2010.12.30 The Yuktobanian capital of Cinigrad


奇跡が、現実に目の前で再び起きようとしていた。その証拠が、冬の夜だというのに街を埋め尽くすように集い、行進するこの街の人々の姿だ。ユークトバニア解放同盟の長、トルストイによるテレビジャックは予想以上の「戦果」を挙げつつある。首都シーニグラードだけではない。ユークトバニアの様々な街で、今同様の事態が発生しているはずだ。武器すら持たない市民たちが、皆口々に和平と停戦、そして"偽りの政府"の即時解散を求めて行進している。しかも彼らは実戦装備の防衛隊が待ち受ける中央議会や首相官邸に向かっていた。既に交通網はマヒ。郊外に展開していた首都防衛隊が市内に入ろうにも非武装の市民たちが築き上げたバリケードと人の鎖で手も出せず、さらに出撃を命じる司令官に対して一般の兵士たちが相次いでサボタージュ、デモ行進に加わってしまうという有様である。だから、かろうじて建物の前に展開していた数少ない部隊しか、今統治者たちの身を守ってくれそうな連中はいない。その連中だって、果たして何人が任務に殉じることだろうか?今や、"偽りの政府"の統治者たちがしでかしてきた悪事の数々は暴露された。この期に及んで地下に潜伏し暗躍し続けていたベルカの亡霊たちによって踊らされてきた彼らの命運は、今日ここで途絶えるだろう。無数の国民の死に痛みすら抱いてこなかった者たちには相応しい末路といえる。門を閉ざした建物の中で、彼らは一体何を考えているのだろう?

中央議会の立派な建物の屋根の上で、突入のタイミングを伺って何人かの男たちが待機している。いずれも、ユークトバニアをここまで混乱させた政治家たちに対抗するレジスタンスの猛者たちだ。何人かは戦場を渡り歩いてきた義勇兵だが、他の幾人かは「Mr.B」を名乗るおしゃべり野郎に徹底的に鍛え上げられた若者たちだ。既に議会の入り口は殺到した市民たちによって埋め尽くされ、防衛部隊の姿すら見えない。幾人かは中へ逃げ込んだが、大半は何とデモ隊に進んで投降してしまったものだ。本来なら命令違反も甚だしいものであるが、既に今の統治者たちに正当性が無いことが明らかになってしまったのだから仕方あるまい。むしろ、自分たちにとってはこの上ない好機だ――ラリー・フォルクは自動小銃を肩にかけ直し、胸元から煙草を取り出した。隣接する別の建物から侵入し、ここまでよじ登っている間も見つからずに済んだのは、守備隊の意識が建物の外の市民たちに注がれていたおかげである。この数ヶ月間、レジスタンスの存在を目の敵にする政府と軍部たちを相手に、どれだけの戦闘を繰り広げてきただろう?街中のアジトが急襲され、組織の一つが壊滅することもあった。犠牲になった同志たちも少なくない。だが、彼らの貴重な犠牲の結果、今自分たちはここにある。それも、当初は予想もしなかったほどの熱狂を伴って、だ。
「戦勝祈願の一服か?……俺も一本もらおうかな?」
「違うさ。ここまで来れば、勝利は確定だ。戦勝祈願ではなく、俺たちの戦いの勝利の前祝いさ」
考えてみたら、この男とも腐れ縁になってしまった。デラルーシの戦いを終え、新たな戦場へと向かうラリーに彼もまた付いて来たのである。以来、戦場での相棒としてファビアン・ロストの姿は常にラリーの傍にあった。オーシアとユークトバニアの激突という事態を、彼らは全く別の戦地のニュースで知った。最初、この戦いに出番は無いだろうとすら思っていたのだ。きっかけは、戦地の傭兵たちの噂話だった。"ベルカの亡霊がどうもこの戦争では暗躍しているらしい"――昔のツテを頼って彼らが辿り着いた、というよりも助力を依頼されたのが、ユークトバニアで細々と抵抗運動を行っていたレジスタンスの一組織だったのだ。一つ一つの弱小組織はやがて、ユークトバニア解放同盟が結成されるに至って巨大な一大勢力へと姿を変えていく。それはまるで、「国境無き世界」がベルカ戦争の不満分子たちを吸収していったことと状況だけは似ていた。だがその意義は全く異なる。無数の無名の市民たちが、戦前の穏やかな日々を取り返すため、そして戦地に赴いている肉親や恋人たちのために立ち上がり、ベルカの亡霊たちに踊らされている無能な政府に対する戦いを挑んだのだ。「実戦慣れ」の功績を評価されたラリーたちは、組織の実戦部隊の指導役には適任だった。そこでラリーとロストは、「Mr.B」を名乗る男と出会うことになる。この男と、「少佐」のコールサインを持つ女性こそ、ユークトバニアのレジスタンスたちによる"革命"を語るうえで欠かせない人々だ。今この場に「Mr.B」はいない。だが彼は、この戦いのケリを付けるべく、再び空に戻っているはずだった。

