2005.10.12 The University of Dinsmark
デトレフ・フレイジャー。
ベルカ空軍 第2航空師団第52戦闘飛行隊 「ロト隊」隊長
その端麗な容姿、エースと呼ばれるに相応しい実力と戦果を持ち合わせ、ベルカ空軍の「広告塔」として活躍した男。現在はディンズマルク大学で、歴史学の研究を行う日々を送っている。
「――あの頃の私は、誇りと栄光に満ち溢れていた。祖国のために戦い、祖国を脅かす敵を打ち負かすこと――ベルカ軍人として、これ以上の誉れは無い。前線から離れた安全な場所でただ指揮をしているだけでは何も見えはしない、そう考えたからこそ、私は戦闘機乗りとして最前線に出ることを望んだのだ。当時の私の部隊の担当空域はエリアB7R。祖国にとって、汚されてはならない神聖なる地。その守り手として配備されたことは何よりの歓びだった。ただ、この空域ではよからぬ話も聞こえていた。円卓に侵入した連合軍機たちによって、我が祖国のエース部隊が壊滅させられた、という話だ――そう、それが「鬼神」の仕業だったんだ」
――そして鬼神が現れた?
「そうだ。あの日は、奴らと出会う前に別の連合軍部隊が侵入してきたんだ。私たちはその迎撃を果たし、上空待機中だった。そこに、奴らがやってきたんだ。ウスティオの猟犬と狂犬、金で線を容易に跨ぐような傭兵たちが。こいつらだけは、我々の手で葬らなければならない。ベルカの神聖なる地を守るためにも。――だが、現実には私たちは彼らを止めることすら出来なかった。部下たちは一人、また一人と噛み砕かれ、私自身も敗北を味わう羽目となった。……私の翼も祖国も、奴らによって汚されてしまったんだ。まあ、彼のおかげで、随分と違う人生を歩むことになったのは間違いないが」
――当時占領下にあった国々から見れば、ベルカにこそ国土を汚されたと感じるのではないでしょうか?
「それは当然だ。立場が異なれば感じ方も異なる。征服された側の人間が征服者を罵るのは世の常だ。……まぁ、それは今の私も同じかもしれないがね。今更あの戦争を引き起こした祖国の正義と大義をとやかく言うつもりは更々無いが、あの戦いに身を投じた兵士たちは皆祖国の正義を信じ、そして死んでいった。そんな兵士たちを裏切るかのように放たれた核兵器――あの光景を見てしまった時に、何もかもが虚しくなったよ。祖国はどうしてしまったのか、と。必死に家族たちを守ろうと、同朋のために命を捧げようとしている兵士たちをまるで使い捨てるかの如く行われた、あの狂気の核爆発。連合軍に追い詰められたことは事実だが、何故自らの国を焼き尽くす必要がある?」
――それはベルカという国家の終焉だったと?
「国家の終焉か――。君は、国というものを考えたことがあるか?国とは、そこに生きる人間一人一人が為しているものなのだ。祖国は自らの過ちの末に敗北した。だが、ベルカの人々が滅び去ったわけではない。それを終焉とは言わないと私は信じたい。なのに――国を背負うことも無ければ、容易に線を跨いでいくような傭兵風情に、何故私は負けたのか……。背負うべきものが無ければ、速く飛べるとでも言うのか?私には分からない。連合軍の兵士たちだって、自らの国を背負って戦っていたはず。何故彼らは、明日は敵に付くかもしれない傭兵を同僚として戦うことが出来たのだろうか。私には、それが理解出来ない。いや、認めたくないだけかもしれないな」
――「鬼神」はベルカの出身だったという話がありますが。
「本当かね?ならば彼は一体何のために飛んでいたというのだろう?守るべき祖国のためではなく、祖国の憎むべき敵として彼は戦っていたというのか。そして私は、祖国の裏切り者の手で空から引きずり下ろされたというのか――!」
インタビューの最中も、そして終わってからも、彼は怒りを何とか鎮めようと懸命になっていた。彼にとっては、「鬼神」の記憶は屈辱と同義になっているに違いない。出来るのならば、フレイジャーは私を罵倒したに違いない。それを理性で抑え込もうと、彼は必死になっていたのだった。目を閉じて深呼吸をし、ようやく呼吸を整えたフレイジャーが、苦笑を浮かべる。
「やれやれ……君は「鬼神」ではないというのに、恥ずかしいところを見せてしまったな。だが、察して欲しい。私にとって、奴を思い出すことは苦しみなんだ」
