激闘と策謀の空
1995.6.1
数度に及ぶ無条件降伏勧告が祖国政府に突き付けられるのと同時に、ベルカの最終防衛線であるスーデントール市に対する攻撃も開始された。東西南に集結した陸軍の大部隊からの無数の砲撃が、スーデントールを取り囲むようにしている要塞のような防衛陣地目掛けて着弾。陣地を飛び越えた砲弾は市街地でも炸裂し、ビルを引き裂いてガラスとコンクリートの破片を辺りに撒き散らした。反撃の火線が遠方目掛けて吸い込まれていき、彼方で黒煙と炎の赤い光が膨れ上がる。再び連合軍からの一斉攻撃、そして反撃。何派かに渡っての砲撃の応酬は、まるで篭城しているベルカ部隊の弾薬を枯渇させようとしているかの如く激しいものであり、事実砲撃の合間を縫って進撃する連合軍陸軍部隊の数は、これが事実上の最終決戦であることを物語るようであった。スーデントール市の一般市民は、数少ない安全地帯である市北方に集められ、軍の車輌でバルトライヒを越えた向こう側の町へと疎開を始めている。しかし、十万を越える市民の疎開は並大抵のものではない。ましてや、連合軍の攻撃は空からも行われているのだ。バルトライヒの山道を登っていく車輌や人々の群れは当然上空の攻撃機たちの格好の標的となり、少なくない市民が早くも犠牲になっている。ある者は機関砲弾により引き千切られ、ある者は対地ミサイルの爆発で吹き飛ばされ……。
その空の戦場は、それでもまだ空軍部隊の奮闘で守られている範疇に入る。だが、連合軍の反復攻撃は尋常ではない。まさにヒット・アンド・アウェイでスーデントールに飛来した連合軍航空部隊は対地目標を攻撃するととんぼ返りし、補給を終えて再び舞い戻ってくるのだ。これに対抗する空軍の奮闘も尋常ではないようで、スーデントールの上空は複雑に絡み合う飛行機雲のループが幾筋も描かれ、時折撃破された機体の残骸が地上に叩きつけられて飛散する。彼らもまた、休むことすら許されず出撃を繰り返しているはずだ。大切な友人である、「怪鳥フッケバイン」もあの空にいるのだろう。彼に率いられたエース部隊と、その部隊によって率いられる航空戦隊の壁はきっと強固に違いないが、穿たれた穴をすぐに再生出来る連合軍に対し、祖国の部隊はその余裕すら最早無い。穿たれた穴はけっして埋められることなく、むしろじわじわと拡大していくばかりだ。既にベルカの敗北は決しているにも関らず、更なる犠牲を欲する人間たちの所業は、古代から変わらず愚かなものでしかない。願わくば、大切な友人たちがこの戦いを生き延びてくれることを。
そういえば、妙な噂を耳にしている。南ベルカに位置し、バルトライヒの向こう側よりも遥かに通信環境の良いスーデントールは、オーシアや他国の情報を手に入れることが容易いのだ。数日前、ベルカからオーシアに亡命したと報じられたビスマルク公は、その実、連合国との終戦協定交渉に派遣されたというのであるが、その交渉が進められている形跡が全く無いのである。極秘裏に進められていると言えばそれまでのことだが、祖国においては数少ない良識派であり、抜群の行動力を持つビスマルク公が何もせずにいるということがあるだろうか?祖国、オーシア、連合軍、戦争状態にある状況下、三者の関係に何か微妙な影が混じっているように感じるときがある。色々な事が矛盾しているのだ。継続され激化する戦闘と和平交渉、開かれない和平交渉と恐らくはベルカ随一の外交官。戦争継続を声高に叫び続ける為政者と和平交渉。相反する事象の影に、何か隠されたシナリオがあるのだとしたら――。
「こちら第4砲兵部隊、敵戦車部隊接近、至急応援乞う!繰り返す、至急応援乞う!」
「南側市街地に敵部隊進撃中、対戦車ヘリ部隊を回してくれ!」
