See you again


きっとヴァレーは静まり返り、残った者たちが無言で立ち尽くしているのではないか――そんな予想は、ヴァレー基地の滑走路に降り立った瞬間に霧散した。いや、誰もが走り回っている方が気が楽だったのかもしれないし、事実人手が足りない以上、その分は走って稼ぐしかないのもヴァレーの実状だった。それに、誰もが確信していたに違いない。このままでは決して済まさない、と。そう、俺たちのヴァレー基地を焼き払い、多くの仲間を――そして、無二の戦友を奪っていった「国境無き世界」との決着を自分たちが付けるのだ、という思いを誰もが抱き、目前の仕事に没頭することで耐えているのだった。そうでないと、まるで足元の大地が消え失せるような、そんな不安に全身を締め付けられてしまうだろうから。だが、普段使っていない後席に座るシャーウッドは、まだそこまでの回復を果たしていないようだった。結局、被弾によって燃料漏れを起こしていたシャーウッド機はヴァレーまで飛ぶことが出来ず、XB-0追撃に向かった俺たちはノルト・ベルカの空軍基地に緊急着陸する羽目となったのだ。基地の整備兵たちはまさに数ヶ月前までの敵であったし、降りてきたのがヴァレー空軍基地の戦闘機、しかも彼らの言うところの「鬼神」まで混じっていたことに最初は驚きを隠せない様子だった。だが同時に、彼らは優秀な整備スタッフでもあり、基地の要員を総動員して、俺たちの機体整備と修理に当たってくれたのだった。だがそんな彼らの腕を以ってしても、シャーウッドの愛機JAS-39Cの修理は不可能だった。むしろ良くここまで辿り着けたものだ、とは最年長の整備兵の言葉。結果、師匠と呼ぶべき男を失い、愛機までも失ったシャーウッドが塞ぎ込むのは無理も無い話だった。さらに付け加えるなら、奴が右の額に負った傷の治療も必要だったのだ。

昨日離陸したばかりのはずのアラートハンガーがひどく懐かしく感じる。シャーウッドを降ろし、そして整備兵たちに機体を任せて自らもヴァレーの大地に足を着けた俺は、まだ火の燻る匂いの抜けない誘導路の上を歩き、他のハンガーとは対照的に人気の無い隣のハンガー――マッドブル隊のハンガーへと足を運んでしまった。そのまま部屋へと戻りたくなかったのが一つ。いるはずもないガイアの残滓を何となく感じたかったのが一つ。1番機と2番機の機体を失ったハンガーの中は、きっとがらんとしているのだろう――そう思って中に入り込んだ俺は、ハンガーの中に佇む優美な機体に目を奪われた。まるで、乗るはずだった主を失ったことを悲しむかのように、その機体は佇んでいる。Su-37、ターミネーター、或いはフランカーEと呼ばれる機体は、まさにガイアが乗り換える目的で取り寄せた最新鋭機の一つ。俺たちが打ち倒してきたエースの中にも、この機体を愛用していた連中がいた。ゆっくりと機体に近づいた俺は、ノーズギアに手を当てて機体を見上げる。"へっ、どうだサイファー。これでお前には負けねぇぞ"――聞こえるはずの無い声が聞こえてくるようで、俺は首を振った。やれやれ、俺もシャーウッドのことをどうこう言えた義理ではなさそうだ。
「こんなところにいたんですか、サイファー?」
不意に呼びかけられて振り向くと、ナガハマ曹長がすっかりと冬使用の皮ジャンを羽織って苦笑を浮かべていた。そのまま中に入ってきたナガハマ曹長は、俺の隣まで歩いてくると同じようにコクピットのある位置を見上げる。
「なんかこうしていると、得意そうな顔で笑っているガイア隊長の姿が浮かんできちまって……もうあの姿が見れないのかと思うと、やっぱり辛いもんがあります。新兵たちも昨日は大変でしたよ。ここのハンガーで泣くは喚くは――とても見ていられませんでした」
