生ける者、死せる者


渓谷を抜けた先に広がる最終要塞アヴァロン。ダムの底にまさかこんなものが隠されていようとは、誰も知らなかったに違いない。湖の水が湛えられている状態ではまず発見することも出来ない。上空からの攻撃ですら大した効果が与えられないに違いない。真っ白な姿を晒す要塞の上空スレスレを、俺とPJは一気に駆ける。連合軍による攻勢を受けて、連中は最終兵器の使用を進めているに違いなかった。残された時間は少ない。要塞表面に視線を移した俺は、ぽっかりと口を開けているメンテナンス用ハッチの姿を確認した。俺たちが飛び込まなければならない、穴蔵の入り口だ。
「――!待て、誰か抜けたぞ。アヴァロンの真上に友軍機の反応を確認!」
「識別信号を確認。突破したのは……突破したのは、ガルム隊!!やった、本当に来やがったぞ!!」
まるで地鳴りのように、パイロットたちの歓声が湧き上がる。俺たちの到着を信じて激しい戦いを繰り広げてきた仲間たちが、一斉に叫んでいる。総攻撃の時だ、と。連中と共に戦いたいところだが、俺たちには俺たちの任務がある。空の戦いを任せて、俺は突入ポイントを探した。要塞内部のミサイルサイロは3基確認されている。その全てを破壊する必要があるが、要塞中央部から突入した場合、一度外に出てから再度攻撃を仕掛ける必要が出てくる。時間の無駄であるし、危険だ。ならば、一度に通過するしかない。既に手前の入り口をやりすごしている以上、残る突入口は一箇所。基地最北端のメンテナンスハッチしかない。何箇所も設置された対空砲台から、雨のような対空砲火が浴びせられる。襲い掛かる攻撃を回避しながら、反撃の一撃を叩き込む。ミサイルの直撃を被った砲台が炎と黒煙に包まれて沈黙するのを横目に見ながら、俺たちは要塞の真上を飛び越えていった。
「V2発射シーケンス、順調に進行中。ブースターの点火準備完了。整備員は速やかにサイロ内から撤収せよ」
「V2発射まで、あと6分」
順調に行かせるものか――!要塞最北端に口を開けた突入口。だが、そのハッチがゆっくりと閉まり始めていた。別の所から潜り込むか?だがその時間は残されていない。行くしかない。ハッチの真上で垂直上昇。一度高度を稼いでループ降下した俺とPJは、半分ほど閉まりかけたシャッターを潜り抜けて要塞内部へと突っ込んだ。間一髪。だが飛び込んだ先は、金属に覆われた壁が迫ってくるような、とにかく狭い通路の中だった。高速で飛び込んだ俺とPJは、目の前に迫る床と壁に危うく衝突しそうになりながら機体を水平に戻すことに成功した。スロットルを戻し、ふらつく機体を安定させて狭い通路の中を進む。ミサイルサイロはこの狭い壁の死角になるように配置されている。旋回をやって出来なくは無いが、攻撃ポジションを取れるかどうかは微妙。ならば、通路の端ギリギリから捻って爆弾を投げ付けるという乱暴な手段しかない。幸い、ぶら下げてきたのは余計な性能よりも破壊力を重視した無誘導の爆弾だ。これを翼の下に搭載しながら、ノルト・ベルカの整備兵が言った言葉が忘れられない。"俺たちをダシにして戦争を続けようとしている奴らに、たっぷりと浴びせてきてくれ"。一番外側の一発には、"Present for you"とご丁寧に落書きされている。第1目標、迫る。壁の向こうに確かにミサイルサイロの円形の穴が穿たれているのが見える。全く、本当にここを設計した奴は相当に嫌味の効いた奴らしい。この狭い通路でどうやって機体を捻れと。操縦桿を慎重に動かし、フットペダルをそっと踏んで機体をゆっくりと傾けていく。接触スレスレ。HUDを睨み付けながら通路から飛び出し、投下。後方からPJが続けて爆弾を投下。スロットルを少し押し込んで機体を加速させつつ、次の通路へと針路を取る。何しろ狭い空間の中だ。爆弾の炸裂を回避するスペースも無い。着弾を確認する余裕も無い。一瞬、薄暗い通路の中が真っ白に漂白されたかのような光に包まれ、爆発の轟音が通路の中を反響して要塞を揺さぶる。
