スーデントール前哨戦
1995.5.27
記事の反響は予想以上のものだった。そして、予想以上の事態を招くことになった。ヒルデスブルク支局長が秘密警察に一時拘束され、尋問を受ける羽目となったのである。幸いなことに五体満足で支局長は戻ってきたが、国家による暗黙のプレッシャーをより一層身近に感じるようになった。だが支局長には申し訳ないが、今必要なのは正しい情報を発信し、真実を市民に伝えることだ。調査を進める中で、ベールに包まれていた統合戦略研究所の正体が少しずつ明らかになりつつある。いや、最早この組織を「研究所」と呼ぶのは相応しくない。統合戦研とはあくまで便宜的な名称に過ぎず、実際にはこのベルカのいくつかの省庁や国営企業(特に軍需産業)は実は統合戦研の下部組織に過ぎないのだった。そして戦研の上には、ベルカ公がいるのみ。支局長の取り調べを行った秘密警察も、実際には統合戦研に属する諜報部の出先機関、ということになり、彼らは明らかにベルカ公とその取り巻きたちの意向で動いている。残念ながらこの事実を記事として公表することは難しいだろうが、不測の事態に備えて記録しておくことにする。そして今、彼らが何を画策しているのか――それが明らかになることで、連合軍との戦争の行く末が判明することだろう。
それはそうと、「鉄面」ビスマルク公亡命の噂が立っている。首都にいる記者連中の話では、公が極秘裏にベルカを脱出してオーシアに亡命した、という話が軍の上層部や政府の内部でまことしやかに囁かれているのだとか。しかし、他の貴族連中ならともかく、ビスマルク公爵が亡命などという選択をするはずがない、と記者としての勘が告げている。この国が戦争という選択を決めたときでさえ、最後の最後まで自重を求め続け、政界を追われた後もこの国に留まって停戦のタイミングを虎視眈々と狙い続けていたあの御仁が、そんな簡単に亡命という選択を取るとは思えないのだ。敗戦は必死というこのタイミングになって、ベルカ公たちが頭を下げたのか、それとも何か別口の交渉事が水面下で行われるのか――いずれにせよ、先日まで行われていた外交官たちの交渉事に比べれば、はるかに内容の濃い議論が行われることに違いない。もっとも、それは「交渉」のテーブルがある場合に限るが。仮に「亡命」が本当ならそんな機会はあるはずもないのだから。だが、あの老獪な公爵はそういう非難を浴びせられることも計算の上なのかもしれない。「ビスマルク公」ほどの人間が亡命するとなれば、より次元の低い貴族たちは亡命か滅亡かの選択を突き付けられることになるし、連合軍にしてもそれだけの人物が亡命ともなれば、ベルカの崩壊は近いと見て総攻撃の準備に入るかもしれない。そうなれば、嫌でもベルカは和平のテーブルにつかざるを得なくなるのだ。もう充分、ベルカの人間は戦争で命を失っている。勝手な期待かもしれないが、停戦交渉が進められることを望みたいものだ。
ついに祖国は南ベルカを失った。南ベルカ諸都市は、ベルカ公・ベルカ政府の発した「無血開城禁止」という方針に従うことなく、「市民を戦火から守り、一刻も早い終戦を実現する」ため次々と無血開場に踏み切ったのだ。そして、とうとう国営兵器産業廠の置かれているスーデントール市だけが残った。最早バルトライヒ山脈のふもとに位置するスーデントールを南ベルカと呼ぶことが出来るのかどうか疑問である。ノルト・ベルカへと続く最も効率的なルートはスーデントールを抜くしかなく、事実上、この町での戦闘が最終決戦になるはずだ。だが、それは連合軍が真正面からの激突を選択した場合のみの話だ。仮にスーデントールを無視して――過酷な山越えを伴うが――別ルートからノルト・ベルカへの侵攻を開始すれば、篭城軍はその進撃を食い止めるために出撃しなければならない。だがそのときには、戦力が減ったスーデントールに連合軍がなだれ込んでくるだろう。どの局面を取っても、連合軍圧倒的優位、祖国は絶体絶命。そんな状況であるが、前線の兵士たちはむしろ落ち着いている。どちらにせよ、この戦いを生き延びれば、敗戦国の市民という立場に甘んじることになるとはいえ、戦場から解放されるのだから。私も、そう考えていた一人だった。
