代償
オーシア軍の進撃を支え続けてきた「ウォー・ドッグ隊」が敵性スパイとして処分された、という話が広がっている。直接の面識は無いが、この戦争が始まって以来、最前線で戦い続けて友軍を援護し続けていた彼らに限ってそんなことはないはずだ――その意見が大多数を占め、声高に裏切者の処理の効果を訴える司令部に対する兵士たちの不満はとうとう限界に達しつつあるようだ。正式に僕らに対してその話を伝えたクライスラー大佐ですら、「あくまで個人的な意見だが」と付け加えたうえで、彼らは謀殺されたのかもしれない、と言ったくらいだ。うちの国はどうやら自殺したいみたいですな、とガイヤ大尉が冗談とも本気とも取れないことを言って、大佐が苦笑いを浮かべていたのが印象的だった。スケジュールをこなすだけの冷徹将校、というイメージが定着していた大佐だが、先日の戦闘の際、エルアノ基地近郊の部隊に救援要請を出すだけでなく、軍中央に対しても未確認機による襲撃を伝えて領空内の監視体制の強化を訴えていた、とスマキア伍長から教えてもらって以来、僕の第一印象は揺らぎ始めていた。
国内での未確認機との戦闘は、第655部隊が友軍機が誤射した巡航ミサイルの誤爆によって壊滅したこともあってメディアの格好の攻撃の的となり、はるばる離れたユークトバニアの侵入を何度も許した防空体制の脆弱さが徹底的に叩かれている。電子妨害によって友軍とのコンタクトを絶たれながらも生還した僕らを「英雄」として書き立てるメディアもあったが、新型機の試験部隊たる僕らが大々的に報じられてしまったことにクライスラー大佐よりもロックウェル少将の方が憤慨したようで、グレッグ中尉に言わせると「英雄ならこき使ってやるから敵の侵入をふせいでみろということさ」というわけで、まるで前線部隊のようなスケジュールで僕らには哨戒任務が課せられることとなってしまった。もっとも、「ウォー・ドッグ隊」という要を失ってしまったオーシア空軍はいよいよ人材窮乏となり、辺境で新型機を運用しながら戦争に貢献しない僕ら9103飛行隊に対する風当たりが一層強まったとも言えるのだろう。そういうわけで、僕らは久しぶりに二手――つまり、カノンシード班とエルアノ基地班とに別れ、馬鹿みたいに広い哨戒空域を毎日飛ぶ羽目となっていた。既に12月も半ばを過ぎようとしていたが、膠着化した戦線はいよいよ動かず、ユークへの反撃が始まった頃は「大勝利」・「正義の戦いの勝利は我が手に」と言う文句が踊っていたメディアもすっかりと静まり返っていた。状況は敵国たるユークでも同じようで、国内で激しさを増すレジスタンスの反政府活動によって、ユークトバニアも疲弊の一途を辿りつつあるという。両国政府の勇ましい掛け声も空しく、厭戦ムードは確実に両国の人々を浸しつつある、そう僕には感じられた。
作戦機が2機しかいないエルアノとは異なり、さらに哨戒活動には「不熱心」な艦長のおかげで、短いとはいえ僕らには待機時間も与えられていた。そうなると、特にやることもない艦内では自然と格納庫に足が向かってしまうのだったが、今日はいつもと違う状況になっていた。オズワルド曹長が僕を見かけると有無を言わさずに整備士たちの控え室へと僕を引きずり込んだのだ。
「一体どうしたんだ曹長!あ、痛い!腕を捻らないでくれ!」
「少尉、静かに。別に取って食おうってわけじゃないですから」
オズワルド曹長は控え室の端末を立ち上げ、懐から取り出した光ディスクを差し込んだ。マウスを手早く操作した彼は、光ディスクのフォルダを開くと何かのプログラムをダブルクリックした。暗転したモニターには少し待っていると地図が表示され、その上を二つの三角マークが動き出した。"target1"・"target2"と表示されたそのマークのデータもそれぞれ表示されていて、様々な数値データが都度都度書き換えられていくのだった。その数値をしばらく眺めていた僕は、それが高度や速度のようなものを表しているということに気が付いた。そして何より、表示されている緯度経度は、この間の戦闘空域のものだった。
「曹長、これって……!!」
オズワルド曹長は無言で頷いた。並んで動いていたマークは、しばらくすると散開した。一方は上昇しながら反転し、水平飛行へ移るかどうか、というところで消失した。
「おやっさんや大佐、艦長にも了解は取ってあります。この間、未確認機と交戦するまでの少尉の飛行データですよ、こいつは。例のアンテナからデータを飛ばして、俺とマイカルで傍受していたってわけです」
「ちょうどこのとき、ECMをやられたんだ。レーダーが利かなくなって、交信も途絶えた……」
そのとおり、と曹長は頷く。僕は改めてモニターをよく見てみた。高度、緯度経度、速度、G、これはスロットル開度……?これじゃあまるで、ブラックボックスのデータが完全にトレースされているようなものじゃないか。
「曹長、しかしこのデータはカスター部長が処理をしているものではなかったのか?」