「連中はどうしている?」
「それが、あの生意気な奴――ヘルモーズ少尉が"俺たちの手で仇を必ず討つんだ"と言い始めて、もう鬼教官がいないというのに、前同様のハードなトレーニングやっていますよ。サイファーたちも多分明日辺りからは訓練に借り出されんじゃないですか。連中、本当にやる気ですし、実戦に向けた訓練はより厳しい相手でないとまずいでしょ」
「そりゃそうだ」
ナガハマ曹長に指摘されて、新兵たちもガイアの教え子であることをようやく思い出す。ガイアのやり方はお世辞にも優しいものではなかったが、脱落者を出すことも無く新兵たちを確実に鍛え上げていたのはまさに奴の技量が如何なく発揮されていた証だった。ベルカのトップエースたちには及ばずとも、普通のレベルの乗り手が相手なら、もう充分に戦うことが出来る程度に連中は仕上がっているのだから。そんな若者たちですら、自力で立ち直ろうとしている。俺もいつまでも落ち込んでいる場合ではない。きっと近日中に始まるであろう、「国境無き世界」との決戦に備えて、やっておかなければならないことは山ほどあるのだから。それに、もし奴が生きていたら、俺の尻を思い切り蹴っ飛ばしてくれるだろう。"相変わらず火付きの悪い奴だ"とでも言いながら。
「ところで、サイファー。実は一つ相談があるんですよ。イマハマの旦那にサイファーからもお願いしてもらえませんかね。このSu-37、シャーウッド少尉の機体にしてもらえないか、って。このままお蔵入りさせておくのは勿体無いですし、きっとガイア隊長も喜ぶと思うんですよ」
「問題は、シャーウッドが飛べるかどうかだ。額の傷は大したことが無いけれど、ハートの方がな……。自分の身代わりでガイアを死なせてしまった、と塞ぎ込んでしまって、ろくに口も聞かない。根が真面目だから余計なんだろうが、ま、確かにそうなる気も分かるよ」
「その点は、我々よりも適任がいますよ。今ごろシャーウッドの部屋に行ってるんじゃないですかね?」
誰が――と聞こうとして、俺はハンガーの中を走り回る金髪のポニーテールを思い浮かべた。なるほど、確かに俺たちよりも余程適任、最適任者がいた。もしそれで失敗したら、今度は俺たちがケツを蹴っ飛ばしてやればいい。だが、もし出来るならシャーウッドには自力で立ち上がって欲しいと思う。そして、自分の意志で操縦桿を握って欲しい。強制されて飛ぶことは、誰のためにもならないのだ。ガイアがシャーウッドに望んだことは、悲しみの余りに空へ上がれなくなることでは無い。その悲しみを乗り越えて、あの大空へと強く羽ばたいていくこと。そして、これから空に上がっていくことになるだろう、パイロットたちを鍛え上げられるような一端になることこそ、奴が望んだことなのだから。
「……分かったよ。イマハマの旦那には俺からも言っておく。こいつを飛ばせるように、整備と点検を頼む。それと――尾翼にさ、二人のエンブレムを入れることは出来るかい?ジェーン嬢ちゃん謹製のブルちゃんと、ガイアのバニーを。少々悪趣味かもしれないが、こいつにはそれが一番似合うと思うんだ」
「それ、いいアイデアです。よし、シャーウッドがその気になるまでの間に、整備兵たちの間でやっちまいましょう。皆喜んでやってくれると思いますよ。やっぱり、この機体にはシャーウッド坊やに乗って欲しいですからね。ガイア隊長の遺志を受け継いだ、正式なマッドブル隊隊長として、ね」
