円卓の鬼神


空から舞い降りてくるのは、軽やかに舞う粉雪。吹雪くというものでもない。ヴァレー空軍基地の滑走路に誘導路、格納庫はいつにない喧騒ぶりだ。翼の下にミサイルや爆弾、長射程の対地ミサイル等々、各々の任務に合わせた装備を満載した戦闘機たちが出撃を待ち侘びている。既にブリーフィングを終え、俺たちはそれぞれの任務を果たすべく機上の人となっている。ただ、もともと滑走路を1本しか持たないヴァレー基地だ。管制塔も破壊されてしまった今、大昔の航空基地のように管制は目視でやるしかない。アラートハンガーの中にいる俺たちはともかく、表に出ている連中からはそろそろ不満の声があがり始める。早くしろ、と。戦争大好き中年たちは変わらない。ようやく第一陣の戦闘機たちが誘導路を出て滑走路へと進入していく。今ごろ、このヴァレー空軍基地だけでなく、他のウスティオ空軍基地やオーシア、サピンの基地からも戦闘機たちが飛び立っている頃だろう。それだけではない。主に強襲部隊を中心に編成された陸上部隊も進撃を開始している。既にベルカの首都ディンズマルクで発生している旧ベルカ軍将校たちによる篭城事件には、ユークトバニアとオーシアの特殊部隊が制圧のため極秘に侵入しているだけでなく、アンファングの港から治安維持を目的とした連合軍平和維持部隊が上陸を開始した。連合軍挙げての総力戦。きっと、俺たちの向かうアヴァロン要塞の上空は賑やかなことになるに違いない。
甲高い咆哮がハンガーの中に飛び込んでくる。F/A-18Cの姿が徐々に加速し、そして曇天の空へと舞い上がっていく。ようやく離陸も軌道に乗り始めたのか、テンポ良くジェットエンジンの奏でる轟音がヴァレー一帯に連続して響き渡る。キャノピーを開けてその光景を眺めながら、俺はこの戦いの任務を今一度頭の中で反芻する。ブリーフィングルームに集まった猛者たちが、思わず開いた口が塞がらなくなった光景が合わせて蘇る。連合軍航空部隊の進撃ルートは二つ。ほぼ大半の航空戦力は空中給油などを経て、国境無き世界が陣取ったアヴァロン軍事要塞――平時はダムとして活用されるという画期的かつ厄介な代物だった――上空を多方面から波状攻撃する。一方、ある意味本隊となるのが、俺たちガルム隊を含むムント渓谷突入部隊だ。最大の脅威となる新型核兵器「V2」――ベルカの遺産ではあるが――はアヴァロン要塞の内部発射サイロに眠っているため、要塞の外側からの攻撃ではダメージが与えられない。ではどうするのか?アヴァロン要塞には、ブースター部分も含めれば相当な大きさとなる「V2」の搬入路が刻まれている。この搬入路から突入し、要塞内の発射サイロを破壊すれば良い。幸い、戦闘機が充分に動き回れるスペースは一応ある――と敢えて無表情を装って言い切ったのは他ならぬイマハマの旦那だが、その搬入路の広さは狭いところで大型戦闘機の幅より少し広いくらいの程度。しかも、設計者は戦闘機乗りか余程性格の悪い奴なのだろう。発射サイロが搬入路から見えないように配置されているのだった。だから、侵入した戦闘機はこの狭い空間内で機体を捻って、爆弾やミサイルを叩きつけるしかないのだった。そしてその大任は、俺とPJ――ガルム隊に託された。ムント渓谷突入隊は、言わば俺たちを突破させるための決死隊なのである。これ以外に方法はありません――イマハマの旦那が険しい表情でそう結んだ心境が俺にも良く分かる。俺たちと共に渓谷へ突入する連中は、場合によっては俺たちの代わりに攻撃を受けるためだけに飛び込むのだから。
最後の最後まで、俺たちは苦しむようになっているらしい。そして、俺もジェームズも、例え勝利を掴んだとしても素直に喜べないことを充分に理解したうえで、イマハマの旦那は俺たちに全てを託したのだ。いや、イマハマの旦那だけじゃなかった。渓谷突入隊に志願した傭兵たちも同様。オーシア空軍の連中の中には、先の戦争での借りを返すために志願した部隊までいるというのだ。仲間たちの犠牲を前提にしたミッション。これほどやりにくいものは無い。
