終わりの始まり


1995.5.30
最終決戦が近付いている。南ベルカ全土の掌握に成功した連合軍は、ベルカ軍が抵抗を続ける限り、首都陥落を目指した作戦行動を継続すると宣言。祖国の最終防衛線であるスーデントール市攻略のための準備を着々と進めている。これまでは目にしたことも無い、連合軍の偵察機や或いは戦闘機が時折このヒルデスブルクの上空を通り過ぎることもある。怪鳥フッケバインに守られたこの街でさえ、である。とはいえ、彼らは攻撃を行うのではなく、もっぱら市民への投稿の呼びかけのビラをばら撒いているのだ。曰く、無駄な戦いを終わらせて、共に平和への道を歩みだそう、と。その趣旨は至極もっともなのだが、軍と秘密警察が目を光らせているこの国で連合軍の呼びかけに素直に応えるのは自殺行為に等しい。良くて強制収容所送り、悪ければスパイ罪を適用されて、拷問付きの処刑コース、と相場は決まっている。だがしかし、私の立場も今や似たようなものだ。この戦争の背後で蠢いている何かを追うことは、必然的に軍機や極秘事項に抵触するリスクを犯すことになる。ヒルデスブルクを離れて取材している間に、支局にはとうとう秘密警察が「事情聴取」に訪れた。幸い、彼らは支局において何の証拠も掴むことが出来ず、誰も連行されることもなく、また私自身、彼らに尻尾を掴まれるほど馬鹿ではないから、一切の「問題の品」を手元に持っておいたことが幸いした。そう、フッケバインたちを陥れようとした者たちの通信記録を含め、大切なものは全て私の鞄の中、というわけだ。これらも、隠れ家に分散して隠しておく必要がありそうだ。

取材を口実として滞在しているスーデントール市で、妙な噂を耳にした。兵器産業廠の一角、軍需部門の新兵器開発ライン地区にある臨時滑走路が航空基地化され、これまで見たことも無い前進翼の戦闘機が飛んでいるのだという。その戦闘機たちは、市街地地区などの上空で、急降下からの引き起こし、急上昇で離脱、という訓練を繰り返している、という話もある。近くなった決戦に備えて、新たな対地攻撃部隊でも編成されたのだろうか?それともう一つ、この区画に数機の輸送機が集結し、バルトライヒ山脈の向こうにばらばらに飛んでいった、という話だ。決戦に備えて、兵器産業廠からの物資輸送が行われたと言えばそれまでだが、それならば輸送機は新兵器開発地区ではなく、兵站弾薬管理地区に行くはずである。何が運ばれていったのか?見たことも無い前進翼の戦闘機のような新開発の兵器でも積んでいったのだろうか?街で見かける兵士たちの顔には、どこか安堵の表情がある。不思議な気分になるが、泣いても笑っても、このスーデントールの戦いが事実上、ベルカにとっては最後の戦闘になるのだ。ここを生き延びれば、家族たちの元に帰ることが出来る。彼らは、そう考えているのかもしれない。そういえば、妻と娘の顔をしばらく見ていない。ようやく春の息吹が感じられるようになるであろう、北の町で暮らす彼女達と再会するためには、やはり戦争の終結を待つしか無さそうである。
「ったくよぉ、チンタラ浮いてないでさっさと来いってんだ!」
大空に向かって、ゼビアス中尉が吠えている。連合軍によるスーデントール攻略は最早決定的となり、これまでにない規模で偵察機が飛来しているだけでなく、再編された陸軍部隊が着実に包囲網を形成しつつある。軍令部はこの期に及んでも強気であり、「兵器産業廠の中には、連合軍の軍事力と同数の兵器が眠っているのだ。だから我々に負けは無い」と半ばやけっぱちの発言を繰り返している。いくら兵器があっても、中に乗る兵士がいなくなってしまえば、単なる無用の長物でしかないのにもかかわらず――。ヒルデスブルクの上空ですら偵察機の侵入を許すこともあり、私たちはとうとう「フロッシュ」で全員揃って酒を飲み交わす時間も取り上げられてしまった。三交代で待機任務につき、周辺空域での哨戒・迎撃任務に就く私たちの基地に、またも招かれざる客人たちがやってくることになり、その彼らの到着を待つよう命令が下されてしまったので、待機明けのゼビアス中尉が叫んでいるというわけである。早く帰らせろ、と。スーデントール市から派遣されてくるのは、またも統合戦研指揮下にある輸送部隊としか報告されていないが、「統合戦研」という名を聞くだけで、部下たちはたちまち顔をしかめる。私とて、似たようなものだろう。人の命が戦場で浪費されている様を高台の展望室から眺めているような連中が持ち込むのは、厄介ごと以外の何物でもない。事実、私たちは出撃も出来ず、こうして無駄な時間を過ごす羽目になっている。これも小さな厄介ごとと言っても良いだろう。
