2005.10.15 Sudentor
ベルンハルト・シュミッド。
ベルカ空軍 第10航空師団第8戦闘飛行隊 「グリューン隊」隊長
フクロウの目を持つ男と呼ばれたエースパイロット。軍の厄介者たちを引き連れ、ベルカ戦争初期の戦場において多大な戦果を挙げ、一躍ベルカ空軍のトップクラスに躍り出た。戦乙女のお気に入りを豪語していた彼は、空の上で失恋をすることになる。
「一応ディナータイム中、しかも勤務時間中なんで、食べながらで失礼するぜ。10年前のこと、それも「奴」のことだったよな?……そうか、あれからもう10年経ったんだな。あの当時、まだ奴は「円卓の鬼神」とは呼ばれていなかった。そりゃそうだ、まだ円卓に姿を現していなかったんだからな。俺の率いる部隊は、他のエースたちとともに、ベルカ絶対防衛戦略空域「B7R」方面に侵入する敵を追い払う任務に就いていた。とはいっても、まだ戦局の安定していた時期だ。円卓に飛んでくる馬鹿はいない。連合軍も静かなもんだった。そんな折、突然俺たちに出撃命令が出たんだ。行き先は、何とサピンと来た。171号線くらいは知ってるよな?あの日、連合軍の航空部隊が飛んできやがったんだ。ベルカ軍の兵力は決して多くは無い。拡大した戦線を維持すべく、戦闘の発生していない地域にはわずかな陸上兵力しか置いていなかったんだ。その代わり、俺たち空軍がサポートする。それで済むはずだった。だが、あの日は違っていたんだ」
――ウスティオの傭兵部隊がいたんですね?
「そうだ。空中給油機の補給を受けて向かった先に、連中がいた。片羽の妖精のF-15Cがいることにまずは驚いたんだが、問題は奴じゃなかった。その前を飛んでいたもう1機のF-15Cだった。見たことの無いカラーリング。そして見たことの無いエンブレム。誰だ、こいつは?俺は全神経を傾けて、奴の姿を追った。機体の状況、兵装の残弾数、燃料残量、機動のクセ、好みの攻撃、それに飛び方――そして確信した。これなら勝てる、と。実際、奴らは2機、俺たちゃ4機。圧倒的に有利な状況だったんだ。ところが、やってみたら手強い。部下たちが1機ずつ、仕留められていったんだ。俺が奴の機体や飛び方を見抜いていたように、奴は俺たちの戦い方を把握しているかのように飛びやがったんだ」
――「彼」の姿に何を感じましたか?
「何といえばいいのかな……。俺に限らず、ベルカの兵士ってのは、自分を戦乙女のお気に入り、って考える奴が多いんだ。ラーズグリーズに認められた神の戦士、って奴か。俺もそのつもりでいたし、彼女の気を充分に惹いていると思っていたんだがなぁ、どうやら肝心のところでそっぽを向かれたよ。俺なんかよりも余程お気に入りの奴がいた。それが、「鬼神」だ。俺が耳にした無線では確か"サイファー"と呼ばれていたよ。奴の動き、奴の思考、俺は全てを見抜いているつもりだった。だが、それは「つもり」でしかなかったんだ。奴の飛び方は、俺の分析を上回っていた。結構いい線行っていたと思ったんだがな、呆気なくやられちまったヨ」
――「鬼神」は記録上その存在すらあやふやですが、その後「彼」と出会ったことは?
