2005.12.30 Avalon
だいぶ気温は下がり、空を覆う厚い雲からは、真っ白な粉雪がパラパラと舞い降りてきていた。ダム湖の湖水の水音だけが静かに聞こえてくる他は、何も聞こえない。ここがかつて「国境無き世界」の本拠地として決戦場となったアヴァロン要塞の跡だとは、なかなか気が付かないだろう。もともとダムの下に隠蔽する設計となっていたかの要塞の機能を、連合軍は最大限に利用したのである。10年前の決戦後、ダムの湖底に沈められた要塞は、全ての陰謀の証拠を抱えたまま封印され、そして人々の記憶からも消えていったのである。改めて良く眺めてみれば、尖塔のように立つダム施設に未だに穿たれたままの弾痕や焦げた跡を見つけることが出来るのだが。この湖底に沈む要塞に突入した「円卓の鬼神」たちによって破壊された「V2」の弾頭も、まだ転がっているのかもしれない。出来るなら、その中の調査まで踏み込みたいのが本音であるが、さすがにそこまでは許可が下りなかった。まして本格的な調査ともなれば、この湖水を抜かねばならない。それは下流域に甚大な水害を起こしかねない事態でもある。私一人の希望で出来るような話ではなかった。
そのダム湖の傍らの木々に、黒焦げた金属板がひっそりと立てかけられていた。その前には、花束だけでなくビールの缶やウィスキーの瓶までが供えられている。10年前の今日、この上空で「片羽の妖精」の手で殺された、「円卓の鬼神」の2番機の数少ない残骸の一つが、これだった。高出力のレーザーによって吹き飛ばされたコクピットに、彼の遺体は何も残されていなかったという。ここに残された彼の機体の一部は、ウスティオ空軍の傭兵部隊たちの立てた墓標なのだ。今でも、当時を知る傭兵たちがここを訪れている。そんな男たちとは別に、彼の命日に毎年必ずここを訪れる女性の姿を、現在の民営化されたアヴァロン・ダム公社の職員たちが目撃していた。そう、彼女こそ、この空に散ったパトリック・ジェームズ・ベケットの恋人、セシリー・レクター・ベケットである。そして、私の旅の終着点での彼女へのインタビューで、私の仕事もようやく終わる。ヴァレー基地の「お耳の恋人」だったという彼女は、ジェーン・オブライエン・シャーウッドの同年齢。恐らく当時から変わらないであろうすらりとした容姿に、後ろで束ねた長髪がとても良く似合っている。彼女は女手一つで双子の子供を育ててきているのだという。今は、彼女の亡き良人の故郷のパン屋で平穏な日々を送っている彼女は、この日だけは欠かさず、10年間続けて彼の墓標の元を訪れ続けているのだった。
「トンプソン、本番入るぞ。準備よろしく!」
「分かった。……では、ベケットさん、お願いします」
今日の私は一人ではない。OBCの取材クルー一同を引き連れて、アヴァロン生中継・取材班の陣頭指揮を執っているのだから。そして、いよいよ番組もクライマックスに入った。照明が煌々と焚かれ、辺りを明るく照らし出す。かつては太陽の光をまばゆく照り返していただろう、パトリック・ジェームズの愛機の残骸が、鈍い光を反射させている。カメラマンが肩に担いだテレビカメラを、私とベケット夫人に向ける。さあ、いよいよ本番だ――。私は大きく一度息を吸い込み、呼吸を整えた。
パトリック・ジェームズ・ベケット
ウスティオ空軍第6師団第66戦闘飛行隊 「ガルム隊」2番機
ヴァレー空軍基地に集ったトップエースたちに憧れ、彼らに追いつくことを望んだ若き傭兵。そして、彼が憧れたトップエースの手で命を奪われた悲劇のエース。「片羽の妖精」が去った後、「円卓の鬼神」の2番機として彼をサポートした若者は、10年前の今日、この上空で散った。アヴァロン・ダムの傍らにひっそりと佇む彼の愛機の残骸が、彼の墓標代わりとなっている。
「もう10年経ったんですね、パトリックが逝ってしまってから。必ずここに帰る、と言い残して、それが私の聞いた最後の声になってしまった……。彼と知り合ったのは、戦争が始まる前の事でした。当時彼は傭兵部隊に配属されたばかりのルーキーパイロット。でも、筋は良かったみたいで、隊長たちから随分と可愛がられていました。とにかく陽気だった彼は、部隊と基地のムードメーカーだったのかもしれません。最初は遠距離恋愛から始まって……本当に、嘘の付けない、純粋な人でした。そんなところに、私は強く惹かれたんだと思います。彼が二度と戻らないと聞いたとき、私は信じられなかった。戦いを終えたヴァレーの戦闘機たちが帰ってきて、そこに彼の姿が無いことを確認したとき、否定しようの無い現実を私は突き付けられたんです。どうしてあの人が死ななければならなかったの――サイファーを非難しても仕方ないのに、私はそう言ってしまった。彼だって、きっと辛かったはずなのに……」
