2005.10.10 Lichtenburg


デミトリ・ハインリッヒ
ベルカ空軍 第7航空師団第51戦闘飛行隊 「インディゴ隊」隊長。
鋭く優雅なその飛び方から、「藍鷺」と呼ばれたエース。彼の率いる「藍色の騎士団」の受け持ちとなったベルカ絶対防衛戦略空域「B7R」に侵入した連合軍機との戦闘で重傷を負った彼が目覚めたとき、既に戦いは終わっていた。現在は家業を継ぎ、多忙な日々を送っている。

「あの日、担当空域の変更があったんだ。私たちの担当は、エリアB7R――そう、搭乗員にも機体にも損耗の激しい「円卓」へ、だ。当時、東部戦線は比較的戦況の落ち着いていた空域だった。ウスティオはまだ祖国の占領下にあった時期だからね。だが、その「円卓」に侵入してきた連合軍機がいた。イーグルを引き連れただけの2機編隊。我々の出る幕は無い、そう思っていた。だが現実は違った。先導部隊など、全く相手にならなかった。これはまずい、と直感したよ。この傭兵たちはとても強い、とね」

騎士道に生きた男 ――それが「鬼神」だったんですね?
「そう、それが「彼」だった。そして、「彼」の相棒である「片羽の妖精」と呼ばれる男の2機編隊。ウスティオにトドメを刺すために出撃した我が軍の爆撃部隊を殲滅した奴らの中にも、彼らが混じっていたことは聞いていた。だが、「彼」と戦ってみて分かったんだ。「彼」のルールはまだ確立されていない。その機動に、躊躇、つまり迷いがあったんだ。悪く言えば、甘さ、というべきだろうか。後に「鬼神」と呼ばれるようになるとは予想外だったがね。……かなり押していたつもりだったんだがね、落ちていたのは何と自分だった。おまけに、目覚めたら3ヵ月後と来たからね。"戦況はどうなっている!?"と跳ね起きたときの看護婦の顔がとても印象的だったよ」

――「迷い」があった?
「なかなかやり合ってみないと分からないかもしれないがね――例えば、私の場合、戦いの基本は騎士道にあると思っている。我々ベルカ軍人は騎士団の末裔だからね。祖国の弱き人々を助け、祖国の発展と栄光のために戦う騎士たち――だが、騎士道とは「甘さ」ではないのだよ。それは命取りになる。戦場は無常だ。その人間がどんな人間であるかは関係なく、生き残った者が勝者となる。家に戻れば子供たちを抱き上げ、妻と暖かい言葉を交わしているだろう人間が、同じ背景を持つであろう人間に向けて銃弾を放ち、剣を突き刺す。奪われた命が戻ることは無く、帰ってこない良人のために涙が流れる……それが戦場だ。躊躇、迷いをそこに持ち込めば、奪われるのは自分の命だ。甘さと騎士道は全く違うものなのだよ――まぁ、それはもしかしたら、「彼」の本来の人間性……性格や人柄なのかもしれないが」

