回り始めた崩壊の歯車
1995.5.17
この期に及んで軍令部は強気な発言を繰り返している。彼らはこう言うのだ。「我々には全ての戦局を覆すことが可能となる秘密兵器をついに手にした。その存在が明らかになったとき、連合軍と自称する賊軍と世界はベルカの大義の前にひれ伏すのだ」、と。そして、「全ての臣民はベルカの大義実現のため奮励努力せよ」、と。だが、世界の長い歴史の中で、全く新しい新兵器が開発され世界を席巻した例はほぼ皆無だ。大体の場合、相手方も同じようなものを開発していて、実際に戦闘で用いられると「やはり」と認識されるのだ。小銃も機関銃も、戦車も戦闘機も、瞬く間にほとんどの国々が開発に成功して実戦投入してきたことが何よりの証明だ。当方の島国では刀剣の戦が主体だった頃に、ある国の王がライフルを導入して圧倒的勝利を手にしたこともあったが、わずか10年程度の間にライフルは全国に広がり、戦術の一端を担う存在となった。だから、祖国がいう「秘密兵器」とやらがその時点においては画期的なものであったとしても、それは世に出た瞬間価値を失う。カードは切らずに持ち続ける方が得という場合すらあるのだから。さらにタチの悪いことに、祖国の「秘密兵器」はどうやら真っ当なものではない可能性が高い。そもそも戦闘を行うための兵器自体が殺戮と破壊をもたらすだけのものであるが、特殊な細菌兵器、特殊な化学兵器――或いは、核兵器?
そして予想とおり、今後の方針として南ベルカ国営兵器産業廠が置かれたスーデントール市を最終防衛拠点として、連合軍を引きずり込む大方針が決定された。南ベルカの都市が次々と無血開城宣言を行って連合軍に降っていることも、祖国の方針決定を早めた原因の一つだろう。南ベルカの都市や土地を徹底抗戦の拠点として活用出来ないのなら、必然的にそうならざるを得ないのだ。兵士たちは連合軍の追撃を挫きながら、更なる撤退戦を繰り広げることになる。だが撤退戦の終わりは、凄絶な篭城戦の開始と同義でしかない。総力を以ってスーデントールの陥落を目指す連合軍と祖国との戦いは、この戦争の事実上の最終決戦と言って良いだろう。最早退路の無い兵士たちは、絶命するそのときまで引き金を引き、一人でも多くの敵兵を殺すことを強いられる。だがそこまでして戦い続ける意味が、一体この戦争のどこにある。首都や後方にいる将軍や官僚、貴族たちが戦争継続を訴えることは極めて容易だ。なぜなら、彼らは最前線に一度として足を運んだことは無いし、そこで死へとつながる急な坂をのた打ち回りながら転がり落ちていく兵士たちの姿を見ることも無い。腹部裂傷を負い、はみ出してくる内臓を押さえながら母親の名を呼ぶ若い兵士の姿も、砲撃の直撃を食らって胴体だけが残った兵士たちの姿も。だが仮にそれらを見たとしても、彼らの意識には微塵の影響も与えないに違いない。なぜなら、前線の兵士たちは今も昔も変わらず、貴族とベルカ公たちの駒の一つに過ぎないのだから。
連合軍の仕掛けた奇襲空爆を阻止した私たちには、予想外の「待機」時間が与えられた。クライヴ司令に言わせれば、「大体こんなときは、後になって嫌な仕事が回ってくる」ということになるのだが、私たちにしてみれば久しぶりに「フロッシュ」でのんびりと好きな酒を楽しむ時間を手に入れられる。健康的とは言えないが、「魂の洗濯」が出来るのは間違いない。そんなわけで整備班からジープを借り受けた私たちは「フロッシュ」の前に車を横付けして、思い思いの時間を過ごすことになった。事前の宣言も空しく背後を取られたワーグリン少尉は、早速ゼビアス中尉たちの洗礼を受けて今では完全にのびて床の上に転がされている。中尉自身も久しぶりのアルコールが回ったのか、机に肘を突いて舟を漕いでいる。ここしばらく続いた激戦の疲れが、気が抜けたこの時になって吹き出したのかもしれない。ファルケ3ことアウグスト中尉とファルケ4のハウスマン少尉はゆっくりと黒ビールを楽しむつもりのようで、カウンターにいる私とゼクアイン大尉に気を使っているのか、窓際のテーブルで何事かを話している。時間が時間なのと、私たちが入り口の前にジープを横付けしてしまったせいか他に客の姿は無かったが、最近では街の人々も夜に酒場で酒を嗜む余裕もなくなってしまった、とマスターは嘆いていた。おかげでグラスだけは綺麗になりますよ、と彼が冗談を飛ばしていると、入り口のドアの鈴が鳴って、来客を告げた。
