反撃の一矢
友軍の通信網は混乱を極め、指揮系統すら分断された部隊が続出している。最前線からは相当距離離れた北の海でも、その異常な光を観測することが出来た。その直後、友軍の通信網のうち、最前線のスーデントール方面のものは途絶えてしまった。それがバルトライヒ山脈北方都市群に対して投下された核兵器の影響だと、オーレッドの作成司令部から情報がもたらされた時、ニコラス・A・アンダーセン大佐はため息と共に眉をしかめたものである。さて、これはどちらの差し金だろうか?彼は連合軍司令部の最強硬派たちが、ベルカ本土に対する無差別核攻撃を敢行して戦争を終結させる、と主張していたことを知っている。そしてそのために、迎撃の手が決して及ばないであろう遥か宇宙空間に巨大な人工の星を建造し始めていたことを。だが、実質的な最高司令官たるフランクリン大統領が首を縦に振ることはなく、事ここに至って核攻撃を実施する戦術的・戦略的な意味などあるはずもなかった。となると、ベルカ自身?それが事実だとすれば、なんという醜悪なことが起こったのだろう――そう考えると、胃の辺りが痛くなってくるアンダーセンだった。国家の勝利のためならば、人民の犠牲は必然である――軍人ならば必ず陥りかねない危険な思考であるが、よりにもよって核兵器でそれを実践したとなれば、ベルカの指導層たちは最も忌避すべき手段を用いたことになる。もっとも、そう決断させた背景には、連合軍の攻勢によりベルカ軍は追い詰められ敗北の坂道を転げ落ちていた事情があるわけだが。
「第115連隊と、航空隊の安否確認はどうかね?」
CICの通信機器にかじり付くようにしていた通信士にアンダーセンは声をかけた。レシーバーを耳に押し当てながら、彼は無言で首を振ってみせた。
「先刻に比較すれば状況はクリアになりつつありますが、今度は通信が混戦しています。バルトライヒ方面は相当な混乱状態にあるものと思われます」
「引き続き確認を継続してくれ。場合によっては、待機中の航空隊を出撃させることになるかもしれん」
「了解しました」
第115連隊――ビンセント・ハーリング中佐に率いられた海兵隊部隊は、名実共にオーシア海軍海兵隊の中でも最強といって良い猛者揃いの部隊であり、その功績により今回のノルト・ベルカ強襲作戦の一角を担うこととなった。予定通り彼らが進撃していたとすれば、彼らは山脈西側のシューネブルク方面に進撃しているはずである。およそエリート士官らしからぬ言動で、アンダーセンですら手を焼いてきたあの猛者たちを従えてしまった彼には、間違いなくカリスマがある。将来、軍隊という枠組みを越えていく男だろう、とアンダーセンは思っていた。現場指揮官としても有能な彼の判断が今日も存分に発揮されて、部隊の面子が無事であることを祈るのはエゴだろうか?自分の思考の内に潜航しかけた彼の意識は、通信士の怪訝そうな表情によって現実に引き戻された。彼は何度も首を捻りながら、卓上に置いたメモにペンを走らせている。
「どうかしたのかね?」
「いえ、ノルト・ベルカのベルカ軍の通信が妙なことを発信していまして……」
そう言いながら通信士が差し出したメモにアンダーセンは目を走らせた。"軍令部は既に機能を失った。ベルカ全軍は直ちに戦闘を停止せよ。なお当命令は親衛隊・臣民軍双方に対するものであり、一切の拒否を認めない"――実はこの通信は、後に民主ベルカ初代首相に就任するアドルフ・ミュラーたち、ベルカ政府内の民主派勢力によって行われたものであった。が、ノルト・ベルカに展開する空軍を発端にこの命令に賛同する部隊が続出し、結果としてベルカ軍による更なる抵抗という最悪の事態を回避することとなるが、それは後の話のことだ。未だ現在進行中の異常事態の渦中にあるアンダーセンはしばらく沈黙してメモを何度も読み返した。どうやら、私たちが「敵」と考えてきた専制政治体制は終わりを告げるらしい――そうアンダーセンは察知したが、一方ではそのために流された血の量の考えると背筋が寒くなるのだった。
