大空に若鳥は散った


1995.5.21
南ベルカへと再侵攻したベルカ軍は、"奪われた"領土を取り戻すどころか、全戦線に渡って損害を出し、却って勢力圏を失いつつある。後方に陣取った親衛隊と、最前線の臣民軍、双方の連携が為ってこその作戦は、親衛隊の消極的支援――そもそも、戦い方を知らない指揮官が「連携」の意味を知っているはずもなく、また知っていたとしても臣民軍のために支援をするという意志に乏しい彼らが、激戦下にある最前線からの殺気だった支援要請を理解することは無く、無謀な突撃の繰り返しによって数多くの兵士たちが無駄死にを強いられている。狂気じみたベルカ軍の進撃に対し、連合軍の見る目は冷ややかだ。というよりも、ベルカは自ら「ベルカ討伐」の大義名分を連合軍にくれてやったようなものだ。それだけではない。南ベルカの諸都市は、ベルカによる再侵攻自体を激しく非難し、これまで南部だけに留まっていた無血開城宣言が次第に北部の都市へと飛び火し始めている。市街地に展開しようとした陸軍部隊が地元住民たちの反発によって陣地を構築できず、戦うことなく撤退する羽目になったり、或いは進撃を強行した部隊が地元住民たちに襲撃され、司令官が殺されてしまったり、前線の兵士たちが戦う相手は最早連合軍とは限らない有様である。素人目に見ても意味の無い再侵攻と戦闘を継続する目的が本当にあるのだろうか?本当の目的が実は別のところにあって、再侵攻作戦自体は時間稼ぎなのではないか?――そう疑いたくなってくる。

そういった戦況が一般市民に比べると早く伝わるのか、バルトライヒ山脈以南に領地を持つ貴族たちの避難が始まっている。この戦闘下において、民間用の航空機を強制徴集して自らの家族や財産を満載してノルト・ベルカへと渡っていく彼らの姿は滑稽でもある。現在行われている戦闘に関しても、一般市民にはほぼ完全に報道管制が敷かれているため全容は伝えられてはいないのであるが、「貴族が避難を開始した」という話が伝われば勘の良い市民たちは戦闘と戦況の実態を理解してしまうだろう。南ベルカを去った貴族たちの行く先は、現在コルネリアス皇太子が滞在しているシューティア城下と見ていたが、実際は異なるらしい。ベルカ公アウグストゥスの直轄統治荘園からその財産額に応じて割り当てを行うということで、大半の貴族たちはノルト・ベルカのまさに北方が行き先になっているという。ツンドラの大地が広がりろくな資源も無いそんな僻地を領地とすることに貴族たちが反発するかと言えば、信じ難いことにかれらは何の抵抗も無く――表向きだけかもしれないが――北への退避を受け入れている。臣民から可能な限りの富を搾取することしか考えていない、時代遅れと強欲の権化たる彼らが、である。ベルカ公にしてみても、随分と気前が良い。勝ち目のない戦を仕掛けて苦しむ臣民には何の救済も無く、身内と言える貴族には何と手厚い対応だろう。傷付き、血を流すのは臣民ばかり。こんないびつな国家を、これ以上生き長らえさせる必要があるのだろうか?この専制主義的な国においても、抵抗勢力が無いわけではない。だが、歴代のベルカ公と彼に属する諜報機関・秘密警察の狩りの能力は決して無能ではなく、祖国の歴史の闇に葬られていった人々も多い。戦争の英雄ですら、謀略によって抹殺されるのがこの国の抱える闇だ。「怪鳥」の異名を持つ友が、その轍を踏まないで済むことを祈りたい。
再侵攻による開戦当初から苦戦を強いられた私たちは、当然の帰結として戦線を維持することも出来ず後退を重ね、反比例するように私たちは様々な戦場へと借り出されていった。それは全て、撤退する友軍或いは敵中に孤立して玉砕を覚悟した友軍部隊の救援であった。私たちよりも遥かに近くにいて、遥かに多い戦力を持っているはずの親衛隊部隊の大半は前線を見捨てて勝手に後退し、当てにはならなかった。ゼビアス中尉の言葉を借りれば、腹に抱えた爆弾を連中の頭上に落としてやりたい、ということになる。だが、自らの安全を確保したつもりの親衛隊ですら、自己防衛のために砲火を交えなければならなくなった。既に連合軍の一員となっているユークトバニアであったが、もともとオーシア以上に強大な陸軍兵力を擁しているユークトバニアは、オーシア領からではなく、南ベルカ東側から大規模攻勢を仕掛けてきたのである。