今やレシーバー越しに聞こえてくる無線は敵味方入り乱れ、大規模な戦闘が繰り広げられていることを証明していた。これまで、連合軍とベルカ軍の大規模衝突は何度もあったが、これほどの規模で連合軍が物量作戦に出てきたことは無い。損害を振り返らずに突撃してくる地上部隊の火線に、篭城するベルカ軍部隊の反撃は次第に減殺されていく。弾が尽きたのか、集中砲火を浴びて破壊されたのか。スーデントール上空に到達する敵戦闘機部隊の数も尋常なものではなく、私たちは常に圧倒的多数を相手に空戦を強いられていた。連合軍航空部隊の戦術は単純だが巧妙であり、多数の上空支援戦闘機部隊が私たちの足を止めている間に、地上攻撃部隊が低空から侵入、爆弾や対地ミサイルをばら撒いて撤退していくのだ。しかも、私の機体はこういう時格好の的になるようで、功を競うように襲い掛かってくる敵戦闘機を私は片っ端から撃墜するしかなかった。臣民軍航空部隊同士の連携で、上空と低空の防衛網を形成することには成功していたが、より高性能な兵器を持ち、より豊富な支援を受けているはずの親衛隊空軍は防衛部隊の数にはカウント出来ない有様で、無謀な突撃を敢行して敵部隊に殲滅される者も少なくなかったのである。戦闘による疲労が蓄積しているこの環境下、補給に着陸した基地では臣民軍航空部隊のパイロットたちが、まるで敵を見るかのように親衛隊空軍を睨み付けている状況では、一枚岩の効果的な上空支援など望むべくも無かった。
今日3度目の補給を終えた私たちは、再び搭載出来る限りの弾薬を搭載して戦いの空へと舞い戻っている。空中管制機の広域レーダーには無数の敵戦闘機部隊の光点が表示され、管制機――ヒンメル・オウゲからの情報提供を受けつつ、手近なところから私たちは獲物を定めて襲い掛かっていた。敵の波状攻撃は感心する、というよりも呆れるほどに徹底し、容赦の無いものだった。私たちに撃墜された戦闘機は決して少なくないだろうが、突入してくる全ての戦闘機を撃墜できるわけではない。ある程度の損害が発生することは初めから折込済みの、物量作戦を展開出来る連合軍ならではの単純な戦法だが、いざ実際に対応させられる方はたまったものではない。尋常でない数の敵機との戦闘は確実に私たちの気力と体力を奪い去り、疲労は身体と思考回路を蝕んでいく。半ば本能で敵機に反応して私は愛機を駆り立てていた。
「アウグスト、敵4、低空!」
「こちらファルケ3、了解!しかし、忙しいぜ、全く!」
「こちらファルケ5、何だか、居酒屋でこき使われるウェイトレスみたいですよ!」
敵の突入空域に陣取った私たちは、乱戦の様相を呈してきた空を駆け巡っている。翼下に爆弾を満載したA-6はオーシア海軍機。それにF-111やユークトバニアのMig-27、F-16Cなどが加わり、場合によっては私たち防空部隊にミサイルを浴びせかけてくるのだ。周囲はとにかく、敵、敵、敵。最初の出撃で6機を撃墜した辺りから、もう撃墜数をカウントすることは諦めてしまった。そんな余裕は無いし、考えているよりも早く敵が突入してきてしまうのだから。F-15の護衛部隊に守られて突入してきたF-111に対し、レーダーロックを開始。F-14を思わせる可変翼の機体は攻撃機としては優れた機動性を持つのだろうが、私が操縦桿を握るSu-27には及ばない。爆撃体制に入っていたことも災いし、HUD上を滑るように動いたミサイルシーカーが敵機を確実に捕捉する。ロックオン……ファイエル!翼の下に抱えてきたAAMが2本、引き絞られた弓から放たれる矢のように真っ直ぐ敵機目掛けて飛んでいき、そして炸裂した。
「くっそぉ、どうせ死ぬなら天気の良い日が良かったってのに、何で今日に限って曇天なんだ!」
「バカなこと言ってないで早く脱出しろ、ゼロ!!電気系統はまだ生きているだろうが!」
爆弾の誘爆を起こしたのか、一方は空に巨大な火の玉を出現させた。もう一方は胴体から黒煙を引きながら高度を保ち、やがてキャノピーがはじけ飛んでパイロットたちが虚空へと打ち出される。彼らを巻き込まないよう高度を上げて通過した直後、後方警戒音がけたたましく鳴り響く。護衛対象を失ったF-15Cが、報復せんと私の後背に回り込んでいたのだった。狙点をろくに定めずに打ち出された機関砲をロールしながら回避し、左へ急旋回。敵機もさすがはF-15C。距離を縮めながら高G旋回で食らいついてくる。