「よし、この通信内容を司令本部に伝えてくれ。嘘か真か、私には判断はつかないが、これ以上の流血と悲劇を防ぐ一助にはなるだろう」
そう命じつつ、スーデントールでは最後の悲劇が拡大再生産されるのだろう、とアンダーセンは確信していた。全く、人間という奴はどうして大きな変革を迎えようとするときに限って、甚大な量の流血を欲するのだろう――。
バルトライヒ山脈は今や最大の激戦区となりつつあった。緑が生い茂っていたはずの山肌には爆発と砲撃の光が瞬き、毒々しいコントラストを描き出していた。篭城戦を展開していたはずのベルカ軍は、どうやらスーデントールを放棄して前面に展開する連合軍に対して攻勢に出たのである。今や市の全域が戦場となり、砲撃と銃撃が街を破壊し、瓦礫を大量生産していく。砲撃で土台が崩壊したビルの真下で、深手を負いながらも携帯SAMを構えた兵士があの世への道連れを求めて連合軍のヘリを狙う。単独で敵陣地に突入しようとする戦車が、陣地からの集中砲火を浴びて穴だらけになりながらも前進し、最後の瞬間まで砲弾を撃ち出して爆発四散する。――スーデントールの兵士たちの大半が、ノルト・ベルカに加えられた核攻撃は連合軍の仕業だと伝えられた結果がこれであった。連合軍の兵士たちは、自分たちの猛攻に無闇に突撃し、屍を積み上げていくベルカの兵士たちを最初は笑い飛ばしていたが、狂気に取り付かれたように攻撃を仕掛けてくる彼らの姿に恐怖し、そして終いには泣き出すものも出始めていた。真実を知らされることもないまま、家族たちを失ったベルカの兵士たちは一人でも多くの連合軍兵士に対して報復の一撃を加えんとし、死んでいくのである。
「こいつはひでぇや……」
バートレットがスーデントールとバルトライヒに瞬く戦火を見てそう呟いた。私たちは激戦区であるスーデントール上空を通過することを避け、バルトライヒ山脈上空を通過して目標地点――南ベルカ国営兵器産業廠の新兵器開発部の置かれている北部市街区に到達するルートを飛んでいる。しかし、かなりの距離があるはずのこの地点からも、激しい砲撃と攻撃を行ってベルカ軍が連合軍に襲い掛かっていく姿が確認出来る。聞こえてくる通信にはヒステリックな兵士たちの叫びが木霊し、それが次々と途絶していく。もう止めてくれ――あの攻撃はベルカが自ら行ったんだ――!何度私はそう叫んだだろう。だが、この混乱した戦況において、私の叫びを聞くことが出来た人間がどれほどいようか?そして、血を流すのはいつも一般の市民たちばかりだ。ベルカ公も統合戦研も、そしてその走狗たるグラーバクたちも、彼らの血と犠牲を何とも思わず生き延びようとしている。それだけは、絶対に認めることが出来ないし、許すことが出来なかった。ふと、私は邪な考えに囚われそうになった。自分の機体に「V1」を搭載してくれば、ヒルデスブルクの人々と同じ苦しみを彼らに与えることが出来たのに――。だがしかし、そんなことをしても散っていった仲間たちは決して喜ばないであろう、と私は知っていた。ならば、彼らの目論みを覆す。私はシンドラーの伝えてくれたことを今更ながら思い出していた。「ベルカ公は貴賓室に閉じこもっている」・「グラーバクたちは彼の護衛に付く」。確証はないが、ベルカ公はグラーバクたちの基地にいる、と私は考えていた。