真相
2005.6.2
「くそ、どこに隠れやがった!」
「探し出せ。奴は連合軍のスパイだ。この話を愚民どもに知られるわけにはいかん!」
編上靴の固い足音がすぐ側を駆け抜けていく。カチャカチャ鳴っているのは彼らの抱える自動小銃の音だ。あんなものを食らっては、痛みを感じる時間すら僅かなうちに、ズタボロにこの身体は引き裂かれてしまうのだろう。だが、いずれそうなる日が来るのだとしても、今はその時ではなかった。
連合軍の総攻撃が開始され、混乱状態に陥ったスーデントール市は、逆を返せば本来触れることの出来ない特ダネに出会うチャンスでもあった。一応は軍からの取材許可証をもらっている私は、最近相次いで目撃されている「灰色の前進翼機」が着陸していったという一角――バルトライヒ山脈にほぼ接したこの辺りは、新兵器開発・実験棟と聞いた――に足を踏み入れていた。守衛の兵士には「何もこんな時に」と露骨に嫌な顔をされたものの、足止めをされることはなかった。目前に迫る連合軍地上軍の攻撃が近場に着弾するようになって、兵士も気が気でなかったのだろう。あっさりと通された私は、人の姿もまばらになった工業地帯を案内なく歩き、そして噂の戦闘機に出くわした。甲高い金属音を上げながら高度を下げてきたそれは、私のすぐそばの地上――つまり、そこが滑走路だった――に着陸したのである。どうやらハンガーらしい建物の中を覗きこんだ私は、そこに並ぶ戦闘機の姿を見て息を飲んだ。――「灰色の前進翼機」。カメラを取り出し、何枚かその姿を収めた私は、ハンガーの中から人の話声が聞こえてくることに気が付き、聞き耳を立てつつしゃがみこんだのだった。
「……陛下はまだ渋っているらしい。それしか生き残る道はない、というのにな。昨日から貴賓室に篭ってしまっていて、世話係の連中が困り果てているそうだ。」
「無理もあるまいさ。だがな、考えてもみろ。神聖なる祖国の大地は、卑しく浅はかで愚かな民どもによって汚されてしまっている。祖国の大義を理解しようともしない者たちを消滅させ、浄化させることも出来るのだ。そのうえ、捲土重来の機会も手にすることが出来る。これ以上の話はあるまい」
「だが、その手土産として我らの最終兵器「V2」を持っていかねばならないのだろう?あれが解析されれば、祖国にとっては脅威になるのではないのか?」
「案ずるな、ヴァルパイツァー。あれはよく出来た玩具さ。本物の「V2」は、確かにまだ未完成ではあるものの、あんな玩具とは全くの別物だ。まさに決戦兵器の名に相応しい出来になっているそうだ。滑稽じゃないか。時代遅れの玩具を、オーシアの馬鹿どもは必死になって解析するだろう。彼らがようやく模倣品を作り上げる頃には、我らは「V2」で玩具ごとかの国を焼き払う力を持っている。その時こそ、ベルカの大義が果たされるんだ。この戦争に勝ったと思い込んでいるオーシアやユークトバニアの馬鹿どもに対する復讐としては最高じゃないか。」
……一体、こいつらは何を話しているのだ?市民を消滅?浄化?陛下――ベルカ公の捲土重来?……それに、「決戦兵器」だって?私は愛用のレコーダーを取り出して、集音ボリュームを最大にして息を潜めた。とんでもない特ダネを私は掴んでしまったらしい。いや、最早「特ダネ」という次元を通り越して、生命の危険に関る事実に触れてしまったと言うべきか?
