2005.11.14 Valais Air Base A


話を終えて、ヴァレー空軍基地司令官のマゴハチ・イマハマ少将は眼鏡を外して目元をハンカチで拭った。初老の司令官殿はおよそ軍人らしからぬ風貌で、愛用のマグカップにコーヒーを満たしていた。だが、この男こそウスティオ空軍司令官の至宝とまで呼ばれるようになった名将なのだから、本当に人は見かけでは分からない。
「……あれから10年が経ってしまったんですねぇ。私は随分と多くの部下や仲間を失ってしまいましたよ。ウッドラント司令、マッドブル・ガイア、ピクシー、サイファー……それに基地の兵士や整備兵たち。落ち着いてから改めて驚いたんですよ。あの戦いで失われた命の多さに、ね。それに敵の兵士たちまで含めたら大変なことになるわけですから。間接的に、私もまた人殺しの一人というわけですよ」
寂しげに笑いながら立ち上がったイマハマは、窓にかかっているブラインドを上げ、窓の外に視線を飛ばした。
「10年前、「円卓の鬼神」に何があったのですか?」
「――トンプソン君、君が知ってのとおりですよ。「国境無き世界」の存在自体を抹殺しようとしたオーシアは、関係者の口封じを目論んでいたんです。サイファーは、ある意味最も触れてはならない機密に触れていました。だから、当時のオーシアは彼の身柄を引き渡すよう求めてきたのです。結果……帰還したばかりだというのに、彼は愛機と共にどこかへ姿を消してしまった。その後オーシアに雇われたという話も聞きません。……本当に、どこへ行ってしまったんでしょうね。彼のような男には、後進の若者たちのために是非留まって欲しかったんです。それほどの男だったのですよ、「円卓の鬼神」は」
再び沈黙が部屋の中を漂い、私とイマハマ少将がコーヒーをすする音だけが静かに響く。オーシアはそんなあくどい事をしていたというのか……。私は、自身の祖国のやり口に心から腹を立てていた。オーシアがそこまでして当時のエースたちに手を出していたのには訳がある。ベルカ戦争において、オーシアは数多くのパイロットを戦死させてしまった。その中には新兵ばかりではなく、ベテランの隊長クラスの男たちも多数含まれていたのである。超大国のプライドを維持するため、そして実質的に空軍戦力のレベルを維持するため、オーシアは戦後の混乱期に乗じて他国のパイロットたちにリクルート攻勢をかけているのだ。そして驚くべきことに、「円卓の鬼神」にまで彼らはスカウトの手を伸ばしていたというわけである。それも、半ば脅迫のようなやり方で。私が「鬼神」だったとしても、逃亡しているに違いない。差し伸べられた手を握って行った先が処刑場という可能性すらあるのだから。
「お、帰って来ましたよ」
自分の思考の内に沈んでいた私は、てっきり「円卓の鬼神」が戻ってきたのかと勘違いをしてしまった。甲高い咆哮を響かせながら、純白のSu-37がヴァレーの滑走路に降りてくるところだった。彼の後ろには、ぴたりと2番機が付けている。Su-37の一方の尾翼には、サングラスをかけた柄の悪いブルドックが、そしてもう一方にはバニーのエンブレムが描かれている。――現在のマッドブル隊隊長、ウィリス・シャーウッド大尉の愛機である。私は取材道具、そして入手した資料の数々を仕舞い込み、ウスティオのトップエースの指定した取材場所へと移動する準備を始めた。
「ちなみにね、シャーウッド大尉の指定した場所はかつてサイファーたちの機体が置かれていた場所なんです。まぁ、当時のものはほとんど置いてませんが、時間があればゆっくり見ていってください。整備兵たちの中にも、当時の彼らを知っている者も少なくないですからね。シャーウッド整備班長に言えば紹介してもらえますよ」
「え、整備班長ですか?大尉は整備班まで束ねているんですか、ここでは?」
「失礼。厳密には、シャーウッド大尉のご夫人ですよ。ジェーン・オブライエン・シャーウッド。整備班の男たちからは「姐さん」と慕われている……まぁ、素敵な姉御です。子沢山の家庭なんでね、ちょっと前までは一番下の子を背負いながら整備やってましたよ」
「……お盛んなんですねぇ、大尉は」
このときのイマハマ少将の苦笑いというか、まるで悪戯をこれからしてやろうというような笑い方はしばらくの間私の脳裏にはっきりと焼き付いた。そして彼はこう言ったものである。
「この地で行方不明になりたくなければ、絶対に彼女の前でそんなことを言わないことですよ」
――シャーウッド大尉のご夫人は、どうやらこの基地のドンよりも怖いらしい。
ウィリス・シャーウッド
ウスティオ空軍第6航空師団第69戦闘飛行隊 1995年当時は「マッドブル隊」2番機。
ベルカによる電撃作戦において壊滅的損害を出したウスティオ空軍正規兵の数少ない生き残りの一人。腕利きのパイロットたちをヴァレー空軍基地へ配属するという軍の方針により、傭兵のたむろす世界へと送り込まれた若者は、やがてウスティオ空軍の誇るトップエースへと成長した。現在もなおヴァレーに留まり、ウスティオの空を守り続けている。愛妻と5人の子供たちに囲まれながら。