ベルカ公を亡命させるためには、先方の協力者とコンタクトを取り、しかも最短距離で安全地帯に到達する必要がある。そのとき、ノルト・ベルカから来ていたのではあまりに遠い。逆に、最前線たるスーデントールならどうか。連合軍側に協力者がいたとすれば、故意に攻撃の手を緩めた地点から空路第三国に出国することも可能となる。だが、彼らがそもそも空に飛びたてなくなったとしたらどうだろう。そのための切り札が、私の機体には残っている。――対地ミサイルを使用して、滑走路と格納庫或いは管制塔の類を破壊出来れば良い。最早作戦とは言えず、多分に行き当たりばったりの様相を呈していたが、この際私の大切な友人たちが言い残してくれたことを信じる以外に私に道はないのだった。
「おい、フッケバイン。そろそろ目標を教えてくれてもいいんじゃねぇのか?仮にも今は"相棒"なんだからよ」
沈黙が嫌いなのか、それとも退屈してきたのか、バートレットがそうぼやく。この男の面白いところは、口調はぶっきらぼうだし、口はお世辞にも良いとは言えないのだが、それでいて嫌味にならないところだ。その気になれば気に入らない相手を徹底的に言い負かすことも出来るのだろうが――つまり、私は彼に気に入られたというわけか。
「勝手に同行したんだから上官の命令に従え――と言いたいところだが、貴官には借りがあったね。分かった、内容も知らずに敵地に飛び込むのは貴官とて嫌だろうし……」
私は、シンドラーやヒンメル・オウゲが伝えてくれた情報をバートレットに伝えることにした。もちろん、その全部を伝えきる時間などは無かったが、突入ポイントまではいくばくかの時間があったこともあるし、それ以上に誰かに伝えておきたかったのだ。仮にこれを成し遂げたとしても、既に始まってしまったスーデントール篭城軍の激発を止めることは出来ないだろうし、彼らの犠牲を止めることは出来ない。だが、ベルカ公やその取り巻きをのさばらせておけば、またいつの日か同じ過ちを彼らは繰り返そうとするに違いない。それだけは絶対に避けなければならないし、許すわけにはいかないのだから。そのためにも、足止めをして時間を稼ぐ意義は十分にあるはずだ――そう伝えると、バートレットは愉快そうに笑った。私は思わず憮然としてしまったのだが。
「何か可笑しなことを言ったように聞こえたか?」
「あ?ああ、機嫌を損ねちまったんなら悪かった。いや、違うんだよ。国の人間を家畜の如く扱うようなクソ野郎たちに一泡吹かせるために命を張るなんて言葉、アンタから聞けるとは思わなかったからさ。……とことん付き合うぜ、フッケバイン。俺たちには相応しい作戦じゃないか」
「別にとことん付いてきてくれなくてもいいんだが……」
「だから言っただろ、俺は困った奴は放っておけないんだよ。それにな、連合軍だって一枚岩じゃねぇ。勝利が間近になって、それぞれの国がそれぞれの利益にばかり目が行っちまってるんだ。俺がいれば何とでも言えるだろう?現在特務遂行中だ、とか、こちらは友軍のSu-27部隊だ、とか。まぁ、その尾翼のエンブレムだけは目立っちまうがな」
変なところでお節介な男だ、とは思ったものの、実のところ私もこの男が気に入り始めている。こんな失礼な男の指揮を取っていた隊長殿には同情するが。だが実際問題として、バートレットが同行していることは何かと都合が良い。特に、連合軍の航空部隊に遭遇する場合を考えると、彼からはったりを言ってもらえれば多少の時間稼ぎにはなるのだから。
「よし、そろそろ仕掛けよう。研究施設とはいえ、軍事要塞の一角だ。対空砲火やSAMに気をつけてくれよ、ドラ猫」
