好敵手


1995.5.12
本気になった超大国により、祖国の防衛線はついに崩壊した。陸軍司令部は南ベルカ領内への全軍退却を命じ、旧領国に進駐していたベルカ軍は我先にと撤退を開始していた。だが、背中を見せた敵をそのまま見過ごしてくれるほど連合軍は甘くは無かったし、何より必要以上に祖国は敵を殺しすぎていた。まして、敵の攻撃が続いている中を退却するのは経験豊富な指揮官でも困難な任務であった。結果として、陸軍はそれまでの戦闘に倍する損害を出して逃げ帰ることとなり、さらに逃げ帰った兵士たちも多くの者が傷付いていた。その有様を見た兵士たちの士気があがるはずも無い。軍規の乱れがどこに吹き出すかと言えば、それは地元住民に対する暴力となって現れた。国家安全局が情報を統制するよりも前に、南ベルカに本社を置く民間ポスト紙がスクープを取った。南ベルカのある街で発見された二人の少女の無惨な亡骸が、実は祖国の兵士たちが暴行を隠蔽するために小銃で蜂の巣にしたのだ、という一報はあっという間に市民だけでなく全軍の士気を削いだ。熾烈な戦闘を生き延びた兵士たちの心の中に巣食った闇が爆発する、こんな事態は実のところ氷山の一角なのかもしれない。その悪い想像が事実に近いことを、地元の住民たちが兵士を見る目が如実に語っている。住民たちにとっての敵とは連合軍ではなく、自分たちの生活を脅かす全ての者であるということを、軍は忘れてしまっているのかもしれない。

同じように記事にはなっていない、いや出来ない話が記者やデスクには届いている。先日、南ベルカを航行中の国営航空の旅客機を親衛隊が撃墜しようと追撃し、上空哨戒中の別の空軍機によって追い払われた、というのだ。哨戒任務に就いていた部隊は、第302飛行戦隊、すなわち、フッケバインに率いられた空の英雄たち。彼らが本拠を置くヒルデスブルク基地からの報告と、国の依頼で危険空域の中を民間人の移動のために飛行している国営航空からの猛烈な抗議で、軍は親衛隊の失態を隠し通すことが出来なくなり、軍事法廷がついに開催されている。内容が公表されることはまず有り得ないが、そこは蛇の道は蛇、いくらでも方法はある。何より、貴族の子息たちも含まれているであろう親衛隊のパイロットが、親衛隊内部の査問会ではなく軍事法廷に出頭させられたことにインパクトがある。"親衛隊にある者が過ちを犯すはずが無い"という不文律がまかり通る査問会でなく、彼らの発言一つ一つが吟味される軍事法廷が、彼らに対してどのような判決を下すのか見物である。だが――祖国の空を守る兵士の中に、通常有り得ないことをしでかす者たちが含まれていると知られた日には、親衛隊と軍の存在意義自体が疑われることとなろう。だから、決してこの話は世間に報じられることは無い。始まりから終わりまで、全てが闇の中で終始していく――今までと同じように。
再び友軍支援のためスーデントール市に戻ってみれば、戦況は完全に一転していた。旧領国の放棄と南ベルカでの防衛線構築が命じられ、展開していた各部隊が一斉に撤退を始めていたが、この時を待っていた連合軍は各地で追撃線を開始。攻撃を受けながらの撤退戦ほど難しいものは無く、結果としてこれまで以上の大損害を出した陸軍の兵士たちの間には不穏な空気すら漂っている。さらに、各地で孤立した部隊も少なくなく、私たちは彼らの脱出のために陸に空に戦いを続けなければならなかった。補給のために帰還した私たちのもとにもたらされたのは、既に陸軍が救出を断念した遊撃歩兵部隊に対する支援攻撃だった。そしてそれは部下たちを激怒させるに充分な話だった。彼らが孤立しているのは既に連合軍に制空権を奪われた戦域であり、一つ間違えれば私たちすら帰還出来なくなるような戦域だったのだ。基地司令官はその日動員できる限りの飛行隊を集め、3個飛行隊15機が彼らの救援に赴くこととなり、私はその総指揮を執るよう伝えられた。もっとも、実戦になってしまえば、全ての機体に指示を出している暇などなく、結果として各機のパイロットたちの腕を信じるしかないのも事実だったが。

「くそっ、指示を出せば何とでもなると思いやがって。少しは現場の人間の身にもなってみろってんだ」
