2005.11.06 Oured
私の取材もいよいよ大詰めとなってきた。紛争による混乱や、或いは書類の審査といったことによって実現するかどうか難しかった案件が、ようやくクリアになったのだ。ランドフォード監獄に収監されているジョシュア・ブリストーの取材許可が、11月11日に実現することとなり、さらにウスティオ空軍ヴァレー空軍基地から、取材許可が下りたのだ。それも、司令官のイマハマ少将直筆の手紙付きで。私が取材を申し込んでいた相手は、あの戦争において傭兵たちに鍛え上げられ、戦後はずっとヴァレー基地に留まっているウィリス・シャーウッド大尉だった。もちろん、彼に対する取材許可を私は得ることが出来たのだが、それに加えて、イマハマ少将は10年前の戦いで戦死した、「円卓の鬼神」とも関りの深い男に関しての資料も用意してくれると回答してきたのだ。ガイア・キム・ファン――マッドブル・ガイアの名で知られた、凄腕の傭兵。まだ出てくる新たな真実に、私の心は躍る。さらに、スーデントールのシュミッドから、「片羽の妖精」の属するデラルーシ義勇兵団の連絡先がメールされてきた。どうやら、彼の元部下が「片羽」と共に戦っているらしいのだ。コンタクトを取らない手は無い。不安定な回線に苛立ちながらも、私はようやく彼らとの接触に成功した。残念ながら「片羽」本人とは話せなかったが、まだ時間と機会はある。必ず、彼の取材を成功させなければならない。
これまでの取材をまとめた資料とVTRを私はドレッドノート部長の元に提出した。現時点のものであっても、その内容は一般的に知られている現代史をひっくり返すものだ。幾人もの協力を得て、その実態がかなり明らかになってきた「国境無き世界」については、そもそも語られていない歴史の暗部だ。しかも彼らの活動を支えていた莫大な資金はベルカとオーシアから流れ込んでいた。世界を脅かしたクーデター軍を支えていたのが他ならぬオーシアとベルカだったなどと、一体誰が考えるだろう?だがそれが現実なのだ。今の政府が簡単にその事実を認めるはずもないが――ハーリング政権といえども、その部下までハーリング大統領と同じとは限らないのだ――。だが一方で、「円卓の鬼神」の翼跡はかなり解明することが出来た。彼は結局、ベルカ戦争が真の終結を見るまで最前線にあり続けていたのだ。ロッテンバークが証言してくれたとおり、世界の命運を賭けた最終決戦において、かつての相棒を自らの手で撃墜までしながら……。だが同時に、そんな彼の姿に勇気付けられ、絶対的に不利な戦況を覆した兵士たちのことを知ることも出来た。歴戦のエースたちの記憶に刻み付けられた「彼」の姿は、紛れも無き人間の姿だ。彼もまた、戦いの中で悩み、苦しみ、それでも足掻いて飛び続けていたに違いない。人は大義だの正義だのといった言葉に弱い。だが、「円卓の鬼神」には、頼るべき祖国は無かった。その代わり、彼は人としての強さを持っていた。だから、強いのだ。そして同時に、多くの人々を奮い立たせることが出来たのだ。言葉ではなく、その翼によって――。
番組で使用するかどうかは全くの別問題として、「円卓の鬼神」がベルカを出奔するまでの履歴はロッテンバークの協力によって随分と得ることが出来た。彼の父親の話は、ケラーマンからも聞くことが出来た。かつてはベルカのエースとして活躍し、その後傭兵として飛び続けたタイアライト・ラル・ノヴォトニー。ある戦場で、部下を見捨てて敵前逃亡しようとした上官機を撃墜したために、汚名を着せられ、軍を追われたという事実が世間に伝えられることはなく、結果として一家は差別の対象とされた。タイアライトがとある戦場で戦死してからさらにひどくなった弾圧は、「鬼神」の母親の命を奪い、そして彼の自由をも奪った。そして運命の日。教師を撲殺して逃亡したベルカ人としてのレオンハルト・ラル・ノヴォトニーの足跡はこの日を境に途絶える。彼が次に姿を現すのは、数年後のことだ。筋の良い若手傭兵として、彼は活躍を始めている。ケラーマンは、父親の傭兵仲間が彼を助け出したのだろう、と言っていた。恐らくはそうだろう。父親の血を受け継いだ彼は、ついには「円卓の鬼神」と呼ばれるエースへと成長していく。彼が歩いてきた道は、限りなく困難な、険しい道であったはずだ。その逆境を乗り越えて、彼は飛び続けていたのである。――そして、今もきっと、昔の悪夢に苛まれているのかもしれない。彼は、未だに教師を撲殺したときの夢にうなされるというのだ。朱に染まった自分の両手。それを、自分の犯した罪として忘れまいとする「鬼神」。そこには、「鬼神」という呼び名には似つかぬ人間の姿が浮かび上がる。