「そっちこそ、頭に血が昇った状態で大丈夫かよ?まぁ後ろは俺に任せて、安心して飛んでくれ。ところで、ドラ猫ってのは何だ、ドラ猫ってのは。俺には、名誉ある呼び名があるんだよ。"ブービー"ってな」
「分かったよ、期待している、ブービー」
「了解、隊長殿!」
予想したとおり、スーデントール北部に位置する国営兵器産業廠新兵器開発研究区画はまだ戦火の中に無かった。連合軍と密約でも結んでいるのかもしれない。だが、それこそ私たちにとっては望外の好機であったし、唯一の機会だった。バルトライヒ上空から一気に高度を下げた私たちは高度200フィートまで急降下。がら空きの「敵」の懐へと突貫する。
新兵器開発研究区画に直接足を踏み入れるのはこれが初めてだったが、研究区画というよりも、軍事要塞と称した方が良い光景が広がっていた。大規模な工場・研究施設の合間に建てられた砲台やトーチカ群、SAM砲台。上空からの爆撃に備えるため、厚いコンクリートで作られた退避壕。音速の加速を得た私たちは、その真上を高速で飛翔する。北側から一気に南へと下り、再び反転する頃には招かれざる客人に対してトーチカの対空砲が火を吹き始めた。上空で信管が炸裂し、対空弾幕が花を開く。最早無駄にする弾丸もない以上、私は目標たる滑走路の姿を探し求めた。バートレットがズーム上昇。後方からIFF未確認の機影が二つ接近しつつあった。先刻の生き残りか、それとも別働隊の連中か。前方の砲台が動き、こちらに砲門を向ける。反射的に高度を下げた直後、轟音と共に砲弾が撃ち出される。当たるものか、と心の中で叫んだ直後、ロックオンを告げる警報音。地上のSAM砲台から白煙が吹き出し、私めがけてミサイルが殺到する。正面から突入してくるミサイルを降下しながら機体をロールさせて回避し、追尾から逃れる。どうやら私とバートレットは完全に「敵」と認知されたらしく、区画全体が予想外の敵の侵入に慌しく動き出していた。そしてその事が、私に幸いした。砲台での攻撃で仕留められないことに業を煮やしたのか、敵戦闘機がその姿を現したのである。上空から見ていると工場群の一つにしか見えないその建物の中には、出撃を待つ例の前進翼機の姿があった。私は一度機体を上昇させ、視界を確保した。その建物――格納庫からは、広めの道路のように偽装された滑走路が2本伸びていた。ようやく見つけた!そして格納庫から動き出した敵機は、侵入者を捕らえんとスクランブル発進体制を取った。
「俺から逃れられると思ったか!」
レーダー上から、敵の機影が消滅する。バートレットが敵機を撃墜することに成功したのだろう。背中を任せておいて大丈夫そうだ、と確認し、私は目前の敵に狙いを定めた。離陸させるわけにはいかないし、破壊すればとりあえずは滑走路を一本封鎖出来る。機体を失速反転させて攻撃ポジションを取った私の目の前で、敵機が加速を開始する。特徴ともいえる推力偏向ノズルからアフターバーナーの煌きを点し、爆発的な推力を得た機体が動き出す。照準レティクルにその姿を捉えた私は、残り少なくなった機関砲の狙いを定め、そして満を持してトリガーを引く。撃ち出された機関砲弾は敵機の胴体に火花を散らして大穴を穿つ。命中した一発がランディングギアの一本を粉砕し、右側に傾いた機体の主翼とその下にぶら下がったAAMが大地に接触して火花を散らす。離陸態勢にあって加速を得ていた機体はそのまま直進しようとしたため、不幸な敵機は設置した胴体を引きずることとなった。やがて負荷に耐えられなくなったAAMが誘爆を起こし、火花は滑走路上に巨大な火球を出現させた。反動で真っ逆さまになった敵機は背中から再び地面に叩き付けられて、大爆発を起こした。燃料と弾薬を満載した機体の爆発は、こちらの予想以上に滑走路を粉砕することに成功し、さらには後続機の離陸を阻む。