2005.11.15 Valais Air Base B
ヴァレー空軍基地の戦闘機たちが眠っているアラートハンガーは、この基地の滑走路に沿って並んで作られている。そして、滑走路の縁に近い一帯は、今では花畑に姿を変えている。そこに、10年前、「国境無き世界」との戦いで命を落とし、帰る故郷も持たなかった傭兵たちの墓標がある。ちなみに、ジェイミー・ウッドラント司令の墓も、遺族たちの希望によってこの一角に佇んでいる。私はこの基地に来る前、ディレクタスの免税店で購入してきたウィスキーの栓をあけ、紙コップに琥珀色の液体を注いで墓標の前に供えた。雪が積もり始めたこの時期、残念ながら花畑で開いた花を見ることは出来ない。だけど、マッドブル・ガイアたちにこの私が花を供えるのは似合わないし、故人たちも露骨に嫌がるに違いない。だから、私はせめてもの手向けで、酒を持ってきたのだ。そして自分のグラスにもウィスキーを注ぎ、少しずつやる。何しろ寒いこの基地だ。燃料補給をしていないと凍えてしまう。こんな天気の中を、哨戒任務や訓練飛行に就く戦闘機たちが飛び立っていく。私はその姿に、当時のエースたちの姿を重ね合わせていた。
「何だ、こんな寒いところで何やってんだ?」
振り返ると、シャーウッド夫妻が私と同じようにウィスキーの瓶をぶら下げて花畑を歩いてきていた。ウスティオのトップエースの顔が昨日インタビューをした時に比べて幾分優しげに見えるのは、彼の愛妻が隣にいるからなのだろう。もうすぐ三十路になるとは聞いているが、長い金髪をポニーテールにまとめたジェーン・オブライエン・シャーウッドは充分20代前半で通用する。まったく、シャーウッド大尉、なかなか隅に置けない。彼らもまたグラスに琥珀色の液体を注いで回っていく。そして、"パトリック・ジェームズ・ベケット"と刻まれた墓標の前で、彼らは座り込んで長い祈りを捧げる。つられて私も、その墓標の後ろで十字架を切った。その名前は、昨日の取材でも出てきた。ただし、私のこれまで入手してきた記録の中ではほとんど登場しない男は、ラリー・フォルクが去った後、「円卓の鬼神」の2番機を務めた若者であり、シャーウッド大尉の相棒でもあった。若くして傭兵の道を選んだ彼もまた、ウスティオのエースたちの背中に憧れて空を飛んでいたのだという。
「……俺は生き残って幸せを手に入れたけど、アイツこそ本当は帰還すべきだったんだ。セシリーは既に身篭っていた。俺があの戦いで未だに許せないことがあるとすれば、そんな男をためらいもなく撃ち殺したラリー・フォルクの冷徹さ、かな。トンプソン、お前、彼にも会うのかい?」
「ええ。ここの次の取材地が、彼のいる紛争地になっています。そして、最終的にはアヴァロンを目指そうと考えています」
シャーウッドは夫人と顔を見合わせる。ジェーン夫人がにこりと笑って頷くと、彼もまた何度か頷き、そして視線を私に戻した。
「もし取材に余裕があるのなら、12月30日にアヴァロンに足を運んでみるといい。"PJ"の恋人だったセシリー・レクター・ベケットが、今でも彼の命日になると花を供えにやって来るはずだ。今ではダム湖となったあの要塞の傍らに、PJの機体の残骸が今でも残されている。いや、残してもらったと言った方がいいかな?あれから10年経ったけれども、彼女は毎年かかさず足を運んでいると聞く。勝手なお願いかもしれないが、"PJ"だって当時のエースの一人だ。「円卓の鬼神」の背中を追い続けて散っていったアイツのことも、「真実」に刻んで欲しいんだよ」
「"PJ"……パトリック・ジェームズさん、ですか?」
「そう。この朴念仁とは大違いの陽気な人だったわ。セシリーとはずっと長距離恋愛で……この基地に配属になったことを心から喜んでいたのが懐かしい……。ヴァレーのエースたちのことを本当に尊敬して、そして自分自身を鍛え続けていた人だったのに、あんなことが起きてしまった……。でもセシリーらしいな、って思うのは、ここを辞めて故郷には戻らず、PJの実家のパン屋に行ったことよ。以来、再婚をすることなく、彼女は忘れ形見の男の子を育てているわ。もし彼女に会えたら、ジェーンがヴァレーに遊びに来てと言ってた、と伝えてもらえる?彼女なら、この基地はフリーパスだからね」
