敵の別動機が俺の後背に迫りつつあったのだ。迫り来るミサイルから必死に逃げようとする敵機を追い越して上空へ。その後ろから敵機が同様に加速して来る。追撃から逃れたガイアのF/A-18Cがインメルマルターン。かなりのGをかけながら反転に成功したガイア機が、俺の後背を狙う敵機にヘッドオン。俺は機体を180°ロールさせてパワーダイブ、一気に低空へと突っ走る。敵機も合わせて急降下しようとし、その真正面にようやくガイアの姿を捉えた。
「うちのトップエースばかりに気を取られすぎだ、下手クソが!!」
ガイアの放った機関砲弾の雨は、容赦なく敵機のコクピットを蜂の巣にし、パイロットの肉体をミンチにした。乗り手を失った機体は黒煙と炎に包まれながら地上へと落ちていく。
「ナイスサポート、マッドブル1」
「それはこっちの台詞だ。よし、この調子で全部喰らい尽くすぞ」
「……全てを焼き尽くす猟犬と狂犬たちか。噂どおりの腕前だ」
仕切り直し、ということだろうか。俺たちと至近距離でドッグファイトを展開していた敵機が、俺たちから距離を取るべく一時離脱を図る。こちらも編隊を組み直し、互いに同心円状の縁を沿うように旋回して攻撃のタイミングを図る。やがて、二手に分かれた敵部隊が、左右に大きく分かれて加速を開始する。左右からの挟撃を狙うつもりだろう。それを証明するかのように、コクピットの中に警告音がなり始める。正攻法ではあるが、ここまで徹底されると非常にやり辛い。だがやり辛いのは相手も同様のようだ。基本的には4人が好き勝手に飛んでいる俺たちの類は、向こうさんの戦法で捉えるには面倒であるらしい。警告音が甲高い悲鳴を挙げ、ミサイルが発射されたことを告げる。再び俺たちの射程外からの攻撃。だが、そうそう同じ手にやられるものか!俺とPJは、俺たちの左翼から接近する敵機に対して、敢えてヘッドオン、スロットルを押し込んで加速する。警告音が耳を叩くが、構っていられない。遠方に、ミサイルの白煙を捉える。反射的にペダルを蹴っ飛ばし、急ロール。白煙があっという間に近づき、そして後方へと流れ去るのを確認して再び水平に戻す。回避成功。直後、敵戦闘機本体とすれ違う。互いに機関砲弾を撃ち合うが命中せず。スロットルを少し戻し、操縦桿を思い切り引く。機首が勢い良く跳ね上がり、身体の骨が軋む。強引にインメルマルターンを決めて反転。一方のPJは大回りでインメルマルターン。上昇してループ中の敵機に喰らい付いていく。
「ちっくしょう!IFF反応を見ても分からないのか、オーシア軍機!!もう戦争は終わっているんだ、俺たちは味方だ!!」
「イーグルアイよりガルム2、連中は友軍ではない、敵部隊だ!!」
「……そのとおりだよ、若造。我々は「国境無き世界」の住民。まがい物の英雄たちに用は無い。理想郷の実現のために、お前たちにはここで死んでもらわなければならないのだ!」
「理想郷だと?」
こいつら何を言っていやがる?戦闘機動中であったが、俺は問いかけざるを得なかった。先ほどと同じ、隊長らしき男の静かな声が返ってくる。
「そう、理想郷だ。先の戦いは終わり、戦場は会議室の場へと移った」
「そうだよ、新しい世界を築くための国境線の見直しだ。それは戦場なんかじゃない!」
「その線が新たな争いと戦いを生み出す」
「なんだって?」
ループから強引に機体を捻って水平に戻した敵機、アフターバーナーを焚いて逃げにかかる。こちらも加速して追撃。敵機、旋回を繰り返しつつローGヨーヨー。オーバーシュートを狙って徐々に速度を下げていく。それを察知してやや大回り気味に旋回。敵機の背中へと近づいていく。その敵機の向こう側で、ガイアの執拗な追撃を受ける敵機の姿が目に入る。大きくループを描き、再び上昇に転じようとしたその刹那、一気に加速して距離を縮めたガイア機が、追い越しざまに機関砲弾のシャワーを浴びせて離脱。ヒット・アンド・アウェイのお手本のような機動を見せて、敵機を葬ることに成功する。形勢は次第に逆転しつつある。
「お前たちも経験したはずだ。腐り果てた連中の引く国境線になど、何の意味も無い。そんな線は、我々が消し去る」