その上を飛び越えた私は、その先でインメルマルターン。格納庫を正面に捉えるポジションを取った。火器管制モードを対地攻撃モードに変更。対地ミサイルのミサイルシーカーが点る。破壊された敵機の向こう側に見える格納庫にレーダーロック。さあ、これが私たちの反撃だ。ロックオンを告げる電子音を聞きつつ、一度深呼吸した私はHUDを睨みながらトリガーを押し込んだ。白煙と炎を吹き出しながら、母機の加速も得て射出された対地ミサイルは程なく最大推力に達して猛烈な速度で目標に対して直進する。私が撃破した敵戦闘機のあげる炎を振り払い猛進するミサイルに対し、後続の敵が機銃掃射を浴びせてきた。格納庫の入り口で攻撃を仕掛けているのだろうが、それを嘲笑うかのように目標直前でホップアップしたミサイルを迎撃する術を彼らは持っていなかった。上空から攻撃目標を捉え、弾頭部が格納庫に衝突すると同時にそれは炸裂した。窓という窓から炎が吹き出し、吹き飛ばされたガラスの破片が地面に降り注ぐ。膨れ上がった爆炎は格納庫の中に待機していた「灰色の未確認機」――S-32と呼ばれるそれらを瞬く間に飲み込み、パイロットや整備士たちも火球の中に消えていく。ミサイルを迎撃しようと入り口で機銃攻撃を仕掛けた敵機は、建物の中で発生した猛烈な爆風のサイクロンに後背から弾き飛ばされ、一番機同様に背中から着地して大爆発を起こしてしまった。やがて建物全体が内側から吹き飛ばされ、周辺の建物を巻き込みつつ、格納庫は炎の海に包まれたのである。
「敵襲、敵襲!現在我が施設は敵戦闘機部隊の攻撃を受けつつあり、滑走路が破壊され迎撃機が上がれない。至急応援請う、繰り返す、至急応援を要請!!」
空襲警報が鳴り響き始め、管制塔の通信士の悲鳴混じりの救援要請が発信される。この攻撃を行っているのが他ならぬ友軍であるはずの私だと知ったら、彼らは泡を吹いて卒倒してしまうかもしれない。私は航空施設にトドメを刺すべく、基地上空へと垂直上昇。航空施設の北側に位置する、航空燃料プラントとタンクを残弾1となった対地ミサイルの行き先と決める。都市の全体が一大工業地帯たるスーデントールなので、いずれは航空燃料の供給も復活してしまうことは違いなかったが、とりあえず連中――グラーバク・オブニルの足を止めることは出来る。高度7,000フィートまで上昇し、速度を殺しつつ眼下に目標を見下ろした私は、再びトリガーを押し込んだ。白煙を吹き出しつつ、自己の推力と落下速度を加えて加速していくミサイルはあっという間に私の目前から姿を消す。爆発に巻き込まれることを避けるために再上昇した私の足元で、着弾したミサイルが炸裂した。先ほどの格納庫とは異なり、攻撃に対しては脆弱な燃料タンクはあっという間に引き裂かれ、燃料プラントは押し潰されるように崩壊した。さらに膨れ上がった爆炎は、燃料タンクの中に収められていた航空燃料を引火させ、更なる炎と爆発を発生させる。着弾点を中心として膨れ上がった火球は、先刻の格納庫の爆発で損害を被った航空施設に致命傷を与えることとなった。爆風と超高温の熱風が吹き荒れ、周辺施設は文字通り火の海と化したのである。レーダー施設のアンテナは根こそぎ吹き飛ばされ、その機能を失う。対空攻撃の要であるはずの砲台が土台から崩壊して横倒しになり、大地と不本意な接吻を強いられてさらに被害を拡大させていった。被害を逃れた施設から消防車が飛び出し、化学消火剤や水の放出を始めるが、焼け石に水の有様で、むしろ拡大する火災により彼らは後退を余儀なくされていく。ヒルデスブルクや他の都市を襲った悲劇に対する復讐としては、ほんのささやかなものでしかなかったが、国営兵器産業廠新兵器開発研究区画――そのうち、仇たちの本拠たる航空施設の破壊を、ようやく私は果たしたのである。
