終戦
遥か遠い出来事であったはずの戦闘は、今や至近の距離に迫りつつあった。戦闘機の奏でる轟音が鳴り響き、彼らの放つ爆弾が炸裂すると更なる轟音と衝撃が建物を揺さぶるのだ。そして接近しつつある陸軍車両からの砲撃は熾烈なものとなり、新兵器開発研究区画の防衛陣地を粉砕していく。全く、こんなはずではなかったのに。男は轟音と衝撃で揺さぶられる建物の中を走り、そして「貴賓室」とプレートの掲げられた部屋のドアをノックもせずに開いた。中にいた老人と、初老の士官が驚いたように振り返る。男は怒気を隠そうともせずに声を張り上げた。
「一体これはどういうことだ、フォーゲル大佐!!何故連合軍は我々に対して攻撃を行っている!?何故我々の脱出のための飛行機が離陸出来ない!?全ては計画のうちではなかったのか!!答えろ、この無能者め!!」
怒声を浴びたフォーゲルは口を噤み何も答えない。その態度が、男の機嫌をさらに損ねることになった。男にとって、願ったことは必ずかなえられるべきものであった。失敗・挫折――そういったことを経験しないまま成長した彼は、自我か抑制されたときに対処する術を知らなかったのだ。彼は事実追い詰められていた。フォーゲルをはじめとして、大言壮語を吐いてみせた統合戦研の思惑は見事に裏切られ、今や自分たちは逃げる術も失いつつある。大義を理解しない賤民どもの崇拝する裏切者――フッケバインのせいで滑走路は完膚なきまでに粉砕され、さらには連合軍までが密約を破って侵攻を開始した。あってはならないことだった。全ての者は自分の意志どおりに動き、そしてベルカは永遠の繁栄を手にするのではなかったのか?そして自分は救国の英雄の一人として、この世界に君臨するはずではなかったのか?
「早く、早くなんとかしろ!統合戦研はそのために存在するのだろう!?連合軍の司令部に連絡を入れろ!すぐに攻撃を止め、我々を迎えるための飛行機をよこせ、と!!」
「よせ、コルネリアス。オーシアは最早余を迎える気などないようじゃ」
「何を仰いますか、父上!!」
老人――ベルカ公アウグストゥスは無言で部屋に置かれたモニターを見るように促した。「敵国」オーシアの大統領府ブライトヒルの公式記者会見場の演台には、右腕が包帯によってぐるぐる巻きにされた老人が立っていたのである。その彼を支えるようにしているのは、フランクリン大統領。怪我による影響のせいか、老人の声は決して強くは無かったが、その眼光は鋭く光り、会見場に詰めかけた記者たちは一言も言葉を発さず、その演説に聞き入っていた。
「……ビスマルク!?何で奴が!?」
"オーシアをはじめとする連合国諸国の皆さん、私はこの愚かな戦争を引き起こしてしまった我が祖国ベルカのことを許してくれ、などとは申しません。が、時代遅れの指導者たちの手によって、皆さんと同様に家庭を持ち、家族を持った人々が戦火の中で倒れ、そしてさらには、敗戦という現実を直視できない愚かな統治者たちの手によって、核の炎に焼かれていったこと――その現実を忘れないで頂きたいのです。そして、この演説を聞いているベルカ軍兵士の皆さん。そう、核弾頭は、連合軍が投じたのではない。私たちの祖国に対して責任を果たすべき立場にあるはずの者たちが、自分たちの私利私欲のために自らの市民を虐殺したのだ!……もう、あなた方が戦うべき理由は存在しません。断罪されるべきは、皆さんを戦争へと追いやった、無責任な統治者たちだ。どうか、もうこれ以上命を散らすことなく、今は降伏に甘んじて欲しい。そして、ベルカの将来――こんな馬鹿げた戦争を繰り返してきた愚かな国ではなく、人々が安心して暮らすことが出来るような、そんな新しいベルカのため、生き延びてはくれないだろうか?もう、戦いを終わらせようではないか"
"オーシア国民の皆さん、ビスマルク公爵の言葉は真実です。公爵はこの戦争を早期に終結させるための使節として我が国へと入国されました。しかし、それを快しとしない者たちの手で公爵は不当に拉致されていたのです。さて、国民の皆さんに、敢えて問いたい。皆さんが望むのは、ベルカという国に生きる人々の徹底的な抹殺ですか?それとも、早期終戦による、家族たちのいち早い生還ですか?およそ私たちは「国家」という枠組みで物事を考えると、その国に生きる人々のことを忘れがちです。ですが、戦争という悲しむべき事態によって銃火を交えることとなった相手にも、皆さんと同じように家族がいて、生活があること――公爵の仰られた事ではありませんが、その事実を私たちは改めて認識すべきなのではないでしょうか?今、こうしている間にも多くの人々が倒れ、死んでいるのです"