「しかし、オーシアにはビスマルク公だっているのだろう?あの御仁が、大人しく陛下のやることを看過するとは思えないんだがな……」
「そこは戦研の方で何とかするそうだ。それに、陛下直々にお言葉を頂いている。"常に我の行く先の邪魔をしてきたあの男に、絶望的な屈辱を与えるまでは生かしておけ"――だそうだ。陛下のお言葉は絶対。それが我らの方針になるのだからな。それに、この作戦は我々にとっても格好の復讐の舞台になる。私たちの前に常に立ちはだかり、我らが受けるべき賞賛を奪い取り続けて来た愚民どもの尖兵――フッケバイン、ブリッツ・シュラーク。奴らに全ての罪を背負わせるこの作戦、さすがはフォーゲル大佐たちだ。そして戦争を終結させた陛下と、その護衛者たる我らは救国の英雄となる。ククククク……フッケバインの吠え面が楽しみだよ」
「アシュレー、声が大きい」
「気にするな。前線の馬鹿どもの要請に振り回されている奴らに何が出来る。真相を知ることも無く、奴らは朽ち果てる運命なのだよ。クックックックック……」
その笑いは、聞いた者の心を鷲掴みにして恐怖させる力があるかのようだった。心とは無関係に、勝手に足が反応してしまったとき、「しまった」と思うのとハンガーの外壁を膝頭で蹴ってしまったのと、どちらが早かっただろうか?
「誰だ!?」
先ほどの笑い声の男の鋭い声と足音が近付いてくる。動け、動け、動け!強張った身体を何とか引き剥がし、私はハンガーから一目散に離れて駆け出した。後を振り返る余裕など全く無かった。
「いたぞーっ!!」
「警備兵、何をしている!撃て、撃てーーっ!!」
間の抜けたような乾いた音が背後で響き、ほぼ同時に、自分の周りの壁や地面で火花が散る。それが自分に対して放たれた銃弾だと察知した私の背中を冷や汗が滴り落ちる。制止の声を振り切って、私はひたすらハンガーから遠ざかろうと全力疾走で駆け抜ける。こうなると、市民の避難が命じられてほぼ無人になっている町は隠れ場所が一杯あり、連合軍に感謝してもいい気分になってきた。このまま道路を逃げ続けても、いずれは捕まるだろう。事情を聞くでもなく、いきなり発砲を許可するような連中が、恐らくは機密中の機密に触れてしまった私をタダで済ませてくれるはずもない。私は手近の工場のドアノブを捻り、音を立てないように中へと忍び込んだ。なるべく窓から離れるようにして物陰に座り込み、自分を追ってきた足音が遠ざかるのを確認してからようやくため息を吐き出したのである。
いずれにせよ、私は聞いてしまった話を忘れることが出来そうに無い。彼らの話をまとめれば、この戦争の裏側で進められようとしている謀略はおぼろげながら想像できる。オーシアとベルカ公の間には既に密約が結ばれていて、彼らの言う「決戦兵器の玩具」――恐らくは核兵器――を取引材料にして、公を亡命させるつもりだ。しかし気になるのは、私の大切な友人であるフッケバインたちに「全ての罪を押し付ける」ということだ。まだ混乱している頭では今ひとつ理解できない。何はともあれ、考えるのはここから脱出した後のこと。そして、伝えなければならない。私が見たこと、聞いたことをより現実的な力で活用出来る人たちに。そのためにも――私は、幾度も「フロッシュ」でウィスキーグラスを傾けあった友人の姿を思い浮かべていた。絶対にここから脱出し、フッケバインたちに知らせなければ――!