オーシア領側に重点を置いて兵力を展開していた我が軍は、東側からの攻勢に為す術も無かった。臣民軍に最前線の戦闘を任せ、勝手に後退を進めていた親衛隊部隊はスーデントール市に近い南ベルカ東部に到達し、そしてこの日を待っていた連合軍の大部隊の最初の獲物となった。火砲・車輌・航空兵力・武器弾薬、あらゆる面で我が軍を凌ぎ、兵士たちの士気・錬度も極めて高い敵部隊に、プライドだけが唯一高い親衛隊が太刀打ちできるはずも無く、ほとんどヒステリーのような支援要請を司令部に拒否されて初めて、彼らは自分たちがしでかしてきたことを身を以って認識することになった。事実、司令部には彼らを支援する予備兵力すら無かったのである。私たちは、そんな絶望に満ちた戦場の空を飛び、最早臣民軍も親衛隊も関係なく、スーデントールへと撤退するための時間を稼ぐための戦闘を繰り広げていた。しかし、この日の出撃は部下たちにとって大いに不満であることに――私も内心は穏やかでなかった――親衛隊空軍との共同作戦であった。ヴァルパイツァー兄弟に率いられた第154飛行隊は、出撃前から「いかに大佐といえども、こちらの作戦指示には従って頂く場合もあります」と胸を反らせて言い放ち、部下たちの反感と失笑を早速買っていたのである。せめてもの救いは、先日の戦闘で同行して戦力を半減させてしまった第55飛行隊と他の飛行隊の生き残りが集められた混成飛行団が同行してくれていることだった。

ヒルデスブルクに戻ることなく、スーデントールの前線基地の一つから出撃した私たちが向かったのは、まさに新戦線と言える東部戦域。ユークトバニア軍による大規模攻勢を受けて、親衛隊の連中が徹底的に叩かれ逃げてきた戦域だ。既に制空権も無く、長射程の砲撃部隊による牽制攻撃が行われている程度の戦闘しか出来ず、確実に連合軍の足音は近付いてきている。私たちの作戦自体も意味があるのではなく、その砲撃部隊が「安全に」退却するための時間稼ぎが達成できれば成功といった類のものでしかなかった。司令部に派遣されているという統合戦研の幹部たちは相次ぐ敗退と甚大な損害を目の当たりにして、司令部の置かれている指揮所から追い出される有様だ。今更、戦略的或いは戦術的な意味を云々する状況では無かった。
「こちらオブニル1。間もなく、作戦空域に到達する。各飛行隊は所定の作戦行動を開始。各員、奮闘せよ」
「我らが勢力圏に入ることがいかに危険なことか、連合軍の馬鹿どもに教えてやるんだ――おっと、「怪鳥」一機だけでも充分でしたな、これは失礼」
「オブニル2、戦場では背中に気を付けるんですな。世の中には「誤射」って奴がありましてね」
「減らず口を……!後で吠え面をかかないようにするんだな!!」
「オブニル2、ミヒャエル、それくらいにしておけ。大佐、戦場では何が起こるか分かりません。お互い、気を付けましょう」
「……ああ。そちらも健闘を祈る」
内心の苛立ちを誤魔化して、全くの無感情に言葉を返す。階級の上下を持ち出すつもりは無かったが、オブニル2の言いようはさすがに部下たちを怒らせるのに充分だったようだ。オブニルの6機編隊が左旋回し、南ベルカ北東戦域へとコースを転じる。きっとゼビアス大尉は彼らめがけて中指を突き立てているに違いない。私たちと混成飛行団は彼らとは別戦域の受け持ちであり――つまり、私たちの担当空域のほうが激戦地だから、頭数も多いのだ――、そのまま直進する。眼下には展開している地上部隊の姿も見える。彼らがスーデントールの勢力圏まで撤退する間、敵勢力を排除するのが私たちに課せられた任務であった。
「またご一緒出来て、光栄です。こちらコルネット1、ようやくやかましいのがいなくなりましたな」
第55飛行隊の隊長機の言葉に思わず苦笑してしまう。全く、そのとおりだった。狭いコクピットの中では新鮮な外気が入ってくるはずもなかったが、連中と一緒では換気装置の調子までおかしくなるような気分だったから、彼らの声が聞こえなくなっただけでもましというものだ。
「しかし隊長、今回の作戦に一体何の意味があるんですかね?陸軍の撤退だけなら、我々が敵の支配圏まで足を踏み入れなくても充分だと思いますが……」