――「鬼神」はこの戦いを生き延びたと思いますか?
「それは何とも言えないが……もし彼があの「甘さ」を持ったまま終戦を迎えることが出来たのだとしたら、それは彼にとって守らなければならないルールを貫いた証になるのだろう。でも、今の空に「彼」も、そして「片羽の妖精」の姿は無い。彼らに何があったのか詳しいことは知らないが、あの空で出会うことが出来た好敵手たちの不在の裏に隠されたものがあるのかもしれないな」
ベルカに入国して数週間。入手した資料を読み漁り、図書館や資料館を繰り返し訪ね、取材の手配をして……という時間があっという間に過ぎ去り、そして今日を迎えた。これからの数日間で取材を行うことになる男たちは、ベルカ戦争前半期に「鬼神」と戦い、そして撃墜されたエースたちだ。その最初の一人が、現在は貿易業を営むデミトリ・ハインリッヒ。業務の合間を縫って私の取材を受けてくれたことに感謝したいところだ。
「この仕事はこの仕事でなかなか忙しいものでね。一つ間違えると、あの空を飛んでいたのと同じくらいの時間働いているんじゃないか……というときもあるんだ。まぁ、あの頃は今をこうして生きているなんて思いもしなかったがねぇ」
苦笑しながら立ち上がり、窓の外へと視線を移すハインリッヒ。良く見ると左右の肩の高さが微妙に異なり、左足を僅かに引いている。「鬼神」との戦闘で負った傷の名残なのだろう。窓から差し込んでくる太陽の光。その向こうに、昔と変わらぬ青い空が広がっている。
「――我々は、あの戦争の勝利が祖国を救う唯一の道だと信じていたんだ。でも、実際には違った。オーシアに偽装亡命してまで和平交渉に臨もうとしたビスマルク公や当時のフランクリン大統領たちが明らかにしたように、兵士が前線で奮戦しているのを横目に、指導者たちはまんまと逃げおおせようとしていた。これほどひどい裏切りは無い。……しかも、彼らは死を免れ、今もひっそりと生き延びている。そんな彼らを許せず、祖国を見限って「国境無き世界」へと加担した者たちも少なくなかったんじゃないかな。オーシアやウスティオから荷担した兵士のことは良くは分からないが……」
「――「国境無き世界」との戦いにおいて、あなたの戦った二人は互いに敵となって戦っています。そして「鬼神」はその功績に対して、ほとんど抹殺といって良いくらいに、その痕跡を消されています。私は断片的な情報を集めて、ようやくここまで辿り着きました。それでもまだ、分からないことだらけですが……」
ふぅむ、と腕組みをしたハインリッヒが、しばらくの間視線を天井に向けて泳がせる。
「君は、デトレフ・フレイジャーを知っているかね?」
それは明後日、まさに取材を行う予定となっているエースの一人だった。「赤いツバメ」と呼ばれたエースパイロット。ディンズマルク大学での資料調査において、既に何度か顔は合わせている人物だ。
「あなたの次に取材をする予定になっているのが、フレイジャー氏です。先日から調査資料を探しに何度も訪れているディンズマルク大学でお会いすることになっています」
「では、私から彼に頼んでおこう。彼が私的に保管している当時の記録や資料が存在するんだ。君にだったら、それらを渡しても良いかもしれない。トンプソン君、私は最初、君の取材はオーシア政府の宣伝にでも使われるんじゃないかと疑っていたんだよ。今の大統領の時代になって随分と変わってきたが、下はまだまだ……。だが、どうやら違うらしい。オーシアにも骨太なジャーナリストがいるということが、良く分かった。――「鬼神」を追い続けるといい。記録から彼は確かに消されているかもしれないが、私たちの記憶からは決して消えていない。……君の旅が実り多いものであることを祈っているよ」
にこりと笑いながら差し出された彼の手を硬く握り返す。そのごつごつした感触の掌は、彼が戦闘機乗りであったことを示す数少ない証拠なのかもしれない。「鬼神」と戦った戦闘機乗りたちの相当数が戦死している事実を考えれば、彼のような生存者は貴重な存在であるのかもしれない。そして、彼の言ったように、彼らの記憶の中には、「鬼神」の存在がはっきり刻まれていることを私は改めて知ることとなった。笑いを浮かべながら、ハインリッヒが少し首を傾げる。
「一つ、伝言を頼まれてくれないか。フレイジャーに」
「なんなりと」
「いつまでもいじけているもんじゃない……とね」
そう言ったハインリッヒの顔に、精悍な笑みが浮かんだ。エースと呼ばれた男に相応しい笑い顔が。

デミトリ・ハインリッヒ
己の定めたルール――騎士道を貫こうとした現代の騎士は、あの戦争を生き延びて現代を生きる。戦闘機から降りた今も、その胸に騎士道を背負い、今日も彼は多忙な日々を送っているに違いない。

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