造反者たち
案内された部屋に置かれた家具・寝具の類は決して不満とは言わなかったが、食後の黒ビールを一杯、というささやかな要求も退けられて憮然としてから、既に何日が過ぎただろうか?今更ながら、自分の出国がいかに巧妙に練られた謀略であったかということに気付かされ、こんなことなら居座ってやった方が良かったな――ヴィクトール・フォン・ビスマルクは苦笑した。自分をここまで出し抜く輩がいたことに感心すると同時に、敵国であるはずのオーシアにまで協力者を作り、しかも政府の意思とは全く関係なくあの男――アウグストゥス・フォン・ボーゲン・ド・ベルカ――のためだけに暗躍する組織の存在に慄然とさせられた。結局、和平交渉の場が設けられることは無く、ただ空しく時間だけが経過していく。同行した秘書官は全く別の建物に監禁されているようで、連絡を取り合うことも不可能。とりあえず、自分たちがオーシア国内の空軍基地に連れて来られたことは分かっていたが、テレビすら置かれていない有様では、食事の世話を命じられているらしい女性下士官と、恐らくは統合戦研の内通者であろう高級士官に憎まれ口を叩いてみせるくらいしか気分転換の場が与えられていないビスマルクだった。だが、我慢はそろそろ限界に達しようとしていた。昨日の夕飯のスープに関して文句を付けているときに、高級士官殿はこう言ったのだ。間もなくベルカの浄化が始まり、そして敗北したベルカは捲土重来の機会を得ることになるのだ――と。何が捲土重来だ、とビスマルクは舌打ちした。あの時代遅れの堅物――ベルカ公アウグストゥスが健在のままでは、また同じことを繰り返すだけだろう。本当の意味でベルカが生まれ変わるには、旧態依然とした支配体制を根本から見直すべきだと、ビスマルクは考え続けてきている。20世紀の今日を生きる平民たちは、ベルカの支配階級が考えている以上に他の国々のことを知り、いかに自分たちの国が遅れているかを充分に理解している。そして改革が決して進むことは無いであろう、という諦めも。これではいけない――そう考えたからこそ、芝居を打ってまではるばるオーシアまで来てみればこの有様だった。
遠慮の無いノックが為され、返答するよりも早くドアが開かれたことにビスマルクは眉をしかめた。どうやら夕飯の時間になっていたようで、食欲をそそる匂いとともに、いつもと同じように女性の下士官と例の高級士官が入ってきた。
「公爵、本日の夕飯をお持ち致しました。一時間ほど経ちましたら食器の回収にあがりますので、お早めにどうぞ」
「もうそろそろ黒ビールが飲みたくて仕方無いんだがな。この辺りには街もあるんだろう?いい加減息が詰まってきたので、外食させてもらえんかね?」
「恐れながら公爵、私にその決定権限はございません。必要とあらば、参謀本部に確認を取らせて頂きますが、あまり良い結果は来たいなされない方がよろしいか、と」
そんなつもりはないくせに、ぬけぬけと――ビスマルクは心の中で吐き捨てた。食事をテーブルに並べてくれる下士官が笑顔で夕食を並べてくれていなかったら、このまま無益な口論を延々と続けてしまっていただろう。彼は素早く入り口と高級士官、女性下士官の位置を見て取った。圧倒的優位な立場にある、と信じて疑いもしないらしい高級士官は、歪んだ笑いを浮かべている。
「やれやれ、あそこの礼儀知らずと違って、貴官は老人をいたわる礼儀を良く知っているようだね。老人は大切にするもんだ、とオーシアでは教えていないんだろうかね?」
「余計なお喋りはやめてもらいましょうか、公爵」
「ほら見ろ、これだからね。なあ、フロイライン?」