「しかし、この時期になって、わざわざ最前線のスーデントールから何を運んでくるんでしょうね?」
「案外、私たちの戦いをようやく評価した司令部が、新型機のプレゼントでも送ってくれたのかもしれないぞ。ワーグリン少尉は聞いていないか?最近、スーデントールの上空で前進翼の戦闘機を見たって奴がいるらしい。オーシアでは確かに10年ほど前に、X-29とかいう試作機が飛んでいたこともあったが、祖国でそんな開発計画が進められている話は聞いたことないがね」
「あれですかね、民間資本も入っているっていう、ゼビアック社の新型機。何でしたっけ、S-37とかいいましたか?」
「あれはまだ、モックアップすら出来てないそうだぞ。そもそも開発計画を外国に売り払うという話まであるそうだ」
しばらく出撃が無いようなので、長編物の小説を取り出したアウグスト中尉が本から目を話してワーグリン少尉の問いかけに答える。どこかのんびりとした時間が過ぎているように見えて違和感があるとすれば、私たちが全員パイロットスーツを着込み、実戦装備を搭載したSu-27が格納庫前に並んでいることだろうか?
「コントロールより、各員に伝達。間もなくお客さんが到着する。滑走路で作業中の隊員は作業を中断して退避せよ」
雑音混じりの声が、拡声器を通じて木霊する。どの飛行ルートを飛んできたのかは知らないが、ようやくお客さんたちが到着のようだ。ヒルデスブルク基地の滑走路は2本。横風用と通常用の滑走路がクロスしているわけだが、そのうち通常用の滑走路の先の空に、輸送機の機影がかすかに見える。機首にライトが光っているのは、ギアダウンしている証拠だろう。C747Fの巨体が2機、ファイナルアプローチに入って高度を下げつつあった。
「これまた、C747Fとはね。そんなデカブツが必要な物資、うちに必要なんですかね?」
「数時間前に武器弾薬の類は届けられたんだけどな。案外、新型機でも持ってきてくれていたりしてな。ゼビアス中尉、乗ってみるかい?」
「そうだとしたら、真っ先に大佐のものですな。私は最後で結構ですよ。……人見知りしますんでね」
およそ人見知りという言葉から程遠いナリのゼビアス中尉がにやりと笑う。しかし、今この時点で慣れない機体を渡されるのも正直なところ、いい迷惑なのだが……。そんな私の心中を見透かしたように笑いながら、今日もツナギ姿のボルツマイヤー大尉が工具箱を手に近付いてきた。
「ごっついの来てますけどね、残念ながら機体はつんどらんようです。司令からも格納庫に物資を搬入するという話が来てないんで、特に対応要員もつけとりません。どうやらあの機の連中、あそこが定位置になるようで」
そう言って大尉が指差したのは、滑走路の一番端、現在は誰も使用していない訓練棟の建っている空間だった。かつてこの基地で新米たちの教練を行っていた当時は、新米たちが寝起きしていた場所であるが、この戦争が始まって以降は誰も使用していない。しかし、得体の知れないよそ者ともなれば、仮に無人の設備であったとしても触れて欲しくない、というのが隊員たちの本音だろう。そうこうしている間に、戦闘機とは異なる重い金属音を響かせながら、C-5が近付いてくる。そしてまず1機目が滑走路にアプローチ。ランディングギアのタイヤが白煙を上げ、逆噴射の激しい爆音が耳に突き刺さる。減速したC747Fは、そのまま誘導に従って、「定位置」へと移動していく。2機目のC747Fは基地上空で大きく旋回し、ファイナルアプローチ。1機目よりはスムーズにタッチダウン。定位置に到着したC747Fにはタラップ車が取り付いて、ようやくドアが開かれる。ぴしりと制服を着込んだ士官らしき男の姿が見えたが、あれは先日訪れたヒステリックな若者――フランクケインといっただろうか?あのお守が必要かと思うと、気が滅入ってくる。ワーグリン少尉とアウグスト中尉がそれぞれの愛機へと走っていく。お客さんの着陸が完了したので、今度は哨戒任務に就く彼らの離陸、というわけだ。
