辺境基地の最新鋭部隊
輸送機から降り立った僕の目の前に広がっていたのはところどころ照明灯の壊れた滑走路、粗末な管制塔と建物、ハンガーも3つほど見えるが、屋根のトタンには穴が開いている。おまけにここは寒い。この間まで、とはいっても3ヶ月ほどの期間だったが、9月27日から始まったユークトバニアとの戦闘で何度も出撃をしたベースは大陸の西岸で、初任給で大枚はたいて購入した皮ジャケットの出番はなかったのだ。そこで僕は何か失態を犯してしまったのだろうか?基地司令官殿は馬鹿丁寧に僕の配属転換を祝ってくれたものであるが、望んでもいなかったテストパイロットへの転換。がっくりときていた気分にトドメを刺すには充分すぎる光景であった。よく見ると畑まであって、傍らには年代物のトラクターまで置いてある。僕が配属されたのは、オーシア空軍第9103飛行隊。通常、空軍の部隊番号は3桁であるが、試作機の運用部隊や特別任務隊にのみ4桁の部隊番号が付されることがあった。僕の配属先もそんな部隊の一つ。激化するユークトバニアとの戦争をより優位に進めるため、ハーリング大統領の進めてきた軍縮政策を変更し、強い空軍部隊を作るための主力戦闘機選定テスト部隊。どちらもノース・オーシア・グランダー・インダストリーがライセンス生産している、次世代ステルス戦闘機であるF/A-22とYF-23Aがこの部隊に配備された翼だった。どちらにしても、僕が前任部隊で搭乗していた機体よりも新しく、そしてより高性能な戦闘機たちであることは言うまでもない。だが、そんな部隊が配属されるのが、こんな片田舎の古い基地であることが、この国が戦争状態にあることの現れなのかもしれなかった。前線では、決して有り得ない光景。ここには、ピリピリとした殺気だった雰囲気も、エンジンを止めずに待機している戦闘機たちの吐き出すジェット燃料の香りもない。整備兵たちも、どこかのんびりしているように見えるのだった。
「おう、この基地に配属された新しい荷物ってのはお前さんのことかい?」
呆然としていた僕は、いつの間にかこれまた年季の入ったジープが隣に停車して、ジャケットの胸元を開き、赤銅色に日焼けした長髪の士官が人の悪そうな笑いを浮かべていることにすら気が付いていなかった。襟元の階級は……大尉。僕の上官なのだろうか?
「……ハヤト・アネカワ少尉です。本日付で第9103飛行隊に配属となりましたので、基地司令官殿にお取次ぎ頂きたいのですが……」
「ああ、いねぇぞ」
「は?」
我ながら間の抜けた返答になってしまったが、それにしても基地司令官が不在というのは前線偏重のオーシア軍のやり方を大目に見たとしても些か問題ではないのか。
「そんな顔するなって。いいか、ここはご覧の通りの田舎基地。なのに母国は戦争真っ最中。ユーク国内で野戦飛行場をバカスカ作るものだから、司令官が掛け持ちする有様なんだ。とりあえず戦場にならない、ここみたいな基地なら、いてもいなくても変わらない司令官は不要、というわけさ。それでも週に二回はやってきてくれるだけましだと思いな」
ほれ荷物、と言われたので背負っていたボストンバックを渡すと、大尉殿はジープの後部座席に放り投げた。あ、あの中には命の次に大事なCDたちが入っているんだ。大丈夫だったろうか、中身……。
「何だまた情けない顔しやがって。そんなに上役がいないのが不満か」
「い、いえ、そういうわけではないのですが」
「安心しろ。基地司令官は確かにいねぇが、その代わりにもっと陰険で陰湿で頭の固い大佐殿が俺たちの上に乗っかって下さる。顔も見たくないんだが、可愛いチームメイトのお願いだ、連れてってやるよ」