「ファルケ1よりファルケ2、今日は私たちだけじゃないんだ。不要な発言で国家反逆罪の揚げ足を取られても知らんぞ」
「こちらコルネット1、心配するな、ファルケ1。ここにいる皆、同じ気持ちだ。陸軍の連中、自分たちの宿題を俺たちに押し付けやがったんだからな」
「こうなったら、意地でも助け出して、ベルカ空軍ここにあり、と知らしめてやらないとな」
こんな時でも尽きない連中の軽口は、本当に私の緊張をほぐしてくれる特効薬だ。少し肩の力を抜くために左右に首を傾けて、ゴキンという音を間近に聞いていい加減身体に疲れが溜まってきていることを改めて認識させられる。20代の頃には考えられなかったことだが、こうして人は少しずつ老いていくのだろう。そして後任の人たちに自分たちの居場所を任せて去っていくのだ。もっとも、今はまだその時ではない。逃避しかけた意識を現実に戻し、私は左右を見回した。今回同行している第55飛行隊と第415攻撃戦隊のトライアングルが私たちに並行して空を駆けていく。救出すべき第117遊撃歩兵部隊が追い詰められている戦域まではそれほど時間はかからない。私たちが救援に向かう旨は彼らのもとへも届けられているが、それは同時に敵に傍受されることと同義だ。もしかしたら、敵の仕掛けた罠がぽっかりと口を開けて待っているのかもしれない。
「ファルケ0より各機、そろそろ敵制空権内に入る。周辺警戒を怠るな。この戦域には私たち以外友軍はいないと思ってくれ。機影が見えたら、敵機と判断して構わない。責任は、私が持つ」
「コルネット1、了解!心強いリーダーがいると助かるね」
「第415攻撃戦隊、ゼファー了解。必ず生きて戻ろう」
打ち合わせとおり、第55飛行隊が高度を上げ、私たちと第415攻撃戦隊のF-4Eは高度を下げていく。第117部隊を包囲している連合軍地上部隊に上空から攻撃を加えて突破口を開き、南ベルカまでの脱出路を切り開く、というのが私たちに与えられた任務であった。12,000フィートから一気に高度を下げ、第415のやや後方について彼らの援護ポジションを取る。5機のF-4Eのアフターバーナーの灯りを前方に見ながら、私は周辺に首を巡らせた。いい加減、私たちの姿は連合軍のレーダー網に捉えられている頃だろう。それほど時間的余裕は無い。脱出不能なほどの敵に包囲される前に117を突破させ、そして第415と第55を脱出させなければならない。殿は、もちろん私たちだ。
「ゼファーより各機、目標を捉えた。連合軍の奴ら、とことん叩くつもりだぜ。前方に戦車多数確認、度肝を抜いてやるぞ。ゼファー、エンゲージ!!」
くるりと機体をロールさせて、415がアタックポジション。翼にぶら下げた爆弾の投下体制を取る。5機のF-4Eはそれぞれ敵部隊の集結地点を狙って爆弾を投下、戦車や地面に激突した爆弾はすぐさま爆発と火炎に姿を変え、辺りのものを容赦なく吹き飛ばす。爆風で飛ばされた兵士が家の壁に叩きつけられて動かなくなり、灼熱の炎に包まれた戦車の中から、火だるまになった兵士が飛び出して、真っ黒焦げになって動かなくなる。パニックに陥った連合軍部隊の上空から415が反復攻撃を浴びせ、機銃掃射の雨を浴びせていく。
「こちらベルカ空軍第302飛行戦隊、第117遊撃歩兵部隊、聞こえるか?支援に来たが、それほど長くは支えられん。415が開いた突破口から、すぐに脱出するんだ。第117遊撃歩兵部隊、応答しろ!」
敵機来襲の一報は、確実に近くの航空基地に届いているだろう。私は無線を開き、117への呼びかけを続けた。
「本当に友軍なのか?我々はここで玉砕するつもりだった。もう誰も助けに来てくれないと思っていたよ。本当にありがとう、よし、そうと決まれば最後の突貫だ。崩してくれた北側の包囲網から全員突破する。済まないが、支援をもう少し頼む!」
「ファルケ0、了解した。お互い苦しいが、頑張ろう」
「ファルケ0……?ひょっとして、あのフッケバインか!?こいつは、絶対に生き残ってお礼を言わないとね」