「最初はそう思ったんですが、グランダーの連中の機材じゃ、こいつの受信も解析も不可能なんですよ。何しろ、うちの整備班のサーバー一つがパンク寸前になってたくらいですからね。でも、連中はサーバーまで俺たちの基地に持ち込んできたわけじゃない。となると、どこか別のところにデータを飛ばしていると考えた方が妥当でしょう」
「一体何のために……?」
オズワルド曹長は黒い腕を組みながら、少しの間目を閉じていた。陽気な彼のこんな顔は、初めて見るような気がする。
「……あくまで俺の想像ですがね、目的はクライスラー大佐と同じじゃないですか。まだそれほどデータの集まっていない新型機の運用データ・実戦データを収集するっていう……それと、何の目的かは分かりませんが、少尉たちの行動する場所をトレースすること……」
僕は一つの可能性に思い当たっていた。ステルス機である僕らの機体は、余程高性能なレーダーなどで追跡しない限り捕捉が難しいのは言うまでも無い。だが、機体自体がGPS等の信号を放ちながら飛行しているなら話は全く別で、レーダー以外の手段で追跡することは充分可能。先日の戦闘の際、僕らは悪天候の空域を飛んでいたにもかかわらず、敵戦闘機は僕らの位置を間違いなく掴んで襲撃してきた。彼らの会話が何故かベルカ語だったことも気にはなるが、僕らの情報が彼らに知らされていた、或いは僕らの行動が筒抜けになっていたのだとしたら、ステルス機である僕らの部隊に対し、圧倒的有利なポジションから攻撃を加えてきたことも頷ける。
「マイカルが今回同行していないのは大佐の指示で、エルアノに残ったウォーレン大尉とガイヤ大尉のサポートに回るためなんすよ。あのお二人の機体にも、同じもんがついています。まだ例のパーツの取り外しはしてませんが、こうなってくるとマイカル以外のグランダーの連中は余り信用しない方がいいでしょう。それに、もしもう一度襲撃されるようなことがあれば、この仮説も確実なものになりますからね」
「曹長、このデータが送られている先を逆探知は出来ないのかい?」
「それがなかなか……でまぁ、実のところパーツをそのままにしてあるのは、もう一度データ取りをするため、ってのもあるんですよ。アネカワ少尉とザウケン少尉の機体については俺がトレースしますが、ガイヤ大尉とウォーレン大尉の機体についてもマイカルがトレースします。4機分、異なる方面から辿れば、ある程度の受信地点の解明は出来るんじゃないすかね……」
「分かった。曹長、くれぐれも気をつけてくれ。それにしても、どうして僕らが狙われなきゃならないんだ……?」
分かるはずも無かった。オズワルド曹長も口を閉ざし、僕は腕を組んだままやはり無言だった。得体の知れない不安と疑問が再び湧き上がり、冷や汗が僕の背中を濡らしていった。
「カノンシードコントロール、D57エリア、オールグリーン」
「こちらカノンシード、了解です。スレイプニル、引き続き次のエリアの哨戒をお願いします」
ザウケン少尉とスマキア伍長の会話も半ば上の空に聞きながら、僕は今日の哨戒エリアを飛んでいる。今日の担当空域は、エルアノ基地南西の内陸部一帯。しばらく前まで僕らのベースだったシグニッジ基地もその中に入っていたが、既に整備班も全員がエルアノ基地に移動した今、事実上放棄されたようなものだった。僕らの位置を辿って、またSu-47が現れるのではないか、と不安に思いながら飛ぶ時間は過ぎ去り、とりあえずは何事もなく僕らは健在だった。久しぶりに晴れた空は早くも日が傾き始め、淡い日の光がコクピットの中にも差し込んでくる。
「何だか、久しぶりにのんびり飛んでいるような気分ですねぇ」
カノンシードと交信を終えたザウケンも、今日はいくらかリラックスしているようだった。オズワルド曹長から、僕らの機体に付けられたアンテナの件を聞き、予想とおり彼は動揺してしまったのであるが、そこは仮にも僕らと共に実戦を生き抜いてきたパイロット。表面上はすっかりと回復して僕のサポートに回っていた。幾度かの実戦を経た今、ザウケンの上達は見事なもので、彼を獲物にしていたはずのグレッグ中尉は逆に追い回される立場になってしまい、僕と共に「おまえら、大嫌い」と言われるようになっていた。チーム同士の格闘戦はまだ行っていないが、相当てこずらされるのは間違いが無かった。事実、先日のSu-47との戦いでも、敵の包囲網を何度もすり抜けて反撃して見せたのは彼の実力の為せる技であったろう。だから、ガイヤ大尉が別の空域を飛んでいても、安心して僕は背中を任せられるのであった。
