英雄たちの未来予想図


1995.4.28
階級章や勲章の乱発、英雄の絶えない登場、そんな事象が出てきたら、その国は敗北する。それは古来何度も繰り返されてきた戦争という国家と国家の争いの歴史において、かなり信憑性の高いジンクスである。そして、今同じことが我らが祖国でも始まっている。連合軍の突撃を自らの身を犠牲にして封じ込めた歩兵部隊の話、看護兵として銃弾飛び交う戦場で兵士たちの手当てに奔走し、自らも犠牲になった少女、麻薬中毒から更正し、前線で戦う兵士の一人として祖国のために出征した不良少年……今や紙面は無数の英雄たちによって彩られている。これは喜ばしいことだろうか?裏返せば、自らを犠牲にしなければならないほど戦闘は激化し、非戦闘要員を守り抜くことすら出来なくなっているということではなかろうか。だが、その事実を伝えることは許されない。あのバルトライヒの向こうの「真実」を伝えた瞬間、人々はこの国を治めるベルカ公と貴族たち統治者たちに対して一斉に不満と不信を爆発させるだろう。それを本能的に理解している統治者は、だから決して真実を伝えることを許さない。だから、英雄を次々と生み出して人々の興味を真実から逸らす。祖国のため、命をかけている数多くの人々を躍らせて、統治者たちは今日も安全な場所でいつもと変わらぬ暮らしを続けているのだ。

だが、名実共に「英雄」と呼ばれるに相応しい人々がいることも事実である。祖国において、「臣民軍」と区分けされた平民階級軍はその多くが最前線に派遣され、そして数々の戦果をあげた。開戦初期において、電撃的侵攻で連合軍に反撃の暇も与えずに南部諸国領の制圧に活躍したヴォルフス・フント師団。逆に連合軍の反撃が始まった後、撤退する友軍の援護に奔走したアクスト師団。教導隊として、新米搭乗員で構成されながらベテラン部隊に決して劣らぬ戦果をあげ続けているブリッツ・シュラーク飛行隊と「閃光」の通り名で知られる隊長機。そして何より、開戦から一ヶ月ほどの期間において最前線にあって友軍を支援し、撃墜数50を超えた臣民戦闘飛行隊のエースパイロット「フッケバイン」に率いられる第406戦闘飛行隊であろう。部隊全体での総撃墜数は80機を超えるというのはあながち誇張ではあるまい。そうした彼らに対して、高い階級が贈られていることを批判する声もあるが、彼ら以外の誰がその階級に相応しいと言うのだろうか。少なくとも、安全地帯で戦火を浴びることなく毎日を過ごし、戦争を煽っているような輩には批判する資格もないのだから。だが、そうやって軍神とか英雄と祀り上げられることを、当の本人たちは案外迷惑に思っているのかもしれない。そんなことはあるまい、と思うなら、是非一度、ヒルデスブルクの繁華街の片隅にある酒場「フロッシュ」に足を運んでみると良い。そのカウンターでは、「フッケバイン」と呼ばれる男が、グラスを傾けていることが多い。カウンターには彼のボトルが何本もあり、その日の気分で飲み分けていることが伺える。一人の人間としての「フッケバイン」を知るとき、彼らが真に求めるものを理解することが出来るのではなかろうか――。
今日はいつもよりきついのが欲しい。そう告げたマスターはならこれを、と棚に並んでいるボトルから北方の島で生産されているシングルモルトを取り出して、グラスに注いだ。注文通り、きついが濃厚な香りが食道を焼くようにして胃へと流れ込んでいく。ふう、と酒臭くなった息を吐き出し、私は無言でグラスを傾け続けた。少し離れたテーブルではゼクアイン大尉が家族に送る手紙をしたためていて、その傍らには私が入れているボトルの一杯が置かれている。私は今日の戦いのことを頭の中で反芻していた。オーシア領内から侵入した戦闘機部隊は、私たちの部隊と同数の6機。2機での連携戦闘を徹底していた彼らの中で1機だけ、連携を無視して単独戦闘を仕掛けてきた敵機。混線した敵の通信の中でも隊長機から怒鳴り飛ばされていたその敵機はしかし、ファルケ3とファルケ4に攻撃を命中させることに成功していた。その間に2機の撃墜に成功はしたが、パイロットはいずれも脱出に成功していた。まさに戦闘機乗りの鑑と言えよう。つまり、彼らが復帰すれば再び私たちの前に現れる。好敵手との戦闘において血が騒ぎ出すのはいささか問題があるとは思うが、今日出会った連中は間違いなく強敵と呼んで良いだけの腕前を持つ部隊だった。単独戦闘を仕掛けてきた敵機の背後を取ることには成功したが、後ろから見ても惚れ惚れするような機動でレーダーロックをかわしていくさまは才能と言って良かろう。だが、そんな強敵が戦線に出現したということは、これまでは本気ではなかった敵国オーシアがいよいよ本腰を入れてきた、ということの裏返しでもあった。強敵の出現を喜んでばかりはいられない。戦闘が激化すれば、こうして落ち着いてグラスを傾ける時間すら取れなくなる。さらに悪いことに、臣民戦闘飛行隊の私たちは確実に最前線に送られる立場にある。自分が大佐という大層な肩書きを手にしたところで、この国を牛耳っている連中にとっては所詮は平民、と見られてしまうのだ。それが私の気分を複雑なものとしている。今度は少しマイルドな奴にしてくれ、と注文すると、マスターは微笑を浮かべながら次のボトルを取り出す。もう60は超えているであろうマスターの口数は極端なまでに少なかったが、彼と彼の店が醸し出す雰囲気に惚れて通っている基地の連中は多く、並んでいるボトルキープを全部集めると部隊名簿が出来上がるんじゃないか、という有様だった。