「大佐!久しぶりですね」
「そっちこそ。今度はどこに行ってたんだ、シンドラー?」
というような会話を交わすことは決して無く、いつものように互いに手を軽く挙げて挨拶を交わし、彼はいつも通りのカウンター席に腰を下ろした。軽い食事と黒ビールを頼んだ彼は一息つくと、マスターから差し出された黒ビールをぐって呷ってみせた。そんなシンドラーの顔が、この間見たときよりも疲れているように見えたのは気のせいだろうか。特に会話を交わすことも無く、互いに黙々とグラスを傾けたり或いはソーセージにマスタードをたっぷりと塗り付けて頬張り、静かに流されているジャズの音楽を楽しむ時間がどれだけ過ぎただろう。私は3杯目のウィスキーを注文し、シンドラーが同じものをロックで注文して、その時になってお互いに口を開いた。
「大佐。親衛隊所属部隊の第203・第154飛行隊をご存知ですか?」
思わずよりにもよってあいつらか、と言いたくなる相手の名前を聞いて吹き出しそうになり、慌ててグラスをテーブルに戻した。シンドラーはしてやったり、という顔で悪戯が成功したことを楽しんでいるようだった。
「知らない、と答えたところで、それが嘘だと言えるだけの証拠は揃えているんだろう、シンドラー?人が悪いね、君も。……直接会って話したことは無いが、同じ空を一緒に飛ぶのだけは願い下げにしてもらいたい連中さ」
「前線の兵士たちからも、そんな話が流れていますよ。あいつらは敵よりタチが悪い。支援と称して戦域に乱入して、却って敵の反撃を招いたり、支援命令を拒否してみせたり、前線司令部も相当に手を焼いていると聞いてます」
「あいつらじゃ、支援に来てくれない方がましかもしれない。ただ、隊長機の腕前は別らしい」
「どういうことですか、ゼクアイン大尉?」
「203も154も、隊長クラスはエルジア学校あがりの腕前なんだそうだ。実際にやりあったことはないが、エルジア学校あがりのパイロットの腕前ってのはなかなかのもんだ。人格と品性は最悪でも、操縦技量が最悪とは限らないということさ」
シンドラーは頷きながら、今日一杯目のグラスをゆっくりと傾けた。
「大佐たちは既にご存知のことかもしれませんが、統合戦略研究所から幹部待遇で軍と親衛隊に研究員が派遣されているそうですね?これからの大反攻作戦に関し、統合戦研が何やら妙案を持っているとか」
「統合戦研!?あの戦争大好きザービエルのいる?それこそ真っ当な話じゃないぞ、シンドラー。そんな話、一体どこから聞き出したんだ。大丈夫なのか?」
私よりも早く、激しく反応したのはゼクアイン大尉の方だった。「戦争大好き」と彼に言わしめたザービエルとやらと面識は無いが、その名前くらいは私も知っている。もともと陸軍の将軍だった彼は、士官というよりは研究者に向いた男で、現在のベルカ公がまだ皇太子だった頃に軍から引き抜かれたと聞いている。ガチガチのベルカ主義エリートであった彼を、ベルカ公アウグストゥスが気に入ったらしい、というのだが、そのザービエルには美しい姪っ子がおり、その娘を差し出した見返りとして権勢を得たのだ、とも言われている。背景がどんなものであったかは別として、晴れてベルカ公の庇護下に入ったザービエルは、統合戦略研究所の所長に就任して現在に至る。だが、この研究所の素姓は、軍属にある私たちにも知らされていない。同格の大佐連中が集う会議などで配られる戦略計画の中に研究所の印が押されていたことが何度かあったが、特に気にも止めていなかったというのが実状だ。
「ゼクアイン、私はあまり良く知らないのだが、統合戦研というのはどんな機関なんだ?」
ゼクアインは飲みかけのグラスをぐっと呷り、マスターに空のグラスを差し出した。棚から別の銘柄を取り出した彼は、新しいグラスにシングルより少し多めの琥珀色の液体をゆっくり注いでいく。また別の芳醇な香りがカウンターに漂ってくる。
