新天地は北海上に


時間の経過というものは時に残酷なもので、どんなに落ち込んだ気分も次第に回復するし、凍り付いていた顔に笑いも戻ってくる。ローゼズ大尉の戦死を目の当たりにして落ち込んでいた僕も、訓練と偵察任務に奔走している間に、随分と回復していたらしい。無口なケネスフィード中尉が「飲め」とだけ書かれたメモ付きのカモミール・ティーの箱を僕の部屋の前に置いてくれたり、グレッグ中尉が食堂でビールをおごってくれたり、ウォーレン大尉が僕の訓練任務を交代してくれたり(もっともガイヤ大尉とずっと罵り合っていたらしいが)、相当に気を使わせてしまったようだが、部隊の面々が僕を一員として見てくれていることが痛いほど分かったのは嬉しかった。一番驚いたのは、クライスラー大佐がウォーレン大尉の交代提案を快諾したことだった。ガイヤ大尉に言わせれば、「部品が痛むのが嫌なんだろうさ」ということになるのだが、スケジュールが予定とおり進むことを美学としているはずの大佐、という見方は少し改めた方が良いのかもしれない。

とはいえ、僕らの部隊の6機の戦闘機は改修作業中で、僕らの偵察任務はよりにもよって練習機になっている。乗りなれたHAWKは身軽で扱いやすいのだが、武装も付いていない機体で、万一この間の連中に出会うものなら確実に撃墜されるのがオチだった。カカズ班長の言葉とおり、僕らの機体には着艦フックをはじめとした装備が取り付けられることになったのだ。これはつまり、僕らが空母を基地としての活動を強いられるということと同義だった。格納庫の中では整備班の連中に混じって、グランダー・インダストリーの制服を着た整備士たちが動き回り、機体後方のパネルやらパーツを外して何事かをやっている。そこまでいくとさすがに出る幕が無いようで、オズワルド曹長は格納庫内移動用の3輪自転車に腰掛けて、彼のこよなく愛するヒップホップを聴いている。僕はと言えば、コクピットの点検をしながら、マイカルと調整をしている。
「ここの操作パネルに、着艦フック操作スイッチを取り付けることになりそうだよ」
コクピット脇のタラップを上がって、マイカルが説明を続けている。マイカルによれば、僕らの機体に搭載されているコンソール系は特注の物なのだそうだ。テスト部隊で行われる様々な要望に応えられるよう、標準のものでなく、ある程度汎用性・拡張性の高いものが取り付けられているのだという。だから、本来なら根こそぎ取り外して別のものを付けなければならない火器管制装置等に付いても、場合によってはポン付けでの対応が可能、というわけだ。そして今回搭載されることになる着艦フックについては、ソフト面よりもハード面の部分が大変そうだった。着艦フックの重量等に耐えられるよう補強されたパーツを組み込み、重量バランスを整えたり、そういった作業を集中的に行うため、僕らの機体はお蔵入りというわけだった。
「なぁ、マイカル。僕らの行き先は聞いていないのかい?」
「カスター部長やクライスラー大佐には下りているんだろうけど、私のとこにはまだだね。可能性としては、機動部隊を失ってしまった空母とかが割り当てられるんだろうけど……」
それにしても、本来なら海軍飛行隊の連中の仕事の部類ではないのだろうか。ザウケン少尉も訓練でしか経験が無いのは予想の範囲だったが、グレッグ中尉は着艦経験が全く無いということが判明したのだった。ガイヤ大尉に笑い飛ばされただけでは済まず、グレッグ中尉には特別スケジュールの「宿題」が課せられることとなった。もっとも、基本的に空母からの作戦行動自体を行うのではなく、戦闘機を輸送するための貨物船として使う方がメインなのだとか。オーシア軍の航空母艦は開戦直後の攻撃によって沈められたものも少なくなく、さらに生き残った空母も航空隊が壊滅してしまって哨戒任務に回されてしまった艦もあるのだ。となれば、僕らの行き先は結構限られている。第3艦隊の英雄であり、アドミラル・アンダーセン率いるケストレル隊、或いは第2艦隊所属の中型空母カノンシードやメルカバー辺り……?
