2005.11.14 Valais Air Base @
ついに、私はここに辿り着いた。今でも戦闘機から発されるケロシンの香りが滑走路を漂い、そして10年前のあの頃と同じように、正規兵と傭兵たちが共存する特殊な環境の空軍基地。そして何より、「円卓の鬼神」が飛び立っていった場所。この基地には、当時を知る男たちが未だに在籍し続けている。代表的な男たちに、私は幸運にも会う許可を得ていた。一人はマゴハチ・イマハマ少将。10年前の階級は中佐。「国境無き世界」による襲撃によって、この基地の司令官だったジェイミー・ウッドラント中将(当時大佐、2階級特進)が戦死した後、この基地の司令官として座り続けている「名将」である。そしてもう一人は、ウィリス・シャーウッド大尉。ウスティオ空軍の数少ない正規兵の生き残りであり、ウスティオのエースたちを間近で見て、そして自らもエースとして飛び続けている男。「鬼神」の敵であった人々の取材は一段落し、ここからは「鬼神」と共にあった人々の取材が始まる。それにしても、ここは寒い。山間部を切り開いて作られた基地だけあって、冬の到来は麓よりも遥かに早いのだった。ここに来るには少し薄着だったかもしれない――輸送機から降り立った私は、基地の寒さに思わず身震いした。
「ウスティオの島流しの地に取材に来たってのは、君かい?」
ジープのハンドルを握った長身の男が、「乗れよ」というように手招きしていた。後部座席には傭兵たちの基地に相応しい、スカーフェイスにニット帽を被った整備兵も乗り込んでいる。私は小走りにジープに近寄り、助手席へと乗り込んだ。年代物のジープはしかし、快調なエンジン音を立てて走り出す。
「ブレット・トンプソンです。よろしくお願いします」
「俺はナガハマ――長年、整備兵をやっている。よろしく頼む。んで、こっちは……」
「傭兵隊の一応隊長兼教官をやっている"ジンク・マナス"だ。ジンク、で構わない」
運転席に座る男は、傭兵隊の隊長というには優しすぎるような笑い顔を浮かべていた。だが、この男が只者ではないことはすぐに分かった。これまで取材をしてきた、かつてのエースたちに共通するような雰囲気というか空気を、この男もまた持っていたからだ。
「取材バカと言われるかもしれませんが、ジンク、あなたは「円卓の鬼神」をご存知なんですか?」
「俺がここに来たのは戦後の話だから……残念ながら、既にヴァレーを離れてしまった後だったよ。何でも、ディレクタスまで飛んでいったのが、彼の姿を見た最後だったらしい。一緒に飛びたかったもんだけどね」
やはりそうか……もしかしたら、という淡い期待を私は持っていた。姿を消してしまった「鬼神」。だが、彼がどこかへと去ってしまったのではなく、姿を変えてヴァレーに残り続けていたのだとしたらどうだろうか?イマハマ少将やシャーウッド大尉がこの地に留まりつづけているように――。私は首を振った。こんなことで落ち込むべき出来なかった。これから貴重な証言を得られるというのに、今ここで落ち込んでどうする?――そんな私の様子を見て、ジンクとナガハマの二人が苦笑を浮かべていた。
ガイア・キム・ファン
ウスティオ空軍第6航空師団第69戦闘飛行隊 「マッドブル隊」隊長
報酬こそ全て。0の桁の数で加勢する相手を選ぶと噂された凄腕の傭兵。僅かな国土を残してベルカに占領されたウスティオが雇った傭兵パイロットの中に、彼の姿があった。もともとはオーシア海軍の猛者たちが集う海兵隊の一員であったが、シゴキといじめを勘違いした上官たちに反発して演習中に事もあろうか彼らの拠点を襲撃。上官たちをことごとく殲滅せしめ、晴れて彼は軍事法廷行きの身となったが、演習地からそのまま逃亡、姿を消す。再び姿を現したときには、傭兵部隊のパイロットとなっていた。マッドブル・ガイアの異名は、彼の実力の裏返しでもあったのである。
1995年4月、「円卓の鬼神」に遅れてヴァレー基地へと姿を現した「ウスティオの狂犬」とマッドブル隊は、ベルカ戦争におけるウスティオ空軍の挙げた戦果においてトップレベルの撃破数をカウントしている。一目標いくらの世界に生きる彼らにとっては、攻撃目標がドル箱に見えたのかもしれない。だが、金の亡者という評価は彼にはあてはまらない。レイバンの良く似合う強面、パンチパーマ、筋肉質な肉体、加えてどちらかといえば下品で豪快な言動――確かに彼の姿は異形であるし、夜の生活も華々しいものがあったらしいが、彼は若者たちの良き兄貴分としても知られている。若かりし頃の「円卓の鬼神」を鍛え上げたのも彼なら、マッドブル1の後継者たる「白き狂犬」を一端に鍛え上げたのも彼であったのだ。ぎろりと睨まれたなら気の弱い者など震え上がってしまいそうな強面男の、実は気の行き届いた配慮ぶりは、後日彼がヴァレー基地の教官に就任してから存分に発揮されることとなった。もっとも、海兵隊式の教練しか知らない彼のシゴキは相当なものであったと当時を知るパイロットたちが語っているが、現在ではそのやり方がウスティオ空軍の一般的なものになってしまっている点が興味深い。それは即ち、彼のシゴキならぬ訓示を受けた男たちが今尚健在であることの証拠でもある。