「コントロールよりガルム隊、誘導路へどうぞ」
回線を開くと、お耳の恋人、ジェームズのご婦人内定、レクター二曹の声が聞こえてきた。いよいよ俺たちの出番らしい。後ろを振り返ると、ジェームズが鼻の下を伸ばした表情で手を振った。こちらも頷いて、シートに身体を滑り込ませる。よし、考えている時間は終わりだ。後悔も悲しむのも、全て終わった後にゆっくりやればいい。今は集中しろ。自分にそう言い聞かせて、既に何度もチェックをしているコクピット周りをざっとチェックする。ハンガーのシャッターが完全に開放され、空から舞い降りてきた粉雪がハンガーの中に吹き込んでくる。少し勢いの増した雪が、ヴァレーの景色を白く塗りこめていく。そういえば、相棒と初めて出会った時も、この基地は真っ白だった。キャノピーがゆっくりと降りてきて、コクピットを包み込む。整備兵たちが車止めを外して離れたのを確認して、少しだけスロットルを押し込み、ブレーキをゆっくりと離していく。愛機F-15S/MTDは積み込めるだけのミサイルを腹に抱えて、ゆっくりと進み始めた。俺たちの両側で、整備兵たちが一斉に手を振る。「頑張れよー!」と皆口々に叫んでいるのが分かる。そんな連中に混じって、ナガハマ曹長が直立不動で敬礼をしていた。こちらの視線が向くのを確認すると、にやり、と笑う。俺もその敬礼に応えて、右手を挙げた。ハンガーの外はすっかりと雪景色。先発の連中のケツをつつかないように、ゆっくりと誘導路を進んでいく。他のハンガーの整備兵たちだけでなく、俺たちの後から離陸する傭兵たちが、ある者は敬礼を施し、ある者は腕を振って叫びながら、俺たちを見送っている。そう、俺たちは俺たちだけで戦うんじゃない。俺たちの無事を祈ってくれている連中の想いと共に、戦場に向かうんだ。そう考えると、少し緊張気味だった心が落ち着いてくる。
「マッドブル1よりガルム1、お先に。アヴァロンでお会いしましょう!」
俺たちの前はマッドブル隊だった。シャーウッドの白いSu-37を先頭に、新生マッドブル隊の5機が列を為している。
「ああ、そっちも気をつけろよ。……お守りは持ったか?」
「ハハ、どうでしょうね。では、行きます。マッドブル隊、行くぞ!!」
まずはマッドブル隊1番機から3番機がトライアングルフォーメーションを組みつつ離陸を開始。赤いアフターバーナーの炎が雪の中に赤く煌く。充分な助走を得て、テイクオフ。続いて4番機・5番機。管制から滑走路の侵入許可。再びブレーキを離して、滑走路へと進む。ランウェイの明かりが、空へと続く道を照らし出す。ゆっくりと息を吸い込んで、そして吐き出していく。マスクをしっかりと固定し、俺は空への道程を見据えた。
「コントロールより、ガルム隊。グッドラック!!」
「ガルム1よりコントロール、グッドラック!」
スロットルを押し込み、ブレーキを離す。甲高い咆哮を挙げたエンジンが圧倒的な推力を生み出し、F-15S/MTDの身体をくびきから解き放つ。50……80……100……130。速度が150ノットに達するのを確認し、操縦桿を少しずつ引いていく。前輪から接地感が消え、続けて後輪が重力の拘束から解放される。轟然と上昇を開始する愛機。振り返ると、ジェームズがぴたりと左翼に付けて同様に上昇中。ヴァレー空軍基地の姿が、徐々に雪と雲の中へと没していく。
「……必ず、ここに戻る!必ずだ!!」
ジェームズ――PJの台詞は、誰もが誓った言葉に違いない。雲の中に隠れ、ほとんど見えなくなったヴァレー基地に向けて、俺も誓った。必ず、仲間たちもともにここへ戻る、と――。
アヴァロン上空制圧"本隊"と分かれた俺たちは、後の再会を互いに約束して針路を変更した。俺たちの突入に先立って波状攻撃をかける"本隊"に対し、俺たちはムント渓谷へと突入する最も効率的なルートを通る必要があったのだ。だが、"効率的なルート"には一つ難点がある。その途上には、何度もその上空で戦闘を経験し、苦しい戦いを繰り広げたB7R――「円卓」が待ち受けるのだ。またもここか――戦闘機乗りたちの血で彩られた決戦場。もう今となってはその名前に意味など無いはずなのに、戦争が終わって尚血を欲する大地。ここで血が流れることがなくなるのは一体いつの日なのだろう。眼下の光景はやがて赤い岩肌に覆われた不毛な大地へと変わっていく。ラリーやガイアたちと共に戦い、勝利を得たこの戦場だが、今その二人はもういない。