「大佐!クライヴ司令からお電話が入っています!」
格納庫の一つから、整備兵が大声で私を呼ぶ。なるほど、どうやら私には出撃の代わりの仕事がきちんと用意されているようだった。

「ファルケ3よりコントロール、C84ブロック、異常なし。続けてC83ブロックの哨戒に移る」
「コントロール了解。危なくなったらすぐに戻ってこいよ。そうすりゃ、隊長も不愉快な客の接待から解放されるだろうからな」
「ファルケ5より、コントロール。そんなに不愉快な客なんですか?」
「ああ、何せ参謀本部のお偉方まで来ているらしいぞ。うちみたいな辺鄙な基地までご苦労なこった」
バルトライヒの稜線を右手に見つつ、スーデントール北東空域を2機が駆け抜けていく。ワーグリンはレーダーに時々視線を移しつつ、ゼビアス中尉から譲り受けたカメラを最大望遠にして、ファインダーを覗き込んだ。空中管制機の支援があるときは別だが、時々、カメラが役に立つこともあるのさ、と世話好きな彼が半ば脅迫めいた言葉と共に押し付けたものである。もっともゼビアス中尉はその後最新の一眼レフを買ったということで、ワーグリン自身は体よく中古品を引き取らされたことに気が付いたわけだが、カメラ好きのゼビアス中尉がメンテナンスしていたカメラは使いやすく、気が付いてみれば哨戒任務のお供となっている。もっとも、今そのファインダーに捉えられるものはなく、先日の空中戦が嘘のように静まり返り、ただ、空の蒼が広がっている。却って不気味だな、とワーグリンは呟いた。先行するアウグスト中尉に続いて、左方向へ緩旋回。軽く機体をバンクさせて南西方向に機首を向ける。レーダー上に敵機の姿は依然捉えられない。機体を傾けたまま何気なく地上に彼は視線を移した。薄い雲の下には平坦な地表が広がり、町の姿も微かに見える。もうこの辺りは連合軍に無血開城を宣言した都市群であろうから、ひょっとしたら敵がもう街中に滞在しているのかもしれない。町からバルトライヒに向かって街道の筋が続き、その道はバルトライヒの峠道を越えてノルト・ベルカに至る。平和な頃であれば、車好きの若者たちが夜な夜な愛車を持ち寄って技量を競っていた峠道も、今では重要な防衛拠点として閉鎖されている。そういえば、そんな若者の一人だった友人は今どうしているのだろう?陸軍に招集された彼の車好きは仲間の間でも有名だった。その彼が、再び愛車のハンドルを握る日は来るのだろうか――ふと眼下の風景を見下ろしたワーグリンは、街道を移動する車列の粒に気がついた。何気なく見ていた眼光を険しくして、足元から一眼レフカメラを取り出し、最大望遠で撮影を開始する。
「ん?どうした、ワーグリン、下にお気に入りのフロイラインでもいたのか?」
「違います、下の街道を見て下さい!多分連合軍だと思いますが、凄い数の車列が移動中!」
「何だって?……確かにそうだ。でかしたぞワーグリン、フィルムの限り証拠写真を撮って、基地に戻ろう」
「了解です!」
翼の下にぶら下げた偵察写真撮影用ポッドを作動させ、8の字を描きながらアウグスト中尉は高度を下げつつ撮影を開始する。ワーグリンは機体を180°ロールさせ、頭の上に見える街道筋を次々と撮影していく。あっという間にフィルムが浪費されていき、巻いたフィルムをポケットに放り込んでは次のフィルムをセットして撮影を続ける。ファインダー越しに移った車列の細かい部分は分からないが、画像解析班が見ればどんな類の車輌が移動しているのかは分かるはずだ。だが素人のワーグリンにも、明らかに戦闘車両がその中に混じっているのは分かった。それも、長い砲身を持つ戦車の姿も見える。シャッターを次々と押し、新しいフィルムに取り換えようとした彼の手が止まる。既に持ってきたフィルムは完全に使い切っていたのだった。
「なぁ、ワーグリン。こいつらって、スーデントール攻略部隊だと思うか?」
撮影のために高度を落としていたアウグスト中尉機が同高度に戻ってきた。ひらり、と機首を回して、ワーグリンの真横にポジションを確保する。
「自分には分かりませんが……ただ、スーデントールへの部隊にしては軽車両が多いように見えますね。それに、トレーラーみたいのが資材を積んでいるのも見えました」
「資材ねぇ……。敵さん、決戦に備えて後方陣地でも建築するつもりか?さて、そろそろいい加減こっちにも気がついている頃だ。潮時だな」