「船酔いが嫌なんだけどなぁ。整備士も不足しているらしく、自分も出張ですよ」
「私も弱いんですよ。本社の辞令だから仕方無いんですけれどもねぇ」
オズワルド曹長も反対側の梯子から上がって来て、コクピットの縁に手をかける。
「大体、空軍部隊を空母配備している時点でおかしな話だよなぁ。クライスラー大佐にそれだけ力があるってことなんだろうけれど」
「曹長、どうも司令官殿の意向らしいですよ。開発部門の会議で、司令官殿が9103飛行隊での運用を主張されたんだとか、本社の同期が言ってましたから」
「へぇ、最近ご無沙汰だと思っていたら、そんなことやってたんだ」
曹長の言うとおり、僕もこの基地で司令官の姿を見かけたのは一回きり。声を聞いたことすらないのだから。クライスラー大佐ら優秀な士官がいるとはいえ、やはり違和感を感じざるを得ない。そして、それを黙認している本部のやり口にも。空母での運用の是非を二人が論じているのを横目に見つつ、何気なく後ろを振り返ると、グランダーの技師たちが後部のパーツを分解し、その足元にはこれから付けられるのか、真新しいパーツが置かれているのが目に入った。僕にとっては初めての光景だが、試験部隊とはこういうものなのだろう。僕はふと、ノーズギアの根元についていた黒いパーツのことを思い出した。
「マイカル、そういえばノーズギアハッチの根元にアンテナみたいの付いているようだけど、これは何の装置なんだい?」
「なんだって?ハッチの後ろ?」
タラップを下りたマイカルは機体の下に回りこんだ。オズワルド曹長も下に降りて、先日見つけたパーツの部分を指差している。マイカルもどうやら知らなかったらしい。この間の僕らと同じように覗き込んで、パーツの接続されている先を伺ったりしている。
「形からするとGPSアンテナのように見える。カスター部長が機体の制御データを集めているから、そのための装置なのかもしれないけれども……」
「それなら、機体のブラックボックスの分析でも用が足りるはず?」
「そうなんだよ。或いは遠隔ナビの要領で、リアルタイムにデータを取っているのかもしれないけれど、それならそれでデータを処理するサーバーとかが必要なはず。どうも中枢部とリンクしているような感じだからねぇ、迂闊に触らない方が良さそうだよ」
マイカルは腕を組んで考え込んでいる。飛行データをGPSで取得しているというのもすごい話だが、マイカルが知らなかったことの方が僕には意外だった。
接点が無かった司令官殿とのコンタクトする機会は、意外なほど早くやってきた。その日の夕方ブリーフィングルームに集められた僕らは、司令官殿から直々に今後の任務内容を告げられることになったのである。初めて間近に見た司令官殿は、制服を着てなければ軍人には見えない風貌だった。小柄で細身の司令官殿と、大柄でシルバーフレームの眼鏡をぴしりとかけたクライスラー大佐とが並んでしまうと、どちらが上官か全く分かったものではない。司令官殿――フランコ・ロックウェル少将は老眼鏡らしき眼鏡をかけると、僕らの手元に配られたものと同じレジュメに目を落とし、そして話し始めた。
「9103飛行隊の諸君、先日のマクネアリ基地の410飛行隊支援、ご苦労だった。君たちのおかげで支援物資が無事届いたことに、基地司令も感謝しておられたよ。しかし、許しがたきはユークだ。我々の領空内でまたもや襲撃を行い、優秀なパイロットの命を奪うとは。……そんな状況下ではあるが、我々の部隊の大目的である次期主力戦闘機の選考任務は機体の改修が終了し次第、次のステップへと進むことになった」
そこまで言うと、クライスラー大佐が端末を操作し、ブリーフィングルームの正面のディスプレイにオーシアの地図が映し出された。
「改修終了後、君たちには第2艦隊所属航空母艦「カノンシード」とエルアノ基地をベースとして今後の任務を果たしてもらう。また、これまでと同様、偵察・哨戒作戦への参加は行ってもらうことになる。地図を見たまえ」
オーシアの地図の北東部が拡大される。ノルト・ベルカに比較的近い位置にあるエルアノ基地は小さな基地であるが、航空母艦等の艦艇が接岸出来る数少ない基地であり、平時なら機動艦隊が停泊することも少なくなかった基地だ。古くは、1995年の大戦においてベルカの地を攻撃するための前線飛行場として使われたこともある。そして「カノンシード」だ。ケストレルやヴァルチャーなどの大型空母ではなく、中規模の航空隊を搭載して運用する目的で建造された「カノンシード」は、一回りほどケストレルよりも小さい。