「――円卓っすね。さあ、すんなり通してもらえるかどうか……」
「賭けるか、PJ?」
「止めときますよ。俺が向こうの司令官だったら、絶対にここで出迎えの車準備しますからね」
このルートに付いて来ているのはムント渓谷突入チームの面々。だが、万一空戦ともなれば必ずしも有利とはいえなかった。渓谷内に多数展開している地上部隊との戦闘に備えて、搭載量ギリギリの爆装をしている機体も多かったのだ。だからこそ、俺たちは敢えて対空戦闘を意識した装備を持って来ている。俺たちに課せられた作戦開始時刻は1500時。それまでにこの円卓を越え、ハリネズミのように武装した敵拠点内に飛び込まねばならない。あまり寄り道をしている時間はないのだが、どうやらお客さんのようだ。
「イーグルアイよりガルム1。予想とおりだが、前方から接近する戦闘機編隊を確認した。数は8。IFF反応は旧ベルカ。高度はほぼ同じ。このままの針路で行けば、ちょうど円卓の真上で激突になる」
「ガルム1了解。こちらのレーダーでも捉えた。どうやらベルカの亡霊らしいな」
俺たちの真正面、ノルト・ベルカの側から接近する機影多数。この上空で戦ってきたエースたちとはまた異なる奴らなのだろう。密集陣形を取った機影が8つ、俺たち目指して直進してくる。狙いは勿論、アヴァロンへの招かれざる来賓たる俺たちだろう。
「ゴルト1より各機へ、状況を開始する。目標はあくまでウスティオの「鬼神」だ。他の連中は"王の谷"で始末すればいい。――彼らの好きな殺し合いで決着を付けるぞ」
「了解!!」
聞こえてきたのは流暢なベルカ語。落ち着き払ったその声は、無数の修羅場を潜り抜け、覚悟を決めた人間の発するものだった。敵機、針路変更なし。俺たちにイーグルアイがいるように、連中にもAWACSがいるのかもしれない。ガルム隊の俺たちを明らかに狙って、彼らは突っ込んでくる。
「イーグルアイよりガルム1。迂回している時間は無い。踏み潰せ!」
「了解。ガルム1より各隊、連中の狙いは俺たちだ。そのままの針路を維持、先に渓谷の露払いでもしておいてくれると助かる」
「イージスよりガルム1。――了解、早く来ないと全部終わってしまうかもしれないぞ」
「ガルダよりPJ。しっかりとサイファーをカバーするように」
渓谷突入隊が敵編隊との直交を避け、進路を北側へと修正していく。戦闘機の群れたちの姿が遠ざかっていく。敵もレーダー上で把握しているだろうが、針路の変更は無い。あくまで俺とPJと決着を付けるつもりらしい。全兵装、セーフティ解除。高度をやや修正しつつスロットルを押し込む。速度を若干増した機体が、円卓の空を切り裂いていく。彼我距離はあっという間に縮まる。密集陣形を組んでいた敵機のうち、4機が俺たちの左方向へとブレーク。トライアングルを崩すことなく針路を変えた連中は、しかしすぐさまに右旋回。俺たちの左前方やや上方から襲い掛かる。微妙な時間差を付けた攻撃だ。敵の第1波、轟音と衝撃に互いの機体を激しくシェイクしながらすれ違う。第2波は俺たちの後方で急旋回。後背を捉えるべく接近する。仲間たちの機影が円卓の空を越えていくのを確認して反転。PJ機も逆方向に旋回して反転。追撃してくる敵戦闘機部隊の真っ只中に飛び込んでいく。特徴ある前進翼、デルタ翼のカナード、幅の狭い水平尾翼。スリーサーフィスを為すこの機体を正式採用している国はごく僅かだ。敵の群れはS-37或いはSu-47、ベルクート。垂直尾翼には見覚えのあるベルカの記章。だが、こいつらはベルカ軍ではない。国境無き世界に与したクーデター軍なのだから。噂通りの鮮やかな運動性能を見せ付けて、こちらのガンアタックの斜線をバレルロールで回避した敵機が後方へと通り過ぎる。続けてミサイルアラート。前方の敵機に白い煙が揺れるのを察知して操縦桿を倒し、フットペダルを蹴っ飛ばす。瞬間的に左へと飛んだ愛機の腹の下をミサイルの排気煙が貫いていく。バリバリバリ、という連続音。機体をロールさせて浴びせられる機関砲弾の雨の中を潜り抜けていく。
