2005.09.24 Birneheim


ディトリッヒ・ケラーマン
ベルカ空軍 第51航空師団第126戦闘飛行隊 「ズィルバー隊」隊長
ベルカ空軍のエースたちを輩出していたアカデミーの鬼教官として、そしてベルカ空軍の古参のエースの一人として知られていた彼を、1995年、軍は士気工場のため再び前線へと送り出した。現在は、とある田舎町で農場を経営する日々を送っている。

「――いい腕をしていたね。もっと若いパイロットだと私は聞いていたのだが、彼はそこから成長していたんだね。あの日私が率いていたのは、私の下で飛び方を覚えた若鳥たち。無論腕は決して悪くなかった。だが戦闘においては機体の性能以上にパイロットの操縦技量が問われる。噂の男たちの前に、一人、また一人と落とされていってしまった」

――「鬼神」と刃を交えて分かったことはありますか?
「そうだねぇ……彼との一騎打ちになって感じたのは……想いは受け継がれていくこと、ということかな。私が教え子たちに必ず伝えていたことがある。……憎しみを持たぬこと、生き残ること、そして自分の決めたルールを守り通すこと。彼と戦って、私は確信したよ。彼はその全てを守っていた――私の教え子たち以上に忠実に、ね。それが出来ることが彼の強さであり、彼らの強さと絆だったのだろう。もう老兵が前線に出てこなくても、大切なことを伝えられる次の世代が育っているのだ、とね」

老兵は死なず ――それが、戦闘機乗りの世界を離れた理由ですか?
「まぁ、彼との戦闘で負った傷が予想以上に重傷で、完治したとしてももう身体が戦闘機動に耐えられなかったのが一つ。そして、もう一つは、もうこれ以上空で悲しみを見たくなかったからだ。私の部隊を壊滅させた彼と「片羽の妖精」、それに後の戦闘で命を失ったウスティオの狂犬。心から信頼し合い、背中を任せていたはずの者たちが、憎しみを互いに抱くようなことになってしまった。これほど哀しい出来事は無い。兵隊は、結局のところそれぞれの正義を信じて戦っている。私たちも少なからずベルカの勝利を信じようとしていたわけだし、彼らもまた、連合軍の勝利のために戦っていた。そして、所属する陣営が変わったとしても、彼も片羽の妖精も、そして狂犬も、それぞれの生き様を貫こうとした結果、あの悲劇が起こってしまったのだ。――私の想いを継いでいく世代の者たちまで、そのような苦しみを一生背負っていく。……私は、自分の教え子たちにそんな十字架を背負わせるために飛んでいたのではない、と今更ながら気付いたんだね。だから、空から降りた」