「ハウスマン少尉、意味を考えるだけ無駄だ。戦争を全く理解していない統合戦研とやらのお坊ちゃんたちに散々かき回された今回の侵攻作戦だ。本部だってまともに現状を把握していないだろう。とにかく、生き残ることだけを考えよう」
「ゼクアイン大尉の言うとおりだぜ、ハウスマン。さっき奴さんも言ってただろ?"戦場では何が起こるか分からない"ってな。俺たちに友好的な綺麗どこだけで構成された航空部隊が、俺たちに亡命を求めてくるかもしれないしな」
「ゼビアス中尉、それは単なる貴官の妄想だろ。全く説得力が無いぞ」
「固いなぁ、アウグストは」
部下たちの無駄口と減らず口が健在なので、私はほっとしていた。ハウスマン少尉の言ったとおり、この作戦にはほとんど意味が無い。だが、意味が無いからといって何もしないわけにもいかない。予想し得ない事態が発生して、それに友軍が巻き込まれる可能性は常にゼロではないのだから。レーダーには今のところ特に敵影は無し。地上では友軍部隊がゆっくりとスーデントール目指して移動を続けている。このまま、何事も無く済めば今日の任務はこの数日では最も楽な作戦となるだろう。ファルケ3、アウグスト中尉とゼビアス中尉の掛け合いはまだ続いていたが、特に止めさせる理由も無いので私は辺りを見回していた。敵影は相変わらず見えない。少し緊張をほぐすか、と考え始めた時、その声が唐突に聞こえてきた。
「……鳥は籠に入った。繰り返す、鳥は籠に入った」
人のものとは思えない、陰気で抑揚の無い声と言葉の羅列。こんな声を出す奴は、私の部下たちの中には一人もいない。
「おい、今の台詞は……だ?お……いじゃ……?」
ゼビアス中尉の声が雑音にかき消され、そしてレーダーが完全に作動しなくなった。ECM!!しかもかなり強烈な部類のものだ。敵の電子戦機がこの近くに展開していたのか!?続いてコクピットに鳴り響いたのはミサイル警報音。どうやら私たちは、知らず知らずの間に張り巡らされた罠に落ちていたらしい。機体をロールさせ、急降下。部下たちもそれに続いて降下しつつ散開し、敵の接近に備える。だが、混成航空団は必ずしも私たちの機動の意味を理解していなかった。さすがに第55飛行隊の生き残りたちは素早かったが、迫り来る危機を察知できなかった何機かがそのまま直進してしまう。
「何をしている、早く回避行動を取るんだ!!急げ!!」
だが私の叫びは彼らに届くはずも無い。高度を一気に下げて反転した私たちの正面上空を、AAMの吐き出す白い煙が通り過ぎていき、そして友軍機が次々と炎に包まれていった。強烈な雑音の中に、断末魔の叫びらしきものが途切れ途切れに聞こえ、爆散した破片が重力に引かれて落ちていく。素早く上空と周辺を見回すと、淡い太陽光を反射して迫る影、多数。レーダーが効かない以上確認は出来ないが、明らかに敵。私はそのまま機体を上昇させ、一気にスロットルを絞った。推力を失った機体は一瞬静止し、機首から倒れて垂直降下に転じる。私目掛けて飛んできた敵機がそのまま通り過ぎていく後背を取り、スロットルを最大に叩き込む。エンジンの回転数が急上昇し、加速によって体がシートに沈み込む。無線での交信が出来ないのはお互い様、生き残るためには少しでも敵を減らす以外に道は無かった。それと、この妨害を行っているであろう電子線機を早く見つけ出して撃ち落すこと!照準レティクルに捉えた敵――ユークトバニア空軍のエンブレムが主翼に描かれたMig-29に対してガンアタック。ほんのコンマ数秒の攻撃だったが、エンジンを直撃した機関砲弾は敵機を火だるまにした。燃えながら高度を下げていく敵機を追い越し、別の敵機に狙いを定めて右旋回。その後方で、先ほどの敵機が爆発を起こして四散する。もちろん、そんなことを確認している暇は無い。私たちが飛び込んだ空域に展開していた敵航空部隊は予想以上の数だった。最初の攻撃で数機が撃墜された私たちに対し、敵は過剰とも言っていい航空部隊を待機させて私たちの到着を待っていたというのか。しかし、それには私たちがこの戦域に派遣されることが事前に分かっていなければならない。これは遭遇戦ではないことは、敵機の構成を見れば明らかだった。地上部隊を目標にした部隊ならば、対地攻撃用の攻撃機が多数含まれているはずだが、今ここに出張ってきているのはMig-29やミラージュ2000といった戦闘機ばかりだ。――まさか、我が軍の情報が意図的に漏らされているのか――?