「ゴルト1より各機。死にたくなければ、指示とフォーメーションを的確に実行しろ。敵はあの鬼神だ」
「了解、左35°、高度50下げ、ナウ!」
どうやら敵隊長機は戦況を把握する能力に長けた奴らしい。指示を出された敵機の動く先は、俺とPJが優位な攻撃ポジションを取ろうとした空域だ。先読みされたことを歯噛みしつつ、インメルマルターン。改めて俺たちを包囲せんと迫り来る敵の中へと飛び込む。放たれるガンアタックの雨を機体をロールさせながら回避し、反撃の一矢を放つ。ちょうどHUDの照準レティクルの中に収まった敵機めがけ、トリガーを引く。コンマ数秒のうちに放たれた数十発の弾丸が、敵機の一方のエアインテーク内に飛び込み、エンジンを真正面からぶち抜く。一方のエンジンを潰され、黒煙を吹き出した敵機が高度を下げつつスプリットS。追加の攻撃を避けるべく距離を稼いでいく。追っかけて完全に戦闘能力を奪う手もあるが、それよりも健康体の連中の方が先だ!円卓の空に複雑なループを刻みながら、俺たちと敵部隊は互いにその背後を奪い合う。前後からの挟撃に追い込まれそうになり、180°ロール。操縦桿を勢い良く引きつつ、スロットルを押し込んでパワーダイブ。円卓の岩肌めがけて矢のように急降下。後方ですれ違った敵の一隊が同じように後背に喰らいつき、もう一隊は俺の頭を押さえ込もうと上空に留まる。嫌な相手がいたもんだ。だがここは円卓。かつてのベルカの連中がそうだったように、俺もまたここでの戦い方は充分に「知っている」。PJのF-16Cも巧みな機動で敵を牽制している。考えてもみれば、あのクロウ3が俺の背中を任せられるようになるとは思いもしなかった。ジェームズ、それにシャーウッド。若い奴らはどんどん育っていく。情けない背中は、まだ見せるわけにはいかない。雲の上から円卓の赤い大地まで一気に舞い降りて水平に戻し、円卓を成す岩肌の合間を通り過ぎていく。追撃する敵機も同様に低空まで舞い降りてくる。よし、付いて来いよ。勝算は我にあり。俺は目指す絶好のポイント目指して岩肌を舐めるように愛機を操る。
「見ているだけで惚れる飛び方だ。これが鬼神――!」
「同胞たちが次々と敗北したのが分かる。だが、今日こそここを墓場にする!」
敵の腕前も相当なものだ。俺の飛び方をトレースして離れるようなへまはせずに付いてくるのだから。目前に少し大きめの岩山が迫る。その先は何もない広い平原に続く。ここが好機。そのまま岩山の頂を掠める程度の距離で山を飛び越え、一気に高度を下げつつ思い切り操縦桿を引く。スナップアップ。こちらの意志を理解しているかの如く愛機が応える。敵機から見れば岩山の向こう側で僅かな旋回半径でループ、反転することに成功した俺は、一度飛び越えた岩山を今度は逆方向に飛び越える。その先には、狭い山肌の間を直進してくる敵機の姿がある。ミサイルシーカーが獲物の姿を捉え、そして完全に捕捉する。ロックオンを告げる電子音を確認すると同時にトリガーを引く。撃ち出されたミサイルが真っ白な煙を吐き出しながら敵機の鼻先へと伸びていく。一本は回避機動すら取れなかった一方の敵の機首にまともに突き刺さり、Su-47の機体を真っ二つに引き裂いて円卓の上空に巨大な火球を出現させ、もう一方は敵機の至近距離で炸裂してその大きな前進翼をズタズタにする。黒煙を吐き出しながらも旋回を続ける敵機を照準レティクル内に捉えてトドメ。完全にコントロールを失った敵機は、炎と煙の目に優しくないコントラストをまといながら、円卓の岩肌へと突き刺さった。
「ナイスキル、サイファー!!」
口笛を吹きながらPJが叫ぶ。奴は奴で、敵の1機を葬ることに成功していた。黒煙を吐き出しながら高度を下げていく敵機のキャノピーが飛び、パイロットが打ち出される姿を捉える。