細い街道を完全に埋め尽くすように、さらには先行するのろまな陸軍の車輌を押しのけるようにして、「彼ら」の車列が進んでいく。戦場での高機動と迅速な展開を求められた彼らの車に「居住性」という言葉は徹底的に無視され、その代償として高い戦闘力を持つ兵器が突き出されている。車の中では、数ある陸戦隊の兵士たちの中でも、特に戦闘力に優れ、特に気性の荒い面子がフル武装で来るべき戦いに備えている。彼らの車輌に描かれた怪物――東方の小国に伝わる「鬼」の面を模したというそのエンブレムを、オーシア軍の兵士たちが知らないはずも無かった。オーシア海軍海兵隊第115連隊は、男が号泣するような猛烈な訓練をくぐり抜けた者と、様々な部隊から追い出された荒くれ者たちで構成された海兵隊部隊であり、その頭領を務める男は、エンブレムのデザイン通り「鬼」の二つ名で呼ばれていて――。その「鬼」の呼び名を持つ男は、車列の戦闘を突っ走る戦闘装甲車の中で、他の兵士たちと変わらないフル武装の姿でシートに腰を下ろしていた。
「おらおら、邪魔だって言ってるだろ!早く道を開けろやボロトラック。車ぶつけちまうぞ」
運転席の兵士が、自分たちの道を塞ぐ陸軍のトレーラーが一向に道を開けないことに業を煮やして毒づく。ということ、この車の後ろに並ぶ部下たちの車は、今度は自分たちの車に対して口撃をぶつけてくる格好の対象ということになる。やれやれ、と指揮席の男は外部マイクのスイッチをオンにして、マイクを口元に寄せた。
「前を走ってるトレーラー!こちらは泣く子も黙る海兵隊第115連隊だ。只今特務任務を遂行中。道を開けるか、車ごと吹き飛ばされるか好きな方を選べ。10秒だけ待ってやる。9……8……7……」
「た、隊長、やり過ぎですよ。いくら何でも、陸軍のボロ車を吹き飛ばしてどうするんですか!?」
「なあに、ちっとばかし目を覚まさせてやればいいのさ、マシューズ」
物騒な内容の警告に驚いたのか、道を外れたトレーラーが脱輪してしまい、道路に沿って流れる小川へと突入して派手な水飛沫をあげる。動けなくなったトレーラーの運転席が開き、出てきた兵士が此方に対して大声で文句を言うのが聞こえてきて、指揮席の男は笑い、マシューズと呼ばれた大柄な兵士は手を顔に当てた。
「悪いな、陸軍の!引き上げ部隊はすぐに呼んでやるから勘弁してくれ。上官にどやされたら、海兵隊の「鬼のハーリング」に突き落とされました、と伝えてくれ!責任はこっちで全部ひっかぶるからよ!」
言いたい放題に言った後、指揮席の男はマイクのスイッチを切った。後から歓声と言うべきか、冷やかし声が聞こえてくるのは、後列の兵士たちがおよそ上品とは言えない様子でトレーラーの兵士に声をかけているからだ。怒る気力も失せたのか、兵士は半ばヤケ気味に腕を振っていた。「鬼」隊長、かくありき――。第115連隊において隊長付副官を務めるマシューズ大尉は、改めて彼の上官を助手席から見上げた。士官大学から派遣されてきたパリパリのエリートであるはずの彼の姿からはそんな雰囲気など微塵も見えず、海兵隊の中でも最もろくでなしのごく潰しどもが揃う115連隊の頭領に就任した彼は、物語に登場する義賊か海賊の頭領と言っても過言ではなかった。エリート嫌いのはずの荒くれ者たちは最初こそ抵抗したし、実際に昔の軍隊さながら上官相手にタイマンを挑んだ無法者もいたのだが、そうした彼らは自分の身体で痛い目を見て大人しくなり、気が付けば部隊の全員が彼を受け入れていたのだった。それまで、一年も持たずに次々と隊長が交代していく部隊が、初めて掌握されたのだ。「鬼のハーリング」こと、ビンセント・ハーリング中佐とは、そんな風変わりな男だったが、マシューズにしてみればこれまでで最高の上官であった。