女性下士官は困ったような微笑を浮かべて食事の準備を整えている。やれやれ、この歳になっていささか卑怯な手を使わなくてはならないのかね、とビスマルクは自嘲気味に苦笑した。だが、そろそろ堪忍袋の緒は限界であり、この機会を逃す手は無かった。いい匂いを漂わせているスープに手をつけようと、スプーンを取って口元に運ぼうとし、ビスマルクはスープを器ごと高級士官めがけて投げつけた。咄嗟のことに身動き一つ取れない相手の顔面を器が直撃し、熱い液体をまともに浴びた顔面を抑えて転げ回る。そしてビスマルクは傍らに立ち尽くす女性士官の手を素早く捻り上げ、腰のホルスターから拳銃を引き抜いてその細い首元に突き付けた。手を捻られた苦痛と、銃口の冷たい感触を感じて細い悲鳴を彼女が漏らす。信じられない、といった表情を浮かべた彼女は、驚愕のあまりか、その後は悲鳴すらあげられなくなってしまった。
「くそぉお、許さん、許さんぞ!大人しくしていればいいものを!」
ビスマルクは銃を引き抜いた相手の右腕を撃ち抜いた。再び絶叫して床に転がった高級士官の拳銃が床に転がり、彼はその拳銃を手の届かないところへと蹴飛ばした。
「お嬢さん、本当に申し訳ないが、この爺にはやらなきゃならないことがまだあってね。後で必ず解放するから、それまで同行してもらうよ。……ああ、後でいくらでも引っ叩いてくれて構わないからね」
それが免罪符になることはないのだったが、そう言うしかないビスマルクだった。
同時刻、OCNのテレビクルーたちは、ベルカとの戦いの最前線であるスーデントールへと出撃する戦闘機部隊パイロットたちに対する取材許可を得て、F-14をバックにインタビューを試みていた。グレン・チェン・ガイヤ少尉という名のパイロットは、今やオーシア空軍の中でも屈指のエースパイロットとしての戦果を挙げている有名人だったのだが、その容赦の無い毒舌ぶりに記者たちは眉をひそめなければならないこともしばしばだった。そんな彼の様子をカメラに収めていたカメラマンが、フレームの片隅に写った人影に最初に気がついた。どうやら、オーシア兵らしき制服を着た女性と、航空基地には似合わないようなスーツ姿の老人――その手には黒光りする拳銃が握られており、後ろ手に腕を縛られてしまっている女性兵士の首には、老人の腕が巻き付いている。カメラマンは、肩に担いだテレビカメラについているサブモニターを点灯させ、傍らのディレクターを乱暴につついた。その刹那、パン、という乾いた音が響き、老人が手にしていた拳銃が火花を散らせた。続いて応射する連続音が響き渡る。インタビューの途中だったが、怪訝そうな顔をしたガイヤ少尉が振り返り、激しい舌打ちをした。
「全くこれだからMPって奴は!老人と女性と子供はいたわれっていうだろうが!」
完全に論点がずれている、とディレクターは思わざるを得なかったが、思わぬところで出くわしたトラブルは、彼らの記者根性を十二分に刺激した。再び銃撃音が鳴り響き、管制塔のある建物の入り口の前で女性兵士がバランスを崩した。カメラマンはその瞬間をズームアップで捉えていた。MPたちは、人質にされた女性兵士に対して銃弾を浴びせたのだ。老人が彼女を抱えたまま後へ飛んだので直撃は避けられたものの、制服の生地が弾け右足から血飛沫が飛ぶ。マイクを持った記者が、素早くカメラの前に立った。
「こちらOCN、インタビューの途中ですが、シラクサ基地で大変な事件が発生致しました!現在、銃撃戦が繰り広げられています!詳細は分かり次第お伝えしますが、女性兵士一人が、MPの銃撃によって重傷を負った模様です。繰り返します、シラクサ基地で、現在銃撃戦が繰り広げられており……」