ヒルデスブルクにスクランブル発進命令が下されたのは、南ベルカ全土陥落によって基地の食堂のメニューがどんどん品薄になっていることを部下たちがぼやきあっていたときだった。せっかく昼飯にありつけると思ったのに、とゼビアス中尉が叫びながら駆け出し、空に上がってからもまだぼやいていた。南ベルカを手にした連合軍は、いよいよスーデントール攻略に向けて本腰を入れ始めたらしい。この空域だけでなく、複数の空域にオーシア領から偵察機が高空侵入――SR-71だった――し、偵察活動を開始。さらに、戦闘が想定される空域には戦闘機部隊も侵入してきていた。空軍司令部はまさに大騒ぎというところで、バルトライヒ山脈近辺に位置する航空基地に一斉にスクランブル発進をさせたものの、攻撃目標の指示を出撃後に行う有様だった。空中管制機ヒンメル・オウゲとのコンタクトが付いた私たちは、スーデントールから出撃していた空中給油機による補給を受け、南方から接近中の目標へ向けて上昇を開始していた。何しろ、相手は高空飛行を可能にした高速偵察機。いかに私たちの愛機がSu-27を改良したカスタム機であるとはいえ、高度20,000mを飛ぶ連中を相手にするには分が悪かった。スーデントール要塞からSAMを発射してもらうのが最も効率的なはずなのだが――。
「こちらファルケ0。ヒンメル・オウゲ、我々への作戦指示は来ているのか?」
「戦争中だっていうのに、司令部の連中は昼寝でもしていたんだろうか。部隊名は来ていないが、SR-71に対する攻撃オプションを搭載した部隊が間もなく到着予定。貴隊には、その部隊の護衛任務が下されている。――レーダーで友軍機を捉えた。友軍機6機、接近中」
私たちのレーダーにも、友軍機の機影が映し出されている。巡航速度でゆっくりと高度を上げつつ、2つのトライアングルが接近してくる。
「……こちら203、グラーバク飛行隊。空中管制機、攻撃目標を指示されたし。新開発のAAMによる迎撃テストを実施する」
「こちらヒンメル・オウゲ、試作モデルの実射テストなど聞いていないぞ。それは軍令部からの命令事項か?」
「スーデントール軍司令の判断として命じられた。地上広域管制本部による誘導迎撃を試みる。ヒンメル・オウゲには敵機のトレースを依頼したい」
「……了解」
返答までの沈黙が、ヒンメル・オウゲ自身も納得していないことを告げていた。程なくして、見覚えのあるF-15Cが私たちを一度フライパス。左右に旋回した彼らは、高度を揃えて私たちの横にポジションを取った。尾翼には、悪いイメージの付きまとう蛇のエンブレム。つまり、私たちが護衛する対象というのは、こいつら――グラーバクというわけだ。悪い冗談だ、とゼビアス中尉がぼやいている。全く同感だった。
「こちらグラーバク1、怪鳥部隊の支援を受けられるとは光栄です。よろしくお願いしますよ、大佐」
「こちらファルケ0、任務は遂行する。そちらの作戦を全うされたし」
私は横を並んで飛ぶ彼らの機体に視線を移した。F-15Cの翼には、私たちの基地では見たことの無い大型のAAMが搭載されている。あれが、彼らの言う「新型」なのだろう。形状はオーシア空軍の一部部隊で運用されているAIM-122にも似ている。攻撃位置に入ったのか、彼らの機体が高度を上げ始める。私たちは速度を同調させつつ、高度を変更せず周辺空域へ注意を払う。特に機影はない。レーダー上にも感なし。
「グラーバク1より、シャンツェ。これより迎撃テストを開始する。目標への誘導を開始せよ」
「こちらシャンツェ、了解。……グラーバク、攻撃目標から南に110キロ付近、敵部隊を発見。数は18〜20、目標を追うように北上中」
「グラーバク1、了解。4発をSR-71へ、残りを敵部隊へ誘導せよ。全機、安全装置解除。攻撃態勢を取れ」
