2005.10.31 Oured
アンソニー・パーマー
オーシア国防空軍 第8航空団第32戦闘飛行隊 「ソーサラー隊」隊長
同じ飛行隊のブリストー大尉の右腕として戦線でも活躍していた男。「バルトライヒの決戦」において彼と共に姿を消したことから、「国境無き世界」の中心メンバーとして当局からも監視されていた。現在は、オーシアのある保険会社の調査員として日々を送っている。
「まさか、10年前の過去を追ってくる奴がいるとは思わなかったんだがなぁ。まあいい、別に隠すような話でもないからな。そうだ、俺はあの日――バルトライヒの決戦の行われたとき、ブリストー隊長率いるウィザード隊と共に、軍から脱走した。部下たちを引き連れてだ。そして、「国境無き世界」を構成する航空部隊の一員として飛び始めた。俺も、軍にいた頃には「エース」と呼ばれていた。様々な戦場の空を飛び、勲章だっていくつも貰っている。戦闘に恐怖を感じたことなど無い。生き残るためには、敵よりも自分が強くあればいいんだからな。それは思想においてもそうだ。世界が相手でも恐れることは無かった。むしろ、上等だ、かかってこい――そんな気分だったよ」
――何が、あなたを「国境無き世界」へ参加させる原因となったんでしょう?
「――心から信頼していたブリストー隊長の誘いを断る必要が無かったことが一つ。そして、自らの所属していた連合軍に対する怒りが一つ、かな。戦争が始まった頃は、俺たち兵士も、軍の上層部も、侵略者によって占領された国々を解放することだけを考えて戦っていた。だが、ベルカの撤退が進むに連れて、戦争の理由がおかしな方向へと捻じ曲げられていったんだ。そう、連合軍はベルカを敗北させることによって得られる利益配分のためだけに戦いを継続したんだ。それだけじゃない。そもそも、あの戦争自体が、ベルカを戦争以外の選択肢がない状況に追い込むためのオーシア政府による謀略の結果だったんだ。そんな戦いのどこに正義がある?オーシアの悪行を誰が裁く?だから、俺たちは決起したんだ。そんな世界をリセットするために――」
――1996年に入ってから、身を隠しているところを拘束されたと聞いています。何があったのですか?
「そんなところまで調べていたのか?――俺の率いる部隊は、ルーメン、そしてヴァレー基地を攻撃したフレスベルクを追撃する敵部隊を殲滅する任務を帯びていた。もうヴァレーの航空戦力は壊滅した、楽勝だ――そう信じていたんだが、俺たちの前に現れたのは「円卓の鬼神」だった。組織にとってみれば、最も葬っておきたかった相手というわけだ。こいつらを先に進ませてはならない。オーシアのエースとして飛び続けた俺たちだ。必ずやれると思ったよ。何しろ、乗ってる機体まで同じなんだからな。むしろ嬉しかったよ。味方の時にはこれ以上ないくらい心強いエースと正々堂々とやり合えるんだからな」
――だが、敗北した?
「ストレートに言ってくれるじゃないか。だが、その通りだ。奴と戦っている間に、俺の心の中で何かが芽生えたんだ。それが何か、最初は全く分からなかった。奴らに落とされていく部下の姿を見ても、別に動じなかった俺の心が、何かおかしくなってきたんだ。奴との激しい戦闘を続け、完璧に背後を取られてしまったときに、その正体が分かった。操縦桿を握る腕が激しく震え、歯が噛み合わないほどにがちがちと音を立てるんだ。――これは「恐怖」だ、と納得したよ。それにしても、「鬼神」とは良く言ったものだ。奴が触れるものはみな呆気なく壊れていったよ。部下たちの機体も、肉体も、そして俺の自身とプライドも。奴の放った攻撃が機体に命中し、機体が真っ赤な炎に包まれていく中で、俺は無我夢中でハンドルを引いたよ。死にたくない、とね。そして俺は組織から抜けた。情けない話だが、もう空を飛ぶこと自体が御免だった」
――あなたを敗北させた「円卓の鬼神」は、今どうしていると思いますか?