そして「片羽の妖精」こと、ラリー・フォルクだ。彼の経歴もまた、一筋縄でいかないものだ。彼もまた、ベルカの出身である。だが、幼い頃に発生した紛争は、彼の両親を奪い去って行った。孤児院で育てられた彼が幸福であったとは到底言えない。院を出た後の彼は、傭兵パイロットとして生計を立てるようになる。傭兵という職業を徹底的に毛嫌いする祖国に、彼の居場所はなくなっていた。世界中の戦場を渡り歩いていた彼は、1993年の戦闘において、右主翼を失った状態で任務を達成して前線から帰還する。以後、彼には「片羽の妖精」というニックネームが付けられ、彼もまた願掛けのように右主翼を赤く塗装するようになった。その後、ウスティオ空軍傭兵部隊に所属することとなった彼は、「円卓の鬼神」と共に数々の戦場で戦果を挙げ、ウスティオの猟犬の名を広く知らしめることとなる。だが同時に、彼は「国境なき世界」への参加を強く求められていた。彼は、「円卓の鬼神」と組織との間で揺れ動いていたのかもしれない。そして、1995年6月6日――ベルカが自らの国を核の炎で焼き払ったその日、彼と「鬼神」の道は別たれてしまった。再会した彼らは、アヴァロンの空で世界を賭けて戦う敵同士となってしまったのである。しかも、彼は「鬼神」と戦うに当たって、ウスティオ空軍時代の後輩パイロットを自らの手で葬っている。そんな彼の感情を想像するのは極めて難しい。彼は彼なりに、世界を再生する道を信じようとしていたのかもしれない。一見、クールでドライに見える彼の姿には、迷い苦しむ人間の姿が透けて見える。心から信頼していたであろう相棒の手にかかって敗北したとき、彼の胸に去来した想いは何だったのか――私は、それが知りたい。
鳴るはずの無い電話が、再び鳴り響く。また私が出会ったエースの誰かが連絡をよこしてきたのか――そう思って受話器を取る。激しいノイズが耳を打ち、私は思わず受話器から顔を離した。相変わらずノイズばかりが聞こえ、何かの物音が聞こえる。しばらくして、ようやくノイズが静まり返った受話器の向こうから、落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「紛争地の一義勇兵に取材を申し込もうとしている変わり者の記者ってのはアンタかい?」
私は思わず自分の耳を疑った。先方の組織が、うまく連絡を取ってくれた結果であったろうが、こんなにも早くその声を聞くことが出来るとは思わなかったのだ。
「OBCのブレット・トンプソンと申します。フォルクさん、私は10年前の真実を追い続けています。あなたの相棒だった「円卓の鬼神」の姿を通して、隠された真実を明らかにするために――」
「歴史なら教科書にも書いてあるだろ?それの何が不服だ?」
「ラリーさん、私は隠された真実の一端を知ってしまいました。そして、さらに事実を知りたいと欲しています。アヴァロンの空で、実際に「鬼神」と戦ったあなたの口から、聞きたいのです。「鬼神」と呼ばれた男の姿を」
ノイズ交じりの声が沈黙する。そう、相手はあの「片羽の妖精」ラリー・フォルクだった。どうしても会えないなら、電話の声を録音する手段もある。私は胸元のICレコーダーのスイッチを入れようとして、止めた。それでは意味が無い。ベルカ空軍のエースたち、それに国境なき世界に属したエースたちと直接会い、そしてその声を直接収録してきたのに、最後の最後でそれは出来ない。どうせ立ち止まることは出来ないこの私だ。とことん、追いかけなければ意味が無い。
「――どうやら、ただのブンヤではないらしいな。だがな、俺から何を聞きたい?歴史の裏舞台に顔を突っ込んで何をするつもりだ?中途半端な目的で取材だの番組だのを作られちゃ、俺も迷惑だし、きっと相棒も迷惑だろう。ましてや、大国が必死になって隠したがっている事実をお前は暴こうとしている。話だけ聞いて結局放送できませんでした、じゃ協力するのも無駄だろう?」
「確かに、私はどうやら狙われているようです。でも、真実をこのまま葬ってはいけないと思うんです。むしろ、真実を覆い隠した方が都合が良い連中をこのままずっと放置しておくこと――それこそ、看過出来ない危険な事態だと思うんです。私は、それを阻止したい。真実は、真実として報じられるべきだ。フォルクさん、私は、真実が知りたいんです。あの戦争から10年経ちました。ようやく公開された資料は、人を馬鹿にしたような程度のものでしかなかった。教科書通りの歴史をなぞるだけのものでした。でも、「円卓の鬼神」レオンハルト・ラル・ノヴォトニー……そう、あなたの相棒であったエースパイロットの翼跡を追い続けることで、私は断片的な真実の数々に触れることが出来ました。だから、あなたにお会いしたいんです。最も良く、彼を知っている「片羽の妖精」に」