「今後の選考任務であるが、数度のDACTの他、実戦データ収集を目的とした作戦行動が命じられることもある点に注意してくれたまえ。なお、クライスラー大佐はエルアノ基地に同行し、空母を使用しての任務時は、同艦の艦長、アルウォール少将が指揮を取ることになる。何度も言っていることだが、次期主力戦闘機を選ぶために行われている我々の任務は、オーシアの将来のため避けて通れない道である。ハーリング大統領も自らの過ちに気が付かれ、新装備の配置に同意して下さっている。前線で血を流している兵士たちがいる中、君たちにはオーシア国内での任務を果たしてもらうのだ。全力を尽くし任務を全うするように。以上だ」
「何か質問があれば挙手するように」
クライスラー大佐が後を継ぐと、早速ウォーレン大尉が挙手した。今後の訓練・任務内容に関する応酬が飛び始めると、隣に座っていたグレッグ中尉が僕の脇腹を小突いた。
「なぁ、おまえ奴の話聞いたの初めてだろ?どうだい、印象は?」
「中尉、聞こえちゃいますよ。それにしても、本当に空母に乗るんですねぇ、自分たち」
「ああ、整備の連中も随分と異動らしいぞ。何しろカノンシードの整備兵が他の空母に回されているみたいで、俺たちゃ基地ごと引越しするようなものかもな」
「そこ、話があるなら挙手するように。話が無いなら黙っていたまえ」
クライスラー大佐が冷たい一瞥を僕らに投げつけていた。グレッグ中尉が両手を広げて首を振り、ウインクして見せるものだから、僕は吹き出しそうになってしまった。
「……実戦データ収集を目的とした任務、とは、我々も前線での戦闘に参加する機会がある、という認識でよろしいでしょうか?」
「その可能性もある、ということだ。参謀本部も新型機の実働データを欲しがっているから、データは多いほど良い、というわけだ。空母での運用は、海軍飛行隊もデータを欲しがっている内容であるからな」
「なら何故海軍にやらせないんすかね?」
ウォーレン大尉とロックウェル少将の会話に割り込んだのはガイヤ大尉だった。
「空母での運用だったら海軍飛行隊の仕事と相場が決まっている。にもかかわらず、空母の発着経験の少ない我々が、カノンシードの飛行隊として配属されるのは些か不自然だ。データ取りにしても、発艦と着艦のプロに任せるのが道理ってもんじゃないですかね?」
「……残念だが、海軍飛行隊の損耗は空軍以上だ。ユークとの戦争の序盤、シンファクシとリムファクシによって行われた攻撃で、相当数のパイロットが戦死してしまった。無論空軍の損害も少なくなかったが、まだ我々空軍の方がいくらか余裕がある、ということだ。ガイヤ大尉、君は先の大戦で空母において離発着した経験もあるはずだ。その技術と経験を部下にも伝えておきたまえ」
「そんな昔の話は忘れましたぜ」
ガイヤ大尉はこれ以上の話は無用、というように首を振って手元の資料に目を落とした。クライスラー大佐からは、作戦内容の補足説明が為され、具体的な今後の選考任務の内容が伝えられていった。読めば分かる内容ではあるが、その中には明らかに前線での戦闘を前提にした内容まで含まれていた。海軍だけでなく、空軍ですらパイロットと航空部隊が不足してきているのだ。司令部からしてみれば、高い金を使いながら戦線に貢献していないようなテスト部隊をすぐに解体し、前線に回したいのが本音なのだろう。傍目にはテスト会場の変更であるが、司令官の意向次第では戦闘任務にすぐコンバート出来る環境への配属、ということだ。そしてどうやら、司令官殿はそれを積極的に進めたいようなのだ。テスト部隊として満足な結果を出し、戦闘部隊としても優秀な成績を出すことを彼は願っているのだろうか。データ収集、という名目に行われるであろう戦闘任務を考えると、気がどっと重くなった。アルウォール艦長がどんな司令官なのか僕は知らなかったが、今は戦闘大好き熱血漢でないことを祈るしかなかった。
艦橋から見上げる空は厚い雲に覆われたままで、昼だというのに暗い。時折振ってくる雪の中、その艦は港を目指して航行していた。僅か1隻の護衛艦と共に海上を行くその艦の名を、「カノンシード」と言った。だが、航空母艦である「カノンシード」の甲板上に戦闘機の姿は無く、僅かに海兵が使用するヘリが2機、艦橋脇に駐機しているだけであった。オーシア海軍飛行隊の大半が被ったのは、反撃不能である弾道散弾ミサイルによる、回避不能な死の接吻だった。脱出すら許されず、数多くのパイロットたちは海の、或いは空の藻屑として消えていったのである。艦だけは残っていたとしても、搭乗員のいない空母に使い道は無い。搭乗員を失って戦術的価値を喪失した航空母艦と、戦力としては大きくても戦闘に積極的に参加することが出来ないテスト部隊とは、お似合いの関係だな、と半ば自嘲的に艦橋の男は思った。艦橋の男――レスター・アルウォール少将の指揮すべき航空隊は、開戦当初の戦いで全滅し、以後は海上の哨戒任務だけ、しかも空母をこれ以上失いたくない中枢の意向により、オーシアの沿岸地域だけを航行する日が一体何日続いたろうか。だが、そもそも何故始まったのかすら分からない戦争において、取り返しの付かない犠牲は被りつつ、ユークトバニアに何の犠牲も与えていないことは、皮肉ながらもこの部隊の誇りかもしれなかった。