彼我距離が縮まり、機銃の有効射程圏内に入るか入らないかのところで、私は機体を反対方向にロールさせ、同時にエアブレーキON、スロットルMIN、操縦桿を思い切り引き寄せ、機体をホップアップさせた。身体がシートに叩きつけられるようなGを受け、一瞬むせ返りそうになる。目前の目標をロストしたF-15Cが私を追い抜いて前に出たその瞬間、照準レティクルに収められた敵に、反撃開始。垂直に立った尾翼が特徴的な敵機の胴体に、機関砲弾の光の筋が吸い込まれ、直撃を被った敵機が震動に揺らぐ。あっという間に150発が消費され、いくつもの穴が穿たれた敵機からは黒煙と炎が吹き出した。何発かは運悪くコクピットを直撃したようで、ひび割れたキャノピーは真紅で彩られていた。いつかは我が身、と死んだパイロットの冥福を祈りつつ、次の目標を探す。両軍の戦闘機の残した排気煙と、攻撃された戦闘機の引く黒煙と炎が、空を複雑な色に染め上げていく。
「方位180より、敵攻撃機部隊6ないしは8、突入してくる!」
「皆、聞いた通りだ。方位180、ヘッドオン!!」
何機かを落とされて攻撃を途中で断念し、離脱を始めた敵からさっさと離れ、次の部隊目掛けて機体を急旋回。やや下の高度を飛んでくる目標に対し、正面から突っ込むポジションを取る。私たちのレーダー上にも、敵味方入り乱れて光点が表示され、うっかりすると目標をロストしかねない。HUD上の照準レティクルを睨み付け、敵部隊との接触に備える。ほとんど最大戦速で空を駆け抜けた私たちは、程なく目標を眼前に捉えた。互いに編隊を組んだまま、すれ違いざまに敵機の機首目掛けて機関砲を撃ち込んで、接触スレスレの距離で双方がすれ違う。轟音と衝撃に互いの機体を揺さぶりながら通り抜け、操縦桿を引いて機体をループさせ反転。スロットルを最大に叩き込み、機体を一気に加速させる。アフターバーナーを点火し、機体は弾き出されるような加速を得て再び敵機の後背に迫る。たちまち追いついた私たちは、圧倒的有利なポジションから再び攻撃を再開する。猟犬に食い付かれたことを察知した敵機――A-6部隊は各々回避機動を開始するが、アウグスト中位とワーグリン少尉がAAMを放ち、それぞれの目標を撃破する一方で、ゼビアス中尉は機関砲で敵機翼下の爆弾を狙い、直撃を食らった敵機は爆発で翼をもがれて墜落。地上に炎の花を開かせる。半ば七面鳥撃ちの様相を呈してきていたが、そこは敵もさるもの。攻撃を部下に任せていた私は上方に光が瞬くのを察知した。かぶられたか!機種は不明ながら、デルタ翼の機影が上空から降下してくる!ミサイル警報が鳴り響き、舌打ちしつつも機首を引き上げ、垂直上昇に転じて加速する。耳障りな警報音が告げるとおり、敵機よりも早くミサイル本体とミサイルの吐き出す白煙が目に入り、猛烈な速度で接近する。機体をやや捻りながら放たれたミサイルを回避し、一気に高度を稼ぐ。目標をロストしたミサイルはそのまま地上に落下し、爆発の炎を上げる。7,000フィートまで駆け上り、水平に戻して周辺を伺うるデルタ翼の戦闘機――ミラージュ2000が、私たちの戦闘空域に乱入し、A-6部隊に対する攻撃を断念した部下たちは圧倒的不利なポジションから放たれる攻撃を回避しようと激しい回避機動を繰り広げていた。
「ったく、時代遅れのデルタ翼に追い回されるなんて屈辱だぜ!」
「ゼビアス中尉!右へ、右へ急旋回して下さい!フォローします!」
「任せたぜ、ワーグリン。急旋回……おらぁっ!」
Su-27の機動性を最大限に活用して、ゼビアス中尉が追撃から逃れる。機動に付いていけず、仕切り直そうとしたミラージュの後背にワーグリンが迫り、AAMを発射。が、ひらりとロールさせつつ、ミサイルの攻撃を回避した敵機は速度が乗っているために直線的な機動になっていたワーグリンの後方に回り込もうとエルロンロール。それに気が付いたワーグリンは機体を急降下させて速度と距離を稼ぎつつ一時離脱を図る。「ドラ猫」以外にも、これだけ使えるエースがいたのか、と改めて舌を巻く。全く、この戦争は連合軍に数多くのエースを輩出させる結果となったようだ。ベルカのエースたちは絶望的な戦いの中で一人、また一人と命を失い、後には戦いの空を飛ぶことがどういうことか分かっていない親衛隊の連中と、着陸すら危ぶまれるような新米パイロットしか残っていないというのに――。180°ロールして真っ逆さまになった愛機のキャノピー越しに、新手のミラージュ2000の姿を追う。機体の特性を充分に理解しているらしい、堅実な腕前を発揮して部下たちを彼らは追い詰めていく。
