2005.09.07 Jackson Hill
エリッヒ・ヒレンベランド。
ベルカ空軍第22航空師団第4戦闘飛行隊 「シュネー隊」隊長
出世欲が無く、戦闘機乗りとしての生き方を望んだ男。1995年5月28日、「鬼神」との戦闘で撃墜された彼は、荒野を3日間彷徨いながら基地に生還し、再び前線に復帰する。現在は民間機訓練学校のインストラクターを務めている。
――彼とは、「鬼神」とは、どこで戦ったんですか?
「アイツとやりあったのは、エリアB7R――そう、「円卓」と呼ばれていた戦域の上空だった。あの日、連合軍が大挙してB7Rの制空権を確保するために攻め込んできたんだ。すさまじい空戦だったよ。両軍のパイロットたちが、互いの腕を競い合い、戦闘機の群れが空を駆け抜ける。戦いは最初我々が押していた。物量で押す連合軍に対し、ベルカ空軍のパイロットたちは技量で対抗していたんだね。ところが、優勢だったはずの戦況が唐突に覆されたんだ。最初は何が起こったのか分からなかった。レーダーを見て目を疑ったよ。次々と撃ち落されていくのは、味方ばかりだったんだ。そう、アイツがやってきたことで、戦況は完璧に覆されてしまったんだよ」
――良く「彼」だと分かりましたね?
「そうだなぁ、うまく言えないんだが……アイツの独特の雰囲気というか、気配というか、そんなものを感じたんだ。F-15S/MTDと、片羽の妖精のF-15Cが姿を見せたときは嬉しかったよ。祖国防衛という話を忘れて、興奮した。当時、ウスティオの猟犬の話はベルカ空軍のパイロットたちに広まっていたんだ。戦場を完全に見渡し、歯向かった敵を完璧に葬り去る死神としてね。でも戦ってみて分かった。アイツは死神なんかじゃない、我々と同じ人間なのだとね。
アイツとの一騎打ちは今でも思い出せる。あんなに充実した空戦は無い。持てる技量の全てを尽くして、トムキャットを振り回して飛んだんだ。自分では結構いい線いってると思っていた。でも、アイツの機動も鮮やかだった。照準レティクルの中にアイツの機体を捉え、ミサイルの狙いを付ける。すると、後ろに目が付いているかのように、スルスル……と逃げていくんだ。そしてこっちが熱くなり過ぎると、後ろに回りこまれてしまう。必殺の一撃、と思ってやったことが、完璧に見抜かれてしまったんだ。気が付いたらアイツは後ろで、自分の機体を完璧に捕捉していたんだ」
――そして撃墜された?
「そう、全くそのとおり。攻撃が命中してすぐ、私はレバーを引いた。愛機が炎に包まれていくのを眺めながら降り立ったのは、円卓の真上。だだっ広くて、何も無い広大な荒地が目の前に広がっていた。途方に暮れたよ――。円卓の内部は、電波干渉が激しい。無線や救難信号を捕捉することが非常に難しいんだ。一体ここからどうやって帰ればいいんだ――途方に暮れて寝転がった私は、もうこれが潮時なんだろう、と思ったんだそうしたら、不意に頭上に轟音が走った。見上げると、アイツの機体が悠々と空を舞っていたんだ。その姿に、私は年甲斐も無く嫉妬した。早く基地に戻って、アイツと戦いたかった。コンパスで適当に方角を確認して、ひたすら歩き始めたんだ。救助を待っている暇があったら、自分でなんとかしてやろう、とね。結果的に、基地に戻るまでに3日もかかってしまったけど。ひどい話さ、戻ったら幽霊扱いと来たもんだ。
――あなたにとって、戦いの空とはどんなものですか?
「戦闘機ってのは、攻撃を喰らったらおしまいなんだ。あっという間に炎に包まれて、爆発してしまう。そりゃあ怖いよ。でも、あの空では生きていることを実感出来る。音速の速さで自由に空を舞い、互いの技量を競い合うことが出来る。私にとって、戦闘機で空を飛ぶということは、生きているのと同じ意味だったんだ。正直なところ、祖国の大義とかそんなものはあまり関心が無かった。でも、連合軍のエースたちと戦っているあのときが、私の人生にとって最高の時間だったのだと思う。今もこうして空を飛び、若者たちの指導に当たっているけど――寂しいんだ。空が広すぎて。戦争が終わった今、その気になればどこにでも、どこまでも飛んでいけるはずなのに、ね。あの青い空に、私と共に飛んだ仲間たちはいない。持てる技量の全てを尽くして競い合える好敵手もいない。まぁ、それが平和という奴なんだけどもね」
――もし、「円卓の鬼神」に再会できたら、どうしますか?