通信室の兵士たちに銃を突きつけて追い出し、目標の場所にたどり着いたビスマルクはようやく荒い息を整える時間を得た。軍隊で鍛えたはずの体力は期待を裏切り、鼓動はまるでハードロックのビートを奏でるかのように脈打っている。ドアの前にテーブルを乱暴に積み上げてとりあえずのバリケードを作ったうえで、彼は部屋に常備されている応急手当セットを取り出した。自分以上に荒い呼吸の女性兵士の右足からは夥しい量の血が流れ出していて、彼女の制服を赤黒く染めていたからだ。幸い急所は外れてはいたが、激しい出血のために彼女の顔は蒼白になっていた。まさか人質ごと銃撃を浴びせてくるとは予想外だった。やれやれ、この基地の人間はフロイラインの扱い方を知らないと見える……。ビスマルクは応急手当セットの袋を開き、中から止血剤と消毒薬、包帯とモルヒネを取り出した。とはいえ、あくまで出来ることは応急手当でしかなく、止血剤と消毒薬を傷口に振りかけ、包帯をきつめに巻きつける。そして痛み止めのモルヒネを打つと、いくらか女性兵士の呼吸が穏やかなものに変わり、ビスマルクはひとまず安堵した。本格的な処置をしなければならないのは勿論のことだったが、あともう少しだけ、彼女には付き合ってもらわなくてはならないのだった。
「これで応急処置は終わったが、済まないことをしてしまったね」
女性下士官――サッチャーという姓であることに、ビスマルクはようやく気が付いた。サッチャー准尉殿は彼の顔をじっと見ていたが、その視線に彼自身を非難する色が全くないことに安堵しつつ意外な気分になった。
「……これから、どうするつもりなんですか?」
当然の質問だったろう。実のところ、ビスマルク自身明確な計画があったわけではない。だが、このまま手をこまねいているのは、彼の矜持が許さなかった。
「ううむ、実はあまり考えておらんかったんだ。だがしかし、停戦交渉を行うと言いながらいつまで経っても会議の場を設けず、私を監禁していた連中の――ああ、フロイラインは別だよ――、あの連中の非を咎めることは出来るだろうし、不便な事ながら一応は外交官の端くれじゃからな。この国の最高責任者に対して言っておかねばならんこともあるのじゃよ」
そう言いつつ、彼は彼女の前に拳銃を置いた。そして顔を引き締めつつ、その銃を彼女の手に握らせた。
「だから、ワシはこれから一つ演説をぶとうと思う。それが終わったら、ワシの仕事は終わりだ。だから、これまでの無礼の分をまとめて、その銃でワシを撃ってくれんかね?フロイライン・サッチャー、それが私に出来るせめてものお詫びじゃからの。……本当に済まなかった」
一度深く頭を下げた後、ここに来た目的を果たそうとしたビスマルクの目の前で、通信室の窓ガラスが砕け散った。"伏せろ!"とサッチャー准尉殿に叫ぶのと同時に鈍い痛みを肩と腕に感じ、衝撃で仰向けに彼はひっくり返った。砕け散ったガラスの粉が、容赦なく降り注いでくる。どうやら反対側のビルに陣取ったMPたちが、無差別に銃撃を浴びせてきていたのだ。どうやらこの基地の司令官たちは、どうしても自分を抹殺したいらしいな、とビスマルクは納得した。脳天を突き抜けるような痛みと、血が流れ出す不快な感触が神経を飽和させるのを歯を食いしばって耐え、仰向けになった身体を起こす。銃撃を浴びた右腕は動かすことが出来なかったが、床を這うようにして操作盤にたどり着いた彼は、外部マイクのスイッチをオンにしてマイクを口元に寄せた。見ていろよ、アウグストゥスとその飼い犬たちめ。何を考えているのか知らないが、ツケはたっぷりと支払わせてやるからな――!息を大きく吸い込むと、ビスマルクは大声でマイクに想いを吹き込んだ。
「オーシア政府、オーシア軍の諸君に告げる。私は、ヴィクトール・フォン・ビスマルク公爵である!私はベルカ人民たちの選んだ政府の委任使節として、停戦交渉のためここに来た。国家の存亡と無数の人民達の命がかかったこの一大事に、ベルカ公アウグストゥスの息のかかった犬たちに用はない。オーシア大統領を呼べ!!」