「大佐、こいつら、なかなかの凄腕のようで!」
「ああ、早く援護に行かなくてはね」
「のんびり話している暇があったら、露払いくらいして下さいよ、隊長!」
「こちらファルケ1、今行くから、待っていろ、ゼビアス中尉!」
いち早く追撃から逃れたゼクアイン大尉が私の横に付く。今度は敵部隊の上を取った私は、大回りしてアウグスト中尉たちを狙おうとしていた一隊に狙いを定める。ゼクアイン大尉がポジションを保ったまま、私と共に降下。私たちと同じように編隊を組んだまま旋回する敵に、上方から機関砲を浴びせる。数発が一機の垂直尾翼に穴を穿つが、致命傷にはならず、編隊を解いて追撃から逃れていく。手負いとなった一方をゼクアイン大尉に任せ、私は健在なもう一方を追撃する。背中を一瞬晒して垂直降下する相手に合わせ、私も垂直降下。高度計の数値がコマ飛ばしで減少していくのをしっかりと目で追う。2000……1500……1000……まだ行くか!300フィート以下で水平に戻した敵機と、それよりやや上で早めに水兵飛行に戻した私のSu-27の立てるソニックブームが地上を揺るがし、森の木々の上に2機の飛行ラインが刻まれる。機関砲を浴びせかけるが、器用に機体をロールさせたり、ヨーで右へ左へ機体を揺らす相手の技量は本物だ。が、機動性では明らかにこちらに分がある勝負、負けるわけには行かなかった。AAMのレーダーロックを照射し、ロック確定前に私は発射トリガーを引いた。放たれたAAMは直線的に排気煙を吐き出しながらミラージュに接近し、その攻撃を回避するために右へ急旋回したその瞬間こそ、私が狙っていた瞬間だった。一瞬視界が暗転するような急旋回で相手の背中を捉え、今度こそ確実な一撃を叩き込む。主翼を狙って叩き込んだ機関砲弾はミラージュ2000の左主翼を半ばもぎ取り、胴体への命中弾は機体に大穴を穿った。
「ちっくしょう、脱出レバーが動かない!う、うわぁぁぁっ!」
炎と黒煙に包まれながら高度を下げていく敵機とは反対方向にブレーク。断末魔の通信が途中で雑音に変わり、後方で爆発が起きる。序盤の不利な体制から、部下たちも立ち直りつつある。ゼクアイン大尉の支援を受けてアウグスト中尉が回避に成功し、ワーグリン少尉の支援を受けて敵を振り切ったゼビアス中尉は、恩人と連携して今度は敵機を追い詰めつつあった。私たちの追撃を逃れたA-6部隊は、遅れて空域に到着した友軍部隊の餌食となって全滅し、今や形勢は逆転しつつあるようだった。
「ファルケ2、フォックス2!さっきのお返しだ、たっぷりと食らいな!!」
「シャロード3、ブレーク、ブレーク!!」
「駄目だ、回避できない――!」
AAMの直撃を受けた機体にたちまち燃料が引火し、火の玉が出現する。部品が弾き飛ばされ、黒煙が膨れ上がる。続いて、ワーグリン少尉が目前の敵機に対して機関砲を浴びせ、敵機の胴体を蜂の巣に変える。黒煙を吹き出しながら何とか機体を水平に保った敵機のキャノピーが飛び、パラシュートの白い花が開く。パイロットを失った機体はしばらく空を漂った後、燃料に引火したのか炎に包まれてやがて垂直に大地へと突き立ち、砕け散った。私は次の獲物を追い回していたが、その敵機は急旋回で針路を方位180に転じると、猛然と加速して戦線からの離脱を開始した。既にロックオン状態にあり、トリガーにかけていた指を私はそのまま戻した。私も優しくなったものだね、と独り苦笑する。どうやら撤退を決めたらしく、ミラージュ2000は互いに連携しながら撤退を支援し、生き残りの3機だけが戦域からの離脱に成功した。こちらの損害は無し。周辺空域にも敵影なし。友軍機が何機か落とされてしまったようだが、激しい抵抗に手を焼かされた連合軍は、このポイントからの進撃を諦めてくれたらしい。ほっとため息を付いたのもつかの間、管制機からの通信が入る。
