2005.09.13 Directas
ライナー・アルトマン。
ベルカ空軍 第5航空師団第23戦闘飛行隊 通称「ゲルブ隊」2番機
ウスティオ首都ディレクタス解放の日、彼は隊長機と共に「鬼神」たちによって撃墜された。そして今も、彼はこの街にいる――。
「私が彼と出会ったのは、まさにこの空の上だ。あの日、私と隊長機は、南部戦線で行われた戦闘に参加して帰還する途中だった。本部から、突如ディレクタスへ飛べという指令を受けたんだ。あの当時では決して珍しいことではない。武器弾薬、燃料の補給も充分ではない状態で、出撃と作戦参加を繰り返していた。どこの部隊もそうだった。連合軍だって状況はあまり変わらなかったと思うけれども、当時の祖国は少数精鋭の航空部隊を是としていた。だから、実力のある部隊には仕事が次々と与えられていく。幸い、私が属していたのはそんな部隊だったんだ」
――それほど前線は苦しい状態だったのですか?
「――そういうことになるね。中には相次ぐ戦闘の中で休養もままならず、高揚剤を使う部隊もあったと聞く。祖国は、実際の実力と兵員数に対して占領地を広げすぎてしまったのだ。占領された地域が従順に従っているうちはまだいい。だがひとまず叛乱が起きたときに、対抗出来るだけの兵力を持たない部隊が各地に散らされてしまった。ここディレクタスもそうだ。ウスティオ空軍部隊がこの空に殺到し、地上部隊を攻撃し始めると、市民たちが一斉に街へ繰り出したんだ。戦車は進むこともままならず、兵士は発砲することも出来ず、市民の渦に飲み込まれていった。私たちが到着したときには、一足違いでこの街は解放されてしまっていた。歓声を挙げて空を見上げる市民たちの先に、彼らの姿があったんだ」
――それが「鬼神」だった?
「そう。当時私の操っていた戦闘機は、今でも現役で採用されているSu-37。世界的に見ても類稀な空戦性能を持つ機体だった。私と隊長は、その機体を操って戦果を挙げ続けて来たんだ。だがこの日ばかりは違った。私の戦闘機動は先読みされ、こちらの攻撃の意志はトリガーを引くより先に察知されて回避される。もし背後に付かれれば、今度は食い付いて離れない。あの日のミサイルアラートが、まだ耳に残っている。一体どうしたらこいつを振り切れるのか。焦りは禁物と言い聞かせながら飛んでいたけど、余計なことを考えるようになったら負けなんだね。最初にやられたのは隊長だった。私は彼の仇を討とうと必死になって飛んだけど、彼には届かなかったんだ。切り札にしていた技まで見抜かれて、機関砲弾で蜂の巣にされてしまった。あの状態でベイルアウト出来たことは奇跡に近いと思う」
――それからずっと、ディレクタスに?
「私はこの街で、穏やかな生活を手にすることが出来た。彼のおかげかもしれない。だけど――ベイルアウトして、妻たちに匿われた後、この街を随分と探し回ったけれども、隊長の姿はどこにも無かった。私だけが助かってしまったんだ。そして、戦争は終わった。私はベルカ軍人であったことを告白し、戦犯として突き出すように頼んだのだ。でも、妻たちはそうしなかった。私は教えられたんだ。人が人として生きようとすることに、ベルカもウスティオもないのだ、とね。だから、今日まで生き続けてきたし、命のある限り生きていこうと思う。……でも――、この時間になると鳴り響く「解放の鐘」の音が、私には「弔いの鐘」に聞こえるんだ。戦いの中で散っていった同胞たち、それに連合軍の兵士たちのために鳴らす、弔いの鐘に――」
嗚咽を漏らすアルトマンの姿に、かけるべき声を私は持っていなかった。彼はこの窓から、戦いが終わった後の世界を見てきたのだ。今の彼は、著名な小説家として世に知られている。同時に、彼は自分がベルカの兵士であったことも告白していた。当時は彼に対する差別もあったと聞く。だが彼を守り抜いた家人たちに同情する人が大半を占めていた。傷付き、倒れている人間を助けることは、人道上最も賞賛されるべき行為なのだから。
「みっともないところを見せてしまったね。済まなかった」
ハンカチで目を拭ったアルトマンが振り返る。照れ笑いを微かに浮かべながら。
「いえ、こちらこそ不躾に過去のことを伺ってしまって、却って申し訳ないくらいです。本当にありがとうございました」
「いや、たまには昔話をするのも良いものだよ。残念ながらディレクタスでは当時のことを語り合う相手もいなかったからね。久しぶりに空を飛んでいた頃を思い出した。まだ10年しか経っていないというのに、もう随分昔のことになってしまったように感じるよ。もう、当時のような乗り方は絶対に出来ないだろうね」
「ここに来る前、シュネー隊のヒレンベラルド氏にお会いしてきました。彼は、また「鬼神」と飛ぶんだ、と語っていましたよ」
「ほぅ、彼は元気なのか。――彼のことだ、まだ飛び続けているんだろう?」
私は簡単に彼の近況を伝えた。さもあらん、といった表情で頷いていた彼は、どこか嬉しそうだった。当時の同僚の無事を聞いて、喜んでいるのだろう。そう、今のアルトマンの部屋には、戦闘機乗りだった頃の面影が全く無いのだ。小説家らしく、書物と紙とが積み上げられた部屋。だが彼は決して忘れていなかった――戦闘機乗りとしての自分自身を。
「かなうなら、平和になったこの空を飛んでみたいものだね。今度はミサイルも機銃も持つことなく、純粋に飛んでみたいと思う。――君は、ベルカにも行くのだろう?戻ってくるとき、もう一度この街に寄ってもらえないか?あの国が今どのように変わったのか、教えて欲しいんだ。捨ててしまった祖国だが、やはり私の生まれ育った国だ。気にならないと言えば嘘になる」
「そんなことでよろしければ、約束しますよ。どうせ気ままな一人旅ですからね」
「ふふ、助かるよ。でも、出来るなら君が作り上げる番組を見てみたい。君が興味を持ったように、あの戦争の真実は全然語られていないと私も思う。どこの部隊がどのようにして核兵器を自国内で起爆したのかも分からないし、私自身が参加した戦いの中にも、存在しない扱いになっているようなものまで見られる。君の取材が、歴史の闇にメスを入れるきっかけになってくれると嬉しい。健闘を祈るよ、トンプソン君」
差し出された右手に、私は応える。夕陽に照らされたディレクタスの街が、あの当時と変わらない佇まいで、私たちを見守っていた。聞こえてくる鐘の音が街中に響き渡っている。この鐘の音をきっと「彼」も聞いていたに違いない。彼の足跡を確実に私は追っている――焦ることは無い。一歩ずつ、私は真実に近づいている、と私は確信した。
ディレクタス解放の空で「彼」と戦ったエース、ライナー・アルトマン。
「弔いの鐘」をこの街で聞き続けながら、彼は今日も執筆活動を続けている。