そのハーリングは遠雷のように聞こえてくる音が気になったのか、装甲車の狭い窓から空を見上げていた。彼の視線の先には、編隊を組んで飛ぶ戦闘機の姿があった。
「うちの軍で使ってる機体じゃなさそうですね?」
「ああ、その通りだ、ハウエル坊や。あれはSu-27。あんなものを正式採用しているのは、ベルカの連中くらいしかいねぇ。それも、腕っこきの連中しか乗ってないそうだ。例えば、空軍のパイロットがその名を聞くだけで震え上がる「フッケバイン」とかな」
「SAMで狙いますか?」
そう提案したマシューズの頭を、ハーリングは軽くブーツで小突いた。
「馬鹿、折角向こうさんが見逃してくれているんだ。こっちから無駄弾を使う必要も無いさ。それよりもほら、先急げ!俺たちの部隊の役割は何だ、マシューズ?」
「は、迅速なる部隊展開と速やかなる目標の確保、そして勿論、全員雁首揃えての帰還、であります!」
「……ということだ、おい、スピード上げろ!他部隊の連中に遅れをとるわけにはいかないんだ。目一杯アクセル踏め、エンジン回せ!」
「アイアイサー!!」
上空からも見えるような土煙を豪快にあげて、装甲車がペースアップする。その後をまるで競うかのように車列が追っていく。彼らが目指す作戦地域まで、あと少し。見てろよ、ベルカの石頭ども。これで馬鹿な戦争を終わらせてやるからな――必勝の策を胸に抱え、ハーリングは笑みを浮かべた。
こんな辺境で一体何を考えている――?私は地上を一路バルトライヒへと向かっていく車列を見下ろし、その後を追っていた。この先に拠点など存在しないにもかかわらず、この大部隊。拠点設営が目的でないことは、その車種から一目瞭然であった。彼らの目的がスーデントールではないとしたら――?そう思い当たった途端、背筋が凍るような感覚に私は囚われた。今日現在、ベルカ部隊はスーデントール市を最後の拠点として篭城戦を展開し、自分たちのように山脈の向こう側に拠点を持つ航空部隊を除けば、残存している陸軍兵力の7割が展開して戦いを続けている。隙あらば突破しようと画策する彼らはしかし、徹底した連合軍の猛攻撃の前に進撃を余儀なくされ、防戦一方となっている。この3日間の戦闘で被ったベルカの被害は甚大であり、市の南側と東側では連合軍部隊が市街地に拠点を確保し始めている有様だった。そう、こうして見れば主戦場はスーデントール市であることは間違いが無い。ベルカの兵士も軍部も、誰しもが決戦はスーデントールと考えているだろう。だが、連合軍が必ずしもそう考えているとは限らないのだ。スーデントールを包囲している連合軍の目的が、実はベルカ部隊の足止めにあって、本命の狙いは無防備な、バルトライヒの先にある諸都市の占領だとしたら――。
敵地上部隊発見の報を告げようとしたのと、ヒンメル・オウゲからの通信が入ってくるのはほとんど同時だった。
「ファルケ0、至急至急。スーデントール西空域、また奴が出た。今ブリッツ・シュラークもスクランブル発進したが、今のところ最も近いのは貴隊しかいない。現在、戦闘機隊の他、爆撃隊も急接近中。急行願う!」
「こちらファルケ0、手の空いている奴がいるとは思わないが、スーデントール西エリアでバルトライヒに向かっている連合軍部隊を発見した。行き先は分からないが、ひょっとしたら山越えを図るかもしれん。偵察隊を回してもらった方がいいかもしれないぞ」
「何だって?バルトライヒ方面に敵部隊が?連中の狙いは、スーデントール攻略じゃ無かったのか?……分かった、こちらから要請してみよう。それよりも、早く戦域に!」