私たちの頭上で、グラーバクが攻撃態勢を取る。まだ私たちのレーダーに、その敵部隊の姿は映っていない。その姿を捉えているのだとすれば、「シャンツェ」とやらのレーダー性能は相当のものであることが分かる。が、私たちはそんな施設の存在を知らない。
「グラーバク1、フォックス3!」
「グラーバク3、全弾発射!!」
「シャンツェより攻撃隊、ミサイルの発射を確認。レーダー誘導開始。目標に向け、全弾加速中」
F-15Cの編隊の姿を覆った白い排気煙はあっという間に青い空に吸い込まれていく。SR-71に対するものであろうミサイルは上空へと姿を消し、「シャンツェ」とやらが捕捉した敵戦闘機部隊に対するものは、ほとんど同高度の空を切り裂いていく。
「くくく……ベルカに逆らうことが、我々グラーバクに歯向かうことがどういうことか、連中は身を持って知ることになる。最強の名は、我々のものだ!」
「寝言は寝てから言えって言うよな。まだ命中もしてないうちから気は抜かないほうがいいと思うぜ……おっと、今のは独り言ですよ」
「何だと!貴様、事あるごとに私に楯突きやがって……!」
「いや、ファルケ2の言うとおりかもしれない……敵戦闘機部隊をこちらでも捕捉。当初高度から大幅に高度を下げて散開している。どうやら、向こうさんにも空中管制機がいるみたいだね」
私たちはコンバットフォーメーションを組み直した。ミサイル攻撃を捕捉されたということは、私たちの位置もまた敵に知られたということに他ならない。運が悪ければ、反対に長射程AAMによる攻撃を受けてしまうこともあり得る。いずれにせよ、生きて帰るための行動を今はすべきだった。降下させつつ速度を稼ぎ、高度計が10,000フィートに達したところで水平飛行へ移行。充分に得た加速を保ったまま、敵戦闘機部隊へヘッドオン。グラーバクの連中も、さすがにそこは無能ではなく、私たちのやや後方で、散開した敵部隊の一方へと機首を向けていた。
「ヒンメル・オウゲより、ファルケ0。敵部隊の数は9、針路・速度に変更なし、君たちの真正面だ。グラーバク1、そちらの敵機も9、さらに別働隊が6……多分これが本命だろう、大型機みたいだ。合計24機を確認した!スーデントールより、待機中の友軍機がスクランブル発進中!」
「ファルケ0、了解。みんな、聞いての通りだ。気を引き締めて行くぞ!」
「ファルケ1、了解」
「ファルケ5、了解しました!」
私たちの機体のレーダーにも、いよいよ敵影が映し出される。3つのトライアングルはほぼ同高度、真正面から突っ込んでくる。相対速度M3近くで接近する敵は、見る見る間に私たち目掛けて迫ってくる。私は目前のHUDに集中した。敵からのAAM攻撃は無い。……騎士道精神、というわけではないだろうが、真っ向から勝負するつもりのようだ。真正面で微かに太陽光が煌く。その刹那、衝撃が機体を揺さ振り、続いて轟音が通り過ぎていく。機体を180°ロールさせて反転しつつ、自分たちの後方に抜けた敵機の姿を追い求める。すっかり見慣れた、可変翼――F-14の編隊がそれぞれ散開し、獲物たる私たちを刈るため包囲を狭めようとしていた。私たちもそれぞれの獲物に狙いを定め、散開。手近にいる敵に次々と襲い掛かっていく。私は上方へブレークした一隊を自分の目標に決めた。
「ファルケ3、エンゲージ!」
「ファルケ2、目標捕捉、ファイエル!」
たちまち蒼穹の空は戦闘機たちの描く白い排気煙がたなびく、戦いの空へと姿を変える。機体を90°バンクさせそのまま急旋回。視界に垂直に切り立った空と大地の境界線。人間が耐えられる限界を超えた機動性を秘めたSu-27は敵機の予想を上回る旋回半径で回り込むことに成功し、F-14の独特の後背が目の前に姿を晒す。が、素早い機動で私の追撃から逃れようと、旧降下へシフトする。可変翼が閉じていき、三角形になっていく敵の後を追って私も降下を開始。照準レティクルには、F-14の大きな垂直尾翼がはっきりと捉えられている。スロットルレバーを押し、更なる加速を得た私は、オーバーシュート寸前で機関砲のトリガーを引き、次いで操縦桿を手前に引き寄せた。視界が一瞬ブラックアウトするGを受けながら反転上昇。尾翼を破壊された敵はこちらを追撃することが出来ず、そのまま降下を続けていく。エンジン付近から吹き出した黒煙が、白い雲とコントラストを作り出す。