「――ここに来ると、10年前のことをはっきり思い出すことが出来る。俺はまだ駆け出しのヒヨッコ。強がってはいたけど、世間知らずの青二才。ここに配属された当時は落ち込んだねぇ。よりにもよって、傭兵と一緒に並んで飛ぶのか……とね。その認識がいかに間違ったものであるか、後々思い知らされることになったよ。ここヴァレーに集まった傭兵たちは、皆本物ばかりだった。傭兵としてのプライドを持ち、そして国家の正義や大義なんてもので目が塞がった正規兵たちよりも、はるかに人間として魅力的だった。俺の師匠、マッドブル・ガイアもそうだったし、「片羽の妖精」ラリー・フォルクも、そしてサイファーも……死んでしまった相棒、パトリック・ジェームズも。俺は彼らを知り、そして変わることが出来たんだ。そうでなければ、今こうして10年前を振り返って昔話をするなんてこたぁ、なかっただろう。呆気なくベルカのエースに撃墜されて、あの世行き……というのがせいぜいだろう。そんなことになったら、うちのカミさんに何をされるか分かったもんじゃないけどな」

――あなたの見た、「円卓の鬼神」の姿を教えてください
「鬼神と言ってしまうと近寄りがたい雰囲気になっちまうが、あの人はその言葉のイメージと全く正反対の人だったよ。戦闘機から降りたときの彼は、仲間思いの、家族思いの普通の男にしか見えなかった。俺たち若手パイロットの良き相談相手でもあり、良き教官でもあったんだ。そして何より、彼はエースだった。彼に追いつきたい、と若手の連中も、そして傭兵たちですら、その背中を目標にしていたよ。彼がいるだけで、戦場の空気が変わってしまうんだ。あんなエースに俺はあれ以来一度もお目にかかったことが無い。戦場では誰でも不安なものさ。一つ間違えれば空の塵になっちまうんだから当然だ。でも、サイファーがいると違うんだ。俺たちはやれる。俺たちはまだ飛べる――そんな気になるんだ。実際、彼は強かった。でも彼の強さは、どんな状況にあっても決して挫けない心と翼を持っていることだと思う。彼だって人間だ。落ち込むことも哀しいときもあったと思う。俺も――ガイア隊長が戦死したときには立ち直れないんじゃないかと思った。でもまぁ……のろけになってしまうが……カミさんに叩き起こされたというか、そこから這い上がることが出来た。悲しんだり後悔したりすることは後でいくらでも出来る。今は、今しなければならないことをやるんだ――それが出来ることが、サイファーの誰よりも強いところであるし、魅力的なところなんだと思うよ」