アウグスト中尉の言うとおりだった。上空を飛ぶ戦闘機が友軍のものでないことは、分かる人間が見れば飛び方で分かってしまうだろう。のんびりしていて、それこそ「ドラ猫」のいる部隊にでも狙われたら一大事だった。いや、下を移動する陸上部隊の発見自体が、既に一大事だろうか?キャノピー越しに、アウグスト中尉が「帰投するぞ」と腕を振るのが見えた。親指を立てて了解の意志を伝え、彼に続く。久しぶりにスロットルを最大に叩き込むと、心地良い加速で身体がシートに沈み込む。これで戻れば、待機時間入り。今日は「フロッシュ」で一杯引っかけられるな、とワーグリンは期待していた。もっとも、その期待はまさに取らぬ狸の皮算用に終わったのだが。
「何ですって!?」
思わずテーブルを叩いて身を乗り出した私を、クライヴ司令が宥めるように後に引っ張った。軍令部が派遣してきたのは、先にフォーゲル大佐と共にやって来たフランクケイン「中尉」はともかくとして、参謀本部の将官たちだった。彼らがもたらしたのは、彼らにとってみれば最大限の恩情、私たちにとっては最悪の厄介事というべきものだった。私たち第302飛行戦隊は、目前に迫ったスーデントール決戦において、"起死回生"の一手を担う特務部隊としての役割を命じられたのである。そのための最新の兵装の補給を最優先で受けられること、空中管制機ヒンメル・オウゲによる全面支援が受けられることは幸いと言って良かったのだが、私たちに渡されたレジュメに「V1」とだけ書かれた搭載兵器が存在することに私たちは気がついた。説明を渋る彼らをクライヴ司令がうまく誘導し、フランクケイン中尉がうっかりと口を滑らせたのを、私は見逃さなかった。彼はこう言ったのだ。"全ての戦いを終わらせるために必要な、最高の兵器がV1であり、核の炎で連合軍を焼き尽くすことこそ勝利だ"、と。
「ベルデンハウエン少将、まさか、貴官らはあの輸送機でそれを積んできた、と?」
「そうだ。無論、私とてこんな危険な兵器を使用したくは無い。だが、緊急避難としての使用は有り得るのではないかね、クライヴ司令?凶暴な連合軍が祖国に流れ込む前に、市街地から離れた突入点を封鎖するとか、ね。軍令部はこのバルトライヒを、スーデントールを最後の防衛線にする所存だ。一般市民に全く被害を及ぼさない地点での、「V1」使用命令が下される可能性はある、と伝えておこう」
「貴官の命令なら拒否させてもらいますよ。部下の安全を守るためにも、そんな得体の知れない兵器は使いたくない」
両手を広げながらクライヴ司令は微笑んでさえいたが、その内心が激しい怒りに包まれていることを私は察知した。戦術核を搭載した「V1」の使用は、連合軍を止めるどころか却って核による報復を招き、さらに祖国が核反撃を行うという悪循環を引き起こし、世界中が核戦争の脅威にさらされる事態に繋がりかねない。その脅威故に、保有しても使用出来ない兵器が核兵器――結局のところ、安全保障上の抑止効果としてのカードに使われるしかないのだ。だが、今目の前に座る男たち、そして彼らを派遣した者たちはそんな基本的な話も無視して、核兵器の使用を辞さない魂胆なのだ。
「現場指揮官としても、そんな物騒な兵器の使用は極力避けたいところです。無論、軍令部の命令とあらば従うのが軍人としての役目ですが、「V1」の使用は却って連合軍に「ベルカ討伐」の言質を与えてしまうのではないか、と私は危惧します。目には目を――核攻撃には核攻撃が返される。核を使用した祖国に対し、核による報復を行うことを恐らく世界中が支持するのでは?」
「僭越ながら、大佐。大佐の発言は利敵行為に通じます。発言には気を付けて頂きたい!」
甲高い声が私の発言を遮り、白けた空気が部屋に漂う。発言の主は、私を睨み続けた挙句、顔の神経を痙攣させていたあの若者だ。神経質な顔は蒼白になって震えている。参謀本部の将官の手前、我慢をしてきた我侭な本性が爆発したのだろう。もともと、その堤防は脆く弱いものであっただろうから。
「連合軍に回復不能な打撃を与えて、祖国の勝利を勝ち取ることこそ大義のはず!大佐、あなたは連合軍による反撃を不当に主張し、祖国の反撃の機会を喪失させようとしているのではないのか!?」