――そんな哀しい十字架を背負って、人は飛び続けることが出来るのでしょうか?
「こればかりは人それぞれ、としか言いようがない。でも、彼は今でも飛び続けているよ、間違いなくね。もう今は私の次の世代、そしてさらにその次の世代の時代だ。私のような老兵が出る幕など、最早ない。私はもう誰かを教えることも無ければ、空に上がることもない。私はここから見ているよ。あの広く、大きな、どこまでも続いていく青い大空をね」
鬼教官と恐れられていた面影はほとんど無く、片田舎の好々爺として隠遁生活を送っているケラーマンの言葉は穏やかなものだった。だがその言葉の一つ一つに込められた想いが、私の心の中にも響いてくるのだった。この男に徹底的に鍛え上げられれば、どんなヒヨッコでも一端の戦闘機乗りとして育っていくに違いない。事実、ベルカのエースの中には彼の訓示を受けたものが少なくなかったのだから。彼に匹敵するだけの戦績と実力を持ち合わせていたエースがいるとしたら、それは「凶鳥フッケバイン」と呼ばれたエースくらいのものだろう。
「随分と昔のことを調べているみたいだね。円卓の鬼神に片羽の妖精、それにウスティオの狂犬が2つの陣営に分かれてしまったのはあの戦争の後のことだ。それも、今の子供たちの学ぶ歴史からは抹殺された出来事のことだ」
「――「国境無き世界」、ですね?」
「そうだ。その頃は、私は戦犯として事実上軟禁されていた時期になる。連合軍のエースたちが再び結集し、国境無き世界との決着を付けた戦いの中で、鬼神と片羽は一騎打ちで戦ったと聞かされたよ。当時、オーシアは私のような老兵まで空軍に取り込もうと躍起になっていてね。彼にも、そんなオファーが言ってたんじゃないかな?今こうして、彼の姿がどこにも見当たらないことを考えれば、彼は懸命な選択をして勧誘を蹴ったということだろう」
詳しい記録は残されていない。だがオーシアが敗戦国の優秀なパイロットを招聘しようとしていたのは事実だ。ベルカ戦争は、ベルカだけでなく連合国にも甚大な人的損害をもたらした。特に高名なベルカ空軍の餌食となった連合軍ではその傾向が顕著で、戦後再編された空軍を支えるに足る指揮官が決定的に不足する事態を招いたのである。だがパイロットの養成には実に時間がかかる。ましてや指揮官クラスの腕前を持つ者など即席で調達することは不可能だった。そこで「超大国」としてのプライドを維持するために行われたのが、かつての敵国のエースたち、或いは人手不足の解消のために雇っていた傭兵を正規軍に組み込むやり方だったのだ。しかし、そんなオファーが鬼神にまで行われていたとは意外だった。これは重要な情報だ。メモ帳を取り出して必死に書き込む私の姿を、ケラーマンは微笑みながら眺めていた。
「君も、彼に魅せられてしまったんだねぇ。不思議なものでね、敵であるはずの彼に惹かれてしまった者は少なくないんだよ。もちろん彼を恨んどる者もいるが、彼との戦いの記憶は、戦闘機乗りたちの最高の時代の思い出なのかもしれない。昔を思い出すと、どうしてもそこに彼の姿が出てくるのさ」
「それほどのエースが、どうして「封印」されたのでしょうか?」
「前線の兵士たちとは異なって、彼の存在は一部の者たちにとって厄介者だったのかもしれない。素性も分からない傭兵風情が、正規軍のパイロットを差し置いて活躍する――面白くないと思った者は必ずいるさ。事実ベルカでは「傭兵」とは最も軽蔑されてきた職業の一つでね。建前上、外国から雇ってきた者でさえ正規軍の部隊として配属していたくらいだ。ウスティオのように、あの戦争を経て「傭兵」の存在と意義を理解した国はともかく、オーシア辺りにとっては迷惑な話だったんじゃないか?」
恐らく事実はその通りかもしれない。そしてオーシアや連合国にとっては、彼の存在や「国境無き世界」との戦いを封印しなければならないほどの裏事情があったのだ。――彼を雇っていたウスティオにしても、だ。それにしても、ケラーマンはこれだけの話をどこから聞いていたのだろう?これまで出会って来たエースたちは確かに「彼」と戦った経験を持つ男たちだった。だが、ケラーマンからはそれ以上の繋がりを感じる。彼は実際言ったではないか。"彼は今でも飛び続けているよ、間違いなくね"――と。不意に興味が湧いて、私は実際に聞いてみることにした。
「ケラーマンさん、あなたは何故円卓の鬼神が今でも飛んでいると確信しているんですか?彼の行方は、戦後分からないままのはずではないのですか?」
この問いに対し、ケラーマンは嬉しそうに笑いながら――精悍な笑い顔というべきか――、答えたものである。私はまるで、落第点を取った学生のような気分になってしまった。
「知りたいことがあるなら、まずは自分で調べてくることだ、お若いの」
後に続く世代に全てを託し、表舞台を去った老兵、ディトリッヒ・ケラーマン。
だが、彼の目には見えているに違いない。今日も次の世代たちを率いて、あの青空を舞う男たちの姿が――。

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