Hidden Happening
ノーベンバーシティ襲撃の目的が無差別殺戮にあった、と報じられたことにより、オーシア国内では一時は抑えられていたユークトバニア完全征服というお題目が、軍部を中心に再燃しつつある。軍部、といっても最近は衰え気味の主戦派の上層部、と言い換えた方が妥当かもしれない。前線の司令官たちからは、最新鋭の戦闘機を6機有する9103部隊を最前線に回すように、と未だに要望が絶えず、ロックウェル少将を通さずに直接にコンタクトを受けることもあった。半ば脅迫めいた相手を宥めるのがすっかりと板に付いてしまった、とクライスラーは思いながら電話を切った。エルアノ基地に移動してようやく手にした個室で、彼はため息を吐きつつ立ち上がった。彼としては、部隊の本来の目的である主力戦闘機選考のためのデータを取ることに専念したいのであるが、首都と基地とを往復して軍中枢との調整を済ませたうえで作戦を伝達する上官――ロックウェル少将は、より実戦的なデータの取得を部隊に要求しているようだった。もちろん、模擬戦ではなく実戦によるデータは貴重であるのだが、それは同時に部下の命をも危険に晒す。そうでなくても、空軍の人材はユークによる先制攻撃や司令部の無謀な作戦で多大な損害を被っている状況である。さらに悪いことに、オーシアは自らの恩人であるはずの部隊を葬るという愚を犯した。「ウォー・ドッグ」隊こと、第108戦術戦闘飛行隊を敵性スパイとして撃墜した、という報告は、緘口令が敷かれたはずのオーシアの兵士たちの間に飛び交い、兵士たちを動揺させるだけでなく、そのような屁理屈を付けた司令部に対する不満を拡大再生産した。前線と後方の間の亀裂は一層深まり、オーシアは自分で自分の首を締めたようなものだった。あれだけ前線に投入され、無数の友軍を救い続けてきたような部隊に限って、スパイ容疑など有り得ない。その戦果を妬んだ連中が、彼らを謀殺したのだ、とクライスラーは確信していた。
普段あまり近づかない彼の執務室のドアがノックされた。とはいえ、彼の元へ連絡もせずにノックをしてくるのはこの基地ではただ一人だけ――カノンシード艦長、アルウォール少将くらいのものだった。返事をするより早くドアが開き、邪魔するよ、と敬礼も無く入ってきた少将は、手近のソファに腰を下ろした。
「少将ともあろう方が部下の部屋でくつろいでいるなど、士気にかかわりますぞ」
「なに、"私"の指揮下の部下は船の上さ。それに、部下達はとうに諦めとるさ」
「何を仰いますか……コーヒーでよろしかったですか?」
「ああ、とびきりまずくて渋いブラックで頼む」
苦笑を浮かべながら――考えてみると、基地内で苦笑させられるのはガイヤ大尉とこの人だけだな――、クライスラーはマグカップにコーヒーを満たして手渡した。クライスラーの部屋のコーヒーは、部下たちが使用する食堂の販売機の不味いコーヒーとは異なり、彼自身が豆を挽いて入れていることを知って以来、何かと理由を付けて艦長が立ち寄るようになったのだった。
「時に、大佐、今日はちと真面目な話があってきたんだがな」
一杯目のコーヒーを飲み干し、今度は自分で二杯目を注いだ艦長はソファから身を乗り出すようにして切り出した。
「君の部隊、9103飛行隊の目的は何だと思う?」
ついに来たか、とクライスラーは表情は変えなかったが、核心を付いて来たアルウォール少将の問いに驚いた。彼自身、自分の考えている目的と現実とが乖離している状況を整理しきれていないのであるが……。
「以前もお伝えした通り、空軍及び海軍の次期主力戦闘機を選定するためのデータ取りの実施、という命令内容に変更はありません」
「君自身もそう考えているのかね?」
「……実戦のデータ取り、は想定外と考えております。が、命令の変更が無い以上、9103の任務に変更は無い、と認識するのが軍人の務めであるか、と」