「……終わったよ、みんな」
最早残弾も僅かとなり、燃料もほとんど空っぽとなった愛機の中で、復讐を果たした私は呟いた。全てを達成し終え、もう少し達成感や満足感といったものを感じられるのかと思っていたが、頭の中は真っ白だった。グラーバクたちは本拠を失い、更なる核攻撃を行うことは出来なくなった。「灰色の未確認機」たちが戦線を混乱させることも無くなった。何が不満だ?そう問う自分の意志に背くかのように、溢れ出したのは涙だった。仲間たちを失った悲しみ、目の前で散っていった部下たちに対する悲しみ、色々な感情が弾け、胸の中を切り裂いていく。グラーバク・オブニルの帰る場所は無くなり、「捲土重来」とやらのためにベルカ公とその飼い犬どもが空路脱出することも出来なくなった。全てをやり遂げたはずなのに、頭に浮かんできたのは仲間たちと過ごした、失われた日々のことばかりだった。数年間の間開かれることの無かった涙腺が、全開になってしまったかのようで、視界がぼやけて霞む。
「こちらブービー、相棒、大丈夫か?」
相棒――ジャック・バートレットの呼びかけに答えることも出来ず、私は漏れそうになる嗚咽の声を唇を噛み締めながら耐えていた。こちらの気配を察したのか、バートレットも無言だった。私はバイザーを上げて、目を拭った。グローブの感触が少し痛かったが、ぼやけていた視界が晴れ、どこまでも続いていくような青空が視界に飛び込んできた。――ほんのあと数日もすれば、祖国の仕掛けた愚かな戦争は終わりを告げ、戦いの空はもう命を散らす必要の無い平和な空へと姿を変えていくのだろう。だが、平和の空を仲間たちが飛ぶことは決して無いのだ。
スーデントール北区域、新兵器開発研究区画のあるエリアから離脱していく2つの光点を、その男は厳しい視線で睨み付けている。複数の交信から飛び込んできたのは、仮らの帰るべき基地が失われ、その攻撃を実施したのが取り漏らした獲物――怪鳥であるという事実だった。およそ尋常でない数の同志達が怪鳥たちによって撃墜され、さらに悪いことにノルト・ベルカへの脱出に1機が成功したという事実を知って憮然となった男――ヘルムート・フォン・アシュレーの気分はこれ以上ないほどに害されたのであったが、もたらされた通信は火に油を注ぐようなものでしかなかったのだ。だから、奴を殺しておくべきだったのだ!必殺の謀略を以って臨んだはずが、気が付いてみればことごとくの障害を噛み切って、挙句の果てにベルカの大義を果たすための計画すら撃ち砕いてみせたのだ。――奴は決して生き残らせるわけにはいかない――。
「シャンツェより、グラーバク1。目標追尾中。捕捉良し」
アシュレーは火器管制モードを切り替え、"シャンツェ"による誘導モードにリンクを開始する。腹に抱えたXFP-05長距離誘導AAMのミサイルシーカーがHUD上に出現し、レーダーに合わせて自動追尾を開始する。程なくして、シーカーの色が反転し、ロックオン、敵機捕捉を告げる電子音が鳴り響いた。死ぬがいい、怪鳥。貴様には「裏切者」の名こそが相応しい。「英雄」とは、ベルカの大義を果たした者にだけ与えられる名誉ある称号なのだから。
「グラーバク1、フォックス3」
怨念と共に、必殺の矢が放たれる。数機から発射されたAAMは、やがてシャンツェの誘導によってルートを修正し、そして最大速度に達して虚空を切り裂いていく。死ぬがいい、フッケバイン。貴様の時代は終わったのだ――必殺の確信を抱き、アシュレーは歪んだ笑いを口元に浮かべたのだった。