2005.10.20 Gran Rudigo


マルセラ・バスケス
サピン空軍 第9航空陸戦旅団第11戦闘飛行隊 「エスパーダ隊」2番機
クーデター軍「国境無き世界」の生き残りの一人とされる女性。サピン空軍から姿を消した彼女は、約半年後、調印の地ルーメンの空に姿を現す。街を焼き尽くしていく炎の中に、彼女は何を見たのか――?現在は生まれ故郷でダンサーとして生計を立てている。

「もう10年になるのね……本当に、時が過ぎていくのは早いわ。でも、私はあの日のことを忘れることが出来ない。当時、私には組織や思想よりもはるかに大切なものがあった。――私の所属するエスパーダ隊の1番機、そう、彼よ。出来るものなら、彼と共に青い空をどこまでも飛んでいきたかった。でもそれはかなわぬ夢だった。辛い過去から逃れようとあがいて出て行ったはずのこの街に、結局こうして舞い戻ってくるなんて、本当に人生は皮肉に出来ているわ」

――教えてください。"我々の知らない"12月のクリスマス、何があったのですか?
「私にとっては、最悪のクリスマスプレゼントだったけれどもね……。あの日、私たちは組織の戦闘部隊の重要な移動手段となる重巡管制航空母艦の護衛任務に就いていた。偽りの和平条約が調印された地ルーメンを焼き払い、私たちの組織の最大の障害となるであろう、ウスティオ空軍ヴァレー基地に徹底的な爆撃を与えることに成功した――そこまでは、予定通り。でもそこから歯車が狂った。殲滅したと思っていたヴァレーには、まだ健在な航空戦力が残されていた。しかもそれは、最も私たちの恐れていたパイロットたちだった」

――「円卓の鬼神」が現れたのですね?
「そう。今でもあの圧倒的な強さは忘れられないわ。でも、「鬼神」だけではなかった。現れたウスティオの傭兵部隊は、数的には絶対的に劣勢であるはずなのに、決してひるまなかった。むしろ追い詰められていったのは私たち。次々となぎ倒され、落ちていく仲間たち。気が付けば、フレスベルクも炎に包まれ防戦一方になっていた。円卓の鬼神が率いていたのは、当時のヴァレー空軍基地で最もマークされていた男たちだった。"ウスティオの狂犬"と呼ばれた凄腕の傭兵、"片羽の妖精"の代役として「鬼神」の2番機となった男、そして"狂犬"の元で鍛えられた若きエース……私たちの必死の抵抗も虚しく、私もまた撃ち落された。でもそれだけでは済まなかった。守らなくてはならない親鳥さえも……」

思い出を胸に抱いて ――それで、組織を脱退したのですか?
「……燃え上がる機体からベイルアウトし、私は彼の所在を捜し求めたわ。幸い、彼の姿はすぐに見つけられた。でも、私と違って、彼は被弾の際に重傷を負っていた。すぐにでも手術と治療が必要だった。でも私たちの落ちたのは山の中。出来る限りの応急処置をして、私たちは山中を彷徨い、ようやく小さな麓の村へと出ることが出来た。パイロットスーツを着て、明らかに異常な姿の私たちを、村の人々は全然気にも止めずに迎えてくれた。村の医師も可能な限りの治療を施してくれた。――今となってみれば、それが私と彼の穏やかな時間、穏やかな生活だった。彼は……死んでしまった。私を残して。あれほどの悲しみは無かった。このまま彼と共に逝くことを私は考えた。でも出来なかった。彼はこう言ったの。――"生きてくれよ、俺の分まで"と。ホント、男はいつも勝手よ」