早速ナガハマ曹長は無線機を取り出し、マッドブル隊専属の整備兵たちに招集をかける。これでいいだろう、ガイア?無人のコクピットを見上げると、親指を突き立てながら笑うガイアの姿が一瞬見えて、そして消えていった。後は、シャーウッドが立ち直るのを待つだけだ。どやどや、と整備兵たちがハンガーの中に集まり始める。集まってきた整備兵たちに指示を飛ばして機体の整備にとりかかろうとするナガハマは、しかし指示を飛ばしながら泣いていた。もしかしたら、俺の口からガイアが戻らないことを聞いて、ガイアの死を納得したかったのかもしれない。人それぞれ、悲しみ方がある。それだけに、俺たちが失ったものの大きさを思い知らされる。だが、悲しみに暮れるのも人間なら、そこから立ち上がって歩き出すことが出来るのも人間だ。慌しく工具箱をぶら下げた整備兵たちが、Su-37の機体に取り付いていく。新生マッドブル隊1号機の姿をもう少し見ていたくて、俺はハンガーの片隅に置かれたベンチに腰を下ろし、しばらくここにいようと決めた。
カーテンが引かれたままの薄暗い部屋の中で、ウィリス・シャーウッドは視線を下に落としたまま、ベットに座り込んでいた。部屋に戻る前、サイファーの後席に乗っている途中も、そしてこの部屋に戻ってきてからも、彼はずっと自問自答を繰り返していたのだった。どうして、ガイア隊長が死ななければならなかったのか。どうして自分が生き残ったのか。答えの出ない問いに心を封じられ、彼はただ無言でそうしている以外の術を持たなかったのだ。あの瞬間を彼ははっきりと思い出すことが出来た。あのYF-23Aが牙を突き立てようとした刹那、頭上に強引に割り込んだ隊長機にいくつもの命中痕が穿たれ、煙を吐き出す光景。恐らくは想像を絶する苦痛を全く感じさせない素振りで最期まで冗談を飛ばしながらXB-0に突っ込んでいったガイア隊長のF/A-18Cが火球と化す瞬間。それがぐるぐると頭の中を回り、一歩を踏み出す気力を萎えさせる。このままではいけない。そう思ってみても、身動きが取れないのだった。だから、シャーウッドは自分の部屋の扉が開く音にさえ気が付かずに下を向いていた。扉が開いたことで澱んだ空気が外へと押し出され、部屋の中を弱い風が吹き抜けて、シャーウッドは顔を上げ、そして彼を睨み付けている金髪の娘の姿にようやく気が付いた。
「ジェーン……」
無言のまま後ろに扉を閉め、そのまま鍵をかけたジェーンは、薄暗いままの部屋の中を突っ切りシャーウッドの側まで歩いていく。そして右手を振り上げた彼女は、そのまま平手をシャーウッドの左頬に叩きつけた。バシッ、という鋭い音が時間が止まったままの部屋に響く。叩いた方も叩かれた方も、そのままの姿勢で固まったまま、沈黙の時間が流れていく。痛む頬をようやくさする気になったシャーウッドは、ジェーンの目が真っ赤であることにようやく気が付いた。
「……アンタね、一体こんなところで何やってるの!?」
その声は、いつもよりも弱々しくシャーウッドの胸の中に流れ込んできた。怒声の裏に深い悲しみを湛えた、震える声が。そして、ここで立ち止まっている自分を叱咤する声が。
「……ガイア隊長が死んでしまった。僕の、目の前で。僕の、身代わりになって……」
「知ってるわよ、そんなこと!アンタたちが帰ってこない間、こっちは大変だったんだから。マッドブル隊の整備兵たちはわんわん泣き喚くわ、酒をかっくらって暴れるわ。ほんっと、後片付けする人間の立場になって欲しいわよ。それで何、アンタは帰ってくるなりこの部屋に引きこもり?そんなことしている暇があるの!?」
「じゃあ、僕はどうしたらいいんだ!?ガイア隊長がXB-0に特攻していくのを、僕がどんな気分で見ていたと思うんだ!?君にその気持ちが分かるのか!!」