「くそ、動きがいいと思ったら、こいつら怪鳥部隊か!?おいシギュン、早く脱出しろ!」
「分かってる!今機体を立て直しているんだ……よし、OKだ。これで休暇もらえるといいんだがなぁ……ベイルアウトする!」
思わず吹き出しそうになる会話は敵のものだ。が、戦闘機は極端なことを言えばいくらでも補充が出来る。だが、腕利きのパイロットの補充は、相当の年数を要するのだ。祖国の引き起こした戦いは、結果として周辺各国に優秀なパイロットを生み出し、対照的に祖国のパイロットたちは次々と命を失い、減じていく結果を招いたのではなかろうか?生還の好機があれば脱出して名誉挽回を志す彼らこそ、戦闘機乗りの鑑なのではなかろうか……。一瞬の油断を突き、敵が私の後方に回りこむ。いや、どうやら単機ではないようだ。「怪鳥」がいる、と聞いて、どうやら敵は大将首を挙げることに夢中になってきたらしい。けたたましい警告音が鳴り響く。レーダー上で見ても、私を狙って編隊を敵が乱し始めていた。バリバリバリバリ、と耳障りな音が機体を追い抜いて、虚空に曳光弾の筋を刻み込む。後方から、2機のF-14が互いに功を競って食いついてくる。90°方向からは、さらに別の一隊。機体を捻りながら急上昇。敵機から放たれたAAMが攻撃目標をロストしてまっすぐと空を切り裂いていく。私はそのまま大きくループ。敵機も続いてループへ移行し、90°方向から攻撃を仕掛けようとしていた一隊も包囲網を作るかのように回り込んでくる。敵にとっては、絶好の好機のように見えただろう。だが、そこは、ファルケ1たちが仕掛けた罠の入り口だった。既に自分の獲物を狩り終えた部下たちは、残敵を葬り去るためのポジションを取っていただけだった。ループで私を追撃していた2機のF-14は、さらにその上空で待機していたファルケ3と5に機関砲の集中打を浴びせられ、激しく痙攣するように部品を撒き散らしていった1機はそのまま空中分解。もう1機は両翼をへし折られ、姿勢を保つことも出来ず、エンジンが生み出した強大な力に振り回されていく。そしてそのまま大地へと叩きつけられて四散した。
「くそ、怪鳥は目前なんだぞ!」
「シザース1、回避しろ!後方に敵機!!」
「敵の数は最初に数えておくんだな。隊長にばかり苦労をかけるわけにはいかねぇんだよ!!」
ゼビアス中尉機が、私の側面からリアタックを仕掛けようとしていた一隊に対しAAMを発射。ファルケ2はそのままクルビットで方向変換し、最低攻撃距離以内で発射されたAAMの爆発から逃れる。至近距離から放たれたAAMは獲物の腹を容赦なく食い破った。直撃を食らった敵機はパイロットたちが脱出する間もなく炎に包まれ、彼らにとっては不幸なことに、空中で2機は激突して大爆発を起こした。断末魔の悲鳴は唐突に雑音にかき消され、真っ赤な火球と黒煙が空中で膨れ上がり、圧倒的なエネルギーと衝撃でF-14の亡骸を引き裂いてばらばらにしていった。立て続けに友軍機を撃墜された残存機は、方位180に転進して逃げ出し始めた。ここ最近の戦闘で、これだけ短時間で片がつくのは珍しい。
「罠に誘われていることにも気が付かないとは、まだまだ敵さんも未熟なようですな」
「同感だ、ゼビアス中尉。そもそも、隊長に目がくらんで編隊行動を乱しているんじゃ、どこかのお坊ちゃまたちと大して変わらんからな」
「ファルケ5よりファルケ1、その「お坊ちゃま」たちに聞こえてしまいますよ」
部下たちは余裕、というように、何事も無かったように私の両翼に展開した。これなら、本隊に追撃をしかけることも出来る。多少ではあるが、スーデントールに対する総攻撃をふせぐための時間稼ぎになる。その間に、ビスマルク公による和平交渉が進めば、もしかしたらこれ以上の戦闘は必要なくなるかもしれない――だが、そんな私の想いは甘いものでしかなかった。