「何だ!?第3サイロで爆発発生!!何があった!?」
「馬鹿な……アヴァロン内部に戦闘機の機影を確認!友軍のものではない、連合軍だ!!」
「何てこった、あれは……あれはウスティオの鬼神だ!」
無論正気。ただやっていることは狂気と言われても仕方が無い。実際に飛んでいる俺たちだって"とんでもない"ことをやっていると思っているのだから。狭い通路を抜けてちょっとした広間に出た俺たちは、シャッターによって閉ざされている通路を離れ、斜め前方に口を開けている通路内に飛び込むべく機体を操る。突如、カンカン、という機体を叩く音が響き渡った。通路内のハッチを開いて飛び出した兵士たちが、下から拳銃や自動小銃を俺たちに浴びせているのだった。低速とはいえ、人間の速度に比べれば高速で動いている俺たちに命中する弾丸はほぼ皆無だ。むしろ通路内を吹き荒れるジェットの排気で、兵士たちがなぎ倒され地面を転がっていく。
「そこまでして、世界を焼き払いたいのか……」
「それぞれの正義さ。俺たちがこんなところに飛び込んでいるのと同じように、な。ほら、次の目標だ!」
「了解!!」
さっきの目標同様に、通路の壁に隠れるようにしてミサイルサイロが迫る。やり方はさっきと一緒だ。サイロの上を覆う防護シャッターと安全装置に爆弾を叩き付けて、強制的に顔を出したミサイルを破壊する。兵装選択を爆弾に切り替え。HUDに表示される投下ポイントをサイロに重ねながら、慎重に機体を操作していく。スロットルは失速ギリギリまで落とし、狙いを定めていく。左右へと微妙に振れる照準がサイロに重なった瞬間を狙い、投下!少し遅れてPJ機からも爆弾が放たれる。スロットルを押し込んでサイロの真上を飛び越えて、次の通路へと飛び込む。瞬間的に後方を振り返ると、地面に衝突した爆弾がちょうどサイロの上部を吹き飛ばすところだった。弾け飛んだ防護シャッターの残骸が天井まで打ち上げられ、時間差でサイロ内に飛び込んだ爆弾が中に収められたミサイル本体を直撃する。俺たちはその後の光景を見ることは出来なかったが、第1目標よりも深刻な事態が第2目標では発生した。サイロ内に飛び込んだ爆弾は、狭いサイロ内を何度か跳ね回った後、点検用のゴンドラにぶち当たって炸裂した。高熱と衝撃波と爆風が吹き荒れ、ミサイル本体を引き裂くと同時に、破壊的エネルギーの奔流は点検要員の立ち入りハッチを吹き飛ばし、要塞内部へと流れ込んだのだった。発射に備えて待機していた研究者や整備士たちは突如として通路を満たした炎によって全身を焼かれ、逃げることも出来ずに衝撃波によって粉々に砕かれていった。さらにミサイル内部の固形燃料に引火し、要塞自体を激しく揺さぶる衝撃と共に、先ほどの爆発を上回るエネルギーの奔流が吹き荒れた。一瞬にしてサイロを埋め尽くした爆炎は、俺たちが飛び込んだ通路内に吹き出すだけでなく、要塞内部をも内から焼いていく。爆発の反動で数メートル打ち上げられた弾頭が、何度かバウンドして転がっていく。
「後方で新たな爆発を確認!!……って、これってもしかして!?」
「核爆発ならもうとっくにお陀仏だが、やばそうだぞ。ミサイルの燃料にでも引火したか。急ぐぞ!!」