「分かるわよ」
「何で」
「じゃあ、アンタには分かるの?親しい人が出撃していくのを見送るしかない私たちの気持ちが。もしかしたら帰ってこないかもしれない……って、待ち続ける人間がどれだけ辛いか。アンタは空で隊長といつも一緒だったからいいだろうけど、私たちは出撃のたびにそういう不安を抱えていたの。それにね、アンタはガイア隊長の遺言をしっかりとその耳で聞いて、最期をしっかりと見届けることが出来た。でもね、それすら出来なかった人間の気持ちがどういうものか、少しは考えたらどうなの!!」
きっと廊下には筒抜けであるだろう大声を放ち、ジェーンは肩で息をして呼吸を整える。鋭い言葉を浴びせられたシャーウッドは、動くことも出来ない。完全に圧倒されて、ただ呆然と目の前の少女を見つめるしかない。自分たちを待つ人間の思い、立場――今の今までそんなことを考えて事も無かったことを彼は認めざるを得なかった。
「……すまない。ジェーンだって辛いんだよな。でも……僕はどうしたらいいんだろう。隊長を見殺しにしてしまった僕が、本当に空に戻っていいんだろうか……」
「はぁ……本当にいじけんぼなのね、アンタは。いい、ガイア隊長が何のために戦死したの?あなたを守るためじゃない。飛べなくなったあなたの姿を見て一番悲しむのは、誰?ガイア隊長に決まっているじゃない。これで本当に飛ばなくなったら、きっと隊長が化けて出るわよ。……ねぇ、飛び続けて、ウィリス。私は、戦闘機に乗って私たちのために戦っているアンタが好き。ガイア隊長も、きっとそれを望んでいる」
俯き続けていたシャーウッドの両眼に再び光が灯り始める。身体を張って自分を守ってくれた隊長に報いることが出来る唯一のこと――飛び続けること。戦闘機乗りとして、この空を飛び続けること。ウスティオの空を守り続けること。――そしてもう一つ、隊長の命を奪った、あの卑怯者と決着を付けること。自らが為さなければならないことは、いくらでもある。そうだ、僕はこんなところで立ち止まっている資格も無いんだ――萎えきっていた心にケロシンが流し込まれ、一気に燃え上がる。
「そうか、そうだよな。マッドブルの1番機を隊長から引き継いだ人間が、こんなところで引き篭もっていたらまずいよな……ありがとう、ジェーン。もう大丈夫。飛ぶよ、僕」
「良し!」
そう言って親指を突きたてたジェーンの顔がくしゃっ、とゆがむ。大粒の雫がこぼれ出し、頬を伝って床に染みを作っていく。僕は何かまずいことを言っただろうか、とシャーウッドは当惑した表情を浮かべる。
ふたり 「ああもう、折角気張っていたのに、馬鹿馬鹿。それともう一つ!被弾して、怪我をしたらしい彼氏の心配をして待っている女の子のことも少しは考えてよ……本当に心配したんだから……」
最後の方はあまりよく聞こえなかったが、シャーウッドは両腕をジェーンの背中に回し、そのまま抱き寄せた。抵抗もせず抱きすくめられたジェーンも、シャーウッドの首に抱き付く。こんなに華奢だったのか。涙と鼻をすすり上げる音を間近に聞きながら、シャーウッドはそう呟いた。身体の芯まで伝わってくる温もりが、とても心地よい。泣き笑いの顔で見つめるジェーンの瞳が閉じられ、そっと唇が重ねられる。柔らかい感触に、鼓動が高まる。そして唇を重ねたまま、シャーウッドはベットの上に押し倒された。
「ジェ、ジェーン?!」
「良かった、本当に帰ってきてくれて。……いい、あなたの帰るところはここ。私のところ。別に格好悪くたって構わない。必ず、帰ってきて」