グラーバクたちが、敵部隊の餌食になっていたのである。
HUDには逃げ惑う敵機の姿が完全に捕捉されている。旋回を繰り返し、高Gの負荷を全身で受け止めながらの戦闘はこちら側に分があったようで、敵機の機動はまるで息切れしたかのように鈍くなってきていた。よく聞き取れないベルカ語の叫びは、自分の狙う獲物のものだろうか――副座のコクピット、前席で男は苦笑いを浮かべながら、敵にトドメの一撃を加えるべく、トリガーにかかった指先に少し力を込めた。封印から解き放たれた機関砲の鉛球は、F-15Cの垂直に屹立した尾翼付近に吸い込まれ、エンジンと尾翼の一部を吹き飛ばした。エンジンから黒煙を吹き出して姿勢を崩した敵機の、もう一方の尾翼には、蛇を模したエンブレム。男は舌打ちした。機体自体には深刻なダメージを与えていないにもかかわらず、乗っているパイロットは泡を食って脱出することも姿勢を直すことも出来ないのだ。友軍のSR-71を叩き落す連中だから、てっきりこちらが噂の「怪鳥」たちかと思えば、何の事は無い、隊長機と副長機以外はほとんど烏合の衆というような連中だったのだから。さらに彼を苛立たせていたのは、彼らが苦戦する部下たちを支援しようともしないことだった。最初だけは威勢良く襲いかかってきた連中は、2機を落とされ、2機が被弾して戦闘能力を失い、今や自分たちの包囲網の中に囚われつつあった。
「方位270から、敵影5、急速接近中!第335飛行中隊は2機を残して全滅、撤退した模様です」
「何だって?335はそんなに腕の悪い連中ではなかったはずだぞ!?おい、ビーグル、きちんとレーダー見ているんだろうな?」
「キャプテンよりも視力だけは良いですよ!」
「隊長機より、ブービー。どうやら、おまえさんの恋人が現れたみたいだぞ。335の生き残りが、「怪鳥が現れた」と言った寄越した。こいつは、ヘビーな戦いになりそうだ」
――怪鳥が。男はマスクの下で笑みを浮かべた。ホント、戦争なんてろくなもんじゃない。おかげでハートブレイクまでする羽目になった。だが、自分の力の限りを尽くしても勝ち目が無いような凄腕を相手に出来ることに、戦闘機乗りの血が騒ぎ出す。怪鳥フッケバイン。まさに最高のご馳走だ。出来るなら、戦勝パーティのメインディッシュにしたいくらいだ。そして同時に、緊張で気も引き締まってくる。何度か戦場で出会った敵の機動は、鳥肌モノだったのだから。およそ「ブービー」という可愛い呼び名に相応しくない、いかつい男の顔に、精悍な笑みが浮かんでいた。
「グラーバク隊は、1番機と2番機を除いて戦闘不能!敵さん、なかなかの凄腕揃いだ。あの「ドラ猫」も混じっている。気をつけろ、フッケバイン隊!」
「そっちもな、ヒンメル・オウゲ。連中に掴まらないうちに退避しといてくれよ!」
「ありがとよ、ファルケ2!グッドラック!」
グラーバクの連中だって、決して無能ではないはずだった。だが、アシュレー中佐と副官のレンネンカンプ大尉以外の機はあるものは撃墜、あるものは撤退し、残った二人も圧倒的多数の攻撃を必死になって回避するのが精一杯、という状況だった。敵の数は8機。どうやら、こいつらはそうそう簡単にはやらせてくれないようだった。私たちの接近を察知した敵影がターン。私たちを正面から出迎えるべく突入してくる。アウグスト中尉とワーグリン少尉が右へ急旋回。私の後にゼビアス中尉とゼクアイン大尉が続く。減速することなく、私たちは一気に敵部隊へヘッドオン。すれ違いざまの攻撃はあきらめて、操縦桿を握る力を強める。数秒後、互いの轟音と衝撃波に機体を揺すぶりながら、私たちは敵機と交錯した。クルビットで急速反転してそのうちの1機に狙いを定めようとしたが、無茶と言って良いような急旋回で別の1機が機関砲をばらまいてきた。追撃を諦め、私はその敵機に狙いを定める。再びすれ違って、互いに正反対の方向へ急旋回。