狭く閉ざされた空間の中で炸裂した爆発の奔流は、当然のことながらエネルギーを発散する空間を求めて高速で進んでいく。必然的に、俺たちはその奔流に後ろから追われる羽目となる。上に逃げるスペースも無い。ということは、このまままっすぐ直進し、最後の目標を潰して脱出する以外に術は無い。うかうかしていれば、愛機ごとこのトンネルの中で焼き尽くされる。冗談じゃない。仲間たちが待っている。ルフェーニアが、アリアが、そしてラフィーナが待っている。死ぬために戦っているんじゃない。生きて帰るために、俺は戦っている。こんな狭苦しい穴蔵での死など、まっぴらご免だ。俺はスロットルを前へと押し込んだ。かなりのリスクと引き換えだが、後ろから迫る炎から逃れるにはこれしかない。あと一つ!狭苦しい通路の残り少ない距離を一気に駆け抜けるべく、俺は操縦桿を握り直した。俺たちの意地が勝つか、連中の執念が勝つか、正念場だ。駆け抜けてみせるさ――今日まで数々の戦場を共にしてきた愛機のエンジンが甲高い咆哮を挙げ、快い加速が俺の身体をシートに沈み込ませる。再び広い、どこまでも広がる空に戻るためにも、俺たちはこの逆境を越えなければならないのだった。
「ルーク1よりレイディアンス、後方に敵機、かわせ!!」
「イージスより各機へ、敵の動きが乱れている。この好機を逃すな!!」
「――何だ、何なんだ。連合軍の連中、何で退かないんだ!?」
巧みに連携して敵機を追い込み、ミディアムブルーのタイフーンが敵戦闘機を葬っていく。ついにムント渓谷を突破し、アヴァロンの中に突入したサイファーたちの姿を見た連合軍パイロットたちが全面攻勢に出ていた。国境無き世界の首謀者たちが引き連れてきた敵増援隊の数は少なくなかったのだが、今やアヴァロン上空は全戦線において連合軍優位となりつつある。国籍も所属も関係なく、その垣根を越えて仲間たちが連携している。きっと、奴には受け入れ難い光景なんだろうな――ウィザードの機影を追い続けながら、シャーウッドは敵に少しだけ同情した。一歩間違えれば聞き惚れそうな演説を論破されて以降、すっかりと口数の減ったブリストーを追撃して、マッドブル隊は暴れ回っていたのである。レーダーには相変わらず微弱な影しか映らないが、その居場所を見つける「目」が彼らを追う。ステルス戦闘機といえども、近距離格闘戦になってしまえばレーダー以上に目視での追撃が有効になる。今やあらゆるアドバンテージを奪い取られたウィザード隊は、マッドブル隊だけでなく、他の連合軍部隊からも狙い撃ちされる羽目になっていた。レーダーに明らかに映るF-16XLの4機を囮にして、残る4機のYF-23Aがアウトレンジから攻撃を仕掛ける手段はもう通用しない。むしろウィザードのF-16XLに乗ったパイロットたちが不幸だったのは、機動性能が勝敗を決する格闘戦において、そのスペックが決して高くないことだった。マッドブル2のF-14Dの執拗な追撃から逃れようと強引に旋回を図った1機が、別方向から狙いを定めていたマッドブル5によって機関砲弾の雨を浴びせられ、蜂の巣になって炎に包まれる。マッドブル・ガイアの死に立ち会えなかったラウンデルの駆る3番機は獅子奮迅の戦いぶりを見せ、ウィザードを追い込みつつ、シャーウッドの後ろを狙おうとする敵戦闘機を片っ端から葬り去っている。結果として、ウィザード隊はマッドブル隊の手の内で踊らざるを得ない状況に追い込まれていたのである。
「その程度か、オーシアの魔術師!!」
「小僧め……!小癪な小僧め……!!」
