2005.10.18 Oured
1995年6月6日――あの日、テレビに映し出された光景を私は今でもはっきりと覚えている。ベルカ国内において、ベルカ軍自身の手によって行われた核攻撃。空を真っ赤に染めた炎。そしてキノコ雲。全てが禍々しく、全てが哀しいあの光景は、学生だった自分の目と心にはっきりと焼き付けられた。ベルカの統治者たちは、語りたかったのか。"ここすら先は、汚されることの出来ないベルカの聖地なのだ"――と。だが、同朋をも焼き尽くした光景を、ベルカの人々はどんな思いで見ていたのだろう?そして、「彼」の目にその惨劇はどのように映ったのだろう?最終決戦の地スーデントール周辺では、この核起爆から血みどろの消耗戦が展開される。連合軍もベルカ軍も、核爆発による通信混乱や指揮系統の寸断によって、各部隊がそれぞれの判断で行動せざるを得ないような状況に追い込まれたのだ。事実、連合軍の部隊同士が互いに撃ち合うような事態も頻発していたという。そんな凄惨な消耗戦の中、ベルカの兵士たちは圧倒的物量を誇る連合軍の前に打ち倒されていく。散発的な戦闘はその後も続くが、6月20日、ルーメンで和平条約が締結され、ついに「ベルカ戦争」は終結を迎えたのである――表向きの歴史は、そう結ばれている。だが、調印が行われている最中も、戦闘は続いていたのだ。ディンズマルクからさらに北に位置するアンファングの港町には、この日前線から撤退を重ねたベルカ残党軍が集結していた。航空部隊を中心とした連合軍は、ルーメンの調印式が進められているのと並行して、この残党軍との激しい戦いを繰り広げていたのだ。そして、その空に「彼」の姿があった。ただし、既にこの時、「彼」の相棒であったはずの「片羽の妖精」の姿は無い。ウスティオ空軍傭兵部隊の中から選ばれた別の若手エースが、2番機として飛んでいたことが記録されている。
「ベルカ戦争」が終結に向かう一方で、「国境無き世界」はいよいよ活動を本格化させていた。フレイジャーから預かった一連の資料。その中身を整理してみて、私は隠されていた事実に驚愕した。確かに、これまでの調査の中で、「国境無き世界」に関する断片的な情報は入手することが出来た。だが、巧妙に行われている情報操作と情報隠蔽によって、少なくともオーシア国内ではまともな資料を手にすることすら出来なかったのが実状だった。これだけの資料を私に託してくれたフレイジャーに改めて感謝したくなった。そう、ここからが真実の歴史。その事実に私は目を見張った。ベルカ軍が国境を越えて隣国の侵略を開始した時、既に「国境無き世界」の活動は開始されていたのだ。ベルカ空軍におけるエースの一人であり、ベルカ軍の誇る超兵器開発計画の多くに携わっていたアントン・カプチェンコ。オーシア軍航空部隊に属しながら、裏では組織の活動資金と兵員獲得に暗躍していたジョシュア・ブリストー。彼の部下であり、彼と行動を共にしたアンソニー・パーマー。彼らの名前は、公開された資料の中には全く登場しない。だが、彼らこそ、隠されていた真実の歴史の中で絶対に無視することが出来ない男たちだ。例えばアントン・カプチェンコの場合、開戦とほぼ同時に部隊員全員と姿を隠し、公式記録上は連合軍との戦闘で戦死とされたにもかかわらず、実際にはベルカ国内で組織の理想に同調する者たちのリクルートと、組織の戦力増強に奔走していた。そして、1995年12月30日、戦死公表から9ヶ月も経って、その遺体が「円卓」で発見されることとなるのだ。おかしな話ではないか。3月に戦死した者が、どうして12月になって発見されるのだ?