淡い光を浴びた大地が照らし出され、木々の影が伸びている。戦争真っ最中の国とは思えないような光景が、僕らの眼下を過ぎていく。だがこの空の下では、家族や恋人、子供の帰りを待つ人々が今日も心配を抱きながら生活している。確実にこの国を蝕む戦争が、姿を見せずにオーシアを疲弊させていく様は、まるで木々に寄生して森を枯らしていく虫達のようにも思えてくるのだった。その平原の先の方に、自然のものとは異なる地形が微かに見える。わずか1ヶ月程度の滞在だったが、今日の仲間たちと出会ったシグニッジ航空基地は、初めてこの基地に降り立ったときと同じ姿を今日も晒していた。このまま上を通過していこうか、と思い何気なくレーダーに目を落とした僕は、誰もいないはずの基地に移る機影に気が付いた。放棄されたのでなく、別部隊が入っていたのだろうか?ザウケンも気が付いたらしく、"高度を下げましょう"と身振りで僕に伝えてきた。親指を立てて了解の意を伝え、僕らは高度を下げていった。懐かしい滑走路の姿が次第に大きくなり、太陽の光に照らされた管制塔が近づいてきた。その管制塔の側に止まっているのは、C-130ハーキュリーズ。識別コードは友軍のものだが、無人の基地に一体何の用事があるというのか?基地上空に到達した僕らは、そのまま滑走路をフライパスした。滑走路の端辺りで上昇をかけ、今度は真上から基地を見下ろすようにして降下する。管制塔脇に駐機しているC-130は2機。カーゴルームは開け放たれたままで、資材を搬入している兵員たちの姿も見える。
「こちらオーシア空軍9103飛行隊、アネカワ少尉です。シグニッジ基地に待機中の輸送機、所属を伝えよ」
僕は共通回線で輸送機に呼びかけてみた。だが、返答は無い。聞こえていないはずは無いのだが、無線機が壊れているのだろうか?ザウケン少尉も同様に呼びかけているが、やはり返答は得られなかったようだった。
「アネカワ少尉、私が着陸して近場から輸送機を見てきます。上空の支援をお願い出来ますか?」
「ザウケン少尉、味方かどうかも分からないんだ。危険は避けた方が良い。」
「大丈夫、機の外には出ませんし、デジカメで輸送機を近くから撮るだけですから。すぐに離陸して合流しますよ」
ザウケン少尉の言うことももっともなので、僕は彼の着陸を認めた。デジカメを構えて僕の姿を撮って見せると、彼はゆっくりと降下してファイナルアプローチの体制を取った。さすがに何度も離着陸した基地なので、管制塔の誘導がない状況でも綺麗に着陸ラインに乗せていく。僕は万が一の襲撃に備え、少し高度を上げて周囲を見回した。今のところレーダーに反応はなし。敵影の姿もなし。少し安心して、僕はそのまま基地の上空を旋回するようにして飛び始めた。ザウケンの機体は無事着陸を果たし、管制塔から少し距離を取って停止していた。彼のことだ。早速ズームを最大にして輸送機を撮り始めたに違いなかった。
デジカメのズームを最大にしたザウケンは、モニターに移る輸送機の尾翼を見て首を傾げた。そこには、本来あるはずのエンブレム――オーシア空軍を示すエンブレムが無かったのだ。何も描かれていないと意外とだだっ広い尾翼を念のため撮影し、再びズームを戻して全景で一枚。自分の姿に気がついて兵士たちが姿を消したのも不思議だったが、彼は輸送機のカーゴルームに運び込まれようとしていたコンテナをズームアップした。……なんでこんなところに?そのコンテナには、すっかり見慣れたノース・オーシア・グランダー・インダストリーのマーキングがはっきりと刻まれていたのである。嫌な予感がした。ザウケンはデジカメを仕舞いこんでベルトを締め直し、スロットルをMAXに叩き込んだ。ここにいては危険だ。そう直感した直後、輸送機の陰に隠れていたはずの兵士たちが、機関銃を手にして向かってくるのが見えた。あれは味方じゃない!そう認識すると同時に、機体に機関銃の弾丸が当たって跳ね返される音が響き、ザウケンは半ば祈るような気分で機体を加速させた。早く、もっと早く!早くあの空へ帰らせてくれ!そうすれば、上にはアネカワ少尉もいる!やがて充分な加速を得たYF-23Aのノーズギアがふわりと浮き上がり、愛機は空への飛翔を始めた。まぶしい光が、彼の目を覆った。
太陽だと思った光は、太陽以上の眩しさを発し、そしていくつかの光を撒き散らした。低空で炸裂したそれは、次の瞬間さらにまばゆい光を発して、圧倒的な衝撃と熱量を破壊の力として放出した。すさまじい衝撃がキャノピーを吹き飛ばし、飛び散った破片が身体を刺し貫く。何度も炸裂する衝撃がその度に機体を弾き飛ばし、ベルトで縛り付けられた体がシートに叩きつけられ骨を砕く。苦痛の声を挙げようとして口を開き、代わりに血が吹き出すのを見てザウケンは愕然とした。浮き上がりかけていた機体は既に浮力を失い、機首が下を向いていく。閃光と轟音と衝撃にさらされた愛機は自分の身体に負けずボロボロになり、捲れあがったフラップが先に脱落して落ちて行く。嫌だ、死にたくない。まだ僕にはやりたいことが一杯ある。同じ言葉が頭の中で何十回もループし、口からは言葉にならない悲鳴が漏れる。既に機能を停止した機体は何の反応も示さず、大地へと向かっていく。どうして。何で僕がこんな目に。嫌だ、嫌だ、嫌だ!