そうは言っても、やはりオーシアの中でも一目置かれていたエースだけのことある。機動性だけならF/A-22を凌ぐとされるYF-23Aを、完全に手中において飛ぶ姿は見事。だが、機動性という点なら今の自分の機体は決して譲らない。それに、もう二度と同じ失敗はしない。ガイア隊長の戦死という取り返しのつかない犠牲と引き換えに、今こうして飛んでいるのだから。引き離されるわけにはいかない。YF-23A、ループの途中で左方向へ急旋回。両翼から白い雲を引きながら加速していく。愛機をぐるりとロールさせて同様に旋回、スロットルレバーを押し込んでその後姿に追いすがる。このまま追いかけっこを続けるわけにはいかない。アフターバーナーON、2基のエンジンが赤い炎を吹き出し、白い機体を増速させる。回転半径を大きく取ってバレルロール、ブリストーの背中に回り込むようにして接近を図る。2回転目でその背中を捉え、すかさずガンモード選択。トリガーを引こうとした刹那、敵機、急減速。減速は間に合わない。速度をキープしたままブリストーの頭上を通過し、シャーウッドはその前へと飛び出した。当然、奴は加速して追ってくる。
「大言壮語の代償は貴様の命だ、青二才!!」
「笑わせるな。後ろを取っただけで勝利宣言か?」
シャーウッドは少しずつスロットルレバーの位置を戻し、機体速度を落としていく。当然のことながら、自分を撃墜することに躍起になっている敵との彼我距離が縮まる。これがサイファーが相手だとしたら敗北を認めるところだが、今の相手はサイファーではない。むしろ冷静さを見失っている相手には付け込む隙が必ずある。罠を仕掛けるなら、見せかけの罠を看破させておいて本命にひっかけるのが上策――いつだったか、隊長に指南された「相手の引っ掛け方」の実践だ!
「俺と同じ戦法でやり過ごすつもりか?アイデアの貧弱な奴めが」
「いちいちうるさい奴だ。口を動かしている暇があるなら腕を動かせばいい」
挑発に応えるかのようにミサイルアラートが鳴り響く。それでいい!回避機動を取るべく、左方向へ急旋回。空が垂直に切り立ち、雲と空が上下に流れていく。ブリストー機も食い付いてくる。旋回でさらに落ちた速度。ミサイルの安全射程を既に割り込んで、敵機が接近する。まだだ。まだ早い。相手に勝利を確信させた瞬間こそ狙い目だ。冷や汗が背中を流れ落ちていく。一つ間違えれば、木っ端微塵になるのはシャーウッド自身だった。だが、そんな修羅場は何度も潜り抜けてきたのも事実。先の大戦において、サイファーやガイア隊長、そしてピクシー、PJ、ウスティオの傭兵たちと共に戦場を駆け巡った日々において培った様々なことが、今の彼自身を大きく成長させている。強敵相手に冷静さを保っていられるのも、その証だ。以前のままのシャーウッドなら、きっと復讐の炎に駆られて逆に敵に付け込まれ、葬り去られていただろうから。バリバリバリバリ、という轟音がシャーウッドのすぐ脇を追い抜いて、曳光弾の筋が空に刻まれる。命中弾なし。狙ったというよりも、威嚇射撃のつもりらしい。ふう、とゆっくりと息を吐き出し、シャーウッドは行動開始を決心した。旋回を続けていた機体を水平に戻し、スロットルを軽く前へと押し込む。後ろから見れば、きっと加速で振り切ろうとしているように見えるだろう。
「もらったぞ、狂犬!!」
後ろに続くブリストー機が水平に戻し、必殺の一撃を叩き込むために加速した刹那、シャーウッドはスロットルをMINまで一気に戻し、エアブレーキON、操縦桿を思い切り引き寄せる。機首が勢い良く跳ね上げられ、圧し掛かったGのため、シャーウッドは一瞬ブラックアウト。しかしそのまま操縦桿を離すことはしない。ブリストー機の前でスナップアップして上昇したシャーウッドのSu-37は、そのままくるん、と敵機の真上で鮮やかに1回転を決めていた。黒く染まった視界が戻り始めたとき、再びYF-23Aの大きく傾いた垂直尾翼が目前を横切っていった。反射的にスロットルを押し込み、エアブレーキOFF。アフターバーナーの炎を吐き出して、その後背に食らい付く。
「――クルビットだと!?こんな小僧に、この俺がかわされただと!?」
「その過信が、お前の最大の過ちだ、ブリストー!!今度こそ逃さん!!」