連合軍も、「国境無き世界」の暗躍には薄々気が付き始めていたようである。事実、6月20日、アンファングで行われた戦闘は、「国境無き世界」が画策した残党軍の吸収を阻止することが最大の目的だったのだ。だが、この時期になると連合軍の中枢は戦争後の莫大な利益配分へと興味が移ってしまい、終戦の裏側で蠢く勢力を完全に軽視していた。或いは、そのような勢力の存在自体を認識していないか、存在自体は知りつつもその活動を黙認していたか――。オーシア軍のエースの一人だったジョシュア・ブリストーは、公式記録上行方不明となりながらも、彼らの部隊が消息を絶った6月以降、何度もオーシアとベルカの間を行き来している。その目的が、オーシア政府中枢と何らかのコネクションを持っていたと想像するのは簡単なことである。1995年12月に入ってから本格的な軍事活動を開始する「国境無き世界」。その活動を支えるためには莫大な資金が必要になったはずであるが、その資金はマネーロンダリングされて「綺麗な」資金に姿を変え、合法的に組織の懐に転がり込んでいた。ベルカからせしめた莫大な賠償金の一部が、戦勝国たちの首を締めるために存在した勢力の軍資金に姿を変えているとは、何とも皮肉な話である。およそ一介のテロ組織とは言えないほどの規模と資金を手にした「国境無き世界」は、アントン・カプチェンコ自らが計画し、建設に携わった最終要塞「アヴァロン」を根拠地として、世界に対して宣戦布告する。その時点で、一国の軍隊を凌駕するほどの戦力を手にしていたとされるから、組織の首謀者たちの手腕の高さ、そして先の戦争の終わらせ方に対する兵士たちの不満と怒りがどれほどのものであったのかが良く分かる。
6月の終戦から、12月の間、「国境無き世界」が何をしていたのか、フレイジャーの資料でもその全貌を明らかにするのは難しい。だが、彼らが暗躍している一方で、「円卓の鬼神」をはじめとしたウスティオ空軍の傭兵部隊は解散させられることも無く、ヴァレー空軍基地を中心として留まっていた。これが何を意味するのか?彼らは、戦争が終わっていないことを感覚的に知っていたのかもしれない。そしてまだ全てが終わっていないことを察知した一部の連合軍勢力があったからこそ、12月になって突如として姿を現した「国境無き世界」に対して迅速な対応が取れたのではなかろうか?無論、開戦と同時に大半の航空戦力を失ってしまったために、傭兵たちの手を借りてでも空軍を維持しなくてはならなかったウスティオのお国事情もあるだろう。だが本来戦争が終われば傭兵たちの出番は終わり、彼らは次の戦場を求めて姿を消していくのが相場だ。にもかかわらず、ウスティオは相当数の傭兵を抱え続けた。そしてその戦いの経験からか、現在でも正規軍の中に傭兵部隊を正式に置いているだけでなく、新兵たちの教練に傭兵が教官として就任することすらあるのだと聞く。歴史の闇に消えていった「鬼神」は、実はウスティオに今もいるのではないか――そんな淡い期待を、私は抱いている。今回の取材活動の締めくくりとして、もし当人に出会うことが出来たならば、どんなに良いことか。少なくとも、「片羽の妖精」の所在は確認することが出来た。最も傍で「彼」を見続けてきた男の証言を得ることで、私はもっと「鬼神」に近づくことが出来るだろうが、やはり本人に会うのとは全然違うのだから。
教科書とおりのストーリーをなぞるのなら、当然ここで取材はおしまい。だが、私の望むものは、その先の話。むしろここからが私の仕事の本番だ。ここからは、表向き明らかにされていない真実。私はフレイジャーから受け取った資料をもとに、ベルカ戦争終結後の戦いにおいて「円卓の鬼神」と直接戦闘を行ったエースたちの情報を割り出すことに成功した。彼らこそ、真実の証人。しかも、一人を除けば全員が生き残っている。最初の行き先は、サピン。そこに、かつては組織の一員として「鬼神」と戦った女性エースパイロットがいる。まだ面会許可の出ていない者もいるが、今更引き下がれないのが私の立場だ。ベルカからオーシアに戻り、ドレッドノート部長に取材期間の延長とこれまでの取材の成果物を極秘裏に渡し、次の旅程に備えて航空券やホテルの手配。慌しい日々を送っている間に出発の日が近づいていく。久しぶりの我が家に戻って空気を入れ替えたり掃除を簡単に済ませ、また戸締り。何しろ一月以上姿を消していたのだ。顔を合わせた隣人が不思議そうな顔をしているのも無理は無い。多忙なのは事実だが、私の心は躍っている。「鬼神」を追い続けていた事に、間違いは無かったのだから。その証が、これから取材を行うことになっている人々。彼らの口から語られる「鬼神」の姿を通して、私はオーシアをはじめとした国々が巧妙に隠そうとした闇に確実に近づいている。