二杯目をマスターが差し出した頃、店のドアが開き、客がまた一人入ってきた。私の顔に気がつくと彼は手を振って寄越し、私から二つ離れたカウンター席に腰を下ろした。ポケットの多いベストにGパンという姿はいつでも同じだ。彼は私と同じようにウィスキーを注文し、マスターが一杯目を差し出すと無言で私の方にグラスを掲げ、そして琥珀色の液体を流し込んでいった。彼と出会ったのは、私がヒルデスブルクに配属されてすこししてからだったろうか。今日と同じようにカウンターでグラスを傾けている私の近くに座った男が私の飲むものと同じ銘柄を指定し、それから酒の話に花が咲いて以来、こうしてここで酒を飲み交わす飲み仲間の一人が彼だった。互いに名と身分を明かして驚いたのは、彼がベルカン・マガジンのヒルデスブルク支局の記者であったことだったが、彼は前線の状態や軍機に関する話をここでほとんど持ち出すことがなかった。君はそれを知りたいのではないのか、という問いに彼はこう応えたものである。酒場は、その日の疲れを癒すために訪れる場所だ。あなたも仕事の話をするためにここに来てグラスを傾けるわけではないでしょう、と。その答えが気に入り、以来こうしてカウンターのこの席と彼の席は暗黙の予約席となった。特に話題がなければ二人並んでグラスを傾け、飲み終わったら互いに挨拶だけして別れるということも少なくなかった。そんな付き合いが出来る友人の存在は有り難かったから、以来足を運べるときはこうしてカウンター席に陣取ることにしていた。その彼――ヴォルフガング・シンドラーは一杯目をゆっくり時間をかけて楽しんだ後、私が二杯目に注文したものと同じものをマスターに注文した。
「今日はまた、両極端なものを頼んでいるんですね、大佐?」
「ん?ああ、確かに君の言うとおりだ。最初のが少しきつかったからね」
「何を出したんです、マスター」
マスターは棚から先程私が飲んだ銘柄を取り出して、シンドラーの前に置いた。
「呆れた……戦闘機乗りはいつでも出撃できるように体調を整えなければならない、二日酔いは論外だ、と言ってたあなたがいきなりこれとは」
「いいんだよ。明日の出撃はない。だから今日はのんびり酒も楽しめるし、酒も私に飲まれるのを待っているさ。今日の戦闘で被弾した機があって、それの修理が終わらないことには出撃したくない。ま、そういうことだ」
なるほど、とうなずいた彼は少し首を傾げてからベストのポケットを開き、新聞のコピーを取り出した。それは私たちが見慣れたベルカの国営新聞のものではなく、敵国のもの、オーシア・タイムズと書かれていた。読み書きに問題はないが久しぶりに目にするオーシア語の記憶を手繰り寄せ、記事に目を落とす。”ユークトバニア、解放戦争に参加を表明”というタイトルで記事は始まり、オーシアの呼びかける旧ベルカ領国の解放のため、オーシアだけでなくユークトバニア軍も全面的に参戦することが述べられていた。既に陸軍と空軍の先遣部隊がオーシア領内の基地に到着、一部の空軍部隊は本国首都に近いエルアノ基地にも配属されるようだ。読み終えた私はため息を吐き出した。これが本当の外交なのだ。基本的に政治形態も経済状態も完全に異なるオーシア、ユークトバニア超大国が共同作戦を行うためには様々な妥協が行われたのであろうが、それを実現した外交官と首脳達の判断には感心する。これで、今後の戦闘が熾烈なものとなることは決定だ。それに対して、祖国の指導者たちの視野狭窄の度合いはひどいものだ。彼らは現実を見据えることすら出来ない。昔、ベルカと同じように世界に対して戦争を挑んだ島国があったが、彼らは他国だけでなく自国にも多大な犠牲を出して敗北した。その国の価値観と歴史のあり方を完全に見失うほど徹底的な敗北を受けて。祖国はその愚かな歴史を何も学ばなかったのだろうか。私は読み終えた記事をたたみ直し、シンドラーに返した。彼はそれを胸ポケットにおさめ、二杯目のグラスをゆっくりと傾けた。
「オーシアはこれを待っていたんですね。後顧の憂いが無くなれば、オーシアは全兵力を私たちに差し向けられる。その点、ユークトバニアの後方からの圧力に期待しかしていなかった我が祖国の外交は失敗したというわけです」
「私たちの飲むものよりはるかに上等なものを嗜んでいる間に、ね。敵の敵は味方、を逆手に取られたというわけだ。これは一本取られたね」