――「PJ」は「円卓の鬼神」や「片羽の妖精」を目標にしていたと聞きました
「そう。ヴァレー基地には当時、本当に凄腕のエースたちが集まっていた。サイファー、ピクシー、それにマッドブル・ガイアは、傭兵たちの中でも特にトップ中のトップ。パトリックも、そしてシャーウッドも、彼らに鍛えられたといっても過言ではないわ。そして彼らもまた、若者たちを本気で育てようとしていたし、生き残らせようとしていた。パトリックたちも、彼らに追いつくために努力していた。私は、そんな彼の姿を見ているのがとても楽しかった。……パトリックは、戦場で生きるには優しすぎたのかもしれない。あの人は、戦争によって苦しめられている人々を救うために戦っている、と心の底から信じて戦い続けていたの。だから、連合軍がヴァレーの皆を顎で使うようになった時には、本当に怒っていた。俺たちはオーシアのために戦っているんじゃない、と」
――「PJ」の最後の出撃の日のことを教えてください
「ここでの最終決戦の前、ヴァレー空軍基地は「国境無き世界」の奇襲によって、甚大な被害を受けました。当時の司令官、ジェイミー・ウッドラント大佐も、その攻撃で亡くなって――私が最期を看取ったんですが――、基地の整備兵やスタッフたちも数多く命を落としました。そして、ガイア隊長まで。あの戦いは、私たちの仲間を奪っていった「国境無き世界」に対する報復戦でもあったんです。パトリックも、いつも以上に興奮していました。あの人は、サイファーと共に最も厳しい戦場へ飛び込む部隊の一員。でも、死ぬなんてことはこれっぽっちも考えていませんでした。サイファーと一緒に飛ぶことが、本当にあの人にとっては嬉しかったんですね。サイファーに背中を預けてもらえることが。その期待に、あの人は最後の最後まで応えようとしていた。でもまさか、自分の命を奪った相手が、「片羽の妖精」だとは夢にも思わなかったんじゃないかと思います。……死んで欲しくない人が死んでしまうのが戦争なのかもしれません。でも……生きて帰って欲しかった。格好なんてどうでもいいから、戻ってきて欲しかった」
――あなたから見た、「円卓の鬼神」はどんな人だったんでしょうか?
「基地にいるときは、「鬼神」なんて呼び名の似合わない、家族想いのやさしい人でした。基地の若者たちからも慕われていましたし、良い相談相手の一人だったんです。……まぁ、彼に相談する前にガイア隊長がいつの間にか相談相手になっている……というケースの方が多かったようにも思いますが。きっと、言葉では語り尽くせないような辛酸を舐めてきているはずのサイファーは、そんな素振りを全然見せようとはしない人でした。でも、戦場に向かうために機上の人となると、全くの別人。彼の姿に、私たちも、整備班も、そして他の部隊の傭兵たちも勇気付けられるというか、奮い立つというのか――言葉ではなく、行動で示すことが出来るんです。サイファーこそ、真のエースと呼ぶことが出来るパイロットだったと思います。とても優しい人でしたから、ピクシーが去った後とか、ガイア隊長が戦死した後とか、きっと誰よりも悲しみ、苦しんでいたのだと思います。でも、それを乗り越えて羽ばたくことが出来る強いハート……それを持っていることが、彼の本当の強さです。戦争には正義とか色々と難しい理由が必要なのかもしれない。でも本当に必要なのは、仲間を信じる心。生き抜こうと足掻き続ける、一人の人間としての心を失わないこと。だから、ヴァレーの人たちだけでなく、彼と一緒に飛んだパイロットたちまで、彼に惹かれたのだと、私は確信しています」
――「片羽の妖精」は今でも戦場で戦い続けていました。二度と空に上がらないことを誓って。
「ラリーさんが生きているんですか!?……でも、彼らしい。私の大事なパトリックを奪った人のことを、私はまだ許すことが出来ないけれど、彼は立ち直っていたんでしょう?サイファーには負けるかもしれないけれども、ピクシーもとても魅力的な傭兵でした。国境無き世界の人たちと会うよりも早くサイファーに彼が出会えていたとしたら、結果は変わっていたのかもしれないですね」
――世界は、10年前から変わったのでしょうか?