「戦力、1/2に低下。……隊長!」
「素晴らしい腕前だ、鬼神。"円卓の鬼神"の異名、お前以外に相応しいエースはいないだろう。……こんな形でなく出会いたかったものだが、我々にも我々の信念がある。やらせてもらうぞ!」
「もう戦争は終わったっていうのに、どうして戦いを続けようとする!?どうして新たな戦いを引き起こそうとする!?信念が何だ!こんなの、悲劇を世界中に広げるだけじゃないのか!!」
どうやら接近するトライアングルの先頭が隊長機らしい。部下の半分を失いながらも、統率の取れた動きをしているのは大したものだ。だが同時に、俺もPJもこの部隊の弱点を見抜いている。確かに部隊としてのまとまりはずば抜けている。指揮を執る男の力量も相当なものだ。だが、その指揮に従う部下たちの腕前までも隊長機並みであるというわけではない。1対1のガチンコになれば、優勢に立つのは俺たちだろう。だからこそ、連中は個人戦になりがちな空戦において、組織的な戦いを挑んでいるのだ。
「――若いな、傭兵。戦争は結局のところ、武力を行使する兵隊が起こすものではない。後ろにいて前線に立つことは決してない政治家や愛国者たちが引き起こすものだ。残念ながら、先の戦いの講和は大国オーシアが自らの利権を最大限に確保するだけのものだった。そんな欲にまみれた和平に真実は無い。だから、全てを始まりの状態に戻す。そのための「V2」とアヴァロンなのだ」
ミサイルアラート!正面に攻撃ポジションを取った敵部隊が、一斉にミサイルを放ったのだ。すれ違いざまの攻撃を断念して回避機動に専念する。機体を大きく振り回して、正面から突っ込んでくるミサイルたちを中心に大きな楕円を描くようにバレルロール。音速を遥かに超える速度でのすれ違いだ。ミサイルが軌道を修正してくるが、頭上にミサイルの吐き出す白い排気煙を残して後方へと流れていく。とりあえずは回避成功!ミサイル射出後、針路を右方向に転じて俺たちから距離を稼いだ敵編隊の後を追って、俺たちは左旋回。
「別に祖国の覇権の奪取、ベルカによる世界制覇――そんなものに興味は無い。私が戦う理由、それは世界の流れを正しい方向へと僅かに修正することだ。鬼神、お前に聞きたい。お前は何のために戦っている?お前の雇い主たちは、この世界を新たな混乱へと導くかもしれないのだぞ?数多の戦場を渡り歩いてきたお前が、それほどまで強く飛べる理由は何だ?」
「――戦いを少しでも早く終わらせるために戦う。戦場に立つ兵士たちが一日でも家族の待つ故郷へと帰れるように……そして無駄な犠牲、無益な戦闘を止めさせること。言葉で全てを伝えることは難しい。だが、俺に戦う理由があるとすれば、そういうことだ!」
こちらの追撃に対し、敵機は編隊を解き、それぞれの針路に従ってインメルマルターン。2機ずつのペアを組んで俺とPJに襲い掛かる。俺たちも編隊を解き、それぞれの受け持ちへとヘッドオン。明らかに敵機の中で機動が際立っている奴がいる。あれが隊長機だ。俺の正面から突入して来る敵機から、機関砲弾の雨が浴びせられる。勢い良く機体をローリングさせて針路を微調整。敵機の左脇をすり抜ける。同時に90°ロール。強烈なGが身体を軋ませるのに耐えながら、その後背へとへばり付いていく。敵も馬鹿ではない。増速しつつ旋回し、俺の追撃から逃れるべく回避機動を取る。逃すものか――スロットルを押し込むと、甲高い咆哮を挙げて愛機の翼が空を切り裂いていく。

まさか、これほどとはな――。