「隊長、加勢します。ジョシュア・ブリストー!!我々の恩師、マッドブル・ガイアの仇!!ウスティオ空軍のパイロットの恐ろしさを思い知れ!!」
「おいおい、その役目俺に譲れ。こちらマッドブル3。ウィザードの大将さんよ、そろそろ年貢の納め時だぜ。マッドブル隊は狙った獲物を決して逃さない。逃げ切れると思うな、卑怯者!!」
それぞれの獲物を葬った2番機、3番機がシャーウッドに続いて襲い掛かる。反撃の機会を失ったブリストー機は、今度こそ必死の回避機動。YF-23Aの機動性能を存分に発揮して逃げにかかる。その姿にマッドブル3が辛辣な挑発を投げ付ける。シャーウッドはその後ろにぴたりと張り付いて離れず、そしてヘルモーズの2番機は上昇と下降を繰り返してレーダーロックを浴びせ、ブリストーの神経に負荷をかけていく。マッドブル3はブリストーの針路に先回りをして、逃げ道をふさいで飛び回る。奴の逃げ道など与えない。
「――聞け、狂犬!!お前はそれでいいのか!?お前のやっていることは、結局はお前も否定している政治屋どもを生き続けさせるだけのことだ。奴らはまた同じ過ちを繰り返す。お前はその片棒を担いでいるんだぞ!!」
「追い詰められたら泣き落としか?これだけの組織の首謀者なら、もっとらしくしたらどうだ?核兵器片手に、恐怖によって統治された世界を「平和」とは言わないんだ!!お前のやろうとしていることは、反動的な独裁に過ぎない!!ここで滅びろ、戦争にしか生きる道を見出せない狂人!!」
照準レティクルの中にYF-23Aの姿がついに捉えられる。鋭い視線で睨み付けながら、シャーウッドはトリガーを引いた。平べったい機体に向けて機関砲弾が降り注ぎ、砕け散った垂直尾翼が粉々になって空に散らばる。続けて上空から降下してきたマッドブル2が、すれ違いざまに上から下へ、ブリストー機を撃ち貫く。穿たれた穴から黒煙とオイルを吹き出しながら、ブリストー機、右旋回。逃すものか。シャーウッド機、緩上昇。旋回で逃げようとするブリストー機の上へと回り込んで180°ロール。真下にその姿を捉え、再びシャーウッドは襲い掛かった。その姿をコクピットから見上げたブリストーの顔に、恐怖の感情が浮かび上がる。これでは先日の再現ではないか。しかも今度は自分が狙われている。純白の機体が炎を纏ったような錯覚を覚え、ブリストーは顔を動かすことさえ出来なかった。
「これで終わりだ!!お前にこの世界の未来は決して渡さない!!落ちろぉぉぉぉっ!!」
シャーウッド機から放たれた機関砲弾が、圧倒的な速度で空間を飛翔し、ブリストーのYF-23Aに突き刺さる。直撃の衝撃に痙攣するように機体を震わせて、次々と命中弾が突き刺さる。接触ギリギリの至近距離ですれ違う瞬間、解読不能の絶叫と悲鳴が聞こえてきた。最早操縦不能となった機体は、ただ慣性の法則にしたがって空を漂流しているに過ぎない。奴は気付いただろうか。敢えてコクピットを外してやったことに。機首を吹き飛ばしてその存在を消し去ることは無論簡単だった。だが、シャーウッドはそうしなかった。奴に、空で死ぬ資格など無い――屈辱と恐怖を抱いたまま、落ちていけ。全身を黒煙に包んで高度を下げていくブリストーの姿に、シャーウッドはそう吐き捨てた。
「クックック……よもや小僧にしてやられるとは……まあいい。だがこれで終わりではないぞ!!貴様も、鬼神も、そしてこの世界も、全て焼き払われる。世界は変わるのだ。国境無き世界の手によって!!」
男の魂、逝く 高笑いの声が、やがて消えなくなる。死んだのか、ベイルアウトしたのか、それは分からなかった。だがこれでようやく、一つが終わった。シャーウッドは故人に呼びかけた。隊長、終わりましたよ。見ててくれましたか――これまでこらえてきたものが、一気に弾ける。気が付けば視界が滲み、シャーウッドは嗚咽を噛み締めて堪えている自分に気が付いた。

