反撃の狼煙
エルアノ基地にて「叛逆」した僕らが潜伏したのは、追撃任務を帯びたカノンシードの上だった。自分たちが生活した基地の滑走路を攻撃するのはさすがに気が引けたが、クライスラー大佐とアルウォール艦長の練り上げた作戦はペテンと言っても良いものだった。クライスラー大佐は自らの負傷を参謀本部に声高に主張することで9103の偽叛乱を信じ込ませ、アルウォール艦長は叛乱に直面した基地に最も近い位置にいた部隊として追撃・探索を上層部に具申したのである。その裏でカスター部長ドレヴァンツ中佐、グランダーの面々を船倉の一室に閉じ込めるだけでなく、僕らの部隊運用に必要な装備弾薬、さらには整備兵たちまでを乗せて出港したのであった。そして僕らは9103改め叛逆飛行隊としてカノンシードの甲板に降り立ったのである。到着後ブリーフィングルームに集められた僕らに対し、アルウォール艦長は「叛乱飛行隊の任務を伝える」と今後の方針を明らかにした。オーシアに潜伏する、ベルカ部隊である"シュヴェルトライテ航空隊"による破壊工作――つまり、シグニッジ基地に対して行われたような、ZOE-XX02による破壊活動を断固阻止すること、そのために奴らの基地を突き止める必要があること。さらにもう一つ、カスター部長の自白から、グランダーがオーシアだけでなくユークにまでTAN-F計画の試作戦闘機を配備させるつもりであることが明らかになり、近々実施されるという海上輸送を阻止すること。これが僕らに課せられたタスクとなった。ベルカの協力者がカノンシードに積まれたのは、僕らの活動に必要な情報を引きずり出すという目的もあるというわけだ。
そして今日も僕は操縦桿を握っている。叛逆部隊としてのんびりしていられるわけもなく、むしろ9103の時よりも厳しいシフトで僕らは哨戒任務に就いていた。ある程度オーシア軍からの情報をカノンシードから得られるとはいえ、空中管制機などの支援も受けられるはずもなく、僕らは言わば自分たちの愛機を頼りに飛ぶという初めての経験をすることとなった。カスター部長は"シュヴェルトライテ"の居場所を知らず、ドレヴァンツに対する尋問をアルウォール艦長が始めている頃だろう。
「こちらフェンリル、周辺空域オール・グリーン、異常なしだ。次の空域に行こうか」
今日は僕が先頭に立ち、ガイヤ大尉がバックアップというポジションを取っている。出撃前、唐突に言われたのだ。今日はお前が前だ、と。グランダーによって取り付けられたアンテナが無くなった今、僕らの機体は本来のステルス機としての機能を取り戻していた。オーシアからは「叛逆者」と認定された僕らが、オーシアの勢力圏内を飛び回り、しかも依然所属自体はオーシア海軍のカノンシードを母艦と出来るのもそのおかげである。もっとも、僕らの姿をカノンシードが見失うというデメリットも抱えてはいたが。ガイヤ大尉の言葉とおり、このエリアでは飛行機どころか船舶の姿も見えず、僕らは隣接する次の空域へと移動を開始した。今日は僕らの他にウォーレン大尉とグレッグ中尉がオーシアの北東部、つまりはノルト・ベルカとオーシアの境界線の空域を哨戒しているはずだった。だが、ベルカの送り込んだスパイからの連絡が途絶えたことを警戒しているのか、未確認機は一向に姿を表さなくなったのだった。右旋回する僕の右翼では、冬の海が淡い太陽の光を反射して煌いている。薄い雲をかきわけるようにして、僕らは東進した。ここからあと500kmも行けばノルト・ベルカの領海となり、かつての大戦の爪痕も眺められるようになる。僕らは領海ギリギリの領域を高空から飛行。レーダーに反応。航空機ではなく、反応はずっと下方。海面にごま粒のように見えるのは、船団?レーダー上の反応は敵味方識別不能のものと、オーシア軍のものとが混在していた。
「おいケルベロス、多分見えているだろうが、どう思う?」