モニターを睨み付ける父の顔色は、死人のように青ざめていた。恐らくは自分もそうであろう、と男――皇太子コルネリアスは気が付いた。彼らの信じた道へ続く扉が、土壇場で彼らの来訪を拒否して閉まっていく音が聞こえてくるかのようだった。これでもう、オーシアが彼らを受け入れることは決して無い。オーシアの最高責任者たる大統領――フランクリンに知らせることなく遂行されるはずだった計画は、完全に失敗に終わったのである。自分たちの滞在する区画に対する攻撃は、まさにそんなフランクリンの意志を反映したものと言えよう。
「……ビスマルク、こざかしい死に損ないが、やはり余の前に立ちはだかるか。――失態だな、フォーゲル。このうえは、こんな所に長居は無用じゃ。貴様と貴様の部下たちの命を以って余と皇太子を守りぬくことじゃ。最早オーシアに入ることもままならん以上、貴様の命を代償にしてでも術を考えよ」
「……は、ぎょ、御意」
自分たちに劣らず青ざめたフォーゲルは、そう答えるのが精一杯であった。既に連合軍の進撃が始まっている以上、残る選択肢は区画北部のバルトライヒを越える以外には存在しないのだが。
「許さん、許さんぞ。賤民どもも、怪鳥フッケバインも、連合国も――いや、我々を否定するこの世界を、私は決して許さない。いつの日か、必ず相応の報いをくれてやる。私たちが生きている限り、ベルカの敗北は有り得んのだからな……!」
コルネリアスの呟きは、再び上空を通り過ぎる戦闘機たちの轟音によってかき消され、誰の耳にも入ることは無かった。だが、長い時間を経て、彼の復讐は実行に移されることとなるが、それはまた、別の物語である。
上空を、連合軍の戦闘機たちが通過していく。様々な部隊章、様々な機体が共に轡を並べて飛んでいく有様は、戦争という事態でないのならば航空ショーでも見ているような気分だった。そして、地上からそんな彼らを見上げているという感覚は、私にとって新鮮なものであった。これまでは、自分自身もあの中にいたようなものだったから。私たちの姿に気が付いたのか、ごく低空を2機のF-15Eが低速で旋回する。片方の翼を真っ赤に染めた機体と、尾翼に猟犬――北方伝説に伝わる"ガルム"のエンブレムを描いた2機の姿はなかなか見物であった。彼らとコンタクトを取る術は無かったが、運が良ければ救難ヘリでも回してもらえるだろう。私は悪戯っ気を起こして、手を振ってみた。すると、それに応えるように「猟犬」の機がくるりとロールしてみせて、そして方向を転じるとスーデントールへと姿を消していく。どうやら、先ほどまで守られていたらしい「密約」が破棄されたようで、私たちが攻撃を加えた区画の方角からは炎と黒煙が立ち上る光景が広がっている。
「……で、最寄の航空基地はどこなんだね、ブービー?」
サバイバルキットのミネラルウォーターを少し口の中に含み、カラカラになった喉を潤す。目の前に広がる草原には初夏の風が穏やかに吹いていて、パイロットスーツを着込んで汗だくの私には快い。ブービーと呼ばれた男――ジャック・バートレットは、折り畳んだ地図を睨み付けながら頭を掻いていた。結局、彼も燃料切れに陥り、愛機を捨てるしかなかったのである。俺に任せろ、という言葉を信じたのが運の尽きで、私たちは目前に広がる草原をあてどもなく彷徨っているのだった。
「俺様の正確な方向感覚は、空を飛んでいてこそ発揮されるんだ。地面に足を付けていると、余計な地磁気の影響でコンパスが狂ってしまうんだ」
「素直に道に迷いましたと言ったらどうかね。救難ビーコンも発信しているのだろう?」
「いや、それがだな……電池が切れた。すまん」
全て任せろといったのはそっちだろうに――さすがに私も思わず天を仰ぎ見た。生き続ける事を決心した私の最初の仕事とは、どうやって私の身分を証明するか、ではなく、この騒々しい男と一緒にどうやって友軍まで辿り着くか、ということになりそうだった。幸い、私にしてもバートレットにしても最低限のサバイバルキットは持っているし、落着したのは砂漠でもなく草原なので、その気になれば休むところには困らないのだが、如何せん方向が分からない。まして、私がこの近辺の地理に明るいはずも無い。一度ため息を吐き出して、私は草原の上に寝っ転がった。青い、どこまでも抜けるような空が、今日も広がっている。実際問題として、ここまで散々酷使してきた身体は休息を欲してもいたのである。
「私自体が電池切れだよ。少し休ませてもらえんかね?」
「意義なしだ。パイロットスーツで野歩きなんてするもんじゃないぜ、本当に」
