哨戒空域は異常アリ
9103飛行隊に配属されてから、慌しい一週間が過ぎ去っていた。オーシアとユークの戦は相変わらず膠着状態から出ることは無く、ジラーチ砂漠におけるオーシア軍の一大攻勢が全面勝利を収めたニュースは久しぶりの大規模勝利となっていたが、前線だけでなく国内にも漂う厭戦ムードは隠しようも無くなってきている。そんな中も僕らのテスト飛行とデータ収集は続けられ、毎日のように様々な任務を僕らはこなし続けていた。先日のDACTでキルしたグレッグ中尉には「おまえなんか嫌いだ」と真正面で言われてしまったが、そういう割には僕の面倒を何かと焼いてくれるようになり、選考任務中は敵となるF/A-22チームの内情を知ることが出来るようになった。ウォーレン大尉とは異なり、現場叩き上げのグレッグ中尉はガイヤ大尉とも馬が合うようで、夜の食堂でビールを飲み交わす光景を見かけることもあった。
「おう、非番なのに機体整備とは精が出るじゃないか」
コクピットから見下ろすと、オズワルド曹長ではなく、この部隊の整備班の長、カリム・カカズ班長が良く日焼けした顔に笑顔を浮かべていた。彼の手にはいつものように工具箱がぶら下げられ、誰かしらの機体の整備を行ってきた後のようだった。
「他にすることもありませんし、もっとこの機体のことを知っておきたいので、趣味も半分、というところです」
「おいおい、若いのに戦闘機が恋人っていう冗談は止めておけよ。まぁ、この部隊じゃちょこちょことパーツも変わるから、慣れる方も大変だろうがな……。ああそう、近々また改修するからそのつもりで」
カカズ班長はそう言うと、コピーの束を僕に投げてよこした。詳しい内容をいきなり確認することは出来なかったが、どうやら僕らの機体には着艦用のフックが搭載されるようだった。しかし、僕らの機体は基本的に空軍使用のはず。それにわざわざ着艦機能を持たせて、空母での運用実験までやることになるのだろうか。訓練過程においてもちろん空母への着艦は経験しているが、実際にやるとなるとご免被りたい部類に入る。コクピットから見ると本当に小さな空母の甲板へ、制御された墜落を行うのは精神的苦痛以外の何者でもなかったからだ。昔見た映画のテイクオフシーンは好きだが、実際に自分がカタパルトに叩き出されてみると、そんな幻想がカタパルトの圧縮空気によって吹き飛んでしまった。あれを毎日のように経験している海軍航空隊の連中には適わない、と本気で思ったくらいだ。僕の顔に不満と不安が滲み出るのを見て取ったのか、整備班長は苦笑を浮かべている。
「そう渋い顔をしなさんな、ここじゃ日常茶飯事なんだから。ガイヤの旦那なんか、少し前に弾道ミサイルの模擬弾抱えさせられて上がったのに、訓練中止になって戻ってきたんだから。俺たち整備の人間にとっちゃ、こんな新しくてごっついのをここまでいじれる機会はそうないからな。ま、早く諦めるこった」
そんなことまであったのか、と改めてテスト部隊にいるということを実感させられる。そして同時に、空母を使用してのテストも出来ないほど、海軍飛行隊が消耗しているという現実も突きつけられる。航空母艦自体が沈められているだけでなく、そこに属していたパイロットたちも数多く犠牲になったまま、補充が為されていないのだ。だから、僕らに白羽の矢が立つことになる。やれることは全部やらせてしまおう、と考えていそうなクライスラー大佐の無表情な横顔を思い浮かべてしまい、僕は慌てて首を振ってあの強面を振り払った。
整備班長が去った後、コクピットから降りて機体下部を点検していた僕は、整備マニュアルには載っていないような小さな部品が取り付けられていることに気がついた。ノーズギアハッチの根元辺りに付けられた小さなパーツが二つ、まるで車のナビゲーションシステムの外部アンテナのような黒いパーツが、真っ白な機体にぽつんと張り付いている。パーツに組み込みなのか、外部から取り外すようには出来ていない。これも整備班長の言う「テスト機ならでは」のブラックボックスなのかもしれない。とはいえ、ノーズギアの根元から覗き込んでみると、そのパーツから延ばされた配線はどうやらコンピューター部へと繋がっているように見える。ひょっとしたら、地上でデータ取りを行う際のパーツなのかもしれない、と考えていると、いつの間にか隣に来ていたオズワルド曹長が同じように覗き込んで、そして首を傾げている。
「曹長、このパーツ、テスト用のものなんだろ?」