「反応は味方のものですが、それにしても進行方向から考えてオーシアから来たのでは無いように思われます。ひょっとしたら、カスターの言っていた輸送艦隊でしょうか?降下しますか?」
「その必要はないだろう。下手に警戒されるよりも、確実に仕留めた方がいい。しかし、オーシア軍の艦艇まで投入していやがるのは厄介だな。どこの艦隊だ、全く」
僕らは旋回しながら、コクピット下に取り付けた偵察ポッドで船団を撮影する。後でカノンシードかレッド・アイで分析することで、所属まで割り出されるに違いない。現在の針路・速度を維持していれば、カノンシードの展開する海域まで1日強というところか。レーダー上に表示されるオーシア軍艦艇は3隻。識別不能船舶が2隻。対艦ミサイルを積んでいるならば別だが、今のところ僕達には攻撃するという選択肢が無かった。いずれにしても、母艦の指示を仰ぐ必要がある。僕はチャンネルを切り替えて、カノンシードへの通信を開いた。
「こちらケルベロス、スタートレイダー応答願います」
"スタートレイダー"はカノンシードコントロールの事だ。艦長の強い希望でそうなったらしいが、かなり言い辛いだけでなく馴染みが無い単語なので、何度かに一回は間違える。
「こちらスタートレイダー、ケルベロス、どうしましたか?」
「現在D78空域を哨戒中。西進する船団を確認した。偵察ポッドでの撮影は完了したが、降下して近距離からの偵察を行うか?」
「少しお待ちください。艦長に繋ぎます」
スマキア伍長の凛とした声が答える。少しの雑音の後、アルウォール艦長に通信が切り替わった。
「私だ。ケルベロス、船団の中に、オーシア艦艇はいるか?」
「はい、レーダー上3隻、オーシア海軍の反応があります。所属、艦種はこの高度からは確認できません。他、識別不能船舶が2隻です」
「良し、それだけでいい。直ちに戻ってきたまえ。降下する危険を冒す必要は無い」
「了解しました、ケルベロス、これより帰還します」
「フェンリルも了解した。これより帰投する」
僕らはその場で上昇しつつ反転した。海面の艦隊からのレーダー照射は無く、どうやら気付かれずに済んだらしい。偵察ポッドの映像が解析されれば、艦船の正体も明らかになるだろう。操縦桿を戻し、水平飛行に切り替える。薄い雲の漂う雲から差し込む淡い太陽の光は依然として海を照らし出し、反射した光の残滓を煌かせていた。
それにしても、あの船団、一体どこから来やがったんだ……?
僕らの撮って来た大量のデータを送られる羽目となった解析班は、それこそ少ない人員でモニターと端末と必死に操作する羽目となったのだが、僕らのブリーフィングが行われる頃には、鮮明に撮影された画像データが編集され、僕らの手元に配られることとなった。ガイヤ大尉はアルウォール艦長と既に何らかの議論を行ってきたようで、艦長と一緒に部屋に入ってきた。僕らが撮影した船団の写真は、オリジナルではごま粒にしか見えなかったが、デジタル処理で拡大された映像では、はっきりと艦橋から兵装の形までを判別することが出来た。画像に納められた5隻の艦船のうち、2隻は明らかに民間の輸送船。そのうち一枚には船体の横に企業のシンボルのようなものが描かれていて、解析の結果、ノルト・ベルカの船舶会社の所有する中型のコンテナ船であることが判明した。だが問題はむしろ軍艦の方だった。僕らのレーダー上、IFFは友軍のものを表示していたのだが、カノンシードの展開する海域で作戦行動に就いているオーシア海軍艦艇は該当しなかったのである。グラハム中尉が端末を操作し、モニターにオーシア全図が表示される。そして、各海域に展開する艦隊情報が表示されていくが、少なくともカノンシードのいる海域付近には該当する艦艇の存在が無かった。
「極秘任務中の友軍艦という可能性はどうでしょうか?」