沈黙が二人の間を漂う。アルウォール少将はコーヒーをすすりながら、コートのポケットに突っ込んでいた書類をテーブルの上に広げた。そのレポートが「取扱厳秘」のスタンプの押された空軍の物であり、11月29日に発生したマクネアリ基地の事故に関するものだと理解して、クライスラーは呆れてしまった。それは彼自身もまだ目を通していないものだったからだ。
「……少将、一体どこでこんなものを?」
「古狸には古狸なりのルートがあってな、貸し借りの関係を少し使うと鍵が開くのさ。なぁ大佐、私は任務に忠実にあろうとする貴官を気に入っている。一つ、腹を割って話し合ってみんかね?」
少将はしっかりとカードを切ってきている。そう認識したクライスラーは、降参、と再び苦笑いを浮かべて首を振った。だが、目の前の上官は、自分の本来の上官よりは遥かに信頼に足ることは間違いなかった。
「大佐、悪気は無いのだが、今は9103が私の艦の搭乗員と思っている。部下を思う気持ちは、私も同じだよ。出撃した搭乗員が帰ってこない、あの惨めな気分を味わうのはご免だからね」
「心中、お察し致します。……どうやら、艦長には何かお考えがある、と見受けました。まずはお聞かせ願えますか?」
アルウォール少将は、にやり、とまるで悪戯好きな子供が浮かべるような笑いを浮かべた。それが少将が策略を思いついたときの悪いクセであることをクライスラーはまだ知らなかった。
上官たちが部隊の行く末に関る密談を繰り広げていたとは露知らず、僕らは久しぶりのDACTを行うためエルアノ基地を飛び立っていた。前回同様、互いのステルス性を利用しての遭遇戦形式で行われる模擬戦は、大佐の指示によって侵入ルートは各チームに任されることとなった。だから、極端な話、双方が出会わずに終わってしまう可能性もあるというわけだ。作戦空域として指定された北海上の空をYF-23Aの編隊が切り裂くように飛んでいく。厚い雲に覆われた空からは今日も雪が舞い降り、視界は限りなく悪い。敢えてその視界の悪い方をガイヤ大尉が選択したのであるが、これでは後ろから狙われても相手の所在が分からないんじゃないか、と思えるような空だった。
「スレイプニルよりフェンリル、ネガティブコンタクト。ケルベロスはどうですか?」
「こちらケルベロス。雪と空は見えるが、レーダーにも反応なし」
「そいつは向こうさんも同じだ。さて、どう攻めて来るかな?よし、このまま付近に警戒しつつ北上するぞ。戦闘区域の縁まで行って反転しよう」
大尉の機体の翼端灯の点滅を目印に、ポジションから外れないよう意識を集中させる。この天気じゃ、空間識失調症になったとしてもおかしくない。灰色の空、灰色の海、と来れば、うっかりすると海面に突入、なんて事態になりかねないのだ。天候が回復する兆しは見えず、また雪雲が切れる気配も無く、いつになく無言になった僕らは時折辺りを見回しながら飛行を続ける。依然レーダーにも反応は無く、本当にこのまま遭遇することがないんじゃないか、という気分にもなってくるのだった。
「こちらランス1、フェンリル隊聞こえるか?」
「おい、ウォーレン、いくら寂しいからってコールするのはご法度じゃなかったのか?」
「すまん。ちなみに今どの辺りを飛行中だ?」
「嫌だね、教えて欲しかったらそっちの位置から伝えるもんだ」
突然の呼び出しは、当のランス隊からのものだった。互いに交信チャンネルを別のものにして連絡を取らず、よって位置も把握出来ないのがルールだったから、ガイヤ大尉がそう言うのも無理は無かった。
「今戦闘空域東側と言えば良いのか、ゼラ島上空の辺り、高度は7000フィートだ。まさかとは思うが、上空にいたりはしないよな?こちらのレーダーには反応が無いんだが。」
東側だって?今僕らが飛んでいるのは、戦域の西側、というよりも北西側になる。しかも、雲の下だから高度は低いし、仮に前方にランス隊がいるとしても、僕らの姿が肉眼で確認出来るとは思えなかった。民間機でもいるのだろうか、と考えて、民間機ならレーダーに映っていてしかるべき、と気が付いた。
「ランス1、こっちは反対側だぞ。裏をかいてやろうと雲の下に潜っていたのに、7000フィートだって?こっちは2500フィートだ!UFOでも見間違えたか?」