俄かに集まった群衆たちが歓声を挙げ始めた。ラリーは手元の時計に目をやった。オーシア時間、22時ジャスト。ベルカの亡霊たちの元から解放された両超大国の"本来の"統治者であるハーリング大統領、そしてニカノール首相による共同声明が行われる時間だ。群衆たちは、各々が持ち寄ったラジオや携帯テレビで、その映像を受信している。ラリーもまた、ロストの手にある携帯テレビに視線を移した。本来なら敵国の首領であるはずのハーリングに、群衆たちは今や歓声を送っているのだった。

"戦場にいるユークトバニア、オーシア両国将兵の皆さん。皆さんの持つ銃器を置いて、塹壕を後にしましょう。私の不在を利用してこの国の政府を我が物とし、専断していた者たちから、首都オーレッドは解放されました。自由と正しいことを行う権限を奪われていた私は、今こうして黄金色の太陽の下に復帰し、そして私と同じような立場にあった、ユークトバニアのニカノール首相閣下とともにあります。両国間の不幸な誤解は解け、戦争は終わりました"

ハーリングが右手を伸ばし、ニカノール首相を迎えると、中央議会の前は隣にいる人間の声すら聞き取れないほどの歓声に包まれた。これほど劇的な光景をこうして見ることが出来ようとは、ラリー自身も思わなかったことだ。"ラーズグリーズ"とその仲間たちが、ベルカの亡霊たちの思惑を打ち砕いた結果がこれなのだ。

"私はユークトバニアの元首にして国家首相であるニカノールです。戦場にいるオーシア、ユークトバニア両国将兵の皆さん、私とハーリング大統領閣下が互いに肩を並べ手を取り合うところをご覧下さい"

小さなモニターの中で、両国家元首ががっちりと互いの手を握り合う。波音のような拍手が辺りに響き渡る。――いい光景だ。ラリーは互いに微笑を浮かべながら握手を続ける男たちの姿に素直に感動していた。先の戦争で幻滅させられた利益の奪い合いと比べて、何とスマートで感動的な光景か。

"ハーリング大統領閣下の言葉は真実です。オーシア、ユークトバニア間で行われてきた哀しい戦争は終わりましたが、我々にはまだなさねばならない戦いが残っています"
"そのとおりです。ニカノール首相閣下の仰るとおり、我々の間に憎悪を駆り立て多くの互いの市民の方々、兵士の方々の命を奪い取った者たちは、ユークトバニア、オーシアの大都市のほとんどを破壊することが出来る兵器を準備しつつあるといいます。残念ながら、彼らがどちらの国を攻撃するのか、それは分かりません"
"だが、それは重要ではない。どちらの国が攻撃を受けたとしても、それは互いにとっての大きな痛手であり、損失なのです"


――「V2」がまだ残っていたのか?ラリーの表情が、一瞬にして引き締められる。それは隣にいるファビアン・ロストとて同様だったろう。今やその名称はラリーにとって後悔の種でしかない。だが、少なくとも世界の再生を信じて戦い、散っていった「国境無き世界」の兵士たちと、今核兵器を手にした者たちとは、背負うものが根本的に異なっている。ベルカの亡霊たちは、15年前の戦争において「強き正統なるベルカ」を崩壊させた超大国と当時の連合軍を構成していた国々に対する報復のために、核兵器を使用せんとしているのだ。当然その目標には、相棒――サイファーのいたウスティオも含まれているに違いない。少なくともユークトバニアに持ち込まれた「V1」については、組織の一部隊であるアリョーシャたちの手で解体に成功している。だから、彼らが手にしているのは別物だ。どうやら、当時の開発部隊の生き残りが粛々と15年という年月をかけて悪魔の兵器を作り続けていたというわけか。胸の奥がズキリと痛み、ラリーは左手を軽く胸元に当てた。かつての仲間の命を自分の手で奪い去った後悔、そして世界を焼き尽くす暴挙をしでかそうとしていた自分の浅はかさに対する後悔、そして誰よりも信頼していた相棒を裏切ったことへの後悔――この15年間、決して忘れたことの無い痛みだった。またも、世界は過ちを犯そうとしている。だが、あのときのアヴァロンの空にサイファーがいたように、今日の空にはラーズグリーズがいる。

"両国を破滅に導く企みを阻止するため、今私たちの大切な友人が飛行機を飛ばしています。ユークトバニア、オーシア両国将兵の皆さん。どうか心あらば――あなたがたの持てる道具を使って、彼らの手助けをしてやって欲しい。彼らは、私たちの、そしてユークトバニア、オーシアだけでなく、この世界を救うことが出来る希望の翼なのです。彼らは、私たちを破滅させようとする「敵」を目指し、東へ向かっています"
"なおもまがまがしい兵器の力を使おうとする者たちよ、平和と融和の光の下にひれ伏したまえ!"
"両国将兵の皆さん、両国の戦争を終わらせるため、今一度力を貸して欲しい。この世界に再び平和を共に取り戻すために!!"