荷物を鞄に詰め込んで、ようやく一息を付き、私はビール缶の口を開けた。スーデントールで、ベルンハルト・シュミッドに連れられて足を運んだバーのウィスキーの味わいに比べれば何とも侘しいものではあるが、とりあえずの休息にこれ以上相応しいものは無い。1缶をすぐに開けてしまい。2缶目の口を開けようとした刹那、電話のベルが鳴る。一体誰だ、こんな時間に?勧誘の電話かと思って取り上げた受話器の向こうから聞こえてきたのは、流暢なベルカ語だった。アルコールの回り始めた思考回路が翻訳を開始するまでに若干のタイムラグ。
「シンプソン君か?私だ、デトレフ・フレイジャーだ」
「良くここの番号が分かりましたね?」
「局の方にかけたら、君の上司が教えてくれたよ。……すまないな、伝えなければならないことを忘れていたんだ」
耳を疑いたくもなる。何しろ相手は、先日取材を行ったベルカ空軍のエースの一人だったのだから。
「お預りした資料、有効に使わせてもらってます。おかげで、「国境無き世界」に属していたエースたちとのコンタクトを取ることが出来ました。我々の知らない半年間に、これだけの事実があったことに、改めて驚いています」
「――そうそう、君の取材の日程に余裕があるなら、会ってもらいたい男がいるんだ。かつては私の部下でもあり、その後エスケープキラーの一員でもあったパイロットがいるんだ。しかも、彼はその後「国境無き世界」に属している。「鬼神」とも随分と因縁のある奴でね」
「因縁、ですか?」
「うむ。まぁ、詳しいことは彼から直接聞くといい。名は、ハイライン・ロッテンバーク。ベルカのアンファングの港町に今は住んでいる。私から一応連絡は取ってあるが、君から直接やってもらった方がいいだろう。どうかな?」
その名前は、資料の中には出てこない。だが、思い当たるフシがあった。ズボフは言っていたではないか。"滑走路上で一回転しちまった馬鹿の後任として若い奴を入れたんだが、こいつも復讐を誓っていた奴でな。肝心のところで見境をなくしちまって、呆気なくボン、だ"――と。復讐を誓うからには、ロッテンバークという男には相応の理由が当然あったのだろう。だが彼は「ボン」の後も生き延びて、「国境無き世界」の一員になっていた。ということは、彼は明らかになっていない真実の一端を確実に握っているに違いない。私はメモ帳に彼の名前、そしてフレイジャーから伝えられた連絡先を書き込み、「至急」とサインを走らせた。組織の首謀者らしい、ジョシュア・ブリストーの面会にはしばらく時間が空いてしまう。その合間にベルカ入りする余裕は充分にあった。行くしかないだろう、これは。私はフレイジャーに礼を述べる。すると、彼は声のトーンを少し落として話し出した。
「――もう一つ。君の近辺を探っている連中がいる。直接手を出してくることはないだろうが、気をつけた方がいい。案外、この電話も盗聴されているかもしれない。だが、君が命を落とすようなことがあれば、君の取材を受けた者たちが黙っていないだろう。何にしても、気をつけたまえ。では、な」
改めて礼を言い、私は受話器を置いた。冷や汗が、背中を濡らしている。――私をマークしている奴らがいるだって?確かにこれまで、私が入手してきた情報の中には裏ルートのものも少なくない。だが相応の報酬を支払って入手した類のものに対し、今更文句を付けられる筋合いは無い。となれば、私が暴こうとしている真実を知られたくない人々、ということになる。公明正大を是とするハーリング大統領のやり口ではあるまい。彼の下で地下に潜っている連中――私の知っている事実が公開されることを恐れる連中――つまり、私はオーシア政府にマークされているということだ。だが、不思議と恐怖は無い。むしろ、信じがたいことに、私は却ってやる気を刺激されていた。いいだろう、やってやろうじゃないか。むしろ本望だ。諜報員なのか、工作員なのか分からないが、そんな物騒な連中が差し向けられるということは、私の進む道に間違いは無いということだ。なるほど、色々な意味で私は立ち止まれなくなってきた。陰でこそこそとやることしか出来ないような連中に、負けるものか――!ぐいっ、と2缶目のビールを呷り、苦い液体を胃袋へと流し込んでいく。ベルカ産のこの銘柄は、苦味が利いていて実にうまい。そう、こいつは一息入れるのにもいいが、景気付けの特効薬でもあるのだから。
ここからが正念場。そして、ここからが歴史の真実。まだ見ぬエースたちが何を語り、何を明らかにするのか――?依然としてヴェールに包まれたままの「鬼神」の人物像。まだまだ調べなければならないことは山ほどある。眠っている真実を知る喜び――これにやられた人間は、誰しも止まれなくなるのかもしれない。私の旅は続く。