――……鬼神は、今でもあなたの「仇」なんでしょうか?
「いいえ。確かに「鬼神」は私たちをあの空から叩き落し、そして彼の命も奪っていった。でも、憎しみは全然無いの。決して癒されることの無いこの胸の痛み、悲しみに多分私は一生苦しんでいく。でも、彼が残してくれたのはそれだけではない。空を飛ぶ喜び、生きる喜び、そして輝いていた時代の記憶――それらは皆、彼が私に残し、託してくれたもの。何も無かった私に、彼は大切なものを残してくれた。だから、私は生きる。大切な遺品をこの胸に抱いて、私はこれからも生きていくわ」
「国境無き世界」に属していたエースの最初の取材相手は、サピンにいた。透き通った涙の雫に、未だに深く刻まれたままの悲しみを除いてしまい、あまりの痛ましさに私は視線を外した。彼女――マルセラ・バスケスはそれを受け止めてなおも生き続けようとしている。"男はいつも勝手よ"という一言に込められた思いが、私にはとても重い。それにしても、これまでに出会ってきたエースたちの印象と、彼女の印象は随分と変わる。「円卓の鬼神」は一人しかいないのだから、これは何を意味するのだろうか?……取材を終えた私は、彼女から発される沈痛な空気から逃れるように、店を出た。扉が閉まった後、もう一度深く頭を下げて振り返った私は、彼女の取材中カウンターの端でウィスキーグラスを傾けていた男の姿に気が付いた。この店で、彼女が舞うときにギターを弾いている男だ、と聞いていたが……。
「満足な取材は出来たかい、ブンヤさん?」
薄暗い光の中では、彼の表情を読むことは出来ない。私は少し大げさに頷き、改めて礼を言った。
「正直、俺も驚いているんだ。マルセラがあそこまで昔の話をしたのは初めてだったからな。全く、一限さんにおいしいところをもってかれた身としては、好意的にはなれんなぁ」
近づいてきた男は実は苦笑を浮かべて、私を見下ろしていた。何しろ2メートル近くの上背がある相手だ。どうしても私は見下ろされる側になってしまう。だが、その目に敵意があるわけではない。むしろ穏やかな光が漂っていることに気が付いて、私は少し心の緊張を解いた。
「辛い過去の話をほじくり返してしまったこと、申し訳ないと思います。だから、取材に応じてもらえただけでも有り難いんです。何しろ、彼女は歴史の闇に葬られた組織のエースの一人。彼女の存在が表に出るだけでも、歴史を歪曲した連中には痛手になりますからね」
「その前に、アンタが消されなければいいけどな」
男の顔がキッと引き締まり、声が潜められる。
「アンタが取材をしている最中から、この店の周りをチョロチョロしている奴らがいる。素人ではないようだ。先の取材を続けたいなら、俺にちょっと付き合ってもらえるか?」
私はぎょっとして辺りに視線を動かした。だが、相手もこちらに気取られるほどバカではないだろう。だが、この夜の闇に紛れて、私を追い続けているのだ。
「……良く気が付きましたね」
「マルセラが気が付いたんだ。そのままホテルに直行もいいが、折角サピンの繁華街まで出てきた奴をそのまま帰らせるのも勿体無いんでな。……取材抜きの話もあるそうだ。俺が案内する。付いて来い」
否も応も無く、私は男の運転する車へと乗り込む。少し古めのセダンが、しかし快い排気音を挙げて走り出す。運転しながらサイドポケットに手を伸ばした男は、暗い照明に黒光りする塊を手にしていた。――自動拳銃!私は血の気の引く音を聞いたような気がした。
「そんなに驚くなって。別にアンタに使うんじゃない。いざというときの相棒さ。――俺も、な、10年前は「国境無き世界」に属していたんだよ。陸軍だったけどな」
男はフロントガラスの向こうに、遠い昔を眺めるような視線を送る。
「ま、そんなツテもあってな、マルセラをあの店で雇っている。一度カタギを外れちまうと、なかなか元に戻るのは難しいもんでな……ま、アンタももうそのうちの一人だろう?」
男がにやり、と笑いかける。その頬には、古い傷跡が刻まれていた。なるほど、確かに私も充分に裏に足を突っ込んでしまったわけだ。"立ち止まれない"人間になってしまった以上、信じたことを貫くしかない。今の私には、それが全てなのだから。
「じゃ、似た者同士、どこかでこっそりと語り合いますか?」
「いい提案だ。気に入ったぜ、ブンヤ……いや、トンプソン。さ、しっかり掴まってろよ、飛ばすぞ!!」
アクセルを勢い良く踏み込み、男は車を急発進させる。街のネオンが高速で窓の外を通り過ぎていく。昔ながらの石畳の道路を突っ走りながら、車は走っていく。それにしても、何のために私は追われているのだろう?かつての戦勝国たちはどうしてそこまでして歴史を歪曲したのか?追手が引き続き私の身の回りを探っていることは、私が触れてはならない歴史の暗部に踏みこんでしまった証でもある。気を引き締めなければならない。危険を未然に察知してくれたバスケスたちに感謝しつつ、場合によっては彼らの「協力」も求めなければならない――そんなことを私は考えながら、シートに深く身を預けたのだった。

マルセラ・バスケス。
心の傷跡にそっと蓋をして、今日を生き続ける女性。彼女に残された大切なものを胸に抱えて、今日も彼女はフラメンコを舞っている。その舞は、もしかしたら今は亡き人に捧げる弔いの舞なのかもしれない。そして、「真実」の蓋が今開かれる。

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