日が暮れようとしていた。ヒルデスブルクの滑走路の先端からさらに向こうに見えるバルトライヒの山に沈んでいこうとする夕暮れの光景はいつも通りだったが、滑走路中央部から立ち上る黒煙がその存在感を未だ発揮し続けている。中に搭載されていた物資兵器の類を運び出した後――問題の「V1」も含めて――、「敵」の逃亡を物理的に防ぐためにC747Fを機関砲で完全破壊したためである。訓練棟に立て篭もった統合戦研の連中は、Su-27の機関砲の銃口と何より内部に突入してサブマシンガンの銃口を揃えて向けたボルツマイヤー大尉たちの手により、無用な流血も無く降伏した。敵国の捕虜宜しく手錠をかけられた彼らは、管制塔にある倉庫の一室にまとめて押し込まれ、その入り口は連中から押収した自動小銃で武装した衛兵たちが固めている。彼らの名目上の指揮官であったはずのベルデンハウエン少将はさすがに将官であることから司令官室側の応接室に監禁されているが、銃口を突き付けられて気絶して以降、意識を回復することもなく眠り続けている。あっけないものさ、と肩をすくめて見せたクライヴ司令が、実は最初から例の「V1」攻撃命令を受けるつもりも無かったことに改めて気がつき、私は彼の人の悪さに呆れたものである。敵を欺くにはまず味方から、とはいえ、これでは散々悩んでいた自分が馬鹿みたいではないか――。
逃げ延びた統合戦研の連中がいないかどうか、ボルツマイヤー大尉たちが周辺を捜索し終えるの待ってから開かれた「叛乱部隊」の作戦会議の場において、クライヴ司令が明らかにした作戦計画を聞き終えたとき、その場にいた人間で呆れなかった者はいなかったであろう。開口一番、彼はこう言ったのだ。"大佐と何人かの者には、逃亡兵として脱走してもらう"、と。
「しかしまぁ、なんと言うか、ペテンと言うべき作戦ですな、こりゃ」
ボルツマイヤー大尉が言わずもがなのことを口にし、ゼビアス中尉とゼクアイン大尉が苦笑を浮かべる。だが、「叛乱部隊」初の作戦は、まさにペテンとしか言いようが無かったのだ。軍令部より自国都市への核攻撃命令を伝えられた第302飛行戦隊は命令を拒否するだけでなく、基地司令や軍令部直轄部隊を制圧。さらには、「人民の敵」となった軍令部と親衛隊本部に対して核攻撃を行うため、密かに開発された戦術核弾頭ミサイル「V1」を持って脱走した。ベルカ市民は、軍による核攻撃を避けるため安全地帯へと避難せよ――明朝行われるクライヴ司令による「フッケバイン脱走」宣言を聞いて、私ですら呆れてしまったものだ。要するに、私たちに命じられた作戦時間よりも早く、自国都市への核攻撃を命じた連中自身に、核弾頭の脅威と恐怖を直接的に味あわせてやろう、というわけだ。さらに仕上げとして、私はそれらの空域上空で脅迫文を読み上げることになっている。核の炎で焼き尽くされたくなければ、人道の敵たる命令を撤回せよ、と。そして通常弾頭のミサイルによる対地攻撃――無人の、被害の少ない場所へ――を実施して、再度脅迫を行う。次のミサイルの弾頭は「通常にあらず」、と。その間にヒルデスブルク基地は総力を挙げて「夜逃げ」を敢行し、協力体制にある基地へと間借りすることになっている。いずれ「叛乱」の事実は明らかになるであろうから、その指令系統と人員の安全を確保することは必須要件だったのだ。そのためクライヴ司令は臣民軍航空隊のうち、スーデントール防衛における特務を帯びた他基地に連絡を取ることに成功し、協力体制を取ること――即ち、軍令部の攻撃命令を拒否することを互いに確認しあっていた。一時的にベルカ軍は混乱に陥ってしまうことは予見されたが、戦争を終結させるためには徹底抗戦を訴えて止まない軍令部の機能を奪い取ることが肝要だ――クライヴ司令はそう決断したのである。敗北が避けられないこの状況において、本来政府と軍部が為すべきは必要の無い被害を拡大して人民の命を無駄に散華することではなく、戦争後のベルカを担う人々の命をより多く助けることにあり、それは私たちの共通の意志でもあった。
「して、私とワーグリンは大佐の脱走に共謀する、というわけですな」