「こちらヒンメル・オウゲ、ファルケ0。周辺空域に敵影無し。済まないが、南D87ブロックの地上部隊が敵攻撃ヘリ部隊の猛攻を受けている。急行して、トンボどもを追い払ってくれるか?」
「やれやれ、貧乏暇無し、とはまさにこのことだ。ファルケ1、了解」
「燃料、弾薬共にまだ行ける!行きましょう、隊長!」
そう、休んでいる暇など無い。今や全域が戦場と化しているスーデントール。私たちが戦わなくてはならない戦場は、それこそ無数にあるのだから――。
2本の滑走路の合流地点から離れた訓練棟に止まる輸送機を、クライヴは見下ろしていた。最前線で戦い続ける部下たちに供与される最新鋭の装備類が輸送機から搬出され、年季の入ったトレーラーやトラックで格納庫に運び込まれていく。「スーデントール防衛線における特務部隊」として、最大限の補給と空中管制機の優先指揮を受けられるのは結構なことだが、度重なる戦闘で疲弊していくフッケバインたちには休息という名の「補給」が必要となる。だが、この戦況ではそれすらも確保出来ない可能性が高い。クライヴは少し冷めてしまったコーヒーをすすり、首を振った。物資輸送のため、一日に何度かスーデントール或いは北方の首都周辺にある工廠を往復するC-130とは別に、ヒルデスブルクに来て以後動かないC747F。あの中には、禁断の兵器――よりにもよって、核弾頭が積み込まれている。ベルカ公や統合戦研の切り札が「V1」と呼ばれる戦術核であることは滑稽であり、深刻な問題であった。軍人である以上、命令は絶対。軍令部からの命令が下れば、嫌でも核兵器使用を命じなければならないのが自分の立場である。だがしかし、軍人である前に人は人であるべきなのではないのか?国家として重大な過ちを犯した祖国が今すべきことは、こんなものを放って更なる犠牲と更なる反撃を迎えるのではなく、全ての戦いの責任を取ることではないのか。ベルカ公を中枢に据える国体維持など、周辺国にとっては笑い話にもならない現実を直視しようとしない連中が立てた起死回生の一手とやらが、「V1」だ。
自分が命じたとしても、大佐たちは決してそれを受け入れようとしないだろう。実際に核弾頭を投下するのは、実戦部隊たる第302飛行戦隊となるだろうが、祖国の人々のために戦い続ける彼らが「V1」のような物騒な代物を使うことを認めるはずも無かった。血の気の多いゼビアス中尉の顔を思い浮かべて、クライヴは一人苦笑した。中尉なら、脱走や或いは自分自身を人質に立て篭もりかねないな、と。それにしても、と彼は思った。自国にまで核兵器を投下して、その後一体どうやって連合軍との講和を結ぶというのだろう。スーデントール篭城戦の裏に統合戦研の姿があるのは勿論のことだが、ベルカ公の私的機関と言って良い彼らが、何故祖国を破滅に導くような戦略を何故進めようとしているのか?彼が理解できない点は、まさにそこにあった。何か、連中は隠し玉でも持っているんじゃないか、という勘繰りは実際には事実にかなり近いのではないか、と彼は感じていた。その「何か」を探るために、限られた網に獲物がかかることを期待してみたが、満足な情報は今のところ得られていなかった。
しかし、脱走と言う手があったか――。もし万が一、核兵器を使え、という命令が出た場合のことだが、基地ぐるみで脱走してしまったとしたら……?仮にそんな命令が下されるときは、祖国が決定的に追い込まれたタイミングとなる。脱走者捜索のどさくさに紛れて輸送機を制圧してしまい、核兵器を無害化してしまうことは出来ないだろうか?あわよくば核兵器の存在を連合軍に暴露してしまう方法もある。軍人としては失格と言うなら言え。道を誤ってしまった国家の自滅に、全ての人々が殉じる必要など全く無いのだから――。実行プランを考えておく意味はあるな、と苦笑を浮かべつつ、実行に移すための算段をクライヴは考え始めたのだった。