了解の意志を伝え、私は機体をロールさせた。そして急旋回。それにしても、こっちの姿が見えているだろうに、SAMを撃ちかけるでもなく、悠然と進撃していくとは……。下を進む連合軍部隊の指揮官は、きっとワイヤーロープのように強固で太い神経を持った奴か、単に鈍感な男のどちらかだな、と私は想像した。出来るなら、その顔を拝んでみたいものだ、と思ったのだが、数年後、全く意図しないところで、私はその顔を見ることとなった。それはまた別の物語だが、そのときの彼は、オーシアで知らない人のない人物となっていたのである。
最大戦速で到着した空域では、この空域を担当していた防空戦隊と「ドラ猫」隊が激戦を繰り広げ、さらにその隙を突いて突入したA-10が爆弾の雨を降らし、市街地では炎と黒煙が揺れていた。その合間を必死に町の中央へと逃げようとしているのは、退却が遅れた友軍部隊だろう。その車輌に対し、爆弾を投下して身軽になったA-10が大口径のバルカン砲の雨を降らす。文字通り蜂の巣になった車輌が断末魔の爆発を起こし、犠牲になった兵士たちが新たな戦死者として名を刻んでいく。
「マオス3、貴様だ!後方敵機!回避、回避!!」
「駄目だ、振り切れない!くそ、ドラ猫野郎がっ!」
AAMの直撃を受けた友軍機が炎に包まれる。燃料タンクに引火したのか、機体全体が火に覆われていく。
「おい、マオス3、脱出だ、ベイルアウトしろ!」
「はは……そういやぁ、俺、まだ遺書書いていないんだっけ……」
炎が機首を包み込んだ瞬間、真っ白な光が空に輝き、友軍機の姿を火球へと変えた。この日、部隊を二手に分けて哨戒任務に付いていた私たちは、別働隊――ゼビアス中尉たちの到着を待たずに戦域へと突入した。レーダーに映る光点は敵ばかり。高度を下げているのは敵の攻撃機部隊だろう。私とゼクアイン大尉は散開して、敵攻撃機部隊をとりあえずの目標にした。市街地のビルの上を悠然と飛ぶA-10の姿は、こちらの攻撃を回避するには余りにも速度が遅すぎた。対弾性に優れたあの機体を蜂の巣にして落とすのは難しい――私は機体後部のエンジンに狙いを定め、トリガーを引いた。放たれた機銃弾は尾翼とエンジンを引き裂いた。煙を吐き出してバランスを崩した敵機はビルへの激突をかろうじて避け、地上へと胴体着陸していった。その上を通り過ぎて、次の目標に狙いを定める。HUD上のミサイルシーカーが動き回り、そしてA-10の一機を捕捉した。ロックオンを告げる電子音を確認して、発射ボタンを押し込む。発射したミサイルの命中確認をする前に、コクピット内には警告音が鳴り響く。
「こちらクレイモア2。大佐、後方敵機!」
友軍のF-16Cがバックアップに付こうとしたが、その後背にさらにもう1機が迫っていた。
「クレイモア2、そっちの後にも敵機接近!こちらはいいから回避しろ、早く!」
自分も回避機動をしつつ、私は危険を知らせてくれた友軍機に呼びかけていた。私の後方に付いたのはF-14。見覚えのある部隊章は、明らかに「ドラ猫」のいる連中のものだった。可変翼の効果を最大限に利かせて、敵機が追撃してくる。私は敢えて高度を下げて、市街地へと突入していった。高速でビルの塊が目の前を通り過ぎていく中、大通りの真上数十メートルを一気に加速して飛び抜ける。震動と轟音でビルのガラスが砕け散って、破片を散らしていく。ある程度速度を稼いだ私は、機体を垂直上昇させて空へと舞い上がった。が、私に危機を知らせてくれた友軍機は敵の追撃を振り切れず、その射程内に捕捉されてしまった。後方から放たれた機関砲弾が機体で弾け、F-16Cの機体がズタズタに引き裂かれていく。
「がはっ……くそ、まだ終わりじゃないぞ……ベルカ公国、万歳ーっ!」
炎に包まれ、高度を下げながらも、F-16C……クレイモア2は最後の目標へと突っ込んでいった。彼の進行方向にいたA-10に、F-16Cの機首が突っ込むのと同時に、機体全体に回った炎が燃料を爆発させた。轟音と閃光を上げて2機はもつれ合ったままビルに突っ込み、地上の建物を巻き込んで大爆発を起こした。地上から立ち上る黒煙と炎の中、低空から高度を上げてくる敵機の姿が見えた。