ジェーンの温もりが体中に染み渡り、そして凍り付いていた心と身体が解凍されていく。そうか、僕は生きているんだ。いや、隊長のおかげで、僕は生き続けているし、こうして会いたかった人たちともいつもと変わらないように話をして、温もりを感じることが出来るんだ――じわり、と涙が滲んできて、シャーウッドはジェーンの金髪の中に顔を埋める。命の恩人、人生の師匠、戦闘技術の指導者はもう二度と会えないところに飛んでいってしまった――!!認めたくなかった、決して認めたくなかったその事実を受け入れた心が、再び時を刻み始める。そう、生き残ったからにはやらねばならないことがある。為さねばならないことがある。支えていきたい人がいる。手につかみたい未来がある。生きているからこそ僕には出来ることがあるし、隊長の命と引き換えにした代償を果たさなければならない自分がいる――立ち止まっていることは、僕には許されないんだ――体中に力と熱が行き渡っていくのをシャーウッドは悟る。相変わらず上に乗っかったままのジェーンを、彼はこころもち少しだけ強く抱き締める。泣いたり笑ったり怒ったり。目まぐるしくかわる彼女の表情に当惑することも多かったが、どれだけ自分は救われてきただろうか。そして、今目の前にはどちらかというと怒っているような表情を浮かべるジェーンがいる。
「……アンタね。女の子が一大決心して男の部屋に踏み込んでいるんだから、少しは気を使いなさいよ。……いつまでそうしているつもり?」
シャーウッドは、自分でもこんなことが出来るのか、と思いたくなるように彼女の身体を強く抱き締める。そして、ベットの上を転がって姿勢を入れ替える。古びたベットがぎしり、と抗議の声をあげる。怒り顔がちょっとためらうような、けれども笑い顔に変わる。両手を差し出したジェーンの身体に覆い被さったシャーウッドは、今は余計なことは考えまい――と自分に言い聞かせ、彼女のツナギのファスナーをそっと下ろしていった。
巨大な軍事秘密要塞という言葉にふさわしい"王の谷"の中は、地図をはっきりと叩き込んでおかないと本当に迷子になりそうだった。そのうち遭難者が出て救助隊を常時編成しておく必要があるかもしれないな、とはウィザード1、ブリストー隊長の言葉だったが、運が悪ければ自分がその1号になるかもしれない、とロッテンバークは苦笑交じりに呟いた。だが、そのウィザード1が被弾して帰還し、遅れて帰還したはずの片羽の妖精――ラリー・フォルクの姿が見えないこと、XB-0が撃破され、バルトライヒの山中に墜落したこと、エスパーダをはじめとしたエースたちが相次いで撃墜されたこと――ルーメン襲撃に成功したときとはうってかわって沈痛な空気の漂う基地内を彷徨い、ようやく整備兵から格納庫付近のフライトデッキで見かけたという話を聞き出して、ロッテンバークは早足で基地内の回廊を進んでいった。探していた目標――片羽の英雄は、わずかに開かれたハッチから青い空が少しだけ見えるフライトデッキから、並んでいる戦闘機たちの姿を見下ろしていた。ふわりと漂う香りは、彼が右手に持ったウィスキーの小瓶から漂ってくるものらしい。酒を決して飲まないわけではないが、まだ着替えることも無く酒を口に運ぶ彼の姿を見たのは、少なくとも初めてのことだった。
「……XB-0が落ちたようですね」
一瞬じろり、と睨み返したフォルクの顔が、次には苦笑に変わる。こいよ、というように手招きされて、ロッテンバークは彼と並んで格納庫を見下ろした。ずい、と差し出された小瓶をためらいつつも受け取り、彼も少しだけ流し込む。快い香りが鼻をくすぐり、強いアルコールが喉と食道を焼いていく。軽く咳き込んだロッテンバークの姿に苦笑するフォルクの姿は、どこか寂しげに感じられた。