演説がクライマックスを迎えるのと同時に、雷鳴の如き歓声が夜空に響き渡る。そしてその歓声は、「ハーリング」、「ニカノール」、「ラーズグリーズ」を連呼し始めた。市民が待ち望んでいたニカノール首相の姿が現れたことは、"偽りの政府"の統治者たちには最大の痛手となったはずだ。もう人々が迷うことは無い。そして人々の熱狂はついにピークへと達する。中央議会の閉ざされたゲートへ、市民たちが殺到し始めたのである。かなり高さのあるゲートだが、きっと名も知らぬ者同士が協力し、肩に足をかけて何人かがゲートを乗り越える。ラリーは空を見上げた。まるで、15年前を思い出させるかのように、空から軽い粉雪が降り出した。空からゆっくりと舞い降りてきた雪の結晶は、寒空に集結して動き始めた人々の熱気に溶かされて消えていく。
「……降ってきたな」
相棒、俺は生きているぞ!! 上空を見上げたラリーの目が、暗い夜の空の一点を捉えて動かなくなる。甲高い咆哮を響かせながら近づいてくるのは、紛れも無き戦闘機たちの姿だった。ゆっくりと速度を落とした鋼鉄の翼の群れが、群衆の頭上をフライパスしていく。多分ほとんどの人間には見えなかっただろうが、そのうちの2機は何度も翼を人々に向けて大きく振りながら、そして仲間たちに合流していった。彼らもまた、ハーリング大統領・ニカノール首相に同調し、そしてラーズグリーズの元へと向かう同志たちであるに違いない。目頭の辺りが熱くなってきて、ラリーは目を閉じた。……こんな最高の舞台に、奮い立たない奴などいやしない。ラーズグリーズの4騎は、ついにここまで人の心を動かしたのだ。両国の首脳までも。そして、互いに銃を突き付けあっていた者同志が、今宵「真の敵」――ベルカの亡霊どもとの決着を付けるために手を握り合っている。そう、国境は人間が生きていくうえで確かに必要なものなのだろう。国境があるが故に、争いも起こるのだろう。だが、戦いを終わらせることが出来るのも人間だ。人が人を信じ、そして平和を願ったとき、今晩のような奇跡はまた起こるだろう。ラリーはついに確信した。――まだまだこの世界は変わっていく。武力もいらない。核兵器すら要らない。人の心が、世界を動かし、そして変えていくものであるのだ、と。長い戦いの日々で捜し求めてきた一つの答えが、ようやく見つかった瞬間だった。最早枯れ果てたと思っていた涙の雫が、ラリーの頬をつたわって落ちていく。
――見ているか相棒?お前も聞いただろ?奮い立っただろう?いかに火付きの悪いお前でも。 俺はここで戦っているぞ。お前はどうだ?まだ空にいるのなら、飛べ。そして、俺たちの後に続く奴らに見せてやれ。「円卓の英雄」の、その姿を。決して、ラーズグリーズに劣らない、震えるようなその姿を――
「さあ、今こそ決着のときだ!!そして、この国を圧制者の手から解放するときだ!!進め、そして自らの手で勝ち取るんだ!!自由を、勝利を、そして平和を!!」
中央議会の屋根の上で小銃を振り上げ、ラリーは絶叫した。そして、彼の姿に気が付いた市民たちが同様に右腕を空に突き上げて歓声を挙げる。レジスタンスの兵士たちも同じように、腕を突き上げた。
「平和を俺たちの手に!!」
「この国は政治家たちのものじゃない、俺たち市民一人ひとりのものだ!!」
ついに解き放たれたゲートから、人々が一斉に議会の建物へとなだれ込んでいく。もう、この勢いを止めることは誰にも出来はしない。
「――奮い立ちましたよ」
「ロスト、お前もあの演説に感化されたな?」
「いえ、違いますよ。あなたの言葉に、ですよ。皆もそうです。……さあ、俺たちの戦いの総仕上げといきましょう。立て篭もった馬鹿どもと、残り僅かな兵士たちの始末は、俺たちの仕事だ。そうだな、野郎ども!?」
突撃部隊の面々が、拳を振り上げて叫ぶ。連中の顔は、どこか皆晴れやかだった。どうやら今度は、相棒たちと同じ側に立っているらしいな――そう気が付いたラリーは、会心の笑みを浮かべた。かつて、ヴァレーの仲間たちと戦っていたときに浮かべていた、エースの頃の精悍な笑みが。立て篭もっている連中は、ラリーたちのすぐ側の執務室にいる。少々荒っぽいが、窓をぶち破って制圧するのが最も早く安全な方法だった。既に、仕掛けは上々。後は、号令を発するだけ。ラリーは自分に注がれている仲間たちの視線を受け止め、彼らの想いをまた受け止めた。長年の付き合いの革ジャンで目元を拭い、自動小銃を構え直して、気分を引き締める。きっと、相棒は決戦の空に現れるに違いない。なら、たとえ奴と共に飛ぶことが出来ないにしても、俺は俺の出来ることを果たすまで――!
「……命令は一つだけだ。必ず生き残れ。そして、共に最高の祝杯を挙げよう。――全員、突撃!!」

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