「いえ、おかしいな。自分が点検したときにはこんなもの付いていなかったんですが……確かに、少尉ももうご存知のとおり、こいつらはテスト機なんで色々と「余計な」ものをグランダーの技師たちが取り付けることがあるんですよ。そのうちマイカルに聞いておきますけど、何だろうな、これ。」
ドライバーを取り出したオズワルドは、そのパーツの周りを軽く叩いたり、接合部がないか確かめ始めた。さらに背伸びをして中を覗き込んだ彼は、配線の行く先を確認しているようだった。
「どうやら制御系につながっているみたいですね。何だかGPSアンテナみたいにも見えますけど……まぁ、カスター部長たちが知らない間に色々とデータ取りやっているんでしょ。何しろ少尉たちの機体なら、通常取れないデータも取れそうですしね」
確かにそうだった。ノース・オーシア・グランダー・インダストリーは、僕らの模擬戦のデータを本社に送り、機体の改良や開発に役立てるわけだから、当然この手のものが付いてくるはずだ。もちろん乗っていて何の影響も無い以上、専門家でない僕らがここで議論をしていたところで結論が出てくるというものでもなかった。それでも、マニュアルに無いものが取り付いているのは違和感を感じざるを得ないし、不安と言えば不安だ。
「まさか、自爆装置だったりして」
「ま、そんときは諦めてくださいな。その位置じゃどうあがいても助かりようがないですから」
グウの音も出ない、とはまさにこのことかもしれなかった。
翌日、僕らの飛ぶ先はF/A-22チームとの戦いの場ではなく、オーシア北方空域だった。9103では「火の用心の見回り番」と言われる、国内の哨戒任務が僕らに回ってきたというわけだ。テスト部隊といえども、毎日毎日必ず訓練が行われているというわけではなく、日によっては僕らのチームとF/A-22チームが入れ替わりに非番を取ることもある。今日はそのパターンで、僕らが飛んでいる。もっとも、何事も無ければ指定された空域を指定されたコースに従って指定された時間飛んでいればいい、気楽な任務と言えばそのとおりであり、現にガイヤ大尉は鼻歌混じりにここぞとばかりに機体をロールさせたりしている。雲が多い空は灰色で、どこか頼りない陽光が雲の隙間から見えている。ガイヤ大尉に「ハイキング」と評された哨戒任務が終わりに近づいたとき、「それ」に気が付いたのはザウケンだった。
「スレイプニルよりケルベロス、レーダー上、方位235に友軍機らしき機影見ゆ。」
レーダーを見ると、僕らの飛行高度よりもかなり下をC-5が2機が飛行している機影が映し出されていた。だが、僕らに伝えられた情報ではこの空域を作戦行動中の部隊はいなかったはずだ。或いは、僕らには伝えられなかった部類の話なのかもしれない。それにしても、通常飛行するような高度ではないし、速度も遅いようだった。
「ケルベロスよりフェンリル、方位235、友軍輸送機を確認。当空域を西進中」
「ああ、気が付いている。だが高度が低すぎらぁな。空挺部隊を下ろすわけじゃあるまいしな」
横に並んでいるガイヤ大尉は、親指を下に向けて腕を振った。降下して確認しよう、のサインだった。了解の意を伝えると、ガイヤ大尉は機首を下げ降下を開始した。少しタイミングをずらしてから、僕とザウケンが続く。目標の輸送機は、普通有り得ない2000フィートの辺りをゆっくりと航行している。輸送機の後方から回り込むコースで降下したガイヤ大尉の後を追い、そして水平飛行へと移行した。
「こちら第9103飛行隊、前方を飛行中の輸送機、所属を知らせよ」
何度かの本土侵攻を受けたオーシアでは、例え姿形が友軍機であっても所属の確認が義務付けられるようになっている。アピート国際空港襲撃事件の後は輸送機でもその対応が必須となっているのは、オーシア空軍機に偽装したユークの空挺部隊による破壊工作が行われたからであった。輸送機の後背に付きつつ、僕は辺りを見回していた。もし万が一、これが偽装部隊なら、ユーク軍の支援機がいてもおかしくないわけだから。
「――こちら、オーシア空軍第115輸送隊。ああ良かった、友軍機か。現在マクネアリ空軍基地への物資輸送中だが、2番機がエンジントラブルを起こしていて、これ以上の速度が出ない。本来の護衛部隊とのランデブーも遅れてしまっている状況だ」