1995年のクリスマス。ヴァレー基地を襲撃した「国境無き世界」の重巡管制空中航空母艦フレスベルク攻撃のため、スクランブル発進していった彼は、そして二度とヴァレーに戻ることは無かった。当時のヴァレー基地の最強のカルテット――「円卓の鬼神」、「ウスティオの狂犬」、後の「白き狂犬」、陽気なガルム隊2番機PJ」――彼らの猛攻に「国境無き世界」の戦闘機たちは次々と叩き落されていった。だが、そんな彼らを息を潜めて狙っている部隊があった。クーデター軍の首謀者たるジョシュア・ブリストーの率いるステルス戦闘機部隊が、ほとんど弾切れとなった傭兵部隊に襲い掛かったのだ。この戦いにおいて被弾、負傷した彼の愛弟子の盾となった彼の愛機は機関砲弾に撃ち抜かれ、彼もまた瀕死の重傷を負ってしまう。最早基地への生還は困難と判断した男の最後の作戦行動は、フレスベルクへの特攻だった。仲間たちの見守る中、最後の最後まで豪快に笑いながら散っていった彼の姿に、ウスティオの傭兵たちだけではなく、撃墜され、地上から空を見上げていた「国境無き世界」の兵士たちも涙したという。彼は死に臨んで、彼の呼び名「マッドブル」を愛弟子ウィリス・シャーウッドに譲っている。このときの彼の遺言は、当時ウスティオの傭兵部隊の作戦指揮を執っていた空中管制機「イーグルアイ」によって録音されている。
『すまねぇ。さて、と。おい、聞いているかシャーウッド!!戦場にはああいうタチの悪い手合いもいる。良く覚えておけよ。ま、一度経験しときゃあ、次は失敗しないだろうがよ。ちいとばかし早いが、お前も充分一端だ。おい、聞いているか、兄弟?』
『ならいい。イテテテ、こめかみにまで響くぜ。さて、と。俺っちの隊長としての最後の命令だ。拒否は許さん。ウィリス・シャーウッド中尉、本日只今を以って、"マッドブル1"――マッドブル隊1番機への就任を命じる。復唱しろ、シャーウッド!!』
『何だよ、涙もろいやつだなぁ、お前も。これからお前はお前だけじゃなく、嬢ちゃんを、そしてそのうち生まれてくるガキンチョを支えていくんだぞ。そんな男がその体たらくでどうする!?……なぁ、楽にさせてくれよ、おい』
――厳しさの中に垣間見える優しさ。私はその声を聞いて落涙する以外の術を知らなかった。
ちなみに彼はこの戦いの直前、来る最終決戦に備えて新たな機体を購入していた。だが、彼がその機体に乗ることは無く、フレスベルクとの戦闘で乗機を失ったウィリス・シャーウッド中尉が乗り込むこととなる。緊急時のやむを得ない措置だったかもしれないが、きっとマッドブル・ガイアは喜んだに違いない。彼の多方面に(?)渡る指導を受け、一端の戦士として成長した彼の後継者以外に、その機体に相応しい者などいなかったのだから。そして最終決線の地、アヴァロン。ジョシュア・ブリストーは戦場の空において、連合軍兵士たちを抱きこむための演説を始めたのだという。結果として、ブリストーはグウの音も出ないほどにやり込められ、さらにはマッドブル隊の餌食となって撃墜される。見事、彼の愛弟子は仇を討ち果たすだけでなく、ウスティオの若きエースとしての座を確かなものとしたのである。以来、彼はウスティオのトップエースとして君臨し続けている。彼らの心の中に、きっと今でも豪快な傭兵の姿は生き続けているに違いない。
後日、戦いが終わってから整理された彼の部屋から、一枚のレコードが見つかり、今でもヴァレー基地に保管されている。他の傭兵たちと同様に帰る故郷を持たない彼の墓は、ヴァレー基地の一角にひっそりと佇んでいる。そのレコードのタイトルは、あの戦争において主にスーデントール決戦に向かった兵士たちの間で大流行した反戦歌「Journey Home」である。戦いを生活の場としていた男は、戦いを終えた夜にこのレコードを聞きながらグラスを傾けていたのだろうか?一見矛盾しているように見える彼の姿は、同時に口先ばかりの平和を唱える者たちへ向けたアンチテーゼとなるのかもしれない。
ガイア・キム・ファン。
ウスティオの今を支えるエースたちを鍛え上げ、空へと還っていった男。傭兵や正規兵といった垣根を越えて、若者たちの後見人として在り続けた彼のような男を失ったことは、「円卓の鬼神」に絶えがたい悲しみと苦しみを与えたに違いない。彼の魂の冥福を――いや、マッドブル・ガイアの魂に平穏という言葉は似合わない。ヴァルハラとやらが本当にあるのならば、戦乙女たちを相手に宴会をぶっていることを願って止まない。