「また会ったな、怪鳥!」
またこいつか、と苦笑しながらも、迎撃態勢を整える。エルロンロールで高度を稼ぎながら高速で旋回してくる相手の射程内に入ることを避け、敵―「ドラ猫」の真下を潜り抜けてすれ違う。互いにループしてさらに上昇した私たちは、ループの最高点で互いの姿を捕捉し、機関砲を互いに放った。翼と翼が激突する寸前の距離まで接近し、互いの機体の発する轟音と衝撃に揺さぶられながら互いに反対方向へと飛んで間合いを取る。
「おい怪鳥、聞こえているんだろ?チャンネルは78.4だ。お前に聞いてみたいことがある」
確かバートレットといったか?ドラ猫のパイロットは戦闘機動を続けながらそう言って寄越した。戦闘中に何を、と思ったがこの好敵手の話も聞いてみたいという気もあった。旋回しつつ手を伸ばして指定されたチャンネルに無線を繋ぐ。コール音がしつこくなっている様は、バートレットがせっかちであることの証明のようだった。
「戦闘中の私語は死に繋がると教えていないのか、オーシアの士官学校は?」
「俺は人見知りするタチなんだ。その俺が話してやるって言っているんだ、感謝してもらいたいもんだ」
何が感謝しろだ、と相手の厚顔無恥さに呆れて苦笑する。一応はこっちが上官だぞ、と笑いたくなった。何度か旋回を繰り返した私は、旋回半径を大きく回った「ドラ猫」の背後に回りこむことに成功した。巧みに攻撃を回避していく腕前は、後で見ていても惚れ惚れする。混戦状態にあったこの空域だが、遅れて到着したゼビアス中尉やワーグリン少尉たちの加勢により、友軍機も勢いを取り戻したようだった。おかげで、私は「ドラ猫」との一騎討ちに専念できる。
「怪鳥、一つ聞かせろ!もう勝敗が事実上決しているこの戦場で、おまえは何のために戦う?何を守るために俺たちと刃を交わす?」
いつだったか、同じ質問を私は聞いた。それも戦場の空でのこと。「亡命」と汚れ役を背負って、停戦交渉に臨んでいったビスマルク公も同じようなことを私に聞いた。何のために――?
「それを聞いてどうするつもりだ、ドラ猫?貴官は祖国の敵の陣営のパイロットだ。だから、戦う。それでは不満か?」
「そんな建前を聞いているんじゃねぇよ!金のため、好きな女のため、生きて帰るため、そういう理由が誰だってあるだろうが。絶望的な戦場で、おまえさんは何のために戦い、何を守ろうとしているんだ?」
F-14が右へ急ターン。合わせて右旋回しようとした私の目の前でエアブレーキを全開にした「ドラ猫」の機体が肉薄してきた。速度が出すぎていたか!舌打ちしつつ衝突を回避して旋回した私の後ろに、今度は「ドラ猫」がへばり付く。レーダー照射を受けている、と警報音がコクピット内に鳴り響く。何のために敵を撃ち落し、敵兵を屠るのか。何のために――。祖国の名誉のため。祖国の大義のため。否、私はもうそんなものを信じていない。機体をぐるりとロールさせ、急旋回。さっきまで私のいた空間を、ドラ猫が放った機関砲弾が切り裂いていく。
「私が戦う理由、か。ドラ猫、いや、バートレット大尉だったか?この戦争を見て貴官はどう思う!?ベルカの大義だの正義だの、多分国のお偉方はそう発言してそっちの政府首脳を笑わせたんだろうが、最前線に立っている兵士たちはそんなものを信じてはいない。皆、自分の帰りを待つ人たちの元に帰るために、或いはこの無意味な戦争を生き延びる――ただそのためにだけ戦っている。だったら、私が戦う理由は、そんな人々がより多く生き延びられるようにすることだ!これで満足か、バートレット大尉!!」