どうやら僕の不安は杞憂だったらしい。ほっとため息を付き目の前の輸送機を見ると、確かに片方の輸送機のエンジンからは薄煙が出ており、正常に稼動していないことが分かった。しかし、マクネアリか……。僕は少し前まで配属されたこともある航空基地での生活を少し思い出していた。恐らく、前の配属部隊たる410飛行隊も今はそこを拠点にし、前線への攻撃作戦に従事しているはずだった。
「おい、ケルベロス、燃料の残はどうだ?」
「まだ充分いけます。輸送機隊のエスコートですか?」
「ああ、領空内とはいえ、ユークの連中が紛れ込んでいないとも限らないこ時世だしな。単なる哨戒よりも良いだろう。第115輸送隊、聞いての通りだ。たまには人助けをさせてもらうよ。本来の部隊の連中が来るまでエスコートしてやる」
「そいつは助かる。感謝するよ、9103。何か希望の品があれば、後日送らせてもらうが?」
「最新鋭の戦闘機と極上の美女、ついでに年代物のウイスキーを送ってくれ」
「……9103、寝言は寝てから、と言うぞ。前二つはお断りだが、最後のは何とかしよう。バーボンか?」
「いや、スコッチだ。どうせなら東方のがいいな。」
「贅沢な奴め。分かった、降参だ。その代わりしっかりとエスコートしてくれよ」
取引の対象の話し合いが終わり、僕らは散開して輸送機を囲むことにした。輸送機の前にはガイヤ大尉。右翼には僕が付き、左翼やや後方をザウケン少尉が飛行しているので、上から見ると大きなトライアングルフォーメーションを組んでいるように見えるかもしれない。下を通り過ぎていく大地は冬の様相、頭上は厚い雲が空を覆い、今にも雪でも降ってきそうな雰囲気だ。相変わらずエンジンから薄煙を引きながら飛行を続けている。タービンの異常か、或いは燃料供給装置の問題だろうか?燃料漏れは起きていないのはせめてもの救いだが、エンジンのメンテナンスという、航空機にとっては不可欠な整備すらろくに出来なくなってきているのだとしたら、オーシア軍は前線を支える根底の部分から崩壊が始まってきているのかもしれない、と考えると背筋が嫌というほど冷やされるのだった。
マクネアリ空軍基地から応答があったのは、第115飛行隊と合流してから10分後のことだった。輸送機のパイロットが告げたように、マクネアリに配属された飛行隊への物資搬入のため、という作戦内容の裏が取れただけでなく、本来の護衛部隊が此方に向けて発進したということだった。どうやら、寄り道もあと少しで終わりのようだった。
「エスコートに改めて感謝するよ、9103……ケルベロス?最近は国内も物騒だからな」
僕の隣を飛行する輸送機のパイロットが、親指を立てて手を振るのが見えた。
「こちらケルベロス、間もなく護衛部隊も到着するはず。お疲れさま」
「ああ、それにしても、こっちもいいものが見られたよ。YF-23Aなんてそうは拝めない代物だからね」
何度か訓練で飛んだことのある空域に到達しつつあった。そんな僕らの前方から、4機編隊の友軍機が接近してくる姿がレーダーに投影された。機体はF-15Cのようだ。ダイヤモンドフォーメーションを組んだままその部隊は接近しつつある。
「こちら、第410飛行隊、ホークリーダー。9103、エスコートの代理に感謝する」
僕はその声を聞いて凍り付いてしまった。聞き慣れた低くて張りのある声、地方独特の訛り。そして慣れ親しんだ部隊番号。僕らの出迎えは、よりにもよって、410飛行隊。ということは、僕を追い出しその位置に付いた「奴」も混じっているということか。
「こちら9103、フェンリルだ。410、自分とこの荷物ほったらかしで待機なんざ、薄情なんじゃない。この物資、もらってっていいかい?」
「勘弁してくれ、大事なもの入っているんだから。ところで9103、まさかとは思うが、アネカワ少尉がいたりしないか?」
隊長は以前と全然変わっていない。410飛行隊隊長、ホークリーダーこと、ダイナー・ローゼズ大尉、僕の上司であり、戦闘機乗りとしての実戦を支え続けてくれた恩人。
「……お久しぶりです、ホークリーダー。今は"ケルベロス"が自分のコールサインです」
だが、僕の声に応えたのはローゼズ大尉ではなく、一番この場で聞きたくない人間の声だった。
「地獄の犬、か。大変なところに転属になってしまったみたいだね、アネカワ少尉?」
おまえに言われたくない、という言葉を何とか飲み込んで心を落ち着ける。今日は最悪の日になりそうだ。よりにもよって、キニアス・アップルルース、おまえの声を聞くなんてな!