僕が助手席に乗り込むと、大尉殿はジープのアクセルを荒っぽく踏み込んでスタートさせた。年季の入った見かけからは想像できないような快い音を立ててエンジンが回る。そうだ、ここに至るまで、僕は肝心のことを聞きそびれていることに気がついた。
「失礼しました!大尉殿のお名前をうかがっておりませんでした!」
「バカ、いきなり大声出すなっ!……俺は、グレン・チェン・ガイヤ大尉。このクソみたいな基地でクソな機体に乗せられてクソなテストをやらされているオーシア一不幸な大尉だよ。そうだ、お前はおっ死んだ先任の代わりに俺と同じチームに配属されたのさ、アンラッキーボーイ」
これが、尊敬すべき上官ガイヤ大尉との出会いだった。
大尉が案内した先は、「本部棟」と呼ばれている施設の士官勤務エリアだった。辺りののどかな風景とは見事にアンマッチな、ぴしりと制服を纏った士官たちの中で、シルバーフレームの眼鏡をかけて端末を叩いている士官の前で大尉は立ち止まった。その士官殿は無表情に大尉殿を見上げ、そして珍しい物でも見たかのような表情を作った。
「今日は記念すべき日かもしれんな。ガイヤ大尉が非番日によりにもよってここに顔を出すとはな。」
「滑走路脇で落し物を見つけましてな。誰も拾ってやんないんで、不躾ながら自分が連れてきた次第です。」
誰が落し物だ、と言いたくなるのを堪えて僕は敬礼した。
「ハヤト・アネカワ少尉です。本日付で第9103飛行隊に着任いたしました。」
士官殿は眼鏡を外して立ち上がると、敬礼を返した。雰囲気同様にぴしりとした動きが印象的だった。
「アダムス・クライスラー大佐だ。君の腕前は聞いているよ。当部隊での活躍に期待する。ガイヤ大尉、彼を格納庫に案内したまえ。自分の乗る機体に早く馴染んでもらったほうが良いのではないか?」
「お言葉ですが自分は非番であります。以後の案内は別の者にお願いしたいものですな」
「では大尉、命令だ。本日只今より貴官はアネカワ少尉に同行し、試験機の点検を行いたまえ。本日の分は、次回以降の追加時間として手当てさせてもらう」
露骨に嫌そうな顔を浮かべ、しかし反論の余地がないことを悟ったガイヤ大尉は盛大にため息をつきながら敬礼を返した。
「了解いたしました、大佐殿。しかし司令殿は今どこでバカンスされているのでしょうなぁ?」
「口を慎みたまえ、ガイヤ大尉。9103の任務には関係のないことだ。アネカワ少尉、君にはYF-23Aチームの一員として機体を預けるが、余計なことを考えている暇がないほど、機種選考のスケジュールは詰まっている。機体の扱いを速やかに覚えておきたまえ。明日から早速飛んでもらう」
え、と言いかけて口をつぐんだが、それより先にガイヤ大尉がクライスラー大佐の机に詰め寄って、今にも胸倉を掴みそうな勢いで大佐を睨み付けていた。クライスラー大佐は少なくとも表面上は何の変化も見せない、完璧に制御された表情で冷然と見返している。
「大佐殿、また先日の誤りを繰り返されるおつもりですか?」
「ガイヤ大尉。アネカワ少尉にも伝えたように、9103のすべき任務は数多い。君の希望通り、戦闘機乗りを配属したのだ。彼の習熟はYF-23A隊隊長の君の仕事のはずだぞ。アネカワ少尉、前線に配属された戦闘機乗りに搭乗機種の選択の自由はあるのかね?」
正論だった。最前線部隊ともなれば、運が悪いと飛べる機体で上がらなければならない場合もある。そうした事態に見舞われたことが過去もなかったわけではない。だが、自分が扱ってきた戦闘機とは根本的に土台が異なる新鋭機に慣れる時間すら僕は与えられないのだ。だから、僕はこう答えるしかなかった。
「……ありません。命令に従い、常にベストコンディションであることが、戦闘機乗りに求められる資質であります」
「君は大尉よりは物分かりが言いようだ。明日の作戦開始は1000時だ。下がりたまえ、時間は金なり、だ」