「ソーサラーが全滅し、エスパーダもXB-0の盾になって行方不明。ブリストー機も被弾してドック入りだ。全く、俺たちの前に立ちはだかる壁はたいしたもんだ。どこまでいっても、ヴァレー空軍基地は俺たちの天敵だ」
「鬼神が……現れたのですか?」
「そうだ。……まぁ、XB-0の方は奴というよりもヴァレー基地から飛び立った傭兵連中にやられたというべきだが、エースたちは鬼神によって踏み潰された。戦争が終わって錆が浮いているのかと思いきや、ますますもって切れ味は鋭くなったみたいだ」
やはり鬼神――レオンハルト・ラル・ノヴォトニーか。あの強さが一体どこから得られるのか、ロッテンバークは純粋に知りたくなった。かつての祖国のエースたちもそうだったように、「国境無き世界」に所属するエースたちも、それぞれ戦場に意味を見出し、それぞれの信念を胸に抱いて戦っていた。そんな人々に勝利し続けるあのパイロットは、傭兵としてどんな信念を、どんな戦う理由を持っているのだろう。何が彼の強さを支えているのだろう?あれほど憎んだ人間に対し、彼は純粋にそんな興味を持つことが出来るようになっていた。フォルクから、鬼神もまた家に戻れば愛する家族たちを持つ普通の人間であることを聞かされたことも大きかった。
「では、その酒は鬼神に葬られた同志たちに?」
「ん……まぁ、それもあるが、今日は先の戦争を共に戦った戦友のため……だな。ヴァレーの狂犬、おまえも名前くらいは聞いているだろう?マッドブル・ガイアの通り名で知られた報酬至上主義の傭兵。……洒落にならないくらいお喋りで乱暴で豪快で、それでいて若い連中の面倒見の良い男だったよ。ブリストーの被弾は、奴のせいさ。まぁ、俺たちの強敵を一人倒したと思えばいいんだが、それとこれとは別の話だからな」
ロッテンバークから返された小瓶をぐいっと呷ると、フォルクは次の瓶を取り出して口を捻った。その顔には全く酔っているような空気は浮かんでいない。まるで、喉と身体の奥を焼いていく感触を噛み締めているかのように、ロッテンバークには感じられた。
「戦争で死んだ奴は勇敢な奴。そして、生き残ったのは臆病者。……そう、俺はきっと臆病者なんだろう。ガイアのように若い奴の身代わりになって死ぬことも出来なければ、相棒のように戦争の苦しみを胸の奥に仕舞い込んで戦い続けることも出来ない。実のところ、俺は怖いのさ。相棒の命をこの手で奪うことが。そして、相棒とやりあって負けることが」
「フォルク隊長にはADFX-02があるじゃないですか。あの機体と、隊長の技量。これが揃えば鬼神といえども恐れるには足らないのではないですか?」
戦友に―― 「いや、それでも足らないような気がする。結局機体の性能の問題じゃ無いのさ、戦争ってのは。相棒が何故強いのか。それは、奴が自分の弱さを本当に知った人間だから強いんだ。……そんな奴の、命を奪うことが、俺は怖い。そんな奴と戦うことが、怖いのさ、俺は」
寂しそうに笑うフォルクに対し、ロッテンバークはかける言葉が無い。彼は、心の底から悲しんでいたのだ。戦友の壮絶な最期を。狂犬とフォルクの関係を知らない彼には想像することくらいしか出来なかったが、共に轡を並べて戦場を渡り歩いた者同士、その関係はきっと深かったに違いない。立場を違えたこの期に及んでも、その死を悲しむことが出来るくらいに。果たして、そこまでの繋がりを持つ人間が自分にあるだろうか、と考えて彼は恥ずかしくなった。いるはずも無い。全ては、己の復讐のための道具と割り切ってきた自分なのだから。否、そうすることでしか、自分の存在意義を見出すことが出来なかったこの数年間。