「結局俺たちはスーデントールの決戦まで飛び続けたんだが、奴と出会うことは無かった。だが、奴の活躍は聞いていたよ。祖国の名だたるエースたちが次々と食われていったとな。――戦場には、ああいう奴が現れることがあるんだ。「特異体」という奴だ。あんなのに出てこられたのが俺の運の尽きだったとも言えるがね……。しかし、ま、あの戦争で大空を飛んで分かったことがある。それは、あの空に比べればよっぽどちっぽけな、この街で生きていくためのルールみたいなもん?そいつが、通じるっつーことだ。俺がそうしていたように、奴にも奴なりのやり方があるように感じた。何て言うのかな……案外、会ってみたら「鬼」なんて呼び名が似合わないほど優しい良い奴かもしれないけれど、そんな姿を微塵も感じさせないような道を歩いてきた奴だけに存在する空気みたいなもんか。そんな「匂い」がアイツからしたぜぃ」
指定されたのは、現在ではノース・オーシアとその呼び名を変えた南ベルカはスーデントールの繁華街の一角。目的の男は、その中にある店の雇われ店長に姿を変えていた。いや、昔の姿に戻ったというべきか。ベルンハルト・シュミッドは、この街に生きる者らしい姿で、私の前に座っている。夕飯代わりのソーセージとジャーマンポテトをフォークで突付きながら。彼が軍に在籍していた当時、彼の部下には軍のあぶれ者ばかりが集められていたという。ある意味、今も昔も、彼の生きる環境は変わっていないのかもしれない。
「しかしまぁ、いい度胸のブンヤがいたもんだぜ。こんな街にまで取材に来るんだから、感心するよりも呆れちまったもんだが……ま、役に立てたんならこっちも願ったりだ。テレビに出ると、少しは客が増えてくれるからな。おかげで俺の懐は暖かくなる。舎弟たちに言うことを聞かせるのにも、多少は使える。昔話でそれだけのご利益があるなら、願ったり、って奴か」
「まだ「鬼神」がどんな人物だったのか、そこが分からないんですがね。シュミッドさんの言う、「鬼神」とは似ても似つかぬ人柄……というのは意外と当たりかもしれませんよね」
「こいつは他の隊の奴から聞いた話だけどな、案外奴に見逃してもらった連中は多いらしいぜ。本当に力に生き、報酬だけを求める奴なら、敵機を完全に粉砕――ま、パイロットも含めて抹殺コースなんだが、奴はそんなことをしていない。結果的におっ死んだ奴はいるにしても、生き残った奴も少なくないんだ。それだけでも「鬼神」らしからぬやり方だとは思わねぇか?」
全くその通りだ。彼が傭兵の悪しき姿として描かれるような凶悪なパイロットだったら、私が取材してきた男たちなど一人も生き残っていないはずなのだ。現実には彼によって命を奪われた兵士は相当数に上る。多大な戦果とは即ち、敵の兵士の命を数多く奪ったことと同義なのだから。
「私の取材は、本来の予定ならあなたへの取材で完了するはずでした。でも……実はこの先があることを知ってしまった。だからこそ、もっと「彼」の姿を見極めたいんです」
「そうだなぁ。俺としても、戦乙女を寝取られたわけだから、どんな顔した奴なのかくらいは知りたいもんだぜ。案外、戦乙女ならぬ古女房の尻に敷かれているかもしれねぇぞ」
シュミッドがあまりに真剣な顔でそう言うので、私は思わず吹き出してしまった。つられて、彼も笑い出す。この快活さが、荒くれ者の部下たちに信頼された理由なのかもしれない。彼もまた一筋縄ではいかない人生を歩んできた者の一人なのだろうが、彼はそんな生き方を楽しんですらいるようだ。
「……俺の前にも、随分とビックネームに会っているらしいじゃねぇか?エスケープキラーに藍鷺、ボスにおすましフレイジャー……ま、そんな有名どころと一緒に見てくれることは非常にありがたい話だぜ」
食事を終えたシュミッドは、ウェイターを呼んで皿を片付けさせ、そして煙草に火を付けた。紫煙がゆっくりと部屋の中を漂い、そして消えていく。しばらくの間、沈黙の天使が私たちの間を通り過ぎていった。私は私で、大幅な修正を迫られることになりそうな取材日程の調整に神経を傾けている。フレイジャーから受け取った資料にはざっとしか目を通していない。だが、私の取材は到底ここで終わるわけにはいかないことが明らかになったのだから。
「ときに、アンタ、今日の夜は暇かい?」
自分の意識の底に潜っていた私は、彼の誘いを危うく聞き逃すところだった。
「あ、す、すみません。ええ、後はホテルに戻るだけですが……」
「なら、ちょっと付き合えよ。昔話をさせてもらった礼だ。この近くにうまいスコッチを飲ませる店がある。昔ボスが愛飲していたブランドを置いてる老舗でな、気に入ってもらえると思うぞ。……それと、俺からのささやかなプレゼントもあるんでな」
スコッチも魅力的だったが、彼の言うプレゼントに私は妙に気が引かれた。
「ここでは渡せないような代物ですか?」
「そういうこった。昔から言うだろ?密談するなら何とやら……ってな」
にやりと笑った彼は、"もう少しで閉店だからゆっくりしていろ"と言い残し、席を立つ。閉店までの間、今度こそ私は明日以降の取材日程の組み立てに専念するつもりだった。本当に、私は止まることが出来ない一歩を踏み出してしまったようだ。だが、取材を続けることによって、一つ、また一つ新しい真実に辿り着いている。いつか、私は真実を知るに違いない。それが報じられるような代物であるかはまだ分からないが、今はただ突っ走るしかない。そう言い聞かせながら、私は時刻表をテーブルに並べ、旅程の調整を始めることにしたのだった。
ベルンハルト・シュミッド。
飄々と現在を生きるかつてのエースは、現在の境遇を楽しみながら受け入れ日々を送っている。そんな彼から送られたプレゼントは、とても「ささやかな」と言うようなものではなかった。それは、「片羽の妖精」の消息だったのである。