ガイヤ大尉がまだ仁王立ちしているのも無視して眼鏡をかけ直した大佐は、先刻までと同じように端末のキーを叩き始める。しばらくの間大尉は睨み付けることを止めなかったが、ため息を吐き出すと僕の襟首を掴んで歩き出した。
「おまえのせいで非番までなくなっちまった。俺に恥をかかせないよう、今日中に飛ばし方を覚えろ。これは命令だ!」
本部棟の廊下を、僕は引きずられるようにして連れて行かれる羽目となった。どうやら、僕の不幸はまだまだ終わっていないようだった。
「それにしても、災難でしたねぇ」
ガイヤ大尉に引きずられてきた格納庫。そこに並んでいたのは、まだ戦闘塗装の施されていない真っ白なYF-23Aだった。F/A-22チームは偵察任務に駆り出されて、オーシア北方の空域を飛行中らしい。当のガイヤ大尉は「これがおまえの機体だ」と言い、「後はこいつに聞いておけ」とヘッドホンを首にかけた黒人の整備兵を突き飛ばして、今は自分の機体を整備している。そして僕は明日から自分の命を預けることとなる新型機のコクピットの中で、見慣れないコンソールを相手に格闘していた。
黒人の整備兵――ニック・B・オズワルド曹長は、同情するというよりは半分冗談めかして話しかけてくる。そしてもう一人、テスト部隊に機体を供給しているノース・オーシア・グランダー・インダストリーから派遣されている技術者であるアルクトッド・マイカルの二人に挟まれるようにして、僕はコクピットの中にいるという寸法だ。
「曹長、私に言わせたら少尉は幸運な部類ですよ。少なくとも戦闘機搭乗経験があるのですから。」
「そりゃあそうだが、旧型機と新型機じゃ全くの別物だろ。それをあと数時間後には飛ばせというんだから、やっぱり不幸な部類に入るさ。」
YF-23Aのコクピットは、410飛行隊で使用していたF/A-18よりも遥かに近代化・効率化されており、コクピットでの外部視認性も格段に改善されている。昔ながらのメーターで埋め尽くされた計器版は液晶ディスプレイに置き換えられ、スイッチ類の数も大幅に減っている。その代わり、操作をきちんと把握しなければ誤った操作を繰り返し続けることになることは間違いなかった。
「自分の先任者はどうして亡くなったのですか?」
操縦桿とフットペダルの感覚を確かめながら僕は疑問に思っていた問いを投げかけてみた。自分を肴にして盛り上がっていた二人は互いに顔を見合わせて、困った表情を浮かべていた。しばらくして口を開いたのは、マイカルの方だった。
「実はね、君の先任者は戦闘機搭乗経験が無かったんだよ。もともと輸送機のパイロットだったそうだ。それにも関わらず、クライスラー大佐は無理矢理飛ばさせたんだ。結果がどうなったか、想像付くだろう?」
「飛行距離、わずか20メートル。そのまんま滑走路に叩きつけられて機体ごとあの世行きさ。死んだ奴も気の毒だが、汗水たらして機体を整備した整備班も気の毒だった。会って分かっただろ。冷血クライスラーに重要なのは、選考のために必要なスケジュールをこなすことなのさ。ハヤト、おまえがもし死んだとしても、大佐殿はまたどっかから交換部品を拾ってくるというわけだ。」
いつの間にかガイヤ大尉がノーズギアの辺りに立っていた。ジャケットを腰に巻き、Tシャツ姿になった彼の姿は、一歩間違えればパイロットではなく整備班の古参兵にも見えてくる。
「おまえが前に乗っていた機体に比べれば、旋回性能も加速性能も段違いに違う。何よりこいつはステルスだ。明日エンジンに火を入れてみれば分かるが、今までの経験が吹き飛ぶほど新鮮な感覚が味わえるだろうさ」
「そんなに違うんですか?」