「ご協力頂けたことを感謝いたします。今日の取材を、有効に伝えるように努力したいと思います」
「そうしてもらえるといい。私は、奴を今でも許すことが出来ないし、認めることが出来ないんだ。彼を英雄として描くようなことだけは止めてもらいたいものだな」
再び苛立ってきたのか、窓の外に視線を移して沈黙する彼の姿に、今度はこちらが苦笑する番だった。なるほど、デミトリ・ハインリッヒの伝言の内容が良く分かった。フレイジャーにとって、「鬼神」の記憶は失われた自らの栄光と誇りに直結しているのだ。だから、これほどの怒りを未だに持ち続けている。これまで会ってきたエースたちとは対照的に、彼は敗北を受け入れることが未だに出来ずにいるのだ。
「……実は、「藍鷺」から伝言を預かってきています。あなたに伝えて欲しい、と」
「私の所有する「国境無き世界」に関する資料の件なら聞いている。……全く、私がそれを保管していることを彼はよくも知っていたものだ」
「いえ、その件ではありません。先日取材をお願いした際に、直接託されたのです」
フレイジャーは訝しげに眉間に皺を寄せる。
「彼は……何と?」
「――"いつまでもいじけているもんじゃない"、だそうです」
「……君は私の取材に来たのか、それとも怒らせに来たのかね……」
ふう、とため息を吐き出した彼の顔には、苦笑とは異なる笑い顔が浮かんでいた。
「まあいい。懐かしい知人の声を久しぶりに聞くことが出来たのは他ならぬ君のおかげでもあるし……そうか、ハインリッヒ隊長はそんなことを言っていたか。分かっている、分かってはいるんだ。――私はね、トンプソン君、私たちを完膚なきまでに撃破していった「鬼神」が憎い。だが同時に、それほどの力を持ち、強く大空を羽ばたく彼の姿に魅せられてしまったんだ。国という垣根を越えてなお強くあり続けるその姿に。それが余計に、悔しいのだよ」
吐き出すように言って再び苦笑を浮かべた彼の瞳には、先程感じられたような憎悪の光が消えていた。その表情は、私が入手した10年前のベルカ空軍エースの一人だった頃の彼の微笑を浮かべた顔にどちらかといえば近いもののように、私には感じられたのだ。フレイジャーは机の下に手を伸ばし、ご丁寧に南京錠まで付けられたアタッシュケースを取り出した。
「それは……?」
「――前線から離れ、終戦を迎えた私に、オファーがあったのだよ。祖国を再建するために力を貸してくれないか、と。それはベルカから姿を消したエースの一人からの誘いだった。魅力的ではあった。だが、彼らがそのために為そうとしている行為を聞いて、私はその誘いを蹴った。そう、「国境無き世界」が目指していたのは、祖国の再建ではなく、世界の浄化だったのだからね。それに、もう広告塔になるのは疲れた……。
あくまで私の調べた範囲内のことでしかないし、ベルカ側の情報も多い。だが、恐らくは君がまだ目にしたことがない資料のはずだ。――取り扱いには注意した方がいい」
彼から手渡されたアタッシュケースは、実際の重さ以上に重かった。一緒に南京錠の鍵も受け取った私は、決して無くさぬよう、ウエストポーチの中に仕舞い込む。そう、スケールは別として、テロ組織の一つでしかない「国境無き世界」がより多くの兵員をかき集めるには、「カリスマ」が必要だったはずなのだ。その点、フレイジャーはベルカ残党を集めるにはある意味最も相応しい男であったのだ。そして彼は、賢明な判断を下していた。それだけでなく、歴史の暗部に葬られた事実の一端を調べ上げていたのだった。
「ありがとうございます。じっくりと読ませて頂きます」
「そうしたまえ。……返すのは、全部終わってからでいい。ただし、直接ここに来て、返してくれ。そのときは、もう少しゆっくり、10年前の「歴史」を語り合いたいものだな」
今度こそは清々しい、そして精悍な笑みを浮かべたかつてのエースから差し出された手に応じ、硬くその手を握り返す。"健闘を祈る"――そう言った彼の姿に、10年前の栄光に輝いていた頃のエースの姿を私は見たような気がした。そして同時に、この憎めない男が早く立ち直ってくれることを願ってならなかった。
デトレフ・フレイジャー
ベルカ空軍のエースとして、そして広告塔として空を飛び続けた男。過去の栄光を懐かしむように歴史資料の山に埋もれる日々を送る彼が、再び未来に目を向けて歩き出すのはいつの日になるだろう?