「じゃあ、上にいるのはフェンリル隊じゃないんだな?」
「くどいぞ!……おい、レーダーには映っていないんだな、そいつら?だが上に見える?」
返答の代わりに返って来たのは、耳に刺さるような雑音の嵐だった。
「おい、ウォーレン、応答しろ!聞こえるか!くそっ、これECMか!?」
ガイヤ大尉が叫ぶのと、コクピットに警報音が鳴り響くのとどちらが早かったろう。絶望的な気分になって振り返ると、僕らの後方に戦闘機の姿が見える。F/A-22チームでないとすれば、ユーク機がまた侵入してきたのか!?警報音はよりけたたましい音に代わり、敵機がミサイルを発射したという事実をこれでもか、というくらいに知らせている。
「くそっ、散開しろ!ケルベロス、何とか振り切れ!」
「分かってます!!」
操縦桿を思い切り前へ押し、スロットルをMAXに叩き込んだ。垂直降下の慣性とアフターバーナーに叩き出されるように加速した機体は、あっという間に海面めがけて突進していく。後方からはさらに上回る速度でAAMが接近する。コマ送りで数を減じていく高度計に目を凝らし、600になった瞬間に操縦桿を思い切り引き付けた。機体の軋む音が聞こえるような衝撃に襲われ、一瞬視界がブラックアウトしながらも上昇に転じた僕の後方で、旋回し切れなかったAAMが海面に衝突し、一瞬遅れて水柱を吹き上げた。何とか回避したか!!水平飛行に機体を戻すと、厚い雲の下でははっきりと目立つ白い戦闘機が、ガイヤ大尉の後方に2機へばり付いていた。あの戦闘機は……!僕は見間違えるはずも無かった。410飛行隊、ローゼズ大尉の命を奪った、前進翼の白い戦闘機、どの国でも正式採用されていない、最新鋭機の一つSu-47ベルクート。後方から浴びせられる機関砲弾を回避しながら大尉は急旋回し、辛くも虎口を脱する。ザウケン少尉も何とか追撃をかわしたらしく、僕の後方から合流した。ECMの影響で、通信はまともに聞こえず、僕らは発光信号で会話せざるを得なくなっていた。第一撃を回避された敵部隊は雲の上に上がってしまった。くそ、こっちのレーダーには何も映らないのに、僕らの姿は丸見えなのか?ガイヤ大尉か発光信号……ホットケ、ランスト、ゴウリュウスル……なるほど、ウォーレン大尉たちはゼラ島上空と言っていたから、合流出来れば仕切り直しにはなる。妙な違和感と焦燥感を感じつつ、僕はスロットルをMAXに叩き込んだ。
「TAN-F計画?」
「そうか、貴官も聞いたことがないのか。とすると、その話は本当にオーシアの上の方にいる、ごく一部の人間しか関っていないことになるね」
クライスラーは、アルウォール少将の持ってきたコピーの一つを改めて見直した。「持出厳禁」としっかりスタンプされた図面を見て、こういうものが簡単に流出するからいかんのだ、と思いつつ、これまでなら決して目にすることは無かったであろう資料の数々は、嫌でも好奇心をそそる。「TAN-F計画」――Tactical Annihilation and neutralization Fighter、戦術殲滅戦用戦闘機開発計画、という、物騒な名前の付けられたプロジェクトが、オーシア政府とグランダー・インダストリーの間で進められていた、等という話がメディアに伝われば、現在の政権など一夜で崩壊するに違いない。
図面にCGを使用して描かれた戦闘機の姿は、一見前進翼を持つ戦闘機――例えば、9103飛行隊が先日遭遇した、Su-47ベルクートの姿にも見える。だが、この機体には尾翼がない。そして機体後方には可動式のバーニアを持ち、機体下部に可動式の安定翼が付いている。何より驚かされるのは、キャノピーがないことだ。詳細は書かれていないが、「COFINシステム」と書かれたコクピットは、数個の外部カメラと連動するディスプレイによって外部の景色が転送される仕組みらしく、これが現実の物なら戦闘機の最大の弱点の一つ――コクピットの装甲強化が可能となる代物だった。