「フェンリル、飛行隊の物資は最前線で戦う当部隊にとって重要なものであります。前線配属でないテスト部隊たる貴隊にお渡しできるものではありませんな」
どこか甲高くいちいち耳に障るような声でアップルルースは後の言葉を続けたが、最もガイヤ大尉の嫌がる口調。大体、上官を差し置いて何という言い草だ。副大統領という父親の威を刈る狐、いや鼠め、と心の中で毒づく。
「ホークリーダー、部下の躾がなってませんな。それほどの重大物資なら、尚更ご自身でお守り頂かないと」
「済まない、フェンリル。ホーク3、アップルルース中尉、謝罪したまえ。そもそも輸送部隊の到着を待つよう、私に許可無く進言したのは貴官だろう。彼らは、我々の代わりに115を護衛してきたくれたのだ。口を慎みたまえ!」
「……了解しました。失言をお詫びいたします」
全く心のこもっていない型通りの答え。ガイヤ大尉を見れば、アップルルースから見えないのをいいことに中指を立てている。どうやら、ローゼズ隊長も苦労されているらしい。隊長の言うことが事実だとすれば、アップルルースの奴は部隊長の指示すら聞かずに好き勝手やっているようだ。作戦行動に支障が無ければいいんだが……と考えて、支障が無いわけが無い、と気が付いて余計に気が重くなった。後に来るのが奴だと分かっていれば、隊長に無理を言ってでも転属を断ったのに。
「ホーク3、事実なら到着した後殴り飛ばしてやるから、すぐにこの機の側にきな。領空内も危険な最近の環境を知らないわけではないだろう?どういう神経をしていやがる!?」
「最近では我が軍の進撃により領空侵犯も途絶えております!よって安全だと判断し、部隊の帰投を進言したまでのことであります!!」
「いい加減にしろ、ホーク3。このうえ命令に逆らうのなら、上官叛逆により軍事法廷の採決を仰ぐことになるぞ。口だけでなく、腕を以って応えたまえ!」
ローゼズ大尉の声は決して大きくは無かったが、アップルルースの甲高い饒舌な口を閉ざすには充分な迫力があった。奴のことだ。副大統領の権力を以ってすれば軍事法廷送りも屁でもない、と考えているに違いなかったが。今度は完全にホーク3を無視してガイヤ大尉が護衛の引継ぎを告げ、ローゼズ大尉がそれを応諾した。「口だけキニアス」は初対面のザウケンですら嫌気がさしたようで、ガイヤ大尉顔負けのサインをして見せて、僕を苦笑させた。
「引継ぎ終了、ケルベロス、スレイプニル、お家へ帰るぞ」
「ケルベロス了解」
「スレイプニル、了解!」
トライアングルフォーメーションを組んだ僕らは、そのまま右旋回して410たちから離れた。180°旋回した僕らは、そのまま帰投コースへと機体を乗せた。一度振り返ると、どんどん離れていく輸送機と410飛行隊の姿が目に入った。
「気にするなよ、アンラッキーボーイ。ああいう馬鹿は戦場でさっさと死ぬ。」
「もう大丈夫です、大尉。でも、ありがとうございます」
「別に気にしちゃいないが、あんな馬鹿に追い出された、可愛い後輩が不憫なんでなぁ」
ガイヤ大尉に心から感謝しつつ、アップルルースの憎たらしいにやけ顔を思い出してしまい、何度か頭を振った。人並みに空戦機動は出来るとはいえ、親の七光を武器にして単位を取っていたような奴が空軍にいるのは、将来の箔を付ける以外の何者でもなかった。だから、余計に腹が立つ。無闇に戦線を拡大することばかり主張してる父親譲りの強引さに、苦労をさせられるのは兵士たちだ。親子揃って、オーシアの疫病神め。そしてそれに追い出された身の上を考えてしまうと、自然と気が重くなるのは致し方ないことだったろう。
ふと振り返った僕の目に、既に410のF-15Cも、第115輸送隊のC-5の姿も見えなくなっていたが、その代わり、雲の下、大地の上、ついさっきまで僕らが護衛していた対象が飛んでいる辺りで、何かが光った。発光信号?レーダーに目を落とすが、レーダーには何も映っていない。奇妙な違和感がこみ上げてきて、そして最悪の不安が現実の物として耳に響き渡った。雑音ばかりの通信は何を言っているのか分からなかったが、「敵機」という言葉だけがかろうじて聞き取れた。
既に異変は、僕らの後方で発生していたのである。