ふーむ、と唸るような声を出して相手が沈黙する。私の旅は、彼に会うまで終わることが無いのだ。何としても、食い下がってやる。私は既に「記者」としての領分を踏み外し始めたかもしれない。だが公開されたカバーストーリーだけをなぞる事が記者の仕事だと言うのなら、そんなものに用は無い。この番組を成功させた後、OBCをクビになったとしても悔いは無い。私の記者生活は、あの戦争の真実に出会うためにあったのだ。
「いいだろう、そんなに話を聞きたいのなら話してやる。相棒を裏切り、仲間だった若者をこの手で灰にして、世界を焼き尽くそうとした男の証言が何かの役に立つと言うのなら、乗ってやる。ただし、条件がある。人に話を聞きたいときは――」
「お前が自ら聞きに来い、でしょう?もとよりそのつもりです。ユージアはデラルーシ国境付近――現在の最前線にいらっしゃると聞いています。必ず行きますから、それまで死なないで下さいね」
「言ってくれるぜ。まあいい、お前さんこそ、気をつけるんだな。ここは戦場だ。死んでも何の不思議も無い場所だ。――国に入ったら連絡を入れろ。迎えをやる。じゃあな」
電話は一方的に切られてしまう。だが、取材の了解は取り付けた。後は、私が実際に彼に会うための算段を整えればいいだけだ。オーシア大陸の東部国家群の紛争地帯に一時期姿を現していたという彼は、現在ではユージア大陸にいる。ユージア大陸全土を巻き込んだエルジア対諸国連合の戦いは、"メビウス1"のコールサインで呼ばれるエースパイロットの出現により、圧倒的優勢であったはずのエルジアの敗北に終わっていた。だが、先のベルカ戦争が戦争終結と共に利益配分の醜い戦いへと姿を変えたのと同じように、ユージア大陸では、戦勝国同士の国境線を巡って紛争が勃発してしまった。ラリー・フォルクは、相手国に有利な条件を自ら提示したにもかかわらず侵略を受けたデラルーシの義勇兵として、今日も戦っている。彼はあの戦争以来一度も空に上がっていない。だが、地上戦のプロフェッショナルとして、戦後の10年間を彼は生き延び、別の意味でも伝説的な人間となりつつある。彼がそこまでして前線にこだわり、そして戦場で生き続けるのか、その理由を是非知りたかった。そのためには、やはり行くしかない。私の覚悟は決まった。辞表に加えて、もう一通必要になった。私は便箋を取り出し、思いつくままにペンを走らせた。幸い、私には妻も子供もまだいない。言葉を残しておく相手はそれほど多く無くていい。――「遺書」とはそういうものなのだから。
「まだ止められないのか――!!」
拳を叩きつけられた机が抗議の悲鳴をあげる。部屋の外にいる秘書がもしかしたらぎょっとした顔をしているかもしれない。だがそれだけ激しい怒りが、男の心に渦巻いていたのだ。
「――まあいい。まだチャンスはある。必ず仕留めろ。……何?妨害?誰がそんなことをするというのだ?一介のブンヤが用心棒でも雇ったというのか!?お前らとてプロだろう、支払った報酬に見合うだけの働きくらいしてみせろ。いいな!!」
受話器を叩き付け、男は肩を怒らせながら呼吸を整えようとしている。部屋には来客者の姿があり、もう一方の男は苦笑を浮かべながら男の背中を見守っている。
「……そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ。いいではないですか、むしろ行かせてやりなさい」
「しかしその結果として、奴が新たな証言を手にしたらどうするんだ!?」
「彼が向かうのは紛争地です。当然、流れ弾も飛んでくるというものです。始末するなら証拠も何も残らない場所であるべきだ。それならばよろしいのでしょう?」
男の顔に、ようやく笑みが浮かぶ。やれやれ、頭に血が上るとその程度の思考も出来ないからこそ、今の地位に留まったことをまだ分かっていないらしい――一方の男は、相手をそのように評価していた。もっとも、金を無尽蔵に引き出せる点では、これほど望ましい「客」も無かったが。
「仮にOBCが番組を放映するにしても、肝心の証言が無ければいくらでも潰す手段がある。――世界が真実を知る必要は無いのです。真実とは、力を正しく行使出来る者たちだけが知っていれば良いもの。誰もが知る必要など微塵も無い。またそうなっては非常に困るのですよ。あなた方も、そして我々も、ね。だから、彼には退場してもらわなければならないのです」
「ぬかりのないようにな」
ソファから立ち上がった男が、見事な敬礼を施す。その口元に、酷薄な笑みが浮かんでいた。
「――お任せください。副大統領閣下――!」