――1995年12月30日、アヴァロンの空で何が起こっていたのですか?
「決戦、だよ。まだ決着の付いていなかったベルカ戦争の、真の意味での決着――かな?あの戦争が遺した最悪の遺産が、兵士たちの心に残った憎しみだった。「国境無き世界」の首謀者たちは、巧みにその憎しみを利用して兵士たちを抱きこんでいったんだ。――あのときの敵の中には、ヴァレー基地に属していた傭兵たちもいた。彼らは彼らで、自分たちの信じる正義を貫こうとしていたんだ。
あの日の作戦は、連合軍にしては随分と思い切ったものだった。俺たちも含めた大規模な航空部隊がアヴァロンの上空で仕掛けて敵主力を引きつけている間に、サイファーたちの本隊が渓谷を抜けてアヴァロンを急襲する――というね。何しろ、渓谷に突入した連合軍部隊は、サイファーたちの盾だったんだ。でも、彼らは自らその無謀な任務を希望したんだ。戦場の借りを、サイファーに返すため――ただそれだけのために。俺たちの戦いも決して楽だったわけじゃない。数的には相手のほうが上だった。信じられない話だが、本当だ。装備も最新鋭どころが並んでいる。それでも、俺たちは引かなかった。絶対にサイファーたちがやってくれる、と根拠も無いのに信じて戦っていたんだ。そして、彼は実際に成し遂げた。俺たちは勝利を確信したよ。だけど――悲劇はその後に起きてしまったんだ」

ヴァレーの狂犬 ――サイファーとピクシーの激突、ですね?
「良くそこまで調べたもんだ。そう、そして俺の当時の相棒、パトリック・ジェームズ・ベケットはラリー・フォルクの手によって殺されてしまったんだ。彼には、ヴァレーに将来を誓った恋人がいた。彼女は身重だった。戦いが終わったら退役して、実家のパン屋を継ぐんだ――そう言ってた相棒の夢は、アヴァロンの空に散ってしまったんだ。それだけじゃない。ピクシーは、「V2」を発射している。タイムリミットは核弾頭が再び大気圏に突入するまでの数分。そこから繰り広げられた2人の戦いは壮絶なものだった。あれほどの腕前を持ったエース同士の激突さ。あんな戦いは二度と見られないだろうし、二度と見たくない。信じあった者同士の悲しい戦いだったんだからね」

――あの戦いから10年、何故あなたはこの地に留まったのですか?
「うまく言えないんだけど……サイファーがこの基地から姿を消してしまった後、考えたんだ。いつの日か彼が戻ってくる日のために、この基地のこの雰囲気、この空気を残したい、とね。だから、イマハマ少将に俺は全面的に協力したんだ。傭兵と正規兵の混成部隊――滅茶苦茶な考え方だと批判する奴はいるが、少なくとも俺は知っている。傭兵たちの中にも素晴らしい人間がいるということを。傭兵という仕事自体は確かに負のイメージを持っている。だがそれと人間は別の話だ。幸い、この基地には本物の薫陶を受けた奴らがいっぱい残っていた。中途半端な傭兵なんざ、この基地ではやっていけない。そして、正規兵の教育だけでは、役に立たない軍人が増えるだけ。国家に縛られない傭兵たちを知ることで、きっと俺たちの後に続く若者たちは本物になれるんだ、と俺は信じている。そして、それを実現することが、俺をここまで育ててくれた本当のエースたちに出来る恩返しなんだ、と信じているよ。だから、俺はここでこれからも飛び続ける」

ウィリス・シャーウッド
ウスティオ空軍の「万年大尉」と囁かれ始めた彼は、名実共に今やウスティオのトップエースである。だがそんな彼は、せいぜい4番目だと嘯く。「円卓の鬼神」・「片羽の妖精」・「マッドブル・ガイア」――彼らこそがヴァレーのトップなのだ、と。「白き狂犬」の異名でも呼ばれる彼は、今日もウスティオの空を守るため、愛機と共に飛び続けている。

エースの翼跡目次へ戻る

トップページに戻る