シンドラーは苦笑しながら頷いた。そうしている間に私のグラスは空になり、少し迷ったうえで三杯目を注文した。後ろにいるゼクアイン大尉はといえば、久しぶりに飲んだウィスキーが効いてしまったのか、書きかけの手紙のうえに頭を乗せて居眠りしている。やれやれ、これでは私が担いで帰る羽目になりそうだな、と考えていると、マスターが薄手の毛布を彼の肩にかけに行った。それから私とシンドラーに三杯目を作り、カウンターの上に差し出す。
「……私は戦争の事はよく分からないし、正直そんなことはどうでもいい。でも、この店の良き友人であるお二人の顔が見られなくなるのは辛い。何と言っても、飲み方を知っているお二人だ。酒も飲まれるのを待ってますよ。あまり危ない橋は渡らないでくださいよ」
「分かってますよ、マスター。私はこれを記事にする気はないし、だいいち記事にすること自体出来ない。だから、この戦争の先、明日のためにこうして集めた情報を全部まとめてみたいんです。敗者の観点からの歴史を残しておくために」
「この戦争の先の、明日――」
この戦争が終わった後、か。私はそんなことを全然考えていなかった。そう、シンドラーが言うように、祖国はいずれ敗北する。そんなことは自明の理だ。どんなに優れた兵器を開発しようとも、たった一国の経済力で支えられる軍事力などたかが知れている。経済が破綻すればいずれ兵器も作れなくなる。既にこの国の経済状態は、市民の生活を圧迫しなければならないほどまで悪化しつつあるのだ。これで勝てるなら、歴史上消滅してきた無数の国々の敗北など無かったはずである。そして祖国が敗北したとき、私はどうなるのだろう?連合軍のパイロットの命を最も多く奪った虐殺者として処刑されるかもしれない。それとも、その腕前を見込まれてどこかの国の教官になるのだろうか。そのどちらもご免だった。もしそんな時が来たなら、愛機と共に空で散りたいものだ――多少センチメンタリズムに浸ってはいるが、そう思うときがある。だがそれをするのは、部隊の皆を生き残らせてからの話だ。私だけなら家族もいないし気楽なものだが、ゼクアイン大尉のように家族がいる者まで私のやり方に巻き込むわけにはいかなかった。
「ねぇ大佐、戦争が終わったら、本を書いてみてはどうですか?なに、獄中でも文章は書けますよ。そしたら、私がそれを本にして出版しますよ。撃墜王の立場から見た戦争の事実、私だったら買うな」
「あいにく文才はないんだけどね、考えておくよ。ついでに気楽に酒が飲める身分になれるよう、裁判官たちに証言してくれ。あの男は好きな酒があるだけでいいつまらない男だ、とでもね」
「わかりましたよ。私の大事な飲み仲間なんだ、と付け加えてね」
私たちは互いにニヤリと笑いあった。こんな与太話が出来るのも、首都から離れたこの町だから出来ることだった。そして、複雑な気分の私の心をほぐしてくれる飲み仲間と出会えるこの空間は、まさに憩いの場であった。マスターが出してくれた三杯目を先に空け、明日も取材で早いので、と言ってシンドラーは先に店を出た。おごる、と言った私を制して。彼の分をおごるくらい何でもないことなのだが、彼は絶対にそれを受けなかった。何でだろう、とぼやいた私にマスターは彼との約束事を教えてくれた。
「シンドラーさんは、この戦争が終わってあなたがここに飲みに来たときにおごってもらうんだ。そう仰っていましたよ。……大佐、私もそのときには付き合わせてもらいますから、三人分の飲み代、お任せしますよ」
とりあえず、私にもこの戦争の先の明日にすることが一つ、出来たようだ。

店を出ると、既に町は暗くなる時間だった。見上げた空からは、今日も無数の星の瞬きが降ってくる。普段より一杯多い分、吐き出した息はアルコールの匂いを強く残し、夜の街に漂い消えていく。もう歩いている人もまばらの町を私は歩き出した。夜の風が心地よい季節になってきた。寝入ってしまったゼクアイン大尉を適当な時間で起こしてもらうようマスターに頼んでおいたが、それにしても彼があんな風に寝るところを初めて見た。夢の中で娘さんと遊んでいるのだろうか。彼が彼の家族と共に当たり前のことが出来るように、何か自分に出来ることがあればいい、そう思った。それはつまり、この戦争を早く終わらせる、ということになるのだが。明日は久しぶりの休息となるが、また明後日から私たちが飛ぶのは戦場の空。それも、間違いなく今まで以上に激しい戦いを強いられる空だ。休めるときに休むのもパイロットとしての務めだ、それは分かる。

だが……私は一体何のために戦っているのだろうか?

15 years agoトップページへ戻る

Requiem for unsung ACESインデックスへ戻る

トップページに戻る