「古狸の私でも、実のところはよく分かりません。ただ、あれは研究所なんていうもんじゃなく、実態はベルカ公直属の諜報部門みたいなもんです。どこまで本当か知りませんがね、国営企業のトップの大半に息のかかった連中が潜り込んでいるだけでなく、うちらのトップが実はそこの秘密メンバーだって話も聞いています。あくまで兵士たちの与太話の範疇を出ないかもしれませんが、与太話にしては出来すぎています。何だか嫌な予感がしますね」
「その統合戦研が、戦局を覆すことが可能な秘密兵器を完成させた、と言っています。具体的な情報は、さすがに危なくて近寄れませんけれども、多分あそこで作っているんでしょう。国営兵器産業廠――」
「南ベルカ、スーデントール、か」
「ええ、そして、先ほど申し上げた第203と第145、それ以外の親衛隊部隊を中心に、一部の部隊が統合戦研直属の作戦部隊として配置換えになったそうです。大反抗作戦の中核として独自作戦を展開する、というのですが……そうですか、大佐たちには告知されていない話でしたか……」
「というよりも、シンドラー、あそこにはあまり手を出すな。謀殺なんて容易にしてのけるような連中なんだからな」
「わかってますよ、ゼクアイン大尉。私にも家族がいる。妻と娘と会えなくなるのだけはご免ですからね」
お互いに今日は結構酒が入っていたからかもしれないが、この日のシンドラーはいつになく饒舌だった。ゼクアイン大尉同様、危険に身を晒すことになる彼のことを心配しつつ、私は彼の言ったことに引っかかっていた。例の203と145――「グラーバク」と「オブニル」の連中が、ベルカ公の息のかかった連中の下で独自作戦を展開する――祖国にとって、決して好ましいとは言えない事態だ。しかも、わざわざ親衛隊中心に、という点が気に食わない。ゼクアイン大尉をして「戦争大好き」と言わしめた、いわくつきの研究機関、友軍すら見捨てることに抵抗の無いいわくつきの部隊、それに、いわくつきの「秘密兵器」とやら。それが全部集まればろくでもないことを考えていることは明白だった。
その後、また取材に出かけるから、とシンドラーは店を後にした。どうやら、彼は私に先ほどのことを伝えるために、わざわざこの店に立ち寄ってくれたようだった。倒れこんでいるワーグリンたちを叩き起こしながら、私はさっきの彼の話を反芻していた。酔いが覚めてしまうようなタチの悪い話だ。出来れば巻き込まれたくないものだな、と思ったが、こういうときに限って悪い方向の予感は当たる。「いわくつきの」事態は、私が思っているよりも素早く、私たちの前に姿を現したのである。
クライヴ司令の言う悪い予感が的中し、不意の待機の後にやってきたのは聞いた者が耳を疑いたくなるような作戦だった。陸軍を中心に据えた特命師団による南ベルカ逆侵攻作戦が発令され、スーデントールに退却して間もない部隊が再編成され、再び南方の戦線に差し向けられたのである。全くろくなもんじゃない、と作戦の概要を伝えるクライヴ司令自身が言い、この作戦自体が軍令部の起案ではなく、統合戦研の起案であると聞いて、私は胃の辺りが痛くなるような気分になってきた。幸か不幸か私たちはこの作戦に派遣されるわけではなかったのだが、その代わりこの作戦には「配置換え」により、ベルカ公直属の特命部隊となった「グラーバク」・「オブニル」が上空支援部隊として派遣されている。そうした部隊配置を聞いていくうちに、この作戦のやり口に私は腹が立ってきた。そう、最前線で砲火にさらされる部隊は臣民軍を主体とした陸軍――もっとも、親衛隊の陸軍部隊など頭数が知れていたが――であり、特命師団とは言いながら、親衛隊は後方支援と上空支援――その気になればいつでも逃げられる――ばかりであった。そもそも、この戦況でそんな無謀な作戦を強行するだけの余裕は既に祖国には無いのだ。
「司令、自分としては上申書でも書いてこの馬鹿馬鹿しいミッションの即時停止を求めたいところです。これじゃ、陸軍の連中は犬死だ。大体、その研究所の連中は前線を知らない頭でっかちばかりなんでしょう?」