私はふと名案を思い付いた。局に戻って交渉する余地はあるが、いずれにせよアヴァロンには行かなくてはならないのだ。もし、"PJ"の恋人に会うことが出来るのなら、私の取材はより確かなものとなる。私はシャーウッド夫妻の提案に心から感謝した。可能な限り実現させる――と言った私の返答に、何故か彼らは笑った。
彼らの邪魔をあまりしたくなかったので、私はそそくさと荷物をまとめて去ろうとした。そんな私の背中に、シャーウッド夫人が「いしし」というような笑みを浮かべて口を開いた。
「……そうそう、トンプソン。ひとこと言っておくわ。――この基地で行方不明になるのは勘弁してあげる。その代わり、番組が失敗したらタダじゃ済まさないわよ」
――やはり、この基地の真のドンはこの女傑かもしれない、と私は改めて納得させられる羽目となった。
「何だって――?ふむ。ふむ。うーん。なるほどなぁ。そいつは使えるかもしれんな」
デスクに係ってきた電話は、ウスティオに飛んでいるトンプソンからのものだった。肩と顔で受話器を挟みながら、ドレッドノートは手帳に素早く要件を書き込んでいく。
「分かった、何とかしよう。それにしてもまぁ、色々と出てくるもんだな。ん、こっちか?お前が心配するこたぁねぇや。それよりも気をつけろ、次行くのは紛争地なんだからな。いやどうもなぁ……ちときな臭い話も聞こえてきてな。とにかく気をつけてくれ。ここまで来たんだ。完璧に終わらせてやろうや――じゃあな。また連絡してくれ」
電話を終えて机の上から立ち上がり、ドレッドノートはデスク室のガラスの向こう側に最も見たくない男の顔を見出して露骨に嫌な表情を浮かべて見せた。普段はろくに姿を見せないくせに、今日に限って姿を見せるというのは、裏が当然あるだろう。何しろ相手はディビット・サイモンなのだから。
「何だ、昔の同僚に対してつれないじゃないか」
「同僚は同僚でも好きな奴と嫌いな奴がいてな。お前は嫌いな奴の方だ。――で、何の用だ?」
「随分と徹底して取材をしているみたいだな。しかしデラルーシにまで行かせるとはやりすぎじゃないのか?」
ドレッドノートはぎろり、とサイモンを睨み付けた。少なくとも、彼はトンプソンの取材ルートを彼らに正確に伝えていない。ということは、サイモンは別口で断片的ながらも知る手段を持っているということになる。今回のプロジェクトは、口の堅い信頼できる連中を抜擢してやっている。彼らから情報が漏れるとは考えにくい。となれば、第3者の関与を疑うのが定石というものだろう。だが、ドレッドノートにも切り札があった。まだここでショウダウンとはいかないが――。
「……どこで聞きつけてきたのか知らねぇが、狗みたいな真似はやめてもらおうか。懇意にしている林檎の野郎からでも頼まれたのか?オーシアの不良時代をばらさないでください、とでも。お前だって記者の端くれなら、こっちの論拠を充分に論破できるだけの証拠と取材をしてくるんだな」
「会社を守るためなら、私は君たちをクビにするよう進言することも出来るんだぞ?」
「やれるもんならやってみやがれ。その代わり、そんときゃお前も道連れだ。腐れ林檎の野郎も一緒に引きずり込んでやるぞ」
ドレッドノートとサイモンの視線が交錯する。前者は怒りを孕んだ厳しい目付きで。後者は平然を装った冷たい目つきで。――先に視線を外したのは、サイモンの方だった。なおもドレッドノートは相手を睨み続ける。
「――なあ、まだルーメンのことを根に持っているのか?あれは仕方なかったんだ。政府は戦争が終わったばかりの社会に余計な混乱を起こさないために――」
「虐殺された人々を闇に葬ったんだ。そして、今回も同じ事をしようとしている。だがなぁ、今回は俺にも心強い後ろ盾があってな。そうそう簡単には引くことが出来ないんだよ」