気が付かなかっただけで、自分を変えようとしてくれた人たちはいたはずだ。フレイジャー中佐しかり、互いに利用しあっていただけかもしれないが、ドミニク隊長しかり。そうすることが強さだと信じていたが、それはとてつもない過ちで人間としての弱さを単にさらけ出して居直っていただけ。自分は弱い、と言うフォルクにしても、きっと死に臨んだときは笑って逝くに違いない。果たして自分はその境地に辿り着けるのだろうか、否、辿り着きたい、とロッテンバークは心の底から思った。そして同時に、彼は決心する。勝ち目は無いかもしれない。だが、自分自身の過去と復讐にけりをつけ、新たな一歩を踏み出すために、もう一度鬼神と戦おう――と。
「戦友に、乾杯――!」
小瓶を掲げてそう呟くフォルクを見て、いつの日か自分もそう言われるようになりたい――決戦の時を控えて並ぶ戦闘機たちの姿を見下ろしながら、ロッテンバークはそう心の中で誓ったのだった。
整備兵たちの半ば自棄気味のノリが良かったのか、それとも何か手を動かしていたほうが気が楽だったのか、まだ何の手も加えられていなかった純真無垢のSu-37は、マッドブル隊隊長機として生まれ変わっていた。ペイントはまだ完了していないが、最終的にはシャーウッドの個人カラーである「白」を基調としたカラーリングに塗装されるだろう。そしてその一方の尾翼には、ジェーン嬢謹製のブルちゃんマーク。もう一方には、今は亡きマッドブル・ガイア愛用の黒地に白抜きのバニー。エンブレムを目にした傭兵たちは、それぞれ頷いて、この機体にはこうあるべきかな――という表情を浮かべていた。
「それにしても遅いなぁ、シャーウッドの奴。連絡は入れたのかよ、サイファー?」
既に酔いが回り始めている傭兵たちが、にやにやと笑いながら言葉を投げてくる。思わず、こっちまでにやけて来る。傍らを見ると、ジェームズが男たちに羽交い絞めにされ、口元にはライスの酒の大瓶――一升瓶と言うのだったか?――を容赦なく突き刺されて飲まされている。きっと今晩は彼の趣味であるポロよろしく、彼自身がそのボールにされるに違いない。出てくるのが遅れているもう一人の若者と共に。相変わらず部屋から出てこないと聞かされて、ジェームズと奴の部屋の前まで行ったは良かったが、さすがにその中に踏み込める間の悪い人間はいないだろう。これできっと、両隣の人間はどこかのハンガーの休憩室で寝なければならない。どうやらガイアの置き土産というか、あの変人の薫陶を多分に受けた者同士、聞いているこっちが恥ずかしくなってくる事態と言える。思わず苦笑して首を振っていると、ジェームスが鍵穴から中を覗こうとしている。その襟首を引っ張って退散してきたわけだが、さすがにそんな珍事を基地の男どもが放っておくはずも無い。ようやくくっ付いたか、と活気の中に沈痛さが漂っていた基地の空気がどこか潤ってきた。そんな中、誰かが言い始めたのだ。今晩はマッドブル隊のハンガーで追悼の飲みを開こう、と。だが肝心の主賓がまだ来ない。あいつ、目が覚めるのはいいが、別な方に開眼するんじゃないのか。本気で心配になってくる。まぁ、昔の俺を待っていたガイアや傭兵たちも同じような気分だったんだろう。確かに俺の場合は大変だったのだから。激しくて。
「お、来た来た。来たぞーっ!!」
整備兵の連中が、ハンガーの入り口に顔を出したシャーウッドの両肩を抱えて走らせる。何が起こっているのか分からないシャーウッドが、当惑したように辺りを見回す。そして傭兵の誰かにどん、と背中を押されて、彼はSu-37の前に座り込んだ。座り込んで上を見上げ、尾翼に描かれたエンブレムを見て目の色が変わる。