"ばぁか、メソメソするんじゃねぇよ。……全く、本当にガキだな、お前は"
はっと顔を上げたシャーウッドの右前方に、懐かしい黒い機体が飛んでいた。尾翼に描かれたバニーマーク。シャークフェイスのF/A-18Cが。
"もう、お前に教えることは本当になくなったな。――ありがとうよ、戦友。ジェーン嬢ちゃんとうまくやっていけよ。あばよ、ウスティオのエース。当分こっちには来るんじゃねぇぞ"
何度か翼を振ったF/A-18Cのキャノピー越しに、懐かしい男の姿が見える。笑いながら、親指を突きたてたマッドブル・ガイアの姿が。90°ロールした機体が、そのまま旋回して遠去かっていく。ああ、本当にさよならなんだ――薄れていくその姿を見送って、シャーウッドは敬礼を手向けた。最後の最後まで、自分たちの心配をしていた、お節介焼きの男の魂に向かって。

気が付けば、ガイア隊長機の姿は無かった。そして、敵の姿も見えなくなっていた。ついに連合軍は、アヴァロンの空の制空権を確保することに成功していたのだった。だが、まだ終わりじゃない。呆けていた思考回路が、急速回転を始める。まだアヴァロンの中に飛び込んだサイファーたちが戻っていない。彼らが戻ってこない限り、この戦いの終止符が打たれることは無いのだ。素早く残弾数を確認したシャーウッドは、未だ抵抗を続ける残敵の掃討に向かう。あの狭い通路の中を潜り抜けたサイファーたちが、安心して空に戻ってこられるように――。
いよいよ後方から爆炎が迫る。前方には高速で流れていく通路の壁。どちらを向いても地獄しかない。それほど無いはずの第3目標との距離がもどかしくて仕方が無い。まだか。まだなのか!焦りそうな心を無理矢理静める。操縦桿を握る手も、背中も、汗で濡れている。
「あああああ、来た、後ろから来たぁぁぁっ!!」
「叫ぶだけならいいが、操縦を誤ってくれるなよ、PJ!!」
狭い通路が切れ、空間が広がるのが見える。あの陰に、最後の目標がある!さらに、その先には大空への突破口が開かれている。だがその口が少しずつ狭まり始めていた。くそっ、このまま閉じ込められてたまるか!!要塞内部での最後の仕事に俺は全神経を集中させた。高速で飛ぶ機体からは、もう確実な狙いは付けられない。どっちみちイチかバチかだ。方向だけを合わせ、俺は水平に最後の爆弾をまとめて投下した。後は突破するだけ!!天井にキスしないように高度を確認しながら、スロットルレバーを押し込んでいく。PJ機も同様に全弾投下。水平に通路を飛んだ爆弾が、地面の上をバウンドする。最初の1発はミサイルサイロを飛び越えしまうが、次弾はちょうどその真上に突き刺さり、信管を作動させた。防護シャッターが突き破られ、安全装置が千切れ飛んで転がる。第2目標同様に、サイロ内に充満した爆発のエネルギーが出口を求めて吹き荒れる。俺たちのすぐ後ろに炎の舌が迫る。出口まであと少し。要塞内の通路を炎に包みながら。これならきっと俺たちの攻撃は成功しているはず。この炎と爆風が全てをなぎ倒し、世界を焼き払う核兵器を「リセット」してくれる。これで、無意味な争い事は終わりにするんだ――爆風と衝撃波で引き剥がされていく壁を真横に見ながら、唯一の空への脱出口を目指す。
突破!! 「間に合えぇぇぇぇっ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
徐々に狭まっていく大空への突破口。ハッチに激突しないように針路を僅かに調整して、俺たちは狭まった空へと続く道へと飛び込んだ。途端、視界が広がった。エンジン音と爆音を反響させていた壁の姿は消えてなくなり、鈍い色の雲に覆われた空が俺たちを出迎えた。