「また会えたな、怪鳥!このジャック・バートレット様が相手だ、かかってこい!!」
どうやら「ドラ猫」の男らしい。後から見ると、良く耐えられるもんだ、というような高G機動を駆使して、私のロックオンを巧みに交わしていく。こいつは本物だ。無茶なのではなく、基礎を抑えたうえで、限界まで戦闘機を操ることが出来る、言わば飛行機に愛された人間だ。一見無謀のようにも見えるが、それは計算されたまさに「ベテラン」の技なのだ。ならば、と距離を詰めて至近距離からの機銃攻撃を狙うが、F-14の大きなエアブレーキが突然開き、減速した機体が目の前へと突入してきた。オーバーシュートを狙われたか!無様に背中を晒す愚を犯さぬよう、急降下して速度と距離を稼いで反転する。「ドラ猫」も、折角稼いだマージンを無駄にしないように、一旦追尾を放棄して私からの距離を取る。部下たちも苦戦を強いられているようで、有効な攻撃ポジションを取れないまま、火花だけが散らされている。グラーバクはというと、依然敵部隊の追尾から逃れることが出来ず、低空を回避行動中。何度かの旋回の後、ようやく「ドラ猫」の背中を捉えることに成功する。アフターバーナーの炎を焚いて、敵機が猛然とダッシュ。そしてズーム上昇。私もその後を追ってスロットルをMAXに叩き込み、アフターバーナースイッチをON。愛機は重力を無視したかのように上昇を始め、獲物の後を追う。上昇角80°近くの急上昇。照準レティクルに捉えられないよう、まるで後に目が付いているかのように敵が逃げていく。高度計はあっという間に20,000フィートに達する。そこまで上がって、F-14は急減速。エアブレーキが開かれ、三角形になっていた機体が翼を広げる。背面からひっくり返るように反転した「ドラ猫」の機関砲がこちらを向く。互いに相手を一瞬、照準レティクルに捉えてトリガーを引く。双方の発射した機関砲が宙を切り裂き降り注ぐ。敵は急降下しつつ、私はそのまま上昇しながら、機体をロールさせて攻撃を回避。ビシッ、という音が響く。直撃はしてないから、どこかを衝撃波がかすめていったようだ。急加速していく私を振り切るかのように、「ドラ猫」が垂直降下していく。その針路上を別のF-14とゼクアイン大尉が通過していく。一進一退のドッグファイトを強いられているのは、この場にいる皆同じようだ。よく気絶しないものだ、と舌を巻きそうになる引き起こしで「ドラ猫」が反転。こちらも捻りこみながら旋回し、7Gをかけてこちらも水平飛行に戻す。周囲は複雑な白い雲に彩られ、双方のアフターバーナーの赤い光が空に明滅していた。コクピットに電子音。警報ではなく、それは無線のコール音だった。
「何をしている、怪鳥!我々の退路を確保するのが貴様たちの任務ではなかったのか!?早く、早く我々を援護しないか!?」
いつもの冷静さを失った声は、アシュレー中佐のものだった。2機の敵機に追い回されながらも被弾していない腕前は見事と言ってよかったが、中にいる人間はそれほど大丈夫ではなさそうだ。
「こっちだって交戦中なんだ、偉そうなこと言っているんじゃねぇ!支援されている身で何をほざいてやがる!」
階級的には4つ下のゼビアス中尉に怒鳴り飛ばされて中佐は沈黙する。
「試射テストだか何だか知らないが、SR-71以外当たってねぇだろうが!そんな暇があったら、もっと信頼度の高いミサイルを積んでくれば良かっただろう!?」
「よせ、ゼビアス中尉」
「いやしかし、隊長……!」
ゼビアスの怒りは収まらない。だが、ここで冷静さを欠けば、ゼビアス自身の命が危険にさらされる。全く、グラーバクの連中め、何をしても人の手を煩わせてくれる。「ドラ猫」との距離が大きく開いたのを幸いに、私は目標を変更。グラーバク1をしつこく追撃する敵機の一方に狙いを定める。追撃に意識が行って、単調な動きになっている片割にレーダーロック……ロックオン!軽い震動と共に発射されたAAMが、敵機との彼我距離を一気に駆け抜けていく。今更ながら急降下して回避機動を取り始めるが、時既に遅し。右エンジン付近を直撃したAAMはたちまち炸裂し、F-14の胴体を引き裂いた。衝撃で軽いスピン状態に陥った敵機のキャノピーが吹き飛び、パイロットたちが虚空に打ち出される。