「サイファー、これって!?」
「そうだ、お前の機体だよ、シャーウッド。お前以外に、誰がこれに乗ってやるっていうんだ?……ガイアも、その方が喜ぶ。明日から、トレーニングには付き合ってやる。決戦までには乗りこなしてみせろ。お前なら、きっと出来る」
「俺も協力するろーっ。国境無き世界が何らー!!」
あばよ、戦友 シャーウッドが無言で頷いて立ち上がる。その目に強い意志の光が戻っていることを確認して安心する。どうやら、俺の出る幕ではなかったらしい。その役目は、充分にあの娘が果たしてくれた。もう、こいつは大丈夫。既に出来上がって背中から抱きついたジェームズに苦笑を送る彼の背中や頭を、傭兵たちが軽く叩く。一緒にやろうぜ、とでも言うように。主賓の到着を待ち侘びていた連中が一斉にビール缶の箱を開け始め、手渡しで缶が次々と流れていく。これで全ての悲しみを忘れることが出来るわけも無い。だが、アイツはいつも言っていた。逝っちまった奴のことを懐かしみ、悲しんだりするのは全ての戦いが終わってからいくらでも出来る。だから、今は笑って見送ってやろうや、と。そう、生き残った奴には、生き残った奴が果たさなくてはならない責任が課せられるのだ。特に今回のような場合には。この基地だけじゃない。ルーメンの街で奪われた人々の命のためにも、俺たちは国境無き世界を倒す。だから、気のいい悪魔たちと一緒に、俺たちを見守っててくれよ、ガイア。ハンガーの中に集まった連中に酒が行き渡り、そしてSu-37の前に立つ俺に視線が注がれる。演説なんて、柄じゃないんだが、それを得意としていた奴はもういない。俺がやるしかない。
「さて、主賓も来たことだし、そろそろ始めよう。お耳の恋人を孕ませた奴と、整備班のアイドルをこれから孕ませる奴、とりあえず今日はお前らが主賓だ、ジェームズ、シャーウッド。そして、戦死した基地の連中たち、そしてマッドブル・ガイアのために、今日は飲み明かそう。先に逝っちまった連中の分まで、今日は飲んでやれ。そして明日からは決戦に備えて全力を尽くすぞ。それが、俺たちの役目。生き残った俺たちの果たすべき、この戦いの理由だ。……逝った奴を笑って送ってやろう、ってのは、ガイアのやり方だった。今日は飲み明かすぞ!!」
おーっ、という叫びが後に続く。既に飲み始めている連中もいるようだ。これでいいだろ?後ろを振り返った俺は、キャノピーが開かれたままのSu-37を見上げた。絶対に潰れることの無い強靭な肝臓を持つガイアは、ウィスキーの瓶を片手にラッパ飲みと決まっている。悲しみを胸の底に押し込めて、酒を傾ける同僚たちを眺めて、機上のガイアは我が意を射たり、と笑った。"後は任せたぜ"、と笑いながら言ったガイアが、ウィスキーの瓶を放り投げる。その瓶を俺が受け取って飲み干すことは出来ないけれど、代わりにビール缶を一気に呷った俺は、ガイアに向かって親指を突き立てた。"任された"、と。
「隊長ーっ、サイファー、いつまで独りで黄昏ているんすかー」
「そうそう、お前もこっちに来て飲もうぜ。シャーウッドのやつさぁ、なかなか口を割らないんだよ」
「ああ分かった、今行くよ。お代わりをもらえるか?」
誰かが放り投げた缶を受け取って、俺はいくつも出来た仲間たちの輪の中に入っていく。もう俺は振り返らない。そうしなくても、きっと満足そうに笑った奴が、俺たちを見守っててくれるのは分かるから。またな、戦友。ビールの苦味と一緒に、俺はその言葉を心の底へと流し込んでいった。

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