「そういうことになる、ゼクアイン大尉。君とワーグリン少尉は大佐に同行して行動し、最終的には大佐と共にここへ降りたまえ」
クライヴ司令が指し示したのは、北海岸都市群の一角に位置する航空基地だった。その航空基地は新米パイロットたちが配属され、厳しい訓練を経験する場所でもあり、その指揮官は「閃光」の名で知られるエースパイロットだった。――クライヴ司令が連絡を取り付けた部隊の中には、ブリッツ・シュラーク隊も含まれていたのである。恐らく、彼は前々からこの構図をとっくに描いていたのだろう。この国を自己の所有物と勘違いしている連中を追放し、弾劾する時期を。平時では決して得られない機会が唯一得られる機会が、今現れたというわけだ。
「ところで大佐、作戦実行に当たって一つ伝えておくことがあるんだがね」
「何なりと」
「作戦遂行中、我々に敵対する勢力の友軍機と遭遇した場合のことだが……」
その場が静まり返る。そう、作戦計画は机上では常に完璧なもの。だがしかし、現実世界で完璧に計画を遂行するには予想外の障害が立ちはだかることもある。今回の場合、バルトライヒ以北の臣民軍飛行隊についてはあまり問題にしなくてもよさそうだが、親衛隊は全く別だった。「祖国に背いて脱走した」私を賞金首として、功を競って襲ってくる連中も必ずいるはず――。それがグラーバクやオブニルの息のかかった連中なら、これ幸いと私たちを狩りに来るに違いない。彼らにとって、「叛乱兵」となった私たちは格好の標的になるだろうから。
「相手が臣民軍飛行隊なら、説得或いは「特務遂行中」と命令してやりすごして欲しい。だが、親衛隊だったら――遠慮はいらん。速やかに脅威は排除されるべきだ。これからの祖国に、彼らのような存在は必要ない。私が全責任を負うから、容赦なく撃墜して辛酸を舐めさせてやれ」
クライヴ司令がにやりと笑いかけてきた。持つべき者は話のわかる上司である、とは良く言ったものだ。味方殺しには変わりは無いが、私たちは自己の安全を守るためにあらゆる手段を行使出来ることとなる。この際、敵対勢力機と明らかな場合は、先制攻撃も止むを得ないだろう。それに、クライヴ司令の言っていることではないが、親衛隊の連中にはそろそろツケを支払ってもらうべきときだ。最早人民の敵にしかならない連中の勢力を削ぎ落としておくことは、将来のベルカ再建のために必要なことでもあった。実のところ、これは自分たちの身を守るためならばなんでもして良い、というエゴイズムでしかない。だがこの際、エゴの権化たる連中には、これ以上ないしっぺ返しをしてやるのも痛快というものではないか。特に、彼らに痛い目に遭わされ続けて来た私たちだ。それを彼らも知っている以上、それだけでも脅迫のネタに使えるな、と私は一人納得していた。
「良し、質問が無ければ早速作戦を開始しよう。大佐たちの出撃時刻は0550時。それまでに、作戦機全機の点検と出撃準備を完全に済ませられるよう、整備班は善処せよ。大佐とゼクアイン大尉、ワーグリン少尉については出撃に備え十分に身体を休ませておけ。0430時にプリフライトブリーフィングを開始するから、それまでには出頭したまえ」
部屋の中の男たちが歓声を挙げながら一斉に立ち上がる。少し遅れて、私は苦笑を浮かべながら立ち上がり、そして回りを見渡した。やや興奮気味で顔を赤くしたワーグリン少尉が、大声で奇声をあげているゼビアス中尉と、彼に対して渋面を向けているアウグスト中尉が、口元に微笑を浮かべて「最後までついていきますぞ」と言いたげなゼクアイン大尉が、そして今や基地の陸戦部隊隊長になりおおせたボルツマイヤー大尉が精悍な笑みを浮かべ、叛乱部隊指揮官に就任してしまったクライヴ司令は人の悪い笑みを浮かべて、私の答えを待っていた。もう、迷う必要も無い。道は既に、私の前にその姿を現しているのだから。