「イーグルアイより、作戦機全機へ。ガルム隊の脱出を確認!繰り返す、ガルム隊の脱出を確認!!」
先ほどとは比べ物にならない歓声。俺たちが穴蔵の中にいる間に、アヴァロンの空を巡る戦いはほぼ決着したようで、敵の姿はほとんど見えなかった。大空に、お帰りなさい、か――後は俺たちの攻撃が、しっかりと命中しているかを確認してもらうだけだ。それで、この戦いが終わる。
「こちらオーシア海軍海兵隊第115連隊、マシューズだ!!ダムの下に到着したんだが、要塞はもうオシャカなのか、それとも突入した方がいいのか?さっさと情報をよこしてくれ。さもないと隊長が勝手に突入しちまいそうだ、早くしてくれ!」
「こちらウスティオ空軍AWACSイーグルアイ、115連隊、要塞の中は大火事だ。内部への侵入は少し待ったほうがいい。現在、攻撃目標の破壊状態を確認している」
ゆっくりと高度を上げた俺とPJは、ようやく緊張し続けていた神経を解放した。ずるずる、とハーネスに締め付けられている身体をシートの上で少しずらし、ため息を吐き出す。全く、よくもまぁ、正気とは思えないことをやってのけたものだ。頼まれても二度とやりたくない部類のミッションであったことは間違い無い。下を見下ろすと、どうやらミサイルの誘爆によって引き起こされた大爆発の炎が、要塞の中から吹き上げている。激しい対空砲火を打ち上げていた砲台も全て沈黙し、アヴァロンの空に沈黙が戻りつつあった。――攻撃が成功していて欲しかった。失敗していたら、目も当てられないのだから。

燃え上がるアヴァロンの姿を見下ろして、ジェームズは戦いの終わりを確信していた。やっと終わった。後はヴァレーで待っているセシリーの元に帰るだけ。困難な任務を達成した喜びが、彼の心の中に留まらず、満面の笑みを浮かべる顔にも広がっていた。
「これで終わったんだ!やったぞ!!――ああ、本当に良かった」
「イーグルアイよりガルム2、浮かれ過ぎて地面にキス、するなよ。キスがしたければ、ヴァレーに戻ってからたっぷりやってくれ――お耳の恋人と」
前方を飛ぶガルム1の後姿を眺めながら、ようやく手にした平穏をジェームズは心の底から喜んでいた。これで「V2」が放たれることは無い。世界が焼き払われることも無い。ベルカ戦争から続いていた苦しい戦いが、これでようやく終わる。基地に戻ったら退役して、しばらくは子育てに専念しよう。セシリーと一緒に、生まれてきた子供の世話をしながら、パンを焼くんだ。別に店を大きくする必要は無い。既に充分に稼いだ資金があるし、日々の生活費とパンの材料代に間に合う程度の収入さえあれば一生やっていけるのだから。その分、子供と過ごす時間をとにかく多くしよう。休暇には家族で出かけて、楽しいひと時を送ろう。目の前の幸せが、手を伸ばせば届きそうなところにあった。
「サイファー、お願いしてもいいですか?」
「おいおいPJ、まだ終わってないぞ……って言っても駄目そうだな。何だ?」
「子供用の服と玩具を譲ってください」
「あのなぁ……いいか、PJ、うちのは全部女の子用だぞ。男の子が生まれてきたらどうするんだ!?」
「あっ……」
仲間たちの笑い声が聞こえてくる。そうか、女の子とは限らないのだ。――まぁいいや、着られるんなら着せてしまえばいいのだから。きっと将来、アルバムを見た子供に恨まれることになるだろうが――。
「それでもいいです。サイファー印のお下がりなら、きっと子供にもご利益があるでしょうから!」
「おい、言ってることが無茶苦茶だぞ。シャーウッド!だまって聞いてないで何か言ってやれ」