ドレッドノートは手に持っていた書類の束を机の上に放り投げた。10年前、ルーメンの惨劇を録画したテープを秘密裏に持ち出していたドレッドノートたちは、真相を隠そうとする政府に反発して当時の上層部に映像の強行放映を持ちかけていた。だが、何しろ戦後の混乱期だ。軍部を中心とした勢力の強烈な圧力の前に屈した上層部は、一切の資料の封印を彼らに命じたのである。クルーたちの死も、そして闇に葬られた。かろうじて残すことが出来た最後のテープが、10年後にまさか生きるとは思いもしなかったが――ドレッドノートは、この貴重な証拠を番組の中で使うつもりでいる。上層部に報告している番組の企画とは異なる、本物の企画の中で。いざとなれば、切り札を使ってでもドレッドノートはサイモンの行動を封じるつもりになっていた。
「――何の魂胆があってか知らないが、トンプソンを追っている奴ら、素人じゃなさそうだぞ。お前がやらせているんだったら、俺は容赦しねぇぞ」
「ちょっと待て、私の名誉のために言っておくが、私は何もしていないぞ」
「じゃ、誰がやっているんだ?」
「だから、知らない、と言っている」
ドレッドノートは腕組みをして相手を睨み付けた。だが、どうやらサイモンが手を下していないのは事実らしい。だとすると……トンプソンは限りなく危険な状況にいることとなる。局内の人間が関っていないのだとすれば、トンプソンを付け回しているのは政治家或いは軍部に雇われた者たちということになるのだから。しかも、トンプソンが向かう先は紛争地だ。彼が襲撃されたとしても、カバーストーリーは簡単に作れてしまう。ちと早まってしまったか――?ドレッドノートは、一度資料の山を届けに来たときのトンプソンの顔を思い出していた。腹を括った、決意が滲み出た眼で、知り得た真実を語っていた彼の姿。――無事に帰ってこいよ。既に夜の帳が下りた外に視線を飛ばしながら、ドレッドノートは呟いた。
紛争の地、デラルーシ。国境からそれほど離れていない首都もまた、国境紛争の戦場の傷跡を残している。各国のメディアたちが集うシティホテル。その中には、OBCのライバル社OCNのクルーたちの姿もあった。そして割り当てられた部屋の中で、一人の男が受話器を手に小声で相手と会話をかわしている。
「――はい、展開完了です。明日からは取材に入りますが……そうですか、やはり来ますか。それを聞いて安心しました。いえ、こんなユージアくんだりまで行かされて、手ぶらで帰るんじゃ悔しいですからね」
胸元から煙草を取り出した男は、少し錆の浮いたジッポで火を付けた。紫煙がやや薄暗い部屋の中を漂い、仄かにニコチンの香りが部屋に広がっていく。
「大丈夫ですよ。こちらの痕跡を残すようなヘマはしません。何しろここは紛争地だ。多少荒っぽいことをしたとしても誰も気には止めない。やり方はこちらに任せてもらいますよ。しかし、あくどい事を考えますなぁ。え?お互い様?そりゃそうですがね」
くわえ煙草で話しながら、男はいつも背中に付けたホルスターに収めている相棒を取り出した。銀色のフレームの自動拳銃。もちろん実弾が込められている。
「しかしいいシナリオです。オーシアの敏腕記者、紛争地の戦闘に巻き込まれて殉職。その瞬間の映像を我々は"偶然"収録してしまう。紛争地での死亡事件ともなれば、政府の責任も公然と批判出来る――何しろハーリング政権は何かと行動しづらいですものね?……分かりました。では、吉報をお待ちください」
受話器を置いた男は、身にまとったチョッキのポケットから手帳を取り出し、そして何枚かのスナッブ写真を取り出した。それは、巧妙に隠し撮りされたものであり、この数ヶ月間、祖国にとっては都合の悪い連中の取材を続けている記者の姿が捉えられていた。真実とは、知る資格を持った者だけが知っていれば良いのに、その道理をわきまえずに走り回る男――その熱意は決して好ましくないわけではないのだが、彼がその一線を越えてしまっている以上、看過することは出来ないのだった。
目標は、OBCの記者ブレット・トンプソン。そしてあわよくば、先の戦争の重大犯罪人「片羽の妖精」を抹殺すること。罠とも知らずに飛び込んでくる獲物の姿を思い浮かべ、男は見た者を凍り付かせるような不気味な笑みを口元に浮かべた。