互いに連携する余裕も与えられないまま突入した戦いだったが、さすがは激戦を今日まで生き延びてきた部下たち。一番立ち直りが早かったのは、歴戦の戦士であるゼクアイン大尉とゼビアス中尉で、敵包囲網を突破した彼らはそれぞれ味方の支援に回り、完成しかけた敵包囲網を突き崩すことに成功していた。だが、生き残った友軍機はさらに少なく、混成飛行団は最早「飛行団」としての数を為していない有様であった。アウグスト中尉のファルケ3機が被弾したものの戦闘機動には支障が無く、高空へと一時退避した彼は上空を悠然と飛行する電子戦機の姿を発見した。残念ながら敵機の追撃に遭ったため攻撃を断念せざるを得なかったが、一度私の側に付いた彼は発光信号で大まかな位置を私に伝えてきた。南東方向、高度30,000。まさに「籠」と言って良い敵部隊は、それなりの数を撃墜しているにもかかわらず減る気配が無く、ユークトバニア空軍がこの一戦に相当な力を割いていることを明らかにしていた。つまり、彼らは初めから私たちを狙ってきていたのだ。既に私たちが落とした敵機の数は一個戦隊を構成するに充分だったが、その穴は付近の基地から飛んで来たと思しき連合軍機によって埋められつつあった。このまま戦いを長引かせるのは得策ではない、と判断した私は、敵の追撃を振り切って一気に高空へと上がった。ファルケ3が伝えてくれたポイントを目指して上昇し、雲の上で水平飛行に移行する。敵機の追撃は続いているようで、断続的にレーダー照射を告げる電子音が止まない。右左と首を巡らして、私は目指す目標の姿を探した。――いた!方位210。電子戦機、E-767の巨体が太陽光を反射して煌いている。確実に仕留めるため、注意深くレーダーロックをかける。戦闘機の機動性に比べれば遥かに劣るE-767――元は旅客機がベースなのだから当然だ――は回避行動すら取らずに飛び続けている。ロックオンを確認して私はAAMを2発発射した。翼から離れたミサイルが一気に加速して高空を切り裂いていく。ようやく敵の接近に気が付いたのか、回避行動のため翼を傾けた時には既に遅い。一発が主翼を、一発が胴体を直撃し、E-767の銀色の機体を真っ赤な炎の塊に変えた。ガリガリ、という雑音ばかり聞こえていた無線が唐突にクリアになり、レーダーが復旧する。もっとも、復旧したレーダーは圧倒的な数の敵影に占拠され、あまり役には立たない状況で、改めて私たちが直面している危機を再認識させられた。
「レッド8、後だ、敵戦闘機、回避!」
「駄目です、振り切れませ……やられた、やられた!!」
「こちらファルケ1、ファルケ5、まっすぐ飛ぶんじゃない!落とされたいのか!」
「くそう、ユークの連中、何を考えていやがる!」
両軍の交信が飛び交い、パイロットたちの叫びと怒号、そして断末魔の悲鳴が聴覚を飽和させていく。一対一での戦いでは不利であることを悟った敵部隊は、複数機での攻撃に戦法を変えつつあった。物量作戦の賜物だな、とため息を吐きつつも、実際にこれを仕掛けられるのは危険だった。追い詰められた友軍機が一機、また一機と屠られていく。私は手当たり次第に襲い掛かる敵機を葬っていったが、敵の攻勢はなかなか止まない。むしろ、友軍機が減少することで敵の攻撃は激しくなる一方だった。
「こちらコルネット1、後方の敵機を振り切れない、くそっ、こんなところでやられるなんて冗談じゃないぞ!」
「コルネット1、こちらファルケ2!駄目だ、反対に旋回しろ!そっちは敵の罠だ!」
3機に狙われていた第55飛行隊隊長機がダイブした方向は、本命の3機目の射程範囲内だった。急降下して速度と距離を稼ごうとしたコルネット1の回避行動を嘲笑うように、敵機から放たれたAAMが炸裂する。
「くそっ、やられた!機体を元に戻せない……」
「ベイルアウト、ベイルアウト!」
「くっ……レバーに……手が……!」
唐突に無線が途絶え、ミサイルの攻撃によって火を吹いていた機体がバラバラに砕け散る。
「くそったれがぁぁぁっ!」