一瞬視界が暗転するGに耐えながら、操縦桿を思い切り引き寄せスロットルをMINへ。ほとんどその場で急反転して、微かに見えた視点に敵影を捉えてトリガーを引く。反射的にスロットルをMAXに叩き込んで加速を得ながら、F-14とすれ違う。半ば勘で探り当てた攻撃ポイントは意外と正確だったようで、数発がF-14の胴体に命中していた。いずれも致命傷ではなく、かすり傷程度のものだったが。
「ヒュウ、すごいものを見せてもらったぜ。さすがは怪鳥だ、驚いたぜ。ありがとよ。聞きたいことは聞くことが出来た。見かけによらず、話せるみたいだな、アンタ」
「全く、人を食った人間だな、貴官は」
互いに反対方向へと抜けたせいで、彼我距離はずいぶんと離れてしまっていた。その間に「ドラ猫」――バートレット大尉は彼の僚機たちと合流を果たしていた。
「アンタが味方なら、俺は安心して背中を任せられるんだけどな。……また会おうぜ、怪鳥。それまで元気でな!」
最初から最後まで厚顔無恥ぶりを発揮していたバートレット大尉の通信がそれきり途絶えた。私と彼が一騎討ちを繰り広げている間に、部下たちは地上部隊を攻撃していた敵の爆撃隊を押し戻すことに成功していた。守るべき対象のいなくなった空に、「ドラ猫」たち上空支援隊が長居をする必要は無かった。踵を返した彼らが、南へと遠ざかっていく。もちろん、それは撤退したのではなく、補給と修理のため一時退却しただけに過ぎないのだが。武器弾薬・燃料の補給にも支障が出始めている祖国の部隊とは大違いだ。最前線から退却してきた陸軍兵士たちなど、弾薬が完全に無くなった状態で敵の攻撃を突破してきたとも聞く。一体、何のために祖国は戦うのか。何のために祖国の兵士たちは命を散らしていくのか。一体、何のために――。
「隊長、ヒルデスブルクより緊急入電です!」
ゼクアイン大尉がいつにない大声で叫び、私は現実に引き戻された。回線を開くと、クライヴ司令のいつになく緊張した声が耳に飛び込んできた。
「ああ、大佐。忙しいところすまないね。緊急事態だ、大至急基地に戻ってきてくれ。連合軍部隊がバルトライヒの山を越えて進撃していることが分かった!敵さんの本命は、最初からこっちだったというわけだ。ヒルデスブルクに通じるルートにも敵が確認されている。302飛行戦隊は直ちに帰投。基地に接近中の地上部隊への攻撃に当たれ。以上だ!」
やはりそうだったか。スーデントールを大きく外れて進撃していたあの部隊同様、連合軍の本当の狙いは、ベルカ軍主力をスーデントールに足止めし、本命はバルトライヒを越えて山脈北方の無防備な都市群を制圧し、一気に首都を陥落させること――。恐らくは、私たちが目撃した部隊もバルトライヒの山へと入っていったはず。自分の勘がこんな形で正しかったことを証明されても、あまり嬉しくは無い。
「くそ、隊長、早く戻りましょう!連合軍の奴ら、うまい作戦を考えやがって!」
「隊長、ヒルデスブルクは僕たちの家です!何としても守らなければ――!」
"私が戦う理由は、そんな人々がより多く生き延びられるようにすることだ"――バートレットに対して言い放った自分の言葉を、私は改めて心の中で繰り返した。そう、あそこには、私の大切な仲間たちがいる。ワーグリン少尉の言うように、ヒルデスブルクの町は私たちの家なのだ。戦う理由がもう一つあったな、と私は苦笑した。守るべき人たちがいるから、その人たちを守るために戦うという、もう一つの理由を。
この日、1995年6月3日。スーデントール攻略部隊とは別に行動を開始した連合軍別働隊は、バルトライヒ山脈を抜けてノルト・ベルカへと至る峠道或いは山越えルートからの侵攻を開始。スーデントール市内に足止めをされている篭城軍は身動きが取れず、数少ない防衛部隊は圧倒的多数の侵攻部隊を地の利を活かしてかろうじて食い止めていたが、戦線の破綻は目前に迫っていた。