レーダーに目を落とすと、早くも味方のものではない光点が4つ、接近していた。一度低空まで高度を下げ、徹底的に破壊された北側の戦車隊の合間を抜けて、一斉に兵士たちが走り出しているのが見えた。数少ない装甲車の上にも兵士を乗せて、狭い街の道路を駆け抜けていく。後方からは依然として銃撃が散発的に浴びせられ、直撃を被った兵士が路上に転がって動かなくなる。55が交戦を宣言、真っ先に接近してきた敵部隊との交戦状態に移行する。HUDに敵の装甲車を捉え、そしてトリガーを引いた。軽い震動と共に機関砲弾が目標との距離を一気に飛んで、そして炸裂する。私が飛びぬけた後方で装甲車の砲台が爆発で吹き飛んで、真っ赤な炎に包まれる。そのままズーム上昇。充分な高度を得て反転し、もう一度上空からリアタック。ファルケ2とファルケ4がサポートに入り、3機の浴びせる機関砲弾が、連合軍の兵士たちを捉える。真っ赤な体液を振り撒きながら四散する敵兵たちの姿が嫌でも目に飛び込み、ぐっと奥歯を噛み締めて急上昇。これから始まる空中戦のために、弾薬は浪費出来ない。私たちの後方から、415のF-4Eが続いてくる。そしてレーダーには敵の新手の機影。機数さらに6。
「第415攻撃戦隊、離脱しろ!その機体では連合軍の迎撃機には敵わない!!」
「そりゃないでしょう、フッケバイン。我々も、彼らの脱出まではここを離れませんぞ!」
第55飛行隊のF-16Cが一機、黒煙を吐いている。飛来した敵機は大型の可変翼――F-14だった。55が敵部隊の足を止めている間に私たちは高度を稼ぎ、散開する。ファルケ2・ファルケ4に後方を任せ、新手の敵部隊にヘッドオン。長距離ミサイルのレーダーロックを開始する。が、それよりも早くレーダーに光点出現。向こうの方が射程距離が長かったか!?AIM-54か何かか、と見当を付けてロールしながら高度を下げて加速。スロットルをMAXに叩き込み、暴力的な加速と衝撃に身を任せる。頭上をミサイル本体とその排気煙が通り過ぎていき、数瞬後F-14の機影が轟音と共に通り過ぎていく。高G反転してその後背に付こうとすると、早くもF-14は編隊をブレーク。そう簡単にはやらせてくれないらしい。そのうちの一機は、見覚えのある……そう、先日の戦闘で無謀なまでの高G旋回を繰り返して部下達の追撃を完全に逃れた、まさに「ドラ猫」だ。その機は散開後、先日同様にスプリットSから急反転し、第55飛行隊のサポートに回ろうとしたF-4Eの後背にへばり付いた。
「ゼファー、急旋回しろ、後背に敵機!!」
「ちっ、冗談じゃないぞ、こんな凄腕、オーシアは隠していやがったのか!」
415、ゼファーのF-4Eが右へ急旋回。その機動を見破ったかのように急接近した「ドラ猫」が機関砲を発射。紙を切り裂くように尾翼とエンジンを引き裂かれたF-4Eから黒煙と煙が吹き出す。その間に「ドラ猫」は次の獲物を求めて急上昇。その後をファルケ3が追撃していく。ゼファー機の後席がベイルアウト。が、前席が出てこない。
「どうしたゼファー、ベイルアウトだ、その機体はもうもたない!!」
「……駄目だ、フッケバイン。目をやられちまった。……伯父さん、帰れないかもな……」
私の目の前で、ゼファーのF-4Eが炎に包まれ、四散した。くそっ、このままやらせるものか!私は目前のF-14を射程に捉えた。レーダーロック。後背からの敵接近に気がついた敵機がエアブレーキを開いて急減速。ぐっ、と目の前に迫ってくる敵機を照準レティクルに捉えてコンマ数秒機関砲を発射。私の攻撃は敵の右主翼を打ち砕き、バランスを失った敵機はきりもみになって墜落していく。後方からレーダー照射警報。2機で連携しながら、敵機が私を狙ってきていた。面白いじゃないか。私は速度を少しずつ低下させながら急旋回を繰り返していった。敵の旋回のタイミングを外しながら反転し、レーダーロックを確定させない。何回目かの右旋回に入りかけたところで一気に操縦桿を引き、エアブレーキを開放。急制動で一瞬ブラックアウト。回復した視界、頭上を2機のF-14が通過していくその後背を取り、反撃のレーダーロック。心地よい音が鳴り響くのを確認して、AAMを発射。一方は急上昇に転じたが、その結果減速した機体はAAMを振り切ることが出来ずに直撃を受ける。エンジンを吹き飛ばされた機体が大爆発を起こし部品や破片を撒き散らす中を突破して、もう一機を追撃。辛くもAAMの攻撃を回避した敵機にトドメの一撃を手向ける。