彼らを巻き込まないよう旋回。「ドラ猫」が背後にへばりついているんじゃないか、と背後を振り返ってみるが、相手はそのつもりはなかったようで、少し離れた空域を旋回していた。
「高貴なるベルカの力を思い知れ!!」
追手の一方から解放されたグラーバク1が、まるで別人であるかのように勢いを取り戻す。ハイGヨーヨーで敵機をオーバーシュートさせることに成功した中佐は、鬱憤晴らしのように機関砲弾のシャワーを撃ち込んだ。蜂の巣になったF-14は黒煙を吹き出しながらも高度を保ち、そして弾けとんだキャノピーの下から、パイロットたちがベイルアウト。先ほどのパイロットたちに加え、さらに2つ新しいパラシュートが花開く。ようやく追撃から逃れたF-15Cが、私の真横にポジションを取る。直接顔を見たことは少ないが、グラーバク1、アシュレー中佐の姿がキャノピー越しに見える。ふう、と軽くため息を吐き出し、私は堪忍袋の緒を少しだけ切ることにした。
「部下の撤退を支援することも出来ず、追い回されているような隊長を持って、貴隊のパイロットたちは不憫ですな、中佐。それにね、私たちはここまで可能な限りの速度で駆けつけ、支援に当たったんだ。これ以上、何を望む?そもそも、貴官の技量不足が苦戦を招いたんだ。隊長失格だよ、アシュレー中佐。帰還後速やかに転属願いを出すことを進言する。それが祖国の兵士たちのためだ」
「な……何だと!?」
それきり、アシュレー中佐は黙り込む。少しだけすっきりした胃の辺りを撫でつつ、私はレーダーに目を落とした。2機を撃墜された敵部隊はどうやら撤退を決めたらしい。隊長機と「ドラ猫」の2機が牽制するように飛行しながら、1機ずつ敵機が空域を離脱していく。やがて最後の1機がゼビアス中尉の追撃を逃れると、弾幕のように残ったAAMを撃ち放ち、そして一目散に来た方向、南へと去っていく。敵ながら見事な引き際だ。既にスーデントールを除けば全土が陥落した南ベルカだ。脱出したパイロットたちは、連合軍の別働隊によって救助されるのだろう。戦闘を終えた部下たちは、全員健在。特に被弾も無く、トライアングルフォーメーションを展開する。ゼビアス中尉が親指を立てているのは、彼が言いたかった分も含めて、グラーバクをこき下ろしたお礼だろう。居心地の悪い場から逃げるように、グラーバクの生き残りが撤退していく。おいおい、まだ撤退命令は出ていないはずだぞ。
「こちらヒンメル・オウゲ、周辺空域に敵影無し。爆撃機と見られる別働隊も、スーデントールからスクランブル発進した友軍機によって殲滅された。作戦終了だ、第302飛行戦隊。ご苦労様!それにしても、気分の良い啖呵を聞かせてもらいました、大佐!」
「そっちこそ、指揮のしがいの無い作戦機のお守で疲れたんじゃないか?お互い様だよ」
「作戦司令部には顛末を良く伝えておきますよ。全く、敵さんのほうが余程信用できそうだ」
皮肉なものだが、ヒンメル・オウゲの言うとおりなのだ。「ドラ猫」のパイロット――ジャック・バートレットと言ったか?友軍機の脱出を待って最後まで戦域に留まり、殿を務めて見せるその姿勢は賞賛に値する。もし彼が仲間だったとしたら、恐らく私は背中を任せるだろう。もっとも、そんな日が来ることは無く、彼は最後まで私たちの前に立ちはだかるのかもしれないが――。
1995年5月30日。連合軍司令部は、ベルカの最終拠点であるスーデントール市に対する全面攻勢を行うため、部隊の再編成と集結を命じたことを明らかにした。そして、この日は、私たちの戻るべき場所であるヒルデスブルクに、招かれざる客たちが訪れた日となった。今になって思えば、この時に私は気が付くべきだったのかもしれない。舞台裏で進められていた、恐るべき、嘆くべき事態に。