上空から敵が1機、俺めがけて垂直降下。どうやら、こいつが敵の隊長機らしい。動きが明らかに違う。背中をさらすような愚は犯さず、機首を跳ね上げてこちらは垂直上昇。重力の存在を無視したかのように機体が大空に屹立して上昇していく。今度は互いに機関砲弾を浴びせあってすれ違う。互いにローリングしながら攻撃を回避。ポジションが入れ替わり、今度は俺が上空へ。のんびり回っていたんじゃ間に合わない。スロットルOFF、エアブレーキON。どん、と何かにぶち当たるような衝撃と共に機体の推力が押さえ付けられ、一瞬身体の血液が前面へ偏り、視界が赤く染まる。機体は後方へとテールスライド。滑るように後尾が動き、そして機首ががくん、と下を向く。エアブレーキを閉じ、スロットルを押し込む。低空を飛行する目標の上に占位して、追撃開始。
「そう来たか、鬼神。お前なら、俺を満たしてくれそうだ」
「線を消し去ってどうする?結局お前たちが線を引けば、それが国境線になるだろう?それもまた、争いを生むのじゃないのか?」
「国境線など必要ない。国境無き世界は、階級も所属も関係ない、理想的な軍隊。理想的な世界だ。そこに国境の入る余地は無い。そして、我々が統治する世界にも、国境は無い。世界は一つになるんだ――我々の手によって!」
「そんなものは、愚者の見る夢幻だ」
「何だと!?」
「理想的な軍隊?理想的な世界?無辜の市民を爆撃で虐殺し、あのデカブツで世界中を破壊しようとするお前らの作る世界が理想郷?――大言壮語も大概にしろ。お前らのやっていることは、戦争が無ければ生きていけないと勘違いした兵士たちのマスターベーションでしかない!!」
「お前こそ、新たな争いを生み出そうとする連中の飼い犬だろうに!!」
高度計の数字がコマ送りで減少していく。敵隊長機、山地帯の地形を利用して低空で加速。山肌が邪魔をして、ミサイルの狙いが付けられない。舌打ちしつつ、こちらも山と山の合間に飛び込む。地表が恐ろしいほどの勢いで迫る。右へ、左へ、敵の後姿を追撃して機体を跳ねさせる。急激な機動に胃袋は激しく揺さぶられ、吐き気もこみ上げてくる。だが、吐いている暇も無い。敵も言うだけのことはある。F-15S/MTDの運動性能を存分に引き出し、俺の狙いを巧みにかわしていく。左右への切り返しのタイミング、地表スレスレの旋回、こちらの位置が見えているかの機動。俺はあそこまでギリギリには攻められない。このまま鬼ごっこをしていても埒があかない――そう決断して、俺は低空飛行を維持したまま、別の谷へとルートを変更した。
「どうした鬼神、低空飛行が怖くなったか!?」
挑発には無言を返し、谷間を抜けていく。レーダーで相手の位置を確認する。迂闊に上昇するのはお互いに危険と判断し、俺たちは別ルートを互いに潜り抜けていく。足元に川の流れを確認しながら、山々の織り成す谷間を突き抜けていく。さらに増速。目前に迫る地表の速度が一層増し、背中を流れ落ちる冷や汗の量も増す。胃の辺りがうずうずとし始めるが、まだ上には出られない。だいいち、俺たちの相手はこいつらだけではないのだ。先行して逃走を続けるXB-0こそ、俺らの本来の獲物なのだから。敵の位置が限りなく近づいて来る刹那、俺は谷間から一気に踊り出し、敵機の頭上へと飛び出した。こちらの機動を待っていたかのように、敵機は高Gをかけてスナップアップ。後背に付こうとした俺の機動を嘲笑うように上昇していく。だが、それは折り込み済みだ!こちらも遅れてループ上昇。山々があっという間に後方へと流れ去り、雲の下に消えていく。スロットルを押し込む腕にもGが圧し掛かり、俺は渾身の力を込めて速度を上げていく。身体がシートに張り付けられ、首を動かすのにも苦労する。操縦桿を握る腕にも必然的に力がかかる。だが、離すわけにはいかない。ループを継続し、天地が逆転したところで180°ロール、水平に戻す。こころもち機首下げ、速度は維持。垂直上昇から俺と同じように水平に戻した敵機の後ろへと張り付いていく。
「くそっ、これでも振り切れないのか!?なんて奴だ」
逃げにかかる敵機の後背にぐっとと近づいていく。F-15S/MTDを操る者同士、意地の張り合いだ。精神と肉体が先に限界に達したほうが負け。何しろ俺たちの機体は、俺たちの肉体の限界を超えた機動も可能なのだ。一つ間違えれば、俺もこの機体に殺されるだろう。限界を超えた機動に、身体の中身を破壊されて。天地が何度も逆転し、圧し掛かるGが身体を容赦なく叩き、そして激しい機動が思考能力を奪っていく。最早先ほどまでの余裕を失った敵機は、文字通り必死の回避機動。その後ろを、必ず訪れるであろう一瞬の好機を狙って付いていく。