「私自身も噂でしか聞いたことがない。だが、海軍でも関っていた人間はいたようだ。機動艦隊と共にこんなモノを運用出来れば、戦術的アドバンテージは大きいし、ユークの戦略ミサイルプラットフォーム潜水艦よりも遥かに自由度の高い殲滅戦を展開出来る。戦争大好きな後方のお利口さんたちが考えそうなことさ」
書類をテーブルに投げ出した少将は、少し冷めてしまったコーヒーをすすった。よくあれだけブラックで飲めるものだ、と思いながら、彼はコーヒーメーカーに豆を追加してスイッチを入れた。豆を挽く音がしばらく響き渡り、やがて音が止むと芳醇な香りが辺りに広がっていく。
「……艦長のご想像通り、マクネアリに運ばれた物資がこの計画による試作戦闘機だったとして、一体何者が奪ったのでしょうか?当然敵国たるユークの犯行、と考えるのが筋でしょうが、完全にオーシアの勢力圏内でそのような大規模な作戦が実施出来るとは思えないのですが……」
「敵とは限らんだろう」
テーブルに肘をつき、組んだ手の上に顔を乗せたアルウォール少将が見上げるようにして言った。
「こんな戦況だ。少しでも有利に戦いたいと考えている連中はいくらでもいる。だが、色々と面倒のかかる機体を何の知識も無いような人間が運用できるとも思えない。意外と、グランダー・インダストリーが渡すのを嫌がって取り返したとかな」
「カスター開発部長たちには、とても聞かせられませんな、そんな話は」
「違いない」
差し出された4杯目のコーヒーをすすりながら、少将が笑った。マグカップを手渡してから図面をめくったクライスラーは、何ページ目かのリストで目を止めた。そこに書かれていたのは、試作機の搭載兵器だったが、AAMや長射程の対空ミサイル、或いはASMといったものはまだ分かる。だが、試作機の主装備として書かれていたのは、戦術レーザー、多弾頭散布炸裂型巡航ミサイル、そして――多弾頭核巡航ミサイル。単機で、敵拠点に壊滅的打撃を与えるに充分な能力を持った、空の悪魔か。冷戦時代の核抑止理論の奇形児とでも言うべきなのだろうか?前線を知らない者たちなら、確かに考えそうなことだ。友軍の損害を可能な限り少なくし、敵に多大な損害を与える。戦術的にはそれで正しいのかもしれないが、実際にそれで血を流すのは前線の命ある兵士たちであり、過度な殺戮は更なる殺戮として拡大再生産され、取り返しの付かない事態に陥るということは、歴史が証明しているにも関らず、自らは決して過ちを犯さないと言ってのけるのは傲慢以外の何者でもない。一体こいつをどこに持っていこうとしたのでしょうな、と言おうとしたクライスラーは、デスクの電話のコール音で会話の中断を余儀なくされた。
「クライスラー大佐だ」
「あ、私……いえ、こちら空母カノンシード艦橋要員、スマキア伍長です。護衛艦レッド・アイから緊急連絡が入っています。9103飛行隊の訓練空域方面に強力なECMがかけられていて、現在レーダーは麻痺、通信も途絶しているとのことです」
「何だと?」
「こちらからも呼びかけたのですが、ジャミングの影響で応答がありません。まさかとは思いますが、ユーク空軍の奇襲に遭遇したのでは……」
ジャミングをかけてまで?それよりも、敵はステルス機で編成された9103をわざわざ狙ってきたのだろうか?何のために……?いや、レーダーには映りにくいはずのF/A-22とYF-23Aをどうやって捕捉したというのか……。
「何か、あったみたいだね、大佐」
「……ええ、9103がどうやら敵の襲撃を受けたようです。電子妨害によって通信も途絶しています」
「……この間の連中、かな?」
軍帽を被り直した艦長が立ち上がった。彼の声に現実に引き戻されたクライスラーは、指揮官として為すべきことの段取りを早くも頭の中で開始していた。敵の数は分からないが、とにかく近郊基地の部隊の支援を要請するしかなかった。
「艦長からも、支援要請をお願い出来ますか?」
「任された。彼らはカノンシードの搭乗員でもある。出来る限りのことはさせてもらうよ」
無事戻ってくれよ。クライスラーは、彼の部下たちが戦闘を繰り広げているであろう空を、窓ガラス越しに睨みつけたのだった。