噂に聞いた鬼神の機動を目の当たりにして、あれは本当に人間の操る戦闘機なのかどうかを疑いたくなる。戦闘開始からそれほどの時間が経っていないにもかかわらず、既に戦力は半減している。鬼神自体の戦闘能力も大したものだが、それをサポートしている2番機も侮れない。ウスティオには本当に格の違う傭兵たちが集まっていたのだ、とカプチェンコは嫌というほど納得させられていた。今、後方にへばりついている鬼神の姿に、隙は全く無い。結局のところ、上昇、下降、旋回、加速、減速、そういった基本的な機動を組み合わせて戦闘機乗りは飛ぶしかないのだが、奴の機動はまるで機体の隅から隅にまで神経が行き渡っているかの如く、滑らかに美しく空を舞ってみせるのだ。どんな回避機動も看破されるのではないか、という錯覚すら覚える。コクピット内に警報音が鳴り響く。鬼神は確実に自分たちとの距離を縮めながら接近している。ミサイル攻撃のリスクを回避するべく、カプチェンコはスロットルを押し込みながら操縦桿を引く。ピッチスケールの数値が跳ね上がり、機体が上昇していく。圧し掛かるGに耐えながら後方を振り返ると、鬼神は自分たちよりもさらに大きい旋回半径を取りながら、ぴたりと喰らいついてきていた。全身にかかるGは相当なもののはずなのに、まるで何事も無いかのようにF-15S/MTDの姿が離れない。敵の狙いは、こちらが水平飛行に戻るときだ。奴は虎視眈々とその僅かな好機を狙っている。唐突にコクピット内にミサイルアラートが鳴り響く。鬼神はまだロックオンを完了していなかったはず――!カプチェンコは機体を水平に戻さず、そのまま操縦桿を引き続ける。
だが咄嗟の判断は、僚機には伝わらなかった。ミサイル攻撃を恐れて一旦水平に戻した部下の機体は、旋回を重ねて追撃を振り切ろうとした。だがそれこそ鬼神の待っていたものだった。アフターバーナーの炎を煌かせながら加速したF-15S/MTDが、追い抜きざまに部下の機体を蜂の巣へと変えた。機関砲弾の雨を浴びた機体は穿たれた弾痕から黒煙と炎とオイルを吹き出し、ゆっくりと機体を回転させながら高度を下げていく。コクピットを撃ち抜かれたのかもしれない。キャノピーが跳ね上がり、部下が脱出してくる気配は感じられない。
「隊長……!次の指示を、指示を!」
鬼神の2番機と戦っている部下の片割れが落とされ、これで状況は同数。ゴルトの翼も、これまでか――ベルカ戦争の間も戦場に出ることも無かったことが、今更ながら悔やまれる。だが、戦闘機乗りとしての血はこれまでにないほど沸騰し、闘志が湧き上がる。私にも、まだこんな情熱が残っていたのか――不思議と恐怖は全く感じなかった。むしろ、好敵手と"殺し合い"をやりあっていることを楽しんでいる自分にカプチェンコは気が付く。だから、彼は叫んだ。自分をこれほどまでに満たしてくれた仇敵―−円卓の鬼神に向かって。
「まだ終わりではないぞ、鬼神!!私はここだ、かかってこい!!」

ドクター、逝く 僚機の撃墜には成功したが、こちらの意図を看破した敵隊長機はループ径を小さくして急反転し、降下に映ろうとするこちらの真正面に飛び込んできた。狙われているのはこの俺の座るコクピット。反射的に察知した俺は、舌打ちしつつ機体を回転させる。敵の放つ光の筋が俺めがけて襲い掛かってくる。自分の頭上を、機体の腹の下を曳光弾の筋が通り過ぎていくが、命中はしない。望外の幸運に感謝して、その後背を取るためにこちらも急反転。視界が目まぐるしく変化し、大地と空が入れ替わる。頭だけでなく胃袋の中身も激しくシェイクされるような感覚。これほどのエースとやり合えるのは戦闘機乗りとしては幸運なのかもしれない。だが、今日はこれで戦いが終わるわけではない。正直、これ以上足止めされているわけにはいかない。俺たちの到着を待っている奴らがいる。俺たちの成功を信じて戦い続けている奴らがいる。俺たちの前に立ち塞がる奴らに理由があるように、今日の俺にも"ここで立ち止まっていられない"理由がある。――ケリを付けてやる!スロットルを押し込み、操縦桿をしっかりと握り、鮮やかに旋回を繰り返しながら回避機動を続ける敵機に喰らい付いていく。もう邪魔をする奴はいない。俺とお前のガチンコだ。旋回で振り切れないことに業を煮やしたのか、敵機が一度くるりと回転すると急機首上げ。アフターバーナーの炎を吹き出して垂直上昇に転ずる。中に乗っている人間にも相当な負荷がかかるだろうが、そんな機動を可能にしたあの機体のスペックの高さに感心させられる。だがスペックならばこっちも負けてはいない。こちらも付き合って急上昇。高度計の数値がコマ送りで増加していく。HUDにようやく捉えた敵影に、ミサイルシーカーの枠が寄っていく。そして快い電子音と共に、レーダーロックが完了する。軽い振動音と共にミサイルが放たれ、虚空を垂直に引き裂いて排気煙が伸びていく。当然敵もそれを察知している。だが垂直上昇中での無理な機動は機体だけでなく乗員にすら相当な負荷をかけることになる。加速を続けながら強引に機体を捻り、敵機が攻撃を回避した。