僕は火器管制のマニュアルを開きながら、大尉を見下ろした。だが、大尉の言うとおりであろうと思われた。この機体がもしオーシア全土の空軍基地に標準配備されていたとしたら、技量の差を戦闘機の性能が埋めるだけでなく、オーシアに比べて新鋭機を投入してきたユークトバニア空軍に十分対応できていたはずだ。ハイエルラーク基地で同じメシを食ったはずの同期たちはすでに半数以上が戦死し、残る半分のさらに半分が行方不明か負傷によって後方送りになっていた。さらに、まだ訓練中だったはずの二年下の後輩たちに至っては、サンド島防衛戦におけるユーク軍の「シンファクシ」の攻撃で全滅という有様だ。そんな戦況下、輝かしい戦果を挙げているのが第108戦闘戦術飛行隊だが、彼らは幸運な例外とも言うべき存在であって、飛行経験の少ない若いパイロットは激減し、15年前も戦闘機に乗っていた古強者たちまで投入しなければならないほど人材が枯渇しているのが、オーシア空軍の現状だった。自分が生き残れたのは、死んでいった同期たちよりもほんの少しだけ戦技にたけていたのと、かなりの幸運が――最前線部隊に配属されなかったという幸運が作用しただけだったのかもしれない。そのツケが、今こうして回ってきていると考えれば、多少は慰められるような気にもなる。
「大尉の機体と比較すると若干ピーキーな機動をするんで、離陸と着陸は気をつけてください。ただ操縦桿に対する機体の反応は間違いなく早い。それは保証しますよ。それからお分かりと思いますが、YF-23Aはミサイルを機体内部に格納するので、無茶な体勢からの発射は即自爆に繋がります」
「格納ベイに入れやすいのは整備班にとっちゃ大助かりなんだが、反面中で何かあった場合の対応が面倒なんだ。ハッチの開閉部分のメンテが意外と面倒だしなぁ」
「曹長、そこは改良を具申したと何度も言っているじゃないですか」
管制モード2から移行して、兵装チェックモード、機銃残弾ゲージがこれ……後方を振り返りながら操縦桿を動かし、昇降舵や尾翼の動きを確かめる。一見平べったく見えるこの機体だが、そこに盛り込まれた技術は半端なものではないことが、漠然と分かってきた。さらに、この機体ではある兵器の使用も視野に入れてあるようだ。かつてのベルカ公国軍ではないが、核弾頭搭載のミサイルを搭載することも可能なのだろう。ステルス機という特性を考えれば、当然有り得る任務ではあるが、可能な限り避けて通りたい道である。僕は何度も起動からの操作を反復して頭ではなく体に叩き込んでいった。明日になれば、嫌でもやらねばならないこと。大変なのは最初だけ――初陣の日、慣れていた動作すらろくに出来ず、部隊長に小突かれたような失態を犯すのは二度とご免だった。
何度も何度も反復練習する僕に、オズワルド曹長とマイカルは最後まで付き合ってくれたのだが、明朝いきなりの作戦開始という現実の前には睡眠も必要だった。それでも、完全に日を越えてから引き上げた僕がベットに潜り込んだ時には、既に時計の針は0200時。かろうじて持って行くことを認められた携帯プレーヤーのイヤホンを耳に当てて、再生ボタンを押した。心地よいギターのサウンドは、眠りに付きたい時には欠かせない睡眠薬。割り当てられた兵舎の机の上に無造作に置かれたコピーには、今日のオーシア軍の戦況を伝えるニュースが切り貼りされていたが、どうせ情報管制が敷かれているようなニュースなど見る間でもなかった。朝になったら、僕はこの部隊での初めての空へ上がる。常にベストコンディションに在ること。それが今一番必要なことだった。もう一度携帯プレーヤーのコンソールを目の前に持ってきた僕は、アラームをセットし直した。新しい門出の朝には、やっぱりこいつがいいだろう。「フェイス・オブ・コイン」をセットした僕はほどなく、眠りへと落ちていった。