この場にいる誰もが、戦いの終結を確信していた。もちろん、ジェームズ自身も。それを油断と言うのは酷な話だった。事実、イーグルアイの発した警告に瞬時に反応できた者などいなかった。サイファーと共に修羅場をいくつも潜り抜けてきたジェームズでさえ、その身体は普段の反応速度を裏切っていた。敵の姿は見えない。だが言いようの無い危機感が心臓を鷲掴みにする。
「イーグルアイよりガルム隊!!君たちの正面にアンノウン接近!!かわせ!!」
PJ逝く その声が聞こえるのと、前方から全てを漂白するような光の奔流が広がるのとはほぼ同時だったのだ。回避――禍々しいほどに真っ白い光が視界を満たし、見えるもの全てを漂白した。光と熱と衝撃の奔流。気が付けば、ジェームズは光の只中に一人放り出されていた。戦場を共にしてきた愛機のコクピットは消え失せている。あれ?何でこんなところにいるんだ、俺?そうだ、サイファーはどこに?だが身体は動かない。コクピットの中に座ったままの姿勢で、ジェームズは漂っている。視線を下に移すと、ついさっきまでそこにあったはずの手首から先が光の中に熔けて見えなくなっていた。いや、手だけではない。足の先も向こう側が透けて見えるように透明になり始めていた。――帰らなくちゃ。ヴァレーにはセシリーが待っている。俺は絶対に戻ると約束したんだ。これから子供が生まれてくるんだ。こんなところで呆けている場合じゃない。だが、光に浸食されて、身体がどんどん透き通っていく。手も、足も、全身の感覚がぼやけて、何も感じられなくなっていく。何もかもが真っ白な空間の中では、目を開けているのかどうかも分からなくなっていた。じわり、と目の辺りが暖かくなる。目からこぼれた雫が、頬を伝って流れ落ちていたのだ。戦いは終わったはずなのに、どうして俺がこんな目に遭う。痛みを感じることも無く、消えていく自分の身体を絶望的な気分でジェームズは見下ろしていた。新しく始まる平和な生活。創造と活力に満ち溢れた日々。手に入れるはずだった幸せが、手の平から零れていく。――もう、愛する人の元へは戻ることは出来ない。生まれてくる子供の顔を見ることも、抱き上げてやることも出来ない。家族と共に新しい生活の日々を送ることも出来ない――。薄れていく意識の中で、ジェームズは瞳を閉じて最愛の人の名を呼んだ。
「セシリー……ごめん……」
目から零れ落ちた涙の雫が、光の中に飛び散る。その僅かな水滴は、地面に落ちることなく、失われた未来と一緒に、光の奔流の中で蒸発していった。
「PJ、ジェームズ!!返事をしろ!!ジェームズ!!」
「返事をしてくれ、ジェームズ!!何やっているんだよ、ヴァレーにはセシリーが待っているんだぞ!!返事をしてくれ、ジェームズ、ジェームズっ!!」
俺たちの前方から放たれた光――恐らくはビームかレーザーの類だろう――は、PJのF-16Cを真正面から抉った。コクピットから垂直尾翼をその高エネルギーで焼き切られた機体が飛行を継続できるはずも無く、きりもみ状態に陥った機体はやがて空中分解してアヴァロンの空に降り注いでいった。あれでは助からない――ほんの少し前まで、目の前に迫っていた幸せに喜んでいた若者の姿は、もう二度と見られない。俺たちの前方に現れたアンノウン――未確認機。奴は、俺を最後まで待っていたのだ。良く知っている男がそこにいる。俺はその男を誰よりも良く知っていたはずだった。そして奴は俺を誰よりも良く知っている。
「――戦う理由は見つかったか、相棒?」
聞きたくなかった、その声。信じたくなかった、絶対に。だが現実は認めなければならない。最後に立ちはだかる敵の名は――ラリー・フォルク。

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