戦闘機の集団が通り過ぎた後の空は静かで、時折草原を吹き抜けていく風が私たちの顔を撫でていく。
「ところで、もう覚えただろうな、おまえさんの名前。いざ実演、となったときにどもったら洒落にならないからな」
「分かってるよ、ピーター・N・ビーグル准尉、だろう?」
「その通りだ、准尉殿。今日からは、俺の編隊員だ。言うことはきちんと聞いてもらうからな!」
「一応言っておくが、私は君よりも年上なんだぞ」
「だから、こうやって色々便宜を図っているんじゃないか。何か不満か?」
「やれやれ、先が思いやられてきたよ……」
その名は、戦闘中行方不明となった、彼の編隊員の名前であった。パイロットスーツに付いていた部隊章とネームプレートを剥ぎ取り、とりあえずバートレットが持っていた部隊章を預かっているものの、明らかにオーシア軍の物と違うパイロットスーツを見た連合軍が果たして受け入れてくれるかどうか……?何とかなるさ、とバートレットは言うが、きっと彼のことだ。何も考えていないに違いない。その場になって猛烈な勢いでまくし立てる光景が容易に想像出来る。
「ま、何とかなるさ。さっきの友軍機が救援ヘリを差し向けてくれたかもしれないしよ。ふわ……ああ、何だか眠くなってきたぜ。おいビーグル准尉、俺は少し寝るぞ。30分経ったら起こしてくれ」
「自分でアラームをセットすれば良かろう。私は目覚し時計ではないよ」
「……頼むよ、相棒」
「……後でうまいウィスキーを二杯で引き受けようか」
「三杯にしといてやる。ビーグル准尉の"生還"祝いも兼ねてな」
「了解、隊長殿」
程なく、豪快ないびきが聞こえてきた。やれやれ、と苦笑しつつ、私も瞼を閉じる。ようやく全てが終わり、そして新しい日々が始まろうとしていた。それは、私の大切な友人、大切な人々の犠牲の先に開かれた道であるかもしれないが、生き残った者には、彼らのことを忘れない義務があるのだった。――いずれにせよ、今は身体を休めることが先決だ。私は自分の腕時計のアラームをセットし、自分自身も仮眠を取ることにした。出撃を気にせず、昼寝をするなんて、一体何年ぶりのことだったろう。
1995年6月6日、バルトライヒ山脈上空での空中戦を最後に、ベルカ空軍のエースパイロット「フッケバイン」の消息は途絶える。一方、バルトライヒ北方都市群に行われた核攻撃から奇跡的に生還したバートレット大尉及びビーグル准尉は、その後も徹底抗戦の構えを崩さなかった一部のベルカ軍部隊との戦闘において功績を挙げることとなる――。
「結局、グラーバクの連中は既に亡命した後で、戦場で出会うことは無かったんだけどね」
「まあいいじゃないか。その分、俺たちの愛弟子が決着を付けてくれたんだから」
成り行きとはいえ、私は結局彼ら――おやじさんとバートレット少佐のユークトバニア行に同行する羽目となった。が、その期間、おやじさんから貴重な話を聞く時間を得られたのだから、良しとすべきだったろう。何しろ語られた話は、戦勝国にもたらされた事実が、真実のほんの一端でしかなかったことを明らかにしたのだから。そして、16年前の大戦と昨年のベルカ事変が実は一本の糸でつながれた事象だったことが改めて確認できたことは、これからの私の仕事を進めていくうえでも大いにプラスとなるだろう。
「あれから、16年経ったわけだ。私も歳を取るわけだよ。いや、さすがに士官学校時代に既に通過してしまった階級で呼ばれるのは何だか慣れなくてね。呼ばれているのに無視してしまったりして、堅物の士官殿たちに煙たがられたものさ。……まぁ、本物のビーグル准尉には本当に申し訳ないことなんだけど、彼にはいつかヴァルハラで謝ることにするよ」
おやじさんは、手にしたライトビールをぐっと呷った。バートレットがどこからか持ち込んできた「オーシア土産」の一つだったが、この分ではユークトバニアに到着する前に完全に消費されることとなるだろう。
「時に、おやじさん。祖国には――ベルカには戻られないのですか?万年大尉の元でこき使われた分の休暇をこの際ですから取得されてもいいのに」
「ははは、それも悪くはないんだけどね。何しろこの16年間、本当に苦労させられてきたわけだからね。超過勤務分の手当てと休暇を当然もらってしかるべきなんだが……」
おやじさんは、どこか寂しげに笑いながら首を振った。