ゼビアス大尉が敵機との距離を一気に詰め、コルネット1を葬った敵機のコクピットを撃ち砕いた。敵機のキャノピーが真っ赤に染まり、機首がへし折れた敵機がバランスを失い、並んで飛行していた僚機に突っ込んで巨大な火球を出現させる。突っ込まれたパイロットの断末魔が響き渡り、その叫びが唐突に打ち切られる。
「こちら302飛行戦隊、付近を飛行中の友軍機、ならびに周辺航空基地、現在連合軍の航空機部隊の包囲下にあり、至急応援求む、応援求む!」
ECMの影響が無くなった今、ゼクアイン大尉のエマージェンシーコールは友軍基地に届いているはずだったが、反応は依然無し。状況は最悪だ。先日、私たちが救出した陸軍部隊と同じ立場に今や私たち自身が立たされていた。AAMも機銃も残弾はいよいよ少なくなり、全ての攻撃オプションが失われるのは目前だった。弾が尽きれば最後、機体をぶつけて特攻でもしてのけるか、追撃を振り切って逃げるか、どちらかしか選択肢はなくなってしまう。近くにいるのが臣民飛行隊ならともかく、最短距離にいるのがオブニル飛行隊では当てになるはずもなく、また彼ら自身敵部隊の包囲下にある可能性も否定出来ない。となれば、私たちが取り得る手段はただ一つ。
「もうこれ以上の戦闘は不要だ!全機、尻尾を巻いて逃げるぞ!!スーデントール方面へ強行突破しろ!!」
「ファルケ2了解!っとその前に、フォックス2!!AAM残弾ゼロ、身軽になったぜ!!」
「ファルケ3了解、隊長、一足先に退避させてもらいます!」
ゼビアス大尉の撃墜した敵機方面に突破口が開け、そこからファルケ2と3が離脱する。その後に追いすがったミラージュ2000をロックオンし、ミサイルをお見舞いする。近距離からの攻撃を回避できず、ミラージュのデルタが真っ二つになって爆発。炎と破片にさらされるのを回避して急上昇して反転、ファルケ4とファルケ5の姿を探し求める。

絶望的な戦況を生き延びたのは、隊長たちの厳しい指導と数々の激戦を潜り抜けてきた経験の賜物だった。全方向を敵に固められながらも、その隙間を突いて敵を葬り、脱出の機会を伺い続けてきたかいがあったというものだった。前を行くワーグリン少尉機の後に付いて、ゼビアス中尉たちの切り開いた突破口を目指す。ゼクアイン大尉と隊長が反転し、自分たちに迫る敵機に対して支援攻撃を行ってくれている。いつもいつも助けてもらってばかりだ、とハウスマンは思った。ひよっ子に過ぎない自分をここまで育ててくれたのは、どんな戦況でも部下たちを生還させようとしてきた隊長やゼクアイン大尉たちなのだ。そして今日もこうして彼らを助けることも無く、自分は脱出しようとしていることが不甲斐なかった。だから、後方から隊長たちの攻撃を逃れたMig-29が接近してきたことに気が付いた彼は、この敵を葬り去ることが恩返しになる――そう思い込んでしまっていた。行ける!ハウスマンは操縦桿を強く引いて機首を跳ね上げた。Su-27だからこそ実現できる戦闘機動――コブラで敵機をやり過ごし、攻撃の餌食にしてやろう、と彼は考えたのだった。
「馬鹿、ハウスマン、俺たちの機体なら振り切れる!余計なことを考えるな!」
「大丈夫だ、ワーグリン、こいつを倒したらすぐに行く!おまえは突破しろ!」
――だが、ベルカ空軍に隊長のようなエースがいるということは、敵空軍にも同様にエースがいる、という簡単な事実をハウスマンは失念していた。エース二人の攻撃を回避してくるような敵の腕前を、彼は軽く見て、そして致命的なミスを犯した。彼が敵をやり過ごしたと考えた高度は、その機動を看破した敵機のちょうど真正面だったのだ。垂直に立った機体の中でハウスマンが上を見上げたとき、そこには今まさに牙を突き立てようとしているMig-29の姿があった。自分が犯したミスをようやく察知したハウスマンは、全身の気が逆立つのを感じた。嫌だ、死にたくない。僕はこんなところで死ぬわけがないんだ。恐怖で口が開かず、喉の奥の方で微かに息が漏れるだけ。強張った身体はびくともせず、操縦桿がこれほど重いと感じたことは彼にとって初めての経験であり、そして同時に最後の瞬間だった。次の瞬間、キャノピーを突き破った機関砲の弾丸が、ハウスマンの肉体をいとも簡単に引き裂いていった。激痛を感じ、後悔する時間すらまともに与えられず、彼の若い肉体は血飛沫と僅かな肉片に砕かれ、そしてそれすらも機体の爆発によって蒸発してしまった。奇跡的に原形を留めたヘルメットだけが、弾き飛ばされて大地へと落ちていった。