「上申はやめておきたまえ、ゼビアス中尉。やるだけ君が損するだけだ。だが、君の言うとおり、今の戦況で逆侵攻など馬鹿げているとしか言いようがない。そんな作戦にサインした軍令部もどうかしている。この配置もそうだがね、一見陸軍が積極的に展開をしているようにも見えるが、裏を返せば背水の陣だ、これは」
「どういうことですか?」
「よく見ろ、ハウスマン少尉。陸軍の後にいるのがほとんど親衛隊指揮下の後方支援隊だぞ。これが友軍ならともかく、親衛隊相手で信用できるか?」
「ゼクアイン大尉の指摘の通りだ。戦術の何たるかも学んでいない親衛隊のお坊ちゃま方のことだ。敵軍の攻撃を受けて真っ先に退却するか、退却してくる友軍を蹴飛ばすか、どっちかだろう。本当に、ろくなもんじゃない」
「司令官殿、ろくなもんじゃないのは分かりましたぜ。その上で、うちの部隊はどう動きます?」
声の主はボルツマイヤー大尉。今日もツナギ姿でベンチの一つに腰を下ろしている。
「幸い、我々にも任務が与えられている。バルトライヒ山脈の南ベルカ側空域の哨戒任務だ。特に具体的なミッションは与えられていない以上、勝手に動いていいということだ。大佐、判断は君に任せる。哨戒空域付近に接近する敵高空兵力に対し、適宜攻撃を加え友軍を支援してくれたまえ」
「それは願ったり、ですが、よろしいのですか?」
クライヴ司令は頬を撫でながらニヤリと笑ってみせた。こういうとき、この人は大体怖いことを考えている。
「なあに、具体的な命令を下さない軍令部が悪いのさ。報告は何とでも出来るしね」
南ベルカの"哨戒"任務に付くべく、私たちの出撃準備が進んでいく。整備兵たちが足元を走り回り、それぞれの兵装――もちろん、フル装備だ――のチェックに追われている。私自身、既にコクピットに潜り込んで出撃前のプリチェックを手早く進めている。もっとも、こうやって落ち着いてチェックを進められるのは、技量の程を良く知る整備兵たちを信頼しているからこそだ。空軍全部隊を通じて機体数の少ないSu-27である。全く触ったことの無い部隊の整備兵の仕事だとしたら、コクピットに座っているのも怖いだろう。命を預けて空を駆ける愛機なのだ。可能な限り完璧な状態で飛びたいと思うのは、パイロット共通の心境である。幸い、ヒルデスブルクにいる限り、私はその恩恵を受けることが出来る。中央や親衛隊に疎まれるたおかげ、というのは些か皮肉な結果とも言えなくも無かったが。
「全く、とんでもない司令官殿ですな。……ま、あれでこそ、私たちの司令官殿、というところですか?」
ボルツマイヤー大尉がタラップをよじ登って声をかけてきた。慌しく彼も走り回っていたから、その額には汗が滲んでいて、付着したオイルがその上に浮いている。
「機体の最終チェック、完了です、大佐。いつでもどうぞ」
「ありがとう。大尉たちのおかげで、私は安心して出撃できる。整備兵の皆にも、礼を言っておいてくれ」
「何の、こっちはそれが仕事、ここが戦場でさぁ。それよりも大佐、前線の兵士たちを少しでも助けてやって下さい。何だか良く分からない連中の作戦で、兵士たちが無駄死にするなんてあっちゃいけねぇ。貴族だろうが平民だろうが、帰りを待っている人たちがいるんだ。頼みましたぜ、フッケバイン!」
「ああ、分かっているさ。上空支援のイロハも分からない坊ちゃんたちの頭を突きに行ってきますよ」
「了解、健闘を!」
タラップを大尉が駆け下りるのを確認して、キャノピーをクローズ。整備兵たちが手を振って見送る中、フットブレーキを離して機体を楔から解き放つ。誘導路を走りながら、カナード翼のチェック、尾翼のチェック、異常なし。エンジンのフケも良い。火器管制装置も正常、レーダー異常なし。コンディション、オールグリーン。コントロールからのテイクオフクリアランスを待ち、滑走路の端で待機する。また、ここに必ず帰ってくるぞ、と心の中で誓う。向かうは、私たちの支援を待つ同朋たちの集う空。今日をより多くの同朋たちが生き残る事が出来るように、私たちは戦う。