「いや、私はもう祖国には戻らない――いや、戻れないよ。私が生まれ育った大切な国であることは事実だけど、戻るには辛い思い出が多過ぎる。私自身が思い出したくないことを、嫌でも思い出してしまうこともあるだろうし……それに、「怪鳥フッケバイン」の顔を知る者も少なくない。それによって、迷惑する者もいるだろうからね。「祖国の裏切者」の名のとおり、理由はどうあれベルカから脱走したことは事実なのだから、今更帰る資格も権利も、私は持っていないよ」
そう笑いながら言いつつ、彼は例の小さな袋――ウォルフガング・シンドラー氏が、おやじさんに託した指輪を取り出した。
「ジュネット、君はノルト・ベルカに行くのだろう?時間があったらでいい。彼の、シンドラーの遺族の消息を調べて、、この指輪を返してやってくれないか。その機会を得ることがないまま今日まで来てしまったが、彼も家族の元にきっと帰りたいだろうからね。――頼まれてくれるかい?」
16年前の戦争の最中、真実を伝えるために奔走し、そして命を失ったジャーナリスト、ウォルフガング・シンドラー。私が為さねばならない「仕事」の中で、彼の名は明らかにしなければならない歴史に克明に刻まれるはずであった。幻となったベルカン・タイムズ6月6日号といい、彼が掴んでいたベルカ軍とベルカ政府の策略の数々といい、彼の名を避けて通ることは出来ないのだから。差し出された小袋を、私は両方の掌で大切に受け取った。ジャーナリストとして最後の最後まで生きた男の形見は、ずしりと私の心に響いた。
「分かりました、おやじさん。必ず届けます。もともと、制限時間がある仕事というわけでもありませんしね。それに、私も個人的に彼のことをもっと知りたくなってきているんですよ。あの時代、あの国で、そこまで真実を報じようと出来るジャーナリストはそうはいませんからね」
「そういってもらえると助かるよ、ジュネット。ふう、これでやり残したことがまた一つ片付くね。随分と身軽になったもんだ、私もね」
胸中のアルコールを吐き出すようにそう言った後、おやじさんは何気なく窓の空に広がる青い空に視線を移した。平和を取り戻したこの空を、今や命を賭けて戦うパイロットたちの姿は既に無い。私の良く知るラーズグリーズのエースたちが真に望み、そしてかつてはおやじさんもそう望んだのであろう青空。そして、散っていった無数の兵士たちが望んでいた「平和」。壊すときはこれほど簡単に壊れるのに、再び手にするためには膨大な量の血を欲する「平和」。私たちは、今度こそようやく手にした「平和」を可能な限り長く維持していく方法を皆で考えていかなければならないのだ。――そのためにも、歴史の影、舞台裏に潜み続けたベルカの残党と、16年前、ノルト・ベルカを舞台にして繰り広げられた謀略の数々を明らかにする必要があるのだ。戦争という人類にとって最大の脅威すら私利私欲のための手段として用いるような人間たちの存在を暴露し、断罪するために。
「それにしても、ブレイズたちは本物のラーズグリーズだった――最近そう思えるんだ。あの苦しい戦いを最後まで生き延び、そして数多くの人々を動かしていった彼らこそ、私たちの世界を破滅から救い出してくれた"選ばれし戦士たち"だったんだ、とね。彼らと出会えた幸運に、私は感謝しなくてはならないね、きっと」
「ああ?あいつらが?……この俺を差し置いて偉くなりやがってなぁ、ホントに。だけど、俺はもう一人そういう奴を知ってるぜ。戦乙女が選んだとしたら爺趣味も甚だしいってもんだがな。ほら、そこでビール缶片手に一人で納得しているおっさんが一人、な」
バートレットは照れくさそうにそう言い、そして照れ隠しのようにビールを呷った。そう言われた当の本人たるおやじさんも、照れくさそうに笑った。
「やれやれ、似合わないことを言うもんだね、隊長も。ナガセ辺りに言ってもらえるんなら多少はその気になってもいいんだが、隊長ではねぇ。戦乙女の代わりに、ロキかトゥールが出迎えに来そうじゃないか」
「何だと!この人見知りするシャイな俺がそこまで言ってやってるのに、何て言い草だ!!」
おやじさんがついに吹き出し、つられて私も笑い出してしまった。バートレットも、結局そう言いながら笑っている。だが、私は思うのだ。バートレットの言ったことは正しい。ブレイズたちがラーズグリーズに選ばれた戦士たちだったのなら、おやじさんもまたその一人だったのだろう、と。心優しい戦乙女は、絶望で道を見失いそうになる戦士たちが道を誤ることの無きよう、最高の先達を連れて来てくれたのだ。二度の大戦の重大な局面に常に直面し、そして戦争で傷付き、疲れ果て、それでも飛び続けなければならないブレイズたちに適切な助言を与え、励まし、そして支え続けたのは、他ならぬおやじさん――いや、英雄フッケバインその人だったのだから。