「ウォーレン、ユークしか見えてないうちの海軍の船が、わざわざノルト・ベルカくんだりまで繰り出して来るはずがないと思うぞ」
「だが、ガイヤ大尉のレーダーでは友軍艦として表示されたのだろう?」
「あれは、友軍艦などではないよ」
ウォーレン大尉とガイヤ大尉の議論を止めたのはアルウォール艦長だった。艦長はグラハムを促して、モニターに僕らの撮影した画像の拡大映像を表示させた。大きめ艦橋にニ連装砲塔、対空ファランクスの側には垂直発射ミサイルセルの姿もおぼろげに見える。狭い甲板を埋めるように兵装が搭載されたこの船の姿は、僕も何度も見たことがある。だがそれはオーシアの港や領海内の話ではなく、部隊配属前に学んだテキストの上だった。
「ユークトバニア海軍……!」
「そうだ、アネカワ少尉。こいつは、ユークトバニア海軍が採用しているシュラーガ級駆逐艦だ。他の2隻も同型艦と見て間違いないだろう。IFFを偽装してノルト・ベルカまで足を伸ばしていたんだろう。敵国の領海内を堂々と通過してきた彼らの豪胆さにも感心させられるが、それ以上に彼らの侵入を疑いもしなかった我が国の防衛体制に呆れてしまうね。……或いは、意図的に彼らの侵入が隠蔽された、か?」
「或いは奴らの侵入を手引きした連中がいる……艦長はそうお考えですな?」
ガイヤ大尉の問いに艦長は頷いた。そして、その手引きをした連中は、本来ユークの艦艇には備わっていないようなIFFの偽装を施し、オーシアの領海を突破させてきたのだ。そして、ユークにとっては、軍艦3隻を派遣してまで手に入れる価値のあるものが、輸送船には搭載されている。それも、ノルト・ベルカからの積荷が。輸送船の中に積まれている物までは確認することが出来ないが、可能性としてこの船団が僕らの目標の一つである確率は高い。
「正直なところ、私にもこの輸送船が目標であるのか分からない。だが、ユークトバニアの艦艇がこんな海域を航行していること自体は看過できるものではない。……ここは一つ、叛逆部隊らしく賭けに出てみようか。いずれにしても、連中がユーク艦隊である以上、彼らに対する攻撃が認められない理由は無い。まして、このカノンシードには航空隊は"存在しない"のだからね」
「そこでだ、俺と艦長とで襲撃計画を立ててきた。モニターを見てくれ」
ガイヤ大尉が艦長の話を引き継いだ。モニターの地図が拡大され、船団の針路が表示される。あくまで想定上の針路であるが、現行の速度・針路を取った場合、カノンシードとの接触はおよそ26時間後、と表示される。
「俺たちは明朝0700時、カノンシードから発進し、船団を襲撃する。カノンシード自体も彼らの方向へと向かうから、相対距離は現在よりも縮まるはずだ。発進後俺たちは全力でこの3隻のシュラーガ級を撃破し、輸送船を確保する。全機対艦ミサイルを抱えての発進だ」
カノンシードから矢印が表示される。僕らは二手に分かれて船団へ接近、挟撃を以って襲撃する。カノンシード隊は15ノットで船団へと針路を取るので、朝までの12時間でおよそ300km近くは接近することとなる。
「あくまで輸送船から駆逐艦を引き剥がすのが目的だ。間違っても輸送船に手は出すなよ。輸送船の拿捕はあくまでカノンシードとレッド・アイの仕事だ」
カノンシードは、「叛逆部隊」となった僕らを追撃している途中、襲撃を受けている輸送船を発見、合流して安全区域まで誘導する、というシナリオだ。そしてその安全区域とはエルアノ基地であると言うから、艦長の人の悪さが良く分かる。僕らはあくまで凶悪な叛逆飛行隊として振舞え、というわけだ。
「万一駆逐艦が友軍艦だったとしても、叛逆部隊たる君たちに撃沈されたことにしておけば、当艦の安全は一応保障される。ウム、全くもって司令官としては使いがいのある航空隊を任せてくれたもんだね、クライスラー大佐は」