「そうだなぁ……でも、今こうしている間にも、世界の何処かで戦争が続いている。腕のいい傭兵を探している国も多い。10年前のときと同じように、な。つまり、奴が生きていくために必要な戦場は未だに転がっているということだ。奴にとってはいい話じゃないのか?人間同士が愚かにも殺しあっている限り、居場所がなくなることは決してないのだから」
憮然としてマグカップを持つ手が震えている。先日取材を行ったハイライン・ロッテンバークとは対照的に、エースであったことを今や感じられない男が、そこにいる。どうやらアンソニー・パーマーにとっては、マルセラ・バスケスもそうであったように「円卓の鬼神」とは恐怖以外の何者でもなかったのだ。パーマーの心の中には、彼を撃墜したときの「鬼神」の姿が未だに刻み付けられているに違いない。
「俺はこうして保険会社の調査員なんてポストにおさまっちゃいるが、昔の仲間たちは未だにテロリストとして地下に潜っている。ブリストー隊長に至っては国際テロ組織の親玉として逮捕され、ついでに「国境無き世界」の存在を闇に葬るためにプリズンにぶち込まれているようなものさ。おまけに、処刑しようものなら末端の細かいテロ組織の暴走が怖くて処刑もままならない。――そして自分はその片棒を担いでいた身でもある、と考えるとあまりいい気分にはならないな」
「仲間の下へ戻ろうとは思わないのですか?」
「今更戻ってどうする?彼らと俺の道は、10年前に別たれたんだ。あれほど信頼していたブリストー隊長ではあったけれども、後の話を聞いて失望したよ。ウスティオの若造に言いくるめられたのはまだいい。だが、あの戦いの敗北後もつまらないテロを何度も引き起こし、世界を変える英雄気取りだったわけだからね……恩人を悪く言うのは好きではないが、もう私は隊長と係り合いにはなりたくない。世界のためにも、監獄の中にいるべきだ。ブリストー隊長は」
窓の外で、鳩の群れが翼を休めている。どこか遠くを眺めるように視線を飛ばしたパーマー。もしかしたら、彼は大空を自在に駆けていた頃の自分の姿をそこに見ているのかもしれない。彼の言葉とおり、恐怖の感情を知って山村の廃屋に隠れていたのだとしたら何とも情けない話ではある。だが結果として、彼は戦後のテロ活動に一切関らずに済んでいるのだ。彼の弱さは、彼の将来を一応救った。もし彼がブリストーへの信頼を失わずに付き従っていたのだとすれば、私がこうして取材を行う事も無かったろう。今尚地下に潜伏しているテロリストたちと行動を共にしているはずなのだから。
「――私はどちらかと言えば実戦部隊の方にいた。難しいことは今でも嫌いでね……だから逆に、自分たちの手で世界を何とかしたい、と考えている同志たちと接する機会も多かった。イデオロギーとか思想とか、そういう複雑なものはあまり関係なく、純粋に信じていたんだ、俺たちは。世界を何とか救いたい、とね。それだけは忘れないで欲しい。ま、信じたものが間違っていたわけだがね」
「実際に核兵器を撃った「片羽の妖精」もそうだったんでしょうか?」
「あまりじっくりと話したことはないんだが……アイツの場合はもっと複雑だ。アイツは組織の掲げる理想を何とか信じようとしていたフシがあったよ。そんな片羽をブリストー隊長は随分と信頼していた。まだ「国境無き世界」の姿がはっきりしない頃から、付き合いがあったらしい。実際、過去に出撃した紛争などで、傭兵部隊との共同作戦がなかったわけではないからな。……でも、ま、大したエースだったと思うよ。彼のような男が組織に属していると聞いただけで、随分と多くの兵士たちが集まってきたのは事実だ。――あの戦いの後、空で彼の姿を見た者はいない。今どこで何をしているのか……「円卓の鬼神」、もな」
「片羽の妖精は、今ある紛争地の義勇兵として戦い続けていると聞いています。私は、彼の取材にも行くつもりです」
本気か、というようにパーマーが目を見開く。私はためらうことなく頷いた。そう、取材の仕上げには、「円卓の鬼神」と共に飛んだ男たちの証言も必要なのだ。だから、仮に「円卓の鬼神」に辿り着けないとしても、「片羽の妖精」のインタビューだけは絶対にとる覚悟だった。そのためなら、紛争地であっても私は乗り込んでいこう。
「――マスコミの執念もそこまでいくと大したものだな。健闘を祈るよ、トンプソン」
にやり、と笑ってみせた彼の顔に、私はようやくエースだった頃の精悍さを見たような気がした。最もその後、彼が付け加えた台詞には笑ってしまったが。"ついでに、うちの保険に入っていけ"――と来たのだから。でももしかしたら、それは彼に気に入って貰えたことの裏返しだったのかもしれない。
アンソニー・パーマー。
かつての仲間たちとも袂を別ち、今日を生きる男。そして、空にはもう二度と上がらないであろうかつてのエース。その生き方を批判するのは容易だ。だが結果としてその選択が正しかったのだとしたら、人は批判する権利を持つのだろうか?私には、分からない。