「嫌だぁぁぁぁっ!死にたくないっ!僕はまだ死にたくないんだぁぁぁっ!!」
ようやく声を絞り出した刹那、鈍い音と激しい衝撃がザウケンを襲い、彼の意識は永遠の闇に閉ざされた。
「ザウケン!応答しろ!ザウケーンっ!!」
僕はまだ目の前で起こった出来事が信じられなかった。高度3000フィートで飛ぶ僕の下で炸裂した光球は瞬く間にシグニッジ基地を包み込み、離陸しかけたザウケンの機体まで巻き込んだ。幾度も炸裂する轟音が轟き、炸裂した爆炎がようやく姿を消したとき、後に残されたのは見るも無惨に破壊し尽くされた滑走路と建物の残骸。そして、滑走路の隅に転がった、最早原形も残していないボロボロの白い見覚えのある機体。その機体を操っていたはずのザウケンの姿は見えず、そして声も聞こえてこない。彼の最期の叫びだったのか、死にたくない、と叫ぶ声が何度も僕の頭の中で反響した。……まただ。また僕は仲間を助けることが出来なかった。あの時、着陸をさせなければ。いや、そもそも基地の上空を飛ぶコースを飛ばなければ。あれほど気をつけろ、とオズワルド曹長に言われたのに、またも僕は仲間を守ることが出来なかった。理性のコントロールを受け付けず、涙が視界をぼやかしていく。止められない嗚咽。
「……何だ。蝿が残っているじゃないか」
失いかけた理性が、その声を聞いて戻ってきた。聞き覚えのある声。レーダーに反応は無いが、最も聞きたくない部類に入る男の声。いや、それよりも何でここで奴の声が聞こえてくる?やはりショートしているらしい理性があげたのは、自分でも驚くほどの怒声だった。
「キニアス!!お前か、お前がやったのか!!」
「アネカワ……?そうか、アネカワ、生き残ったのはお前か。こいつはお笑い種だ。運のいい奴め、私の攻撃から逃れるとは、さすがだよ、エース」
――キニアス・アップルルース。僕はレーダーを慌しく操作していた。憎むべき敵の姿を探す為に。だが、一向にレーダーに奴の姿は映らず、辺りには機影など見えなかった。
「隠れてないで出て来い!俺の手で打ち殺してやるから!!どうした、口だけキニアス!」
「黙れ!……私は生まれ変わったのだ。この世界を真に再生する人々の協力を得てな。もう誰にも邪魔させない。オーシアの再生は、選ばれた人々、そして選ばれた人間である私たちの手で為すのだ。おまえごときに何が出来る。次に会ったときは、必ず殺してやる。死にたくなければ、どこかで怯えているがいい。ククククク……ハーッハッハッハッ!!」
一方的に切られた通信が復旧することは無く、僕の叫びは空しく木霊した。再び沈黙が戻ったコクピットの中で、僕は絶望の底に落ち込んでいった。ザウケン、頼むよ。応答してくれよ。なぁ、ザウケン……。決してかなえられることの無い呼びかけを僕は繰り返していた。それを認めてしまったら、嫌でもザウケンの死を認めなければならなかったから。
「ケルベロス、ケルベロス聞こえますか、こちらカノンシード!スレイプニルの機影を確認出来ません、状況報告願います!」
スレイプニル――ザウケンの消失はカノンシードにも知られてしまったらしい。スマキア伍長が、何度も僕を呼ぶ。答えなければならないのか、僕が。僕が、彼の死を告げなければならないのか。僕は嗚咽を隠すことも無く、回線を開いた。
「こちらケルベロス……ザウケン少尉は……ザウケン少尉は、もう……」
それが、僕が言うことの出来た言葉だった。それだけしか、僕は言うことが出来なかった。