「艦長、司令部からの連絡です」
副官を務めるケリー・グラハム中尉の声に現実に引き戻されたアルウォール艦長は、軍帽を被り直した。副官の傍らには、まだ子供っぽい表情の抜けない女性兵士が電文を持って佇んでいる。既に軍隊にも女性の進出が始まって久しいのだが、軍艦勤務の女性兵は極めて稀なケースであった。まさか、船に女を乗せると、海の女神に嫉妬されて沈められる、などという古代の諺を信じているわけではなかろうが、カノンシードはオーシア海軍の中でもごく僅かしかない、女性オペレーターが配属された艦なのであった。ユミナ・スマキア伍長は、副官に促されて電文の内容を復唱した。
「カノンシードはエルアノ基地で9103飛行隊と合流後、11月29日に行われる副大統領の平和演説のため、オーシア北方海域における哨戒を命ずる……以上です」
「平和式典……?アップルルース副大統領が?」
出来の悪い冗談を聞いたような気分で、アルウォール少将は問い返していた。困ったような顔を浮かべているスマキア伍長を見て苦笑する。そうだ、彼女を責めたところで詮無きことではないか――。しかし、あれほど積極的侵攻を主張し、軍部の作戦計画にまで介入する副大統領が平和式典?どうせ演説をぶって、ユークをこき下ろすだけのことだろうさ、と彼は心の中で吐き捨てていた。彼の誇りらしい息子は、先日オーシア国内で発生した戦闘で不祥事を起こしたらしく、更迭されたという。原因をあれこれとゴシップ紙に書きたてられた副大統領としては、名誉挽回の舞台がどうやら必要であるらしかった。
「9103飛行隊に上空支援をさせろ、ということのようですが、彼らの任務は新型機のテストとデータ収集だったはずです。司令部の意向が今ひとつ理解できません」
「中尉、我々は軍人だ。命令には従う。……だが、具体的には何も言っていないんだな、スマキア伍長?」
「はい、軍司令部からの電文は以上でした。特に具体的な作戦行動に関しての指示はありません」
アルウォール少将は、まるで悪戯を思いついたかのような笑いを浮かべ、上官の辛辣な対応に思い至ったグラハム中尉は額に手を当てた。優秀な能力を持っているはずの上官が、未だ辺境で航空戦力を持たない空母の艦長に留められているのは、まさにこの悪いクセのせいなのだ。
「……そうか。なら、のんびりとさせてもらおう。"哨戒"行動をしていれば良いのだからね」
「艦長!」
「それよりも、9103飛行隊がカノンシードに慣れてもらう方が優先だよ。何しろ、私たちは役立たずの空母と、データ収集が任務のテスト部隊なのだからね。戦争は申し訳ないが、他の人にやっておいてもらおう。時にグラハム中尉、エルアノまではあとどれくらいかね?」
「予定通り、明日1000時には到着の予定です」
アルウォール少将は再び視線を窓の外に移した。相変わらず厚い雲は晴れる気配すらなく、重々しい。泥沼の戦争に陥り、行き先も見出せないオーシアの現状にはお似合いの天気だな、と彼は思った。空母での離発着を常としない空軍部隊、それも本来空軍仕様の戦闘機を空母で運用させ、しかも前線で運用しなければならないほど、オーシアは疲弊してしまっているのだろうか。
副官たちを下がらせた後、艦長はポケットから小瓶を取り出した。蓋を開け、中の琥珀色の液体を流し込む。芳醇な香りと、とろけるような味わいを楽しみながら、彼はそれを嚥下していった。香りに気が付いたオペレーターの一人がちらりとこちらを見て、何も見なかったかのように再びモニターに集中する。我ながら、部下泣かせの艦長だな、と思いつつ彼は苦笑を浮かべたのだった。艦から飛び立った搭乗員たちが全員戻らなかったあの日から、この琥珀色の液体は彼にとって欠かせない相棒となってしまっていた。

一体、このくだらない戦争はいつまで続くんだ――。

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