何故振り切れない――?圧し掛かるGに耐えながら振り返ると、そこにはぴたりと喰らい付いてくる鬼神の姿が見える。身体が耐えられるギリギリの負荷をかけて飛んでいるはずなのに、鬼神はその動きを完全に読み、しかも先読みして追撃してくるのだった。気が付けば部下たちは1機、また1機と撃墜され、大空から姿を消していく。XB-0の離脱までの時間稼ぎにはなっただろうが、鬼神だけでなく鬼神の僚機までこれほどの腕前だったとは――パーマーは自身の誤算を思い知らされ、首を振った。こうなれば、最早アヴァロンに戻ることなど出来ない。例え刺し違えてでも、道連れにしてでも連中の足を止めなければならなかった。コクピットに警報音が鳴り響く。鬼神からのレーダー照射。旋回を続けるパーマーの背後から離れない。同じ機体、同じ性能であるはずなのに、奴は自分の上を行く。それが信じられなかったし、オーシア軍のトップエースを自負していた身には屈辱的であった。本当にあの機体には人間が乗っているのか。俺ですらこれほど消耗しているというのに、鬼神の飛び方には全くためらいが無い。普通なら戸惑うような無理な機動にも、迷うことなく突っ込んでくる。そして牙を突き立てようとしている。額から汗のしずくが流れていくが、拭っている余裕すら無い。パーマーはイチかバチかの賭けに出た。旋回からバレルロールに繋げ、加速。鬼神が機動をトレースして追撃してくるのを確認して、彼は笑った。鬼神は罠にかかった――エアブレーキON、スロットルOFF、操縦桿を思い切り引いてスナップアップ。圧し掛かるGでブラックアウト。機体を軋ませながらも強引に敢行した機動は、スホーイ系の戦闘機が得意とするコブラ。このF-15S/MTDならば出来る、と信じての機動。これで機首を下に向けたときが、お前の最期だ、鬼神!回復し始めた視界に光が入り始め、パーマーはHUDを睨み付け、そしてトリガーに指をかけた。
「隊長、後ろ!!」
部下の一人の悲鳴が、パーマーの飛びかかった意識を現実に引き戻し、視界を完全に回復させた。そこにあるはずの敵の姿が、どこにも無い。くそ、どこだ、どこにいる!?後方を振り返ったパーマーは、自分の姿を完全に捕捉している鬼神の姿を見出した。そんな馬鹿な。コブラで鬼神をオーバーシュートさせて葬る目論見は呆気なく看破され、鬼神は一足早く減速から垂直上昇、テールスライドで自分を捉えていたのだった。完璧のはずの作戦が破られた今、パーマーに出来ることは直撃からの回避機動、それだけだった。操縦桿を、スロットルレバーを握り締める腕が痙攣したように震える。マスクの下で食いしばる歯ががちがちと音を立てる。これまで経験したことも無いような感覚。これが恐怖というものなのか――そう悟った瞬間、コクピット内にロックオンされたことを告げる激しい警報が鳴り響いた。
ようやく捉えたその後姿にミサイルを射出、念のため第二撃に備えてさらにその後方を維持する。敵機、右へ急旋回しようとして、至近距離で炸裂したミサイルの衝撃波と爆風と破片をその背面で受け止めることになった。翼が、尾翼が、そして胴体が引き裂かれ、火達磨になった機体のキャノピーが吹き飛び、そしてパイロットが虚空へと打ち出される。敵隊長機、撃墜。敗北を悟った敵機が、踵を返して俺たちから離れていく。追撃するか、というガイアの問いに、俺は首を振った。しんどい戦いだったが、これはまだ前哨戦でしかないのだ。
「ヴァレー基地より入電。爆装した攻撃部隊が離陸、既にこの空域に向かっている。XB-0の現在位置は捉えている。そう離れていない。サイファー、先行してXB-0の足を止めろ。そしてあの巨大兵器を撃墜するんだ」
「言われなくとも!」
敵エースを葬って抜けかけた気合をもう一度入れ直す。仲間たちと合流すると共に、機体の状況に素早く目を走らせる。異常なし、燃料も充分、被弾なし。この4機でXB-0を撃墜することは極めて難しいが、仲間たちが上がっているなら話は別だ。連中の到着まで持ちこたえ、爆撃班の障害になる迎撃部隊を可能な限り殲滅すること――それが俺たちの役目となる。ガイア、ジェームズ、そしてシャーウッド。いずれも背中を任せても良い面々が続く。迷うことは無い、後はやるだけだ。俺はこの先をきっと飛んでいるであろう、XB-0の巨大な胴体を睨み付けた。世界を救うことと破壊することを混同した兵士たちの暴挙を止めるためにも、俺たちは負けられなかった。