クライヴ司令だけでなく、ベルデンハウエン少将ですら白い目をフランクケイン中尉に向ける。が、そんな場の雰囲気を感じる神経が麻痺しているのか、顔の神経を震わせながら彼は私を睨み付けている。――やってられないな、全く。私はため息を吐いた。こんな連中ばかり、軍の上の方にいるんだとしたら、祖国は正しい判断も何も出来なくなっているに違いない。回避不可能な「敗戦」という現実から目を逸らすために、無駄なあがきを続け、その結果市民の命を無駄に浪費しているに過ぎないのだ。ふと、いたずら心が刺激されて、私はフランクケインの視線に目を合わせた。
「そうか、ならばフランクケイン中尉。その大義のために、私に代わって第302飛行戦隊の指揮を取りたまえ。祖国の大義と勝利に燃える貴官ならば、確実に勝利を物に出来るのだろう?Su-27はいい機体だ。貴官でも充分な戦果が挙げられる。私が保証するよ。役立たずという私の代わりに、君が前線に立ちたまえ」
予想外の答えに、フランクケインの顔に同様の細波が走る。
「そ、そんなことが出来るわけ……!」
「フランクケイン中尉。貴官も軍人の階級章を付けているからには分かるだろう、貴官に命令の是非を問う権限は無い。中尉、これは命令だ。命令拒否ならば、軍法会議にてその是非を問うことになるぞ」
隣ではクライヴ司令が苦笑いを浮かべている。そもそも、私の立場としては上官侮辱罪で彼を更迭することも出来るわけで、生殺与奪は思いのまま、というわけだ。自ら墓穴を掘り、まな板の上に乗ってしまったことに気が付いたフランクケインの顔は蒼白を通り越して真っ白になっていた。私を睨み付けていた強気はどこへやら、怯えるような視線で助けを求め、参謀本部の将官たちの間を漂う。かちかち音がするのは、彼の歯と顎が震えているからだ。助けを求めた相手は、ついに彼の視線に目を合わせることは無く、何かを言いかけて開いた口がぽかんと開いたままとなり……そして私たちの視界から彼の姿が消えた。盛大な音を立てて後頭部から卒倒した彼は、完全に意識を失って転がっていた。ベルデンハウエン少将の太い眉毛が、不快げに歪められている。
「ベルデンハウエン少将、こんなヒステリー持ちの坊やたちが語る大義なんてものはね、前線で戦っている兵士たちには絵空事でしかないんですよ。それにね、前線に赴く度胸も無く安全な場所で高見の見物をしているような人間に戦争を説かれるのは、前線の兵士たちに対する侮辱ですよ。ここヒルデスブルクは最前線です。躾の悪い部下はお持ち帰り願いたいですな」
クライヴ司令が冷静な表情で、しかし辛辣な注文を投げつけたところで、彼の机にある電話が鳴り出した。立ち上がって受話器を取り上げた彼の顔が、少しずつ厳しいものになっていく。管制塔に対していくつか指示を与えた司令の顔は、部隊と基地の指揮官としてのものに戻っていた。内容までは聞き取れなかったが、何か重大なことがあったらしい。うちに関ることとなれば、偵察に出たアウグスト中尉やワーグリン少尉が何かを捉えたか、或いは彼らが敵に遭遇したか――。司令は私を見ると、にやり、と笑ってみせた。不毛な議論の時間はどうやら終わったらしい。
「まだ話の途中と思うが、看過出来ない事態が発生している。大佐、君はゼクアイン大尉・ゼビアス中尉と共に出撃準備が済み次第出撃、作戦空域は出撃後管制から別途指示させる。ワーグリンたちが、大規模な移動中の敵陸上部隊を捕捉した。多少面倒だが、強行偵察をやってもらいたい」
「了解しました。では、少将、失礼致します」
司令の配慮に感謝しつつ、これを好機、と、私を引きとめようとしたベルデンハウエン少将殿に敬礼を決めて、私は足早に司令官室を後にした。そして部屋から離れたところで、もう一度ため息を吐き出す。全く、ろくな話じゃあない。特に「V1」とやらの話は部下たちにはまだ伝えない方が得策だろう。ゼビアス中尉など、激発して輸送機部隊を攻撃しかねない。本来なら、篭城戦など展開せず、戦闘自体を終結させてしまえば良いのだ。そうすれば、これ以上人々の犠牲を出すことなく、戦争は終結し、兵士たちは家族の元へと戻れるのだから。廊下を駆けつつ、私は首を何度か振って、余計な考え事を一旦振り払った。敵地上部隊に対する強行偵察に向けて、考えなければならないことは他にも色々あるのだから――。

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