機体後方、二基のエンジンを蜂の巣にして通過する。一瞬目をレーダーへ落とすと、正面から猛スピードでヘッドオンしてくる敵が一機。反射的に機体をロールさせた直後、機関砲の曳光弾が機体スレスレを通り過ぎていった。「ドラ猫」の仕業だった。ゼファー機を失った415は何とか戦域を離脱することに成功していたが、さらにもう一機のF-4Eが落とされ、残った55も隊長機ともう一機だけとなっていた。部下たちは数的劣勢を激戦で培ってきた技術で補うしかなかったが、戦況はむしろこちら側が有利となりつつあった。部下たちの連携攻撃に翻弄されたF-14は、一機ずつ確実に仕留められつつあったのだ。ただし、この「ドラ猫」だけはその罠をいち早く察知し、こちらに向かってきたのだ。互いに高速ですれ違い、すぐさま反転。描いたループの頂点で再びヘッドオン。機体を180°ロールさせて相手より先に反転してその後背を取ろうとしたが、こちらが呆れるような高G旋回でレーダーロックを回避されてしまう。私の機体とてあれくらいは可能だが、その前に私が耐えられないかもしれない。
「……い、おい、ビーグル、おネンネしてねぇでさっさと起きろ!……ちっ、こいつにゃ無理だったか」
「大尉!隊長機被弾、司令部から撤退命令が出ています。交代部隊を寄越すとのこと!」
「ったく、おせぇんだよ、折角大物が出てきてくれたというのによぉ、邪魔しやがって!」
「ドラ猫」が再び高Gロール。だが、先程のようなものではない。さっきの混線は「ドラ猫」のものらしかった。大方Gに後席が耐えられなかったのだろう。複座型の宿命とはいえ、あんな無茶なパイロットと飛ぶのはさぞかし大変なことだろう。片方のエンジンに被弾して黒い煙を吐いているF-14をかばうように他のF-14が私たちを牽制して飛び回っている。その中に「ドラ猫」も合流していく。どうやら、お互いに直接対決の時間は終わったらしい。それにしても、大した腕利きがいるもんだ。一対一の勝負なら、私の部下たちとて危ないのではなかろうか。それほどのパイロットが最前線にいることは、友軍にとっては決して好ましいことではないのだが、好敵手との空戦ともなれば血が騒ぎ出すのは私も同様だった。また戦うことがあるだろう、と私は追撃を諦め、部下たちと合流を果たした。うちの部隊に損害なし、ただし、既に撤退した415を含め、友軍機は4機撃墜されてしまった。対して、敵迎撃部隊は撃墜5、被弾2。数の上ではこちらの勝利とも言えなくもなかったが、向こうはすぐにその穴を埋めるだけの力がある。そして、私たちにそれは無い。
「117部隊、聞こえるか。こちらファルケ1、撤退状況はどうか!?」
「こちら117、友軍の装甲車部隊が支援に来てくれた!損害は出たが、間もなく戦域を離脱出来そうだ。支援に感謝する!」
「こちらファルケ2、こっちも結構やられちまったけどな、ま、お互い様だ。無事に生還出来たら、きっちりお礼の品物を送ってくれよ?」
「ああ、分かっているさ。あんたたちこそ、無事に戻ってくれよ」
どうやら、友軍の陸軍部隊が動いてくれたらしい。地上には装甲車らしき車輌が連続で砲撃を加えながら進撃してくる姿が見える。陸軍もまだまだ人間は残っているという証だ、と気がついて私は少しほっとした。レーダーを見ると、私たちを迎撃に来たF-14は踵を返してやってきたのと同じ方向に去っていく。敵ながら見事な引き際だ。だがそれは、交代部隊がすぐにやってくるということと同義だ。それも無傷の新手が。第117遊撃歩兵部隊を乗せた装甲車部隊が反転し、祖国の勢力圏内目指して走り出す。私たちも、そろそろ帰宅の時間のようだった。つかの間戻った静寂の中、私たちはスーデントールへの帰途に付いたのだった。――新手に追いつかれる前に。

私たちだけでなく、各地で祖国の同朋たちが奮闘を続けていた。だが、その奮闘空しく、祖国は領有を主張して占領した旧領国を完全に失った。「侵略者」からの解放に成功した連合軍は、引き続きベルカの掃討を継続することを決定した。1995年5月13日のことであった。

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