「……アルウォールの旦那、そいつは言いっこなしですぜ」
艦長が笑い出し、つられてガイヤ大尉も笑い出した。そう、僕らは祖国からも追われる身となってしまった。だが、決して追い込まれたわけじゃない。今ここで笑っていられるのがその証拠だ。何より、明らかに道を踏み外したオーシアの思うとおりになってやる気など、僕らはさらさらないのだから。反撃の狼煙が、ついにあがろうとしていた。
早めの食事を済ませて、さっさと寝ようとしたのだが、やはり精神が覚醒しているのかなかなか寝付けなかった。30分努力して失敗した僕は、気分転換に、と甲板に出てみることにした。さすがに冬の海の上、しかもオーシアの北方にいるのだから、外は氷点下。暖房で暖められていた体が一気に冷やされ、顔が強張る。上空からの攻撃を避けるため、最低限の照明しか付けられていない甲板上は真っ暗だったが、空を見上げると雲が完全に晴れ、星の光が降り注いでいた。天の川がはっきりと見え、僕はしばらくの間星たちを見上げて立ち尽くしていた。
「アネカワ少尉……?」
唐突に声をかけられて声のした方を見ると、暗い甲板上に髪を後ろで束ねた姿が見えた。
「スマキア伍長?こんな時間にどうしたんだ?」
彼女の声は、僕のYF-23Aの側から聞こえてきたのだった。僕はジャケットを羽織り直して、愛機へと歩いていった。慌ててタラップを下りる足音が聞こえ、少しして悲鳴が聞こえてきた。僕のYF-23Aのタラップを滑り落ちた伍長が尻餅をついたままうめいていた。
「……何やっているんだい?」
「す、すみません。あいたたた……」
手を貸してやり、彼女を引き起こす。何気なく彼女がいたであろうコクピットのそばを見ると、昨日までは無かったところに新しいマーキングが描かれていた。これは……ドラゴン?その上に槍を構えた騎士がまたがっているのが微かに見える。そして、その下に何か書かれている。タラップに上がった僕は、目を近づけて見た。"God Speed, Anekawa, Good Luck"のkから下に線が伸びているのは、きっと伍長が落ちたときのものだろう。
「このエンブレムは?」
「マイカルさんとオズワルド伍長たちが、叛逆飛行隊じゃ格好悪いから、何かエンブレムを付けよう、ということでこの図柄にしたみたいですよ。確か竜騎兵――「ドラグーン」と言ってましたけど……あの、それで、そのう……本当は皆さんの機体にも書かなければいけないんですけど、まずはアネカワ少尉の機体に、と思って……」
伍長の顔が耳まで真っ赤になっているのが暗がりでも分かった。文句の一つも言おうとしてあげた右手が行き場を無くし、僕は仕方なく頭を掻いた。
「こんな暗がりで危ないだろうに……。伍長、君も艦橋要員なのだから無理は禁物だぞ」
「ハイ……すみません……」
しゅん、と彼女は俯いてしまった。何となく、彼女が何でこんなことをしていたのかも分かるし、皆の機体に同じ言葉を書くと言ったのも嘘だということが分かった。そうなると、ますます彼女を怒れないし、そもそも眠れなくて甲板に出てきた僕にそんな資格もあるはずが無かった。それに、彼女が書いた言葉は、前線、戦場へと向かう僕らへの激励の言葉だ。だから、僕は礼を言った。大丈夫、必ず皆戻ってくるから、と。俯いていた彼女が顔をあげ、にっこりと笑ってくれたのを見て、僕は自分の行動の選択が間違っていなかったことを確信した。
彼女が駆け去った後、僕はもう一度愛機を見上げてみた。槍を手にした騎士は、彼の分身たる竜にまたがって戦場へと赴こうとしている。竜騎兵――想像上の動物にまたがる、騎士、ドラグーン。そしてその下には、思いのこもった言葉が書かれている。"幸運を"、と。いいお守りかもしれない、と思った僕は、そのままにしておくことにした。きっとその方が、伍長も喜んでくれるに違いなかったから。