「了解しました、司令。……始めるとしましょう。新しいベルカを生み出すための戦いを――!」
モニターに映し出されるライブ映像と音声を聞きながら、会議室の男たちがそれぞれの顔にそれぞれの表情を浮かべていた。ある者は無表情に画面を見つめ、ある者は焦燥と緊張で汗を額に浮かべ、ある者は怒りの形相で。薄暗い会議室のモニターに映し出されているのは、国内のシラクサ基地で発生した人質立て篭もり事件のライブだった。その場に居合わせたテレビ局の音声に混じって聞こえてきたのは、この場にいる人間の大半にとって予想外の人物の肉声だったのだ。ヴィクトール・フォン・ビスマルク公爵。今や敵国たるベルカの重鎮だった人間が何故そんなところにいたのか、ごく一部の人間が独占していたはずの情報は、ライブ中継を通じて全土に筒抜けの情報と化したのである。
「さて、弁明を聞こうか、参謀総長。ビスマルク公が何故ここにいて、何故こんなことをしでかしたのか?」
テーブルの議長席に座る男が冷然と言い放つ。その声には怒りの微粒子が含まれていて、参謀総長と呼ばれた男の背中を冷や汗が濡らしていった。
「参謀本部の関知するところではありません。立てこもり犯はビスマルク公の名を語り、我々を脅迫しようとしているのです。今すぐ射殺命令をお出し頂ければ、展開しているMPに命令を伝え、処理を実行いたします。大統領、ご決断を!!」
だが議長席の男―-オーシア大統領アーセナル・フランクリンは全く感銘を受けた素振りも無く、その代わりに鞄から封筒に詰められた書類の束を取り出した。ぽん、とそれを参謀総長の前に投げた彼は、初めて苦々しい表情を浮かべ、参謀総長を睨み付けた。
「白々しい弁明はそこまでにしてもらおう。君がベリング・マネジメント社とホイッスラー・カンパニーから巨額の資金を得て、色々とやっていたことは既に我々の知るところなんだよ。例えば、私に内緒でどこぞの国の最高責任者を亡命させ、演説までさせようとしていた、とかね。さて、そのような役割を私は君に与えた覚えは無いが。なあ、外務大臣?」
「参謀総長、外務省としては今回の件に関し、軍部の不当な行動を裁判で白日の下に晒しても良いと考えている。納得のいく説明を聞かない限り、告発は取り下げませんぞ!軍部の暴走は国家の崩壊の始まりという実例がすぐそばにありながら、あなた方はその過ちを我が国で繰り返すおつもりか!」
糾弾された参謀総長は、椅子に座り込んだまま返事も出来ない。
「……君を参謀総長に推薦したのは他ならぬ私だ。だが、過去のことはどうにもならないが、今現在の過ちは正すことが出来る。参謀総長、只今を以って君を解任し、同時に国家反逆罪と背任罪で君を告発する。衛兵!彼を連れ出したまえ」
冷然と死刑宣告に等しい宣言を行ったフランクリンは、今一度裏切者となった参謀総長を睨み付けた。やがて屈強な衛兵たちが4人がかりで彼を掴みあげると、音程を外れた悲鳴が室内に響き渡った。彼がドアの外に連れ出されるまで鳴り響いたその騒音に、この場にいる人間の大半が不快げな表情を浮かべていた。ようやくその音が聞こえなくなって、ため息を吐き出した者は少なくなかったのである。再び静けさを取り戻した室内には、ナレーターの実況中継の声だけが聞こえている。
「さて、処断すべき者がいなくなったところで、今後の方針を皆に聞きたい。ヴィクトール・フォン・ビスマルク公を救出することは決定事項とするが、彼との会見を私は持ちたいと考えている。そこで、諸君は戦後のベルカはどうあるべきだと考えるのかね?私たちは、宇宙からかの地を見下ろす星をこの段階で使うべきかどうか。皆の率直な意見を聞かせてくれないか」
この場に集まった人間たちに、戦争をどう終わらせるか、という認識は無い。戦後のベルカをどう扱うべきか――既に決している連合軍の勝利の裏で、各国も同様に戦後の利益配分を始めているはずだった。