「サイファーが、そしてあの人が守り抜いた世界。でも変わったのかどうかは私には分かりません。……色々な国、色々な民族、色々な宗教、色々な価値観。人は愚かですから、それを押し付けあって時に争ってしまうのでしょう。でも、多様性の無い世界が本当に素晴らしいものなんでしょうか?異なる立場にある者同士が互いを知り合おうとするから、互いを信じようとするから、きっと世界は面白いんじゃないのかな、と私は信じています。全く異なる世界の人間同士だから、私とあの人は惹かれあった――。私はあの戦争で色々なものを得て、そして色々なものを失ってしまいました。でも、いくつもの思い出、いくつもの記憶――それに、あの人の忘れ形見の子供たちもいる。私には、まだ色々なものが残されています。それは、きっと私と同じように悲しい思いをした人たちみんなも同じ。大切なものを失うと分かっている戦争を、もう二度と繰り返さないで済むように、私たちひとりひとりが考えていくことが、世界を良い方向へと変えていくきっかけになるのではないでしょうか?誰かの押し付ける「改革」とか「革新」とか、そんなものはきっといらないのだ、と」
――「円卓の鬼神」。ベルカ戦争のたった数ヶ月間の間、彼は存在していた。その後の消息は不明。彼の姿は、決戦の終結と共に忽然と見えなくなってしまう。彼はどこにいってしまったのだろう?ついに私は、彼と出会うことは出来なかった。でも、彼と戦った人々、彼と共に飛んだ人々の証言から、私は一人の人間としての「鬼神」の姿に出会うことが出来ました。それともう一つ。彼の話をするとき、皆何となく嬉しそうな顔をしていたんです。――それが、「答え」なのかもしれない。
トンプソンの中継の締めが、この番組の締め。驚くべき視聴率を達成したことに、スタッフたちは皆興奮を隠しきれずに喜びを噛み締めているようだった。すぐにでもビールを飲みたいものだぜ、とドレッドノートは額の汗をぬぐった。テレビの前に流れるエンディングを見ながら、人々は今何を思うのだろう。真実を暴かれた政府は、すぐにでも動き出すだろう。一仕事を終えたことに、ドレッドノートは満足だった。
「……大変なことをしてくれたものだな」
どこか優しげな声で、最も嫌っている男が近付いてきた。先程自分自身が投げつけた辞表を片手にぶら下げながら。
「全部終わったぜ。後はお前さんの好きにすりゃいい。俺の仕事は、隠されていた真実を明るみに出すところまで、だ。後は辞めさせるなり政府に突き出すなり、どうとでもしやがれ」
サイモンは苦笑を浮かべながら、そしてドレッドノートの目の前で辞表を破り捨てた。
「お前の辞表だけで済むものか。もう少し、価値のある辞表でないと事は収まらないだろうさ」
「……部下たちのとでも言うのなら、認めないぞ。労働組合と結託して最後まで戦ってやる」
「違うさ。私の辞表だよ、ドレッドノート。今日の番組の放映の責任は、君のウソを見抜けなかった幹部の責任でもある。幸い、私の後任を任せられる適材も見つかったことだしな」
「お前……」
不器用な笑いを浮かべながら、サイモンが右手を差し出した。
「……良くやってくれた、ドレッドノート。私は長年忘れていたジャーナリストとしての心を思い出すことが出来たよ。私はもう、ブンヤ失格さ。……後は任せる」
苦笑を浮かべながら、ドレッドノートは固く手を握り返した。どうやらトンプソンの奴、意外なところに和解の種を蒔いてくれたらしい。
「ああ、任されたぜ、先任。俺も自分の仕事を任せられそうな適材が見つかったことだしな。……まだ居座る気に入らない役員どもに宣戦布告と行くか」
OBCの特別番組「エースの翼跡」をきっかけに、オーシア政府は10年前の戦争資料の徹底的な再検証を行うこととなる。そして同時に、ハーリング政権は国内の覇権主義者たちに対する締め付けを強化していく。結果、OBCの報道が真実であることが改めて裏付けられるまでにそれほどの時間はかからなかったのである。私の旅は、これで終わったと思っていた。少なくとも、そのときは。だが、旅はまだ終わっていなかった。
――そう、物語の終幕は5年後。2010年12月30日。そのとき、私はブライト・ヒルにいた。