「ハウスマン!応答しろ、ハウスマン!!」
だが、あれで助かるはずが無い、と心の中の声が告げる。コクピットをまともにぶち抜かれて、五体満足でいられるような人間はいない。あのまま突破していれば良かったものを、ファルケ4、ハウスマンは迎撃に行ってしまった。敵の中にもエース級の連中は大勢いる。そして、それは最悪の結果を伴ってやってきた。まるで落とされた仲間たちの復讐とばかりにファルケ4の機体を撃ち抜いた敵機が急上昇。そして、推力を失い、降下を始めたファルケ4のSu-27は程無く炎に包まれ、そして爆発した。
「ハウスマン……馬鹿野郎!」
「もうここに長居は無用だ、私たちも突破しよう、ゼクアイン!」
「くっ……了解……!!」
「やった、伝説の怪鳥部隊を落としたぞ!奴らも人間だ、残りの奴らも落としてやれ!」
「喜んでいる場合か!栄えある我らが空軍機が、たったあれだけの敵に大勢落とされたんだぞ!」
敵の被った損害も尋常ではなかったのだろう。執拗な追撃が止み、包囲網には綻びが生じていた。私とゼクアインは残っていたAAMをヘッドオンしてきた敵機に叩き付け、突破に成功した。スロットルを最大に叩き込み、最大戦速で離脱する私たちを敵機は追い切れず、やがて踵を返して去っていった。ようやく追撃から逃れたことを確認して、スロットルを緩める。過去、何度も目にしてきた光景だが、部下が目の前で戦死する光景ほど思い出したくも無く、そして忘れることが出来ない光景は無い。また、若者から先に死んでいった。そして生き残ったのは、もうすぐ中年と呼ばれる領域に近付いている自分。
「隊長、こちらのレーダーで機影を捉えました。ご苦労様でした……時にハウスマンは?ワーグリンと一緒ですか?」
私たちと合流を果たしていたワーグリンは、嗚咽の声をあげるだけで何も話すことが出来ない。その異様な気配を察したゼビアス中尉が息を飲む。冗談だろ……という微かな呟きがレシーバー越しに聞こえた。誰かが真実を伝えなければならないのなら、それは私の仕事だった。そう、私を追い抜き、祖国の将来を担っていくはずだった若者――ハウスマン少尉は、二度と私たちの前に姿を現すことは無いのだ。
「ファルケ4……ルシエド・ハウスマン少尉は戦死した。私は、救ってやれなかった……」
一番、その事実を認めたくなかったのは、多分私だったのかもしれない。
「どういうことだ?籠の中の怪鳥たちが5機、戦域を突破したぞ」
「馬鹿な。あれだけの敵の包囲を突破したというのか!?」
レーダーには、スーデントール目指して飛行を続ける戦闘機の光点が5機、映し出されている。
「ユークトバニア空軍も意外と役立たず揃いだったな。連中相手にドックファイトを仕掛けるからこんなことになる。あれでは、実質的に勝利したのはまたもフッケバインだ」
「忌々しい平民どもめ……!」
交わされる会話はいずれもおぞましい声ばかり。気の弱い人間なら、そのただならぬ雰囲気にさらされただけで気分が悪くなったろう。
「やはり、我々の手で確実に葬るのが一番のようだ。なに、手段はいくらでもある。祖国の英雄の名に相応しいのは、我ら選ばれし者たちだけだ。下賎の汚れたえせ英雄殿たちには、いずれ舞台から去ってもらえばいい。それだけだ。」
その言葉に部下たちが同調するのを、男は満足げに聞いていた。そう、ベルカの大義を実現するためには、彼らのような愚昧な平民どもの命などを考える必要は無いのだ。彼らは、放っておけば増える家畜でしかないのだから。そんな家畜どもが「英雄」だと?そんなことはあってはならないのだ。この国で最も強きものは、選ばれし階級、選ばれし血統に生まれた自分たちなのだから――。

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