「ぐぬぅ……こんなときに――!!」
敵の機動が単調な動きへと変わる。ブラックアウトか、それとも肋骨や内臓をやったのか。いずれにせよ、この好機を逃すわけには行かなかった。再びレーダーロック。程なく敵の姿を完全に補足することに成功した俺は、その後姿目掛けてトリガーを引いた。再び白い排気煙を吐き出して加速するミサイルが敵機の左エンジン付近で信管を作動させ、そして機体の後半分を爆炎の中に包み込んだ。垂直尾翼が引き裂かれて宙を舞い、エルロンが根こそぎもぎ取られて吹き飛ばされる。機体全身から黒煙を吹き出した敵機は、何とか水平に戻しながらも高度と速度を下げていく。
「――見事だ、見事だよ、鬼神。だが、覚えておけ。既に世界は変わり始めた。この時代の流れを止めることはもう出来ない。――本物の英雄は、"王の谷"の中にいる。どうしても我々を阻止したいのなら、ダムの中に穿たれた搬入路から進入し、ミサイルサイロ本体を攻撃するといい」
キャノピーが飛ぶことも無く、相変わらず落ち着き払った男の声が聞こえてくる。俺は敵機の横に機体を並べて、コクピットの中に目を凝らした。向こうの視線が俺のほうに向けられる。もちろんキャノピー越し、しかもマスクつきで表情など見えるはずも無い。だが、間違いなく奴は笑っていた。やや苦笑交じりに。
「――どうして俺にそんなことを伝える?」
「フフ、さあな。私にも分からんよ。だが思うのだ。本当にこの世界を焼き払うことが世界の再生、世界の変化になるのかどうか。もっと簡単で単純な方法で、実は世界を導くことは出来るのではないか、と。あんなものを作り上げた人間が言う台詞ではないが、お前をみていると、そう思えるのだ。――さあ行け、もう円卓の道を邪魔する奴はいない。ここはお前の空だ。そして、お前の望みをかなえるがいい、鬼神。私の最後の相手が円卓の鬼神であったことに感謝する」
ボン、とエンジン辺りで小爆発を起こし、敵機の高度が一気に下がっていった。もう機体を水平に戻すこともかなわず、機体から吹き出した黒い煙が空に毒々しいコントラストを刻んでいく。PJも残りの敵部隊の掃討に成功し、円卓の空に静寂が戻った。少なくとも、ここだけには。
「ガルム隊よりイーグルアイ。敵戦闘機部隊の殲滅に成功した。が、燃料が足らない。どこかで補給は出来るか?」
「こちらイマハマです。そのまま円卓を通過し、旧ベルカ空軍のヘレネベルク基地へ下りてください。そう、この間シャーウッドたちと緊急着陸したあの基地です。燃料補給と兵装の換装もこの際やってしまいましょう。余り時間は残されていませんが、まだ間に合います」
「PJ了解!サイファー、行きましょう!」
「ああ、勿論だ」
既に敵機の残した黒煙だけが空を漂い、機体の姿は見えなくなっている。もしかしたら、もっと早く会っていれば、分かり合えたのかもしれない好敵手に俺は敬礼を添えた。何かを俺たちに託そうとして散っていった男に対するささやかな手向けだ。――止めてみせる。世界を焼き払うような暴力によって、世界を変えさせるものか!心の中に湧き上がった熱が、次第に全身へと広がっていく。待っていろ、国境無き世界。針路をヘレネベルクに向けて修正し、俺たちは因縁の空――円卓の空を飛び越える。過去から無数の戦い、争いを見守り続けてきた円卓の赤い岩山たちは何事も発することなく、俺たちの翼跡を見送っていた。

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