「そりゃ決まっているさ。アイツと一緒に飛ぶんだ。命のやり取りは抜きにして、純粋に空を飛んでみたい。そうすればきっと、この空を寂しいと思うことはないだろうからね。――ああ、いつかまた、アイツと飛びたいもんだね」
ジャクソンヒル――小型機の離発着する空港であり、新米パイロットの養成も行っているこの空港には、私も何度か来た事がある。会社の取材用の航空機が置かれているので、何度か上空からの取材に同行して実際に乗っていったこともある。そして、私は今日の取材の相手の操縦で、実際に上空取材をやったこともあるのだった。
「腕がいいとは思いましたが、まさかベルカのエースだったとは知りませんでしたよ」
「でも腕は良かったろう?今でも技量は維持しているつもりさ。――まぁ、セスナであんなことしたら空中分解してしまうがね」
窓の外を飛び立っていく飛行機の姿を、彼は目で追いながら笑っている。彼は純粋に、今でも飛行機が好きでたまらないのだ。そして空を飛ぶこと自体が。特に政治的背景も無く、戦闘機乗りとして生きることを貫いた彼が戦犯として裁かれることは全く無かった。だからこそ、彼は敵国だったオーシアのパイロット養成学校の教官として、今も飛び続けていられるのだ。
「なあトンプソン、今頃になって「鬼神」のことを調べてどうするつもりなんだ?もしアイツに会うにしても、所在すら分からないんだろう?」
「同じ事をデスクからも言われましたよ。でも、エリッヒ、あなたが話してくれたように、彼は「存在」していたんです。ところが、この間公表された資料には、彼の名前すら出てこない。おかしいじゃないですか。連合軍の英雄とも言うべきエースが、わずかに「鬼神」とだけ書かれているなんて」
ふーむ、と唸って沈黙したヒレンベランドが首を傾げる。しばらくそのままの姿勢で考え込んでいる彼は、どうやら何かを思い出そうとしているようだった。私は急かすことをせず、外を飛び立つ飛行機たちの姿を見送っている。それほど時間はかからなかったが、何度か頷いた彼は、メモに走り書きのようにアルファベットと数字を書き込んだ。
「これは?」
「奴と戦ったときに見えた部隊コードだ。"UAF 6-66"。俺が聞いていたアイツの所属部隊は、確かウスティオ空軍第6師団第66航空小隊だった。当時の資料を調べるときに、少しは役に立つかもしれない。それに、インターネットだって普及し始めている。案外、ネットワーク上で何か引っかかるかもしれないぞ?」
UAF 6-66。なるほど、6-66をそう理解すれば分かる。これは案外とっておきのネタになるかもしれない。少なくとも、「鬼神」の所属していた部隊名までは会社や大学の資料では入手できなかったのだ。
「ありがとうございます。しかし、良く覚えてましたね」
「言っただろ、アイツとまた飛びたいんだって。それに、忘れたくても忘れられないくらい強烈だったのさ、アイツの姿は。敵でなく味方だったとしたら、これ以上無いというほど心強かっただろうね。だから、連合軍の航空部隊も手強かったのさ。アイツが現れると、突然様子が変わるんだ。直接戦ったのは円卓の上だけだったけど、多分その後も何度か俺たちはすれ違っていたんだと思うよ」
相変わらず腰掛けている机の上で、電話が鳴った。面倒くさそうに受話器を挙げたヒレンベランドが、何度か頷き、何事かを話している。私は彼から聞くことが出来た貴重な証言をノートにしたため、ICレコーダーとビデオの画像と音を確認する。全部を一人でやるのは、なかなかこれで忙しいものだ。記憶がはっきりしている間にもう一度情報を整理していかないと、後々忘れてしまうこともあるだろうから。軽く肩を叩かれた私が振り返ると、ヒレンベランドがにやり、と笑いながら立っていた。
「これからまた飛ぶんだろう?連れてってやるよ、空港まで」
「結構時間がかかりますから、いいですよ。ありがとうございます」
私はてっきり車のことかと思っていた。確かに乗るものには間違いなかったが、ここは空港だ。
「俺の操縦で連れてってやるよ。国際空港だろ?空から行けば大して時間もかからないだろ?昔話を聞いてくれたお礼だ。お代はオゴリにしといてやる。ほら、遠慮してないで付いてこいよ」
もう一度笑った彼の横顔。私はそこに、今でも生き続ける精悍なエースの横顔を見たような気がした。
戦闘機乗りとしての人生を心から望んだ男、エリッヒ・ヒレンベランド。
「鬼神」との再会を夢見て、今日も彼は操縦桿を握っている。